第二千七百四十一話
味わって初めて知ったことが、たくさんある。
ひさしぶりにアマテラスさまのお屋敷で見たアニメはいろいろある。
メダリストだけじゃないよ? チェンソーマンもだ。
邦画「鉄男」。一九八九年に上映された塚本晋也監督作品を連想した。身体から鉄が生えてくる男の話だ。身体からうねうねとなにかが生えるとなれば、漫画から映画化されて世界でヒットしたAKIRAの鉄雄もそう。
カフカの変身のように、別の何者かになるっていうアイディアは普遍的なもの。
でも、それはひとまず横に置いておいて。
チェンソーマン。悪魔のポチタと契約したデンジが、超絶美人でおっぱい大きくて声も仕草もエロくて明らかにあからさまに「男にとってイイ女」のマキマさんに誘導、誘惑されて公安の悪魔狩りになる。
とにかく下半身と欲を軸に生きてて、デンジはマキマさんの誘惑に面白いくらいちょろく引っかかって、それを原動力にしていく。
ちょいちょいおっぱいに触ってみたり、ベロチュウしたりと下半身の夢が叶う瞬間がくるし?
『あれ? こんなもん?』
『とろける、ってかゲロ出てる!』
みたいにセットで悲惨なショックや現実を実感する。
その相手はマキマさんじゃない。だからかがっかりしたり、しょんぼりしたり、叶って知った現実の空しさにめげそうになったりするたびに「もっとすごいことがあるよ?」とマキマさんに教えられる。刺激強めの餌をもらって、デンジはやる気を取り戻して、ますますマキマさんに惹かれていく。
というか、マキマさんとセックスはじめ、えっちなことをする未来に惹かれていく。
最初に揉んだおっぱいはマキマさんじゃなくて、悪魔のパワーっていう子ので、豊胸パッド越し。パッドが落ちて、トレーナー越しにもみもみ。
でも、それが思ったほどのことじゃなくてショックを受けてたとき、デンジはマキマさんに「よく知りあったほうが、えっちなことはすごくよくなる」的なことを教わって、手を絡め合わせて触れることで猛烈にドキドキしていた。
じゃあ、デンジはなにを知ったんだろう。
なにを好きになったんだろう。
マキマさんのこと?
それとも、マキマさんが自分に教えてくれること? マキマさんの感触? あ、これすごくえっちで興奮する! っていう実感?
ぜんぶちがう。
おまけに的外れになる。
マキマさんが好きなのか。
自分にえっちなことを教えてくれて優しいマキマさんが好きなのか。
このふたつだけでも、相当にちがう。
だけど初めて味わうことばかりのデンジには、たぶんよくわからない。
そんな調子で語ってみせる私だって、満足にはわかってない。
粘膜で触れあうとき、舌や咥内の感触は思ったよりも「当たり前に口! 舌!」なんだ。けど、好きな人としてるとか、すごく興奮しているときとか、条件が加わるとものすごく気持ち良くなるし?
タマちゃんの夢、幽霊たちの追体験で知ったかぎり、どうでもいいときは「うわ、口くさ。めっちゃ虫歯やんけ」とか「さっきこいつお茶飲んだな」とか「動きがこう、まどろっこしい」とか「歯が当たるってば」とか、とにかく気が散る。別に気持ち良くもなんともない。時には感触がただ煩わしく感じる。
相手が思い人ならいつも最高、とはいかない。
ずっと悪いときはずっと悪いまま、ともかぎらない。ただ、悪いのが続いている相手と続けようとは思わないだけで。
興奮しているときや、妄想のネタが噛みあえばどうでもいい相手でもそれなりに満足できる。でもその満足は、なにか食べなきゃってときにチェーン店に行って手軽く安くお腹を満たした、そのくらいの満足感。洗い物をしなくていい、煩わしさはなし。そうういう満足感だ。
よく知りあっている人と、安心して、セックスに没頭する、楽しめるみたいな満足感とはちがう。
じゃあ、そこに愛はあるのか。
それはまた別の話。
追体験や夢見で体験したかぎりでは。
そもそもの話さ?
セックスに全部を委ねたり託したり夢を見たりする暇があったら、日ごろからちゃんと愛情をやりとりしましょうね、としか思わないなあ。
思わないけど、それだってカナタと付き合っていろいろ経験して、タマちゃんの夢見や幽霊たちの経験、アマテラスさまの修行での追体験を経てやっと、そう思うに至ったわけでさ?
経験なしではわからなかった。
味わって初めて知ったことが、たくさんある。
花街で働かざるを得なかった女性に、通い馴染みの男たちはしばしば母性を求めるようになっていった。自分を受け入れてくれて、わかってくれて、なんでも許してくれる”いい人”。
性行為だけじゃなく、情さえ許して自分を包みこんでくれる。
会えばほっとするし、まるで自分の居場所に帰ってきたような気持ちにさせてくれる。
タマちゃんの記憶の夢見でも、しばしば男たちはタマちゃんにそういう有り様を求めた。
男が母性を求めるといえば、とても単純に聞こえるだろう。
でもね? あめ玉追体験をした女性も、タマちゃんも、男たちの中に、たまにそういう思いを抱く相手を見つける。女性だって母性を求める。あるいは会えばほっとして、居場所なのだと思える相手を。
それはとてもかけがえのないものだと信じて、特別なものにしようとする。
相手を決めて、制限して、とにかくより強く密接に抱きあおうとする。
離さないように、自分だけのものにしようとするんだ。
でも、そうなると別れや別離がつらくなる。
ふたりでくっついて生きてはいけない。結婚したからって、そこは変わらない。
共働きの時代になって久しい。後進国ゆえにね。
そうなれば必然、お互いに別の居場所を持つことになる。
それはもう、つらいよ? さみしいよ? 抱きあっていられないよね。
そこで相手を試そうとしたり、別れを知ろうとしたりする人が出てくる。わざわざ第三者を引っ張ってきて三角関係を匂わせたり、危機感を抱かせたり。あるいはいまの関係が壊れるようなことをしたりする。そうやって、相手がますます自分に抱きつくか、離れられないようにするか、自分の不安に泣いて詫びて、より一層愛してくれることを望むんだ。
あほか。
壊すようなことしといて、そんな都合よくいくわけない。
いくわけないんだけど、人はしばしばこういうことをする。
私たちは抱きあうほどに、離れることにも慣れていかなきゃならない。
恋人であっても、結婚するのだとしてもね。
だって、どれほど求めたって私は他者にはなれないし、相手にもなれない。相手も同じだ。そのずれを、抱きあい求めるものは無視したり、忘れたり、棚上げしたりしたがっちゃうんだ。
だからといって、ちゃんとどっしり付き合って、抱き締めるってことを知らなきゃ、そもそも抱き締めることを経験できないし、その機会を逃し続けちゃう。人と真っ当に付き合おうとするほど傷つくし、うれしいこともたのしいことも、憎らしくて恨みがましいこともやまほど起きる。それをちゃんとしなけりゃ、抱きあうこと、それゆえに起きる傷つける裏切りや試しを経験することさえない未熟な関係しか知らないまま、いくらでも年を重ねてしまう。
そう。あほかってつっこむようなことさえ経験してかなきゃ、私たちは満足に自分も他者もわからず孤独に生きていく。
さりとて抱き締めるばかりではいられない。
はい、ここまで。私とあなたは別人です。境界線があって、噛みあわないならここでさよなら。いまはお別れ。そういうことだって、学んでいかなきゃね。
関係は甘ったるいだけじゃやっていけない。
未来ちゃんから教えてもらった書籍のなかに、ケアの倫理について記したものとか、カウンセラーの実体験なんかがある。カウンセリングはまず、クライエントに安心して、ここが自分の居場所だと思ってもらえるような安全な環境を提供する。そして、しっかりと関係を構築して、話してもらえるよう心がけていく。
でもさ? そうなるとクライエントはカウンセラーに抱き締めてもらえるよう、どんどん求めていく。ほっとするから。安心するから。母性を求めるようにね。
じゃあカウンセラーは抱き締めて、ずぶずぶあまあまよしよしをしていればいい? もちろん、いけない。両者が男女の関係になることも起きてしまう。クライエントが未成年なら、大問題になるし? クライエントが結婚しているのなら不倫や浮気になるわけだ。それではいけない。
私は治療者で、あなたは患者。できることにはかぎりがあって、いまのあなたが求める形であなたを抱きしめることはできないよ、と切り離せないといけない。
難しいのは患者の体験によって、感情や体験を治療者に転移させて激烈に求めることがある点。だから治療者は資格取得という、知識と経験の習得を見極めるラインを設けている。そこにはちゃんと重要な意義がある。
でも私たちは素人で、そんなの知らずに関係を構築しては、いろいろやらかしていく。
だから甘ったるいだけじゃやっていけないことを知るのも、人によって、それがいつかは異なる。
ちょっと塩するくらい、切り替えや切り離し、味変が重要だ。
デンジはそういうの、ない。マキマさんしゅきぃ一本調子。私が見たアニメの範囲では。漫画だとどうなってるんだろう。ちょっと気になる。
でもたぶん、しばらくはそれが普通な気がする。
私の場合、なんだろ。
カナタとだけじゃない、先人たちのいろんな経験を夢見や修行で見たぶん、ちょっと早歩きなところがあるのかもしれない。カナタはむしろ、デンジと似てるところある。たまに顔に「えっちなことしたい」しかないときがある。最近は増えてる。
そういうとき、たぶん、体験している。
それゆえに味わって初めて知ったことが、たくさんある。
たとえばデンジもそうだけど、カナタさんも、そして一時期は私も過激に求めてた。
体系化されたなにかに。
なにかは恋愛かもしれない。恋愛とタグ付けしただけの「えっちなことしてみたい」なのかもしれないし? 「漫画みたいな恋がしたい」という陳腐なキャッチコピーみたいな欲かもしれない。
それって、別に私自身も、相手についても、身近なひとりの人間として付き合う必要のないことだ。
だけどさ?
人と付き合うって、身近なひとりの人間として付き合うってことだから。
すぐに噛みあわなくなる。
恋愛だろうと、そうタグ付けしただけで「理想の恋愛ごっこがしたい」「えっちなことしたい」だろうと、いっしょだ。
それって自分の欲であり、自分の中で体系づけたなにかであって、相手にとっては見知らぬなにかだ。
高校初日みたいに、みんなが「はじめましてだらけの人が集まってる、学校初日」という体系づけたものによそ行きの顔で集まっているからこそ、そこそこうまく交流できるみたいなのは、ある。
だけど、もしも集まっているのが違う国の、あらゆる世代の二十人だったら? 自分の体型づけたものじゃとてもじゃないけど太刀打ちできない。そもそも言葉のやりとりにだって苦労する。
そういう、違って、噛みあわなくて当たり前を前提に人と付き合える?
自分の体系づけたものが通用しない相手と。
それって、別に普通のことなんだよ?
だけどそれ、できる?
チェーンのお店に入って、牛丼でもうどんでも、なにかの定食でもいいから頼んで食べるのは、だって簡単じゃん。コンビニに入って、欲しい商品を買うのだってそう。お金があれば、あとは決まった工程を踏めばいい。店員さんが「いらっしゃいませ」あるいは「しゃせ」と声をかけてこようがこまいが、さしたる影響はない。
でもね?
じゃあ、街中の人に声をかけて、その人と深く話しこんで、いっしょにご飯を食べるようにするのは? その人のなにか大事なものを教えてもらうのは?
とってもたいへん!
とびきり疲れちゃう。
相手もきっと同じだろう。
やばいナンパきた!? とか、変な奴が怖い声かけしてきた! とか思われるだろう。
下手をしたら通報されるかもしれない。
でも、ひとりの人間として付き合うって、後者だよね。お店の注文だとか、そういう決まりで済ませられることじゃない。
そうなると、受け答えや声かけも、返事の内容も、ぐっと変わるんだ。
生返事や一本調子の返事じゃなくて、尋ねるような返事をする。興味や関心をもって働きかける。
でもね?
すごく疲れるんだよ。繰り返しになるけど。
仕事で高城さんがちょいちょい助け船を出してくれるけど、なぜだか男性に向けてじゃなく私に向けて、えんえんとしゃべるおじさんたちってけっこういる。いや私、なにも聞いてないし興味もないが? って思うんだけど「へえ、そうなんですか。どうして興味を?」とか、いろいろ聞くとうれしそうにしゃべるんだよね。
私よりもよっぽど聞くのがうまい人なんてごまんといるし、実際に私よりも気づかいや対応を心得て話を聞いている人を仕事でちょいちょい見るから、自分の力量がまだまだだってことくらいは心得ているつもりだけど、そのわりには、しゃべりたがる人が多い。
みんな本当は、ひとりの人間でいたいんだと思うんだ。
それに高校に入って、トモたちと話すようになって実感した。
私のことをひとりの人間として、ちゃんと相づち打ったり、尋ねたりしてくれるたびに、私はとてもうれしくてたまらなくなるんだってこと。
ともすれば興味をもってもらえること、関心を抱いてくれていることが当たり前かのように錯覚するくらい、みんな当たり前にしてくれるんだけどさ?
仕事でしゃべりたがり、ほんとはひとりの人間でいたがる大人たちを見ていると「あれ? 実はいまがものすごく恵まれているだけで、大人になったら砂漠みたいに機会が減って、からからになっちゃうのでは?」と恐れを抱くようになってきた。
そんな知見も踏まえてみると、ね?
デンジはマキマさんを前に、ついついえっちなこととか、下半身の欲や夢とかに意識が持っていかれちゃうけど、本当はひとりの人間として相手をしてもらえたっていうところが嬉しさの軸にあるんじゃないかなって。それが勘違いや錯覚なのだとしても。
で。
そこはカナタも同じなんじゃないのかなって。
なんなら、私だって、そこを求めてるんじゃないかなって。
ひとりの人間でいたい。
いつでもだれとでもは無理だし、疲れちゃう。
だからある程度は、体系づけたなにかを利用して生きるけど、自分のぜんぶを回収されて商品化されたらたまったものじゃない。
ひとりの人間でいたい。
どこかで「商品化された、体系化されたなにかになって便利に使わせて」という欲もあるんだろう。
チェーン店の仕組みみたいに。
もしかしたらのび太くんがドラちゃんの道具に頼むみたいに、「理想の漫画かいて」ってお願いしたら叶うような時代がくるかもしれない。AIに頼めばぜんぶ解決、みたいな。
だけど、それをやっちゃえばやっちゃうほど、私たちは自分自身さえ、ひとりの人間でいることに耐えられなくなっていくんだろう。
私たちは商品でも、体系化されたなにかでも、便利使いできるなにかでもない。
実に面倒で、厄介で、やらかすし、失敗もするし、憎悪や憤怒するような体験からも逃れられない生き物なのだから。
それにきっと手放せないんだ。
ひとりの人間でいたいっていう、この欲は。
「でも、そのまま歌っても、わけわかんないよねえ」
どうやったら表現できるんだろう。
語彙を駆使すればいいのかな。
そういうことじゃなくない?
「味わって初めて知ったことが、たくさんある」
カナタが私の話を楽しそうに、目を輝かせて聞いてくれてるとき。
私が尋ねると、無邪気にそば粉の話をするカナタさんの天井知らずのテンションと、幼くなる言葉遣い。
そういうもののひとつひとつが愛じゃない?
そういうことを歌詞に入れたら、はまるのかな。
マキマさんはデンジに「お互いをよく知りあってからのほうが」って言ってたけどさ。
私はよく知りあってることがもう、それだけでエロとかえっちとか関係なく、すごいことだと思うよ?
ただいいこととは言わない。
お母さんとおばあちゃんみたいに、よく知りあっていて、ひとりの人間としてお互いに揉めていたり、認められなかったり、許せなかったりする関係だってあるだろうから。あるいはカナタとシュウさんみたいにね。
でもなあ。良し悪しを置いておくとするのなら、ひとりの人間としてお互いにいるっていう、それだけはたしかな気がするんだ。
タマちゃんの夢見においても、あめ玉修行で追体験した人たちの体験にしても、それが実らない恋だからって、憎み合う親子関係だって、お互いにひとりの人間としていたことだけは、たしかなことなんじゃないかな。
「だと、すると」
ぼっち、ともだちほしい、あそんだことない。
そういうイメージの構成だったけど、ほんとはちがうんじゃないかな。
体系づけた空っぽさのなか、ひとりの人間でさえいられなかった私。
結ちゃんが積極的にひとりの人間として、ぶつかってきてくれた中学時代。
高校になってやっと、私もひとりの人間として生きようとしたこと。
それでも、つい最近まで、みんながしてくれてたひとりの人間扱いに気づけてなかったこと。
ほんとは眠ってた、気づけないでいた喜びとか、世界のきらきら度合いとか、解像度がぐんとあがっていくみんなや私や世界とか、そういう風に展開していくほうがいいのかも?
むずかしくて、つらいけど。たいへんなことばかりだけど。
私もみんなも、ひとりの人間を生きたいし?
そばにいる身近なひとりの人間たちと一緒にいたいんだ。
抱きあうばかりじゃいられない、離れるばかりでもいられない。
甘いだけじゃなくて、ちょっと塩するくらいのことを、苦労してやってくんだ。
味わって初めて知ったことが、たくさんある。
「ん、しょ」
まだひとりで立てない。
力が入らない。筋が激しく痛む。足が震えてしまって、姿勢を保てない。
ほんと、傷ついちゃったもんだ。
金色雲を出して、身体を浮かべて壁の近くへ。
立てかけてあるふた振りの刀に手を伸ばす。
「十兵衛、タマちゃん」
ふたりの名前を呼びながら、鞘越しに触れる。
自分をひとりの人間として生きるのもままならない私は、ふたりそれぞれとひとりの人間として付き合うこともままならないまま。
いまじゃもう、声さえまともに聞けなくなってる。
「それに、みんな」
ひとりの人間として見るにはあまりにも多すぎる、たくさんの魂たちさえ一緒だ。
抱き締めるばかりじゃいられない。
ぷちたちと過ごして、否応なしに実感してる。
みんなの声をまともに聞いていると、それだけで、なにもできずに一日が終わってしまう。
食事もお風呂も、着替えも、幼稚園へのお見送りやお迎えも、なんにもできない。
それらができないと、私が学校に行ったりなんだりすることも? もちろんできない。
仕事だってあるのに!
まあ、どれもこれも入院して、いっさいできなくなっちゃったけど!
抱き締めるばかりじゃいられない。
切り離すことも覚えないとね。
ちゃんとひとりの人間として接するのも、いるのも、ほんと、たいへんなんだなあ。
それがしっかり生きる、大人になるってことなのかもしれない。
「分けてかないと、わかることもできないんだ」
私の霊子出力がでかすぎる、声が大きすぎるっていうのに例えるならさ?
きっと私の心や本音は、ヘッドホン越しに聴く音割れバリバリ音。
機械で解析したら、音の波を表す線が限界まで上下していて、まるで白く塗りつぶされているかのようになっているんじゃないかな。
波形を読み取れるようにしないと、わからないんだ。
それには、みんなに静かになってもらったり、みんなの声を分けたりしないとね。
そういうことを学んできっと、十兵衛とタマちゃんの声がまたしっかり聞こえるようになるんだろうし? みんなの魂の声も、受けとめられるようになるんだろう。
抱き締めなきゃ、抱き締められなきゃって執着すると、かえって気づけないんだ。
わからないままなんだ。
音を絞るのけっこう、たいへんそうだぞ?
でも、やってみよう。
私の元気の源が待っている気がするから。
つづく!
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