表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第二十二章 十二月の恋歌

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

274/2926

第二百七十四話

 



 今度こそ、逃さない。

 今度こそ、先輩に会える!

 今度こそ!


「はい、お姉さん。あーん」

「あーん」

「……たこ焼きおいしいですか?」

「かなりね!」

「……意気込みすぎて青のりを忘れている件……これはデートの顛末が楽しみ」

「何か言った?」

「いいえなにも」


 とにかく! 三度も唱えれば十分だろう。

 十分じゃなければ何度だって唱えてやる。今度こそ!

 胸を張って歩いていた時だった。


「あ……見つけた、兎さん!」

「ちょ」


 ぐいっと手を引っ張られる。アリスが走って行く先を見て目を見開いた。

 兎だ。兎がいる。渋谷から原宿に向かう道に、兎が。しかも道を歩く他の人には見えないようだ。

 アリスはまるで猪のように走って行く。手を引っ張る力が妙に強い。

 引き寄せられるようにしてビルとビルの隙間に駆け込んでいく。そこにあったのだ。歪みが。

 兎はその向こう側へ飛び込んでしまった。吸いこまれてしまったのか。

 あれはなんだ。赤黒い線が何もない空間に入っている。その気持ち悪さにぞっとした。


「待てー!」


 アリスも引き寄せられるようにその中へ行こうとする。あわてて手を掴んだ。


「こらこらこら!」

「なにするんですか。見つけたら捕まえる。幸運の白ウサギを逃しちゃいました……」

「幸運の白ウサギって……さっきのあれ?」


 ビルの隙間から離れる。歪に見えた空間のひび割れはもう、そこにはない。

 目の錯覚か。それとも……隔離世へ至る何かか。

 不気味だった。

 けれど一度だけ、ニナ先生が授業で言っていたことがある。


『たまに――……隔離世に愛される子が出てきます。ごくごく稀にしかいませんが……そういう子に出会ったら、お気を付けなさい。彼らは隔離世からあの手この手で誘われて――……命を落とすから』


 そう。最後の一言が妙に不穏だったからよく覚えている。

 ラビ伝いにカナタの妹さんも隔離世に誘われて、長く意識を失ったという。

 なら、アリスもそうなのか。今の……あの兎も。

 すべては推測でしかない。だけど、一応言っておかなきゃいけない。


「あれは……よくないものだから。ついていったらだめ」

「……でも、一度も捕まえられたことがないのに。捕まえたらきっと金銀財宝が……」

「おい。物欲に負けるな」

「でもあの兎……妙に気になります……」

「そうね、まあ……ウサギは気になるものよね」


 頭痛がする。違うから。ラビのことなんて考えてない。決して。

 嘘ごめん、気になる。けど今回ばかりはラビも関係ないだろう。

 隔離世からの干渉かもしれないし、そうじゃないなら余計に気をつけないといけない。

 ちゃんと止めないとね。


「気になるとしても、だめ。今日奢った商品の代金すべて請求するわよ」

「う……まさかのおごり撤回。これは我慢せねばなるまい……うぐう。お小遣い千円が憎いですね……」

「我慢してね」

「ぐう……たこ焼きの次は何にしよう」

「食欲に素直すぎか」


 まあいいや。兎を諦めたようだから。

 離さないようにアリスの手をきゅっと握り直して進む。

 本当に忙しい一日だ。スマホを出して確認してみた。アリスのママと約束した三時間はとっくに過ぎていた。けれど連絡なし。どこで合流する気なんだろうね?


 ◆


 スマホの案内に従って辿り着いた路地にある喫茶店は古びた木材と白壁とアンティークで統一された素敵な内装だった。

 ドアベルが鳴ってすぐ、


「いらっしゃいませ」


 渋いおじさんの声がした。カウンターに立つ人を見て目を見開いた。

 侍を一度でも夢見た人間なら誰でも知っている。

 緋迎ソウイチ。

 二十世紀から二十一世紀にかけて、その時代の最強といえば彼だった。今は彼の息子でありカナタの兄の緋迎シュウがその称号を引き継いではいるのだが、そのうえで言う。

 やっぱり……やっぱり私にとって、最強はあの人だ。緋迎シュウはまだ若すぎるし、五月の病事件を見てもあの人にはまだまだ伸びしろがある。けど緋迎ソウイチは違う。

 完成された侍。私の理想型だ。憧れだ。その人が、カウンターの内側でグラスを磨いていた。

 頭の中が真っ白になった。先輩から名前を聞いていて気になっていたけど、でも。まさか今日会えちゃうなんて。

 さ、サインくらいもらえないかな……でも今は我慢して、周囲を見渡した。

 それ以上に気になる人がいるんだから。私には。


「メイ」


 アリスが私の手を離して駆けていく。テーブル席から立ち上がってこちらを見ている人のもとへ。


「先輩……」


 飛びついたアリスを抱き留めて笑う人を見て、胸が苦しくて仕方なくなった。

 優しい顔は少しくたびれている。事件に巻き込まれて、警察に連行されて事情説明を受けて。それで疲れないはずがない。だけど私を見て嬉しそうに緩む顔に嘘はなかった。

 歩み寄っていく。テーブル席には先客がいた。

 アリスにとてもよく似た小さな女の子が。強いて言えばアリスが九歳児なら、十二歳児くらいに見える女の子。


「ママ、もうきてたの?」

「ええ。緋迎さんにご挨拶してたの。お買い物に時間がかかっちゃったわ」


 ほわほわした顔から出た声は、電話の主のもの。

 あっけに取られたし、先輩が困った顔して笑う。


「紹介するね……うちの母です」

「どうも。あなたがアリスの面倒を見てくれた真中メイさんね? 娘がお世話になっています。あ、あと息子もかしら」

「母さん」

「恋人なんでしょう?」

「まだ……紹介するには早すぎる。今日が初デートなんだ」


 苦笑いを浮かべる先輩に思わず頷きたい気持ちでいっぱいになった。


「ちょっと……じゃあのんびりしている場合じゃないわ。ほら、早くデートに行ってらっしゃい。合い鍵はちゃんと持っているし、おうちに先にアリスと二人で行くから」

「う、うん……そうだね。アリス、母さん、またあとで。マスター、ありがとうございます」


 アリスが手を振ってくる。お母さんも。緋迎ソウイチも笑っていた。


「またね」


 お辞儀をした。電話をした時にはもやっとしたけど、でもアリスの年齢の真実を知ったし。そのルーツが容姿にはっきり出ていたから、今はもうどうでもいい。

 もしかしたら凄い世界に先輩はいるのかもしれない――……いや、そんなこと、一緒に学校に通っていた頃からわかっていたことだ。

 その輪郭を辿りたい気持ちはある。強く、ある。

 だけど頭を振った。歩み寄ってきた先輩が差し出してくれた手を取る。そっと握る。

 引かれて歩き出す。

 ずっとこの瞬間を夢見ていた。この瞬間が相手なら、どんな素敵な場所だって敵わない。

 ――……またくるからね。

 心にそう誓って、喫茶店を出る。


「それで……さ。よければメイと二人で歩きたかったんだけど」

「はい?」


 出るなり先輩が本当に申し訳なさそうな顔をして笑う。


「お腹……すいてるんだけど。ご飯、食べ損ねちゃって。メイはもう食べた?」


 思い返す。アリスに手を引かれて山ほどご飯をおごってあげた。

 けど率先して食べたりしなかった。なぜか。


「一緒に食べるの待ってたんです。まあ……ちょっとつまみ食いしちゃいましたけど」

「たこ焼き? ……歯に青のりついてる」

「ふわ」


 あわててコンパクトミラーでチェック。確かに青のりがついていた。すぐに背中を向けて取りましたよ。

 最悪。最悪!!!!

 アリスにあーんされた時には忘れていた。意気込むのに夢中すぎて。

 くっそ。あの九歳児(偽)め!


「いいな。たこ焼きか。けど同じだとメイが飽きちゃうだろうから……お好み焼きとか、どうかな」

「お好み焼き!」

「大阪風と広島風、どっちが好き? それとも絵的にはあれだけど、もんじゃにする?」

「広島風で! どかんとお腹にくるのがいいです」

「わかった。店にアテがある。行こう」


 結局、食か! と思いはしたけど、もういい。アリスと絡んであれこれ食べもの奢った時点で免れない運命だった。そう考えよう。


「こんな風に二人で歩ける日が来るなんて、想像したこともなかった」

「私もです」


 特に青のりついていることまでは想像できませんでした。


「いろいろ話していないことがあったよね」

「……大学のことです?」

「アリスか」


 先輩が苦笑いを浮かべた。

 ゆっくりと進む歩調。もっと早くてもいいくらい。

 悩み重たくなる速度で先輩が進む。ただ、決して立ち止まったりしない。


「行ってないんだ。手続きしなかったんだよ、結局……病院で寝込んでいて、回復する見込みはなかったから」

「それで……緋迎ソウイチの喫茶店で働いているんですか?」

「アルバイトだけどね。母がマスターとマスターの奥さんの学生時代の友達だったから」


 意外。


「うちは子供ができるの遅くて……母さんがあんな身体だから、なかなか大変だったんだ」

「……小さいというか、幼いですよね」

「刀の影響だと本人は言ってる。もう刀を失って久しいけど、母は侍だった」

「そう、なんですか」

「俺があんなことになって、アリスの入学にはだいぶ反対したみたいで……土壇場で山梨の高校に変えさせたんだよ。俺が士道誠心に入るときも、アリスが結局転入を決めた時もかなり揉めたんだ」


 すぐに相づちが打てなかった。


「……きっと、刀を取り戻したって話で今夜は揉めそうだ」

「先輩……」


 あの小さなお母さんの気持ち、わからないでもない。

 最近じゃハルちゃんを中心にして話題になってきているけど、それでも侍は他の職業に比べてマイナーすぎる。だから一般的なご家庭なら「警察に関係する職業訓練的な側面のある学校」程度の認識しかないんだ、士道誠心は。

 けど刀の力の可能性を知る家庭――特に親が侍か刀鍛冶の家庭なら話は変わる。

 隔離世での戦いは時に命に関わる。

 プロで働いた人なら誰でも知っているだろう。

 私たち候補生はそれほど危険な現場にまわされないけれど、それでも邪を見ればわかる。あれが危険だってことくらい。そんな邪だらけの現場に月一で行くのだ。危険じゃないわけない。

 実際、先輩は一度植物人間状態にまでなったのだ。隔離世には夢と希望があるだけじゃない。

 アリスが転入する。一言で済ませるほど簡単じゃなかっただろう。きっとさんざん揉めただろう。だけど決めた。

 案外、アリスとお母さんの二人が渋谷で離れたのはまだちょっとケンカしているせいかも。

 刀って厄介だ。

 一度魅入られたら、手放せない心と夢の結晶。

 どこかで卒業する時はくる。

 成長して、大人になって……どこかで心が離れてしまう日がくる。

 戦えなくなった人もいれば、誰かを守れずに心が折れてしまう人もいる。

 永遠に自分の心と向き合い、夢を見続けられる人なんてそんなにいない。夢は叶えたら現実になるのだから。現実から逃げずに立ち向かえる人ばかりじゃない。

 生涯、同じように働き続けられる職業ってそんなにない。けれど学生を終えたら長いこと、付き合い続ける時間。その形を高校三年生の私も、大学に行っていない先輩も問われている。

 なら。


「ルルコの提案はほんと、渡りに船でしたね」

「俺には助かるよ。刀の所持許可証もとらないと」


 笑う先輩の横顔を見た。ルルコが作ってくれた、みんなで一緒にいられる道に先輩もくる。

 警察を目指して、それもキャリアになれる学校を目指していたけれど。

 もしかしたら、それが一番の道じゃないかもしれない。潰しがきくとかどうのとかっていう、将来設計よりも大事な何かがもしかしたらあるのかもしれない。

 帰ったらみんなと話し合ってみよう。そう心に決めてから、ふと尋ねた。


「先輩の刀って、どこにあるんですか?」

「ああ……心の中に。メイが俺の心から引き出してくれたから、俺の刀の鞘は自分の心みたいだ」


 立ち止まる。信号が赤になっていた。

 手元にアマテラスがない。そばにいると無限の温もりをくれる私の相棒がいないことが不安でしょうがない。

 所持許可証、私も早く取ろう。あってもなくても、どのみち正規ルートじゃ士道誠心の外になかなか持ち出せないからってもらってこなかったんだ。

 まあ、コナちゃんが学則を変えるまでは……こっそり持ち出す手段があったんだけど。あんまり勧められる手段じゃないからな。卒業するならちゃんと、許可証をもらおう。

 心に決めてから呟く。


「……本当に不思議ですね、刀って」

「メイがくれた。取り戻して……俺に渡してくれた。命も可能性も、ぜんぶ」

「無我夢中だっただけです……イザナギはどこにあったんですか?」

「メイの刀の内側にあった。俺自身を失ったあの日のまま、ちゃんと胸にある」

「……そっか」


 つくづく不思議だ。

 刀は心。隔離世の刀は霊子を斬る。邪を浄化させる。刀の持つ力はそれだけじゃない。ハルちゃんのような妖怪変化を宿した時の身体的変化はもちろん、現世に異質なものを出現させたマドカちゃんのような影響力。他にもまだまだ不思議な力は眠っているだろう。

 その試しの一つとして、思い人に自分の刀を突き刺すというものがある。突き刺された相手が突き刺した人の心を受け入れるなら、お互いが理解し合えるという。けれど少しでも拒絶したら、刀は霊子を切り裂いて深く傷つける。今では禁じ手とされる恋人たちの儀式だ。試す勇気はない。現代の通説では、どんなに円満なカップルでもどこかに歪みがあって受け入れられず、刀は傷つけてしまうというのだから。

 試せるとしたら、せいぜいルルコ相手くらいだ。サユにやられたら私は切り裂かれてしまうだろう。それが異性相手となったら、なおさらだ。

 本当に……刀は不思議でできている。それをもたらす御珠って、なんなんだろう。わからない。

 ただ、思ってしまう。


「先輩の心を引き抜いた私は……先輩のヒロインになれるのでしょうか」


 縋るような問いだった。デートが先延ばしになって、やっと三度目の正直に会えると思ったらお預けを食らわされ続けたから。不安にまみれた問い掛けだったの。

 だけど。


「違ったの? 青のりのついたヒロインさん」

「いじわる」

「あはは……でもメイはヒロインだよ」


 先輩は笑ってそう言ってくれた。だから拗ねるように言ってやりました。


「だったら事件に遭う前に、まず私に会いに来てください」

「次からは気をつける」


 さらっと言って、それが憎いくらい似合っていた。

 まったくもう。本当にわかってるのかな。

 ……私はあなたが、大好きなんですよ。あなたが好きすぎて、しょうがないんですから。

 どうしたら伝えられるかな。私は正直、そこまで素直な方じゃないんだけど。

 そこまで考えて、ふっと思い出した。あのゲリラライブを。少し笑ってしまったけど。


「先輩。お好み焼き食べたら、カラオケにいきませんか?」

「いいけど、どうしてまた」

「いいえ。ただ……歌いたくなったんです」


 話すよりも素直に伝えられそうだから。

 あなたに恋の歌を歌いたいんですよ。まあ……恥ずかしいから、言わないですけどね。


 ◆


 トレーラーの中でへたり込んだ。青澄春灯、ただいま充電中です。

 尻尾が増えるたんびに減っちゃう機会と出くわすの。歌うたんびに感じる脱力感は異常で、未だに倒れそうになる。正直、歌えて一曲が限界だよね。

 プロのバックバンドのみなさんは既にトレーラーを下りていた。住良木管理下の駐車場で、集まっているのは伊福部ユウヤ先輩や住良木の研究者さんたち。

 渋谷のゲリラライブを終えて疲れ果てている私です。なんでゲリラライブを行うことになったのか、説明し始めると結構長くなる。

 簡単に言うと。


「ハル、今日はデートしよう。その前にちょっと、仕事を頼みたい」

「デート!? デート!!!! いく!!!!」

「いや、仕事がだな……」

「わーい! 学外デートだ! なに着よう! もう早く言ってくれたらいいのになあ!」


 こんな感じでカナタの甘い言葉に上機嫌で外出。辿り着いたのは住良木の会社。おろおろする私を伊福部先輩とレオくんが拘束。

 うらぎりものー! とカナタに怒ったら「仕事だって言っただろ。それに給料が出るぞ」と言われました。「お金たりないと寝言でいっていた」とも。ぐぬぬ……確かに万年金欠だから私はお金に魂を売りました。がっくし。確かにデートの前に仕事をって言ってたのは事実だもんね。

 でもって、住良木の要請で私の歌の分析をすることになったの。

 それだけじゃ足りないだろうというユウヤ先輩の計略で回り巡って、なんでか私、ゲリラライブすることになりましてん。

 以上、経緯説明終了であります。

 わけもわからないままに、偉そうな大人と話したよ。そのままバンドの人と会って。リハーサルをしてからトレーラーへ。で、ゲリラライブをして今は戻ってきたところです。

 収録がどうたらこうたら言われたけど、正直頭の中身はすっからかんです。

 一本だけ残った尻尾はまだら模様。

 やっぱり、すぐになんでもできるようにはならないや。タマちゃんも十兵衞もたくさん励ましてくれたんだけどね。まだまだ全然ですよ。だから思わずにはいられない。みんなはすごい。私はみんなほどちゃんとやり遂げられないでいる。

 それでも……渋谷で歌った時はすごく気持ちよかったなあ。

 大勢を相手に歌うのは最高だった。

 もちろん私の歌だけじゃ届かなかった。バンドの人たちが凄すぎたから、それに引っ張られて楽しんじゃっただけ。

 終わったあとでもちろん助けてくれたみなさんに言ったよ?


「みなさんのおかげで素敵なステージに立てました」


 そしたら、バンドの人たちが笑って言うの。


「これだよ。ステージの上のきみも、今のきみにも自信が足りなすぎる」

「世界を塗りかえるくらいの気迫を見せてよ。きみのステージだったんだから」

「俺らは今日限りの、その場のサポート役ね」


 おいこら勝手にケツに回すな、と最初に口を開いたギターの人が言ってみんなで笑ってた。

 自己紹介されたはずなのに、今日はたくさんの大人に名乗られて一人の名前も頭に入ってこない。

 だから思った。今日だけで終わっちゃう縁かもしれないって。それでも顔をよく覚えておこうと思った。それ以上に心の中にしっかり残っていた。

 渋谷での音。心を掴んで揺さぶった、あの全身が震える振動を。

 クラクションに負けないくらいの爆音の真ん中に私はいた。

 歌はね? 用意された曲を歌ったの。英語の歌詞だからぜんぜん心にはいってこなくて。

 考えたのはね?

 デートのこと。カナタとのデート……楽しみだなあ。何をしよう。どんな場所へ行って、どんな時間を過ごそう。素敵な場所で最高のキスができたらいいな。

 そんなことを考えながら歌っていたの。

 恋が人生のすべてだなんて言う気はないけど、それでも確かに士道誠心に恋の花が咲いていた。

 メイ先輩に似ている人を見かけてからはもう、そのことばかり考えた。

 コナちゃん先輩が侍候補生の外出のハードルを低くしたおかげかな? 士道誠心の学生寮からいろんな人が出かけていった。恋人たちの姿が目立つ。

 私たちより少し早い時間帯にコナちゃん先輩がラビ先輩と出かけていった。ギンの腕にノンちゃんが抱きついて歩いて行くのも見えた。

 メイ先輩。大好きな人と幸せなデートができますように。

 祈っていたらどんどん気持ちがあがっていったの。

 だからつい笑っちゃった。

 その瞬間だったよ? みんなが一斉に笑って応えてくれたの。

 あれは――……あの瞬間は、最高に幸せだった。

 歌詞はちょっと強気な女の子の歌だったけど、結局……さ。

 私が歌ったのは恋の歌でしかなかったと思うんだ。

 それでいいのかもしれない。

 マドカが光を、キラリが星を見つけたように。

 私は私なりの歌を見つけてみたい。


「お疲れ様」


 ほうり投げられたペットボトルを受け取る。

 カナタがそばにやってきていた。


「見てた?」

「聞いてもいた……最高だったよ」

「……じゃあ、デート再開?」

「ああ。シオリの誕生日が近いんだ。プレゼントを買って、それから遊ぼう」

「ん」

「ほら……おいで」


 トレーラーの上にのっかって、カナタが手を差し伸べてくれた。

 だから引き上げてもらう。まだ衣装のままです。着替えたりいろいろしなきゃいけないんだけど、それより聞きたかったの。聞かずにはいられなかった。


「……カナタのことを考えて歌ったの。届いた?」

「途中までは。途中からはもっと大勢に向けていた……そうだろう?」

「う……」


 ば、ばれてる。さすがカナタ、私検定百段!


「でも、嬉しかったよ。その格好も似合ってる……」


 ……お?


「ただ……俺としては、出かけた時の服装に早く戻って欲しいけどな。すごく似合っていたから」

「カナタ……(ちょろきゅん」

「さあ、わかったら早く着替えてこい。それとも疲れすぎて俺が着替えさせなきゃいけないか?」

「だ、大丈夫ですし」


 むうう! あまあまからのひっくり返し! カナタ……できる!


「じゃあ行ってくるね」


 カナタの手を離して地面に下りる。


「ハル!」


 駆け出そうとしたら呼び止められたから、振り向いたの。


「歌ってみて、どうだった?」


 少し考えてみた。気がついたらみんなが私を見つめてきていた。

 けどそんなの関係ない。

 あの時感じた昂揚そのままに、笑ってみせた。


「最高だった!」


 誰かの恋心に少しでも届いたなら、いいな――……。


 ◆


 パソコン画面とにらめっこする。

 ネットに既に青澄春灯のゲリラライブの映像が流れてる。

 スマホよりよっぽど画質のいい動画だ。性能のいいカメラによる撮影だろう。音声もクリアだ。マイクを通じて収録されているとしか思えない。その動画URLが拡散されている。

 恣意的なもの。お金の掛かった、意図的な話題の作り方。

 誰かがボクの後輩を歌姫に仕上げようとしている。まあ……十中八九、住良木だろうけど。だってちょうどいいからね。あの子は彼氏がいるけど幸せに満ちているから、広告塔には向いていると思う。

 根が明るくて人なつこくて、素直。それに本人は否定するだろうけど、玉藻の前を掴んだあの子は見た目も抜群によくなっていくばかり。歌もびっくりするくらい本物だと感じる神がかったクオリティだ。


「――……なんで、そんな歌声してんの」


 やめてよ、そんなに……ひたむきに恋を歌わないでよ。

 たまらず動画を止めた。

 ハルちゃんの歌を聴いていると、胸の奥がかきむしられる。ざわついてしょうがない。どうしようもなく疼く。

 放置していたからスクリーンセーバーが起動する。黒く染まる画面に自分の顔が映りこんだ。

 尾張シオリ。士道誠心高等部二年生。クラオカミの刀を持つ侍候補生。パソコンがちょっと人並み外れて得意らしくて、ついでにいえば同人ゲームの制作販売が趣味。

 好きな人はコナ。並木コナ。

 性別とかそういうの、どうでもいいんだ。

 ただ、コナさえいてくれればボクはいい。


「……でも、終わりが近いのかな」


 分厚いレンズの眼鏡を下ろして部屋を見渡す。

 都内に借りてるマンションと同じで、家具はそれほどない。ベッドだけ。

 休日だ。コナが規則を緩めたおかげで、刀を持たずにみんな外へ繰り出した。

 コナだって、彼氏になったラビと二人でデート。

 ボクにとっては一人だけいればよくても、コナにとっては別。

 普通はそうだ。恋人ができたら、同性の……友達でしかない奴なんて、その次になる。

 当然だ……じゃあ、ボクは一体、何が欲しいんだろう。

 恋人になりたい? 結婚したい?

 ……よくわからない。独占したいっていう気持ちの方が強い。

 でも無理だ。三年生にとっての太陽が真中メイなら、二年生にとっての太陽は並木コナに違いない。生徒会長になったコナはますますみんなのものになっていく。

 コナの世界にボクの居場所はどれくらいあるんだろう。

 それを考えると、不安でいてもたってもいられなくなる。

 いっそ手放して……忘れてしまえたら楽なのに。


「無理だよね……」


 コナを好きだと思えば思うほど、力が湧いてくる。

 もう尾張シオリにとって心の軸になってしまっている。

 コナへの思いを失うことは、そのまま刀を失うことと同義だ。


『シオリ先輩……夢って、ありますか?』


 先日、ハルちゃんに夢について尋ねられた。ボクは答えたよ。


『そうだな……同人ゲー作って、システムコンサルタントでもやりながらオタクコンテンツに関わり続けられればいいや、くらいかな』

『侍じゃないんですか?』


 あの子は不思議そうな顔をして聞いてきた。だから呟くように返したんだ。


『……コナと一緒にいられれば、別に他はこだわる気がないな』


 侍に固執しない答えを口にしたのは……だから、その可能性を意識してのこと。

 どうなりたいのか……わからないよ。ボクには、未来なんて少しもわからない。

 自分の夢の形さえわからない。

 コナへの思いの形がはっきりしたら、見えてくるだろうけど。

 恋じゃなきゃだめ? 友情じゃなきゃだめ?

 この好意の行く先を、誰か教えて――……いや、ボク以外の誰にも規定されたくない。


「屈折してる……ルルコ先輩じゃあるまいし」


 南ルルコ先輩。

 魂に似た匂いを感じるから、つい心が震えてしまうんだ。

 尾張シオリを見初めてお助け部に誘った人。

 ボクよりずっと器用で、ずっと荒々しくて、綺麗な人。

 メイ先輩への愛情は深い。

 ボクと違ってルルコ先輩は躊躇なくメイ先輩を抱けるだろう。それも、恋人として。でもそうしなくていい。メイ先輩の中に自分の居場所をはっきり作って、それで満たされている。メイ先輩に恋人ができようと、自分に恋人ができようと関係ない。そんなの超越した領域に、お互いの絆を結んでいるんだ。それって究極だと思う。

 ボクはルルコ先輩が羨ましくて仕方ない。

 百合作品だってオタクだから知ってる。けど……男はいらない。理想的な乙女だけの世界に男は不要だから。

 けど現実は違う。女がいて、男もいる。だから自分なりの答えと付き合い方を見つけ出さなきゃいけない。その点でいったら、南ルルコという人が出した答えは最高だとボクは思う。男がいようが何人かかってこようが関係あるか、私が誰より特別だ! という……あの答えを、ボクは最高だと思う。

 特に、あの文化祭のステージだ。あれはずるい。

 高校三年目、最後の文化祭で思い人のメイ先輩とキスを二回もした。そんなの、メイ先輩にとって他の誰にもできないことだ。そんな特別を自ら作ってみせた。

 ボクにはできない。羨むことしかできないんだ。

 別に……ラビのポジションに立ちたいわけじゃない。

 ただ奪われていく感覚だけがある。

 もっとボクを見て、というわがままばかりが膨らんでいく。

 つらくて仕方ない。

 だけどどうしたらいいのか、わからないんだ。


「……ひどいよ、ハルちゃん」


 動画を止めたから聞こえないはずの歌声がいやでも心にしみて、つらくてしょうがなかった。

 一人で膝を抱えようとした時だった。チャイムが鳴ったんだ。

 最初は無視をしようと思った。けど、


「シオリ? いないの?」


 コナの声が聞こえて、あわてて目元を拭って立ち上がる。

 急いで扉を開けると、駅前のケーキショップの箱を手にしたコナが立っていた。


「ど、どうしたの? ラビと……デートじゃなかったの?」

「それはいつでもできるけど。十二月はほら、シオリの誕生日があるから。去年みたいに二人でたくさん過ごしたいの。文化祭のごほうびも決めてなかったでしょ? だから決めたくて……迷惑だった?」

「ま、まさか。で、でも……ラビはいいの?」


 拗ねるような声を出すボクの目元を指先で軽く撫でてから、コナは笑った。


「シオリ、泣いてたでしょ? なら当然、後回し」

「……なんで?」


 縋るように求めていた。答えを。関係や思いの形を、どうか教えてくれと願わずにはいられなくて、見つめる。


「シオリは私にとって特別なの」

「た、たとえば?」

「あなたが特別だということ以外に、何かわかりやすい形が必要?」


 もどかしい気持ちで見つめてしまう。

 欲しい。欲しくてたまらない。ラビが恋人、みたいな感じで。何かわかりやすい形が。

 求めてやまないボクを見たコナは少し首を傾けて何かを考えると、ボクをそっと部屋に押して中に入ってきた。

 二人だけの空間で、コナが言ってくれる。


「もう一度言うけど、シオリは特別なの。この先だれとどうなろうと、あなたほど特別になる人はいない」

「……ラビよりも?」

「ラビよりも」

「……ほんとに?」

「シオリなら私が嘘を吐いているかどうか、わかるよね?」


 手を差し出された。よく繋ぐ手だ。ルルコ先輩がメイ先輩とそうするように、ボクもコナと二人でよく一緒に寝る。寝食を共にする時間は日に日に増えていく。

 だから一時メイ先輩と付き合っていたラビよりコナのことをわかるよ。それについては自信しかない。


「……嘘じゃない。でも、なんで?」

「誰より手が掛かって、放っておけないからね」

「コナ……微妙に嬉しくない」

「じゃあとっておきの理由を言うとね? はじめて刀のメンテをした相手だし……刀鍛冶の力で、心に触れた人だから」

「それ、その……心に触れるの。ラビやカナタ、ユリアにはしないの?」

「刀のメンテをしているユリアからいくけど。あれであなたより潔癖だから、嫌がるの。ラビにさえ本音を話さないのよ? その時点でお察しよね」


 確かに。ユリアはボクを含めた生徒会メンバー以外の誰とも特別親しくなろうとしない。強いて言えば一年生の八葉カゲロウっていうハルちゃんと同じクラスの子は気にかけているみたいだけど、特に進展していない。

 銀髪の姫は誰にも心を許さないんだ。


「じゃ、じゃあ……ラビは?」

「心に触れるのは特別な間柄にしかしないし……付き合っていると、余計に無理」

「な、なんでさ。ボクよりよっぽど優先度が高いんじゃないかな?」

「無理。結婚してもね」

「意味がわからないよ……」

「だってほら。包み隠さずお互いが伝わってしまうから……私は、ラビの中にあったメイ先輩への気持ちを受け止められるか。知ってしまってラビと付き合えるかどうか、自信がない」

「あ……」


 思わず顔が強ばった。


「刀鍛冶の……心に触れる力はね? あまり気軽に使えるものじゃない。相手の知りたくない一面さえ感じ取ってしまうから……だからそれでもいいと思えるほど、本当に特別な相手の心にしか触れないの」

「コナ……」

「緋迎くんにとってのあの子、佳村にとっての沢城やあの子みたいに……私はね。シオリ、あなただけ」

「……っ」


 心に触れるのがそれほど特別なことだったなんて、思ったことなかった。

 コナの手からじんわりとした熱が伸びてくる。

 それはボクの心に触れて広がっていく。

 コナの中の思いの熱を感じる。

 心を繋げ合っている。だから痛いくらい伝わってくる。コナのボクへの思いが、はっきりと。露わすぎるほどに。

 好意とか、恋愛とか。そういうのを越えた……深すぎる愛情。その中にはカナタへの複雑な気持ちとか、ラビへの愛情もちゃんとある。でも、ボクにとってはボクへの真摯で深い気持ちが一番鮮烈だった。

 目が覚めるような熱だったから、一番大きくてたまらなかった。

 一瞬で視界がぼやけや。なのに、どうしてかな……コナははっきり見えるんだ。


「私はラビと付き合ってるし、この先どうなるかわからない。それにシオリが誰かと付き合う日がくるかもしれない……それでも。この特別は変わらない」

「……コナ」

「シオリがもし、私への気持ちを恋に変えるなら。ちゃんと受け止めて……考える。でもね?」


 その熱は、ハルちゃんが揺さぶった心に優しく触れて。


「何があっても、どんな風に変えても……シオリと私の特別は、ずっと変わらないの」


 もう一方の腕で抱き締められた。


「だから安心して。あなたのそばにずっといるから」

「――……っ」


 思わず鼻を啜った。そうしないと泣き出しそうだったから。


「ま、まるで……愛の告白みたいだ」

「そのつもりだったけど。気がつかなかった?」


 微笑むコナの顔を見ていたらたまらなくなった。

 そっと押し返す。けど、繋いだ手はそのまま。


「シオリ?」

「……盛り上がった勢いでキスしちゃいそうだ」


 そんなのいいか悪いかわからないよ、と言おうと思った。

 けど無理だった。コナに塞がれていたから。


「――……」


 人の唇って、なんて柔らかいんだ……そう思った。

 離れていくのが名残惜しくて仕方なかった。


「知らなかった? キスって勢いでしてもいいの」


 笑うコナはボクの知らない綺麗な、だけど大人なコナで。


「知らないよ……こんなの。ずるいよ……ボクも、ラビもだなんて」

「悔しかったら、彼氏つくったら?」


 笑うコナを見ていたらたまらなくなって抱きついた。

 二人で抱き合う。外で鳥の鳴き声が聞こえた。ぎゅってしがみついているのが、なんだか無性に恥ずかしくなって自分から離れる。


「……ケーキ、なに買ってきたの?」

「しょうがないな」


 コナはまるで自分の子供を見つめる母親みたいに優しい顔をして微笑んでから、箱を開けてくれた。中にあるのは、レアなチーズケーキ。あまったるいチョコ。モンブラン以外の全部。


「甘いの好きでしょ? ただし栗以外」

「……図星。じゃあ文化祭のごほうび、決めてもいい?」

「もう一回、キスしたいの?」

「……ん。一瞬だったから、ちゃんと味わいたい」

「そう言うと思った。じゃあ……シオリからどうぞ。文化祭でルルコ先輩のを見てからずっと、してみたかったんでしょ?」


 ベッドに腰掛けて、瞼を伏せてくる。

 どきどきした。許されている居場所の居心地の良さにくらくらした。

 ボクのことをちゃんとわかってくれている。

 そんなコナの中に、ボクの居場所がちゃんとある。

 それもとびきり大きな居場所が。コナがいまそれを証明してくれている。

 今あるものに不足を感じてもっとと喘ぐより……今あるものを大事にしたい。

 気持ちの行く先を決めるのは、満足してからでもきっと遅くない。

 終わりなんかじゃない。終わりにしない。させてくれない。

 コナが気持ちをくれる。

 今ならもっと素直にハルちゃんの歌を聴けそうだ。

 だってあれは……歌詞なんてそっちのけの、恋の歌。

 誰かに恋い焦がれる――……そんな歌だったから。

 コナに焦がれるボクはきっと、もっと素直に聴けるに違いないのだ。

 だから――……今は一度だけでいい。

 キスを、しっかりしよう。




 つづく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ