第二千七百三十八話
夜中に理華ちゃんから通話がかかってきた。
今日、ちょっとした撮影をしてきたそうだ。その動画を共有してくれたのである。
ただ、前置きがいくつかあった。
生徒会長をはじめ、先生がたも、警察も、少なくとも「青澄春灯には知らせない」としたこと。
『でもね? 理華はちょっとちがうかなって』
『内容からして知らせておきたいんです』
『無理ならスルーで構いません』
『でも』
『案外、目的が定まってすっきりするかも?』
『苦情はいつでも受けつけます』
ううん。
長いな。前置き。
時間が経過したからなのか、それとも晩ご飯にゼリーがついていたからなのか。
元気が出て、皺は減っていた。
気持ちがへこたれたり、身体が参ったりすると老いちゃうみたいだ。
「ううん」
こんな条件さえ、だれも知らない。わからない。
なのに負荷をかけていいのか。
やめとこってなるの、みんな私のことを心配しているし? 不安なんだろう。
それって大事にされているというか、愛されてる成分もない?
私が”壊れる”ダメ押しになりかねない、その選択をしたくないし? 責任も負えない。
そんな理由もあるだろうけどさ。
「ま、いっか」
気になるからなあ。理華ちゃんの捜査レポートなんだから当然、気になる。
動画を再生すると、思わぬ人の顔が映った。
『キティ、ちゃんと撮れてる?』
『撮れてる撮れてる。ちょけてる暇があったら、ちゃんと潜入してね。だれもついてけないんだから』
『はいはい』
ウィザードだ。シオリ先輩と話している。
妙に仲が良いのは、ふたりとも元々のお仕事仲間だからだったから。
でも、なぜにウィザードが。マドカのお兄ちゃんが理華ちゃんの動画に出てくるんだ?
『小型のネクタイピン、まずばれないと思うけど加工が必要?』
『念には念をってね』
あははと軽く笑って、映像が乱れる。ほどなく、安定した。
ネクタイピンをネクタイにちゃんとつけたからだろう。
そこでやっと、いまどこにいるのかがわかった。ずっとわさわさ映像が動いていたんだもの。
車の座席の背が見える。緩やかに減速して、程なく扉が開いた。山吹リンタロウがご機嫌に「どうもどうも」と挨拶をして、外に出る。照明が設置された天井の下、ホテルマンらが案内を務めるべく待機するが片手で制する。見上げればアルファベットがホテルの名前を示している。
気にせずに中に進んだ。
『きょうび宴会議場を借りて立食なんて、無駄だねえ。無駄の極みだ』
『件の犯罪者がで大々的に人の集まる場所に現れるなんて、ボクには信じがたいんだけど』
『まだ関与を疑える要素がないからね』
それよりも、と男は軽薄な語りのままで話題を変えるよう促した。
エントランスを抜けてエスカレーターへ。ゆっくりとのぼる間に彼は問いかけた。
『キティ。最近退屈じゃないか? どこもかしこも規制、規制。自主規制への圧が高まるばかりで』
『それ、どの話? えっちなサービスが減ってるやつ? それともすべての役にすべての人種の登用をってこと? それ次第で話がだいぶ変わるんだけど』
『じゃあ曖昧に濁そう。いまこの風潮のままいくと、あり得ない服装も、現にある差別も洗い流されそうだよね』
『濁してそれかよ。シンデレラが白人でなきゃだめか、という問いなら議論を尽くしたいけど、女性キャラの衣装が半ケツ、半乳でてるみたいな話ならどうかしてるとしか言いようがないんだって。分けて』
最低な会話してる!
ちなみにあらゆる役は、あらゆる人に開かれていていいとは思う。
人種の指定と、その指定に意味があるのなら話は別。
逆に無理にすべての人種をキャスティングして内容が破綻するのはどうなのか、という指摘もある。
日本じゃ小説投稿サイトが揶揄されがちだけど、でも基本的にテンプレ踏襲・利用はよくあることだ。漫画、ドラマ、バラエティ、ワイドショー。あちこちで当たり前に積極的に活用されている。そこはアメリカの映像産業も同じ。
才気溢れる白人主人公のサポート役に黒人がなる、とかはまだマシなほうで、映画の賑やかしに出てきてさんざん騒いであっさり退場する役割を黒人が担わされてきたという側面がある。ちなみにアジア系はもっと立場が低いことがざらだ。
そんなわけで、いままでなら白人が担ってきた役どころを黒人が、という動きは徐々に賑わいを見せているものの、それこそ産業に根強く存在する差別に照明を当てるようなもので、けっこうたいへん。
目立つヒーロー・ヒロイン役に女性がなるっていうのも壁なら? アフリカ系アメリカ人がやるっていうのも壁だ。さらにそれより厄介な壁を、アジア系は乗り越えないとならない。
ハリウッドでは世論や仮想敵国への扱いを演出に盛り込むことが多くて、対中感情が悪化しているアメリカでは中国だけじゃなくて日本にも、けっこう当たりのきつい表現が行われがち。ついでに言うと、中国よりもふわっとした印象で作られるので、トンチキ日本になりやすい。
まあ、逆もしかりだ。日本もトンチキ海外をいくらでも描く。
これってすごく政治的な話題だし?
すべての作品に、すべての人種をというのはありやなしやっていう問いに答えはない。
あるとしたら、政治的主張かな。作るほうも、見るほうもね。
そして政治的主張以外にあるのが、マーケティング、販売上の戦略。
『サービスしてなんぼだろう。おっぱいは大きいほどいいし、揺れたほうがいい』
『それで性的パーツは強調するデザインにって? 貧乳キャラは骨格の薄さ、あばら骨のラインを出すみたいな』
『そうそう。みんな文句を言うけど、結局はえっちなのが好きなんだ』
売れるんならルッキズムによる差別が絡もうが美男美女だけにするべきだし、性的関心や興味をそそるデザインを積極的に採用するべきだと語る。友達の兄が、饒舌に。
だいぶいやな気分になるなあ。
『乙女系にしたって男性の身体のフェティシズムを描くだろう? 美術界隈だって、乳房や臀部をどう描くのかがひとつの主題だったはずだ』
『西洋と東洋とで乳か尻かは意見が分かれたそうだけどね』
あ、それ聞いたことある。
あとヨーロッパでは女体の描き方で裁判になったことがあるらしい。
『生きた人の裸身か、それとも理想化した裸身かだっけ?』
『写実か、はたまた誇張か』
どちらも裸であることに変わりはない。
ただ、それこそ撮影して無加工か、それとも加工するかの方向性の差はあるし?
描画にするなら、いろんな方向性がある。
『北斎たちの残した春画の陰部表現はどちらだろうねえ』
『お。セクハラか? 音声も映像も記録してるから、いつでも裁判に持ち込むよ。ボクの勝利は揺るがない』
『そういう反応になるっていうことは結局、どう描くにせよ、ありのままにせよ理想化したものにせよ、それがわいせつに感じられることが示唆されるだろう?』
『今度は話を逸らした』
『でも事実、現実の猥雑さと、理想化した猥雑さがあらゆるものに築かれていくんだ』
どちらにしたって猥雑であることに変わりはない、か。
とうにウィザードは二階に到着した。スーツ姿に無線をつけて、イヤホンを装着した屈強な男性たちがそこかしこにいて、厳しく目配せをしている。けれど彼は気にせず、宴会議場を示す案内板を頼りに歩き、語りつづける。
『まあ、できれば、それをやる意図や意味くらいは用意してほしいけど』
『味わう側としては、物語まで味わうことなんてそうそうない。食べておいしければいいんだよ』
『それくらいの都合で食べるし、作られる。だからきみが嫌う性の表現が行われるし、安易に配役だけで人種の調整を取ろうとすることさえ行われる』
『そんなクソみたいな話をしながら潜り込むわけ?』
『そういうこと』
笑いながら彼は進み、受付に辿りついた。
既に何人もの人が中に入っているのか、扉の向こうから賑やかな話し声が聞こえてきた。反面、扉の手前はというと閑散としている。スーツの男たちが守衛に目を光らせているなか、受付の女性が立ち上がって会釈をした。講座でみっちり叩き込まれたような、角度さえ乱れのない叩頭ぶりである。
『招待状はお持ちでしょうか』
『はい、これ』
彼の腕がアップで映りこんだ。
すぐさま彼は封筒を出して受付の女性に手渡す。
既に封が開けてあり、彼女は中から一枚の紙を取り出して確認した。
白色よりやや暖色によった光を受けた紙が透けて、文字と捺印が見える。
彼女は受付デスクの手元にある名簿をさっと眺めて、チェックをつけた。
実にあっさりとした簡単さ。
『確認できました。山吹リンタロウさま。どうぞ中へ』
『こちらで簡単なボディチェックを行います。ご協力いただけますか』
お姉さんが許可を出してすぐに扉のそばにいるスーツの男が呼びかけてきた。
『もちろん』
恐らくウィザードは両手を広げてみせたのだろう。
スーツの男性が歩幅一歩分まで肉薄して、手際よく触れていく。
その際にネクタイピンに視線が注がれたけど、素通り。
『確認できました』
『そいつはどうも』
そう言って扉に手を伸ばしたときだった。
『失礼』
ウィザードの手がぴたりと止まる。
『スマートフォンの電源はお切りいただけますか』
『こいつは失敬。仕事を持ち込んじゃいけないね』
映像内にスマホが映りこむ。
ちょうど通話ステータスが表示されている。
直ちにタップ操作をして通話を終了。電源を切って、画面外に出ていった。
『これでいいかな?』
『ありがとうございます。それではどうぞ』
スーツの男がただちに近づいて、ウィザードの代わりに扉を開けてみせる。
目礼をして、すぐさま会議場のなかへ。いまなおネクタイピンに注視することはない。
気づかれていないみたいだ。
そこでようやく宴会議場の中へ。
広々としたフロアにスーツやドレス姿の老若男女が集まり談笑している。ウェイターやウェイトレスがひっきりなしに各所のテーブルを行き来して、料理や飲料をチェックしつづけている。料理に手をつける者は少ない。積極的に飲んでいる者も、そういない。
守衛たちから距離を取るように、輪の中へ。
新たにやってきた彼にいちいち視線を送る者は見当たらない。
『うわ。テレビで見たことある政治家も、経営者もたくさんいるね』
『といっても、格付けでいえば中の下』
映像に映りこんだ人の横に小さなウィンドウが表示されて、そこに名前や立場、四十文字程度の紹介文が表示された。これは後付けでシオリ先輩が編集してつけてくれたテロップや画像なのだろう。
シオリ先輩の言うようにワイドショーで見かける人、朝まで生テレビぃみたいなので見かける人がちらほらいるけれど、いずれも要職に就いている人たちじゃない。
経営者らにおいても同様だ。
よく知る企業の名前は出てこない。
シオリ先輩が後付けで足してくれた紹介に、いつ起業したどんな企業かの紹介が入る。都内というケースがほとんどない。北は北海道、南は鹿児島までの企業が集まっている。沖縄が見当たらないのが地味に気になる。
よくよく見ると近しい距離か、あるいは顔見知り同士で集まって、どの卓も盛りあがっている。
ざっと千人以上はいて、だれもが名刺をやりとりしたり、ちょっとした商談をしていた。
用意された壇上が部屋の反対側に設置されていて、分厚いフォントででかでかと「帝都政治経済懇親会」と記載されている。
『帝都って、あれ、マジ?』
『戦後に帝大を東京大学に改名するかという話も出たけど、むしろ東京帝都大学に変えたくらいだ』
『GHQから圧はかからなかったの?』
『そこまでは知らないよ。正直、興味もない』
淡泊だなあ。ウィザード、面倒がるほど年齢を重ねてないだろうに。
で、いったいなんの関係があるんだろうか。
『ここはさ。そういうのの集まりなんだよ』
『街宣するようなってこと? 帝都にこだわるってことは、つまり帝がどうとか言っちゃう系?』
『いや。お題目や理由、力として利用しているだけで思い入れはないよ』
逆にありそうに見える? と尋ねる彼に、先輩は「いやあ」と言葉を濁す。
憲法改正、現行の民法の抜け穴、無法の通し方なんて話題も方々から聞こえてくる。
『まともな集まりじゃないことだけは確かだね』
『資金集め、顔繋ぎ、ノウハウの共有。お題目はご大層でも、やってることは飲み屋の話と大差ないかな』
笑うような声で辛辣に語るなあ。
彼もここに招待されるような存在なのだろうに。
同族嫌悪なのか。それとも、かつての自分への嫌悪感なのか。
あちこちに笑顔を振りまいて、たまに挨拶をする。けれど彼の名前と共にあいさつをしてくるような人はひとりもいない。そんな中、大勢が集まっている場所があった。壇上のほど近くに、人だかりができている。とりわけドレス姿の女性が集まっている。
『香水の匂いがくどそうだな』
『いいとこのお嬢さんの集まりでしょ。適齢期なんだし、愛想くらい振りまいといたら?』
『笑える』
答えた声はいままでで一番、低くて退屈そうな平板。
すこし遠巻きにしたテーブルについて、だれも手をつけていない軽食を食べる。サンドイッチ、クラッカー。間に挟まっている分厚い肉やキャビア、色づいたクリームにどんな食材や手間がかかっているのか考えるだけでもお腹がすいてくる。
時折、人だかりが揺れる。そうしてたまに見える。ちらりちらりと、今日の主役が。
『若い男だね』
『過去に首相になった議員のどら息子だよ。議員になる気はないらしいが』
『どれどれ?』
ほどなく、ちらりと見えた男性の横にこれまでと同じ情報表示がなされる。
内富聡。うちとみ、さとし。二十七歳。実業家。
中性的な甘いマスク、穏やかで高めの声。温厚な対応。マイクが拾うしゃべりように傲慢さは見受けられず、相づちを打ち、相手を立てる。
となると、マウントを取らずにいられない人たちの格好の餌食になりそうなものだが、折に触れて冗談やユーモアを挟んで会話を切り盛りしてごまかす。相手に花を持たせながらも、そうなると二度と相手にしゃべらせない。主役はあくまでも、彼。その他大勢じゃない。
おまけにモテている。
だけどすこしも気にしていない。どうだっていいのだろう。有象無象に関しては。
人の隙間から見えたのか、こちらに気づいて笑顔で手を振ってきた。
『知り合いなんだろ? あいつが本命でいいんだよな』
『当たりだ』
『すごい人脈じゃん。紹介してくれればいいのに。いままで一度だって聞いたことないよ?』
『そりゃあね。あいつは根っからのクソ野郎だから。特に身体性別女性には紹介しない』
『そりゃまた、どんなトラブルがあったのかが伺えるねえ』
女絡みのトラブルか。
『恵まれているのが当然。欲しがれば得られるのが当たり前。言えば通る。そういう奴を、俺たちは傲慢、あるいは悪魔と呼ぶんだ』
簡単に語れるトラブルじゃあなさそうだ。
欲しがれば、言えば、すべてどうにかなる。手に入る。
しかも自分は正しくて問題ないと思える。
そういう生まれがあるというのなら?
なるほど。彼のような境遇をこそ指し示すのだろう。
すこしの時間を置いて、人だかりが左右に割れた。内富が笑顔で手招きをする。
『ほらきた。呼ぶことはあっても、足を運ばない』
きっとウィザードは笑顔なんだろうけど、声には嫌悪感がにじみ出ていた。
よっぽどのトラブルなんだろう。
まあ、たぶん、女性絡みの。
でも他にもあるかも。
生まれながらの貴族。だれもが持てはやす。主観において自分は正義の味方で王さまで偉いんだろう。間違いなんてなくてさ。
ウィザードが近づいて「リンタロウ、ひさしぶり」と気さくにしゃべる彼との会話に露骨に出る。ウィザードがしばしば過去の揉めごとや問題を語るけど、内富はいっさいがっさい、すべて、自分の責任というものを語らない。悪いのは常にだれかで、自分には毛ほども罪などないかのよう。
山吹リンタロウが、その傲慢や欺瞞を暴く前に内富聡は話を流す、ごまかす、別の話を持ち出して周囲を味方につけていく。
彼は終始、楽しそうだ。
本当に。
わずかに気まずさを見せても、すぐさまリカバリしてしまう。
そうした隙を突けるほどにはウィザードも人間できちゃいないというか、メンタル鋼じゃないみたいで、見逃すか、だれかに割って入られるかして機会を逃す。
宴もたけなわというところまで、彼はウィザードを逃さなかった。ウィザードが距離を取ろうとすると理由を尋ねて、だれかを呼びつけてなんとかしてしまう。トイレを言いだしたら、ついてくる始末だ。彼には護衛がべったりついてくるから、細かな話もできない。
ようやく、その機会を得たのは帰りの車。
内富の車両に誘われて、ウィザードが同席する。
その頃にはシオリ先輩は言わずもがな、私が聞いても一発でわかるほど山吹リンタロウはうんざりしていたし、疲れ果てていたが、およそ人の敵意や悪意など自分には向けられるはずがないと信じているのだろうか。内富は一切、気を配らない。
すると気づく。
彼が主導権を握っていた、それだけの話術があるのではない。
だれもかれもが彼に気を遣っていただけに過ぎないのだと。
一方的にしゃべるし、それに付き合う義務が相手にあるのだと信じて疑わない内富もさすがにしゃべり疲れたのか、長くため息を吐いた。本日、はじめての内富の休符にウィザードは迂闊に飛び込まない。
車両に設置された冷蔵庫からグラスとボトルを出して、中身を注ぐ。透明の液体だ。水、なのだろうか。
『それにしても、ひさしぶりじゃないか。キミが戻ってくるのをずっと待っていたんだよ?』
『俺にそこまでの重要度はないよ。役目は済んだ。金も届けたし、変質道具も実証してみせたろう?』
『狼少女たちを浪費したし、金を届けた一団と繋げてくれなかった』
『責めるのか?』
『人造人間どもを有効に使い切らなかったしな。ダメだよ、リンタロウ。もっとしっかりしてくれないと』
『難癖つけるお前はどこでなにしてたんだ?』
『おいおい、リンタロウ。愚痴るなよ』
いや、愚痴ってはいないでしょ。
『CSKDが注目を集める。帝都テレビは妙に報道したがる局アナが出てくる。昨今の学生たちは世間も礼儀も知らないから、秘されたことを暴こうとする。たいへんなんだよ』
こうも露骨に言うのかと思うと、ぞっとした。
ウィザードはこいつのことを知っていたのか。なら、今日まで知らせがなかったのはなぜか。
内富が捕まらなかったからか。
それとも知らなかったのは私だけ?
こっちのほうが、よっぽどありそうだ。
『でもさ。リンタロウ。俺たちはやると決めたろ? 俺はいつだってお前に確認してきた。お前の彼女を好きになっていいかどうかも』
『ああ、そうだね』
嫌悪感を隠そうともしないウィザードに内富は気色ばんだ。
しかし、よせばいいのに黙らない。
『オヤジは選挙戦に利用したがってる。オヤジの友人は自衛隊を帝国軍に戻したがってる。だから事件も起こした。けど、俺はどっちも時代錯誤でうんざりするんだ』
実に雄弁だ。
黒幕として見るにはもう、目を覆いたくなるほどの小物ぶりである。
『儲かればいいじゃないか。みんなが騒いで、盛りあがるネタができればさ。長引かせることが鍵だ。状況が維持されれば、それだけ需要と供給のバランスを操りやすくなる』
『米がなくなると知れば、だれもが米を買いあさる、か』
『女子大生が隔離世絡みの会社を起業したそうだけど』
ルルコ先輩の話だ。
『あんなのとっとと潰してさ? 異常事態はもっと控えめに制御して。それでますます政治不信で投票率が下がるなか、現政権を維持できれば、動きやすさも増す。そういうことが、じいさんたちにはわからないんだ』
『そうだねえ』
嘘つけ。
ウィザードの生返事ぶりといったら相当なものなのに、内富は興奮しているのか気づかない。
『ダメだよ。こんなガキンチョ相手にキレちゃ』
シオリ先輩の忠告が届いたのか、ウィザードが足を組む。
『選挙で勝てば政権が倒れることはほぼない』
『まずないね』
『その間に補助金だなんだをせしめながら事業を興して荒稼ぎ』
『その金を選挙資金に流すスキームができて、さらには票田に人を作れれば? 怖いものはないだろう』
『千葉の住宅街がひとつ丸々、死人であふれたあとなのに?』
『報道なんていくらでも黙らせることができるんだ。現にいまじゃあ、狐になった女子高生の話で持ちきりじゃないか。次の事件を起こしてしまえばいいんだ』
すごい言われようだ。
人のことをなんとも思ってない。
自分の欲にしか興味がない。
自転車操業にも程があるし。こんなのに好き放題にされてちゃ、なにがどこまで破壊されるのかわかったものじゃない。
それくらい強烈な映像を撮れているのに、内富は一切気にしていない。
『そのためにもさ、リンタロウ。キミには期待しているんだ。魔女の知識、海外とのパイプ役。キミがこなしてきた役割はあまりにも大きいからね。警察から出すのは苦労したんだ』
もう二度と手間をかけてくれるなよと釘を刺してくる。
ウィザードがよほど信頼されているのか。はたまた、底抜けに阿呆なのか。
あるいは、ウィザードがどう裏切っても、いくらでも社会的に破滅させられるという確信があるのか。
『次の計画にも加われって言うんだろう? なら、説明してくれないか。ほら、警察に捕まっていたから、いろいろと疎くてね』
『いつものように知らせをやるよ。そういえば、昔のリンタロウの彼女、どうしてる?』
『――……元気にやっているんじゃないかな』
ひやっとした。
それだけじゃない。
『俺のこどもを堕ろさないって、手術に必要だからサインしろってしつこかったけど。できるわけないよな! 本当にばかだよ』
続いた言葉に身体中が沸騰しそうなほど、かっと熱をもった。
『でもさ。元気ならなによりだな! 今度、様子を見にいってみるかなあ』
すごい。
笑顔でこんなこと言える男が世の中にいるとは思えなかった。
『結局、生んだんだっけ?』
『産科はサインがなきゃ手術したがらないからな』
『そうなのか? じゃあ、やっぱり顔くらいは見とくか』
身体中にぞわぞわと鳥肌が立つ。
映像がそこで、ぴたっと止まる。
見ている間に理華ちゃんからメッセージがきていた。
『内富は泳がせています』
『メッセージ、待ってます』
よかった。
私がウィザードの立場だったなら、殺してしまいかねない。
怒りなんて、そんなの生ぬるい。
でもって最初からずっと感じていた。
大人向け小説やドラマの、練りに練られたプロットにあるような底知れない悪意とか、あるいは殺してなんぼの作品にある命の軽さとか、そういうのはない。
今回の悪党は、そもそも命がなにかまるで考えてない。
ただ儲かればいいし、その瞬間に好きなようにやれたらいい。
それしか頭にない。
なんならみんなが苦しんで生まれる経済活動にこそ興味があって、そいつで儲けようとさえ考えているし? 政治になんか興味ない。儲かることに利用できれば、それでいい。
内富みたいな、底の浅い、だけど影響力のある奴が各所にいて、雑に連携を取っている。
それだけのことに、私たちは右往左往して、こんなに傷つけられている。
そんな程度のもん。
そんな程度のもんが作った壁に、私たちはみっともなく振り回されている。
連中からしたら、さぞや滑稽に見えるだろう。
そして、そんな程度のもんを相手に、真っ当にできないんだからさ?
そりゃあ、匙を投げたくもなる。
この映像を証拠に使えるのか。そもそも、そんな真っ当な裁判にまで持ち込めるのか。
そういうレベルの話になっちゃってる。
こんな程度のもんなのに。
こんな程度のもんが相手だっていう、それだけのことなのに。
綱渡りの運任せ。
そんな人生で、どうするのか。
そんな程度のもんに、簡単に人生が破滅するのに。
不可逆の傷を負わされて、どうするのか。
「――……」
深呼吸を繰り返しながら、さんざん打ち込んでは消してを繰り返したのちに、ようやく送った。
『シュウさんたちはなんて?』
これだけのことを送るのに相当な時間を要したし、頭の熱は引かず、イライラが収まらなかった。
なにかを殴りつけたくてたまらず、そんなことをしたら、いまの私の手が壊れるのは目に見えている。
そして、そんな状態でいるから当然、音も浮かばない。
巨悪でもなんでもない。
ろくでもない奴が集まって、ろくでもないことをして、その結果が悲惨になってるだけ。
うんざりするほど、よくあることだ。
ろくでもない奴らの立場が立場で、影響力があり、ろくでもないことの規模が異様になってる。
先日の関東を襲った未曾有の災害で、負傷者はいまや五桁にのぼり、行方不明者や死傷者の数も増している。なのに、そんなことすこしも気に掛けずにパーティーをやってる。
もっと設けようとしてさえいる。
内富ひとりじゃ足りない。もっと大勢、関わっているんだろう。
その繋がりを暴いたところで、得られるのは、いまの実感とさほど変わらないのだ。
こんなのに振り回されて、こんなに消耗して。
ばかみたい。
めまいがする思いでスマホを見ちゃった。
理華ちゃんからさらなるメッセージが届いていた。あの会食をはじめ、ウィザードが目を付けた怪しいないし、クロの連中の名前一覧。
もちろん内富だけじゃない。内富と出身校が同じ、取り巻き。父親繋がりの友人や仲間。
国末良、原沢太一、猪爪功一郎。次から次へと名前が続く。
仕事の繋がり、いまの立場などなど。表にまとめられた名前に女性のものと思しきものがひとりも見当たらないあたりに、いろいろと感じるものがある。
ウィザードとシオリ先輩の話を思い出した。
現実の猥雑さと、理想化した猥雑さ。
どちらであっても、これほどの規模の犯罪を何度も犯しておきながら、すこしも悪びれる素振りなく、出頭することもない。
ならせめて、敵ながら天晴と思うほどのなにかをどこかで求めていた。
浅はかだった。
なんであれ、これほどの犯罪をやってのけるような奴らに、いったいなにを期待しているんだ。
ばかめ。
『捜査中だそうですよ』
『望み薄ですけど』
理華ちゃんのメッセージを見て実感した。
この子は求めてる。
あるいは、やろうとしている。
裁きを。
だれもなにもできずにいるのなら、自分が手を下すと。
じゃなきゃ、またなにが起きるかわかったものではない。
連中は手段も対象も選ばない。
ただ自分たちの目的のためだけに選ぶ。
どれだけ犠牲が出ようがお構いなしだ。儲かることに悪い影響を及ばさないかぎりは。
きっと、こんなの知らない振りして、自分の人生を生きたほうが”賢い”んだろう。どうにもできないし、手を出したらばかをみる。なら関わらないほうが”賢い”んだろう。
そんなのばかげてる。
わかっているのに手がない。
だから、こちらも手段を選んでいられない、と。
理華ちゃんは、正当化したがっている。責任転嫁したがっている。
そりゃそうだ。
私たちは攻撃されているんだから。
なのに、一方的にやられるばかりでいいのか?
いいはずない。
こんなくそったれたちのために、手を汚してなるものか。
そう意地でも思い続けられなきゃ、止まれない。
何度だって一線を踏み越えていくだろう。
そしていつになったら気づくのか。自分もくそったれの一員になってるって。
「懲らしめたいなあ」
徹底的に。完膚なきまでに。
逃げようがなく、連中がしてきたように追求しようのない形で。
意図せず指輪を出していた。
理華ちゃんの指輪。
因果応報の術。
「ああ」
いまさら理解した。
理華ちゃんなら、できるのか。
この術なら、いけるのか。
「ばかだなあ」
そんなわけ、ないじゃないか。
そんなので連中が心根を入れ替えるはずがない。
そんなもので変わるはずがない。
思い知らせるために、どんどん過剰になっていくだけだ。
理解なんて、相手がするわけない。
『それなら思い知らせるしかないよ』
『もう後戻りできないんだって』
『終わってるんだってこと』
『アニメであったよ? いっぺん死んでみるってやつ』
『どぉおおおおん! でもいいよね』
反響するように声が重なって聞こえてくる。
魂たちの声なのか。私の本音なのか。
「ふううううう」
息をめいっぱい吐く。吐ききって咳き込むくらい。
そうまでしても収まらない。
ああ。
傷つけたいな。
一生残る醜い傷を、いっぱいつけてやりたいな。
つづく!
お読みくださり誠にありがとうございます。
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