第二千七百三十四話
キラリが春灯の病室に入り込んで春灯と時間を過ごしている。
その光景を離れたビルから望遠しつつ確認する。
音声は病院にもぐりこんだキラリがこっそり繋げてくれたスマホの通話越しに聴いていた。
「なあ、山吹。さすがにこれはどうかと思うぞ?」
「八葉くんが力を使ってくれたら、もっと楽に済むんだけど」
「いや俺の話きいてた? こんな監視、盗聴みたいな真似はどうかと思ってるって言ってんだけど」
隣にいる八葉カゲロウを横目で睨む。
それだけで彼は怯んだ。いくじなしめ。
「急激な老化現象も、それを自力である程度だけ治癒して”みせた”のも、こないだの夜の術も。ぜんぶ、相当な無茶をしてる」
「は? どういうことだよ」
いつもは頭の回転が速い彼もてんでぴんときていない。
「春灯はたしかに若返ってみせた。でも、それは本当に治癒だったの? たんに化け術でごまかしているだけじゃない? あるいは、そのときそばにいた刀鍛冶たちをごまかすために無理をしたんじゃない?」
「そ、そんなことするくらいなら、ぜんぶ言うだろ。青澄だぞ? 隠すより、言っちゃうタイプだろ」
どうやら彼と私とでは春灯の印象が異なるようだ。
「私からみた春灯はね。極度の怖がりなんだ。あの子は自分に嘘をつく。最近の春灯は話の最中に、すごく考えこむでしょ?」
「まあ、話の最中に黙りこんで動画の読み込み中みたいに固まることは多いな」
「そうなったときの春灯は、思考を通り越して自分の頭のなかで延々としゃべってる。なのに、そのしゃべりでさえ、絶対に触れないようにするの」
「触れないようにって、なににだよ」
「問題になってほしくないことだよ」
今日一日の隔離世自警団活動に疲れて、双眼鏡を作ってくれた日下部、柊両名はそばでへたりこんでいた。彼も同じくらい疲れ果てている。
キラリも同じくらい消耗しているが、それでも”いまの”春灯を心配して、当たり前に接している。
自分にはできそうにない。
泣いたかどうか尋ねて、当たり前のように泣きだした。
自然な感情の機微によるものとは、とても思えなかった。
たくさんのこどもたちの育児。プレッシャーが高まるばかりで不安定で先の見えない仕事。これまでの学生生活と開くばかりの日常。ダメ押しに強烈な事件と、それを解決するために求められる自己犠牲。
泣くには十分な理由がごまんとある。先輩も春灯も高校生で、恋愛で、関係性でどうにかなるような現実じゃない。春灯に伴走できるほどできた人間なんて、そうそういやしないし、先輩にはまだ無理だろう。同世代で、そこまでできる人間がいたら、よほど人間ができているか、よほどそこまでがんばらなければならなかったのかのどちらか、あるいは両方ではないか。
もちろん私にも無理だ。
どうしていいのか、わからない。
こんな状態だったなんて、とショックを受けて二の足を踏んでいる私には。
気づかなかった。
光のときと同じだ。
私は自分をだましていた。
きっとだいじょうぶ。なんとかなるだろう。あとでフォローすればいけるだろう。
それでだいじょうぶ。
仕事先でもしばしば見かける”大人の態度”のように、いまある問題よりも、問題の対処や相談よりも、まず目の前の状況を解決する。それさえできていれば、なんとかなる。
言い換えると、問題は後回し。先送り。考えないし、考えたくない。決して触れない。そもそも言葉にすること、されることを忌避する。
気づけば「目の前のことさえすればよい」と正当化し、責任転嫁するようになるし?
問題について一切かんがえなくなる。
私の場合、病室で過ごした光に漂う死の予兆も、彼女の病も対象だった。壊れそうな心をなんとか保っていた光のつらさもそうだ。そんな光に接していた自分の不安や恐怖だって考えなくなる対象だった。
でも春灯のそれは、私のものよりもずっと厄介なものに見えてならない。
あの夜、そばで春灯のフォローをすることで春灯の霊子の声をやまほど聞いた。
人間ならば、だれしもあらゆることを考えるもの。
不謹慎なこと、言動で表現すると問題のあること。その他、様々なこと。
だけど意識するまで形になるか。形になったとて言動で表現するか。したいのか。様々な段階を経ていかないかぎり、私たちはそれを思考の層まで持ち上げていかない。
春灯の場合は本来なら最低限、意識するまで形になるし、そうせざるを得ないし、そうするべきことまで必死になって思考の層の下へと押し込み、ふたをしているように見える。
でも、それだけとも思えない。
多くの魂を凝縮させて作られた狐を注ぎ込まれて、希有な小学生生活を送った春灯は小学生生活を、まるで見えないものたちと過ごすような態度でいたという。おまけにあの夜、春灯は狐を注ぎ込んだ男になにかを盗まれたそうだ。
春灯はそれを大量の霊子だと考えている。
だけど、本当にそれだけなのだろうか。
狐は盗まれず、魂たちも自分の中に留まっていると春灯は訴えた。
本当にそうなのだろうか。もしもそのとおりだとして、盗まれたことによる影響はないのか。
当然、だれもが検討すべき議題だ。
それは春灯の生死に関わるといっても過言ではない議題のはずだ。
もしかしたら、それにフタをしようとしてはいないか。
光に対する私や、そのときの私自身にフタをする私よりも、必死になっていないか。
余命宣告から逃れようとするし、話を逸らすし、治療の話は聞く耳を持たず、その場をなんとか逃れるか話を強引にずらす、そういう親族がいた。他にも補聴器をつけないともう、満足に話を聞くことができなくなった高齢の親族がいたが、頑なに補聴器にかかる話題を無視していて、本人はもちろんだが、家族もほとほと困り果てているという話もあった。
恐怖や諦念、強烈な負荷にかかると、私たちはそれを聞くことはおろか、そもそも意識下に置いておくことさえできなくなってしまう。
傍観者でいるかぎり、そうした態度を「弱い」「みっともない」「だめなやつ」と好き勝手に言える。だが実際に当事者にならないと、この無力感や絶望感、実際に行動したくないし、そもそもできない実感は得られない。わからないのだ。
そして私のわからない領域に春灯がいるのではないかとずっと疑っている。
いまや確信に至ったと言うべきだろう。
「そんなに、やばいのか?」
彼の問いに答えられない。
知らない。わからない。
心配だからそれぞれできるかぎり見舞いをしようとみんなで示し合わせているが、それだけじゃない。
霜月先生のような隔離世の知識や経験のある人が少数ながらに勤務している病院で、近くに侍隊が常勤する警察署があり、交番さえいくつもある。
うちの学校にいるよりも、よほど安全だし、緊急時の対応が可能な場所なのだ。
敵が容易に手出しできない場所だと期待してもいる。
そんな場所で、ただ「体力があまりにも落ちている」などを事由に入院期間が延びているだけだと春灯は考えている。あるいは、そう思い込もうと必死に振る舞っている。
だが、私は春灯ではないからこそ、春灯ほどフタをすることに必死にならずに俯瞰する。
傲慢で高慢な捉え方だ。安全圏から見ている自分に反吐が出る。
私はキラリのように、ふたりきりで相対する勇気がまだ持てない。
「傍目には、どうだろう」
春灯の霊子は安定していない。
それゆえにか、化けの皮がはがれるかのように老いが身体中にふと現れる。
若さを取り戻しても失った体力やカロリーは戻らない。
光に重なるほど細くて、まるで拒食のまま年月を過ごしたかのような痩せぶりは見ていて余りにも痛ましいもの。
それだけでももう、十分やばい。
だけどみんな、まだ信じている。
きっとだいじょうぶだって。時間をかければきっと治るはずだって。
見た目だって、若さをある程度とりもどせた。
あの夜の奇跡の術みたいに、関東中を救ってみせたように、きっとどうにかできるはずだって。
みんなきっと、縋っている。
でも、それをやるのは、人だ。人の営みだ。地道な行為の積み重ねでしかない。
なによりも、それに付き合っていかなきゃいけない主体者は春灯だし、春灯が必要とするあらゆる依存先だ。医療だけじゃない。食事だなんだの生活もかかってくる。仕事だなんだも。
様子を見に行った高城さんに会った。
彼は言葉を詰まらせて、涙ぐみながら「早く元気になるといいよね」とこぼしていた。
いまの春灯を映すことができたなら、きっと悪評は一気に吹き飛ばせるだろう。同情を誘うような報道効果さえ得られるかもしれない。
それはもはや人の営みじゃない。
外道の稼ぎだ。
そうと知って行えるほどの開き直りができるか。
無理だ。
さらに言うと問題はそれだけじゃない。
「見えないし、聞こえないのかもしれない」
春灯はその場、その瞬間に適応しようとする。
周囲に合わせようとする。
余力があるかぎり。
だけど、余力を超えると? 限界となり、頭のなかでしゃべりはじめている。
そんな印象を抱いている。
この先入観は前から抱いているものだ。
そして、先入観であろうと物足りなさや寂しさを感じる。
ひとりでしゃべるんじゃなくて、私たちと、私としゃべってほしい。
言ってほしい。頭の中で終わらせないで。外に出してほしい。出力してほしいし、表現してほしい。
だから春灯が黙りこんだら、しゃべりかけたり、つついたりするように気をつけてきた。
それでもなかなか手強くて、どうにもできずにいた。
それまでなんでも合わせて過ごしてくれる春灯が、途端にすさまじく頑固に感じられるのだ。
以前、春灯が仕事を受けて私とキラリにも声がかかった明坂のライブがきっかけで、キラリと春灯の中学生時代の同級生だった神力結さんと話すようになった。彼女に中学時代の春灯がどうだったか尋ねたら、まさしく私と同じ印象を抱えていたことがわかった。
そう。春灯は頼りきっている。
話さないことに。周囲に合わせることに。
自分きっかけで行動するとき、大概、自分に閉じた行動にしようとしすぎる。
そういう意味では先日の術に挑む際、佳村さんたちや私とユウに助力を求めるくらいには、周囲に頼るようになってきたと言える。けれど、じゃあ、根本的に日常生活ではどうか。余裕がなくなったら? 限界を迎えたら? 途端に、戻ってしまう。頼りきってしまう。
話さないことに。周囲に合わせることに。
なにが問題って、合わせることのなかには、いま泣いてみせることだけじゃない。あの晩、関東中をどうにかしなきゃならない、そのための術を使うなんてものさえ含まれている可能性さえある。
求められたら、自分がどうなろうとやってしまいかねない。
状況に合わせて適応しよう、がんばろうとしすぎてしまう。
自然にそうなる、やっちゃうのが若さかな。
知らない。人によるんじゃない?
「八葉くんは人に悩みや相談って、気軽にするほう?」
「内容によるくね?」
クッションを挟まれて、一瞬かちんとくる。
沸点低くなってる。ストレスか。春灯が心配か。寒いからか。お腹が減っているから?
たぶん、全部だ。
自制してから、言葉を足す。
「そのうえで」
「だれにでもではないけど、だれかには言うな。言うね。だれにも言えない悩みほど、言わなきゃやばいって実感あるし」
「だよねえ」
でも、彼の答えは当たり前じゃない。
みんながそう思うわけでも、思えるわけでもない。
そういう相手がいるともかぎらない。
それに話したとしても、相手がちゃんと聞いてくれるとはかぎらない。
ハリーポッターなら、ハリーがダドリー一家に話したとして、意地悪な家族がまともに相手をするか。しない。
そういう人生を生きている人も、世の中には大勢いる。
人を信じるには、信じる力も、信じてよかったという経験もいる。相手だって必要だ。
私たちにしてみれば、春灯にとっての相手に、自分たちがなれると期待する。
だけど実際は、まだまだ。
ぜんぜんだ。
いつでもいいよ、なんだっていいよって何度も伝えてるのに?
ぜんっぜん! 伝わってない!
だからこそ、何度だって繰り返し伝えている。
今後もやめる気はない。
いっさいない。
ただ、めげそうになる。
大事な仲間で親友のひとりが、長年闘病をしてとうとう負けそうになっているような、そんな身体になってしまっている事実に。
「どんな感じだ? 青澄」
「揺れてる。ぜんぜん、だいじょうぶじゃない」
要領を得ない私の回答の意味も、その真意も、彼は確かめようとはしなかった。
ビルの屋上に風が吹く。疲れ果てた私たちはいま、なにもできずに見ている。いや。私ひとりが見ているだけだ。望遠鏡を用立ててもらえば八葉くんも見える。なんなら私から借りればいい。けど、彼でさえ、覗こうとはしない。
盗み見ることになるから?
それだけじゃないだろう。理由は他にもあるだろう。
高城さんだけじゃない。ナチュさんにも会った。トシさんとも、会社で。
音を出したとき、歌ってみせたとき、春灯はとても安らいだ顔を見せたという。
ふたりはそうとしか言わなかった。
果たして、若さを取り戻したのか。それとも老いた姿をさらしたのか。
いずれにせよ、いたたまれない。
敵となっただれかが刀を掲げるだけで、春灯は挑むだろう。
だから、そんなことにならないように、みんなに下ろしてもらいたい。
それさえきっと、叶わない。
いっそ彼女をあのまま病室に留めておけないかとさえ考える。
なんの解決にもならない。
「なんとかなるって」
「具体性のない慰めはいらない」
「具体性のある施策を見つけるために、まず気持ちを整えるんだよ」
「わお。具体性」
私の返しにツッコミをせずに、彼は黙った。
日下部さんも柊さんも、文句も言わずに座っているだけ。
スマホの音を拾うイヤホンから、キラリが春灯にかけるあたたかいことばが聞こえてくる。
そして春灯の嗚咽も聞こえてくる。
感情が放出されて、それには嘘がないと、そう思わせるだけの力が嗚咽にはあるはず。
なのに私には、それでもまだ足りないと感じてしまう。
春灯にはもっと、きっと、まだまだ抱えていて表に出せない気持ちがいっぱいあるんだろう。
神力さんは何度も挑んだ。
北風と太陽でいえば、北風のように挑んだ。
いま思えば過ちだったと彼女は語っていた。
ならば私たちは春灯の太陽に、そして太陽に向かえる光になれないだろうかと思うのに。
まず、私が私の不安に押し潰されてしまって、挑めない。
彼女の隣にいけない。
ああ。
八葉くんの言うように、気持ちを整えなきゃ。
その先の準備に進めない。どんな準備をいるのか、考えることさえままならない。
彼女が関東を救ったなら、だれが彼女を救うのか。
そういう相互利益関係のもとの行為でもなし。
地道に、私たちから、こつこつと。そのほかに手はない。
つらいときほど、そばに。
それが友情だと言うのはたやすく、行うのは本当にむずかしい。
学校のなかで春灯と浅からぬ関係にある私たちでさえ、ためらっている。
だれもがわかっている。
春灯をひとりにしておけない。
なのに、だれもが怯んでいる。
どうして、こんなことになっちゃったんだろう。
このわからない事態に耐えて、そばにいる力なんて、だれも当たり前には持ってない。
だったらどうにかしないと。
そう自分を励まして、スマホの通話を切った。
キラリもいずれ気づくだろう。あとは任せて、ただ待つ。
あくびのように、涙に誘われて目に雫がたまっていく。
寒さや風のせいにしていちゃ、いけないんだと思った。
つづく!
お読みくださり誠にありがとうございます。
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