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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!

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第二千七百三十三話

 



 卵料理で例えてみよう。

 調理法は煮る、焼く、痛める、揚げる。茹でるも一応つけとこっか。

 具材は卵だけ?

 それともなにかを足す?

 卵は割る? それとも割らずに使う? その場合、殻はどうする?

 そもそもどの卵にしようか。

 現代現世、日本でよく流通しているのはニワトリ、次いでうずらかな?

 ここはニワトリの卵に限定しよう。

 お母さんいわく出版とお仕事していたとき、なにかがわっと受けると、同じ要素を絡めた企画募集がやまほど集まるそうだ。売れ線がこれ! っていうときには? そういうのが殊更に多くやってくる。

 卵料理で言うなら?

 包丁で切れ目を入れて、左右に開いて中身のふわとろ卵液や、とろとろスクランブルエッグがこぼれてくる。そういうオムレツやオムライスばっかりくる。

 別に出版にかぎらない。異世界転生ばっかりぃぃいいい! なんて言う前に世の中を見渡してみればいい。タピオカミルクティーがはやれば、わっとそれ一色になるし? ローストビーフ丼もはやれば広まる。若者の~なんていう中高年の人もいるけれど、テレビで「これを食べれば健康に!」と紹介された食品が翌日スーパーからごっそり消えるなんてこともある。

 北朝鮮のえらい人みたいな髪型してる男性なんてやまほどいるし、みんな意識して似通った服装にして”きれいめ”に整えてもいる。

 よくあることなんだよね。

 ラーメンで例えるなら、ダシの取り方、化学調味料の使用の有無なんかも流行があるし? 流行なんてさておいて、広く普及しているやり方もある。

 重要なのは奇抜さでも斬新さでも目新しさでもなく、味、そして狙うのなら”広報戦略”。広報戦略として奇抜さや斬新さを取り入れることはあっても、そっちが先にくることはない。なにせ結局、味が悪かったら広報戦略もなにもあったものじゃないから。

 なので、予想できるものにして、期待を超えるものを作る。その期待を味や広報などで上回るなにかが必要で、そのやり方のひとつが「オムレツを切ったら、仲からあつあつのふわとろスクランブルエッグや卵液が出てくる」。

 ただ、もしも百店舗を集めて、百店舗ぜんぶがこのやり方をしていたら?

 味見をする前にめげちゃう。飽きちゃう。うんざりしちゃう。

 それじゃお店側も困っちゃうから、差別化を図る。

 で、どう差別化を図る?

 食べたらおいしいこと、満足できることは大事。

 必要なのは、なんだろう。

 そもそも中まで火が入ったオムレツはダメ?

 スクランブルエッグのように卵液をかき混ぜながて固まりができてきたのちに、焼けた表面で包んでやるオムレツの作り方は見事なもので、自分でやるとすっごくむずかしい。加減を間違えると中身が生っぽくなりすぎるし、火加減ミスると普通に外側だけ火が入りすぎみたいになるし。たいへん。

 でも、それしかない?

 たとえば中身にトリュフのスライスを~なんて、いかにも”高級”っぽいけど、ありふれたアイディアだと指摘されたらそこまでだ。なら、味の変化を中身と外側でつける?

 なんだか迷走してきた。

 ただ、その迷走さえ含めた実態こそが世に氾濫する商品であり、サービスの姿だ。

 なので、ダシはシンプルに王道でっていう店舗もたくさんあるよね。

 豚骨や鶏ガラ、チャーシューの肉、香味野菜などを入れて煮込むダシもあるし、鰹節などを使ったダシもある。貝類を使うところもあるけれど、私が馴染み深いのは圧倒的に前者の動物系ダシだね。

 耳馴染みのない動物でダシを取った、とか。市場に滅多に出回らない珍しい野菜を使っている、とか。

 そういうのよりもなによりも、期待を上回るだのなんだのよりも、まず期待に応える味がほしいから。

 だから予測に応えるラインを”外さないでほしい”。

 しょうゆ、みそ、塩。

 豚骨、豚骨しょうゆ。

 つけ麺なら魚介系とか言うけどさ。

 だいたい、それぞれに期待されるラインってものがあって、そのラインの”中でずらしてほしい”。

 そう考えると、オムレツやオムライスの”ずらせる”ところって、そもそもそんなにない。

 オムレツそのもの。オムライスにおける卵の使い方。ケチャップライス、はたまたライスの構成。

 そのあたりになっていく。

 楽器も、いろんな種類がある。

 だけど楽器に期待するラインから”外れすぎる”と、私たちはそれをどう受けとめればいいかわからなくなっちゃう。

 電子楽器のテルミンは有名で、おもしろおかしな音が出て、とても楽しい楽器だ。ただ、いざ触れるとなると「ど、どうしたら!?」って困っちゃう。すんごく自由でへんてこな音が出るんだ。演奏方法も独特で、手を動かすことで音が変化する。

 これがもう、むずかしい!

 私たちはある程度の”型”を求める。”外さないでほしいライン”を欲する。

 そこから脱却して、逸脱していくものにしばしば戸惑いすぎてしまう。

 テルミンを用いてどうしたらいいのかが、私の中から発想できない。

 それこそあらゆる食材を前に、なんでもいいから作ってって言われるくらい、むずかしい。

 たぶんだけど、ぷちたちに渡したほうが、私よりもとっても楽しくテルミンと接することができるだろう。それくらい、加齢と体験は場合によっては、猛烈なほどに”型”や”外さないでいてほしさ”に執着し、囚われていくよう促していく。

 一般企業の就活で顔に白粉を塗っていく人はいない。髪の毛を染めて、びしっと逆立てる形に固めていく人もいない。リクルートスーツ以外を選ぶ人もいない。

 いろんな牛丼チェーン店があれど、牛肉とタマネギの組み合わせを変えて外しているお店を私は知らない。そこになにかを足すことはあっても、タマネギを引いているお店ってどれだけあるだろう? 牛肉は薄切りじゃないお店って、どれだけあるんだろう。

 一見すると窮屈で、決まりきったものだらけで、代わり映えがせず、それこそクローンがずらりと並んでいるかのような不気味さを感じる。

 でも、だけど、それが私たちの求める”型”であり”外してほしくないライン”なんだ。

 世の中にはオリジナリティこそ重要だ、特別なんだと捉える人が少なくない。でも、オリジナリティは”型”、”外してほしくないライン”を守ったうえで発揮してもらわなきゃ困る。なんなら、料理でいうところの「おいしい」し「楽しい」なら、それでヨシ! まである。

 それってなんだか志が低いような、世界を狭くするような、そういう感覚にさえ陥る。

 でもね?

 メダリストのアニメで光ちゃんの演技を見たんだけど、それこそ世の中に実在する、みんな知っている技を「組み合わせることのむずかしさ」「スムーズに繋げることのむずかしさ」「ひとつひとつを高い技術で行うことのむずかしさ」などのハードルを越えて実現させていたところに痺れた。

 いま具体的に挙げたのは、みっつのむずかしさだ。

 逆にいうと、このみっつのむずかしさを達成するだけでも、もうとんでもなくすごいことなんだよね。

 卵料理でいえば、そしてオムレツやオムライスでいえば、それって「切ると中身があふれてふわとろ」だけで見せること?

 ちがう。

 それができるのもパフォーマンスとしてすごいけれど、あらゆるむずかしさに対する表現のひとつに過ぎないんだ。

 すると、おやおや! なんということでしょう!

 日々のこつこつ、地道で血を吐くような練習だの積み重ねだの、失敗だのが必要になってくる事実に直面する。絶え間ない労力なくして実現し得ないものだという、ごくごくありふれた普遍的な現実に行き着いてしまうし?

 それで芽が出るとはかぎらないという、これまた当たり前の現実にぶつかる。

 なので基礎や応用よりもアイディアで突破しようとしてしまう。

 メダリストだとジャンプで例えてたね。フィギュアスケートではジャンプに華があって注目されやすいから、基礎よりもジャンプを期待する。観客だけじゃない。選手でさえも。だけど、基礎としてダンスがどれほどできるのかって、とても大事な問題だそうだ。基礎を疎かにしちゃったら? 選手として戦っていくのがむずかしくなっていく。

 それだけじゃない。基礎を固めようと練習に焦りすぎたら、成長期の身体を酷使しすぎて、むしろ大会で満足なパフォーマンスに必要な健康を維持できない。身体を壊すような危険性もある。

 なのでダンジョン飯のライオスが「ご飯をきっちり食べる!」、これをすごく大事に考えていたように、日々のこつこつ、地道で血を吐くような練習だけじゃ足りない。健康な生活! 安定した日々! これがもう、欠かせないのである。

 どう?

 ”型”であり”外してほしくないライン”、そのものじゃない?

 トシさんが言ったように、私たちは制限を”利用”して生きている。課しているのでも、課されているのでも、長続きがしない。あくまでも”利用”していく形を維持しないと、まずしんどくて無理。あと、そこで我慢になるとして、我慢したぶん多くの依存によって発散できるならいいけれど、そうできない場合には過酷な人生になってしまう。

 メンタル面での健康と安定なくして、過酷な日々は続けていけるものじゃない。

 もちろん制限を利用するのにも、いろんな依存がいる。

 お金! 不和がないだけじゃなくて、良好な関係性! まずは家族! そして一緒に取り組む仲間!

 その他もろもろいる。

 これらに恵まれないぶん、負荷が増す。

 その負荷と付き合うのも? いろんな依存がいる。

 これもある種の”型”であり”外さないでほしいライン”になる。

 フィギュアスケートだと”年齢”も理由にされていたね。選手を目指すうえでなら、だけどさ。なにせちびっ子時代から始めて競う人たちだらけの中に入っていくとなると、加齢は”型”、そして”外してほしくないライン”という形の枷になる。

 実際には選手を目指すなら、求められる技術に対して必要な経験が多すぎるとか、経験を積むための練習の速度では現状、求められる技術に達するのが困難とかになるし? 言い換えるなら、大会で勝てるようにするのが困難だとも言える。そして実際、いままで蓄積されてきた”行う技術””それを教える技術”は洗練を重ねてきながらも限界を常に抱えている。

 別にそれは競技に限った話じゃない。

 短縮するのが絶対正義ってことでもない。

 練習にも、ティーチング・コーチングにもいまある段階には、ちゃんとした理由などがある。そうなるだけの経緯もね。

 是非や倫理面などとは別に”型”や”外してほしくないライン”には背景や経緯がある。事情も。

 ドラマ「ハウス・オブ・カード」が政治において明らかに意識的に描いていたのは、フランクをはじめとする多くの政治家たちは基本的に「政治家になる」「政治家でいる」ための活動をしている。

 言い換えると、そういうルールのゲームをプレイしているとも言える。

 だからハリウッド映画が扱うろくでもない政治家や、逆に高潔な政治家が語るような「市民、州、国民のための政治をする」、あるいは「私欲を満たす」ためのルールで生きてない。そんな”型”や”外してほしくないライン”で働いていない。

 彼らはなによりも「政治家になる」そして「政治家でいる」ことが重要なのだ。

 そのうえで「おいしい思いをしたい」「利益を得たい」「安泰でいたい」欲求を抱えている人がごまんといる。こんなの別に政治家にかぎった話じゃない。学校のクラスでいじめが起きた瞬間に、こどもだって当たり前に「安泰でいたい」と考えるさ。みんなじゃないとしても、中にはいるよ。

 だからこそ、彼らが「自分のためだけ」「自分たちのためだけ」に働かないように必要な法や制度が必要なのだし、まさにこの法や制度がフランクをじわじわと苦しめていく。

 高慢で強欲で自分のことしか頭にない男が大統領になったとき、アメリカ国民と一口でくくるには多種多様で、うねりのある個々人の集まりにとって共有できる”型”や”外してほしくないライン”って、力はあるけど絶対的ではない。だからフランクは脅かされながらも任期を伸ばそうと画策するし? そのための手段が強引であったり、支配的で加害的であるほど、周囲の人の心が離れていく。

 みんなが期待した卵料理は、材料を人殺しで集め、調理人を拳銃を突きつけて脅して作らせた。そればかりか材料に人殺しという罪を混ぜたし、偽装もした。卵だと味わえる別物で代用していた。

 大統領に期待するのは「国を、州を、そこで生きるみんなの生活をよくすること」ではないか。だけどフランクが期待するのは「大統領になること」であり「大統領でいること」だ。この乖離は、溝は、埋めようのないものである。

 そうなんだ。

 卵料理の話をするときは、卵料理だけに留まらない。

 調理人だけでもない。材料だけでも、材料に関わる人だけでも足りない。

 さっきティーチング・コーチングの話をしたじゃない?

 たとえば調理の技術を習得しても、調理を教える技術は習得できない。

 教える技術は別に習得する必要があって、それはとても困難で大変なものだ。

 人はあらゆる”型”や”外してほしくないライン”を抱えて生きている。もちろん望みや欲求も。その他もろもろね! それらに対する”当ててほしさ””外してほしくなさ”もあるし”型”だって存在する。

 教える、つまり関わるってことは、相手の多種多様な情報、たとえば”型”や”外してほしくなさ”なんかにも関わるってことになる。

 たーいへん。

 毎日の食事を用意すると?

 ぷちたちなんかもう、すっごいよ。めちゃくちゃ言うよ? これじゃない、あれがいいって。

 もうね。言いたい。

 作るのめちゃくちゃたいへんなんだからね!? って。言いたい。叫び散らかしたい。

 それはむちゃくちゃなので、悩む。しょっちゅうね。

 料理を作ってくれたら感謝するーとか、感謝なんてどうでもいいから文句を言わずに食べる、とか。いろんな声が世界中からあがるだろうし? それってしばしば政治的で宗教的でもある。

 もうとにかくいいから食べてくれ、できれば行儀よく頼むってところに、よく落ち着いてたっけ。

 それもまあ、無理な相談なんだけどね。

 ぷちたちはちびっこ怪物だからさ。ははっ。

 はああ。


「これをしたらいいとか、これはだめとかさ。わかってたらいいのに」


 型にせよ、外してほしくないラインにせよ。

 わかっていたら。わかりやすかったなら。

 怯えなくて済むのに。

 怖がらなくていいのに。

 うまくやれるのに。


「ああああ」


 自己嫌悪に陥る。

 なまじハグなんかしたぶん、カナタの名残がつらい。

 すごくさみしくて不安になる。

 恋も愛も結局、多くの作品が語りすぎているくらい語っていて、だいたい”型”も”外してほしくなさ”も類型があるからいいんだ。

 友情はちがう。もっと複雑で、わかりにくい。


「わかってるよ」


 こんなの歪で、歪んでる。

 恋だの愛だの、利用して甘えていて私を正当化している。

 カナタにはできる。だけどキラリたちにはできない。

 私は人じゃなくて関係で見て、選んでいる。

 それに気づいたから、カナタはさっき、ショックを受けていたんだ。

 私もいま気づいた。

 もちろん関係で選んでいるだけじゃない。その人と付き合っている面もある。ちゃんと、ある。

 ただ絶対数は少ないし、それこそ経験値が足りない。

 同年代の、とりわけトモやキラリを相手にしたら、始めるには”遅すぎる”くらいだ。

 でもまあ、この遅さとも付き合っていくほかにない。

 いきなりがらっと変わることはない。

 こつこつやっていくだけである。


「わかってるけどさ」


 小学校六年間は避けられた。

 中学校三年間は避けてきた。

 やっと始めてるんだ。九年分の遅れを抱えて。

 この不完全と付き合うの、割と絶望的。

 うんうんうなっていたら、窓から音がした。見たらキラリがいた。星に乗って座り込んで「あけて」と小声で訴えている。

 膝を抱えてうつうつしていた気持ちが一瞬で吹き飛ばされた。

 金色雲を出して、身体をふわふわ浮かべて窓へと近づく。

 左右に開くタイプじゃない。金色を注いで窓を化かして、引いて開けられるようにして招き入れた。

 冷えた風が吹き込んでくるなか、キラリがぶるぶる震えながら入ってくる。


「夏は暑すぎるのに、十月でこれってどうかしてる」

「ど、どしたの」

「面会時間過ぎてたけど、顔を見たくなって」

「そ、そうなんだ」


 ほらベッドに戻るよなんて言って、私を軽々と抱き上げた。

 ベッドに下ろして、金色雲を両手で散らす。たくさんの星へと変えて消していくんだ。


「で? すっごい眉間に皺よってるけど、どしたの」

「えっ。うそっ、ほんとに?」

「ほんとほんと」


 ベッドに腰掛けて、うらっと私の眉間を人差し指でつついてきた。

 みんなそれぞれ距離感がちがう。当たり前だけど。

 口調は似ていても、トモよりもっとずっと、ためらわずに距離を詰めてくる。

 同じ高校に通うようになって、昔の話もキラリにとってはケリがついて、それから初めて知った。

 別に触りたがりってほどじゃない。それならいっそ、マドカが一番べたべたするタイプだ。そういう時期がマドカにはたまに訪れる。そうでないかぎり、あんまり触れて触れられてみたいなの、ない。トモはそのへんすごくからっとしてる。そういうタイプじゃない。私が床に倒れてたり、しんどくしてたら? 迷わず抱っこして助けてくれるとは思うけど。

 行動の重なりが人を決めるってことじゃなくて。

 うんと。あれ。なに考えてるんだっけ。


「うわ。懐かしい百面相してんじゃん」

「え」

「自覚ない? ほら」


 羽織ったコートを開く。

 本来ないだろうポケットがいっぱい増設されていた。

 外活動用、あるいは調査活動用かなにかのコートなのかな。

 数あるポケットのひとつからスマホを出して、カメラアプリを起動。カメラ向きを変えて、私に画面を向ける。すると、どうだ。顔のいたるところに皺が!


「ひい!」

「弱ってて老いちゃったんだから、いっそ露骨。しかめ面すると、皺が出るよ」

「えっ!? 物理的に!?」


 そんな! アニメ映画版ハウルの動く城のソフィじゃあるまいし!

 心を落ち着かせようと自分をなだめていたら、徐々に皺がなくなっていく。

 だけど、さっきまでの考えごとに思いを馳せた途端にどんどん老いていく!

 なんてこった!

 おまけに皺が増えるほど、表情の変化が露骨にわかる。


「おおおおおお」


 鼻に掛かるような変な声が出た。

 動揺するだけバイブレーション!

 気を抜いたらおほおほしてしまう!


「だれかを犠牲にしなきゃ守れないなら、結果なんかすぐ出さなくていい。みんなで粘らなきゃだめだったんだ。じゃなきゃ、今度はどこまで犠牲を出すかって話になるだけなんだから」

「え?」

「あー! すっきりした。やっぱこれだ。これを言えなきゃだめだったんだ」

「キラリさん? なんの話?」

「青澄春灯に無茶苦茶な無理をさせてごめんって。ううん。わからなかったら、いまはそれでいい」


 私を置いてきぼりにしたまま、キラリは私を抱き締める。

 あばらが軋みそうなくらい、強く。ほんとに折れちゃいそうだ。


「こんな、ごつごつしちゃって。転んだら粉々になっちゃいそうなくらい、ぼろぼろになっちゃって」

「そ、そこまでかな」

「こんなの人にさせちゃだめだ。こんなことも、こんな思いも、だれにもさせちゃだめなんだ」


 つらかっただろ、きつかっただろ、ちゃんと泣いた? って。

 ゆっくりとだけど、強く問われてしまった。

 逃げられない零距離で。

 いろんな型や外されたくないラインなんか、ぜんぶ吹き飛ばすパンチ力があった。

 頭の片隅で、見つけたと声がした。

 あの四小節の続き。

 歪み、縋り、頼りに繋がり、どうしたいのかに向かっていく。

 そんな四小節になる。

 そんな安堵がフタを開けた。

 私はやっと、怖さのままに涙を流した。




 つづく!

お読みくださり誠にありがとうございます。

もしよろしければブックマーク、高評価のほど、よろしくお願いいたします。

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