表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2731/2933

第二千七百三十一話

 



 顔を出してくれたトモと笑いあう。

 褒めてくれたんだ。試行錯誤してるの楽しそうだって。

 なんかうれしくて、いつもそういうこと言ってくれるって言っちゃった。

 またそういうこと言ってと返されて、一緒に「えへへへへへ」って。

 なにやってんだろうね!


「それで? いまはなにやってるの? 作曲を継続?」

「うんとね。四小節に用意した、それぞれの音に合わせた形を模索してるの」


 黄色をドラムに、緑色をベースにして、赤色はピアノのまま、青色をマイクかスピーカーに。

 でも、これだと直球すぎて、あんまり面白くない。

 それに音と形が合ってないでしょ?

 じゃあ、どんな形がいいだろう。グラスをかつんと鳴らした音を加工した霊子は、どういう楽器がいいのかな?


「それを考えてたら、なんかこう、心の音ってどんなかなって横道に逸れちゃって」

「いいね。横道。好きだよ? そういうの。それで?」


 トモってさあ! 私を気持ち良くしゃべらせる天才か?


「まずね? 心を海だと例えるの」

「海ね? 了解。それで?」

「これまでつらいこと、やなこと、しんどいこととか。考えないように、感じないようにしてきたやなことって、我慢するものほど、海の中に沈んでいくの。とてもひんやりした物質として」

「ほおほお」

「で、やなことが積み重なるほど、物質がどんどん冷えて、周囲の海水を凍らせるんだ。しかもショックのたびに亀裂が入って、とうとう海の底から切り離された氷山になって、海面に浮かぶの」

「南極みたいになるの?」

「北極かな! たしか氷だらけなのは北極のほう」

「あ、あははは。まちがえちゃった!」


 あどけなく笑うなあ。

 ちなみに私もよく間違える。

 覚え方は映画「南極料理人」にしてる。堺雅人さんが主演の映画で、日本の南極基地に駐在する人たちがのんびり過ごしている日常を捉えたもの。原作は小説っていうところまでは知っている。

 地面があるから基地があるっていう覚え方。ちなみに北極にも基地はあるけど、日本は所有してないよ。たしかね。


「で、あれ? 氷山が歌うの? クジラみたいに?」

「音とか、メロディー・ハーモニー・リズムがいっぱいため込まれているっていう感じかな。ああでも、クジラみたいに歌うっていうのもありなのか」


 トモの返しに腕を組む。

 氷山イメージだったけど、生き物っていう線もありなのか。


「ほら。ハルが本に敵の霊子を注いだら、それは魚になったって言ったでしょ? コマチの影響かな」

「それもあるかも」


 コマチちゃんは心に大海を宿している。

 あらゆる種類の海生生物を住まわせていて、彼らと行動を共にするという望外な霊力の持ち主だ。

 何度も彼女に助けられてきたし、何度だって魅了されてきた。

 もちろん刺激を受けている。


「その延長線上で魚とかになるのかなって。ちがった?」

「これだって決まってないなあ」


 一瞬、脳裏にあらゆる震動という点と生き物という点とが重なって、あらゆる心臓という異様な着地点に到達しちゃった。

 やばい。心の海に膨大な心臓たち。

 こわいよ。ホラーじゃん。もはや。

 あと、歌う魚たちかあ。

 アリエルとか、リトルマーメイドとか、そういう世界観だよね。だいぶさ。


「ミュージカルはじめちゃうんだね。それこそ、ストレスっぽい」

「え、そう?」

「ハルはちがう? ストレスたまると、頭がそれでいっぱいになってさ。まるで乗っ取られたーみたいにならない?」

「なるかも!」


 情緒的反応が出て、それで心身がいっぱいいっぱいになっちゃうんだ。

 身体的反応だと、なんだろ。飢えを刺激されて、頭がなにか食べたいでいっぱいになる感じ?

 カックンさんの自撮りグルメレポメッセージばりに影響力がある。

 どうして真夜中においしいものを見ると食べたくなってたまらなくなるんだろう。

 食欲やばくね? 負けるよね。毎回。まあ、負けても食べ物がなきゃ食べようがないんだけどさ。

 あはは。

 はああ。


「なるねえ」

「モアナとか、アナ雪とか、歌が始まったらもう、だれも止められないでしょ?」

「たしかに!」


 ミュージカルのパワーだよね。

 インドの映画イコールミュージカルみたいに見られるけれど、ミュージカルキャンセルはさらにキャンセルされがちな印象まであるよ? ちなみに歌わないインド映画もある、はず。


「あれって決まって盛りあがる場面で、わっと決まるじゃない? 戦いで言うなら必殺技だし、映画なら見せ場でしょ?」

「だねえ!」


 よく言うけどミュージカルは実際は「突然歌う」んじゃない。

 フィギュアスケートで言うなら「ジャンプ」に似てる。

 没入して見ていると、よくわかる。

 感情が昂ぶるか、すさまじく落ち込むときに歌が始まる。

 それは表現だなんだ。あくまでも。

 映画なら芝居のひとつ。

 天城越えでいうなら、サビかなあ。あるいは印象づけたいフレーズとかかな。

 だけど石川さゆりさんがあまりにも全体をすばらしく歌い上げて私たちを魅了するように、あるいはメダリストで光ちゃんがすさまじい演技でジャンプがくるなとわかるような間を作らず滑らかに魅了するように、ミュージカルの歌も全体の一部にできる。

 そうはいっても観客は多種多様な個々人だから、百人いたら百人に、一万人いたら一万人に、一億人なら一億人みんなひとり残さず全員に自然に見せるって、相当な無茶だ。

 あり得ないまで言っても間違いではない。

 だからこそ、どんな天才も過酷な練習をしているといえるし、過酷な練習があるということは、演技や滑走、歌の才能だけじゃ太刀打ちできないってことでもある。世界を魅了する天才でも、思わぬ事故、身体の不調であっさり道を断たれてしまう。あるいは遅咲きで天才と褒め称えられることなく実力を発揮して、秀才と呼ばれる人たちだって、ちょっとしたことが甚大なダメージになって続けられなくなるってことも? よくある話だ。続けられるからって、それは永久保証を意味しない。

 過酷な挑戦だよね。実際。

 突然、歌が流れるのが違和感って言われちゃあさ?

 映画やドラマでいきなりオープニングやエンディングの歌が流れるのも違和感だし、もっと言うと恋愛ドラマでよくある盛りあがりの場面で「はいっ! 主題歌オーダー入りまぁす!」とばかりに、大きな音量で再生される主題歌よ。あれも相当な違和感だ。

 むずかしいよぉ。ほんとに。

 でも、たしかに表現のひとつだ。

 なるほどね。ミュージカルか。

 歌にダンス。なんなら、たまに戦いもする。

 アマテラスさまのお屋敷で見たぞ? RRR!

 ナートゥをご存じか?

 踊りによる対決のようであり、交流のようであり、すさまじいシーンの連続だった。

 世の中には映画のアクションシーンを「ストーリーにもなんにも関係がない、ただの動きのあるシーンだ」と腐す人や冷笑する人がいるけれど、それも「そんなことはない」。

 でもって、それがわからない人がいたとしたって「不思議じゃない」。

 なんにでも「それわからない」、その表現として腐したり冷笑したりすることさえ含められるし、含められてしまう。

 そこをカバーして絶対数を増やすみたいなアプローチにご執心な人は大勢いるけれど、ちがう。

 ずれている。

 一日経って、ナチュさんの言葉の味を噛みしめている。

 まずなによりも、自分のしたいことありきなんだよ。表現ってやつはさ。

 「でもそれにのれない人がいますよね」なんてしょうもないこと言う人がプロの現場にもやまほどいる。仕事の打ち合わせでしょっちゅう見かける。

 わかってねえなあでしかない。

 そこをどうにかしてくださいねって、そんなの無理難題なの。

 ずれてんの。とことんさ。

 まずなによりも、自分がどうしたいかなんだよ。

 ミュージカルやるっつってんのに「ミュージカルにのれない人がいますよね」って言う?

 その問いで終わらせるだけのあなたはこの企画に向かないから、早々に外しておしまいだし?

 取引先がそんななら「じゃあよそいきますね」でおしまいだ。

 それくらい初歩的なところでずれている。

 そうじゃないんだよね。

 その表現でなにをしたいのか、なんだよね。

 でもって、これを好きな人にどう響かせよう! って、思いきりやるの。めいっぱいやるの。手を尽くす。制限下のなかで。

 なんでも作れるからなんでも作って、じゃなくて、卵を使って料理してって言うようにね。

 そんなときに「卵が食べれない人もいますけど」なんて言われてもさ。

 「うっせ!」である。

 一方で「だれにでも食べてもらえる卵料理を」って自分でやりたいなら、手を尽くすし?

 そこまでいっても「卵アレルギーの人に食べてもらうことは現状できないし、すべきでもない」ことに変わりはないわけ。でしょ?

 どうせ考えるのなら「卵料理が好きな人に満足してもらいたいな」とか「卵料理が好きな人がもっとたくさんくるにはどうしたら楽しいかな」とかだ。

 そこに戦略がかかってくる。

 メダリストなら?

 ショートケーキ作戦か、苺たい焼き作戦か。

 華やかなジャンプを盛り込む練習に取り組んで基礎が疎かになっちゃうか、きっちり踊れるよう基礎を固めたうえでジャンプ練習をするか。ジャンプが習得できなかったら? 苺なしのショートケーキはだいぶしょんぼり。でもたい焼きは元々たい焼きとして見るし、苺がなくてもおいしい!

 どっちにする? っていう話。

 それは「演技をするあなたが決めること」なんだよね。

 言い換えれば「表現するあなたが決めること」。

 番組にせよ楽曲にせよ、打ち合わせるときの目的は「目標をどうするか」であり「目標に向かってどう戦略を立てていくのか」であって「目標を否定すること」ではないんだよな。

 そこ勘違いしてる人はたくさん見た。一年も仕事してない私でさえ、たくさん見た。なんなら若手の人にも多い。腐したり冷笑したり論破したりして気持ち良くなってる人がね。年配層にもいるけど、若手にも多い。お前、周囲を見ろ? みんなうんざりしてるぞ? ってなりましたよ。

 うんざりしたよ? 何度もね!

 でもさ?

 そういううんざりクソ野郎を私も内に抱えてんの。

 あー、やだやだ。やばいやばい!

 無意識に却下してたよね。

 ミュージカルもありだし、MVみたいなのだってありなんだ。

 海に限定することもないし?

 逆に限定するネタとして海だけじゃなく、ミュージカルやMVみたいなのを加えたっていいんだ。


「ありがと! なんか広がったよ、選択肢がぐっと」


 トモにめちゃくちゃ感謝してから、しばらく雑談したのちにお別れした。

 消化にいいだろうって、持ってきてくれたリンゴスライスがめちゃくちゃありがたかった。

 秒で食べきったよね。コンビニで買ってきてくれたトモに大感謝!

 いろんな人の心の音が知りたい。

 だったら、あらゆる限定に出くわすだろうし?

 私が決めつけてたら「きく」ことができないじゃん。ね?


「ううん」


 ボレロのごとき厳密さを求める表現もあるのだろう。

 癇癪を起こすときって、そうじゃない?

 あれもこれも、こうじゃなきゃいやだし、だめなんだ! ってならない?

 ぜんぶが思うとおりでないと無理じゃない?

 そういうときって、ボレロほどにはろくに作り込まれていない。

 だって冷静に、緻密に、繊細に企てているだけではなく、大勢の人たちが協力して、非常に困難なことをしてやっと成立させている楽曲なんだもの。

 よほど衝動的で、荒削りでさ?

 なによりシンプルで素直じゃない?

 なのに核心を捉えてなかったり、それを表現できなくてつらかったりしない?

 それこそメタルのデスボイスみたいな印象がある。

 みんな私のデスボにヘドバンしろや! 従えや! みたいな感じ?

 魂パンチ。お前らはぶっ飛んでいく、みたいな。

 怒ってるの! だから怒られて! みたいな。

 それじゃボレロを演奏する一団の一員になんか、とてもなれない。


「むむむ」


 ただね?

 我慢がつづくと「あれはこう! これはこう! それはこうじゃなきゃだめ!」みたいなことが増えてかない? あるいは、ひとつひとつの条件を求める強さが増していかない?

 おばあちゃんちの集いで、余計なことを話す身内に激怒するおじいちゃんやおじさんをしばしば見かけたし、日ごろ我慢しまくっているだろうおばさんやおばあちゃんの静かなる恨みや憤怒の強さに周囲の人たちの空気が凍りつくみたいな場面も何度か見かけた。

 ネットで見かけるオタク語りにも、社会問題語りにも、どちらにも似たようなのを見かける。揶揄する側は、いっそ露骨なくらいだ。

 それらを音にするのなら、あるいは表現するのなら、いったいどういう形になるんだろうね?


「いけない、なんでも使えるよになってきた」


 ついつい横道に逸れちゃうんだよな!

 これじゃあ、ますますむずかしくなっちゃう。

 落ち着こう。卵料理から。

 金光星、キラリとマドカと私の三人をイメージした曲に集中しよ?

 いろんなフレーズが乱立して、どれをどう扱うのか定まらないままだと、なにをどう聴けばいいのかわからなくなっちゃう。

 繰り返しが大事。

 メロディー・ハーモニー・リズム。

 繰り返される波形。振動。ちがうな。意図的なものだから、繰り返されるんじゃない。繰り返すんだ。

 ミュージカルの話をしたからモアナに触れると、特徴的なメロディーをミュージカルシーンの楽曲でも取り入れている。劇伴でもそう。音楽は効果的に使うとして、そこも繰り返しを利用している。脚本や台詞だけじゃない。映像の構図だけでもない。

 繰り返しているもの。

 そこにはなにかがある。

 せっかくインド映画の話が出たから何度だって話してきた「きっと、うまくいく」なら? まさに映画の原題の歌が何度も繰り返されるし? あの楽曲のサビは映画の大事なところでBGMとして流れてる。

 星野源さんの恋もねー。っていうかポップス全体がメロディ構成を一番二番でがらりと変えるみたいな印象はそんなになくて。じゃあどこで変化をつけるのかって、歌詞やシンコペーションだったりしてさ? そこに私は夢中だったけど、ハーモニー・リズムまで「きく」をできてなかったしなあ。

 だってやっぱり好きなんだよね。超えていけって歌うものが変化していく物語が。

 繰り返すものも、俳句でいうなら頭の五だけが変化していくのって、心を掴まれちゃうんだ。

 感情の表現なら? それを音で表現するのなら。歌なら? どう変化するのだろう。

 ちがうな。どう表現していくんだろう。その中のひとつとして、どう変化するのかっていうのがあるんだ。

 踊りをつけるのなら、その表現は?

 ナートゥダンスはとても激しくてたいへんなもので、曲の進展と共にみんながバテていく。疲れて倒れていく人が増えていく。それはいったい、なにをどれほど表現しているんだろうね?

 歌うとしたら、通しで歌うときの息の使い方や音の表現の変化で、なにを表現できるだろう。

 こうした問いさえ、まだ早いんだ。

 霊子たちを浮かべて音を聴いてから、何度だって尋ねるの。


「どうしたいの? なにをしたい?」


 題材と意欲が大事なんだ。

 見つけて終わりじゃない。

 掘り下げて、いろんな角度から捉えて、よくよく考えて、もうめいっぱい考えて、捉えたテーマをより鮮明に深掘りしていくの。

 表現そのものにも、それがめいっぱい必要だ。

 その繰り返しを、地味にコツコツやっていくんだ。

 そこまでして、自分の表現を探していくの。その道を歩んでとことん、自分を探していくんだ。

 なのに自分はあらゆるものに触れた反応から、よほど鮮やかに浮かびあがっていくものだから、いろんな刺激がいるんだよね。

 自分だけでいける座標にはかぎりがあって、そこから捉えられるものにもかぎりがあるんだから。

 そのかぎりにもう無理ーってなったら言ってと、ナチュさんは伝えてくれたのであって「私がどうしたいか」は聞かれても困るという。

 それはそう。

 ユーリ!!! on ICEなら、とびきりその「どうしたいか」を主張しているスケーターがいる。JJだ。私は彼がたまらなく好き! みんな好きなのはもちろんだけどさ。翼をもがれたJJも、その前の絶好調の演技で見せてくれたJJも、これまでに「どうしたいか」を表現しようとしつづけていたJJも、みんな好きだ。

 その「自分がどうしたいのか」って、すっごく大事なものなんだよ。

 去年の五月に大暴れしたシュウさんに訴えたかったのって、そこじゃんね?

 あ。

 いままた、私の人生で繰り返しが起きた。

 それで、ぽろっと口からこぼれた。


「私そもそも、ふたりと仕事なしに遊びに行ったことなくない?」


 なんならそれぞれとサシで遊んだことなくない?

 そもそも友達となにするみたいなイメージも経験もなくない?


「おぅ」


 思い出した!

 私ってば中学出るまでぼっちだった!

 ともだちと遊びに行ったことなんてなかったんだった!


「あっはっはっはっは!」


 ははっ。

 わりと泣きそう。


「あっ」


 これなんじゃない?

 どうしたいかもわからないし、なにかしたこともないの。

 洞窟の中にいるんだよ。ほんとにさ。ひとりぼっちの洞窟の中なんだ。

 天岩戸に閉じこもるみたいに。

 友達になったし、親友まである。

 少なくとも私はそう思ってるし? ふたりも否定してないし!

 あ。なんか心が張り裂けそうになってきた。

 落ち着けぇ!


「なのに、どうしたらいいかわからないんだ」


 この四小節は、まさに「どうしたらいいのかわからない」ことを表現したかったんだ。




 つづく!

お読みくださり誠にありがとうございます。

もしよろしければブックマーク、高評価のほど、よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ