第二千七百二十六話
やまほど書いて、疲れたり気持ちが滅入ってきたりしたら、今度は別のことをする。
中学時代にやってきたことを反芻してから、再現することも多い。
自分を守るもの。自分の武器になるもの。自分の思い入れになるもの。
気持ちと繋がるものを片端から集めていくような三年間だった。
増えるばかりで減らないんだけどね。
いろんなタイプに分かれない? ひとつや少数を大事にするか、どんどん増やしていくか。時と場合によって変わることもあるしさ?
いまふり返ると、心に引っかかっているものってそう多くない。
日記。鹿の頭の剥製ことアンドレ。水晶玉に、タロットでしょ? モデルガンとか、模造剣とか。
ほかにもいろいろあるものの、代表なのは、このあたり。
でもさ。
手に入れた。たまに使った。せっせと日記を書いた。これくらいの使い方で終わっている。
極めるとか、遊ぶとか、そういうの、してこなかった。
私にとっては手に入れること、そしてそれらがあることがまず、なによりも大事だったのだ。
なので学生寮に移り、カナタと過ごすことになって大半をおうちに送られたときはけっこうショックだったよね! なんなら未だに根に持っているよね!
ノートにまとめたり、記憶を頼りに金色で再現してみたりする。
これらもある意味、貯蓄なのではないか。
物品にする、物質化するだけじゃない。
記録することだけでもない。
記憶として刻まれていく、そのこと自体が貯蓄になるのでは?
だからこそ私は過去の痛みや苦悩を霊子にすることさえできたのでは。
そのせいで心身に影響が出たのかな。おばあちゃんになったのは、なぜなのか。記憶を利用したせい?
わからない。
ひとまず貯蓄に軸を絞って思案する。
記憶さえ貯蓄になるのなら、記憶に紐づく物品にしたらどうなるだろうか。
魂のありようや関係性を象徴する、姫ちゃんの鍵や理華ちゃんの指輪のように。私たちが御霊を宿して獲得する御霊刀のように。自分から生み出された邪が育ちすぎて黒い御珠になるように。
それらはいずれも貯蓄された物質と見なすこともできるのではないか。
逆に言えば、記憶や魂に紐づくものほど貯蓄に適しているのではないだろうか。
自分を記録する、そういうなにかであればいいのではないか?
隔離世の侍候補生や侍が手にした刀を、本人はもちろんだけど、なによりも刀鍛冶と交流しながら手入れしてもらう。そういう風に、物質にしたものを扱うだけじゃなくて、記憶に残る体験を積み重ねることで、ますます貯蓄されていくのではないか。
ううん! おかると!
普通は私たちの個人的な感傷や記憶に留まるだけ。思い出話の種になったり、経験の糧になったりすることはあっても、そこでおしまい。でも、霊子は異なる。
力になる。
なんなら御霊にしたって、御霊になってくれるみんなにしたって、修行でいく天国だなんだでさえも、記憶や記録の宝庫と言える。
人ひとりにしたってそうだ。
でも、間違えちゃいけない。
まず存在があって、その先をたどるなかに記憶や記録がある。貯蓄された霊子がある。
思い出もそうだ。
貯蓄ありき、引き出す霊子を作る目的ありきじゃない。
まず思い出になるような体験をする。そのあとだよね。
こういうの、単純化すると危ない。
私は失敗や挑戦の大事さを語るように意識しているけれど、一方ではちゃめちゃに傷ついたり、それどころじゃなかったり、失敗や挑戦で深刻なダメージを受けていたりしたら? チャレンジどころじゃないじゃんか。
だから日常をめいっぱい生きられたら、それがまず貯蓄にもなるのだけど。いまの私にそれができるかっていうと、無理。入院してるんだってばよ。身体も心もまだ元気じゃないんだってばよ!
でもって、これまでの経験は? 思い出は? 貯蓄になってるよね。
そのとき、なにかしらの”記念品”があったら? 象徴するようななにかがあったなら?
都合が良いといえる。
写真を撮ったり、動画に残したりするのも? 意味があるなあ。
思い出に残すだけじゃなくってさ? 隔離世の力にもなるんだね。
冷静に考えたら、当たり前なんだけどな。
なんで思いつかないのかって、応用としての術を知らないからだ。
小学生の頃から言われたよ。テストでもさ? 基礎ができてるものほど、しょっちゅう言われた。
応用ができないって。
知らなきゃ応用のしようもないでしょ!
と、昔から思ってきたけどね。
学校なら応用だって教えてしかるべきでしょうと、いまでも当たり前に思うけどね?
興味をもって自習をって、ぶん投げるだけで個別にどうぞって、それどうなの? って思うけどね。
でもまあ、やってるんだよな。
興味があることなら。自分でやりたいことなら。ある程度は。
気力や活力、やる気や興味を欲している。
ちっちゃな頃から、よぼよぼになった頃まで、ずっと。
宿題やりなさいって言うよりも、宿題をやりたくなるようにしてって求めちゃうし? そのノリで先生を悪し様に言うクラスメイトもさんざん見てきた。そんな調子でお母さんやお父さんに文句をぶつけたこともあるし? めげるくらい怒られたこともある!
あと興味を持てるように教えてくれる学校、先生に恵まれることって、そうそうないみたい。塾でさえもそう。運がよければ学校や塾、先生や塾の講師など、環境や関係性が救いになることもある。
自分で行動して、領域を広げていくのが最も手っ取り早くて確実なんだけど、残念ながら、だれもがなんにでも興味を持てるわけじゃない。能動的に行動して、簡単に獲得できるってものでもない。
なんでもできて当たり前なんてことはない。
だからみんなと協力するのだとしても、みんなが協力してくれて当たり前! なんてことはないし? 先生なら、講師ならそれくらいやれや! みたいなのもね。そうなるような態度の人もいるだろうし、ろくでもない人もいるけれど、経験がなかったり足りなかったり、余裕がなかったり、なにかがあってそれどころじゃなかったりする人もいるし? 生活のために働いているだけ、興味をもたせるのはむずかしい、だからそこまではしないっていう人もいるだろう。どの生徒になにがどう響くのかも、実際わからないし。それを無責任だ、やる気がない、能力がないみたいに言うのは簡単だけど、それで望みの状態になるかっていったら、ならない。
つくづくままならないものである。
トシさんやナチュさんが「打ち合わせを消費するだけ」で中傷や悪態をつく担当者にいやな思いをしたって言ってたけど、そういう担当者は、たぶん世の中にごまんといる。音楽業界に限らず。テレビとかのメディアとか、出版とかにも。半沢直樹で見かける銀行だなんだにもね。
大好きな映画で「はじまりのうた」っていう作品じゃ、マルーン5のアダム・レヴィーンが出演している。スターになるぞっていうデイヴを演じているんだ。彼と付き合っていて、彼に楽曲を提供していた女性、キーラ・ナイトレイ演じるグレタが会社からもデイヴからも捨てられる。そもそもグレタは求められていない存在だった。
でもって、ハルクを演じている役者マーク・ラファロ演じる音楽プロデューサーのダンが、グレタに気づく。でも、その前にね? 会社に送られたデモテープを車の中でかけるシーンが流される。ろくに聞かない。イントロで心を掴まれなかったら? もうそこまで。ポイ捨てだ。
自分の都合に合うかどうかが、みんなまず最初にあって、都合に合う人物に初めてコストを割く。
なもんだから、みんなコミュニケーションがケンカなんだよね。
聞かないんだよ。だれも。
人のこと、まともに聞かない。付き合わない。
そこを正当化して「私も聞かない。付き合わない」をやったら?
ろくでもないことになる。
でも、だからといって、だれでもなんでも「聞く。付き合う」をやれるわけでもない。
グレタはダンと組んで、アルバムを作る。その最中にいろいろあってしょげた傷心のデイヴが「グレタ。ごめん。ぜんぶ俺が悪かった。俺たち、やり直せないかな」と言ってくるんだ。浮気しといて。捨てといて。ずっとほったらかしといたくせに。
ぷちたちが真似したら発狂しそうなおじさんの言い方を真似るのなら?
それ、あなたの都合ですよね?
こんな感じになる。
私のこと考えてないよね。あなたがやりたいことに私を付き合わせたいだけでしょ? って。
そうなる。
甘いこと言おうが成功してようがなにしようが、そんな野郎に付き合うかよ! ってね。
デイヴがライブをやると誘ってきて、顔を出しに行く。グレタが作った曲を、さんざんふざけたアレンジで台無しにしてきた曲を、アコギで真っ当に歌うのだけど「ほら。俺、きみのこと大事にするよ。わかったんだ。きみがどんなに必要か」みたいに主張してくるのがもう露骨すぎて。
それでなかったことにする気なの見え見えだし?
ステージ上のデイヴに観客はくらっときてる。ファンの女性たちはもう、まるでセックスでもしてるのかっていうくらいに陶酔してる。酔わせて、夢中にさせるけれど、じゃあグレタは? 観客の女性たちのようになるの? 彼女はもう自分の歌を、自分で歌えるのに。
自分を捨てて、振り回して、浮気もする。そんなろくでもない人間と付き合いたい?
もう、いいよね。
いらない。
私はもういい。
まるでそう吹っ切れたかのように、グレタは笑顔で立ち去る。曲の途中でね。
マルーン5のアダム・レヴィーンが歌うんだから、そりゃ歌はいいよ? 劇伴だって最高。ライブシーンは実際のライブとしてやってるし、観客ももう贅沢な体験してるだけ。でもなあ。それはそれ、だよね。何度もサントラで、ライブシーンのバージョンを繰り返し聴いているとしても、それはそれ。
是非はさておき、話したとて聞いてもらえるとはかぎらず。
よかった思い出がそのままってこともないしさ?
どんなに素敵なものを作ったとしても、手を離れたら、それがどう変化するかはわからない。
夢を見て推した人が浮気や不倫しまくってた、過去の相手との間にこどもまでできてたみたいなことが発覚することもあるし? それが薬物だったり加害だったりすることもある。
スターも実はシモが脳と直結していてだらしない、みたいなことあるし。成功が支配や加害の正当化・責任転嫁の理由になる人もいる。
記憶はそのままだとしても、意味合いが増えたり、あるいは切りかわったりする。
「ただ信じることが、むずかしくなるね」
いろいろ並べてみて思う。
初めてモデルガンを手に取ったときの高揚も、様々な戦争映画やドキュメンタリーを見たあとだと意味合いが増えて、昔ほどただ憧れてはいられない。それは剣も同じ。
こういう態度に浸るだけでもいられない。
なぜって、使わずに済んでいるから。
だからといって無事、何事もなく生きていられているわけでもなし。
人生は生きるほど、行うほど複雑になっていく。
そりゃあ、こんな複雑さをまともに直視しないで生きようとする人が出てきたって不思議じゃないし、単純に生きる術が増えていったとしたってなんの不思議もないし?
それじゃだめだろって、複雑さを複雑なままに付き合う術が増えることや、広まることだって不思議でもなんでもない。
なんであれ言い切れること、そのまま大事にすることなんて、簡単でもなんでもない。
簡単に思えるときは考えないで済んでいるか、雑に済ませているかであって、それって当たり前でもなんでもない。
こんな風に留保をつけてまわっていたら?
そりゃあもう!
ややこしいこと、このうえないね!
「昔の憧れを、そのまま引き出せないかな」
水晶玉をはじめ、いろんなものに触れて思い出そうとする。
だけど情報に、いまの私がくっついてくる。情緒的・身体的反応も、思考も、知識や体験も。
勝手に紐づけちゃう。あれこれ脳裏をよぎってしまう。
ここまで、じゅうぶんうるさかったでしょ?
「去年、シュウさんにシンプルなことを言った私はどこに行ったんだ」
歌ってるときだけなんだよね。
昔からさ。
頭も心もすっきりしていられるのも。
夢中でいられるのも。
私がただ、いまの私でいられるのも。
歌ってるときだけ。
「昔はもっとシンプルでいられたのにな」
好きなら好き。きらいならきらい。
それでよかった。
いいものはいいし、わるいものはわるい。
実にシンプルだ。
でもなー。
もうとっくに、それだけじゃないって思い知っちゃった。
待って?
むしろ逆に、それだけでもいいことってない?
答えや解決がないとしても、ひとまずやっていけるもの。
完璧でも万全でもなんでもないけど、ひとまずやれること。
料理なんか、まさにそれだ。
岡島くんほどじゃないし、お母さんとお父さんほどでもない。でも私なりにやれる。スーパーだなんだがあれば、作れるほどじゃないけど食材を買える。
できないラインにいったときに対応できるかどうかとか。一次産業がいまほんとに苦しいって話と実状とか。もうほんと、それだけじゃないことがやまほどあるんだけども。
今日のご飯をなんとかする、という点においては、いまの私ならひとまず立ち向かえる。
それだけじゃない領域はやまほどあるよね。
一次産業って言うだけじゃ足りないよね。お魚なら適切な漁獲量、漁獲資源の保護とかさ? お米をはじめ農作物とか畜産物とかにしたって、産業従事者がしっかり儲かるよう、だけど私たち購買層がちゃんと買えるよう、適正価格で流通するために必要なことってきっとやまほどあって、いまが適正かっていったら、たぶん、いやきっと絶対ちがう。
どんな産業だって、その手の問題をやまほど抱えていそうだし。
なんかもう。ね。
ほんと、たいへんだよね……。
「生きるのほんと、たいへんだらけだね」
看護師さんも給与が十分でないって話をよく聞くし?
じゃあ労働に適切な報酬をって唱えて終わるものでもない。ちっとも具体的じゃないし。
「やば」
また始まっちゃった。
こんなの積み重ねていたら、そりゃあため込んじゃうって。
私の霊子の主張が強いの、ボリューム壊れてるのって、こういう癖の影響もあるのでは?
「記憶の品を増やす、だけじゃなくて。歌もセットにしたほうがいい? よねえ」
いろいろ浮かんできてしまいすぎるから、シンプルに捉えきれないんだ。
限定していったほうが、むしろいいのに。
「カツ丼を作るっていってるのに、次から次へといろんな料理を出しちゃうみたいな?」
そういう状態に陥っているのだとしたら、やばい。
ちがうんだって。
カツ丼だけでいいんだってば。
オーディションで「この曲を歌ってください」って言われたのに、まるで落語の枕よろしくしゃべりだすわ、歌い出したら歌い出したで踊りまくるわ、妙に癖の強い歌い回しをするわ、ところどころで歌詞を変えるわ、終わりと見せかけて次の曲にいっちゃうわ、オーディション審査員の手を取って踊りに巻き込むわ、手は叩くわジャンプはするわ、みたいな?
そういう暴れ方をしてる。
なんだぁ?
暴れ馬かぁ? 赤色を見た闘牛かぁ?
壊れたスピーカーなのかぁ?
歌えば落ち着くって。そういう怪物かなにかなのかな?
でも私の霊子も、私のありようも、いまのところそういう状態なんだよなあ。
はーあ! やだやだ!
「そういうステージを作る、みたいなことが必要なんだな。練習も」
アマテラスさまのお屋敷で、久々に漫画を読んだんだ。
メダリスト。まだ六巻くらいまでしか読めてないんだけどさ。
なにせ「ユーリ!!! on ICE」がすごい好きだから、おなじフィギュアスケートものってことでびびっときて! もうねー。たまんないんだ。
フィギュアスケートにせよ、アイスダンスもだと思うんだけど、演技を決めて、何度も何度も練習する。演技を構成する技も、構成そのものも。それらを見事に表現できるよう、技術だけじゃなくて身体能力も鍛えていく。なによりメンタル面もね。
それでもまだ、演技のなかでいろんなことを考えてしまう。
選手たちの心情描写、過酷な演技中でさえけっこう賑やかだ。
私のは? もっとうるさい! やかましい! しかも過酷な演技をしてないぶん、余力がいっぱいあるぞ!
愛生先輩を引き留めたくて生徒会長選挙に挑んだときのような、ああいう舞台を作るくらいの気持ちで取り組んだほうがいいのかも。
私なりのカツ丼を作るんだ。
それが私にとっての貯蓄になるのかもしれない。
日記だけじゃなくて、思い出だけでもない。
膨大な練習の日々が、選手たちの演技を支えるように。
舞台を構築して練習することが、私を支えてくれるのかもしれない。
そんな歌とステージ、思い出を集めていったなら、形にしていけるんじゃないかな。
好きになってよかったって。もっと好きになってもいい? って。
中学生の頃の私に足していこう。
高校生で学んだこと。体験したこと。
甘いだけのシンプルさに、現実のしょっぱさも足しちゃうよ?
味見をしながら整えていこう。
集中して、作っていくんだ。
私なりのカツ丼を。
「よし」
ノートを閉じて、新しいノートを出す。
どの体験からはじめようか。
悩んじゃうね?
つづく!
お読みくださり誠にありがとうございます。
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