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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!

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第二千七百二十五話

 



 金色を化かして毛糸にしてから編んでみたり、動画を参考にして江戸組紐に挑戦してみたり。

 やってはみたものの、なにせ私ときたら手先が不器用で!

 見よう見まねで道具を化かして出してみたりするのだけど、そもそも用意する糸自体のできも悪い。

 すこしの負荷でぷつんと切れてしまう。

 大きすぎて調節のきかない出力のせいなのか。それとも化け術の精密さに欠けているのか。

 あるいは私と帯刀男子さまの均衡が取れていなくて霊子の練り方が不十分だからなのか。

 じゃあ、彫刻にでもする?

 カナタとふたりで旅行したときに山中湖の近くにある別荘地で会った彫刻家アランさんを思い出す。

 彼の作品のように、あるいは彼が保管しているあの異質な彫像のように。いっそ太平洋から回収した、あの像のよう、に……。


「あ」


 いまさらだけど、あれはあれで人を利用して作り上げられた貯蓄の立体物とも言えるのでは?

 うわ。醜悪だし、おぞましい。

 アランさんがやばい、なんてことはあるまい。さすがにないよねえ?

 でもな。彫刻も貯蓄に使えるのだとしたら?

 いやさビルさえ貯蓄に使われていたのなら、連続爆破事件の意味合いが変わってくるのでは。

 そして、あのとき爆発したビルだけとは”かぎらない”のだとしたら?

 こわぁいことになる。

 でも、ひとまずそれは置いといて。置いとくために、スマホにメモとして打ち込んでおいて。


「貯蓄、もの」


 もっとこう、馴染んだものはないのか。

 ぱっと取り出せる、そういうものは。

 歌手ならスコアとか、楽曲のメディアとか? なんか、こう、びびっとこないよね。ライブありきじゃん。過激? ごほんごほん。これまで書いてきた作詞とかさ。いや。発想が貧困か? 歌のアイディアになったものの詰め合わせとかでもいいわけじゃん。読んだ本とかさー。

 うすいなあ。

 もっとちゃんと先輩たちにいろいろ話を聞いとこ。もしもいつか戻ることができたなら。

 たくさん残せる、そういう貯蓄のい創造物はないものか。


「いままでで長続きしたのなんて、日記くらいだしなあ」


 ぽつりとつぶやいてから、はっとする。


「いやいや」


 ないない。

 ないって。さすがに。

 それはない。

 ただただ恥ずかしいだけだから!

 読み返すだけで身が引き裂けそうなほどの羞恥心だなんだに襲われるんだから!

 いやでも、それくらい情緒的反応が引き出せている時点で、貯蓄にはなっているのでは? いまへの影響力を持たせられているということなのでは?


「ま、まだ、絵とかあるじゃん?」


 紐セットたちを金色に戻して、大きな画用紙と黒のクレヨンに化かす。

 そして、なんとはなしに、ぷちたちを描いてみようと試みるのだが、ひとりの顔を描いたところで止まった。歪な円、バランスの悪い目、明らかに尖った鼻。どんなに恐ろしい夢に出てきたとしても、一瞬で素に戻るくらいには「絵が下手」だった。

 そう。

 私には絵心もないのである!


「あああ」


 別に馴染みがないならないで、始めてみたっていい。

 今日から趣味にするくらいの意気込みで。

 だけど、いまのところ、ぴんとこない。

 出力の練習と言うのなら、馴染み深い手段がいいのではないか。

 画用紙やクレヨンを金色に戻してから、日記帳をイメージして化かす。

 すると、当たり前のように中学時代にやまほど作った黒い革表紙のノートに変わる。

 書けよと言わんばかりである。

 真新しい表紙に手を置いた。何度も触れてきた。最初はよくあるノートだったし、あとで豪華にしていった。これまで何度もふり返ってきたけど、記憶の細かなディテールよりも「結局ここに戻ってくるのか」という実感のほうが強い。

 いろいろやってきたし、いろいろ成長してきたと思ったのになあ。

 いやいや。

 そんなにいやか? 否定したいのか?

 そういうわけじゃない。

 ただ進歩していない感じがいやなんだ。

 でも、本当に進歩していないんだろうか。

 そもそも進歩していなきゃだめなのか。

 そんなことないでしょ。

 それに進歩の定義が気になるし。変化を言い換えるなら、いろんな変化があり得るし? 変化には実のところ現状維持や変わらないことさえ含まれる。

 話がずれてるぅ!

 出力して貯蓄する。言い換えると、表現しながら記録していくんだ。

 でもって表現、出力において馴染んだ行為のほうが長続きする。

 私にとってよく慣れた手段であることが、私を救う。

 制限が促すんだ。表現を。

 そこに知識と技術が生まれる余地が出てくる。

 知識と技術、なによりも制限下の体験による経験が私たちに再現性や再帰性の担保をくれる。と同時に知識と技術、体験なんであれ、万能でも完璧でもあり得ず、それゆえにしばしば失われていく。

 ひとりで大勢のお客さんをさばいて、早くておいしい料理をやまほど提供できるお店があるとき、店主の知識と技術が次の料理人に継承されるかっていうと話は別。

 いまだと映画館でチケットを見せる。でも昔は駅の改札で切符を人が確認して、一枚ずつ切っていた時代があるという。通勤時代でさえもだよ? もちろん大勢のお客さんを相手にしてね! そういうもぎり技術や知識も、駅員さんが立って多くのお客さんを見てきた体験も、いまやとっくに失われている。雇用の要素が減ったとも言える。

 行動が体験を生み、人々の思考と反芻による分析や言語化が知識と技術の種を生み、さらなる行動によって種が芽吹いていく。

 そこまでいっても知識と技術は極めて多い制限を伴う。

 汎用性の高いものはない。

 だれかひとりと仲良くなれたなら、世界中のみんなとだって仲良くなれるのか。

 無理じゃん? それは。さすがにないじゃん?

 で、話は制限に戻る。

 制限されていく小さな機能単位になるほど、再現性や再帰性を確保しやすくなるし? 制限された方向性のなかで、できることの延長線上で未知や無知を探り試していく。

 レシピもなにもないなか、スーパーのあらゆる食材を使っていい状況下で、料理経験も知識もなんにもない人にお題もなしに料理を頼むよりも? まずお題があるほうがいい。スマホ検索ありのほうがいいし、料理ができる人をアドバイザーに据えたほうがいい。食材だって指定したほうが、ずっと料理しやすくなる。だよね?

 仮にお肉を焼くとして、それは日本の焼き肉? それとも勧告の焼き肉? アメリカはテキサスなステーキ? そもそも、どの部位の肉を焼く? 牛? 豚? 鳥? 羊もあるね。焼くのはガス? 炭火? バーベキューにする? まだまだ世界には、様々な調理法や食材がある。加工も加えると、もっと増える。

 膨大な選択肢の中から定めていく。制限していく。

 そうしてやっと、行う余地ができてくる。

 でも、まだ足りない。

 焼いたお肉をどう食べる? ソースは? 付け合わせに野菜はつける?

 なんで毎日の料理が大変かって、こうした膨大な問いに答えていかなきゃならないから。

 なので「よくやる料理」「いつもの惣菜」「買って済むもの」「考えないで作れるもの」があるほど助かる。

 そうやって膨大な負荷を減らしてやっと、たまに「今日はちょっと、メインのおかずをがんばってみるか」っていう気になる。

 逆に全部の料理を一から用意していくのは?

 骨が折れる。

 やることだけじゃなくて、考えることがたくさんあるから。

 作り置きの料理がなんで大活躍するのかって、労力を減らせる点にある。いわば「お題」や「情報インフラ」「インフラにアクセスできること」、「アドバイザー」や「食材の指定」などに該当する。負荷を減らしてくれるという点ではね。もちろん、それだけじゃ足りない。食卓に出せる料理が既にあるっていう点で、もっと語れる点があるね? そして、その要素は「」で並べたそれぞれのように、ひとくちで語れるものでもない。

 今回でいえば、私の黒歴史日記は「」で並べたものの要素と噛みあう。

 馴染み深くて、よく慣れている。

 料理で言うなら、調理経験ってところかな。

 これは大いに活用したい。ちがう?


「ううん」


 だとしても、やることがなにか。

 具体的にいえば、書くことだ。

 考えるように、そのまま。

 できるかぎり思いを込めて。

 これまでをふり返りながら、整理してみるとしよう。

 金色を化かしてペンにする。ガラスペンにして、インクを出した。

 ぜんぶ霊子で化かしたものを注いだほうが、よっぽど蓄積になる。

 ただ出力としては遅いし限定的に思える。

 書く時間を増やさなきゃ量は増えないし、量だけが記録を担保するのではない。

 量のないところに質はない。

 試行錯誤や挑戦のないところにも、やはり質はない。

 うんざりしながら毎日惰性で作ってるよりも、おいしいものを作ろう、どうしたらレパートリーが増えるだろうとしているほうが、よっぽど量に意味が出る。

 それは調理だけにかぎらない。食材選び、その保管。調理器具や食器を洗うとき。片づけ。

 あらゆることに、量を活用する余地があるし?

 私たち、なんでもかんでも余地をどうこうできるほど、元気でもすごくもない。

 身も蓋もないこと言うけどさ。

 だれもかれもが、そこまではできん!

 なんなら、やりたくもない!


「ううん」


 宙に浮かべたインクボトルにペン先を当てる。

 ペンを引いて余分なインクを落としてから、ノートにペン先を当てて書いていく。

 ここ最近のこと。感情を刺激された内容を、片端から。

 そう思ったものの、気づいたら「怖いこと」と記していた。ならばと箇条書きで、思いつくかぎりの怖いことを書きだしていく。

 どんどんのめり込んでいく。

 書いても書いても、なくなることがない。

 なによりも安心して出力できるからだ。

 いや。うちの親はどんな話も聞いてくれるし、トウヤですら、そういうところがあるけども。

 言いにくいこと、言えないことってあるし。関係性や環境があっても、活用できるとは限らない。

 なまじ小学生時代に心配させすぎた自覚があるし。だめな子みたいになるの、つらいじゃんか。

 そこいくと、ノートはなんでも受けとってくれるからさ。


「――……」


 鼻歌まじりに書いていく。

 なんでも。思いつくこと、ぜんぶ。

 「わからないこと」と題して書くこともやまほどある。

 ナエさんと行った売店で広げた雑誌にまつわる、えげつなぁい話題もそう。

 創始者から一族経営みたいになってる大手もけっこうあるし、グループ企業における関係性なんかも取り入れたら? そこを把握するのが必須かつ、把握しているがゆえに食いっぱぐれないくらい重要な知識になっている、そんな新聞記者さんさえいそう。私にはさっぱりわからないけど!

 レオくんちは、どういう立ち位置なんだろうか。ミコさんはどうなんだろう?

 主演の性加害報道から紆余曲折があった作品ながら「ハウス・オブ・カード」は政治というよりも”政治家”同士や、”政治家”と”資本家”の政治を描いていた。海外の首脳陣との政治に触れる機会もあったけどね?

 基本的に主人公にとっての政治はさ。

 政治家でいるため。大統領になるため。大統領でいるため。

 そのためのものだった。それだけに閉じていた。

 そのうえでさらに、フィクションが大勢に提示してきたあらゆる能力や責務、倫理などを発揮する余力のある人物なんて、世界中を見渡しても、そうはいないんじゃないかな。

 大勢の助力に依存しながら、なんとか、ぼちぼちやるので精いっぱいだし?

 そんなめんどいことよりも「大統領でいるため」に閉じる人もいる。

 主人公はまさにそういう人だった。

 抽象化するなら「一番偉い立場になるため」であり「いるため」だし?

 残念ながら役職上の偉さを獲得しても、それですべてが思いどおりにできるわけじゃない。

 世論の反発、デモやストも起きる。同じ党の全員が自分に付き従う忠誠熱き存在だなんてこともない。

 主人公と同じだ。

 大統領を目指さないとして「政治家になるため」そして「政治家でいるため」、抽象化するなら「職に就くため」「職を続けるため」に続けているにすぎない。

 ナエさんといたときに並べたえっぐい主義にしたって、そういう主義によってる会社に属したって、だれもかれもが主義者になるわけじゃない。影響を受けないというわけでもない。

 ハウス・オブ・カードにおいては表向きのリップサービスで、それこそ自分の所属する党に向けて大衆が求める有り様を示す。それについての本気度なんて別だ。大事なのは、あくまでも大衆に受けることなのだから。それが嘘っぱちじゃないか、たんなるリップサービスかどうかを報道だけじゃなく、風刺を積極的に行う学識高いコメディアンをはじめ、大勢が批判していく。なので、スピーチライターだなんだをつけるし? それらにはお金だけがかかるんじゃない。多くを求められる。

 「」に並べたものがあればあるほどよく、政治に必要なお金、経験のハードルが増すほど富裕層が有利になる点も批判の的になるし? そういうハードルを乗り越えたあらゆる人々が、そういうハードルを積極的に変えない、壊さない理由も、そこにあると言える。

 民主主義は際どい支柱のうえに立つ、砂でできた城だ。

 ささやかな揺れでも崩れるし、風にも脆い。支柱がひとつでも倒れたら、それだけで台無しになってしまいかねない。だから大勢が維持しようとする一方で、いらねえと思う人たちが風を起こし、地面を揺らし、支柱をなくそうとする。

 ハウス・オブ・カードの主人公は、そのあたりまるで興味がない。政治家でいるため、大統領になるために民衆側でいることをアピールするべく利用しているだけだ。

 彼はアメリカでいう民主党サイドの人だったかな。

 リベラルか、保守か。そういう区分けだけで見ると、見落としてしまう。

 政治家になりたいだけ。偉くなりたいだけ。そのポジションでいたいだけ。

 そういう人たちの目的や意欲、手段を。

 売店で述べた保守への批判と嫌悪だけど、じゃあリベラルに問題がないかって?

 まさか。保守と同じく、大きな批判点がいくつもある。

 保守にもいろいろな領域があるようにリベラルにも様々な領域がある。

 自由主義、リベラリスト。

 性自認や性嗜好の解放を訴えながら「性自認が女である」として、女性だけの領域に入っていけるという認識でいる人がいる。もちろん困る。周囲にとって、その人が痴漢なのかそうでないのか判別がつかないし、実際に痴漢目的で方便として言う輩が出てきたとして、これを防げない。なのに、性自認を認めないとして攻撃する人もいる。

 たとえば日本において憲法改正に慎重さを示しながら、それと同時に自衛隊に関して明記すべきかどうかにおいて反対する人と、玉虫色に濁す人がいる。日米安保に対する考えも維持か否かで分かれるし、一緒くたにはできない。

 党の中にいる全員がおんなじかって、そんなわけないしさ。

 警察や消防、救急や医療などのドラマじゃ、キャラクターを明示的に分ける。

 たとえば、そうだな。

 規律正しい厳格なリーダー、経験豊富なベテランでリーダーの右腕、ニヒルで皮肉っぽいけど仕事ができる頼れる厄介者、冗談が多くて不安定な軽いやつ、みんなの調整役でフォローで忙しい人、みんなを振り回す自由奔放な問題児の新人。

 仮に彼らが仕事をちゃんとやるとしたって、もうこれだけいろんな人がいると? トラブルがしょっちゅう起きる。

 学校や職場で会う人がここまで露骨にキャラ分けされてるわけない。ただ、みんなちがうのは間違いない。ハウス・オブ・カードにあるような「なにかになりたい」「なにかでいたい」だけの人もいれば「あれをやりたい」「これだけしていたい」っていう人もいる。

 他者の内心や軸を読み取るのは困難を極める。

 私たちはなぜフィクションの類型化にほっとするのか、いやもうそんなの通り越して当たり前になりすぎていて、それに麻痺しているのかって。そりゃあ理由はいっぱいあるけど、そのなかのひとつとして、膨大な食材で「お好きにどうぞ」がしんどいからだ。

 ああ、あなたはそういう人なんだねって早くわかるほうがうれしい。

 そういう感覚を学ぶから、私たちは学校や仕事で「私はこういう人です」と示していくし? 相手や状況に応じて変えていくし。

 それらが個人によるのだから、当然「できる」と「できない」、そしてふたつの間にある膨大な距離のどこかに位置して、苦労する。合わない人がいるし、合わない共同体や環境がある。

 ハウス・オブ・カードにおいて主人公は、是非もなく大統領になりたいし、その立場でいたいから、相当な無茶をする。大勢の「できる」と「できない」の間をかき乱して、揺さぶり、時には積極的に攻撃したり脅かしたりする。

 みんなちがうからさ? 基本的にうねりがあるんだよ。

 同じじゃないんだ。それが自然な状態だとさえ言える。

 新聞各社で憲法改正、あと首相の靖国参拝とか、自衛隊に関する議論などにおいて常に意見を異にするのは、まさにそのうねりの現れだと言える。消費税にまつわる議論も、それこそ経済政策に関する話題においても、一致をみない。

 ちがうから、それでなにしてもいいって話じゃないよ?

 なに言ったっていいって話でもない。

 ただ、まず、うねりがある。

 このうねりについてどうするかも? 人による。

 書くだけ、仕事をこなすだけの人もいれば、映画「新聞記者」で報道に挑んでいた記者のように「ジャーナリズムの達成」を目的に励む人もいる。

 トシさんやナチュさんが教えてくれた過去の苦労話に「時間を取って、まだこれからのバンドと打ち合わせる」場で「商機に育てる」ことを目的にする人を、彼らは期待した。だけど実際には「仕事だから、時間を消費して若くて名もない連中の相手をする」だけの人が大勢いたそうだ。そうなれば必然、失礼なことを言われるし、バカにされることもやまほどあったそう。

 私だってトシさんやナチュさんの言うように「せっかく時間を取る」のなら、その時間を「次に繋がるものにする」ために手を尽くす。

 だけど現実には、そこまでやる気のある人は、そうそういない。

 時間を割いてもリスクにしかならない。面倒なだけ。

 そう考えるなら? がんばる意味がない。

 それこそハウス・オブ・カードで大統領にまでなっておきながら「大統領でいられなくなる可能性がある」から、政策に消極的になって国勢を悪化させる主人公のように。

 興味も意欲もないのだ。

 私も現状、政治や経済についてはお手上げ侍。

 いまの知識と技術で挑むには足りないことが多すぎて、現状、興味も意欲も持ちきれていない。

 レオくんなら把握していそうな経済界の仕組みだ関係性だなんだもさっぱりだ。

 真壁さんたちと仕事しているときに、そのへんの話がちょっぴり出ることはあっても、おじさんたちも基本的には「さっぱり」っぽい。

 限定していき、できることを増やしていく。

 それはしばしば、できないことややらないことを後回しにしすぎる。

 そして、なにもしないことを正当化・責任転嫁しすぎる。

 そのままおじいちゃん、おばあちゃんになっちゃうことだって、きっとざらにある。

 それでいいのかっていったら、まあ、よくはないよね。


「んんん」


 インクを足して、書き込んでいく。

 考えが尽きることはないけれど、感情が行き場を見失う。

 だれも確かになんて生きられないなかで、余裕や余白はむしろ、その曖昧さを許容するように働く。

 良くも悪くもずるさを伴って私たちは生きていく。

 関心領域を区切りながら、問題を認識しながらも、広げきれないラインを広げないままにしておく。

 そんな風には生きられないと気づいて動きだす人もいるし、動きださない人もいる。

 その曖昧にするずるさを内心で嫌悪しながら、なのに切り離せないことにうんざりする。

 余裕や余白があるときはむしろ、気にしないくせに。

 気にしないでいられるのに。

 そういうの、ハウス・オブ・カードで主人公が大衆的であることを主張するためにテキサス流のリブステーキだったかな? を出している個人店に通うのと同じ匂いがする。

 とても身勝手で矮小な匂いだ。

 でもなあ。同時に問いたい。

 私はなんでもできると思ってるのかって。


「かくにん、かくにん、と」


 ちがう。

 ハウス・オブ・カードの話でいうなら、大勢の力を借りてぼちぼちやってくかどうかだ。

 それにはまず、自分から始めるか。あるいは既に始めている人に手を貸すか。

 そんでもって、どうにかする対象になにをどこまで取り入れるかだ。

 新聞とテレビの話題や、売店で見たような雑誌のえげつなさが今回の事件に関係しているのでは? と疑うのなら、レオくんや姫宮さんに知恵を借りたり、ミコさんに聞いたりするのがいい。

 書くときって、同時に読んでもいる。

 文字を見ながら思考が伴走する。

 なので、癖に気づく。


「ほしがりさんめ」


 できるできないで考えちゃうだけじゃない。

 なんでもやるべきだと設定しすぎる。そこを軸に考えすぎる。

 そうじゃなくて、自分がなにを求めて、なにを目的にするのかから考えよう。

 じゃないとさ?

 いまの私はスーパーマンやアイアンマン気取りで、おまけにそれで世界中のあらゆるすべての問題を解決できるし、そうするべきだと思い込むような感覚でしか物事を捉えられなくなってしまう。

 そういう癖がある!

 その自覚がある!

 手を借りるようになってきたけど、まだまだ足りない。

 この癖をなんとかしないと、私はいくらでも病んじゃうぞ?

 むしろ手遅れまであるぞ?

 うわっ、こわい!


「まとめると?」


 私はどうやら引っかかりを感じているみたいだ。

 いろんなことが起きた。社長たちが現れてから。

 それらとの関連性を疑っている。たぶん。いまさらすぎるけど、改めてね。

 なにせ、ほら。

 爆発したビルも、ある意味では霊子の貯蔵に使われていたとしたら。あの夜に見た大勢の人たちが利用されていたのだとしたら?

 あの男だけじゃできるはずがない。

 それに社長たちが関与していたくらいじゃ間に合わない。

 もっと長い年月をかけて、大勢が関わってきたのではないか。

 そうと知ってか知らずにかはわからないけれど。

 と、なると? そんな無茶苦茶な規模感での出来事なら、資本だなんだの介入があったと疑っても、そうおかしくはないと思うんだけど。

 どうじゃろ?




 つづく!

お読みくださり誠にありがとうございます。

もしよろしければブックマーク、高評価のほど、よろしくお願いいたします。

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