第二千七百十五話
戦地と化した東京の夜が濡れていく。
耳につけたイヤフォン、雨合羽の下、制服のジャケットに入れた無線機が伝えてくる。
青澄春灯が歌い、術を用いて何者かの悪意を祓っている。
命を削るような行ないに思えてならない。
「ふっ!」
「キラリ!」
「一匹いったぜ!」
仲間たちの声に気を取り直して身を翻す。
見上げると、いた。
上空に飛び上がって両の拳を振り下ろそうとする牛頭が。
焦らずに刀の切っ先を向けた。直ちに出した星をいくつも刀に重ねる。それだけで刀身が伸びる。飛び降りる牛頭が自重と共に切っ先に貫かれていく。足を肩幅に開いて重さに耐える必要があるが、ふわふわのクリームにナイフを突き立てる程度の抵抗感しかない。
所詮、現実に巨体というわけではないのだ。自分たち隔離世の侍の刀とて、現実の刀ではない。
教師や学生らの説明では、そういうことになっている。
でも隔離世では手応えを感じるし、いまだってまるで抵抗を感じないわけではない。
このちぐはぐさがどうにもすっきりしない。
雨のせいにしよう。
そう区切りをつけた。伸びた刀身に貫かれた牛頭の身体から、小さな星が散っていく。アニメやゲームのエフェクトかよ。そうツッコみたい衝動に何度も駆られる夜だった。星がある程度でていくと、牛頭の身体がみるみる萎んでいき、怪物になる前の人の姿を取り戻す。スーツ姿の男性が落ちてくるので、両手を伸ばすのだが。
「よっと!」
リョータが飛び込んできて、自分の前で男性を受けとめた。
ずっとこれだ。怪異にされた人物がこと男性であると、必ず割って入ってくる。
地面に男性を寝かせる彼についついきつく当たる。
「だいじょうぶだってば」
「成人男性を受けとめたら、腰をやっちゃうかもしれない」
嫉妬しているんじゃないのかと何度も浮かぶのだが、耐えている。
口をつぐむ私の代わりに彼は意気揚々と語る。
「雨が効いてるね。連中の動きが鈍ってる。小鬼は完全に止まったし、爆弾は萎んでいく」
「消えるほどじゃないわね!」
魔女が空飛ぶホウキから下りて、こちらの腕に抱きついてきた。
ユニスの膝が笑っている。別に歩き回っているわけでもないのに。
ホウキにつけた座椅子に長時間すわっていて、それこそ腰でもやられたのだろうか。
あるいは上空を飛び回り続けて身体がすっかり冷えてしまったのか。
それも仕方がない。
みんなすっかりずぶ濡れだ。
カッパじゃ間に合わない。
結局、濡れる。
こんな雨の夜に空を飛んでいたら? 濡れるに決まっている。
「ううっ。さ、寒い。交代はまだ?」
「いまは二十三区の救助と掃討戦の真っ最中。最低でも一時間は粘らなきゃ」
「長い! 授業よりも体感時間が!」
「あんたはいつもでしょうが」
こちらの魔女、授業中に眠気としょっちゅう格闘している。
予習復習をして成績は凡。実に親近感が湧く。
がんばってもどうにもならない。たとえば授業時間を変えることはできない。
「おーい! コマチたち、ちょっと待って!」
「いいわね。水生生物を使役する人は」
ユニスが恨めしそうに見やる。
リョータが呼びかけた先、ビルから出てきたコマチについていくように上層階のガラスから様々な魚類が出てくる。のみならず哺乳類もちらほら混じる。シャチやイルカなどだ。それよりも目を惹くのは、向かい側のビルの中からはみ出てくる巨大なシロクジラであり、道の至るところを泳ぎ回るサメたちだ。
二十三区を目指す移動中も、区内に到達してからも、あらゆる戦闘において八面六臂の大活躍。
それもそのはず。小鬼や肉腫、怪物を食らうのだ。容赦なく。一方的に。
それでも巨大ビル群が目立つ場所では移動に時間がかかるし、被害も目に見えて増えていく。
だからなのか、護衛にトラジがついていながらコマチはただただ先を急ぎすぎてしまう。
みんな、どこかタガが外れかかっている。
比較的平静に見えるのは星蘭の生徒のごく一部で、他は教師も生徒も似たり寄ったり。
倒した相手の腹に乗り、顔面を殴りつづける怪物を何体も見た。癇癪を起こしたように普通車のボンネットを何度も蹴りつけている怪物もいたし? 加害は性的なものも含め、多種多様だった。やたらに膨らんだ餓鬼がひたすら飲食店で吠え続けている、なんて場面もあり、ただただ気圧された。
なまじ刀や霊力で対処できると知っているから、関わらなければならず、感情を味わう暇もなく次から次へと移動しつづける。こんなのどうにかなってしまう。
何台も乗り捨てられた車を見たし、車内で怪物になり赤子を相手に叫び続けるろくろ首なんかもいた。
早く解決を。
早く解放を。
彼らでも被害者でもなく、まず自分たちを。
そんな気持ちがいくらでも湧いてくる。
あたしたちは一年の後半に転校してきた組として慣れ親しんだ顔ぶれでチームを組み、幸いにして結んだ縁も鍛錬の成果も、霊力も並みじゃない。
だから先陣を切って、いまは新宿区に迫るところに位置している。
それでもまだ、ろくに侍隊と合流を果たせていない。
雨が降って、敵の動きが目に見えて鈍くなったからこそ、欲してしまう。願わずにいられない。
でも、それだけでいいのだろうか。
無線からは現状報告が絶え間なく続いている。地域の解放を知らせるものも多い。
春灯の術が二十三区に差し掛かってからは、状況を知らせる人の息継ぎの暇さえないくらい。
無茶苦茶にすごいことをしている。
雨に救われたと感じた人が感謝を告げている、そんな場面さえ僅かな時間に何度も目撃している。
ビルから出てきた人々も、雨を浴びながら歓声をあげるのだ。
「雨の下にいたら無事らしいぞ!」
「みんな、早く外に!」
年配のおじさんが積極的に呼びかけるなか、若手の社員たちが続いて出てくる。
雨に濡れたほうがいいらしい、なんていうデマさえ飛び交っているようで、だれもが傘も差さずに両手を広げていた。
よほど恐ろしい夜だったのだろうし、救いを求める気持ちもわからなくもない。
なのに、空恐ろしいものを感じてしまうあたしはどうかしているんだろうか。
これほどのことを成し遂げてしまって、あいつはだいじょうぶなのか。
そんなことばかり気になってしまう。
こんなことしたら、死んでしまわないか。
この夜を切り抜けるために、あいつの命が犠牲になる、みたいなことにならないか。
いやな予感が膨らむばかりだ。
雨自体は狛火野の霊力で、あいつの出す雨雲はいつも広範囲に広がるものだから、そこは正直心配していない。だけど、春灯が出てきて術を使うまでにも狛火野は雨雲を出したし? ここまでの現象はとてもじゃないが引き起こせやしなかった。
「荒ぶるなにかを鎮める巫女の舞いと歌ってところ?」
「いかにも青澄さんって感じだね」
ユニスもリョータも呑気なことを言っている。
「敵の術がなにかを突き止めて、それを解除するってんだから脱帽だわ。よくできるよな、実際」
「でも彼女の術だけじゃ、ぜんぶは処理できないからさ」
「そうよね。どうせならそこまで期待したくなっちゃうところだけど、屋内が相手じゃね」
ふたりの話にユニスも加わり、好きに語っているが、あたしは気になって仕方がない。
春灯が狛火野やマドカの力を借りて術を使っているとして、それはあくまでも屋外にのみ影響をもたらすものだ。それでも十分、敵の関東中に張り巡らせた術か魔方陣だかの影響をなくすことができるそうだけど、屋内に発生した肉腫爆弾や小鬼、怪物まではフォローしきれない。
そこは未だに侍たちのお仕事。
万能でも完璧でもない。でも、いいんだ、それで。
いまほど人数が揃った状態で臨める態勢があるのなら、むしろもっと力を抜いていい。
じゃなきゃ、それこそ死んでしまいかねない。それくらい望外の力を出し続けている。
病み上がりなのに。
ずっと寝ていたのに。
起きたら、また?
どうしてそうも犠牲になりたがるんだ。
どうして、あたしたちはそれを止めないし、止められないんだ?
報告を聞くかぎり、順調に指示通りに救助と退治をできている部隊はそう多くない。そのうちの一部隊である自分たちでさえ、この雨の奇跡をもはや「あるべき支援」と見なして、どこか弛緩し始めている。
「みんな、気を、引き締めて!」
立ち止まりはしたものの追いかけてこないあたしたちに業を煮やしたのだろう。コマチが怒鳴る。
あわててリョータたちがコマチのそばへと向かっていくなか、あたしもユニスと共に先を急ぐ。
コマチはきっと、あたしと同じことを考えているにちがいない。
そう感じた。
「こんなの、きっと、続かない! これほどのこと、できちゃう人ほど、心が限界なんだ!」
たどたどしく、だけど必死に絞りだすようにコマチが感情を吐きだす。
どうしたって、あたしたちは編入学するときの彼女の強さを、その危うさを連想する。
そうだ。あたしたちは知っている。
霊力が具体的に特定の結果や影響をもたらすほど、霊力の持ち主が危うい状態になっていることが多いと。コマチがそうだった。アリスもそうだ。
ちなみにあいつは特に霊子に敏感なものだから、早々に怪物たちの影響を受けてか、それとも敵の術の影響からなのか、とても立っていられる状態じゃなくなり後方で休んでいる。
「でも、この雨がいまは必要だよ」
リョータが言ったことにコマチは口をつぐんで身体を震わせた。
いけないって、たぶん言いたいんだ。そんなことないって。
あたしたちはここに来るまでの間に見てきた。倒した怪物や小鬼の数はもう数えられないほどだ。
春灯の雨が降るまでは、体力と気力を持てあました怪物たちの相手に手こずった。何度も部隊単位で交代して休息を取らなければ、ここまで移動を続けられなかった。
それが、どうだ。
この雨ときたら。
なんの心配もなく進める。
敵の攻撃も見てから避けることができるくらいに鈍い。
肉腫爆弾が生えてくることもないし、小鬼が群れを作って襲いかかってくることもない。
せめて、この騒ぎが収まるまでは。あたしたちが東京の安全を確保するまでは。
だれもがそう願い、期待している。
「じゃあ、いそ、いで!」
コマチが言葉につまって、それでも吠える。
急がなきゃいけない。
結局、そこに縋ってしまう。
いますぐ飛んでいって、あいつを止めたほうがいいんじゃないか。
緋迎先輩なんかに任せず、あいつ自身に委ねずに。
迷う。
あいつがどんなに願っていようと、縋っていようと。
みんながどれほど頼っていようと、求めていようと。
この夜がどんなに最低最悪で、この暴力まみれの東京を止められるのだとしても。
止めたほうがいいんじゃないか。
「キラリ、行こう」
なのにあたしはみんなと先に進んでしまう。
そこら中から血なまぐさい匂いが漂っている。
そばにある車のガラスが血まみれで中が見えない。
雨が洗い流すまでにはまだ時間がかかる。
なによりも自分が頼りたいし、縋りたい。
この雨に。
あいつの命に。術に。なにもかもに。
もしも、これほどの戦闘を止める術があるのなら?
どうしたら、求めることをやめられるんだ。
あちこちに流れた血が。何年、何十年と引きずる体験をした人たちが。数えきれないほどある、たったの一夜に。どうして、止められるんだ。
あいつが大事で、それだけじゃだめ?
そんな願い星がたったひとつあるだけでよかったのに。
やまほどの願いを見てきて、怯んでしまう。
「いまは行こう」
リョータに背中を押されて、先へ進む。進んでしまう。
悪夢は夢よりも長く重たいのだ。甘い願いよりも生臭い願いのほうが後を引く。
いつだってそうだ。
つづく!
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