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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!

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第二千七百十二話

 



 レビュー内容は変わらず、建物は変化しても彼らの要求を満たすことはできない。

 当たり前っちゃあ、当たり前だ。

 不満を潰しきることはできない。

 満足を増やす、とにかく加点を集める方式で挑んでも?

 そもそも彼らの状態は決してよくない。情緒的・身体的反応の険しさが噴き出る状態にある。身体がバラバラにされた状態で固定されたんだから。生きているのかどうかも本当はよくわからないんだ。

 なので正直かなり、むずかしい。

 条件を彼らから探して「こうすればいいんだよね」をやるんじゃ、届かないし間に合わない。

 大体、私の好きがそこになくちゃなあ。指標がなくっちゃさ?

 どんどん狂ってく。

 お化け屋敷を用意したのに「暗くて怖いから直して」って言われたり、あるいは「迷うからわかりやすくガイドして。それかタブレットで地図をちょうだい」って言われたりして、どっちにも応じる改変をしたら? そのお化け屋敷は怖いんだろうか。どきどきひやひやする? お化けが出てくるポイントが地図に書いてあるようになったら、それってどう?

 私の求めるお化け屋敷じゃない。

 だけど、そういう改変をしてしまいかねない。

 楽しいことしたいなら、どんなのが楽しい? わくわくする?

 ゆったりのんびりしたいなら、どういうのがいい? くつろげる?

 自分の選択をして、そこに向かっていけるようじゃなきゃ無理だし、仕事はしばしば「あなたはそれでも、こっちは無理」と言われる。人と関わるうえでもそう。

 ぷちたちなんかしょっちゅうだ。ぷちたちの間でも、私との間でも。

 ちっちゃい頃の私も、さぞ親やトウヤを振り回していたことだろう!

 だれも思うとおりにはならない。

 三体の中国版じゃ、いろんな文明で謎の現象を突き止めるためにあれこれ試すなかで、人間演算機械を使う場面がある。国民から兵士までっていうくらい、膨大な人数を並べて、旗と笛なんかの指示に従い、一定の動きをするように訓練。それによって、膨大な演算を人力で行っちゃおうという、めちゃくちゃ脳筋な挑戦だ。でも、なにせ回路じゃなくて人力なので、ちょいちょいミスが起きる。すると、どうするかって? ミスった人をその場で殺して、入れ替えていく。

 そんな無茶な。

 実際、うまくいかないんだ。この試みは。現実にできるはずもないし。

 どうにか現象を突き止めよう、自分たちの思うようにしようとする。人類サイド、科学者たちも。彼らが右往左往する目になっている仕掛けを行った側も。

 綱引き状態。

 でもって、どっちもうまくいってないし、ままならない。

 そのオチを示すように私が見た映像化部分では、蝗害のバッタたちを映す。殺虫剤、火で焼いたりなんだりしてきたけど、連中はいまもしぶとく生きてる。人類をバッタに重ねたっていいし、蝗害を制圧することのできない人類を相手サイドに重ねたっていいし? 発展を続けていると見なしたっていい。

 ままなるものじゃないけど、それは生きることに足を止める理由にはならないし?

 それゆえに私たちはろくでもないことも平気でやらかす。

 三体の警察もなかなかきわきわなところあるけど、もっときわきわなところを見せる警察や検察を描く作品は日本にもけっこうある。

 あいつがやったにちがいない!

 いついつまでに犯人をあげろ! できなきゃ終わりだ!

 こういう縛りが現場に生じると、頭脳は大人、身体はこどもな名探偵少年が言う「真実はいつもひとつ」よりも「あいつが犯人」で「いついつまでに自供させる」がマストの正しさになる。真実は二の次、三の次。「あいつを犯人にする」にすげ変わるまで時間の問題となる。朝から晩まで、ろくな休憩も挟まずにエアコンもない場所で食事も水も与えずに、延々と自供を求める。日本で起きることだ。

 こうして冤罪が発生する、と。

 ベッセルの言うように具体的な行動が問題。ほんとに、つくづくね。

 だから受けとる感想もあれば、受けとらない感想もある。

 ぶっちゃけそこは自由じゃん。お互いにさ。

 なので、問われるのは私をどこまで表現するかであるし? 届く感想のきつさは漏れなく否定されてるように感じもする。全体からみてごくごく僅かなレビューの数は、それ自体が辛辣に響く。

 どんどん都心が近づくにつれて、改良の成果が出てレビューが増えていっても、やっぱり不満ばかりが並ぶなら「そもそもこんなの、もう見てやるもんか」とへこたれてもいく。

 対象が万単位、五桁じゃ終わらず六桁、七桁になっていけばレビューの総数も二桁から三桁、四桁へとどんどん増していく。五桁になる頃にはもう、流し見確定まである。

 映画「Burnt」、邦題「二ツ星の料理人」じゃミシュランガイドの星に人生の歪みがますますおかしくなっちゃった凄腕だけどやべえシェフの人生が描かれる。彼ならもっと、私よりもレビューに荒ぶるだろうし? レビュー以上に自分の味、料理に荒ぶるだろう。

 彼はキッチンの支配者で、王さまで、やな奴だ。とことんダメになっちゃうまでの彼はもう、絶対君臨者って感じ。だれもかれもを自分の思いどおりにしなければ気が済まないし? 言っちゃえば、三体の演算で思いどおりにならないヤツを公開処刑するかのように、みんなの前で罵声を浴びせる。

 ちなみに現場マネジメントで現代じゃ百害あって一利なしのパワハラ行為として認識される行ないだ。注意はふたりで。褒めるのはみんなの前で。これはよく見かける話だね。ふたりで話す流れを工夫しないと「あいつこれから怒られるな」ってみんなにバレちゃうから、そのあたりのフォローも腕の見せ所。

 そのあたりの感覚がまったくないのが彼。名前はたしか、アダム。ブラッドリー・クーパーが演じている。ドラッグと気の強さ、自分が一番でなきゃだめで、思いどおりにならなきゃ気が済まないタイプ。

 とても真面目で頑固ともいえる。みんなこれくらいやってしかるべきだと厳しい基準を持っているし、その目は自分にも向いている。問題なのは、彼はそれを押しつけることが「正しい」し、みんな「従うべきだ」と思っているところ。

 そんな人にとって「自分じゃ決められない」、なのに「みんなが信用し、価値基準に利用する」という権威性をミシュランが困りながらもビジネスに利用してもいるガイドが持っているところ。あるいは、みんながミシュランガイドに期待しているところだ。

 ガイドの星はシェフには決められない。

 だからなんとしてでも三ツ星がいる。三ツ星がいるんだ。そのためなら、なんだってやる。

 これこそ「正しい」。

 三体で謎を突き止めるのが「正しい」から、役に立たない人を「殺す」ように。関心領域においてナチの親衛隊になり出世と人生のため、家族のために「いかにしてヒトラーや上層部が気に入る虐殺方法を提示するか」、それができれば「望みどおりになる」、この「正しさ」にまい進するように。アメリカに保管されているフィルムにあるように、連合軍が解放した収容所のありようを近隣住民に見せたり、収容所で生存した人たちや、亡くなって山積みにされたもののごとき遺体の数々を撮影して「残す」ことが「正しさ」になるように。敗戦が確定して、せっせとあらゆる書類、あらゆる責任の所在などの詳細を指示のもとに焼いてしまう、この世界の片隅にで描かれた現場のように。

 おじさんお仕事ドラマで不正も悪も「会社のため」なら「正しい」として押し通されるし。ドラマになったチェルノブイリ原発事故では、機械もヘリも原発にアプローチできないとき、軍人らという「機械がいる」として押し通されるし。

 正しさはいつだって足りない。

 支援・資源・関係性・環境をどうにか歪めて、頼ったり甘えたりするために暴力を振るい支配して、そうやってなんとか、それっぽいことをするまで。その動機としても、やっぱり足りない。正しさは足りないんだ。

 私の施設も。

 彼らのレビューも。

 敵の術も。

 悪辣に感じるのはさ? 足りないし不十分であることを踏まえて、彼らの術や魔方陣は負荷をかけ、生じる不足や不満を肉腫爆弾を出す原動力に利用しているところ。

 でも、それってある意味、三体の演算器みたいだし?

 あるいは私の魔方陣みたい。まあ、私のはビル型だけど。


「これで、最後だね。千代田区? どこよりも集まりがいいね」

「うん」


 気もそぞろに返事をする。

 私の魔方陣は影響力を持ち、彼らの魔方陣もまた影響力を持つ。

 影響力には影響力を。魔方陣には魔方陣を。

 それだけで案外、回路に利用されたパーツは変化するのではないか。

 相当綿密な配置をしたって、彼らを思いどおりにできるはずがない。負荷や暴力を用いた支配を行っているとして、それこそ演算器みたいな無茶をやまほどしていそうだ。

 そう考えると、私の魔方陣も彼らのありのままを受け入れているとは到底言いがたい。

 本来なら爆撃直後の野戦病院みたいな惨状になりそうだもの。

 私が受け入れられる、言い換えると要求している状態に”彼らを変えている”。あるいは敵の魔方陣のように”強要している”状態だ。

 自然とはほど遠い。

 ありのままなんかじゃない。

 そこに気づけば気づくほど、諦めきれない。

 なのに怖くてためらう。

 野戦病院みたいな状態になったとき、私には為す術もない。

 死を待つ人たちが出てきたら。傷だらけで瀕死の状態の人たちが出てきたら?

 鍵で巻き戻せばいい、なんて話じゃない。なのに治療することができない。

 ほら。私の都合がここにある。「正しい」ほどわかりやすく明快な答えではないものの。

 レビューを見るまでもない。

 アダムが自分の料理に嘘をつかないし、つけないし、つきたくないように。

 私も自分のありように嘘をつきたくない。つけない、つかないとまではまだ言えないけど。

 そこが実際、要だ。

 アダムにとっての料理みたいなものが大事。

 関心領域に出てくるナチ軍人にとっては自分の職務であり、家族であり、妻であり、みんなとの生活だったし? 彼の妻にとってはアウシュヴィッツの壁越しにある新居での素晴らしい生活であり、こどもたちであった。オッペンハイマーでいえば原爆開発と仕事の成就、女性関係であったりした。それらにだいぶ遅れて、妻との真摯な生活であったり、兵器を使わない世界であったりに続く。オッペンハイマーも、彼を恨み復讐したルイスも、関心領域の夫婦も、自分の正しさに執着したり、選択した正しさに一喜一憂したりして、それじゃ足りないものや、切り捨てたもの、あるいは過ちの手ひどい仕打ちに遭った。

 それで地を這うような生活になったとしても、一発逆転はない。

 ないんだ。そんなものは。

 アダムは友人の伝手を頼り、再起を図るけど、様々な幸運があっての再起であってさ? シェフに戻れずにくすぶって沈んでいく人たちも大勢いたろう。それじゃ映画にならないから、描かれないんだろうけどさ。そういう人を映画にしてる作品も、実はある。「スパーリング・パートナー」。欧州チャンピオンのスパーリング・パートナーに志願して、引退に向かう人の映画だ。

 年齢が壁にならないジャンルは世の中にごまんとあれど、若さを求める人のいるジャンルもまた世の中にごまんとある。そしてどちらもしばしば重なるし? 実績が詰めずに苦しむ人も大勢いる。勝てなかった、勝ち続けられなかった、負けた、負け続けた、そういう人が大勢いるんだ。だけど、それでも人生は続くし? 残念ながら一発逆転はない。

 宝くじに当たるようなもの。

 そのジャンル、あるいは業界の先陣を切るのは、まさに宝くじを当て続けるような剛運がいる。そして、その剛運を支え、繋がる支援・資源・関係性・環境もね。

 だれもがそれに恵まれるか。あえて説明するまでもなく、否だ。

 アダムにおける料理の腕が伴わない、あるいは伴っても周囲のレベルが高すぎたら? やっぱりだめ。人や周囲に恵まれなかったら? もちろんだめ。それでも身体を張って中年期をも長く闘い続けたボクサーが、若手のチャンピオンの練習相手になる。十分な報酬が得られる。それさえあれば、娘の望む音楽学校のお金を支払える。

 そういう、もろもろのままならなさと付き合いながら進む人生って、ごまんとあってさ?

 このボクサー、スティーヴでいえば四十九戦中、十三勝三十三敗三引き分けの戦歴。アダムでいえば破綻を来したあとのどん底。そういう、認めがたいけど、現実として存在する事実をどうするのか。

 答えは出ないし、恐らくない。なのに人生は続いていく。あらゆる苦境と共に。いまに及ぼす深刻な影響をもたらして。

 その「こんなのもうむりだ」っていうものと共に生きるの、たぶん、ありふれたことだ。

 ありふれていながら、だれもがいつでもできてるわけじゃないし?

 でも、なんとかやりくりしてる人がたくさんいるんだろう。

 その力が欲しい。知りたい。

 あるいはみんなと分かち合えたらいいのに。

 それができたら、せめてそれさえできたなら?

 私はみんなのありのままを受け入れて、みんなが休める場所とか用意できるんじゃないか。

 勇気がない。それは出すしかないだけ? ぷちたちと過ごすときに身体も心も重たくてたまらないのに「やるかぁ」と腰を上げざるを得ないときみたいに。


「あめ玉も記録できる? せっかく収集したのに、術を解いたらなくなるようじゃ無駄骨だ」

「それは、なんとかなると思う」


 ファリンちゃんに答えながらも気になってしまう。

 叶えなきゃならない、叶えるべき願いがある。みんなを助けること、救うこと。

 元の状態に戻すこと。

 ハッピーエンドには欠かせない条件だけど、既に私は思い描いている。

 そんなの無理だろうって。あまりにも手遅れだったって。

 それを正しさにしてしまうようで。彼らを見捨てるようで。

 なにか術はないのか。

 それとも私の願う正しさが彼らを逆に傷つけ、苦しめるのではないか。

 わからないんだ。

 妖怪や式神にするみたいな、そういう術を使ってしまえば、とか。聖歌ちゃんの霊力が癒やすことに繋がらないか、とか。あれこれ考えずにはいられないのだけど、彼らの望むあらゆる結果に対応しきれるのか。まったくもって、わからない。

 その無力感が、レビューにちくちく刺激される。

 無力感は私の問題に過ぎないのだけど、私には重要な問題なんだ。

 ああああああああああああああああああ!


「ぜんぶ、ぜんぶなんとかできたらいいのに」

「寝言だ」

「辛辣だね?」

「そう? なんともならないことにやまほど出会いながら、みんな生きて死んでいくの。大昔から、遥か未来までずっと、それだけは変わらないの。遠くの国で今日の食事のために少女が身体を売るしかなく、少年が銃を撃つしかない現状を変えられる? 無理。食べ物を買えずにおむすびを盗んだ老人の人生を救える? 無理。居場所がなくて倒れて亡くなった女性を救えた? 無理」

「それをよしとしちゃ、だめだよ」

「そうだね。だから、いまこれからをどうにかしようと生きることはできる。でも、ぜんぶは無理。世界中のぜんぶもね。身近のことだけやればいい? それも無理。社会運動が必要な場面なんてごまんとあるんだから。実際、世界は足りないことだらけなの」


 彼女の言葉のほうが、私のそれよりよほど地に足がついている。


「足りないことを足りないなかで、足りないなりにするんだよ。だからぜんぶなんとかは、無理」


 思うようにはいかない。

 なにかしら、足りないことがついてくる。

 その足りなさは私やだれかにとっての致命的な出来事だったり、取り返しのつかない傷や暴力になったりするのだろう。時としてね。


「その足りなさをどうするのかが大事」


 エージェントの言葉を聞きながら考える。

 他者に押しつけて、攻撃し、暴力を振るい、切り捨て、支配し、排除するのか。

 アダムはさ。最初、ずっとそんな感じだった。

 でもね? ミシュランの調査員が来たと知ってピリピリ最高潮に達するなか、過去に嫌がらせをしたけどいっしょに働いてくれた親友がソースに大量のからいのを投入してた。あの日の仕返しだっていって。それでアダムは壊れた。酔いに酔って、ライバルだけど見下してて攻撃してきた人の小さなレストランを訪ねて暴れて泣いた。そのライバルに慰められて復帰。

 支配者から、みんなと働く人になっていく。

 その変化があの作品の一番おいしいところだし? ラストがとってもいい。

 アダムは変わっていった。

 自分の思いどおりにならない足りなさと自分で付き合い、料理を通じてみんなと付き合うようになった。不器用で、口下手で、相変わらずキッチンじゃ猛獣のままだけど。荒ぶり噛みついたり組み伏せたりするようにパワハラするのがなくなって、牙を剥かない猛獣になった。

 そんなにいきなり、良い奴にはなれないし、ならない。もう中年だし。

 ただ、足りなさと付き合えるようになった。それが大きな変化だった。

 アメリカドラマをよく見る。

 医療ドラマは多い。

 ERはすさまじい。バスの衝突事故とか銃の乱射事件で運び込まれてくる人たちを前に、ベテランの医師たちがふと素の表情を見せる瞬間がある。そういう演出をしてるといえばそれまでだけど、でも、人に戻されるような衝撃がある。

 次から次へと助けられるのかどうかもわからない人が、痛みを訴えてきたり、あるいは意識がなかったりした状態で運び込まれてくる。ときには家族がやってきて泣き叫び、怒ったりもする。

 ずっと、ただ見ていただけだったけど、いま初めて実感してる。

 怯むような現実を前に、立ちつくす。

 足りないだらけの現実に引きずられていく。

 だけど、どうにかする。できるかぎりの手を尽くす。

 それは軽い言葉じゃないんだな。

 軽い決意じゃないんだ。

 なのに重さに怯んでいたら、ずっと選べないんだろう。

 記録する。魔方陣にできることが、たぶんある。

 でもいま、彼らのありのままを引き出す術がありそうな気がするし、私はそれに心底怯えている。


「七割到達。進行速度が速い。準備して」


 彼女にうなずき、呼吸を整える。

 ありのままに怯えている。

 見たくないし、見ずに済ませたい。

 みんなの真の姿を。陣を構築した連中の暴力の結果を。支配の現状を。

 だからきっと、彼らはありのままを伝えない。

 私の魔方陣の影響は、私の求めによってもたらされているのだ。

 そう気づいてもなお、ためらう。

 過去に飛んで見た死人の山を。海中から引き上げられたオブジェや、私の元を訪ねてきた幽霊たちを。

 そのありようを思い出すようなものを、またしても目撃するのかと。

 ためらう。


「八割。デッドラインまで推定で三分を切った」


 右手を鍵に伸ばす。手の甲に裂け目が入り、左右に引き延ばされた。その隙間に巨大な瞳がぎょろりと浮かび、私を見る。

 帯刀男子さまが様子を伺っている。

 私の選択を見逃すまいと備えている。


「青澄春灯」


 ファリンちゃんが緊張した声を出した。

 どれほど時間を動かしても、私の鍵は”見る”だけ。

 ”知る”ためのものであって、”変える”ためのものじゃない。

 私の鍵はね。でも、術はちがう。


「ビルを収納する」


 手の甲の目が細められた。逃げた、と。嘲り笑うように。あるいは蔑み見下すように。


「同時に金色皮膜を回収。通りすぎるパーツの現状が見えるよう転化を試みる」


 構わずに告げた。

 勇気はない。なにもかもが足りない。

 それでもやると決めた。

 ただそれだけだ。

 どんなダメージを負うのかもわからないけど、やると決めたんだ。

 手の甲の目が閉じて消え去った。

 エージェントが気遣う視線を送ってくるなか、鍵を回す。

 倍速から停止へ。そして、収納と同時に術をかけていく。

 本音を言えば、変わらないことを願った。

 だれもが無事であることを願ったんだ。

 眼下、空中でビルのパーツが分解して穏やかに地面に下ろされていくパーツたちが、その先の身体を取り戻していく。

 目前のモニタウィンドウに表示される光景に、ファリンちゃんが言葉を失う。

 土気色のもの、血を失い腐敗したもの、まるで重機かなにかで轢かれて潰されたものなど、様々な身体が出てくる。炭化したものもあるし、深い刺し傷などが見受けられるものもあった。

 生きていると思しきものは、ひとりも見当たらない。

 ただパーツになっている場所だけは、まるでいまも生きているように血色がよく、傷ひとつ見当たらない。幻肢痛というものがあると聞いたことがある。失った身体の部位が、いまもあると感じたり、かゆみや痛みを感じたりするという。けれど、これはその逆だ。パーツが、その先のあるべき身体を感じているかのよう。その痛みや絶望などを感じているかのようだった。

 見たくはなかった。

 見たくはなかったんだよ。

 それでもこれは、埋められる足りなさで、付き合わなきゃならない足りなさだった。




 つづく!

お読みくださり誠にありがとうございます。

もしよろしければブックマーク、高評価のほど、よろしくお願いいたします。

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