第二千七百九話
ダンジョンの展開・回収を繰り返す。
そのたびに自分のなにか大事なものを削り落としているような感覚に陥る。
必然的と言えるほど自然に私は自己の正当化や責任転嫁を始める。
こんな術を使ったヤツがいけない。こんな魔方陣があるのがいけない。これまで放っておかれていたせいだ。それに、こんなの放っておいちゃいけない。だれかがなんとかしなきゃいけない。私にはやれる。その術がある。止めなきゃだめなんだ。こんなのは。
こんなこと考えるヤツが悪い。実行したヤツも当然悪い。その後片づけ、オチをつけて落ち着けるために私がやらなきゃだめ。ほっといちゃいけない。こんなのさっさと終わりにして、日常に戻りたい。そうだ。日常が待っている。挑むべき仕事、育てるべきぷちたち、私の大事な人生が。
私にとって、それらは圧倒的に正しいものだ。
トップ・ミドル・ロワーのような、それぞれの立場に閉じた正しさのように、一部分におけるものでしかない。
こんなことに悩むのはガキのやることだ。そしてだれもが最初はガキだった。どこかで折り合いをつけるしかない。でなきゃ仕事が続かないか、人生が続かない。
そういう話は刑事ドラマ、それも大人向けじゃ鉄板ネタ。あんまり鉄板ネタなので、逆に陳腐に感じるくらいだ。戦争映画じゃむしろやらない。やる暇なく死んでいく。新兵ほど、呆気なく。
でも実は形を変えて存在している。
あらゆるイデオロギーが。あるいはイデオロギーの形を持った信仰、あるいは妄執が。
野火では戦況が悪化したなか、撤退を続ける大日本帝国陸軍の兵士たちが三々五々に散りながら、現地の人たちや米軍に撃ち殺されていく。のみならず、自軍の兵士たちで殺し合いや奪いあいさえ行う。
こうしたなかで「俺に弾は当たらねえ」と語る男がいたし?
飢えに耐えかねて「人を食う」ことを実践していた兵士たちがいた。
ドラマシリーズ版のハンニバルで出てきた多種多様な殺人者たちもまた、様々なイデオロギーを抱いていた。レクター教授だけじゃない。彼以外にもやまほどいる異常殺人事件の犯人たち、ひとりひとりに嗜好や人生があった。それらが構築したイデオロギーの表現が異常殺人であり、殺す相手への嗜好なのだからぞっとする。
彼らは己のやり方のために徹底して、自主的に思考し、自立して、方法を洗練させて、効率化・合理化し、精度をあげていった。その結果として警察に見つからずに何件もの殺人を行っていた。
ナチもそうだ。親衛隊において、だれもが強烈なヒトラーや反ユダヤ主義の信奉者じゃなかった。そりゃあ、そう。でも仕事で、出世できるなら? 自分の地位や権力、収入の改善に繋がるのなら? どんな仕事と同じように、あるいはハンニバルに出てきた殺人者たちのように、自主性をもって行動していく。ビジネス書で、あるいは自己啓発書で見かける「できる人間」のように。
率先して、いろんな提案をし、いろんな負荷を背負い、解決していく。成果を主張さえするだろう。
それはあくまでも「熱心」な場合だ。
トップであろうがミドルであろうが、ロワーであろうが、様々なイデオロギーがある。なんなら、やまほど混在している。
不正。大辞林いわく「正しくないこと。正当でないこと。また、そのさま」。
正しいとは「物事のあるべき姿を考え、それに合致しているさまをいう」。また「道徳・倫理・法律などにかなっていること。よこしまでない」、「真理・事実に合致している。誤りがない」、「標準・規準・規範・儀礼などに合致している」、「筋道が通っている。筋がはっきりたどれる」、「最も目的にかなったやり方である。一番効果のある方法である」、「ゆがんだり乱れたりしていない。格好がきちんと整っている」。
正当は「道理にかなっていること。正しいこと。また、そのさま」、「実直なこと。実のあるさま」。
こうなると、不正とはイデオロギーのために積極的に行われるもののように感じられる。
でもちがう。
実際に世に起きて発覚する不正のすべてが「積極的に行う」とはかぎらない。
ハンニバルに出てくる殺人。戦争という極限状況におけるあらゆる犯罪、暴力行為だけじゃない。
会社の資金の横領。社内研修における新人女性社員へのハラスメントやレイプ。これらはいかにも積極的な印象がある。だけど、これがもしも社内や組織内、共同体に浸透している、ともすれば一般化した不正行為であったなら、どうか。
大日本帝国、とりわけ陸軍ではなにかあっても、なんにもなくてもとにかくビンタ。ビンタ、ビンタ、ビンタだ。体罰? そんな風には言わない。上官がむしゃくしゃするだけで下士官をビンタする。行きすぎることもしばしばあったが、これを軍内部で問題視する動きはあったか。
仮に昨今でいう第三者委員会が組織されて、これが「問題となり」改めるよう勧告されたなら、こう述べるのではないか?
「下士官への対応は不適切なものであった」。そのために「是正していく」と。
この場合、現場における上官のビンタは「下士官を自らが所属する軍の規範のもと、指導し、人心を掌握するための必要な行為」であるが「過剰な暴力は不適切であった」として、「正しさ」があるが手段の程度が「不適切」なものであったとして、不適切なところを直すという形で主張する。
「ビンタが必要で、それくらい正しいことなんだけど、やりすぎはよくないので直します」みたいな言い分に落ち着く。それくらい、内部にとってビンタの目的は「正しい」。
効率や合理性を求めた結果とも言える。
上官はビンタ以外に術がない。暴力で支配する以外のやり方がない。
これについて大半の人は「それこそ無茶苦茶だ」と感じるだろうし、効率も合理性もなんにもない。
けどね?
ビンタ以外に術がないし、暴力で支配する以外のやり方がない上官たちは、他のあらゆるやり方や、それを習得するのが「非効率的」だったり手間や労力、時間がかかりすぎるかもしれない。だったら非効率的な現状でも、維持したほうがまだ「合理的」。もちろん、こんなの不条理だし? 身勝手だ。おまけにろくなもんじゃない。能力面においても、言わずもがな。
あとビンタ以外に術がないし、暴力で支配する以外のやり方がない上官たちにとって、それが明らかに暴力で、ときにはやりすぎるとしても、それが不正や過ちで道理にも倫理にも劣る行為であったとしても、いまさら正しく指導、管理できるのか。やまほどビンタしてきて、ときには隠蔽さえしてきた状態で。ここから切りかわるのはあまりにもコストがかかるし? 復讐も恐ろしい。だったら現状を維持したほうが、よっぽど安泰だ。だったら? もちろん維持する。身勝手だけど。
おじさんお仕事ドラマみたいな例を出すならさ?
工場の機械や製品の規格が法律違反になったとして、銀行の融資は受けられず、取引先の要求は厳しいまま。だったら、新たな機械の導入よりも、規格を変えるよりも、それらによって仕事のやり方を見直すよりも、なんとか現状を維持したくなる。
すると、やっぱり不正は生じる。
コストを避けて、手間がかからず、面倒を避けるとき、不正が生じるんだ。
なにせ私たちには損得勘定が備わっていて、利益を欲して損害を避けたがる。面倒から遠ざかりたいし、うまい汁は吸いたいし? 勝ちたいし負けたくない。
おじさんお仕事ドラマみたいな例でいくと、古い機械のままだとして、取引先からは厳しい要求がなされるし、品質をもっとあげろ、ただし値段は安くしろと言われるかもしれない。それにはどう考えたって機械を新しく買い換えて、作業フローを見直すなり、あるいは人件費を切り詰めるなりしないと追いつかない。ただ人手はいるし、新しい機械は高くて無理。儲けが出るまで何年もかかりそう。
取引先と接するミドルはこの状況に唸る。トップや別のミドルに相談しても「なんとかしろ」「取引は絶対死守」「でも予算は出せない、そんな余裕はない」と言われる。なのでミドルはロワーに無理を言う。現状の機材で、現状の態勢でなんとか成果を出せ。じゃないと人員整理に踏み切らざるを得ない、みたいな圧をかける。
しんどいのはロワーだ。現場の作業員は場合によっては何世代も古びた旧式で、最新の要求をなんとか実現しなきゃならない。したらしたで、地獄が待っている。なにせ達成しちゃったら、トップもミドルも取引先も「あ、できるんだ」ってなる。実現しちゃったら? 今度はそれがベースになる。先細り確定である。
取引先は取引先の、トップとミドルはそれぞれの立場に閉じた正しさを変えないとき、権力勾配の下へ下へと、支配と暴力の濁流が押し寄せる。割りを食うのはロワーだ。常にね。ミドルにも負荷はあるけれど。正しさという規範でみると? やらかす。
こうなるとロワーはどうにかしてちょろまかす必要が出てくる。普通にやっても実現できない。転職が安定する職業ばかりじゃないし、だれもができるわけじゃない。
そうやって不正が生じる温床ができあがる。
ここまで中原翔「組織不正はいつも正しい」光文社新書、2024年を参考にしてきた。ナチの話題は田野大輔・小野寺拓也編著「〈悪の凡庸さ〉を問い直す」大月書店、2023年より。
問題は閉じた正しさにあるのか。
熱心な仕事や営みの盲目さにあるのか。
イデオロギーにあるのか。
具体的な行動にあるのか。
ひとつじゃない。どれもこれも丁寧に検証するべき内容だ。
この重くて大きくて、とても飲み込めないものをドラマをはじめとする映像作品でも扱っている。いかにも絵空事として済ませるもの。まるで触れないもの。あるいはナチの信奉者やハンニバルの犯罪者たちのように自らの信じるもののために「正しさを成す」もの。
飲み込めないし答えなどないという現実と共に、滅入りながらも付き合っていくもの。
ボッシュは最後のやつが基本形。いつでもじゃないし、全部でもない。家族が絡むと、どんな手を使ってでも守ろうとする。刑務所に手を回して、捕まった奴を殺すよう指示して実行させることさえ厭わない。
それくらい正しさなんて、ずっと、いつまでも変わらず定まるものじゃないし?
イデオロギーのように、それぞれがひとりひとり、複数のものを併せ持っている。
ともすれば矛盾さえする。
ボッシュに便宜を図ったり面倒ごとを押しつけたりしながらも、長らくいっしょに活動してきた署長は自らの汚職や市長選、その立場を守る「正しさ」のために目の前の犯罪や過去の罪をなかったことにしようとする。それが断じて許せなくてボッシュは警察を辞めることになる。
世の中これで回っているという「正しさ」をもって、もしもかつて私が夢で見たように仕事でおじさんやおじいさんへの接待を求められたら? 会社やおじさんたちにとっては、それが「正しさ」だ。
仮に第三者委員会を設けて、局や会社の問題を露わにしたとして、彼らはどう言うだろうか。
「不適切だった」にならないか。
「不正行為を働いていたことに間違いなく、大きな過ちだった」と言えるだろうか。
世の中「対話」という言葉がひとり歩きしてるけど、そもそもそれより手前の「会話」ができない。だれも「聞く」ことができない。みんなだれかに「聞いてほしい」わりに「聞く」ことができない。
「不適切だった」などといって自らの、あるいは自らの属する集団の「正しさ」に執着、依存して、正当性や責任転嫁を試みて訴える者は、特に「会話」と「聞く」能力の欠如を露呈している。
ここまでした批判が全部、いまの私を打ちのめす。
だけど重要なんだ。
批判は。
問題を見つけられない。見逃してしまう。
自分の「正しさ」ないし、自分が利用したい「正しさ」に閉じようとしてしまう心理に待ったをかけて、現状のあらゆる要素を「真に受ける」よう促すんだから。
批判は重要。
「順調だね」
フォローに入るエージェント。心配そうに私を見ている。
浮かない顔をしてしまっているのだろう。顔に出るって、ほんとよく言われるから。
「どうかな」
留保しながら考える。
一方的に集めているだけじゃだめなのでは。
私は彼らの話をなにも聞いていない。
あめ玉にすることは魔方陣の術の仕組みを探る方法であって、パーツそれぞれの声を聞くための行為じゃない。
ダンジョンに必要なものがある。
正当化も責任転嫁もついついしちゃうのが人間だとして、それは自分の行動も、その結果も免罪しない。なくならないし、なくせない。失敗する。それをゼロにすることはできない。
重要なのはコストだけ? もちろんちがう。大事なものはたくさんある。自分ひとりで決められることも、実はそんなに多くない。関わる人がひとりでも増えたら、お互いにってシフトしたいし、できない相手とはやっぱり関わっていけない。それは、お互いさま。
ここまでの全部、みんな、人によってちがうしさ?
だからかつての軍じゃビンタしてた。
うるせえ、黙れ! 俺の言うこと聞いてりゃいいんだ! って。
体育会系と揶揄される人の中に、こういうのを是認してる人もいる。現在も存在する。
言ってわからないヤツには殴るしかないって。
それを野蛮だと咎めることは簡単だけど、心的外傷を負ったり、あるいは傷病によって、または心身の状態から暴れ回ったり、みんなと合わせて行動しなかったり、常になにかしらを責めたりなじったりしているばかりだったり、黙っていられなかったり、いろんな行動に及ぶ人がいたとき、私たちは対応する術をろくに持たない。
いまこの瞬間にもダンジョン攻略を進めて私へと向かってくるパーツが私を攻撃するとして、彼らが私に友好的に接するような術がない。鍵を使わず、彼らの自主性によって止まってもらう術もない。
たまに街中で店員さんに声を荒げる人を見かける。電車移動で暴言を吐く人も見かけたし、痴漢だっていなくならない。街中を歩いていればぶつかってくる人もいる。テレビをはじめ、メディアを眺めるとろくでもないおじさんたちの犯罪や問題が次々に露わになるばかりだ。女性もいるけど、これが企業や政治の問題になるとね。男社会だからさ。男が多いよ。絶対数という意味で。議員なのに差別発言しまくりのやばい人が女性にもいるけども。
そういうのを止める術もろくにない。
高城さんは新人についていろいろ話してくれてたけど、ロワーの中で「こいつ使えない」と見るや全力でいじめる人もいるそうだ。暴力のスイッチが入って「こいつにはなにを言っても、なにをしてもいい」とばかりに接するようになるという。新人たちの集団にもしばしばいる。だから気をつける、と。そういう話も聞く。
あとナチュさんからは取引先との関係性なんて公平でも公正でもないから、やっぱりきっちり問題は起きるので大変だよと教えてもらっている。
正しさで戦ってもつらい。
自己の正当化や責任転嫁なんかのために戦うのは、ろくなもんじゃない。
自分しかいないんだもの。
自分に都合のいい集団やイエスマンしかいないのも問題ありすぎるもの。
ままならないものと過ごしていくんだよ。私たちのだれもがさ。
「決めた」
炎を出して円盤下の高層建築物の各所に休憩所を設ける。
遊べる施設も。娯楽に興じることのできる場所も。
追い立てられる者をはじめ、相手を変えるんじゃなくて、相手が行動を変えられる選択肢を増やす。
壁沿いを移動するときに落ちちゃうなら、途中に滑り台とかクッションとか、地上に向かう坂とかを追加しよう。一方通行だけど、パーツの安全を確保できるように。
いまさらかもしれない。
醜悪な手であることに変わりはないかもしれない。
直接会いに行ける状況じゃないから、ろくでもない試みかもしれない。
それでもどうせ集まってくれるのなら、すこしでも彼らがどんな存在なのかわかるようなことをしたい。
傲慢でも、暴力的でも、醜怪だとしても。
集まったみんなに教えてほしい。
彼らがなにかを伝えられる術も用意しなきゃ。
ノートとペン、タブレットだけじゃ足りない。手が反応できても足がどうにもできないんじゃね。どうしよう。インクをためたバケツと、でっかい紙のある部屋でも用意する?
どうやったら聞くことができるだろう。
自分に刺さる揶揄を繰り返す。聞きたくないか、十分聞いていると思っているかするけど、それよりなにより聞いてほしい。実は。
うう。ずきずきくるぜ。
でも、けっこうあることじゃないかな。
それももしかしたら、ハードルが人それぞれにあって、どういう感じで「聞いてほしい」に付き合っているか千差万別だろうけどさ。
「なにする気?」
「大筋は変えないけど、みんながなにか伝えたいことがあったら、伝えられる部屋が必要だなって」
ファリンちゃんに答えて、私はダンジョン構造に転化の術をかけていく。
伝えてもらったら、それを受けとれるようにしなきゃ。
円盤内に情報が届く仕組みを作ろう。
できればすぐにやりとりができるようにしたいな。
各部屋にモニターをつけて、会話ができるようにする?
なんだかテレビ番組っぽくなってきた!
なにやってんだろね?
やりたいことをやってんだろね!
つづく!
お読みくださり誠にありがとうございます。
もしよろしければブックマーク、高評価のほど、よろしくお願いいたします。




