第二千七百四話
すこし落ち着いて考えたくて、ファリンちゃんと議論する。
議論とはなにか。
大辞林いわく「それぞれの考えを述べて論じあうこと。また、その内容」だ。
では論ずるとはなにか。「筋道を立てて、物事を説明する」であり「とりたてて問題とする」であり「言い争いをする」でもある。
でも言い争いをしてもしょうがないし、意味がないし?
殊更にお互いの話題を問題としていてもしょうがない。
そもそも論とはなにか。
「ものの道理を述べる事。意見。所説」。所説とは「説くところ。説いている事柄。説」だ。ちなみに諸説ではない。ついでだから諸説とはなにか触れると「いろいろな学説。意見」であり「いろいろなうわさ」である。繰り返すと論の諸説は前者だよ?
他にも「意見をたたかわすこと。議論すること」、「「論蔵」の略」、そして「漢文の文体の一。事理の正否について自分の意見を述べるもの」。
最後のがピタリとハマる意味だね。
でも、ここまでたたかわすって出てくると気になってくる。一般化した意味と異なる本来の意味があるのかもしれないから調べてみると、どれどれ? 「力・技などをきそう。激しくやりあう」とある。
ううん。競っている場合じゃないから、やっぱりたたかうはちがうな。
議論やディベートに対する私の定義は、ちがうんだな。
基本的にはね?
事理の正否というよりも、より精緻に捉えたり、あるいは視点をずらしてみたり、見解の抜けを確認しあったり、検証しあったりして、議題に対する知見を持ち寄り、みんなでより深く強く洞察を巡らせることだと考えているんだ。
打ち合わせや話し合いなんかにおいてもね。
じゃなきゃ、ほら。
みんなで打ち合わせや話し合いで話す意味がないじゃん?
競い合いや殴り合いなんて、そんなのよそでやれって話でさ。
仕事だなんだのときに、そんなの持ち込まれると本当に迷惑だ。お仕事はじめて一年に満たない私でさえ、それなりに観測しちゃうくらいだから、けっこういるんだろうけども。
いやになっちゃうね! そういうのはネットの片隅でやってほしい。
というところに思い至ってから、ふと気づく。
「地上で起きてる現象、小鬼に狙われるのが決まって男性で、女性やこどもや老人とか、ホームレスとかさ? 日本に来て暮らしているいろんな国の人とかが狙われてるのって、なんだかわかりやすくない?」
「そう? 日本ってミソジニーやホモフォビアが激しくてマイノリティを叩きたい国民性だと思ってきたけど」
わお! 過激ぃ!
私も否定はしない。でも、全員ってわけじゃない。
ただ、それこそネットじゃ目立つよね。
とりわけ過激なほどね。
現実で言ったら一発でやばいヤツ扱いされるみたいな蔑称やミームもやまほどある。
ファリンちゃんの話を否定しないのは、現にそういう問題を抱えている人が攻撃性を露わにするケースが現に存在していると思しき事件がいろいろ起きているところ。
そう。いるというほど、そこら中に目立つ形でいるんじゃないし、いたとしても自覚がないことが多いし、なんであれ暴力性や差別を伴うことが多いから実に厄介だし?
かといって世のすべてがそうと断じるのはちょいちょいと思うし。さりとて「どうかしてる」と思わずにはいられないことが、しばしば起きるし? 問題を勘定していくときりがないほどで、うんざりしてしまう。あらゆる人がいろんな問題を抱えている。そうやって語ることが、個別の具体的な問題を矮小化するかのようで、それもやっぱり問題がある。
いないってことにはならない。ならないけど、初手で「お前よぉ!」と食ってかかるようだと、それはそれで危ない。危ないんだけど、そう追い込まれる体験をやまほどする人生もまた、現にあり得る。いっぱいね。
怒る人として、忌避する向きがあるし?
話ができない、通じないとして見下したり差別したりするような向きもあるけれどね。
ベッセルの本をはじめ、いろいろ読んでいると情緒的・身体的反応でどうにもならなくなってるのかもしれないと見立てることができるから、さ?
ほんと、たまらない。
で。
「そういう社会だと、やっぱりわかりやすいじゃない? どういうのが問題、こいつらが悪いっていう筋は」
「それがなに?」
「たとえばミソジニーの文脈で、男性側にも女性側にも、いくつかの主流となる説と物語があって、今回の小鬼の標的が男性、怪物化した者が狙うのが女性というのは、いかにもわかりやすいし? どちらの説と物語にも、感情を刺激して争いを誘発するだけの印象を与えられるよね」
「煽動する者が現れたらね」
「出てくるよ」
情緒的・身体的反応が刺激されるほど、脳と身体が記録したものが語らずにはいられなくなる。
皮肉で無慈悲なことに、具体的に加害に遭った被害者だけが刺激されるわけじゃない。
一方的に物語ってなにかしらの依存として活用していたり、あるいは被害はないものの自分の過去の体験のなにかしらを刺激されるケースであれば? 彼らもまた、大いに影響を受けることだろう。
そうなれば当然、反応して、物語る人が増えていく。
その内容がどんなものになるかはわからない。
ただ、関わる人数の母数が増えれば、それだけ攻撃的であったり暴力的であったり、差別や支配によった内容だって増えていく。どんなものだってそうだ。映画やゲーム、マンガの感想だってそうだもの。音楽でもね。洋服や、日ごろ使うものだってそう。
「陣を敷いた何者かは日本の刺激的な話題をあえて選んでいると?」
「それだけじゃなくて、小鬼は潜在的にミソジニーを抱えている男性を狙っているのかも。霊子を頼りにしてさ」
「そして怪物化したら、女性を襲う。だれかが気づいて騒ぎになれば、人々が影響を受けやすくなる。当然、霊子の反応も過敏になっていく、と」
悪くないとファリンちゃんが呟いた。
そして私を感心したように眺めてくる。じろじろと。ぷちサイズの状態で。
「意外と考えてるのね」
「意外とね!」
乗っておけ乗っておけ。
「全員が反応する大きな物語なんかいらない。特定の、確実に反応する小さな物語を使えれば、それでいいんだ」
魔方陣を強いた人ないし人たちは。
それって実際に性的支配にまつわるおぞましい情緒や定義、価値観などによる差別や暴力、あらゆる言動の被害に苦しんでいる人たちへの最大限の冒涜であり、二次加害だ。
人として見ていない。
数として、回路として、エネルギーとしてしか見ていない。
お屋敷でオッペンハイマーを見た。
ルイス・ストローズが過去に侮辱されたことを恨みに思って、オッペンハイマーへの復讐を企てる。ルイスが激して吠えるなかで、広島や長崎への具体的な後悔もなにもしちゃいないし、言及もろくにしていないと指摘する。
でもってルイスが仕組んだ査問委員会でオッペンハイマーはあまりにも屈辱的で一方的な問いをいくつも浴びせられる。そのなかで、彼は問われる。水爆について問題があると訴えたが、原爆ならいいのか。あなたはいつ倫理を意識し始めた? みんながどうか、兵器をどの立場がどんな裁量で使うかという話じゃなくて、あなた自身はどうなんだ? と。厳しく追及されたとき、彼はしどろもどろになり、何度も言葉に詰まっていた。
原爆が使われたあとになって、人は兵器を使うのだと理解してから、やっと彼は後悔した。軍縮を訴えたけれど、もう遅い。使いたい人たちに、凄まじい兵器を渡したのだ。
追求の中で原爆をどこに投下するか大統領らが議論する場に同席していながら、彼は止めなかった。明確に反対しなかった。そのことについても追求された。
広島と長崎で十一万人。投下されたその日に死んだ死者数。時間を置いて原爆が理由で亡くなった人数は二十二万人と推定される。それだけの被害を出しておきながら、原爆はよくて水爆はだめ? と追求されるのだ。
軍も大統領らも「戦争を終わらせる」という大義名分、これ以上ない正当化を兵器に求めていた。
「アメリカ人の被害を食い止める」、「自国の兵士を殺さなくて済む」。
そのための武器を欲していた。
ドイツに落としてやりたい。
日本が降伏しない。本土上陸を成功させても降伏しそうにない。あいつらを降伏させられるだけのなにかを、確実に遂行できるものが欲しい。
京都はだめだ。風光明媚な良い場所だから。
東京大空襲で数万人が死んだ。民間人を大勢殺した。そのことに国民は熱狂することはあっても、批判することは一切ない。空恐ろしいと言いながら、彼らもまた、国民らと同じ感覚でいた。
数万人が死ぬ。そして日本を降伏させる。戦争に勝つ。
まるでケンカで相手を痛めつけて、屈服させて勝つみたいな感覚だ。
国という、人でないなにかを傷つけて、それで終わりみたいな感覚。
被害に数が出る。
でも、その数は決して個別のひとりひとりが、具体的な人生の膨大な情報が何人分存在するという見方じゃない。ただ、数だ。数値でしかない。上限なしのデータを一ドットにまで限定した、実に単純化されたデータでしかない。
原爆が投下されて日本が降伏した後、広島と長崎は原爆の影響を調べにきた米軍と随伴した科学者らがいろんな調査を行った。被爆者の写真も何枚も撮ってあり、日本とちがって公文書の扱いと公開においてしっかりしてる印象のあるアメリカじゃ資料として残っているんじゃないかな。
で、それを当時のオッペンハイマーが見たとする映像を映画で再現していた。原爆を作った科学者らと共に日本から戻ってきた科学者らの報告と写真を眺めるオッペンハイマーは、写真に滅入り、打ちのめされていた。ちなみに彼がどの写真をどう見たのかについては、映像にされていない。
なにせアメリカじゃ原爆はすごい強い爆弾で、戦争を終わらせた英雄であり、最強の武器くらいの認識になっている人もたくさんいるそうだし、軍も原爆による加害がどれほど深刻で残酷なものか描かないよう目を光らせているという。まゆつばだけどね。あってもおかしくはないかな、とも思う。
オッペンハイマーは軍縮を訴えるけど、現実は軍拡路線。これがもう、よくなかった。ルイスの仕返し、ルイスに与した者たちによる冷遇でオッペンハイマーは長らく苦境に置かれた。
ちなみに日本の被爆者らが彼と面会しているそうだけど、やはり、彼は来日しなかったそうだ。ただ、彼は面会のなかで涙して、何度も謝ったという。
彼はかのアインシュタインと会い、話をする。映画で鍵となるシーンとして構成されている。
アメリカにおいては原爆の開発者として名のついたオッペンハイマーは、アインシュタインの警句を思い出す。偉大だが年老いた科学者を招き、メダルを与え、スピーチをさせる。だれもがみな、褒め称え、歓待する。しかし、勘違いしてはいけない。キミのためではない。自分のためにやっているのだと。
そう語るアインシュタインにオッペンハイマーは原爆に至る地獄の釜のふたを開けたことを告げた。
で、アインシュタインはなにも言えずに立ち去る。
このとき、アインシュタインとの会話や彼との交流を心底たのしみにしていたルイスは、オッペンハイマーが自分のことを悪く言ったにちがいない、だからアインシュタインは自分の相手をしてくれなかったし、そのあとも冷たかったと嘆くのだけど、ちがう。
兵器が作られたら、必ずそれを使う人が出る。
投資額が大きければ、絶対に利用しようとする。
それを科学者に止めることはできない。
偉大なことをしたい。
なにか特別なことを成し遂げたい。
だれもがそうだ。
科学者でさえも同じだ。
だれかにとって、みんなにとって認められる偉業を成し遂げたいんだ。
アインシュタインに認められたかったりするしさ?
大統領として核を落とした、だれが作ったかじゃなくだれが落としたかが重要だとしたい人だっているしさ。
みんな、そんなものだった。
オッペンハイマーでさえも。
年老いたとき、そんな自分の醜さや居心地の悪さを解消するのに、年老いたアインシュタインやオッペンハイマーほど都合のいい者はいない。だからアインシュタインは警句を告げた。みんな自分のために、キミや私を利用したいのさ、と。
原爆だって、水爆だって変わらない。近代の兵器群もそうだ。大量に埋まったまま、まだ多くが残されている地雷も。大量に散布された枯葉剤も。火炎放射器も。戦闘機、ミサイル、あれやこれやも。
この魔方陣さえも、そう。
なんなら魔方陣が利用対象に狙ったミソジニーにおける、インフルエンサーなんかもそう。
お金を稼ぎたいみたいな俗なものから、ちょっとした功名心まで。
でも、自分と切り離せるほど私は潔癖じゃない。
私だっていろいろ求めてたし、求めてる。
中学時代のキラリコンプレックスに限らずね。高校デビューだ、最高の高校生活にするんだと意気込んでたときでさえそうだ。
ああ、でも。
そういうとき、人を人として見なくなる。
ううん、ちがうな。間違っている。
いつだって私たちは、人をありのままに見ることができずにいる。
それがむしろ自然な状態で、交流を重ねたり、いろんな労力をもって捉えていくし?
どう足掻いても自分の先入観で埋めてしまう。予測を立てる。そして、単純化したがる。
自分の目的のためなら、たとえば数十万人の被害が出ようとも正当化したり、単純化したままに据え置いたりする。
これってね?
考えないだけで維持できる。
実際、ろくに考えちゃいないだろう。
自分の必要とする要素でしか捉えていないんだろう。
だから言えるんだ。どこに原爆を落とすか、京都はやめようみたいに。
現在の日本で霊子を扱いやすい物語はなんだ? ミソジニーが盛りあがりを見せているのか。じゃあこれにしよう、みたいに。
「だとすると、墓地よりもよっぽど具体的に扱う霊子を選べそう」
「ミソジニーの文脈で霊子が活発になる人ってこと?」
「うん。生きてる人の霊子や邪さえ活用できる」
そう捉えるなら?
爆発する回路のような人体パーツは、特定の霊子や邪を吸いあげて蓄積する装置に見えてくる。
「でも、この陣は用意されてから、それなりの期間、存在していたと予想しているわけでしょ? そんなに昔から、ミソジニー狙いで作られていたってこと?」
「う」
彼女のツッコミは的確だ。
たしかにおかしい。普遍的なものではある。戦後の日本においてはとりわけ、その傾向が強いんじゃないか。だとしても、どうだろう。
長期間、年単位や数十年単位で構築した魔方陣が、これだけのシステムが、扱える霊子や邪を限定しすぎるのって、あり得るのだろうか。よほどのコストをかけるのなら、妥当だろうか。
私には、そうは思えない。
むしろ、システムであり装置であるのなら、どんな霊子や邪を対象にするかを選べるようにする。
パーツ配置とは別に、霊子はもちろん、邪さえも吸いこむ機能があり、充電するように貯蓄する機能があるのではないか。
落ち着け。気持ちが急いている。
もう一度、まとめなおそう。
「現世と隔離世の霊子や邪を吸いこむ機能。吸いこんだものをためこむ機能。それらの機能を魔方陣全体で作動させるための増幅器がいるし。なによりも、ためこんだものを爆弾に変換する変換器がいる。あと、あとは」
頭が熱を帯びてくる。
必死に考えて考えて、それでも掴みきれないもどかしさに参ってきた。
それでも思考を巡らせる。
「干渉を受けると爆発する繊細な陣って、使い勝手が悪いように思わない?」
「う」
私の霊子に干渉されたパーツが爆発したものの、周囲のパーツが誘爆することはなかった。
誘爆するなら関東中を焼け野原にできる、手出しができない爆破テロにもなり脅威だ。
一方で誘爆しないけど、干渉すると爆発するとなれば、大量の爆発物がやまほどあって、いつどうなるのかわからないところが脅威になる。
なんなら後者の場合、魔方陣を構築した側が任意で一斉に爆発させられる可能性だってあるんだ。
制御できるほうが意図がわからず恐ろしいまである。
でも、じゃあ、干渉されたパーツ”しか”爆発しない場合、どうだろう。
魔方陣を修復しなくていいのだろうか。
私なら、修復機能をつける。
数が多くて、しかも下手に手出しができないものが大量にあったなら?
もう避難するしか手がない、のだし。
「現世も隔離世も、大爆発が起きてもおかしくない魔方陣に囲まれてるってこと、じゃない?」
話題がずれてることを自覚しながら尋ねたが、返事がなかった。
ファリンちゃんは完全に固まっていた。
通常なら直ちに現世や隔離世に戻る一手なのだけど、それじゃ足りない。
「戻って知らせて、またここに来て術を試さなきゃ」
「まだやる気なの!? 爆発するんだよ!?」
「離れた場所から金色を通せばいい。狙う対象は、みんな鍵で時間を止めなおせばいい」
干渉したら鍵の術を無視して爆発する。
あめ玉内部での私の干渉のほうが優先されるようだ。
それなら内部で改めて、鍵の力を使えばいい。
「いやでも」
「まだあるの!?」
「相当ややこしい魔方陣だからね」
懸念がある。
というよりも、根本的な疑問と言うべきか。
他者からの霊子の干渉に直ちに爆発するような状態にある回路に、膨大な霊子や邪を吸い寄せてためこむなんて。どう考えても、不安定になりそうだ。なのに、勝手に爆発するようなことはなかった。
短い時間でしか試せていないけれど。
もしも、この魔方陣が年単位、あるいは数十年単位で維持されたものだとしたら?
やっぱりおかしい。
特定の霊子や邪をためこみ、流れても安定できる仕組みがいる。
あるいは外部からの干渉に反応する仕組みがいるのではないか。
考えれば考えるほど、緻密にできてるように思えるのだけど、ならばこそ不思議だ。
こんなものをいったい、どこのだれが、どうやって作ったのだろう?
いまになって作動させた狙いはなんだ。
オッペンハイマーやルイス、ロスアラモスに集まった科学者たち、あるいは大統領らのような野心か。
成し遂げたいなにかがあるのか。
認めさせたい、認めてもらわずにはいられないだれかやなにかに向けて?
わからないことが増えていく。
おかげで未知と無知の世界が広がっていく。
つづく!
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