第二百六十九話
私はびっくりしていた。
士道誠心に入ってきたばかりのキラリの評判が広まっていたのだ。
部屋から出て廊下を歩いてみても、大浴場にいても、食堂に行っても同じ。
どこにいってもキラリ、キラリ。キラリの話題ばかり聞こえてくるの。
それもしょうがないかも。
先輩たちが朝の食堂で特別体育館でやった十組覚醒のための授業の映像を見てたの。それを横目で覗いてみたけど、暴走した女の子を助けるキラリは本当にかっこよかった。走るだけで星が足裏から散ったりするし、それだけじゃない。暴れていた女の子の心に刀を突き刺して、正気を取り戻させたの。
あんなことできるんだ、と驚いたのは私だけじゃなかった。
みんな話しているの。天使キラリは凄い力の持ち主に違いない。転入組がここまで凄かったこと、今まで一度だってあったか? いや、ないだろ。
胸を張る。キラリの手にした力は、キラリの心によってできたもの。
傷つける力じゃない。助ける力を手にしたんだ。
目的が私よりもよっぽど明確で羨ましい。そして誇らしかった。やっぱりキラリは私の憧れの女の子だったんだ。だから素直に嬉しい。
弾む気持ちで今朝は納豆ご飯定食にした。いつもの席に腰掛けると、トモとノンちゃん、マドカが既にいてご飯を食べているところだった。
「ハル、おはよ」
快活に挨拶をしてきたのはトモだけ。他の二人は寝ぼけた顔をしている。
さすがのマドカも朝早くにマシンガンをぶっ放す元気はないようです。
「おはよー」
「それで? 青澄春灯さん、友達の話題一色ですが、心境はどうですか?」
握り拳を向けてきたトモに笑う。
「うらやましいなーって思います」
「ほほう、うらやましいとは……なんでですか?」
「トモもマドカも、もちろんノンちゃんも……刀の力のありようが素直だし。どうしたいか探しているって感じのマドカと一緒で、私も二本の刀で何が出来るのか探しているの」
だけど。
「キラリはただただ助けるための力を求めて、御魂を宿した。名前にぴったりあてはまる素敵な力だから格好いいし、うらやましいなーって」
「なるほどね……でも、ハルには歌があるでしょ? こないだの十組の一件が片付いた後で歌ってたのもすごくよかったよ?」
「んー……あはは」
笑ってごまかす私にトモが半目で睨んでくる。けど答えられない。
朝ご飯に十兵衞が嬉しそうな気持ちを伝えてくれる中、私はぼんやり考えた。
のんびり食べ過ぎちゃった。みんなと解散してお部屋に戻って着替える頃にはもう、とっくにカナタは学校へ行っていた。
一人で校舎に向かって歩きながら、スマホの画面を睨む。
SNSアプリのリプを見た。
『結局素人だよな。文化祭いって見たけどはっきりわかんだね、凡人だって。よくわかんない力で演出してごまかしてただけで、歌は普通だった』
最近、この手のメッセージがたくさん飛んでくる。調べてみたら、誰かが文化祭の私のステージを動画に撮って勝手にアップしたみたいなんだ。
だからって動画から私のアカウント探して、いちいちそんなメッセージを私に飛ばしてくる神経がわからないけど。悪意には違いない。
言い返せなかった。悔しいけど。怒ったりへこたれたりするほど、私はまだ……歌にすべてを賭けられていないのかもしれない。その事実もつらい。
『文化祭終わりました! 会いに来て下さったみなさん、どうもありがとうございましたー!』
写真付きの私の呟きを表示した。そのリプライ欄をスライドする。
『尻尾を触らせてもらったの。ありがとー!』『歌すっごくかわいかった! 気持ちが伝わってくる感じが好きです。次はどこで歌うんですか?』『最高に可愛かったです! 歌ももっと聴きたい』
ポジティブなメッセージにまぎれて、
『ちらっとパンツ見えたwwww だっさいの履いてるし、中身は前から変わってないんじゃね? 白状しちゃおうよ、狂った堕天使さまwwww』『つーか下手。歌う資格なし。話題になってる歌手気取りっぽいけど、ただの女子高生レベルでしょ。話題になる意味がわからない』『死ね』
ネガティブなメッセージもちらほら目立つ。割合としてはポジティブ八に対してネガティブ二くらい。マシなのかどうかもよくわからない。
ただ、凹むなあ……まだ誰にも相談してないけど、カナタはもちろんシオリ先輩あたりも把握してそう。こういうのの対処はブロック一択でしょうか。
あわててあれこれリプ飛ばし返してもしょうがないのは目に見えているので我慢。
ついつい尻尾が萎んじゃう。
最近は意識して隔離世に行った時には歌うようにしている。力を込めて歌うことに慣れたいからだ。
だけど、胸を張って言えるほど歌について根本的な衝動を持っていない。或いは、見つけられていない。
だから悔しいし落ち込むし凹む。
期待して待ってくれている人たちに胸を張れない。
がんばった。だけど……がんばるだけじゃ輝けないのが、歌の世界。
軽音楽部の人たちはすっごくかっこよかった。だけど……別にプロになれてるわけじゃない。文化祭に集まったみんなを最高に盛り上げられても、より大勢の人たちを満足させられる舞台に立てない。
それに、待て。
そもそも、私は侍を目指しているはずじゃなかったか。
金色の侍は……何をすればいいんだろう。
ツバキちゃんのポジティブ変換を頼りたい気持ち半分、自分で見つけなきゃだめという気持ち半分。
ルルコ先輩に励ましてもらったりしたのに、みっともなく私は立ち尽くしている。
キラリは自分の人生の道を見つけたみたい。私はキラリにもうとっくに置いていかれてる。
やっぱりキラリはすごいなあ。私は……全然だ。
気持ちは真っ黒。胸が痛くてしょうがなかった。
◆
ライオン先生が「来週、冬季休暇に入る前に邪討伐を行う」と言ってみんなが歓声をあげる。
けれど私はいまいちのりきれなかった。マドカがもしまたパートナーに選んでくれたなら、しっかり二人で稼ぎたい。なのに盛り上がらない。キラリだって初の討伐任務だ。力になりたいって考えるところなのに、なんでだろう。テンションが上がらない。
今日の私はどうやらダメみたい。そういう日は気分転換するしかないかも。
放課後までなんとかやり過ごして、部室に顔を出す。
シオリ先輩がかたかたパソコンを弄っていた。私が中に入っても無言。
「……あのう?」
「呟きアプリのリプ対策なら、めんどくさいかまってちゃんはみんなブロック推奨」
「ど、どうも」
いや、教えて欲しかったけど。初手でそれですか、先輩。
かなり忙しそうだ。真剣な表情を見るのは久しぶりだった。
「アンチがついたのは人気が出た証拠。ルルコ先輩のアカウントの粘着よりはまだ変態度がマシ」
「そ、それは……ルルコ先輩、大変ですね」
「容姿をウリにしているから想定の範囲かもね。で? なに」
分厚い眼鏡の向こう側にある瞳がどこを見ているのかわからない。
少し薄暗い部屋でディスプレイの明かりを浴びながらキーボードを叩くシオリ先輩の感情がうかがい知れない。
なんだろう。この人はなにを考えているんだろう。
そして……私はこの人になにを期待しているんだろう。
「シオリ先輩……夢って、ありますか?」
「聞く相手を間違えてる。メイ先輩かルルコ先輩にすればいいのに。ボクに聞かれても、力になれる自信がないなあ」
「う……だ、だめです?」
「そうだな……同人ゲー作って、システムコンサルタントでもやりながらオタクコンテンツに関わり続けられればいいや、くらいかな」
少し意外だった。
と同時に違和感を覚える。
胸の中に生まれた気持ち悪さがなんなのかわからず、私はシオリ先輩に尋ねた。
「侍じゃないんですか?」
「……コナと一緒にいられれば、別に他はこだわる気がないな」
一瞬、どういう顔をすればいいのかわからなかった。
「まあ、ルルコ先輩が会社を作るみたいだから。そっちなら公務員じゃないし、副業できて便利だなーくらいには考えてるけど」
「ほほう……」
「でもハルちゃんの言う夢って、そういうことじゃないよね。なんか違うって顔をしてる」
どきっとした。違和感を言い当てられた気がして。
シオリ先輩はパソコンではなく私を見つめていた。
「なりたい自分でも見失った?」
なぜか。シオリ先輩に見つめられるだけで身体中が冷えるような、そんな錯覚を抱いた。
「……そ、そうかもです」
「よくあることだよ、そんなのはね……」
棚とかで隠れがちな窓の向こうに、シオリ先輩が視線を流した。
すごく憂鬱そうな声だった。放っておけないと思わずにはいられないくらいに。
「シオリ先輩?」
「好きな人と一緒にいたら、見えてくるよ。たまにはカナタとデートでもしてきたら? 外出できるようになったんだし」
「……はあ」
「じゃ、出てって。三年生の要請で調べ物をしている真っ最中なの。ちょっと集中したいから」
「す、すみません」
「いいって。わがまま言ってるのはこっちの方……大丈夫。見つかるよ、ハルちゃんなら」
それじゃ、と言うなりこちらが声を掛ける間もなく、シオリ先輩の手が忙しそうにキーボードを叩き始める。
その音に背中を押されるように、私は急いで部室を抜け出すのだった。
◆
カナタを探して歩いていたら、廊下でキラリたちと出くわした。
なんの準備もしてなくてきょどる私を見てキラリが苦笑いを浮かべる。
「春灯、どうした。その顔はなに」
「あ……えっと、今日はちょっぴり落ち込みモードで」
「ふうん。これから美容室行くところなんだけど……ごめん。かなり大事な先約なんだ。帰ってきてからでよければ、話きかせて」
じゃ、と言って立ち去る。金髪の女の子や不揃いの髪の子、色黒の男の子にぼさぼさ頭の男の子。ナンパそうな男の子が笑って「またねー」と手を振ってきた。
あれが十組。転入生だけで作られて、入学初日でみんなに追いついてきた人たち。
たぶん、みんな凄い素質を持っているんだろう。
それに、途中で学校を変えるなんて簡単な気持ちでできることじゃない。
夢とか目標とか、ちゃんともっていそう。
「新しい学校で素敵な青春が送れますように」くらいのふわふわした気持ちで士道誠心という特別な学校に入った私より、よっぽど強い気持ちを持っているんだろう。
「……」
胸の中にある御霊は二人とも静かにしている。タマちゃんのため息に似た呆れが伝わってくるけど、何も言う気がないみたい。十兵衞も同じだ。
私は何者で、どこから来てどこへ行けばいいのか。
そんな問い掛け、前ならしなかったのに。
私は何をしたいか、いつだってよくわからないままに体当たりで乗り越えてきた。
だけど状況に流されているだけでは限界がくるんだ。
文化祭のことだってそう。カナタが考えていてくれて、コナちゃん先輩が気遣ってくれて。軽音楽部の人たちが観客席の空気を作ってくれたし、楽しもうとしてくれた人たちがいたおかげで乗り越えただけ。
私の歌の力じゃない。
「下手とか、勘違いするなとか……そんなの、わかってるよ」
呟いた瞬間、泣きそうになった。胸がすごく痛くてしょうがなかった。
自分を苦しめる言葉が鎖のように私をがんじがらめにして、ずたずたに心を切り裂いてくる。
両手で目元を拭う。それだけのことに必死になって、なのに気持ちはどんどん膨らんできてしょうがなかった。
不安で、いてもたってもいられない。誰かに大丈夫って言ってもらいたい。そんなの求めるくらい心は弱っていて、気がついたら走りだしていた。
生徒会室へ。カナタがいるなら多分そこだと思って。カナタがいなくても、コナちゃん先輩やラビ先輩、ユリア先輩がいるはず。ひっつかなきゃ、自分一人の熱がどんどん冷めて死んじゃいそうだった。
だから。だから。
「おっと……ハル?」
生徒会室の手前、階段から出た私を廊下にいたカナタが受け止めてくれたから、涙の衝動を堪えきれなくなった。
求めるタイミングで誰より先に出てきて助けてくれるカナタがどこまでいっても私の王子さまなんだ。
しがみつく私を見て、すぐにカナタは抱き締めて頭を撫でてくれた。
言葉なんてちっともでてきてくれなかった。へこたれて、落ち込んで、だけど何もできずに私はカナタに泣きつくことしかできなかった。
その衝動がおさまってすぐ、カナタが私の手を引いて生徒会室にいれてくれた。
「あら? どうしたの、緋迎くん。来週の準備のために――……待って」
中にいたコナちゃん先輩が言葉を句切って、私のそばにきたの。
それからぎゅって抱き締めてくれた。カナタとは違う、けど優しさの熱はすごく高い抱擁だった。頭を撫でて、もう大丈夫だと笑ってくれる。何に迷って何にへこたれているかもわかっていない私なのに、それだけで安らいじゃう。
大好きな人の熱と形に触れるだけでだいぶ救われるんだなあって実感した。
ユリア先輩とラビ先輩がお茶とお菓子を用意してくれていたから、大人しく促されるままに腰掛ける。
みんな私にどうしたの? とか聞いたりしない。ただ、
「緋迎くんの代わりに私が邪討伐の調整について話してくるわ」
「いや、コナちゃんはここにいた方がいい。僕がいくよ」
「そうね、兄さんに押しつけるべき」
「……ユリア、文化祭でお助け部の舞台に出てからずっと、ラビに当たりきつくないか?」
それぞれがいつも通りに話して、慌ただしくラビ先輩が出て行った。ユリア先輩もそれに続く。後に残されたのはコナちゃん先輩とカナタの二人。
「お茶、冷めないうちに飲んで? 寒いから、あったまった方がいい」
「……はい」
鼻を啜ってから、あつあつの湯飲みをそっと口元に運ぶ。
緑茶だ。とんがった刺激があるわけじゃない。むしろ優しく口の中に広がる滑らかさが心地いい。熱も湯飲みほど高くはないから、思ったより素直に最後まで飲むことができた。
身体の中に熱が広がっていく。心地いい感触だといっていい。
「ユリアのオススメおやつ。今日は駅前洋菓子店の焼き芋スイートポテトね」
「量り売りだったよな。一つ一つが結構な値段なのに、よくもまあ大量に買ってくる」
「カロリー摂取があの子の生きる道だからしょうがないわ。それであのスタイルと美貌なんだから世の中って本当に不公平」
「オロチは大食らいなんだろうさ。それにしても外出許可が取れやすくなってから、アイツ外出しすぎじゃないか? 昨日のオススメおやつはショコラティエの季節のチョコレートだったと思うんだが」
「あの子はきっと遠回しに私たち全員を太らせる気に違いないわ……」
「僕たちも食われるわけか。それはおっかない」
二人がする何気ない会話を聞いているだけでも、心のざわつきは鎮まっていく。
助かるの。こういう空気に触れていたい。ずっと。
ふっと息を吐いてみたら、自然と素直に笑えた。
「ありがとう、ございます」
二人とも優しい顔をして大丈夫だって言ってくれた。
だから呟いちゃった。
「……私って、なんで歌うんでしょうか」
二人が顔を見合わせる。
「大勢の人を相手に、嫌われて……死ねとかいわれちゃうのに。なんで、私……歌うんでしょうか」
素朴な疑問で、悪意に立ち向かう意志がないという弱さの告白で、いろんなものを見失っているという情けなさの露呈でもあった。
だけど二人は私を拒絶しなかった。見下しも、呆れたりもしない。
ただ話し合う。
「答えるのは簡単だけれど、それじゃタイミング的に意味がない。今回は、私の出る幕はなさそうね。緋迎くんの見解は?」
「そうだな……千の言葉なんて不要だと思う。SNSの状態から傷ついているだろうとは思っていたんだ。俺が思うよりずっと……素直に受け止めていたんだな。だから前向きに見ている人の気持ちを見せなきゃ気が済まない」
「同感だわ。二人で出かけてきたら?」
「そうさせてもらおう。ハル、行くぞ」
二人して、私のわからないことを話している。
いつもなら気にならないはずの疎外感が胸をぎゅって締め付けてくる。
立ち上がったカナタが手を差し伸べてきた。
「……どこへ?」
不安がる私を安心させるように、微笑みと一緒に告げられる。
「理由を伝えたいんだ。お前が歌う理由を……」
悩まなかったといえば嘘になる。
それでも私はカナタの手を取った。
◆
新設されたロッカールームに二人で刀をしまって、鍵を先生に渡して外出許可をもらったの。
部屋に戻ってコートを着込んでから出かけた先はカナタの地元の商店街だった。
「ツバキには会いに行ったか?」
「……ううん」
「どうして」
「……ツバキちゃんに頼りすぎるの、よくないと思って」
「重傷だな」
「な、なにが?」
「頼ってもいいのに見失っているから、ちょうどよかったのかもしれない……」
「カナタ?」
「すまない、なんでもないんだ。せっかく久しぶりに来た商店街だ。見て回ってみよう」
「……うん」
カナタに手を引かれて歩く。
十二月にもなるとクリスマスの準備が少し気が早いくらいのタイミングで始まっていた。
私とカナタに気づいた商店街の人が声を掛けてくれる。
お狐ちゃん久しぶり、元気? そうだ、これもってってよ。とか。尻尾さわらせて、とか。
そういうあたたかい声に戸惑ってばかりいて元気のない私を心配して、お店の魚でお刺身を作ってもってきてくれた魚屋さんがいた。うちのコロッケなら元気百倍だ、と笑うお総菜屋さんがいた。久しぶりに会う、小学生くらいの男の子がタックルしてきたりもして。
たった一ヶ月くらいの、何気なく知り合っただけの人たちが優しく語りかけてくれるんだ。
落ち込んでいる暇さえなくなるくらいに。
お刺身をいただいて、コロッケを食べ終えて一息吐く。
男の子が私の尻尾を絞るのをやっと諦めた。ほっとした私に男の子が言うんだ。
「ねえ、お姉ちゃん! おうたうたって?」
「え、と……」
「ママのスマホで動画みたの! おうたうたえるのにきいたことないよ? ねえ、うたって!」
「そ、それは……その」
戸惑う私に構わず、あちこちから声が飛ぶ。
いいぞ、一発景気がいいのを頼むよ! いやいや商店街でそれはどうなんだ。なにいってんだ、野暮は言うもんじゃないだろ。
返事に躊躇っている間に喧噪がどんどん激しくなっていく。
てんぱる私の手をきゅっと握って、男の子が言うの。
「お姉ちゃん……うたってくれないの? ぼく、きいてみたかったんだけどな」
きゅうううん! としちゃった。寂しそうな顔で言われて、放っておけるわけなかった。
思わずカナタを見たの。
そしたら、カナタは優しい顔をして私を見つめていた。
「一度、深呼吸をして周囲を見渡してみろ。みんなの顔を……お前に向けられた気持ちの正体を、ちゃんと見てみろ」
お前ならそれでわかるはず。
カナタの言うままに、集まっているみんなの顔を見る。
通い慣れたというには一ヶ月はあまりに短いかもしれない。
それでも馴染みの顔ばかりがそこにあって、みんなが私に期待を向けてくれていた。
男の子の手が私を掴んで、期待を注いでくれる。
応えたい。
ただ、その気持ちだけがあったの。だから口を開いた。
「じゃあ……ささやかですが、一曲だけ」
息を吸いこむ。すごく寒くなってきているはずなのに、コート姿の人たちの顔は……そこから伝わってくる気持ちはすごくあったかいんだ。
私の氷さえ溶かすような笑顔の中で、商店街に流れていた音楽に合わせてジングルベルを歌ったの。そしたらね? 男の子がすぐに一緒になって歌ってくれた。
不思議だな。小さい頃はたくさん歌っていた気がする。特に冬の歌が好きだった。ちっちゃいトウヤを抱っこしながら、サンタさんが来るのを心待ちにして歌っていたっけ。
「「 ――…… 」」
男の子の顔を見た。
きらきらした顔だった。純粋な歌声が私の気持ちを引っ張っていく。
トウヤもこんな顔をして、一緒になって歌ってくれたっけ。
思い出していけばいくほど楽しい。
歌うのが楽しい。楽しくて仕方ない。
ただそれだけの単純な気持ちが私の心を照らしてくれた。
私と手を繋いで踊るみたいに身体を動かす。小さな子のやんちゃでわんぱくで……シンプルな世界との付き合い方が私の霧を晴らしていく。
子供の無邪気な笑顔が――……金色だった。私の夢そのものだったんだ。
歌い終える頃にはすっかり気持ちが明るくなっていた。
「あ。曲が変わったよ? ほらほら! お姉ちゃん、歌わなきゃ! ひとつしか歌わないのやだよ!」
「しょうがないなあ。でも、せっかくだもんね?」
「うん!」
歯を見せて笑う男の子に笑っちゃって、それから山ほどクリスマスソングを歌ったの。
さんざん歌って、男の子を迎えに来たお母さんに謝られたからむしろお礼を言った。
聞いてくれていた商店街の人たちの拍手に何度もお辞儀をした。
心の中にたまっていたものぜんぶ、明るい歌になって熔けて消えちゃった。
汗に張り付く前髪を指先で払って、ずっと見守っていたカナタに歩み寄る。
それだけじゃ足りなくて、途中から走って腕に抱きついた。
「もう! なにもかもわかったみたいな顔して、なんで?」
「なにが?」
「どうして、ここへ連れてきたの?」
私の質問にカナタは笑った。
「商店街にはハルのファンが多いんだ。思い出して欲しかったんだよ」
「なにを?」
「ハルが大事にしたい人の顔を」
「……大事に、したい人の……顔」
「もし商店街の人たちが見ず知らずの他人だとしても。それでも、一ヶ月の絆は嘘じゃない。ハルが通って積み重ねた縁を、思い出して欲しかった。ここなら元気が出るかと思ってな」
俯く。
「みんな優しいから。優しい人に囲まれたら、元気になれるよ。そんなの当たり前だよ……?」
「それのなにがわるい?」
「世界は優しい人ばかりじゃない。嫌な人も、合わない人もいるよ。アプリのリプみてると、つらくてしょうがないの」
「まともに取り合わなくていい、と言っても伝わらないだろうけど」
カナタが繋いでくれた手は、男の子が握ってくれた方の手だった。
「どんな人を大事にしたいのか。なにをしたいのか。ハルほどシンプルな奴はいないと、俺は思っているんだ」
「……私にはよくわからないよ」
「そうか? 男の子と歌っていたお前は楽しそうだったぞ?」
「そりゃあ……だって。一緒に楽しく歌って遊んでくれたんだもん」
「それでいいじゃないか」
希望へ一直線に走りだす男の子ほど力任せじゃなくて、私を包み込んでくれる柔らかさを知っている熱。
「一緒になって、楽しく過ごせる。それだけでいいんだよ」
耳から心へと染み込んでくる、私の形。
「苦しみやつらい過去を塗りかえて、今この瞬間を楽しく輝かせる力がお前らしさなんだ」
私の、願いの形。
「歌じゃなきゃいけない理由はまだ知らない。けどな、ハル」
両手で私の手を包んで、カナタは私をじっと見つめながら言った。
「俺はお前の歌が好きだよ」
「あ――……」
「ツバキも、さっきの男の子も。拍手してくれた商店街の人たちもみんなそうだ」
否定しようとしたって無理だった。拍手は嘘じゃなかった。一緒になって楽しそうに歌ってくれた男の子の気持ちは嘘じゃなかった。
「それじゃ、だめかな?」
「……だめじゃない」
「足りないなら……お前の気持ちを増やすための力になりたい」
「今は……今は、これでいいの」
今日、この場で浴びたあたたかな気持ちたちが答えだった。
それだけでよかった。それだけでよかったんだ。
黒く塗りかえようとする力にめげて、落ち込んで、真っ黒になりかけていた。
だけど、私の願う『楽しく笑える力』はちゃんと消えずにあった。
カナタが今日、商店街に連れてきてくれたから……黄金にできるんだ。
男の子と一緒になって歌って、ささやかだけど折れない軸が見えた。
みんなの笑顔のために、できることをしたい。その一つが歌なんだ。
「……ありがと」
「いいんだ。ハルの力になれた。それは俺の幸せの一つだから……もっと頼ってくれ」
「ん!」
抱きついて二人で歩き出す。
冬の商店街。寮の門限があるからあんまり長居はできないけれど。
あたたかい人たちと日常話をしては笑って、冬休みになったらまた来ると大勢に約束した。
いろんな原点があると思う。中二病の原点とか、歌の原点みたいに。
お狐ちゃんと呼ばれる私の原点は、きっとここにある。
なら……そもそも。青澄春灯の原点はどこにあるんだろう?
なんで歌なのか。
知ったらもっとしゃんと強くなれるのかな。
もっとちゃんと歌と向き合えるのかな。
誰かに立ち向かうためじゃない。私は私を知るために、その原点がどこにあるかを知りたいと強く思ったの。
きっとそれが、未来へ進むための力になると思うから。
◆
カナタと二人で寮へ戻って、お風呂に出かけたカナタを見送ってから家に電話を掛けた。
『もしもし?』
トウヤだ。
「あの。お母さんいる?」
『……俺じゃだめ?』
なに。急にどうした。
「ちょっと。なんかあったの?」
『……いや。あったのは俺ってか。姉ちゃんでしょ。なんかちょっと炎上してるし、大丈夫?』
うわあ。気遣われてる。弟に気遣われてる。
「ん。まあね。すっごく凹んでたけど、今日持ち直した感じ……あ、それで思い出したの。トウヤ、昔アンタがちっちゃい頃によく一緒に歌ってたなーって」
『ええ? そんなことあったっけ?』
「あったよー。覚えてない? 特にクリスマスの時期はやばいくらい歌ってたってば」
『ああ……まあ。ほんとは覚えてるけどさ。やばいくらい歌ってたのは、クリスマスの時だけじゃないよ』
「ぶぇ!?」
思わず変な声が出ちゃったよ。
『なんて声だしてんの。彼氏の恋心も冷めるからやめろよ、それ』
「い、いいから! 他にどんな時に歌ってた?」
『姉ちゃんこそ覚えてないのかよ。俺が……泣いてたりケンカしたりすると、絶対っていうくらい歌ってた。なんでかって聞いたこともあるよ』
……そんなことあったっけ?
『本人ほど無意識すぎて忘れてる典型ですか。まーいいけどさ。彼氏に聞けばわかるよ。姉ちゃん、風呂場で必ず歌うタイプだし』
「えっ」
『癖だと思うんだけど。気づいてねえの?』
「う、うん」
『音楽聴いてるときも必ず一緒に口ずさむし、姉ちゃんが中学の時はひどかったぞ。覚えてないのかよ』
ま、まるっきり。
『好きなんでしょ、歌。うちでアニメ見るとき、絶対うたってたし』
「……だって、それがお作法じゃない?」
『意味わかんないし。でも……まあ、特別な理由なんてないんだよ』
小学生ながら、トウヤはとてもよくできた弟だ。だって。
『父ちゃんのアニメをみんなで見る時さ。姉ちゃんが歌うと、父ちゃんが喜ぶんだ』
私のこと、よく見てる。
『俺がへこたれてる時はぜったい、姉ちゃんは歌ってくれる。そうすると、なんか元気出ちゃうんだよ。ついついつらいこと忘れて、俺わらっちゃう』
しみじみ語りながら教えてくれている。
『喜ぶ顔を見たり、元気を届けるのが姉ちゃんは好きなんだよ』
きっと青澄春灯の原点を、教えてくれているんだ。
『優しすぎるのいいとこだけど、それで傷つくなよ? 姉ちゃんが損するだけだから。って言ってたら……母ちゃん風呂でてきたけど。変わる?』
「ううん、いいや。春灯は元気ですって伝えておいて」
『わかった。おやすみ、姉ちゃん』
「うん! トウヤ、おやすみ……ありがとね」
『姉ちゃんの弟だから、これくらい当然だよ』
じゃ、と言ってトウヤが電話を切った。
満たされた気持ちでいたら、ノックが聞こえたの。
扉を開けるとキラリが立っていたの。もこもこ可愛いパジャマ姿だ。私が男子だったら問答無用で抱き締めてちゅっちゅしたくなる愛らしい姿だった。綺麗なキラリは可愛い格好も似合うのか。ずるい! すてき! そこにしびれるあこがれる!
「あ、あの……特別体育館での授業のあとの歌のお礼がまだだった」
「へ?」
「あ、アンタの歌のおかげで……わだかまりとか、もやもやとか。不思議と吹き飛んだっていうか……とにかく、ありがと!」
「う、うん」
不意打ちすぎる。キラリにお礼言われて、しかも……歌のことなんて。
ご褒美のターンにしてもずるい。蕩けちゃうよ!
「そ、それから……こっちが本題なんだけど。アンタの様子、ちょっと変だったから。気になって……大丈夫?」
「うん!」
笑って頷いたら、心底呆れたようなため息を吐かれた。
「心配して損した。折れないぶれない曲がらない、がアンタらしさだ」
「そんなことないよう」
今日はだいぶへこたれターンでしたし。信条さえ曲がりそうだったもん。
でもカナタや商店街のみんな、トウヤのおかげでちゃんと笑顔を取り戻したよ。
だから笑って返事をしたの。そしたらね?
「いい? は、恥ずかしいからあんまり言わないけど」
びしっと指を突きつけられた。
「アンタの歌と笑顔は嫌いじゃない。だから……つらくなったら言いなさいよ? 力になりたいんだから……じゃ!」
赤面しながら言うだけ言って、キラリは逃げるように行っちゃった。
本当に照れ屋さんだ。だけど恥ずかしいの我慢して言ってくれた言葉だから、大事にしたい。
にまにましていたら隣の扉が開いた。トモがちょこっと顔を出して、私をじーっと見つめる。
「な、なあに?」
「んーん。出るタイミング逃したなーって。あの子だけじゃないからね、アンタの心配してるのは」
「トモ……!」
「悩みがあったら言ってよ?」
「もちろんであります!」
「約束だからね。じゃあ、おやすみ」
「おやすみ、トモ」
笑って扉を閉めちゃった。
いろんな人とのいろんな絆が私を引き上げてくれる。呟きアプリの何気ない悪意に晒されることもあるけれど、何気ない善意ももらえるだけありがたい。フォロワーの増減激しいけどね。まあいいの。
一人でしみじみしていたらカナタが戻ってきた。湯上がりぽかぽかさんだ。
「ハル? ……どうした、嬉しそうな顔をしているな。俺のいない間に、何かいいことでもあったのか?」
まったく。とぼけたこと言って。
カナタを部屋に引っ張り込んでめいっぱいぎゅって飛びついた。
尻尾が膨らむ。心地よい気持ちをタマちゃんたちが伝えてきてくれる。
『たまには全力でいちゃつく方向性でいくかのう!』
だからってさすがにそれは、はしたないよタマちゃん!
つづく。




