第二百六十八話
授業が終わって現世に戻り、弱り切ったコマチを保健室へ連れて行く。けど目覚めたコマチが私の手を握って離さないから、養護教諭のイケメン白衣に何かあったらまたくるって言っておいたよ。
それからみんなで午後のホームルームを受けた。
ニナ先生と飯屋クウ先生はねぎらいの言葉を掛けてくれた。午後の授業のようなことはこれからもこの学院にいる限りたくさん起きる。程々にするなら今のうちだと言われて俯くコマチの代わりに、私は胸を張ってなんでもこいと宣言した。みんなが後に続いて、コマチも頷いてくれた。
一日目のカリキュラムが終わる。
寮へ移動して、部屋の案内など簡単に説明された。上級生たちが声を上げて襲いかかってきたけど、春灯をはじめとする他の一年生が私たちを守ってくれた。
もうなんか頭がいっぱいすぎて、そういうのに絡む余力はない。
一度部屋に帰って刀とにらめっこし始めたら、嬉しさの余りにおかしくなりそうだったから今日は我慢することにした。
さっさと大浴場で風呂を済ませて、みんなで私の部屋に集合した頃にはもう疲れ果てていた。
私の部屋のソファーにトラジが寝そべり、ミナトが窓に背中を預けて携帯ゲーム機で遊ぶ。
ユニスはリョータと二人して私の家から持ち出した巨大なクマのぬいぐるみ二体をそれぞれ抱き締めていた。
コマチは落ち着かない顔をしてベッドに正座している。それぞれに大浴場前で買ってきたドリンクを配って、私はとりあえずベッドに腰掛けた。
「今日の感想……じゃあユニスから」
「ええ? ……モンスターというか、日本で言う邪の討伐は何度か経験したけど、今日ほどヘビーなのは初めて」
「じゃあよかったね。アンタ以外は全員アマチュア、しかもコマチが危険な目に遭っている状態で助け出せたんだよ? 無事にこなせて上々じゃない?」
「物は言い様ね……でも、まあ確かにその通り。まだまだ足りないところも見えた。杖を失ったから、近接の対処もなんとかしないと」
前向きだな。意外と。そう思っていたら、ミナトが携帯ゲーム機を折りたたんだ。
「なー、ユニス。お前の魔法って攻撃系しかないわけ? バフとかデバフみたいなのはないの?」
「……ごめんなさい、ミナト。私にはあなたの言葉の意味がよくわからない」
「えーっと。コマチのアレは状態異常だろ、はっきり言っちまえば。お前の魔法で弱らせたり、もっと欲を言えば治せたり操作できないのかなーって」
「できたらしてるわよ」
「確かに」
腕を組むミナトは何かを考え込んでいた。
沈黙を拾うようにトラジがコマチを見つめて口を開く。
「コマチ、身体の調子はどうだ?」
「……ふ、ふつう」
「つらかったらいってくれていいんだ」
「……うん」
コマチがみんなの顔を不安げに見渡す。
わかる。私がコマチの立場だったら、二度も迷惑を掛けた仲間の中にいるなんて、心中穏やかでいられないだろう。
でも気にするなって話だ。だから言ったよ。
「今日、あんなことになるくらいコマチがいろいろ抱えているのはわかったから。それはコマチが話したくなったら話せばいい」
ただ語りかけるだけじゃなくて、手を繋ぐ。
もろくて頼りない小さな手だ。そばに立てかけてある刀のひび割れは、佳村って子が直そうとしてくれたけどだめだった。
そっと佳村は耳打ちしてきたよ。コマチの心が砕けている。それを直さない限りは無理だって言うけど、困るな。
そんなの一朝一夕でどうにかなるものじゃないだろ。だから、ゆっくり付き合っていきたい。
「さっきも特別体育館で言ったけど、これからの話をしよう。したいことの話」
たとえば、そうだな。
「コマチの髪を整えて、肌とか手入れしたらすっごく可愛くなる。私は可愛くなったコマチが見たい……ユニスは?」
「同感。素材が凄くいいのに全力で無精してだめにしている感じがほっとけない」
「だよね」
「当然でしょ」
二人で笑い合う。こういうところでは意見の一致を見るユニスを実は結構気に入っている。
「コマチがいやならやらないけど。どうしたい?」
「……わた、し、なんか……かわいく、ない」
「「 これだよ 」」
ユニスと二人してハモってしまった。けどしょうがない。
「やる気出てきた」「同感」
闘志を燃やす私たちにコマチがおどおどする。
けど小さく尋ねてきた。
「二人の、よこに……いて、はずかしくない……のが、いい」
「むしろ胸張れるくらいになれるよ」
私の返事にユニスがまったくだと言わんばかりに頷いた。
「女子が可愛くなるのを見るのは楽しみだよな、リョータ」
「ミナトって結構軽いね」
「リョータだって可愛い女子は好きだろ?」
「お、俺は別に」
なんでリョータは私をちらちら見てくるのか。
すかさずユニスとミナトが口を揃える。
「「 はいはいラブコメラブコメ 」」
「な、なんだよそれ! そもそもコメ要素はないだろ!」
何か巻き込まれる気がするから、関わらないでおこう……。
「すぐ冬休みなんだよな。ここって期末は終わったのか?」
トラジの言葉に思い出しながら口を開く。
「確か期末は終わってるはず。再来週には終業式かな」
「そうか……旅行ってわけじゃねえが、休みにうちでもくるか?」
「なにそれ」
私の言葉にトラジが首裏に手を置いて、なんともいえない顔をした。
「神奈川の隅っこにある海沿いの小さな町生まれでな。魚はうまいんだ。長野とかにスキーしにいけりゃあ、それが一番なんだが。金かかるだろ?」
最後の言葉にみんなが渋い顔をした。
士道誠心の学費は決して安くはない。そして楽勝で払える家庭環境にいる奴は、どうやら一人もいなさそうだった。
「で……うちだ。神奈川の隅っことはいえ、ちったあ観光気分になれるかなーってさ」
「トラジの家か。俺は別にいいぜ。ゲームの消化は一人でできるけど、みんなと絡める機会はそうそうねえし」
意外とアクティブだな、ミナト。
「パーティーゲームで遊んで楽しめるしな。特にボードゲーム買っても一人じゃ盛り上がらなくて困ってたんだ」
どこまでも趣味はゲームか。
そわそわしながらぬいぐるみの手を動かし始めているのはユニスだ。
「さ、魚って魚介料理よね……どんなのがあるの?」
「そうだな。俺の地元は結構なんでも取れる。舟盛りで刺身を食えるし、サザエの壺焼きもいいぞ」
「……ごくっ」
もう突っ込まないからな! って言いたいけど無理だ。
ユニス、食に素直すぎるだろ。そう思っていた時だった。リョータが夢見がちな顔をしていることに気づく。
「リョータ?」
「天使さんと旅行……」
「きもい。みんなで行くんだってば、なに私と二人旅行みたいな言い方してんの……?」
「夢を見てすみません!」
「……誰かリョータの言葉を翻訳してくれない? 意味わかんない」
みんなに振っても、みんな揃って顔を逸らすだけだった。なぜに。
「わかってないのあなただけだと思う」
「マジでそれな」
「まあ……他人がどうこう言う問題じゃねえな」
「……っ」
コマチまで頷く。あれ。どういうことだ?
「ま、まあまあ! 今週末でもよければ行こうよ、トラジの家が問題なければ!」
「心配する必要ねえから、リョータ……早くても問題ない。オヤジがあれこれうるせえけど、ダチが来てくれるならちったあ新しい学校に馴染んでる証明ができて、安心してもらえるだろうからな。むしろ早い方が助かる」
「じゃ、じゃあ決まりだね!」
あやしい……。
「ねえ、なんでリョータが焦ってるの?」
「「「「 いや、わかるだろ 」」」」
「さっぱりわかんないってば」
そう言い返したら、みんなが微妙な顔をした。なぜに。
「ねえ、天使。言いにくいんだけど……あなたって、恋愛偏差値低め?」
「い、言いがかりだ。彼氏なら前にいたし」
「……それ、ちゃんと付き合ったの? なんか微妙な感じで別れたりしてない?」
「そりゃあ別れたけど。終始ひっついてこようとするわ、腰を押しつけてくるわ。痴漢と大差なくてうんざりしたからね」
私の答えにみんなが微妙な顔をした。
「なまじ憎らしいくらい見た目がよすぎるせい?」
「マシな男と出会ってない説、浮上な。その元彼のフォローする気はないが、天使相手なら抑えきれないのもわかるわ……」
「お、俺はそういうのよくないと思う」
ミナトの言葉にリョータが赤面しながら訴えていたけど、ユニスをはじめとする三人の話の意味がよくわからない。
「アンタたち、マジで何言ってんの?」
「まあ天使の残念男遍歴はさておいて」
「おい!」
トラジ、なにその言い方。
「コマチ、海でしてみたいことないか?」
おっと。そうだった。コマチのフォロー会でもあるんだ、これは。
はっとしたトラジとコマチ以外のみんながコマチを見つめる。
「……冬、だし。泳ぐの無理そう。でも、波の音……きいて、みたい」
「おう。それは絶対に大丈夫だって約束する」
「……ん」
小さく頷く。
なんだか、トラジとコマチのやりとりは見ていてほっとする。
いつもよりトラジが優しくなるからだろう。やっぱり、トラジは見た目ほどやんちゃじゃない。芯にしっかりしたものを感じる。
「じゃあその前にコマチを綺麗にしましょうか。このへんの美容室でいいところ探してみる」
「賛成。ユニスが髪のケアなら、私は洋服でも見繕ってみるか」
コマチが赤面しながら膝を抱える。スカートだから危うい。
男子三人が揃って微妙な顔をして視線を逸らす。意識してるのか。まったく……。
「じゃあ週末はそんな感じで。今日はお開きにしよっか」
手を叩いて解散を促した。それぞれがぞろぞろ立ち上がる中、コマチが本当につらそうに顔をきゅっと歪めていた。
「あ、の!」
みんなしてコマチを見た。
きっとみんな内心、身構えている。
「ほん、と、に、ごめん、なさい……っ!」
頭を下げる。コマチにとって大事な儀式だとわかっていても、それをさせたくないと思うのはわがままだろうか。
「気にすんなよ……っていっても気にするだろうな」
さすがにトラジもすぐにうまいフォローは思いつかないみたいだ。
「まあ仲間なら迷惑かけてなんぼのもんだろ。それを受け止める絆の強さが仲間の証拠なんじゃねえの?」
「ミナト、あなたはもっと言い方ってものがないの?」
「……だから、ほら。気にするなっていうか」
「トラジと一緒じゃない!」
「じゃあお前はどうなんだよ! って、コマチ、いまのは違うぞ? ケンカじゃないから」
あわててフォローするミナトを横目に、ユニスが肩を竦めた。
「刀の力が一つ覚醒すると、その心の強さに応じて人は暴れ回る。悪い意味で、という結果になる人の方が多い。あなただけじゃない、というのは慰めにならないだろうけど」
さすがプロ。色々と事例をご存じのようだ。
「天使は試験の日に可能性を見せてくれた。倒すんじゃない、救いの道を。私はそれに賭けるのも悪くないと……今日、思った。コマチが元気だから、よかったって思ってる。心からね」
真摯な声で語れるところにへっぽこさは見当たらない。
こいつのギャップは心に悪いな、まったく。でも抜けているところがあるユニスを結構気に入ってきた。こういうしっかりしたところもまとめて好きだ。
リョータがすかさず頷く。
「賛成。俺も素直に助けられてよかったって思ってる。一致団結、連帯責任でいいんじゃない?」
それどうなんだ、というツッコミを飲み込んだ。そんな顔をコマチ以外のみんながしたけど、でもいい。
どこか抜けたところも含めてリョータなんだろう。そして実際、ちょっと和んだのも事実なのだ。
「アンタが暴走するなら、私たちが止める。ゆっくりでいいよ、コマチ」
「……で、もっ」
「私……昔、人にひどいことをした。許されて未来へ進めてる。許しが大事だってわかってるんだ。コマチが反省して、未来を変えたいと本気で願っているのなら私は許す」
手を離して、顔を覗き込む。
「刀を手にして、何かを変えたいと思っているんだよね?」
「……ん」
「じゃあ、一緒に頑張ろう。ね?」
何度もコマチが頷いた。
顔をくしゃくしゃにして流す涙は透明で綺麗なんだ。
落ちる前に指で拭って、不揃いな髪を撫でる。
「よし……なら約束して。つらいときは一人で抱え込まないって。何があっても受け止めるから……ね?」
私の目を見て、それから強く頷くコマチにほっとした。
すぐにうまくいくとは思わない。それでも大事な一歩を踏んだ瞬間に違いなかった。
◆
みんなが出て行く中で、一人だけ足取りの重い奴がいた。
「ごめん、先いってて」
「おー」
にやにやしながら立ち去るミナトと肩を竦めてみせたトラジ、それに意味ありげにこちらを見てくるユニスとコマチみんなが出るのを待って、二人きりになってからリョータが私を見た。
どこか思い詰めた顔をしている。なんだ。トイレでも借りたいのか?
「なに」
「……あ、あの。謝りたくて」
「は?」
「戦闘中、つい……名前、呼び捨てにしちゃって。嫌がってたの知ってたけど」
「……ああ」
春灯が大蛇に化けた瞬間だったっけ。
確かにリョータは私の名前を呼び捨てにした。ちゃんと覚えている。その瞬間はそれどころじゃなかったけど。
「なに。意識してんの?」
「ま、まあ。嫌がってることしたら……よくないでしょ」
「きもい」
「ストレートな否定に心が砕けそう! ほんとごめんなさい!」
「……いや、その」
ど、どうしよう。まさか改まって謝ってくるなんて思ってもいなかった。
そもそも私、人にされるのは嫌がっておいて、自分が呼ぶときは名前呼び捨て派だからな。急に謝られても困る。そもそも怒る資格がない。本当はね。
それでもいやなものはいやだけど。
「……呼びたいの?」
「究極の質問すぎる!」
「ごめん。マジで意味わかんないし、きもい」
「生まれてきてごめんなさい……!」
「そこまで嫌ではないけど」
「まさかのゆさぶり!」
「……いいから。ちょっと落ち着け」
「う、うん」
深呼吸をした。
くそ。こいつといると恥ずかしい目にあってばかりだ。
酷い奴だ。変で酷い奴。でも……背中のかっこいい奴なのも、ちゃんと知ってる。
恥ずかしいから言わないけど。絶対に言わないけど。
言うとしたら、別のことだ。
「言わなかったっけ。私、名前ほど綺麗じゃないの」
「そんなことは!」
「いいから最後まで聞け……いい? 私、昔はホント最低だったんだ。今も、そうじゃなくなるために頑張ってる最中なの。だから名前で呼ばれると、だめな私自身とか、まだまだちっとも自信ない自分を意識しちゃってつらいんだ」
「……天使さん」
「それは……私の都合。で、アンタに……呼ばれるのは、そんなに……やじゃ、なかった」
「え……そ、それって、つまり……嬉しいってこと?」
「ちちち、ちがうから! これも私の都合ってだけ! あとはアンタの勝手! 好きにすれば!?」
「逆ギレしながらの提案!? じゃ、じゃあ……呼び捨てにしていいの?」
「アンタの勝手って言った! いいから出てけ! あといま私の顔をみたらつま先の爪と肉の間をえぐる」
「物理的に痛そうだし手段次第では拷問です! で、出ます、迅速に出ます……」
リョータがしっかり私の顔を見た。恥ずかしくて照れまくっている制御不能の顔を。
「ちょ、こっちみんな!」
「いった!?」
急いでリョータの背中を押して、廊下に放り出した。
「か、かわいいって! 俺、本気でそう思うから!」
「聞いてないから!」
あわてて釈明をしたみたいだけど、ポイントがずれてる。
悲鳴を上げるように言い返したら、リョータが訴えかけるような目をしてこちらを見てきた。
懲りないやつだな! って……思ったのに。真剣な顔をするから、どきっとしてしまった。ちょっとだけ。ほんとのほんとに、ちょっとだけ。
「な、なに」
「……キラリ」
思わずびくっと身体が震えてしまった。
「また、明日ね」
照れたように笑って、やり遂げた顔をして行きやがった。思わず部屋の中にあったぬいぐるみを取ってきて、背中に思い切り投げつけてやった。
「な、なに?」
「恥ずかしいことすんな! ど、ど、どきっとするだろ! わかったら、う~~~!」
くそ、くそ。こういうのは私のキャラじゃないぞ。ないっていうのに! ほんとに、ないってば! ああもう!
「また明日! じゃあね、おやすみ! あと、リョータ! ぜったい、今のは言うなよ! 特にユニスに言ったらただじゃおかない……!」
「わ、わかった。おやすみ、キラリ……ち、ちなみにこのぬいぐるみは?」
「投げ渡そうとしたり、いま近寄ったら目を潰す」
「あ、明日にします」
びくびくしながらぬいぐるみを取って、急いで立ち去っていった。
「まったく……」
顔が熱い。なんでこんなにてんぱってるんだ。ほんと、リョータと絡むとろくなことがない。
ベッドに倒れ込みたい気持ちでいっぱいだったけど我慢。
部屋を簡単に片付けた。一体になっちゃったぬいぐるみの位置に悩む。
友達を自分のテリトリーに入れた経験ならある。だけどいつも片付ける時は面倒だしうっとうしくてしょうがなかった。
今日は違う。不思議と少しもいやじゃなかった。
心の距離が違うんだ。仲間になりたてほやほや、知らないことばかりの連中だけど……私は自分の心に嘘をついていない。自分で距離を作らなければ、その分だけ近くなる。
特にリョータとの距離はよくわからない。アイツは私の何かを狂わせる……。
まあ……忘れよう。よくわからないもやもやを抱えていられるほど、今日はもう元気じゃないんだ。
「ふう……」
疲れた。けど……気持ちのいい疲れだ。随分、久しぶりだ。試験の日を軽く上回る充足感だった。
きっとこれからいろいろ起きるだろう。
すべてがうまくいくかどうかはわからない。
それでも乗り越えていこう。今日のように。
そう意気込んでから、スマホを手にして画面をみてすぐに廊下に出た。
アイツからメッセージが来ていたんだ。
『お話したいなあ。お部屋いってもいい?』
むしろこっちから行くと答えておく。
そして、メッセージの主の扉を叩いた。
すぐに出てきたよ。
「キラリ!」
開けるなり飛びついてきた春灯を抱き留める。こんなにボディランゲージ激しかったっけ、と笑いながら背中を叩いて部屋に入った。
刀の手入れをするイケメンは私を見て軽くお辞儀をしてきた。緋迎先輩。マスターの息子さんだ。けどやっぱり、マスターというよりはマスターの奥さんに似ている。
少し構えた感じがあるのは、なぜか。いや、考えるまでもない。春灯との過去を知っているのだろう。春灯を大事に思うのなら、身構えて当然だ。
「どうも、天使キラリです。緋迎先輩ですよね? 文化祭以来ですね。いつもお父さまにはお世話になっています」
「緋迎カナタです……父の店で働くのは大変では?」
「慣れました」
「あまり懇切丁寧に教えてはくれないでしょう?」
「そこがマスターの格好いいところです」
「そうきたか」
そう言うと口元で笑った。嫌味がない。
「積もる話もあるだろうから、俺はラビのところへいく。天使さん、春灯をよろしく頼む」
「は、はい」
意外だ。すっと立ち上がるなり、変に構ったりしないで出て行っちゃった。
春灯も春灯だ。気にした風なくソファに腰掛ける。
「えっと……邪魔しちゃった?」
「ううん。なんで?」
「いや……恋する女は彼氏優先が当たり前の世の中かと」
「属性をひとまとめに一緒くたにして行動を当てはめるのが楽ちんな世の中だとは思うけど。私は記号じゃないよ」
「……まためんどくさそうなこと考えてるな、アンタは」
「あ、あれ? めんどくさいかな」
「どうでもいいや」
あわてる春灯に身体を預けた。
「ちょっと……よっかからせて」
「もう寄りかかってるよ?」
「いいでしょ。なんか……きもちいい身体だな、アンタ」
「え。え」
「実家のような安心感」
「そ、それは褒めてるのでしょうか」
「まあまあ?」
「あまあまでお願いします」
「気が向いたらね」
笑いながら力を抜いた。
凄い力を持っていたからがちがちかと思いきや、春灯の身体は思ったよりずっと柔らかくて、それになんだか落ち着く匂いがする。
男女の同室なんて爛れた空気が漂っているのかと思いきや、春灯の部屋は綺麗に整理整頓されていた。ベッドが乱れてたりするわけでもない。
意外。ちゃんとしてるんだな。
でもダブルベッドだけしかないってことは……毎晩二人で一緒に寝てるのか。
やらしい。春灯め、やらしい……。
「な、なに? キラリ、ベッドなんか見つめてどうしたの?」
「高校生なのに爛れすぎじゃない?」
「え、え」
「け、結婚するまで……同じ布団で寝るとかしないでしょ、普通。だ、だってほら。それって、つまり、そういうことじゃない? だめでしょ」
「おうっ、なんてこった! 意外だぜ! あまりに綺麗だからモテてイケてる女子イメージだったけど、キラリってそういう感覚だったんだ!」
「な、なに。なんか文句でもあるわけ?」
「ご、ごめんなさい、ないです」
「はあ……春灯はずいぶん遠くにいっちゃったんだな。追いつける気がしない。同じベッドってことは……もう、し、したんでしょ?」
「えええっ! まさかのぶっこみ!」
「き、キス……したんでしょ?」
恐る恐る尋ねたら、春灯が本当に驚いた顔をした。
「えっ!? キス!? キスなの!?」
「そ、そりゃあ……だって、恋人同士の愛のかわしあいって……キス、でしょ?」
「純粋そのもの、圧倒的天使力! なんてこと! 私には汚せないよ! でもここで嘘はつけないから素直に白状します! キスはしました!」
「あーあ……春灯はもう大人か」
「キスで大人判定なんだ! そっか! なんか急に守りたくなってきた! キラリのこと守りたくなってきた!」
「はあ? 意味わかんない」
「でも待って? 私、確かめずにはいられない。キラリって彼氏いたのでは? 大丈夫だったの!? なんていうか、いろんな意味で!」
ホント、どういう意味かわからない。
「いたけど別れたよ。前に話したかもしれないけど、べたべた触ってくるし、めんどくさいし。あんなの痴漢と大差ない」
「ば、ばっさりだね……」
「いいの……あんまり好きじゃなかったし。好きな人ができたらアンタみたいになれるのかな。文化祭の後のカラオケでアンタが言ってた、身体目当てじゃない人に会えたら」
「おうっ……あ、相手次第なのかな。圧倒的天使力あふれるキラリだからこそ素敵な相手に出会ってほしい。ち、ちなみに気になる人とかいたりするの?」
「え……」
ぱっと浮かんだのはね。
『か、かわいいって! 俺、本気でそう思うから!』
あわてて頭を振った。ちがうちがう。リョータ、いまは出番じゃないから。
急に不意打ちででてくるな。私の心を揺さぶるな。顔が熱くなるじゃないか。
意識してないから! 絶対に!
そりゃあ、リョータは前に付き合ったロクデナシとは全然違うし。身体目当てって感じ全然ないけど。
男はわかんないからな。でも、ちょっとくらいは期待しても……いやいや! やっぱりない! そもそも考える余裕がない!
どうしてくれるんだ。顔が熱くてたまらないじゃないか。
リョータのばか……。
「いるね。これはいるとみたね」
「い、いないから!」
「ま、眩しいよ! キラリがきらきらしてるよ!」
「なにそれ」
なんでか春灯が妙にダメージを受けた顔をして身震いしてる。
「春灯? どうしたの」
「うう……私はいやらし狐です……狸顔のばかな狐娘なんです……彼氏にもたまにお前はちょっと前のめりすぎると言われて引かれちゃうタイプです……」
「やっぱり意味わかんない」
春灯との間に絶望的な距離を感じる。
なんてことだ。春灯が遠いところに行っちゃった……私は追いつけるのか。
「「 はあ 」」
二人揃ってため息を吐いちゃった。
「やめよう、この話」
「そうだね……」
なんだかどっと疲れが出てきた。
「キラリはお疲れ?」
「まーねー。アンタの学校、ぶっ飛びすぎ」
「もうキラリの学校でもあるよ。楽しくない?」
「充実は……してるけどね。正直、いくつ命があっても足りないよ」
「あ、あはは。結構、きびしめ放任主義だからね」
笑いながら、春灯が抱き締めてくれた。
昔じゃ考えられない状況だ。だけど、今この状態を私は心の中で歓迎していた。
「アンタは強いね。アタシは精一杯だよ……背伸びして、なんとか追いつこうとしたのに。まだまだだ」
「今日の十組はすごかったよ? 女の子も助けた」
「みんながいて……コマチだったから、助けられただけ」
「それがわかってるだけでも、すごいよ」
ばかにしてんのか、と思って春灯の顔を見たけど。
春灯は見たことのない顔をしていた。つらそうにも見えるし、寂しそうにも見える。なのにほっとしたようにも見えて……本当に複雑で、見たことのない顔だった。
「助けに行きたかったの。だけど炎があちこちを燃やしてみんなに襲いかかって大変だった」
「……うちの組の子がごめん」
「ううん。きっとその子は強くなる途中なの。そういう子ほど……力に飲まれて周囲を傷つけちゃうんだ。私もそうだった」
「春灯が?」
「うん。いろんな子が、何かをやらかして……みんなで許して乗り越えていくの」
「厳しい世界だね」
「意外。キラリなら、優しい世界だって言うかと思った」
「いや、厳しいよ。許すのが一番怖くて、難しいんだ。傷を誰かのせいにせずに飲み込んで、手を差し伸べるなんて、みんながみんなできることじゃない。だから……厳しい世界だよ」
「キラリ……」
「優しい世界ってのは、楽な世界のことだよ。駄々をこねるように自分の責任丸投げして周囲がどうにかしてくれるって甘えれば、願いが叶うの」
どうしたって今までの人生を思い返してしまう。
「求めたら与えられるのが当たり前? ううん、そんなことない。それじゃ……きっと何も変わらないんだよ。痛感したの」
深く息を吸いこむ。
「今日、暴走した子を責めるのは……攻撃するのは簡単だった。きっとその方がずっと早くケリがついていて……だけど終わったらコマチはいなくなって、私たちの間にずっとしこりが残り続けた」
「キラリはいやだったんだ? そうなるのが」
「……中学の再現なんて、もううんざり。春灯とみんなが許してくれたのに、同じ失敗するなんて死んでもごめん。わがままでいい。私は全力で求めて、ハッピーエンドを掴み取る」
春灯がぎゅっと私を抱き締めた。十二月の寒さを吹き飛ばす熱がすぐそばにある。
その熱は願いの強さでできている。きっと青澄春灯は願いながら生きているんだろう。
なら心がよりどころになる世界で強いのも納得だ。そう思った時だった。
「やっぱり強くて、かっこいいよ。キラリは」
意外なことを春灯が言うからびっくりした。
「わ、私は……まだまだ全然だよ。おかげでみんなはボロボロ、コマチはまだ絶賛凹み中だし」
「だけど……それでも、最悪の事態は避けたでしょ?」
「みんなのおかげでね。私一人の力じゃない」
「いいんだよ、それで」
「え……?」
「一人で世界となんて向き合えない。ひとりぼっちだったら……間違いにさえ、気づけないんだ」
春灯のその言葉は深く刺さった。私は実質的にひとりぼっちだったし、春灯もそうだったから。
「みんなで乗り越えるっていうのが、実はすごく大事なんじゃないかなあ」
「……そうだね。一人で抱え込まずにみんなで頑張るのが、大事なんだ」
しみじみ言わずにはいられなかった。
春灯の熱を素直に心地いいと思えるようになるまで、本当に長い時間がかかったんだ。
私一人じゃこれなかった。いろんな人が痛みをこらえて、私も痛みを乗り越えようとがんばって……そうしてやっと、ここまできた。
それぞれが一人一人、孤独のままだったらどうにもならなかった。
べったり固まった集団になれというんじゃない。
ただそれぞれの繋がりをよりよくしようという意思の力が作る絆が大事なんだ。
孤独のままだったら与えられない許しが私とみんなの世界を変えていく。
だけどそれは優しさがもたらすものじゃない。
痛みをこらえる厳しさを乗り越えるから、優しい世界にたどり着ける。
みんなの傷と痛みの先にやっと許しがあるんだろうと……私は思わずにはいられなかった。
「中学から長い時間を過ごして、私たちはここまできたの」
春灯が歌ってくれた。聞いたことのない旋律だった。
「同じ時間を、違う角度で見つめて歩いてきたよね」
優しくて、痛い声。
「傷つけあっていた時間がすべて……許されていくように」
胸に染みて、泣けてきちゃうような。
「きっと……いまがある。真っ暗闇の時間を、私たちは金色に染め上げていくの。どんなに真っ暗な夜空にも星が輝くように」
回顧の歌だった。
途中で終わりにして、春灯が笑う。次いで聞こえた深い呼吸の意味を考える。
「星が落ちる儚さをみて、願いを口にする。だけど……キラリの星は落ちない。落ちてもたくさん浮かんで瞬く」
春灯の顔を見た。
「それはきっと……キラリが歩いた暗闇の中で、私たちの願いをしっかり捉えて輝かせているから。キラリが感じた輝きの数が、キラリの星なんだと思う」
「……じゃあ、アタシの中にはアンタの星もあるわけか」
「中学のみんなの星も、十組のみんなの星もね」
「ほんと……アンタって変な奴」
笑った。
「だけど……どうやらアタシも変みたいだ」
信じて人差し指を立ててみたら、小さな星がぴょこんとでてきた。
きらきら輝いて、私たちの前に存在する。
「この星が願いなら……どんなに落ちても生まれてまた輝くよ」
確信を持っている。きっとこの星は尽きない。
「アンタが折れない天使なら、絶対に一つは消えないからね」
「ううん、二つだよ。キラリが私のそばにきてくれた。だから……その願いだって、消えないんだ」
「あはは……ほんと、そうだ」
笑って頷く。ちゃんとよく見れば、小さな星に寄り添うようにもう一つ星が輝いている。くっついて二つ。本当にファンシーな星だ。この力を愛しいと思える時点できっと、私も春灯に負けず劣らず変な奴なんだ。
「キラリと私の星なんだね」
「恥ずかしいこと言うな」
「えええ」
「ま、まあ……そうだと思うけど」
「えへへ」
変な奴同士。
それでいい。この星を大事にしたいから……それでいいんだ。
「士道誠心へようこそ、キラリ」
「これから、よろしくね」
微笑みあう。
絆が離れてしまうことがある。時にそれは修復不可能になって、誰も望まなければ永遠に繋がらなくなる。片方が望むだけでは足りないこともあるし、お互いに望んでもすれ違うことがある。
だから大事にせずにはいられない。壊れてしまう儚さを愛しいと思うよりもっとずっと、単純な理由だ。
孤独なままでは自分の輝きは見えない。
けれど二人なら? 三人なら? 仲間たちとなら――……きっと見える。
絆が輝きを見せるんだ。
孤独に輝く星が繋がって、はじめて星座のように見えてくる。
自分にぴたりあてはまる、素敵な形が。
きっと――……見えてくる。
つづく。




