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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第二十一章 天使の来訪

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第二百六十五話

 



 休み時間になって、コマチが席を立つなり私のところへきた。


「……ぁ、ぅ」


 視線を送ってくるだけじゃない。口を開けて、ぱくぱくする。

 もちろん、魚の真似じゃないことくらいわかる。

 話しかけたいことがあるのに言葉にならないのだろう。

 けど席に座ってちらちら見てくるほど内気でもないわけか。


「なに? コマチ」

「!?」


 名前を呼んだら、びくっと身体を震わせた。

 そしてみるみるうちに顔を赤らめていく。なんなんだ、いったい。


「どうしたの。大丈夫?」


 ぶんぶんぶんぶん、と勢いよく首を縦に振る。おかげで髪が乱れに乱れる。

 コマチは主張してくるけど、何も言わない。

 見ているだけで、だんだん苛々してきた。

 今までなら無視するところだ。

 でもそんなことはもう二度としないと心に決めた。

 問い掛けてみよう。求める。だから尋ねるんだ。


「なあに。言いたいことがあったら、教えて? 聞きたいからさ」

「……た、な……り、と」


 要領を得ない。なんて? と尋ねるべきか悩んだ。

 みんなして私たちのやりとりに視線を向けてくるが、コマチの緊張感と言ったらなくて……誰も何も言えずにいる。気持ちはわかる。

 それで尋ねる。


「もう一度。おっきな声で教えてよ。怒らないし、むしろ知りたいの」

「……か、たな……あり、がと」


 思わず口を開けてしまった。


「み、んな、も……り、がと。たす、けて、くれ……た」


 きっと身体中ゆでだこになるくらい恥ずかしくておっかなくてしょうがないんだろうけど、それでも精一杯伝えられたメッセージはお礼だった。

 試験の日のことを言ってるんだろう。すぐにわかったよ。


「いいよ! 困ってたら助けるもんだ!」


 リョータはきらきらしてるなあ……。


「いいんじゃねえの? 別に。おかげで刀が手に入った。ミナトの奴はまだだけどな」

「ちょ、やめろ。入学初日にいきなり仲間はずれにするなよー。これから先が不安になるだろ? はぶはよそうぜ、はぶは」


 おどけた声を出すミナトにみんなで和む。ちらっと見たら、コマチはすごくほっとした顔をしていた。そういうところ、試験の日に見たやばさが欠片もなくて、ただただ可愛い。


「何があったんだよー。隔離世ってとこ行ったはいいけど、あのおっかない先生が待機しろって一点張りだったからさ。神社の方で何かがふわふわ漂ってたのは見えたけど、近づけなかったんだよ。お前ら神社にいたの?」

「まあね……といっても、あちらの世界で毎日起きてることが神社で起きただけ。誰かさんが気にするほどのことじゃない」


 ユニスなりのフォローなんだろうな。ちらちら視線を送ってるけど、コマチは気づいてないぞ。わかりづらいから、その言い方じゃ。


「素直に言ったら? たいへんな事件がコマチを中心に起きたけど、そんなの日常茶飯事だから気にするほどのことじゃないって」

「あ、あなた! 人がせっかく気にならない言い方を選んだのに!」

「伝わらなきゃしょうがないでしょ」

「ぐぬぬ……」


 にらめっこをするけど、お互いあほくさくてやめた。


「まあとにかく……誰も気にしてないから。大丈夫だよ、コマチ」

「……ん」


 ほっとしたように笑うコマチを見ていたら、むずむずしてきた。

 入学前に考えてたんだよね。

 もしもう一度コマチに会えたら、したいと思っていたことがあるんだ。


「コマチ。一度座って」


 びくっと身体を強ばらせて、すごすごと椅子に座った。

 その間にカバンから出した櫛を持って、コマチのそばに立ってちっちゃな髪に手を伸ばす。

 怯える小動物のようにこちらを見上げてくるから、動くなって言っておいた。

 くしゃくしゃの髪に触れる。ごわごわだ。

 変な匂いはしないから洗ってはいるんだろうけど、手入れされてる気配がない。

 恐る恐る櫛を入れた。櫛を知らない髪みたいに、がんがん絡まる。かなり酷い。


「……ッ!?」


 目を白黒させているコマチにもう一度、動くなって言ってから櫛を通した。

 痛くないように気をつけながら、何度も。


「アンタ、髪は大事にしてる? ……ちょっと、動くなってば」

「あらって、る」


 ちょっとドヤ感ある声だった。


「……だと思った」

「……ごめ、なさ……い」

「謝ること、なんかあった? アンタの髪だろ、困るのは私じゃなくてアンタ。別に怒ってないから、大人しくしてて?」

「……ん」


 まったく、変な奴だ。

 櫛を丁寧に入れていけばいくほど髪は素直に従ってくれる。

 スプレーくらい必要かと思ったけど思っていたよりも整っていく。

 きちんと洗ってはいるのだろう。ちゃんと乾かしている気配はないわりには、変な癖はついてなかった。

 ただただボサボサなんだ。

 リョータよりひどい鳥の巣頭がどんどんマシになっていく。

 おかげでコマチの目元が見えてくる。

 唇も肌も荒れ放題。だけど作り自体は光る何かを感じる。

 だから余計に腹が立つんだけどね。自分の管理、もっとちゃんとすればいいのに。そしたら思ったよりずっと可愛い顔になるはずだ。

 そう思ったのは私だけじゃなかったみたいだ。


「……見てられないわね」


 ユニスがポーチを手に立ち上がってすぐに近づいてきた。

 全身に呆れるくらい力を入れて微動だにしないコマチの肌を見て、ユニスがポーチを開けてリップを出す。封を開けてない奴だ。

 その時にちらっと確認した。ユニスが使っている小物ぜんぶ、覚えのある商品ばかりだ。


「いいこと? 唇が荒れていたら、いざという時に困るし……ぷるぷるだとちょっと気分がいいの。コマチ、それをあげるからちゃんと使いなさいよ?」

「あはは」

「な、なによ」


 思わず笑っちゃいながら、コマチにリップを渡して説明をし終えたユニスに声を掛けた。


「いいとこあるじゃん、金髪」

「そういう呼び方は感心しないわね、てんしさん」

「「 ふん…… 」」


 にらみあう私たちに挟まれて、コマチがぶるぶる震える。


「なんか女子同士のああいうの……いいな」

「そうかあ? それよりミナト。どんなゲームもってんだ? スマホに入ってないゲームってなんだよ」

「早速催促とか。つうかスマホはゲーム機じゃねえから……まあいいけど。待って」


 ミナトががさがさカバンを漁り始めてすぐ、リョータもそちらに視線を向ける。

 ゲーム好きなんだ。やっぱり。


「……あなた、この子にスキンケアの仕方の一つも教えてあげたらどうなの?」

「さっきみたいに自分でやればいいじゃない。ユニスは人に優しく教えるの、すごく不得意そうですけど」

「暗に性格が悪いと言いたいのかしら」

「いやだな。私、そんなこと言ってないけど。そう聞こえちゃった?」

「「 ……ふん 」」


 コマチの振動の度合いが増す。

 ため息を吐いて、コマチの髪を整えた。だけど切り方がちぐはぐで、ひどい状態だ。


「コマチ……アンタ、まさかこれ自分で切ってるとかいわないよね」

「……ッ!?」


 なんでわかった!? みたいな顔してふり返られても。

 見ればわかる。素人がハサミで適当に切ったみたいに不揃いで、雑。

 整える意図がまるでない。


「ユニス、カットできる?」

「まさか」

「アンタ魔法使いでしょ。なんとかできないの?」

「そんな……児童文学の選ばれた男の子の物語じゃあるまいし。現世に影響を与えるクラスの大きな魔法なんて無理だから……美容師いらずの魔法があったら、自分で使ってるわよ」

「言えてる。じゃあアンタの髪は?」

「……都心に毎月いってますけど」

「それはさぞお金がかかってそうですね」

「ケンカ売ってるの?」

「いーえー。私と同じだと思っただけ」


 それにしてもコマチの髪、ちょっと放置できないな。

 どうしたらこんな髪になるんだ。親はなにしてる? ――……ああ、最悪。

 そうか。つまり、そういうことか。


「なに、どうしたのよ」


 ユニスに指摘されたけど、私は涼しい顔で指摘を返す。


「意外と使えないな、魔法使い。さてはへっぽこか?」

「あなたやっぱりケンカ売ってるでしょ」

「アンタだって売るの得意でしょ?」


 どんどん話が過激にぶれていくのに耐えかねたのか、コマチが急に立ち上がった。


「だ、め……けん、か!」


 すごい大声だった。すぐに青ざめて腰掛けて、見ているこちらが申し訳なくなっちゃうくらいに身体を丸める。何かから身を守るようなその仕草に、思わずユニスと顔を見合わせた。


「……え、と」

「これは……どうやら一時休戦した方がよさそうね」

「同感……」


 さすがにユニスに言い返す気にはならなかった。

 試験会場で明らかに異常だったコマチは、今日は普通だったんだ。そりゃあ喋り慣れてない口数の少ない感じはあったけど。内気で無口な女の子でしかなかったのに。

 それでもやっぱり、あの日に見た異常の原因はきちんと残っていた。

 すぐにコマチを見たよ。

 アザも包帯もない。手首に切り傷があるとか、そういうのもなし。

 制服だって身の丈にあっている。文句のつけどころがない。

 コマチの何かが歪んでいる。コマチのせい? それとも、別? わからない。まだ。


「コマチ……?」


 そっと呼びかけた。けれどますます身体をぎゅっと抱き締めて小さくなる。

 震えている。昔の私なら思っていた。勘弁してくれ、関わらないでくれって。

 でも、もういやだ。それはもう、しない。

 囁く声を耳にした。


「……ケンカ、したら……とりもどせないんだ、なにも……なにも」


 思わずユニスと顔を見合わせる。


「コマチ。誰もケンカなんてしてないよ。ねえ、ユニス」

「ええ。これは……よくある、簡単な言い合い。自然な会話」

「ほら、ユニスもこういってる。だから、ね? 大丈夫だよ?」


 努めて意識して呼びかける。


「やだ……やだ……ケンカ、やだ……」


 怯えながら両手を離してこちらを見てくる。不揃いな前髪の下で、揺れる瞳が私たちを捉える。けれど定まっていない。心が不安定すぎるんだ。

 覚えがある。無視を始めたときのあの子が……そんな目をしていた。よく、覚えている。

 ほんと、なんて巡り合わせだ。コマチと会ったことに運命を感じる。

 あの日のやり直しをさせてくれるなんて、ほんと……最低な気分だ。あの日の罪を見つめているんだから……ほんと、最低な気分だけど。

 おかげで今の立ち位置を思い出せた。ここから始めなきゃしょうがなかった。天使キラリがやり直すなら、どうしたってここからじゃなきゃしょうがなかった。

 投げ出すことこそ当たり前の行動だ。みんなそうするだろう。無視したあの頃の私も、あの頃迎合したみんなも。

 でも春灯は違う。あの子だって、乗り越えた。私だって乗り越えるさ。


「コマチ。仲良くなるから。ケンカは……気をつけるから。ね? 誰もケンカしてないよ」


 こいつの心に何が眠っているのか、まだわからない。

 知っていかなきゃ、何もわからないままだ。

 無視したら気づかない。それはもうしない。

 コマチの手を取る。かさかさの指だ。けれど小さくて頼りない、普通の手だ。

 まだ、誰も傷つけてない。行きすぎたところはある。危うさを怖いと思う。

 それでも、放したりできない。


「大丈夫。まあ……まだ仲良しってわけじゃないけどさ。根っこが悪い奴はいないと思うんだけど?」


 リョータを見たら、あわてて声を上げる。


「そ、そうそう! なんて頷いても、あれかな。俺は悪くないって自分で言っても信用されない?」

「街一つ破壊した後だと特にな」

「ミナト……どんなフォロー!」

「まあでも、ケンカするのも仲良しの証拠っていうか。俺らは正直、まだそこまでの仲じゃないだろ」


 おい、ミナト!

 思わずユニスと二人で凝視してしまった。すかさずミナトが降参するように両手を挙げる。


「悪い、マジで謝る。今のは失言だった」

「やだ……やだ」


 コマチの心には届かない。

 俺たち仲良しです。はい、そうですか。それで終わるようなら楽ちんすぎる。

 やっぱり無理なのか。こういう状況に慣れてないから? ……前にダメだったから、今回もダメ?

 そんなのいやだ。

 だけど……くそ。

 人間、急には変われないのか。どうしたらいいんだ。


「見てらんねえなあ。頭で考えて人の心がわかるかよ」


 てんぱる私たちのそばにきたのは、トラジだった。

 丸まるコマチの首根っこを掴んで、それこそ猫にするかのように持ち上げる。


「おら。ケンカしてねーってよ。よく見てみろ、こいつらの仲良さそうなところ」


 トラジが視線で訴えてくる。なんとかしろって。

 急いでユニスの肩を抱く。ちょっと、と悲鳴をあげるユニスに「いいから!」と言って、笑ってみせた。渋々ユニスが笑顔を作ってみせる。

 不揃いな前髪の下にある怯えた瞳が私たちを見た。


「……ケンカ、しない?」

「天使次第ね」

「おいこら金髪」


 トラジが鋭い眼光で私たちを睨んできた。

 わ、わかってるってば。そんな目をするな。怖いだろ。


「な、仲良し……になる。予定。あくまで。でも予定だから、ほら」


 抱いた肩を揺さぶってユニスを睨んだ。


「……わかった。ケンカは……するかもしれないけど」


 おいこら!


「コマチ、あなたが思い描くような険悪なのはしない。だから、機嫌を直してくださる?」

「……ん」


 諦めたようにため息を吐いて、ユニスがそう言ってやっとコマチの身体から緊張が解けた。


「こわくねえだろ?」


 トラジが笑いかけたら、コマチが素直に頷いていた。

 この二人、意外と相性がいいのかもしれない。正直、トラジに助けられた。


「……私じゃだめか」

「ちげえだろ」


 何気ない呟きにトラジが笑って返してきた。


「え……?」

「クラスメイトの問題はクラスみんなの問題だろ」

「あ……」


 当たり前のように言うんだな。でも、すごくはっとした。


「だからみんなで片付けた。一人で背負ってんじゃねえよ」

「……うん」


 リョータにばかり思ってきたけど、トラジも変な奴だ。すごく。

 だけど、何かわかりそうな感覚があった。すごく大事な何かが――わかりそうだ。


「それ、あれだよね! ヒーローは一人で戦ってるんじゃない! みんなで戦ってるんだ!」

「リョータ。お前が言うと途端に陳腐だな」

「そ、そんな! 俺けっこう好きなんだけど! ワンフォーオール、オールフォーワン!」

「まあ……そういうことなんだけどな」

「最終回でみんなが助けに来る展開とか俺大好きなんだよなあ……!」


 キラキラした目でリョータがトラジを見つめる。トラジは肩を竦めてみせた。


「まあ……リョータじゃないけど、熱い展開だよな」

「やめてちょうだい、ミナト。そこまで仲良しになる気なんてありませんからね」

「イギリス人にはわからないのかね」

「私は日本じ――……オホン!」


 ……ん? ユニスが今したミナトへの返事、ちょっとおかしくなかったか?


「な、なんでもないわ。それより、そろそろ次の授業の準備をしましょうか」


 そうだった。まだ一時間目しか終わってない。

 濃い十分休憩だな、おい……。

 この調子でいくと、今日はとんでもなく大変な日になりそうだ。

 まあ、転入初日だ。大変な方が自然って考え方もありかも。

 切り替えていこう。前向きにね。


 ◆


 それからの休み時間も決して平穏とは言えなかった。

 リョータに絡まれたり、トラジに勉強について聞かれたり。

 授業の合間を見て学校の説明されたりで、コマチに話しかける隙がまるでなかった。気になってしょうがないの、私だけか?

 そんなわけない。別の誰かが必ずコマチに話しかけていた。

 みんな新しい環境に戸惑っている。それでもトラジが口にしてリョータが瞳を輝かせた考えを目指して動いている。

 結局、昼になった頃には自然の流れでみんな揃って食堂に行くことになっていた。

 頼んだメニューをトレイにのせて、空いている席を見渡した。

 学食はかなりの賑わいを見せていた。

 寮の生徒が多いせいか、弁当組が凄く少ないのだろう。

 私の前に並んでいた小さな女の子には見覚えがあった。文化祭で熱烈なキスをしていた王子さま役で、しかも先輩がデートに誘った人だ。向こうはこちらに気づいていない。

 彼女は明らかに激辛だと一目でわかる大盛りラーメンをトレイにのせていて、そばにいた綺麗なお姉さんが呆れていた。そのお姉さんというのが、文化祭のヒロイン役の人。

 たとえお芝居とはいえ、キスし合ってたくらいだから仲がいいんだろう。それにしても……間近で見ると綺麗な人だ。うちのママを越える女子なんて一人もいないと信じていたけど自信がぐらつく。


「あ、ユリアも。食べ過ぎだっていつもいってるよ?」

「もぐもぐもぐ……」


 ミュージカルでお姫さまをやっていた銀髪の女性だ。さらに自信がぐらついた。その手に持ったトレイに山盛り丼がぎゅうぎゅう詰めにのせられている。真ん中にあるのはラーメンだからぞっとする。


「おかしいでしょ。食べ過ぎだよ。カロリーとるなは間違いだってわかったけど。でも取り過ぎでしょ、いくらなんでも!」


 お姉さんに同意。

 昼間に大盛りラーメンとか、丼やまほど食べるなんて。

 そりゃあ燃料にはなるだろうけど、太る。間違いなく太る。

 じゃなきゃ世の中まちがってる。

 それか私のカロリーとの付き合い方が間違ってる。


「こっち、空いてる!」


 おっと、そうだった。ご飯食べなきゃ。

 リョータがぶんぶん手を振って示したのは、屋外のテラス席だった。

 さっきの激辛ラーメンの女の子がいた。


「メイ……やっぱり食べ過ぎだよ。いくら動くからって、三十過ぎたらぜったい太るよ?」

「そういうルルコも食べるようになったけど、ラーメンはまだ無理か」

「無理で結構です」


 綺麗なお姉さんと二人で仲良く食べている。

 そこへいくと、私たちは六人。大所帯だ。

 リョータの隣に腰掛けた。私のそばにコマチがくる。向かい側にトラジ、ユニス、ミナトが並んで座る。

 ミナトとリョータは小さな女の子につられたのか、激辛ラーメン。

 トラジは意外と渋めに天ぷらそば。ただし七味が山のように振りかけられていた。

 コマチはトマトスパゲティだ。

 さぞやハイソな飯でも頼むのかと思いきや、ユニスは親子丼定食。

 いただきます、と挨拶して食べ始めると、ユニスが本当に幸せそうな顔をして親子丼をむしゃむしゃ食べる。


「ユニス……アンタ、本当にイギリス生まれ? 妙に食べ慣れた風なんだけど」

「う、うるさいわね。日本食レストランだってあるの! 放っておいてよ」


 赤面しつつ、味噌汁を飲むときはしっかり啜ってる。

 ……怪しい。日本食レストランがあるとは言うが、そこで食べたとは言わなかったぞ?


「国から派遣されて、企業に関わるプロだっていうけど……確かに強かったけど……」

「な、なにかしら」

「たまたま引いた御霊が強かっただけのへっぽこで、島流しにされたってオチない?」


 そう指摘した瞬間、ユニスの全身が固まった。

 だらだらと脂汗を流し始める。


「な、な、なんのことかしら」

「……実は生まれはイギリスだけど、ずっと日本暮らしとか?」

「そ、そ、そんなはずないわ」


 ごまかすのに必死か。

 顔を逸らしているけど、綺麗で長くて扱いに気をつけなきゃいけないだろう金髪でも、親子丼を食べる姿が堂に入っている。その時点でかなり怪しい。

 カマをかけてみるか。


「ポーチの中身、全部日本のメーカーの商品だった」


 なんてね、と言う前にユニスがぷるぷる震えだした。

 頬が赤い。真っ赤だ。

 怒っている素振りはない。怒るなら、こいつはきっと何か言うタイプと見た。


「案外」


 ラーメンを啜るのを止めて、ユニスの隣にいるミナトが口を開く。


「イギリス生まれの日本育ちで、イギリスに帰ってなんらかの切っ掛けで力を手に入れたけど、国からめんどくさがられてこっちにきた。なんて設定、ありがちかな」


 涼しい顔して夢物語を語ってみせたミナトに、ユニスが呟いた。


「……ありがちで何が悪いの」

「おっと」


 おいこらミナト。墓穴掘ったんだ、自分で処理しろ。

 リョータも俯くし、トラジはそばを啜ってる。

 コマチが私の隣で落ち着かなさそうに身じろぎした。

 慌ててフォローする。


「ま、まあ! ほら。一族なんでしょ? 魔女の。凄いよ」

「……西の魔女に違いはないもの」


 泣きそうな声で言うな。そういうギャップやめろ。

 これからアンタにふっかけられた時に、言い返しにくくなるだろ。


「ユニス、頼りにしてるから。みんなもそうでしょ? ミナト、こいつけっこう強いから」

「ちげえねえ。ユニスがいなけりゃコマチも俺らもやばかった」


 トラジが頷いたから、ミナトは信じる気になったみたいだ。


「魔女って、実際どれくらいいるんだ? どれくらいの魔法が使えんの?」

「簡単には話せないわ。長くなる。少なくとも昼ご飯を食べながら話せる内容じゃない」

「とかいって、実は知らないだけとか?」

「し、しってるもん!」

「……おう」


 涙目になって訴えるユニスのぽんこつっぷりは、おい……どうフォローしたらいいんだ。


「ミナト、さっさとなんとかしなさいよ」

「俺!?」


 いやおまえだろ、と全員で睨んだら、ミナトが降参するように俯いた。

 そしてぷるぷる震えているユニスにフォローし始める。その光景が、なんというか。


「俺が悪かったって。機嫌を直してくれよ」

「……しらないわ」

「そんなこというなって。楽しみだなあ、ユニスの魔法を見られる瞬間が」

「……そんなこといって、口から出任せなのはわかっているんだから」


 痴話ゲンカ。そうとしか言いようがない。まあいいや、仲良さそうな雰囲気しかしないから。

 おかげでコマチの不安がどこかへ飛んだようだ。


「ずるるるる!」

「ちょっ、こら、コマチ! トマト系の麺を全力で啜るな! 飛ぶだろ!」


 隣にいたコマチを慌てて止めた時だった。


「はは! ははは!」


 耐えかねたようにトラジが笑う。腹を抱えて大爆笑だ。その間にも天ぷらが汁を吸っていく。私はかりかり派だから許せない暴挙だった。


「ちょっと、トラジ。笑ってないで天ぷら食べなさい。ふやける!」

「おっ、そういやそうだな。つゆを吸ったふんわりも好きなんだが、今日はやめとくか」


 指摘してすぐにトラジは天ぷらをすくって食べた。

 飲み込むなり、笑いながら喋る。


「いや、わりい……思ってたより愉快な連中だな。士道誠心がどんなところか、入るまでてんぱってたけど。どうやら楽しくなりそうじゃねえか」


 なにいってんだ、こいつ。


「ちょっと。愉快な連中に私を入れないでよ」

「天使……だっけ。そういうお前はなに食べてんだよ」

「え?」


 みんなが私のトレイを見つめてきたから、言ってやりましたよ。


「今週の学食おばちゃんびっくりどっきりメニュー、森の気まぐれ妖精サンド」


 みんなして上半身を反らして私から離れた。


「え、なんで離れるの?」


 おかしいな。普通のカツサンドだぞ。


「……その、挟まってるの、なに」


 ユニスのしかめ面に肩を竦める。


「たぶん、気まぐれ妖精」

「いや……だからなに? 揚げ物っぽいけど、肉なの? 魚なの? 全体的にソースが緑色なのはなんで?」

「アボカドマヨソースとキノコのチップ入り、マグロを揚げたカツサンドだよ」

「よく、よくびっくりどっきりメニューとかいうやばそうなの頼めるわね……え? マグロとキノコってあわないでしょ」

「だからキノコは香りづけのためのちっちゃなチップだってば。おいしいけど?」


 みんな微妙そうな顔をして見てくる。そんな馬鹿な。


「どこが……どこが気まぐれなのか、森の妖精なのかわからない……え、なに? 確かにメニューだけ聞く限りじゃ、いかにもスイーツ女子感あるけど、え? 頼む?」


 ここへきて庶民感が溢れ出るユニスに、思わず言い返した。


「いやだから、たぶん森の妖精要素はキノコでしょ。食べたことない? 森の妖精のパスタとか」

「あ、よくあるキノコスパか」「しかも注文する時はずかしいのに、注文を受けた店員がキノコスパっすねって答えるタイプの奴な」


 ああ、と頷いたのはリョータとミナトの二人だけだった。


「香りがいいキノコを小さなチップにしてるの。気まぐれ要素はキノコにアボカドとマグロあわせたところかな。限定十食だったのも納得のうまさ」

「誰も頼まない意味でね……」

「おいしいってば。食べてみない?」

「……朝と昼は白米って決めてるの」


 日本人か。

 のど元まででかかったツッコミをぐっと飲み込んだ。

 コマチの手前、ケンカはできない。そしてきっと私とユニスは性格上、言い合うように話してしまう。我慢しよう。我慢、がまん。


「ち、ちなみにユニス、晩ご飯は何を食べるの? 好きな食べものは?」

「お寿司だけど。最近はローストビーフ丼にハマってる」

「アンタ絶対日本育ちだろ! っていうかローストビーフ丼は一周回ってかなり遅れてるから!」

「そ、そんな……!」


 絶望にくれた顔をするな!


「アンタ、どうせお金がないときはチェーン店で牛丼たべるタイプでしょ」

「し、失礼ね! カレーも食べるわよ!」

「ナンじゃなくてライスカレーでしょ? 立ちそば行ってカレー頼むタイプとみた」

「な、なぜばれてるの!? 立ち食いそば店のカレーすら愛している事実が、なぜ!」


 いや、完全に勢いのまま言った口から出任せなんだけど。とにかく声を大にして訴えたい。

 こいつ絶対、日本育ちだ!


「ははははは! ほら、やっぱり愉快じゃないか」


 トラジ大爆笑。リョータもミナトも笑いを堪えている。コマチも肩を震わせていた。

 やれやれだ。涙目になってるユニスがもそもそと親子丼を食べる。似合いすぎていてつらい。

 見た目は完璧、金髪碧眼美少女なのに……中身は純日本産か。残念な奴だ。

 見るに見かねたのか、リョータが口を挟んだ。


「と、ところで天使さん。料理得意なの? なんか、ちょっと食べただけでそのサンドの中身把握してるっぽいけど」

「確かに。普通食べただけじゃわからないよな。相当な味覚の持ち主とみた」


 ミナトが横で頷いているけど、特に不思議はないと思う。


「香りも味もわかりやすいけど。食べてみる?」


 食べかけだけど、と差し出したサンドイッチを男子二人が気まずそうに身じろぎしながら睨んできた。


「い、いや、そういうのは、ほら。な、なあ?」「ああ……ちょっと、ハードル高すぎる」


 何を意識しているんだ? さっぱりわからない。


「コマチは? 食べてみる?」


 何度も頷くコマチの口元に近づけた。小さな口で噛み付いてもそもそ食べてから、顔を輝かせる。ほら、おいしい。


「どうする?」


 男子二人にもう一度サンドイッチを向けた。

 けどまるで恐ろしいものでもみるかのように、身構える。


「くっ。なんてことだ!」「ますますハードルが! 一人が二人になるなんて!」

「「 いったい何乗倍されてるんだ! 」」


 言っている意味がわからない。

 ユニスが深々とため息を吐いた。


「ちょっと。横にいる二人がばかなんだけど……」


 そういうアンタも、大概だと思うよ。

 トラジが上機嫌に笑う中、男子二人は結局辞退した。

 おいしいおいしいと言って食べていたらユニスが興味を持ったらしいので一口あげた。


「……意外とおいしい。けどキノコはやっぱりどうなの? そりゃあ、意外とおいしいけど」

「パン食も悪くないでしょ? 似非英国淑女さん」

「そ、その言い方はやめて。私は日本の白米を愛しているの」

「もはや突っ込む気も起きない……ん?」


 辞退したはずの二人が生唾を飲み込んで、じっとサンドイッチを見ている。


「食べる?」


 もう一度聞いたけどね。

 二人とも赤面しながら辞退した。じゃあなに見てんのかって話。

 さっぱりわからない。ほんと、男子は意味不明だ。


 ◆


 午後の授業で、私たちは獅子王先生に連れられて校舎の中にあるぴかぴかのロッカールームに連れて行かれた。鞘を持参の上でだ。

 どうしたって期待は高まったし、すぐに夢は叶った。

 施錠されたロッカーを獅子王先生が開ける。

 中にあったのは、刀だ。

 私たちの刀。

 ミナトとユニスの刀はない。

 ボロボロで今にも壊れそうなコマチの刀のサビは綺麗に落とされていた。それでもところどころ欠けている。


「……ッ」


 それでもコマチはその刀を愛しそうに抱き締めていた。

 気持ちはわかる。

 私も自分の刀を抱き締めたくてしょうがない。

 アンタのおかげで、私は学校に入れた。春灯の力になるための資格そのものだ。

 大事にせずにはいられない。やっと会えた。次は春灯だ。


「傾聴せよ」


 獅子王先生の言葉に視線を向ける。

 ロッカーの前に立つ獅子王先生は言う。


「ロッカーは刀が中にある時のみ、鍵を掛けられる。その鍵を職員室に提出して初めて、外出可能となる。よろしいか」


 みんなで頷いた。


「ユニス。お主は別枠だ。許可証はあるか?」

「はい。財布に入っています」

「よろしい。これを見よ」


 重々しく頷いてから、獅子王先生が懐からカードを出してみせてくれた。

 所持許可証だ。やっぱり必要なんだ。外に持ち出すには、許可証が。

 隔離世の刀は現世のものを斬れない。それでも、刀の形をしていて、隔離世で邪を斬ることのできる力である以上は、必要なのか。

 一般人から見たら普通に刃物だもんね。ぎょっとするはずだ。現世の日本刀と区別がつかないし、警察も許可証がなきゃ危険かどうか判断する材料がなさすぎる。

 それとも鞘か何かに隔離世と現世の刀を分ける目印とかあるんだろうか。私が知らないだけで。あってもおかしくなさそうだ。

 つらつら考えていたら、獅子王先生に見つめられていることに気づいた。あわてて背筋を正すと、先生が口を開いた。


「隔離世刀剣協会より推薦を受けた生徒の場合、十四歳より申請可能である。本校の在学中に許可を取る者もいる」


 十四歳……でも中学校以下の施設に御珠はないはずだ。何かからくりでもあるのか。気になるけど、今は先生の話を聞こう。


「警察の監督下において、或いは一時的な許可を経ていれば持ち出しは可能だ。本校の敷地内は言うまでもなく、所持可能である」


 そうでなくては困る。

 せっかく受け取ったのに、すぐに警察機関に没収名目で奪われたら手に入れた意味がない。


「しかし人命を損なうなどの緊急時を除き、無断で持ち出した場合には発覚した時点で処罰の対象となる。ゆめゆめ忘れるな」


 落ち着かない。人命を損なうなんて話を聞く機会がくるなんて思わなかった。

 けど考えてみれば、当然か。刀は現世の人を守るための力なのだから。

 実際、コマチを助けなかったら……現世の彼女がどんな目に遭うのか、想像するのも怖い。

 憑きものが取れたように小動物丸だしの可愛さを見せる今のコマチも、試験で邪を吐き出す前はかなり鬱屈した根暗丸出しだったんだ。

 放置したらきっと事件が起きていた。そんな気さえする。

 救えてよかった。本当に、心からそう思う。


「さて……鷲頭ミナトの資質がまだ見えておらぬな。刀鍛冶の選出も迅速に始めたいところだが、まずは特別体育館へ参ろうか。各自、鞘は持ってきているな?」


 あわてて持ってきた鞘を出す。


「基本的には納刀した状態を心がけ、抜刀は控えよ。人に向けるような真似などせぬように……そう言っても、血気盛んな生徒がケンカに用いるのだが。無論、教師が見つければ基本的には処罰の対象とする」


 さっきから処罰の話が続く。それくらい大事な話なのだろう。

 刀はまだ身近になっていないが、強いて言えば調理実習で包丁を人に向けるのと大差ないんだろうと思う。

 許される遊びじゃない。


「納刀の手順を説明する。切れぬとはいえ、刃に触れれば痛む。心して聞くように」


 喉を鳴らした。本当に……侍候補生の入り口に立っているんだ。

 実感しながら、私は真剣に話を聞く。

 手の中にある刀から不思議な熱を感じる。まるで私の興奮の熱みたいに、確かに疼いていた。


 ◆


 特別体育館へ行って、心の底から驚いた。

 春灯たちがいる。正面口から中心にある城へと向かう大通りに。

 見れば女子は春灯ともう一人の合計二人だけ。他は全員男子だ。春灯のやつ、凄いクラスにいるな。


「十組の生徒たちには初顔合わせになるな。我のクラスだ……九組、整列せよ」

「「「「 応! 」」」」


 全身がビリビリするような大きな声の返事だった。みんなはかったようにタイミングがピッタリだ。

 一斉に長屋の前に横並びに並ぶ。全員が刀を腰に帯びた、胴着姿だった。

 春灯がきらきら瞳を輝かせながらこっちを見てくる。

 気持ちはわかる。私も春灯を見ずにはいられなかった。

 やっと会えた。けどどうやら、話せるまでもう少し時間がかかりそうだ。


「他にも……周りを見てみれば、一年生が集まっている」


 獅子王先生の視線の先を見て、気づいた。

 特別体育館の中心地だろう城の窓や屋根に腰掛けた生徒たちが見える。

 他にも、長屋の中からこちらを見ている生徒がたくさん。


「今日から諸君の仲間になる生徒たちだ。九組以外のみなが観戦する」


 ……待て。観戦っていったか?

 それは、どういう意味なんだ。


「古来より、隔離世の資質は心が剥き出しとなる窮地において覚醒する。ミナトを除いた全員が、それを体験したはずだ」


 嫌な予感がしてきた。


「模擬戦を行う」


 待て。待て、待って!


「ミナトの抜刀と、ユニスをはじめとする五名の実力を量る。戦いをもって、十組の自己紹介を一年生全体へ行うものとする」


 待ってよ!

 どうしてこう、士道誠心は急なんだ!

 手取り足取り戦い方を教えてくれていいんじゃないか?

 それとも……実践的でなければ侍の育成には時間が足りないとでもいうのか。

 くそ、たぶんそうなんだ。誰も驚いた顔をしてない。むしろ当然だって顔をしている。

 なんて場所だ。

 どや顔をしている春灯は乗り越えたのか、こんな無茶ぶりを。


「なお、館内のカメラで撮影した情報は教師陣と上級生に共有される。警察が指導のための材料にすることもある。特に……刀鍛冶はこれからの戦いを参考にするだろう」


 そんな大事な機会を、なんの予備動作もなしでしないでよ!


「未熟者だらけだろう。多くは望まぬ。力に目覚めぬ生徒の覚醒方法ならば、九組は心得ている。胸を借りるつもりで臨むがいい」

「鬼ごっこしましたからね!」

「青澄、我が話している。まだ早い、許可なく発言するな」

「す、すみません」


 鬼ごっこってなんだ。っていうか春灯、怒られてるぞ。


「ルールは単純だ。刀を抜いた十組生徒は襲い来る九組生徒より身を守れ」

「はい!」


 元気よく返事をしたのはリョータだけだった。


「全員倒してしまっても構わないんですよね?」


 ユニス、挑発するな……まだ早すぎる!

 九組の人たちはみんな驚いた顔をしていた。むしろ、城から猛烈な怒気を感じるぞ。


「まあ……いいぜ。荒っぽいのは慣れてる」


 トラジ……確かに慣れていそうだけども。


「よろしい。鷲頭ミナト、お主は生徒に捕まるな。無事、逃げ延びてみせよ」

「はあ。まあ……逃げるくらいなら」


 え。え。なんで納得できるんだ?

 私には一つも納得できる要素がなかったぞ?

 コマチもコマチで鞘ごと刀を抱き締めて、やる気に満ちた顔をしているし。


「では――……佳村、隔離世への移動を頼む」

「はいです!」


 長屋の中から可愛らしい声が聞こえてきた。

 出てきた小さな女の子が小さな珠を掲げる。

 なんだ、と思った時には身体が吹き飛ばされるような感覚があった。


「始めよ!」


 すぐに獅子王先生の声が響き渡る。

 九組が一斉に刀を抜いた。戦う気満々だ。

 遅れてリョータが刀を抜き、ミナトが全力で九組に背中を向けて走りだす。

 拳を打ち鳴らすトラジはケンカをする気満々だ。

 コマチが強ばった身体で刀を構えてすぐ。


「みんな、いくよ!」

「「「「 全員、退避! 」」」」


 春灯が跳躍した。手に持っているのは葉っぱ。それを額にのせて、指を複雑に絡み合わせた。

 何をするんだ、と思っている場合じゃなかった。

 私たちを追い抜いて全力で九組の生徒が離れていく意味を考えるべきだった。


「タマちゃん全力変化! ヤマタノオロチモード!」


 九つの尻尾がびかびかと光り輝いて、春灯の身体が一瞬で膨らんだ。

 九つの頭のあるヘビ。そのサイズが異様だ。

 城と同じサイズのヘビってどうなんだ!


「こ、これは……やりがいのある相手ね」


 本を左手に、杖を右手に構えるユニスが笑う。

 心強いはずだった。ユニスの頬に汗が垂れ落ちていなければ。


「ちょ、ちょっと。ちょっと! どうすんの、これ!」

「やる気満々だったが……前言撤回だ。逃げろ!」


 トラジが叫び、コマチが走りだす。


「うなれ神の雷!」


 ユニスが杖の先端から稲光を放ってオロチに挑む。

 けど、とても効果があるようには見えなかった。

 無視してこちらへと這い進んでくるからだ。

 しかも、異様な速度で。


「キラリ!」


 リョータが私の名前を呼んで飛びついてきた。

 抱き締められて長屋へと突っ込む。

 ぼうっと突っ立っていたら、ぺしゃんこに押しつぶされていただろう。


「は、半端じゃないな、士道誠心」


 苦笑いを浮かべて身体を起こすリョータに文句の一つでも言ってやりたかったけど、我慢した。なんとか身体を起こすと、佳村と呼ばれた小さな女の子が駆け寄ってきた。


「大丈夫です?」

「……あんまり。でも怪我はしてない」


 九組の連中のように着替えさせてくれてたら、気構えだってできたのにな。

 まったく。なんて日だ。


「これって、士道誠心だといつも通りなわけ?」

「はいです」


 笑って頷かれて軽く眩暈がした。


「すぐに追っ手がきますよ?」

「……そうだった」

「気をつけてくださいね」

「あのでかいヘビ以上に気をつけなきゃいけない存在がいるの?」


 勘弁してくれって気持ちを込めて言ったんだけどな。


「もし……いいところを見せたら、ノンの侍が我慢できなくなります。他の侍候補生もきっと……だから、ぜひがんばってください! すごいの期待してます!」


 ぎゅっと拳を握られても困る。

 どこいった、長屋に入ったところをみたぞ! という声がした。

 リョータが私の手をぎゅっと握る。


「天使さん!」

「勘弁してっていいたいところだけど、逃げる!」


 ファイトです! と声援を送る佳村をそのままにして、リョータと走りだした。


「心配するのか応援するのかどっちかにしてよ、もう!」


 胴着姿の九組の男子がこちらに向けて走ってきた。

 大蛇は建物を押しつぶさずに済むよう、開けた道を進んでどんどん離れていく。

 トラジとユニスがその先にいるのだろうか。コマチは無事か。

 そう思った時だった。


「くっ!?」


 私の手を離してすかさずリョータが刀を振り下ろした。

 リョータの刀が受け止めていたんだ。

 私に襲いかかる青い髪をした鬼の拳を。


「やるね、きみ」

「それはどうも!」


 なんとか切り返して追い払う。

 青髪の鬼が着地したところには、赤髪の鬼の女の子がいた。


「おいおい……岡島、新入りにかわされるなよ」

「そう言わないでよ、茨。型はないしでたらめだけど……彼、結構やるよ?」

「じゃあ二人がかりだ!」


 笑いあう鬼二人を見ているだけで、なぜか鳥肌が止まらない。


「ごめん、ちょっと……きつくなりそう」


 笑ってみせているけど、リョータの口元は確かに引きつっていた。

 刀を握る手だって震えている。

 私たちの背中を追い掛けていた他の生徒とどんどん距離が詰まってくる。

 逃げられない。捕まってしまう。

 それは激しく情けない。いやだ。そんな目に遭うために来たんじゃない。

 求めよ。そして掴み取れ。

 なにを? 情けない敗北を? そんなのごめんだ。


「……こんなのがデビューなんて」


 憎まれ口を精一杯叩きながら刀を抜く。

 すっかり心は冷えていた。刀がいやに冷たく重たく感じる。


「テンションあがるよね」

「は?」


 リョータの言葉に思わず自分の耳を疑った。


「……なんで」

「だって。全員が俺たちの全力を待ち望んでる。こんなに期待されると、いやでもあがるでしょ! 全力を見せてやらなきゃ気が済まない!」


 震えてるくせに。


「俺が夢見たヒーローなら、笑って挑むところだ!」

「……アンタってほんと子供だし、変な奴」


 だけど思わず笑ってしまった。手の中で熱が疼く。

 初めて手にした時よりは弱い、けれど確かな熱。

 何も持たない手に力がこもっていく。内から溢れ出て、満ちていく力が。

 手のひらを吹いてみせたら、星型の光がいくつも生まれて流れていった。

 子供向けアニメのエフェクトみたいだ。


「でも……おかげで思い出した」


 そういえば……小さい頃は確かに憧れていた。リョータほど一途じゃないけど。

 天使みたいに可愛くて、どんなお姫さまでも叶わないドレス姿になって……だけど戦うときは可愛い衣装で男の子向け特撮ヒーローみたいに強い。そんな女の子に憧れていたんだ。

 なんでいまこんなこと思い出してんだろ。バカみたいだ。

 きっとこの、星の光のせいに違いない。


「いいじゃない」


 笑ってみせた。

 リョータじゃないけどさ。

 きっといつか夢見たヒロインなら、不敵に笑ってみせる場面だから。

 大蛇に化けた春灯の背中が見える。

 追いつきたい。置いて行かれるのはごめんだ。

 それじゃアンタの力になれないだろ。

 私を置いてどこかへ行くな。

 それでも置いていくというのなら、振り向かせてみせる!


「力を見せるよ、リョータ。みんなを助けに行く……ヒーローになる準備はできてる?」

「あがるね! もちろん、いつでも!」


 笑ってみせた。


「九組――……覚悟はいい?」


 私は決めたぞ。アンタたちに目に物みせる覚悟を!




 つづく。

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