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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第二十一章 天使の来訪

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第二百六十一話

 



 いよいよ編入試験――……もとい、より正確に言うならば転入試験の日がやってきた。

 編入は中途退学してた生徒が入るときの用語らしい。

 私みたいに通っている高校から別の高校に入る場合には転入と言うらしいのだ。

 日本語って難しい。

 書類を見せてパパに指摘されたときの恥ずかしさは想像を絶した。手抜かりはないか必死で探したよ。

 整理しよう。

 補欠募集、二学期末のそれは十一月末に実施。

 書類選考のち、士道誠心学院高等部にて国語、英語、数学の試験、作文と面接、および実技の試験が待っている。

 私が調べてみた限り、これは編入・転入試験のフルコースって感じだ。

 通っている学校の担任の先生やパパたちに吟味してもらったおかげで、書類選考は無事に通った。

 士道誠心の筆記試験は私の学力で問題ないらしい。

 となれば、あとは作文と実技。作文の傾向はわかる。でも実技ってなに?

 失敗したくないし、間違えた時の恥ずかしさをもう味わいたくないから、マスターと先輩に事前情報をできる限り聞いた。

 二人とも口を揃えて実技のコツについてこう言ったよ。


「「 求めよ、さらば与えられん 」」


 世の中そんなにシンプルじゃないだろ、と思った。けど複雑にして得をすることもない。だからシンプルにいこうと決めた。

 どきどきしながら、早朝に家を出る。

 いつも挨拶してくれる近所の人たちに、いつもなら言葉少なに返すところをしっかり挨拶して返した。

 電車を乗り継いで学院の最寄り駅へ向かう。

 早朝にもかかわらず混雑した電車で辟易するけど、男の下心にうんざりしてる身としては女性専用車両がありがたい。

 まあ……えん罪仕掛ける女も十分厄介だから、一概に男憎しとは思わないけどね。マスターや先輩みたいな人がいるんだし、一緒くたに憎む心の方が問題だ。

 憎むよりは現実を見て、現実を見るならいいところを探した方が建設的。

 マスターと先輩を見てみろ。

 侍か刀鍛冶なら、芯に一本通った男がいるかもしれない。

 実は転入に際して、ちょっと期待してる。マスターや先輩くらい、強くて格好いい男子との出会い。私だって別に木の股から生まれたわけじゃない。ママは毎日パパに仲良しアピール激しめだから、うっとうしいし羨ましい。愛はこんなに人を蕩かせるのかと。蕩けた人はだいたい幸せそうだ。本気で相手の愚痴を言いながらも許せる気持ちが愛だと、傍目に見てて思う。

 少なくとも次に恋愛をする時は、素直に話せて心を許せる相手がいい。

 たとえば……そうだな。

 股間を押しつけられても、しょうがないなと思える相手。それってかなりハードル高いけど、そんな男がいるだろうか。

 先輩もマスターも絶対そんなことしそうにない。それとも自分の恋人や伴侶相手なら、あんなに素敵な二人でも求めるのだろうか? 少なくとも私が付き合った男よりは何百倍もマシなアプローチなんだろうけど……。

 ダメだ。この先がイメージできない。どうやら袋小路にはまったようだ。

 まだ私には早すぎる。これについて考えるのはやめよう。

 スマホを出してSNSアプリを開く。

 偽垢は春灯に絡んだ奴以外、全部消した。だから持っている垢はただいま二つ。偽垢は春灯の呟きで埋まってる。


『今日も学校です。期末の勉強つらすぎるけどがんばってたら、一本めっちゃ剛毛なの見つけてしょんぼり。この毛が増殖して尻尾を侵食したら、私の尻尾はかちんこちんになって武器になるのでは?』

「ぷっ……」


 アイツは一体、なにを呟いているんだか。

 写真をつけて剛毛をアピールしてどうするの。

 つくづく、変な奴。

 おかげで気が紛れた。思わず笑っちゃったくらいだ。

 助かった。

 アイツはフォロワーが減るかもしれない呟きを結構する。そりゃあ、アイツ自身は気にしないだろうけど。むしろ抜けた感じがらしくて笑えるから好きだけど。

 写真を見た。

 尻尾に生えた一本の剛毛を支える左手の薬指には指輪がある。

 春灯の彼氏はマスターの息子だ。振る舞いを判断できるほどまともに絡んではいないけど、雰囲気は間違いなくマスターの息子って感じ。強いて言えば見た目はマスターの奥さんに似て、女性顔と言える。イケメンだ。

 春灯は幸せを掴んでいた。恋人は作るより維持するのがとても難しいと、通っている学校で他の女子が話しているのを聞いたことがあるが、幸せ満喫中の春灯に何かが起きる気配なし。

 大波乱さえなければ結婚までいく気がする。高校生が何を言っているんだと言われても仕方ないけど、私はそう思う……いや、待て。当たり前か。

 大波乱なく別れたって、なんだそれって感じだ。

 適当に付き合ったらそんなことになりそうだ。私のように。


「……はあ」


 いやいや。自己嫌悪している場合か。

 やり直すんだ。今日、ここから。

 自分のことばかり考えてどうする。許してくれて、力をくれた春灯が待ってくれている。応えるための第一歩なんだ。

 困っている人の力になれる私になりたい。

 私を許してくれた、あの二人のように。

 私を助けてくれた、先輩とマスターのように。

 考え事をしていたら駅に着いた。

 外に出て実感する。地元ほど建物が密集してない。広々としたバスロータリー、ささやかな駅ビル、活気はそこそこ。モールがあって、広々とした駐車場が見えるから空間が広がって見えるのかもしれない。

 事前に届いた案内には駅前のバスに乗るか、徒歩で来るよう指示がある。ちなみに徒歩五分とかそんな生やさしい距離じゃない。

 急ぐなら素直にバスに乗るべきだ。

 けど歩く。

 だいぶ朝早くに出たのは、歩きたかったからだ。

 知らない土地、慣れない土地。来るといつでも興奮する。小学生や中学生の頃に見た世間がいかに狭いか気づかされる。

 旅が好き。歩き回るのが好き。知らないことを知るのが好き。

 最初は、好きなモデルさんが通う美容院に背伸びして行ってみたくて迷ったことが切っ掛け。我ながら、いま思い返しても方向音痴が極まっていた。

 ぶさいくなデブ猫と出会って、ママが大好きな映画みたいに案内されて周囲を見渡せる高台に出て妙にすっきりしたのを今でも覚えてる。

 ちなみにそんなことを繰り返していたら、夜の帰り道に電車で痴漢に遭ってマスターに助けられたんだけどね。

 がっつりお尻を掴んでおいて、混んでて荷物を持ってる手のやり場がなくてどうこうと言い訳されて心の底からむかついたのも忘れよう。なるべく早くに。

 マスターの珈琲はおいしかったし、天国みたいなバイト先が見つかったし。だからといって許せないけど。

 忘れよう。奴は元は警察にいたマスターによる成敗を受けた。社会的制裁を受けたのだから。


「――……」


 ローファーで長時間歩くのは面倒。ヒールは論外。ブーツは……まあさておいて。

 自分の足にぴたりあてはまるスニーカーを履いて歩く。

 ここは東京西部。二十三区じゃない。首都東京とか言うけど、西部へ行けば行くほど他の県と大して変わらないと私は思う。まあ……土地に誇りを持っている人に言ったら、怒られそうだけどね。

 街灯と電柱、煩雑としてない道路。街路樹の寒そうな姿。駅へ急ぐスーツ姿がちらほら。ぱっと見えたアパートの一階にコンビニがあったから立ち寄る。

 ママに禁止されているからスナックはなし。パンもだめ。菓子パンはあれで意外とカロリーお化け。

 常備しているのは蒟蒻おやつ。残りは十分すぎるくらいあるけど、それだけだと心許ない。チョコが欲しい。甘くないのが最近のお気に入りだ。

 吟味してから選んだ一品を手に、レジに立つ。深夜シフトのお兄さんが眠そうな顔で学生服の男の子を睨んでいた。その学生服を見て驚く。渋谷で有名な学校の制服だ。


「あの……お客さま?」

「す、すいません。あれ、あれ……おかしいな。五円だけ足りないんです」


 男の子は明らかにてんぱっていて、財布を何度も見直している。

 あんまりダラダラしたくないけど、他の店員さんは商品を並べるのに夢中。おまけに並んだ客は私だけ。待つしかなさそうだ。だんだん苛々してきた。


「ない、ない……なんで? どうして? 千円あったはずなのに」

「……あの。これで会計してください」


 用意した財布にちょうど五円玉があったから、出す。

 驚いた男の子が私を見た。


「え……あ、あの? なんで?」


 ぼさぼさ頭で目元が見えない。眼鏡を掛けている。柔和な顔つきだけど、全体的に冴えない。制服はいけてるのに。

 だいたいなんで、渋谷の学校の生徒がこんなところにいるんだ。


「き、君みたいな可愛い子におごられる理由がない、んだけど」


 おどおどしながら褒められて思わず笑ってしまった。


「早くしてくれます?」


 どうでもいいな。どうでもいいから、笑顔で言ってやったんだ。そうだとも。きゅんとなんてしない。断じて。

 慌てた男の子にレジの店員さんが視線を送る。


「あのー。どうなさいます?」

「あ、じゃ、じゃあ……すいません。これで」


 ぺこぺこ私に頭を下げて、店員さんにもお詫びした男の子が買った商品をちらっと見た。

 私と同じチョコ。しかしかなり甘えのバリエーションを選択してる。

 こいつとは絶対に気が合わないに違いない。だから絶対、きゅんとなんてこない。きてたらちょろすぎる。それはない。断じて。


「あ、あの、お返し……ど、どうしたら」

「いいから。忘れてください」

「ええ……」


 明らかに困っている。けど救いの手はもう十分差し伸べたつもりだ。


「なにか?」

「い、いえ。ありがとうございます!」


 睨んでいたら、男の子は深く頭を下げてから走るように去っていった。その走り方がまた、いちいち動きが大げさで呆れる。運動神経がなさそうだ。制服がいけてても中身があれじゃあね。

 だからつい。ついなんだ。

 マスターや先輩が助けてくれるのを真似するみたいに慣れないことをしたのは。

 そうとも。恥ずかしくなんてない。ちっとも。

 これっぽっちも、恥ずかしくなんてない。

 私を助けたみんなに恥じない第一歩を踏みたかっただけ。そうだとも。顔が熱いのは……まあ事実だけど。恥ずかしくなんてないから!


「あのー?」


 店員さんに呼びかけられて我に返った。ぼんやりしている場合じゃない。

 さっさと会計を済ませて外に出ながら心の中で誓った。

 このコンビニに来るの、三ヶ月はやめておこう。

 恥ずかしいのは慣れないことをしたせいだ。

 断じてあの男子に褒められたからじゃないんだから。


 ◆


 士道誠心学院。

 小学校から大学までの一貫校って奴だ。

 私立の学費だから正直、安くないらしい。それでも他の私立と違って、侍候補生になれれば毎月、月末に学校主催のアルバイトがあるという。だから負担はまだマシな方だと思う。

 とうとうここに来た。

 今日を乗り越えないと、春灯と同じ学舎に通えない。どうにかして越えたい。意気込み睨む私の横を、いろんな制服姿の男女が通り抜けていく。

 数えてざっと一クラス以上の人がいる。見ればちょうどバス停からバスが出るところだった。まだ開始する時間まで結構あるから、もっと増えるだろう。

 見たことのある制服もあれば、見たことのない制服も見かける。それだけじゃない。息を呑むような白い肌の美少女とか、色黒でいかにも細マッチョな男の子とかもいる。ぶつぶつ何かを呟きながら猫背に歩く女とか、エトセトラえとせとら。

 い、意外と多いな。

 高校の編入……もとい。転入する奴なんて、そうそういないと思っていた。

 よほど注目が集まっているのか。

 それとも関東甲信越近辺で刀を求める私みたいな奇特な奴がこれだけ眠っていた、ということか。

 しっかりしないと。怯んでなんていられない。


「求めよ、さらば与えられん」


 呟いて、敷地内へと踏み込んだ。まずは試験を乗り越えよう。作文の対策なら練ってきた。

 問題は実技だけ。

 なのに、私は圧倒されていた。

 転入・編入試験会場のために用意された大教室に集まった人数、ざっと百人近く。

 アンタたち選んだ学校に通え! 私が落ちたらどうしてくれる! ……なんて泣きたい気持ちをぐっと堪える。

 弱気と短気は損気だ。経験上、そうだ。落ち着け。

 黒板に書いてある受験番号の座席表に従って腰掛ける。


「……たなさえあれば。刀さえあれば。刀さえあれば……」


 無理だ。落ち着けそうにない。

 隣の机に向かう猫背の女がぶつぶつ呟いているのがいかにも不穏。


「あ、ど、どうも」


 私より後にやって来て隣に座った冴えない渋谷の男の子が隣に座った。

 どこで追い越したのか、それともこいつが迷ったか遅すぎたのか?

 どちらにしても最悪だ。恥ずかしすぎる。


「……どうも」


 しかし彼が来た理由はこれで明白になった。

 冷静に考えればわかることだった。迂闊すぎるだろ、私。

 試験のある日にこのへんにいるよその学生の目的なんて、はっきりしているじゃないか。

 それにしたって隣にこなくたっていいだろう。


「な、なんか縁を感じるね」

「はあ?」


 睨んでいたら、はにかむように笑われた。

 違う。そうじゃない。苛々していた時だった。


「あの、そちらのぶつぶつ仰っている方……静かにしてくださる? あまり賑やかにされると、気が散るので」


 ふり返った金髪白人がにこやかに猫背女に言った。


「……美人は死ね。くずが。死ね」


 こわっ。

 クマのひどい目元、かさかさの肌。唇もぱさついていて、髪も渋谷男と同じくらいぼさぼさ。手入れなんて欠片もされていない。おまけに爪を噛みだした。見れば他のどの爪も限界まで噛みちぎられている。

 ちょっとちょっとちょっと! ホラー過ぎるだろ。やめてくれ。

 猫背女の雰囲気の声の度合いが本物すぎて、きつい。

 試験を受けるより病院へ行った方がいい。


「聞いて下さらないようですね。諦めます」


 諦めるな。頑張れ、金髪。

 こんなのの隣で試験を受ける身にもなってくれ。

 私の願いなんてもちろん届くはずもなく、金髪は前を向いてしまった。

 弱る私を挟んで、渋谷男が席を立ってわざわざ猫背女の手を取った。


「それ以上は、よしたほうが」


 猫背女の手を引き下ろす。ファインプレイだ、間違いなく。

 いいぞ、がんばれ。

 冴えないなんて思ったことを取り消すから!


「……うるさい……死ね」

「……はい」


 折れるの早すぎるだろ!

 まあでもわかるけど。関わり合いになりたくないけど。そんな女の隣に座っちゃったけど。

 これは何かの罰か。春灯たちをいじめた罰なら春灯たちから与えて欲しいんだけど。当の二人が私を許しちゃったから、それは優しさという形で私を包む。

 許してくれる二人に並べないなんて、それこそ一番きつくて辛辣な罰だと思う。

 途方に暮れていたら着物姿の女性が入ってきた。彼女の頭には春灯みたいな獣耳が生えている。お尻にも尻尾がちゃんとある。

 他にも狸みたいなふくよかな男性とか、その髪はたてがみですか? と問いたくなるような屈強なマッチョが入ってきた。


「みなさん、はじめまして。獅子王ニナと申します。今日は試験会場に足を運んでいただき、誠にありがとうございます。よりよい結果を残せるよう、頑張って下さい。それではテスト用紙を配ります」


 最前列の生徒にテスト用紙を渡す。そしてどんどん配られてくる。

 各試験時間は五十分。注意事項では当たり前のように、教室でのスマホの使用禁止が告げられた。他にもいくつかあるが、スマホ使用禁止のように試験ではおきまりの内容だらけだった。

 やれる。これまで受けたテストと大差ないんだから、大丈夫。


「それでは始めてください」


 笑顔で言う着物のお姉さんに、みんなが一斉にテストに取りかかる。

 元々いた学校で中間試験を受けて、そのうえ期末試験が待ち構えている。なのにその前に、わざわざ別の試験を受けるなんて、本当に面倒……なんて思わない。

 手抜かりなく、うっかりすることなく全力を尽くそう。私には目標があるんだ。春灯と一緒の学校に通って、果たしたい。


「……しねしねしねしね」


 やっぱり席は変えて欲しい。


 ◆


 作文のテーマは隔離世に何を求めるか、だった。

 春灯に対する思いを書いた。償いをしたい。その大前提を置いた上で、もう二度と誰かを傷つける自分にはなりたくないし、誰かのために頑張れる自分になりたい、と綴った。

 残り時間一分を切ってやっと書き上げて、思わず深い息を吐いちゃった。

 時間が来て、そっと隣を見てぞっとした。

 猫背女、刀が欲しいというフレーズを繰り返して書き続けている。

 こいつをなぜ書類選考で通した。明らかにやばいやつだろ。怖いから見るのはよそう。

 周囲を見渡す。

 金髪は頬杖を突いて窓の向こうを眺めていた。

 隣にいる渋谷男は顔を机にくっつきそうなくらい近づけて、必死にがりがり文字を書いていた。

 校門前で見た色黒を見つけたけど寝ていたし、それを着物のお姉さんは咎めたりしない。

 変なところに来てしまった。

 春灯がいる時点で面白くて前向きな意味で変なのはもう確定だけど、普通の学校のイメージよりこれはちょっと個性的過ぎないか? 私の考えすぎなのか。

 チャイムが鳴った。提出した作文をまとめると、着物のお姉さんは朗らかに言う。


「次は面接になります。受験番号でお呼びしますので――」


 詳細なんてどうでもいい。


「……かたなかたなかたな」


 早くこの場から解放されるなら、なんでもいい。助けてくれ。出来れば今すぐ呼んでくれ。

 けど当然のように最前列から呼ばれていく。

 先生がいなくなってすぐだった。色黒が席を立って、猫背女の前へきた。


「おいてめえ、さっきからうるせえよ」


 色黒……よく言った……!


「欲求不満か?」


 首根っこを掴んで猫背女を持ち上げた。軽々と。


「……っ!?」


 さすがの猫背女もこれには驚いたか、目を白黒させて手足をばたばたさせている。


「俺は欲求不満なんだ。あんま刺激すんなよ? ――カメラがあるんだ」


 顔を近づけて笑う。それに猫背女が怯む。色黒がある一点を睨んだ。思わず視線の先を辿ると――思わず冷や汗が出た。確かに、カメラがあった。教室に、監視カメラが。


「わかったら静かにしろ。せっかくの機会を失いたくはないだろ?」

「……っ!」


 色黒が睨むと猫背女は慌てて何度も頷いた。

 おかげで見えた。強弱関係がはっきり。金髪でも渋谷男でも無理だったことをさらっとやってのけた。それに観察力もある。

 この色黒、侮れない。


「せいせいしたわ」


 おい。金髪、刺激するな。よせ。やめろ。


「……」


 声に出さないだけで猫背女が金髪の背中を睨む。その視線のやかましさといったらなかった。

 普通に入学試験を受けておけば、こんな目に遭わなかったのか。

 選択は重要だ。人生において、選択はとても重要だ。私は報いを受けている。そう思ってなんとか我慢しよう。それしかなさそうだ。


「あ、あの。きみ、ちょっと」

「なに?」


 渋谷男に声を掛けられて、思わず睨んだ。すぐに渋谷男がびくっとする。

 けれど彼は恐る恐る差し出してきたのだ。五円玉を。


「これ……」

「……なにそれ」

「いや、あの。お返し。駅前に戻って、銀行で下ろして、くずして作ったんだ。た、足りないなら十円にする?」


 思わず吹き出した。


「やめて」

「で、でも」

「いいから。もらっといてよ。そしてもう二度と言わないで」


 恥ずかしくてたまらない。誰かに顛末を聞かれたら、困る。

 こんなのは私のキャラじゃない。強いて言えば春灯のキャラだ。先輩やマスターのキャラなんだ。私のキャラじゃないから。

 蒸し返されても困るのだ。


「……わ、わかった」


 なぜそこで赤面する。問い詰めたいけどやぶ蛇になる予感しかしない。

 頭痛がする思いでため息を吐いた。

 どうでもいいから早く面接をやって、実技に挑みたい。

 そもそもなんで面接が先なんだ。実技が先なら、面接が終わり次第帰れるのに。

 もやもやする。スマホを出している子も結構いたけど、我慢。

 春灯に連絡したい。相談したい。不安を消して欲しい。

 でもこの場は私が一人で切り抜けなきゃいけない。

 これは試しの場なのだから。

 春灯が乗り越えたハードルに違いないのだから。

 今はもう、許しを求めるな。自分の足でアイツの隣に行くんだ。


 ◆


 私の前に面接に行っていた金髪に呼ばれて、指定された教室に向かう。

 落ち着かない気持ちでいっぱいだった。

 この教室にも監視カメラがある。この学校はどうやら春灯から聞くほどお気楽な場所じゃないようだ。

 顔が強ばる私に向けて、たてがみマッチョは咳払いをする。


「刀の性質と防犯上、やむなく設置している。この教室のカメラは今日の試験の結果に影響を与えぬ」


 この教室って……。

 じゃあ、やっぱり色黒が言っていた通り、会場のカメラは影響あるのか。

 ナイス色黒。おかげで命拾いしたようだ。

 でもまだまだ余談は許さないぞ。心していこう。


「どうか我を見て、話をしてくれ」


 ……我?


「獅子王ライだ。着席せよ」


 ……もののふ?


「どうした?」

「は、はい。失礼します……天使キラリです」


 マッチョの向かい側に座った。

 落ち着かない。だから思い出す。


『面接では愛想よく。前向きなことを言いなさい。作文を回収済みなら、作文の内容を踏まえた話をする。自分の言葉を胸を張って、気持ちを込めて伝えなさい』


 パパはそう言っていた。もう一度、深呼吸する。

 面接の練習をした。パパに質問をたくさんしてもらった。

 答えるパターンは作ってある。きっといける。

 落ち着いた私を見て、先生は口を開いた。


「実は……天使キラリ。我が聞きたいことはただ一つだ」

「……は?」


 いきなり予想外だ。困る。待ってくれ。

 もっとありきたりな面接の流れを踏んでくれ。

 慌てる私を見てから、机の上を見た。そこには私の書いた作文が置いてあった。

 先生はすぐに私へと視線を戻す。


「作文に滲む償いの思いはわかった。青澄ならば許すだろう。我がクラスの生徒だ、よくわかっているとも」


 春灯の先生って、この人か。待って。情報でぶん殴られて頭の中がかき乱される。


「だから確かめたいのは、まこと……ただ一つ」

「え……」

「なぜ、ここへ来た。天使キラリは何をなす」


 厳しい顔で告げられたのなら、きっとパニックになっていた。

 けれど柔らかい声だった。ママが言っていた。

 士道誠心には獅子がいる。心優しい、不器用な獅子が。もしその人が面接の相手なら、臆さずに本音を伝えなさい。

 両手をぎゅっと握りしめる。

 たった一つなんて怖すぎる。

 配点百点、唯一の問題。なんてハードルを課すんだ、この人は。

 それでも……その問いの答えならとっくに出していた。


「一人では来れなかった。私は二人のクラスメイトをいじめました。その罪があって、なのにみんなの許しがあってここへきました。未来へ進むために、大勢がその機会をくれたんです」


 私だけじゃ無理だった。


「みんなが出会ってよかった、と。そう言って胸を張れる私になりたいんです。みんなが私にしてくれたように……力になれる私になりたいんです」


 たてがみマッチョ――……もとい。

 獅子王先生は私をじっと見つめた。多くを語らせるよりよっぽど不確かで、よっぽど濃密な語り合いだったに違いない。


「わかった。次の人を呼んできなさい」

「え……こ、これで終わりですか? 本当に、それだけ?」

「うむ」


 優しく頷く顔を思わず睨んでしまいながら、心の中で思う。

 士道誠心。本当に変なところだ。

 穏やかじゃない。穏やかじゃない! 心の中が、まったく穏やかじゃない!


 ◆


 面接が終わって程よく弛緩した空気の中で、緊張感を保っている生徒はどうやらそれほど多くなかった。

 隣の人と和やかに話す人がいる。面接どうだった? どこから来たの? ここの先生なんか変じゃない? などなど。

 いちいち聞いてられない日常話なんか聞きたくなくて、苛々してきた。

 カメラで見られてる。それは試験結果に反映される。なのにのんきに話せるか。

 深呼吸をしても足りないから、カバンからチョコを出してかじる。

 失敗した。甘いのにすればよかった。

 糖分足りてないから苛々しているのかもしれない。

 蒟蒻に切り替える? でもチョコの後に蒟蒻はない。

 ため息を吐いた私の机にチョコが置かれる。差出人は渋谷男だ。コンビニで五円を貸して手に入れた甘いチョコを私に差し出して、愛想笑いを浮かべているんだ。


「……なに」

「食べない? 甘いのって、気分転換になるよ」


 いらない、と言おうとした。けど、ぐっと飲み込んだ。

 苛々しててもしょうがない。甘いのがちょうど欲しいと思っていたところじゃないか。だからといって、笑顔を振りまく気もないけどね。

 正直……媚びるのは苦手だ。

 喫茶店で教わった嘘禁止ルールが、あまりに居心地がよすぎて気づいてしまった。

 ちょっとだけの縁ができたこいつにすぐに心を許せるほど、私は素直じゃない。


「……五円はこれでちゃらだから」


 取ろうとしたら引っ込められた。


「ちょっと」

「ちゃら……は、ちょっと、いやだな」

「はあ?」

「ごごごご、ごめん! せっかくだし、友達になりたいなって思っただけで!」


 思わず睨む私にびくびく怖がる渋谷男。

 たまりかねたように金髪がふり返ってこちらを睨む。


「さっきから……やめてくれる? 人の後ろで恋愛するの」

「「 は、はあ!? 」」

「おまけに……この教室ったら、うるさすぎ。日本人って本当に優雅さの欠片もないのね」


 ヤカンのように沸騰する怒りに任せて思わず睨む私を、金髪は見下げ果てたように睨む。


「容姿はよくても心はまだまだお嬢さんみたい」

「アンタ、さっきから人にケンカ売りすぎじゃない!?」「ま、まあまあ! ケンカはよくないよ! 試験中だから、ね?」


 思わず立ち上がった私を渋谷男が慌ててなだめた。

 試験会場じゃなきゃ舌打ちくらいはしてた。

 落ち着け。冷静になれ。

 誰かとケンカをしにきたんじゃない。春灯の通う学校にくるためだ。

 刀に関わる縁を手に入れるために来たんじゃないか。

 短気は損気。強気すぎるのも……損気。

 監視カメラがある。監視カメラがあるんだから、落ち着け。

 本日何度目になるかわからない深呼吸をした時だった。


「たいへん長らくお待たせいたしました」


 面接を終えた生徒と共に着物のお姉さんが戻ってきた。そういえばこの人の姓も獅子王だったっけ。となると……随分と、ふさふさしたご夫婦だ。


「それでは実技の試験会場に参ります。荷物を持参の上、ついてきてください」


 いよいよきた。

 これまでの試験は全部、前座。

 隔離世に行くには才能が必要だと言う。

 なければ終わり。だから才能の有無を試すのだろう。

 パパとママは絶対だいじょうぶだって言ってくれた。春灯も信じてくれる。マスターも先輩も。

 だけど才能って単語はあまりに絶対的すぎる。

 恐怖はどうやったってぬぐい去れない。

 私の願いなんて関係ないところで答えが出てしまうような気がする。

 お前がどんなに望んでも、叶わない夢がある――……そう世界に言われてしまう。そんな可能性でしかない未来への恐怖をぬぐい去れない。


「やっべ、これですげえ力が手に入るのかな」

「楽勝すぎでしょ。試験を受ければチートが手に入るとか」

「言えてる。手に入っちまえばこっちのもんだよな」


 和やかな空気の中で進んでいく他の全員が信じられなかった。

 こいつら全員、受かると信じているのか。

 春灯に聞いた限りじゃ既に九組プラス一組で、計十組もある一年生の仲間入りができると本気で信じている?

 どう考えたって定員には限界があるのに。

 人生の一大転換期に臨もうというのに、まるで観光気分だ。

 だいたい調べてこなかったのか? 信念や夢に殉じてこそ、刀は力を与える。堕落し甘えた侍の刀は錆びて折れるんだ。なのにそんな甘い考えで来たのか?

 信じられない。本当に。

 次第に遅れる私に、金髪が一瞥をくれる。


「あなたが本気なら――……ゆるすぎる雑兵に悪影響を受けるなんて、愚かね」


 冷たい声で囁いて、私が返事をすることさえ待たずに行ってしまった。


「ふああぁ……やっとか」


 色黒は欠伸をかみ殺して突き進んでいく。


「……のがさない、のがさない、のがさない」


 猫背女がぶつぶつ言いながら離れていく。

 最初は不気味で怖すぎた猫背女の執念の方が、むしろ自然だとどうして思うのか。

 ここは、なんだ。

 私はどんな集団の中にいるのか。どこへいこうとしているのか。

 気がついた時にはもう立ち止まってしまった私に、渋谷男だけがふり返った。


「どうしたの?」

「……別に」


 頭を振る。

 考えるまでもないだろう。私はいま、願いの入り口にいる。

 逃げる理由はない。進む理由しかない。それでも、怖い。

 春灯もこんな気持ちになったのか。こんな気持ちで……学校に通ってきたのだろうか。まるで現実から乖離した別世界のようじゃないか。

 その中を突き進んで、二本の刀を手にして幸せを掴んだのか。私を許せちゃうくらい、強くなったのか。

 ――……置き去りはいやだ。離れた距離を急いで駆け抜けて、早く隣に並びたい。一瞬でも早く。

 だって、一緒に通うって約束をしたんだ。そのために来た。

 立ち止まっている暇なんかない。

 目的を思い出したら、足が自然と前に出た。

 ほっとする。そうだ。私には目的がある。それは……誰がどんな気持ちでいようが、関係ない。

 私を試すというのなら、全力で挑む。それだけだ。


「求めよ、さらば与えられん」


 甘い気持ちでいる奴らなんか目じゃないくらい……全力で求めてやる。

 待ってろ、実技試験。


「大丈夫?」

「なんでもないから」


 突き進む私を笑って見ている渋谷男が本当にうっとうしかった。

 うっとうしかったから……絶対に、感謝なんかしない。

 声を掛けられて元気を出せたなんて、絶対に言わない。




 つづく。

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