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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第二十一章 天使の来訪

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第二百六十話

 



 天使キラリの目的は早々に挫折しそうだった。

 士道誠心高等部の文化祭終わり、帰宅して食事中にそれとなく編入の提案をしてみたのだ。

 しかし、士道誠心学院の名前を聞いた瞬間に父は箸を置いて厳しい顔で言った。


「士道誠心に行きたいだって? 正気か? 危険なんだぞ?」

「そ、そうかもしれないけど」

「髪を脱色して、恋人を家に連れ込んだと思ったらすぐに別れて。今度は男女が同室になれる寮のある学校に入りたい?」

「べ、べつにそれは……自分とパパたちがOKしなきゃ同室にはならないから問題ないでしょ」

「……まったく。意味がわからない」

「わからないことなんてない。学校に行く。たまってたお年玉とバイト代ぜんぶ、そのために使いたいと思ってる」

「あれはお前の進学と! ……結婚するときのためにとってあるんだ」

「でも自分のお金でしょ! 自分の通帳なら、何に使おうと勝手!」


 ネクタイを緩めて、生真面目な顔を不機嫌に歪ませた父が重いため息を吐いた。


「なあ、キラリ。別に教科書通りの模範的な学生になれとまではいわない。十代だから、やりたい無茶もあるだろう。だが、それにしたって高校生になってからずっと勝手ばかりしすぎだ」


 喘ぐ。言いたいことが山ほどある。なのに父の怒りを前に言葉が出てこない。


「パパは許可できない」


 席を立つ父を絶望に暮れながら見送る。

 別にまだ編入したいとまで言い切ってない。なのに願いを封じるように断言して行ってしまった。こっちの意図なんて筒抜けなんだ。

 ため息を吐く。文化祭から帰ってくるまではずっと最高の気分だったのに。

 これで台無しだ。


「それで」


 元モデル、今は専業主婦の母は何が楽しいのか素敵な笑顔で仰った。


「どうして、士道誠心なの?」

「……パパを説得してくれるの?」

「それはキラリちゃんのお仕事」

「名前で呼ばないでよ」

「可愛いじゃない?」

「漢字にしたら最悪」

「ママ、力になるのやめよっかなー」

「……わかったから。話すと長いんだけど」

「スープが冷める前にお願いね」

「それは無理」


 深呼吸してから話し始めた。ぜんぶ。

 中学でのこと。いじめちゃった過去。そして友達たちのこと。青澄春灯の話。バイト先でのこと。襲われて助けられた人が士道誠心にいたこと。


「……強くなりたいの。ただ毎日をだらだら過ごすんじゃなくて、いじめちゃったのに許してくれた二人の役に立ちたい。幸せにしたいの」

「罪を償いたいというのね」

「それが自分の……アタシの願い」

「違う。それはもうキラリちゃんの中での大前提。そうでしょ?」


 母は厳しい。いつだって。

 けれど父と違うところは、少なくとも私の話を聞いてくれるということ。


「……うん。大前提」


 だから認めるしかない。


「士道誠心に行きたいのは、先輩とか……春灯みたいに、特別な力を手に入れたいから。世界との関わり方がずっとわからなかったから、一つだけでもいい。自分らしい手段が欲しいの」

「それは……刀じゃなきゃだめなの? 刀鍛冶じゃなきゃ、いや?」


 母の口から出てきた単語に思わず顔を上げる。


「キラリちゃんが取り寄せた資料、見たの。それに……ママも昔は侍だったのよ?」

「うそ」

「もう刀を失って久しいけどね。パパだって、刀鍛冶だった」


 微笑む母に思わず言ったの。


「じゃあ力を貸して」

「パパは手強いわよ?」

「知ってるよ、頑固なのは。でもママが言ったら――」

「ママが言ってもだめ。刀鍛冶で生計を立てられなくて、親御さんの仕事を引き継いだ人よ? いまさら士道誠心になんて、関わりたくないの」


 頭痛がしてきた。


「そんなこと、一度だって聞いたことない」

「親の履歴書を確かめる子供なんて、そうそういないからね」

「からかわないで」

「あら……スープが冷めちゃった」


 マイペースな母の言葉に耐えきれずにため息を吐いた。

 攻め手を考えないと。ずっと甘えてきた。でもどうやら……二人の手の掛かる子供でいたら、ワガママは通らないみたいだ。

 その時、スマホが鳴った。ママに睨まれたけど、そっとスマホを出して確認する。春灯からだった。


『キラリが来てくれるの、楽しみ。ずっと友達になりたかったの……なってくれる?』


 返信は決まりきっている。いいという以外にあり得ない。

 そもそも、もう友達じゃなかったのか。そんな会話をしなかったか?

 まったく……青澄春灯には困る。くすぐったくてしょうがないじゃないか。


『もう友達じゃなかったの?』

『そ、そうでした! あはは! じゃあ……キラリが来てくれるの待ってるね?』


 ほらね。くすぐったい。

 友達が待ってくれている。

 なのにこのままじゃ、うまくいかないようだ。さて、どうする?


 ◆


 バイト先には珍しくマスターと先輩が二人でいた。

 マスターは渋い顔でカレーを作っていて、先輩がお客さんに珈琲を出していた。

 急いでエプロンを身に付けた。いつもは感じる男性客の視線も今日はない。

 見ればお客さんは女性だらけだ。ご婦人と言って差し支えない方々がマスターを見つめている。店主相手じゃさすがのイケメンも形無しだ。

 笑いながら見ていて、すぐに気づいた。先輩の口元が緩んでいる。カウンターの内側を移動する足取りが軽やか。妙にご機嫌だ。理由はすぐに察しがついたけど。


「先輩……後輩さんとうまくいったんですか?」

「まあ、次のデート次第だね」

「失敗する予定は?」

「もちろんないよ」

「ならうまくいってるじゃないですか」

「……君は何かあった?」


 やっとこっちを見た。


「気づくの遅すぎですよ」

「なまったかな」

「しゃんとしてください。デートで失敗したくないでしょ?」

「気をつける」


 笑ってみせてから、立ち去るお客さんの会計に行っちゃった。


「天使」


 呼ばれてすぐにマスターの元へ行く。


「少し変わってくれ」

「はい、マスター」


 お玉を渡された。

 鍋の中に溜まっているカレーの匂いは鮮烈だった。マスターの奥さんが考案したレシピを、マスターはずっと守り抜いている。

 一度だけお客さんの立場で味わったことがある。ここのカレーはおうちカレーみたいに甘くて、お店カレーのように刺激的だった。両立した二面性の不思議にくらくらするのは、自分だけじゃない。このカレーの信奉者は多いのだ。ランチタイムとディナータイムに来る男性客はほぼ全員がカレー目当てだと言っていい。

 そんなカレーだから、マスターが鍋を触らせてくれることは滅多にない。

 緊張しながらお玉を持つ。バイトしてからこれが三度目。コツは教わっている。底が焦げ付かないようにゆっくりと空気を含ませる。それだけ。だけどこの店は大事だし、失敗はしたくない。気をつけながらルウの面倒をみる。

 気がついたらピークタイムを過ぎていた。


「もういい」


 火を止めたマスターにほっと息を吐いてお玉から手を離す。


「ひと息入れよう。暁、天使はカウンターへ」


 マスターの指示は絶対。

 なので先輩と二人でカウンター席に座る。

 すぐにマスターが珈琲を煎れてくれた。

 飲み込んで一息吐いた。何も言わずにクリームと砂糖を多めにいれてくれる珈琲。それが好みドストライクだから、いつも気が緩んじゃう。

 街のチェーンじゃこうはいかない。自分で好みを言うのは案外、面倒くさいものだ。少なくとも、自分はそう。


「それで? 二人の機嫌のわけは? 話したくないなら聞かないが」


 マスターの笑顔の誘導に抗えない。

 先輩に先を譲る。真中愛生っていう女の子とやり直す切っ掛けを得たらしい。それだけじゃない。侍候補生と刀鍛冶が集まった会社を興す話をしているらしい。


「将来の不安が少し解消されそうです」

「暁も一枚噛むのか?」

「俺の後輩たちは貪欲です。賛同者や人脈が増えるなら大歓迎だということでした」

「まあ……それはそれで面白いことが起きそうだ」

「経過がわかり次第またお話しますね」


 俺は終わり、と言わんばかりに視線を送られた。

 だから先輩の次の番を素直に引き取ってマスターに話す。

 母に語ったように、あらましのすべてを。それだけじゃない。


「……自分、親戚だけは多くて。毎年、お年玉でかなりの金額をもらうんです。手を付けてない。それとここのバイト代を合わせたら、学費の足しになるはずです。わがまま言うだけの、準備はしてるつもりなんです」


 でも父はそれさえ聞いてくれなかった、と呟く。

 全部話し終えた時、まず先輩が立ち上がった。

 次にマスターが珈琲の準備を始める。


「あ、あの?」

「キラリ。君のケーキの好みは?」

「……甘いものなら、なんでも」

「わかった」


 先輩は行っちゃって。おろおろするアタシにマスターは微笑んだ。


「罪を告白するのは難しい。海の向こうじゃ教会で言えるが、こっちじゃそうはいかない」


 出された珈琲はとても熱くて。

 繰り返すけど、好みドストライクなんだ。気が、緩んじゃうんだ。


「いい縁をもってよかった……だから、余計につらかったね」


 囁かれた優しさに涙ぐむ。

 アタシがしたことの意味を知ってなお、そういってくれるこの人の優しさに喘ぐように、何度も。

 気がついたら時間が経っていた。先輩は近場でいろんなケーキを山ほど買ってきてくれた。

 出会いとは、それだけでは意味をなさないのかもしれない。

 何をなしたか、そしてどんな時間を積み重ねるのかが大事。それが出会いに意味をもたせてくれる。

 たとえば適当な理由で付き合った元彼との積み重ねは、正直ろくなものがない。ありふれた思春期男子への失望と、別れるときの面倒臭さが出した結論は単純明快。やめときゃよかった。

 自分が出会った中学のみんなも、アタシに対して関わらなきゃよかったと結論づけられる中学生活を送ったはずだ。けど、彼らはそうせずに、文化祭で集まるという機会をくれた。おかげで心の底から思う。彼らと出会えてよかった。

 マスターも、先輩も。嘘がなく素直でいられるあたたかい時間をくれた。出会ってよかった。

 青澄春灯に対しては言うまでもない。あの子のかわりはいない。

 もっともっと、いい積み重ねをしたい。そんな自分になりたい。

 でも、無理なのかもしれない。父にさえ信じてもらえないのに、どうして身の証を立てられるのだろう。

 落ち込むアタシの頭に手を置いて、マスターが言うの。


「一度、ご挨拶に伺ってもいいかな」

「……なんで、マスターが?」

「さて、なんでだろう。答えはすぐにわかると思うよ……家に連絡しておいて。緋迎ソウイチが挨拶に伺うと」

「わかりましたけど……」


 微笑みを浮かべるマスターのことを、きっとアタシは何も知らないのだろう。

 事実、マスターの……緋迎ソウイチの言葉通りになるなんて思いもしなかった。


 ◆


 マスターの車で家に送ってもらう。車の中にある刀が気になってしょうがない。

 だけど後部座席から見えるマスターの背中に問い掛ける勇気が出なかった。

 チャイムを鳴らして出てきた両親が恐縮しきる。


「ほ、本当に緋迎さんですか!?」

「ソウイチさん、ご無沙汰しています。どうぞ中へ」


 一目でわかるほど身体が強ばる父と違って、母は如才なく案内した。

 リビングで話をするというので、一緒にいようとしたけど母に止められた。

 大人の話があるらしい。そっと階段から聞き耳を立ててみたが、


「――……の頃はお世話になりました。おかげで妻が――」


 という声がしてすぐ、母が出てきて睨んできたので内容はわからずじまい。

 部屋で検索してみる。しかしあまり名前が出てこない。だから時間つぶしも兼ねて侍専門の雑誌を手に取る。月刊誌ですらないレア本だ。巻頭は緋迎シュウという男性。普通のモデル雑誌の表紙さえ飾れそうなイケメンが載っている。

 もっと実に触れた、侍候補生を育成するための四校を特集した記事ばかり読んできたけど、もう頭にすっかり入っているのでやめた。

 初めてインタビュー記事を流し見する。


『緋迎シュウさん。あなたは現代でも最強の侍であり、刀鍛冶だというように伺っています。それについてはどう思われますか?』

『父と母の……緋迎ソウイチとサクラのおかげだと思っています。現代最強の名をほしいままにしていたのは僕より両親の方です。なので、両親に恥じぬよう……それこそメジャーに行った大リーガーのようにずっと訓練を続けていました』

『なるほど――』


 目が滑る。それ以上に頭に引っかかる。

 待て。待て、待て。

 なんで気づかなかった?


『緋迎ソウイチ』


 ……緋迎、ソウイチ。

 まとめ買いした雑誌の古いナンバーから急いで記事を探す。最新の雑誌に欲しい内容がまとまっていたから目を通してこなかったけれど。

 探してみれば見出しにあった。現代における侍の中でも指折りの強者をまとめた記事が。

 西にこの人あり、東にこの人あり。歴史には残されていないけれど、こんな人がいました。

 そんな記事の中にでかでかと載っているじゃないか。

 マスターの顔が、はっきりと。

 二人の息子、一人の娘がいて喫茶店を経営。侍時代はなんでも切り裂く刀で大量の邪を討伐し、あらゆる危険な事態を乗り越えてみせた。最強の侍の象徴だった。侍の地位が低い警察で長年治安維持に貢献し、信任も厚い。邪に関わる事件で奥さんを失い、侍を辞める。その葬式ではその時代の侍と刀鍛冶の全員が参加した、と。

 ざっと読んだ限り、そんな感じだ。写真には少し若いマスターが刀を手にしている姿が写っていた。けれど、助手席にあったあの刀とは違う。

 知らなかった。

 必要な情報さえわかればそれでいいとたかをくくって。でもそれこそが失敗の理由だった。

 父への説明だってそうだ。心のどこかで、きっと賛同してくれるとたかをくくって気軽に話した。それが失敗の理由になったんだ。


「キラリちゃん! いらっしゃい!」


 一階から聞こえた母の声に息を短く吐く。

 恐る恐る一階へ下りた。マスターは父と話して笑い合っていた。

 母と二人で席に腰掛けると、父が笑いながら声を掛けてくる。


「まさかキラリが緋迎さんの喫茶店でバイトをしていたとは」

「この子ったら喫茶店としか言わなかったから」


 両親の機嫌はすごくいい。それくらい、マスターは特別な人なのかもしれない。

 いくら年間発行点数が少なくても、雑誌に特集されるなんてそれだけで凄い。


「あの……?」

「緋迎さんから聞いていた。バイトを頑張っていたんだってね? パパはほっとしたよ」

「……そうだけど」


 こっちの話を聞かなくても、マスターの話なら聞くのか。

 内心、かなりかちんときた。

 けれど堪える。マスターに情けないところは見せたくない。

 実の娘の言葉を信じろ、と言いたいけど。そもそも主張してこなかったからしょうがない。

 かちんとくるのは早計だ。落ち着け、私。


「でもパパは反対だ」


 無理だ。思わず睨んだ。


「侍も刀鍛冶も、キラリが思っているほど凄いものじゃない」

「そんなことない!」


 思わず噛み付いた。けど父は揺らがなかった。


「いいや、どこまでいっても……人は人だ」


 誰も、何も言わなかった。


「確かに刀は凄い。隔離世には確かに……可能性がある。けれど、どこまでもいっても人は人なんだ。傷つくし、それだけじゃ済まないこともある」

「ちょっと、あなた。何もソウイチさんの前で」

「だからこそだ!」


 マスターに動じた気配なんてなかった。けど。


「なあ、キラリ。できればパパはお前に普通の仕事に就いて欲しいんだ。今のご時世、贅沢なのはわかる。それでもいい人を見つけて結婚して欲しい」

「パパ、やめてよ」


 うんざりだった。この人の前で、なんてことを言ったんだって。


「いいから聞け! ただでさえこの間ストーカー騒動があったばかりだぞ!? 命を賭けて、人の欲望と戦う生活なんて……パパはお前にさせたくない!」


 心配してくれている。それはわかる。けど大声で言われたら冷静ではいられない。

 そもそも。


「……私がどう生きるのか決めるのは、パパじゃない」


 父の言いなりになって、やっと抱いた決意を捨てる気なんてさらさらなかった。

 にらみ合う。意地の張り合いだとわかってる。それでも。


「痴漢に遭いそうになった。助けてくれたのはマスターだった」


 パパの顔色が変わる。それでも続ける。


「ストーカーがいたの。家のそばで襲われかけた。助けてくれたのは、バイト先の先輩だった」


 この話はさっきパパ本人が言ったことの結末。


「士道誠心で刀を手にした、中学の頃、いじめちゃった子が! ……刀を手にして、全力で頑張って、おかげで……やっと、やっと謝れたの」


 絞り出す、過去。


「……いじめ?」


 訝しむ顔をする父に――……パパに言う。


「ろくでなしだったの。自分は――アタシは最低の女だったの! そう、いじめてた! 二人もね!」


 動揺するパパにはっきりと伝える。


「そんなアタシを助けてくれた人の前で、ひどいこと言わないで。もう、二度と、言わないで」


 睨むアタシをパパが睨み返してくる。

 けれど、瞼を伏せた。


「確かに言い過ぎだった……申し訳ありませんでした、緋迎さん」

「子供のために、親は時にやりすぎる。構いませんよ」


 マスターが微笑みを浮かべて立ち上がる。怒らず許すところが大人だった。

 私の肩をそっと叩いて、マスターが囁く。「攻めるなら、今だ」

 頷いて父を見た。怒りは怯んで、意固地さは抜けている。

 深呼吸する父に促されて、母がマスターを玄関まで送っていく。

 マスターの一瞥を感じて、深呼吸した。攻めるなら、今だ。


「ねえ、パパ」


 苛立ちが膨らむけれど、それを精一杯吐き出して。


「確かにずっと身勝手だった。謝る」


 ごめんなさい、としっかり言う。


「全部……中学の頃に勝手をして、どうしたらいいのかわからなかったせい。いじめた子が許してくれて、そのうえ助けてくれたの。マスターがいて、先輩がいて……みんなのおかげでやっと、やりたいことが見つかったの」


 堅く強ばっている手を取る。


「アタシは……私は、侍になりたい。刀鍛冶でもいい……刀に関わる力が欲しい。命を賭けて戦いたいんじゃない。誰かを幸せにする力が欲しいの」

「……キラリ」

「ママから聞いた。ママは侍、パパは刀鍛冶だったって。なら……私より知っているはず。刀の可能性を」


 パパが頭を振る。


「刀は劇物だ。人をよくすることもあれば、だめにすることもある。スターになる夢を見たミュージシャンのいったい何人が成功する? 侍も刀鍛冶も……刀は決して成功を約束しないんだぞ?」

「違うよ、パパ。成功が目的なんじゃない。豪遊したいわけでも、豪邸が欲しいわけでも……大金が欲しいわけでもないの。春灯はどうかわからないけど、私はミュージシャンになりたいんじゃない」


 頭を振る。


「友達の力になりたいの」


 父の――……パパの目を見た。


「お願いです。士道誠心に行かせてください」

「……どうしても、それしかないのか?」


 苦悩が見えた。パパの皺を初めて意識した。


「それしかない理由は多分ない。だけど、私はそうしたい」

「……参ったな」


 パパが深呼吸をする間にママが戻ってきた。

 弱り切ったパパの手を取って、三人で手を繋ぐ。


「本当に危険なんだ。戦うなんて……そんな、そんなのは……」


 声に滲み出ているのは、不安。だからって……なんでもしていいわけじゃない。それを私のパパが知らないはずがない。意識してみれば、わかる。言葉を選ぼうとして、でも出てこない様子が。パパは苦しんでいる。マスターの前で、最悪な例えの出し方をしたことをちゃんと恥じている。でも私が心配で、不安でしょうがないから苦しんでいるんだ。

 子供の私にはどうすることもできなかった。


「パパ、私にはあなたがいたし、あなたには私がいたじゃない」

「ママ……」

「刀を手にしようとしてなかろうと……社会の中で生きることは戦いだよ。まあ、刀を手にするなら命のやりとりも関わるけどね」


 微笑むママは別だった。かつて侍だった心の強さもまた、別格だった。


「キラリちゃんには、友達がいる?」


 ほらね、ママは違う。言外に示してくれている。

 マスターが我慢して許して作ってくれた道の先へ、事情を全部わかってくれているママが光を照らしてくれた。

 友達がいるなら、今こそ言うべき時だって。それがきっと許しへの道なんだって。

 だから、思い出す――……


『キラリが来てくれるの、楽しみ。ずっと友達になりたかったの……なってくれる?』


 春灯が待ってくれている。答えは一つだ。


「待ってるよ」


 胸を張って言うんだ。


「青澄春灯が待ってるの」


 決意を伝えよう。


「友達が待ってる。だから、私は通いたい」

「……キラリ」

「パパ、認めてあげたら? 私たちの娘がやっと道を決めたの」


 微笑むママがパパの耳元に囁きかける。そばにいる私にも聞こえる声で。


「進路は学校での成果次第にすればいいじゃない」


 茶目っ気たっぷりだ。結局パパが折れた。


「わかったよ。編入の手続きをしよう」

「よかったね、キラリちゃん。がんばってごらんなさい。ところで外で待ってるわよ。誰が、とは言わないけどね」


 パパの腕を抱き締めてウインクをするママにお礼を言って走る。

 外に出たら、小さな車にマスターが寄りかかっていた。


「マスター!」

「待って」


 駆け寄って、すぐに謝ろうとした。

 けどマスターは人差し指を口元に立ててみせた。思わず黙る。


「どうなった? 通えるようになったかい?」

「……は、はい。マスターが怒らずにいてくれたから、パパが苦しそうで。そのおかげで、それで……あの。ごめんなさい。パパがひどいこと言って」

「いいよ。大事な店員のためだ。私が彼でも冷静ではいられなかっただろうから、どうかパパを許してあげて」


 微笑む渋めの顔。先輩に対して思ったことだけど、マスターもそうだ。この人、ぜったいモテる。店に来るマダムとかご婦人の目当てはマスターなのでは?


「それに君のお母さんには昔、妻が世話になった」

「ママが? 待って……マスターの奥さんって」


 思わず呟いた。記事も、お父さんの言葉もマスターの奥さんは亡くなっていることを示していた。なのにマスターは前に言ってたの。奥さんは帰ってきたって。不思議だらけだ。

 疑問を抱く私にマスターは車から背中を離した。


「息子の恋人が、あの世から連れ戻してくれた」

「それって……」

「秘密だよ。大騒ぎになる」


 悪戯っぽく笑って、車に乗っちゃうマスターを見た。そして心の底から驚いた。

 すごく綺麗なお姉さんが助手席に腰掛けていたのだ。


「それじゃあね」

「またねー」


 手をひらひらと振ってくれるお姉さんにあっけに取られながら、見送る。

 いやいや。待って。待ってくれ。そこには刀があったはずじゃないか。それが奥さんだったとでもいうつもりか? いや、種も仕掛けもなしに魔法みたいなことを起こす力が刀なんだ。

 いまさら何を不思議がっているんだって話なんだけど。

 それでも敢えて言いたい。


「あれが奥さんなら、若すぎない? それともどっちかが若作りしすぎ? 老けすぎなの?」


 どちらにしても。

 緋迎家、謎すぎる。緋迎、ひむかい……待てよ?


「春灯の彼氏の名前ってなんだっけ?」


 確か緋迎だったような……。


「まさかね」


 もちろんその日、春灯に電話で彼氏の名前とマスターの奥さんの真相を確認して私が驚いたことは言うまでもない。




 つづく。

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