第二百五十八話
人生でもう一度、先輩に名前を呼ばれる日がくるなんて思わなかった。
真中メイにとって、それは奇跡のような瞬間だった。
「メイ、舞台すごかったね」
ルルコと終わった感動を分かち合って、それで思わず先輩のことを話したら背中を押された。
観客席にいた先輩はルルコやユリアに並ぶ凄く綺麗な女の子と二人で話していた。
女の子が先に私に気づいた。先輩が次に気づいて言ってくれたのが、さっきの言葉。
「先輩、久しぶりです」
綺麗すぎる女の子を警戒する私に気づいた女の子がすぐに口を開く。
「じゃあ先輩。約束どおり、がんばってくださいね」
そう言ってすぐ、私に向かって言うんだ。
「先輩のバイト先にいる、ただの後輩ですから。ご心配なく」
離れた席へと移動する彼女の気遣いにてんぱる。
まるで私の好意がダダ漏れみたいだ。見ず知らずの女の子になぜ。先輩が伝えたとか? なら先輩にダダ漏れ? そんな!
「メイは相変わらずルルコが好きなんだね」
「えっ」
待って。確かにキスシーンは二回もあったけど。
ルルコはカテゴリ女子を飛び越えて大事で特別な存在だけど。
私にとっては先輩も……! そう思った矢先だった。
「くっそ、マジでいやがった」
「真中……先輩」
男子二人の声にあわててふり返ると、ユウヤが綺羅といたの。
「ふ、二人ともどうして?」
「うるせえ、ぶりっこ!」「校内で見たと噂になっていて来た」
見守っていたルルコがてんぱっているけど、私もてんぱる。
混乱の状況下で軽音楽部の演奏がはじまって。大騒ぎになるから話しどころじゃなくて。人がどんどん集まってくるから出るどころでもなくて。
軽音楽部が去って、ハルちゃんが出てきた。そんなに暴れないだろうと思ったら、そんなことあるはずなかった。
小さな分身を山ほど出して愛嬌を振りまいたり、花火の演出をしてみせて十分すぎるくらいに盛り上げた。素敵な舞台だったおかげで余計、出るに出られない。
人生ってままならない。ずっと。ずっとこうだ。
ハルちゃんと同じように刀の声が聞こえる大好きな先輩の悩みに気づかず、生徒主導で学校に内緒で何度も邪討伐に出て……ふとした瞬間に邪に飲まれた先輩を失って。
もしかしたらその時からコナちゃんが好きだったラビの献身のおかげで立ち直ったけど、私はラビの彼女にまともになってなかったから別れは必然の結果。
ルルコの私と士道誠心への思いがこもったミュージカルを本気でやり通したら、まさか先輩が見ているなんて。
私にアプローチをかけてくれた綺羅とユウヤが駆けつけたら、もう。
どうしたらいいのかわからない。
本当に、人生ってままならない。
ルルコには言ったよ。自分の気持ち。
背中を押してくれたのはルルコだけじゃなくて、ハルちゃんも同じだ。空から降り注ぐ金色の光の霊子は触れるとあたたかくて、すごく優しい気持ちになれる。
その優しさを共有したいのは、誰?
ずっと行き場もなく心を砕いて壊れた思いの向かう先が、今は私のすぐそばにある。
これでヒロインスイッチが入らなかったら、きっともう二度とヒロインになんかなれない。そう、はっきりわかっている。
でもハルちゃんの光を浴びながら、思い出した事実に私は何も言えなかった。
言葉が出てこなかった。それは他のみんなも同じだったの。
先輩さえ……そう。
「――……」
大好きって言いたいのに。言えない。
みんながいるから。先輩をもう二度と失いたくないから。
言いたいのに、どうしても言えないの。
間違えたらこの瞬間が砕けて壊れてしまいそうで。
◆
ハルちゃんの舞台が終わって、賑わう会場で壇上に実行委員とコナちゃんがあがる。
文化祭の幕引きを告げるのだ。
ゆっくりとお客さんがはけ始める中、どこの店がいちばん客を集めたのかなどの発表も行われる。
そして最後に、コナちゃんが発表した。
「刀の保管所の設置に伴い、侍候補生の外出制限を来週より緩和します」
在校生から大歓声が上がった。
「来週頭のホームルームでも各クラスの担任の先生方より説明していただく予定ですが、外出に際した具体的な手順を軽くお伝えいたします。まず――」
まともに頭に入ってこなかった。
微笑みながら壇上を見つめる人。
先輩。
先輩がいた頃、この人は間違いなく主人公だった。
誰より強くて、刀の声を聞いて。困っている人を助けて、みんなと学校をよりよくする。
そんなヒーローだった。お助け部そのもので、生徒会そのものだった。
失ってしまった……私たちの夢の結晶だったんだ。
この人が倒れた時の絶望を、二度と思い出したくない。
会場から他の生徒たちがはけていく。二年生さえ、ちらちら気にしながらも出て行く。
ハルちゃんもこちらに視線を送り、がんばれというかのようにガッツポーズを見せつつ、先輩と一緒にいた綺麗な子と出て行った。
残ったのは私や綺羅、ユウヤであり。
ルルコやサユ、三年生みんなだった。
集まる私たちを見渡して、先輩がはにかむように笑う。
「囲まれちゃったな。みんな、久しぶり」
気がついた時には飛びついていた。それは私だけじゃない。ミツハとか、女子だけに限らない。あのユウヤや男子連中すら、そう。
私たちが失った輝きそのもの。それをもう手放したくないと一年生の頃に戻ってしまった私たちを、先輩はもみくちゃにされながら笑って受け入れてくれた。
涙ぐんで離れて、みんなで見つめる。
誰も何も言わないから、先輩が困った顔をした。
「泣かせに来たんじゃないんだ。えっと……」
「先輩、待って。あの日について……山ほど言いたいことがあるけど、主役はメイ」
ミツハが私の背中を押す。
「で、でもよ!」
声を上げたユウヤの腕をルルコが抱き締めて、引き留めた。
「ユウヤ」
「……ちっ」
舌打ちをして、ユウヤが口をつぐむ。
みんなが見つめる中、先輩を見つめた。
しゃんとして立っている。士道誠心に先輩がいる。
邪に飲み込まれて、霊体を失って。植物人間になって病院でケーブルに繋がれた先輩が、いまこうして目の前に立っている。
元気そう。
あの事件が起きる前とまるで変わらない様子――いや、すこし痩せた。けど、でも。
元気に立っている。
溢れてきてしまう。いやでも自覚してしまう。きっと……初対面の人にすらはっきりわかっちゃうくらい。
「先輩」
呼んで、手を伸ばす。手を握るのなんて恥ずかしすぎて無理で、袖を摘まむ。
「元気、ですか?」
「うん。緋迎ソウイチの喫茶店でバイトしてるくらいには元気だよ」
「……もう、倒れたりしませんか?」
「侍になったら保証はできないけど……もう一人で暴走したりしない」
「……勝手に、もう、どこか行っちゃったりしませんか?」
「そばにいさせてくれるなら、決して」
いてくれなきゃいやだ、と呟いた。素直な気持ちすぎるそれにユウヤと綺羅が息を呑む。
けど。
「ごめん。ごめん……私、ここから始めなきゃどこへもいけないよ」
泣きながら呟く。
「一緒に、いたいです」
こみあげてくる衝動をこらえきれずにしゃくりあげて、一生懸命呼吸を整えながら。
「ラビが一生懸命癒やしてくれたから。ルルコがそばにいてくれて、サユが道を示してくれて。綺羅が叩いて、ユウヤが勇気を注いでくれたから、ちゃんと、言いたいの」
私が誰よりちゃんと、言わなきゃいけないことがある。
「先輩と、一緒に、いたいです」
ぎゅうと袖を握りしめる私の手を、先輩が包んでくれたの。
「好きです。大好きです。ずっと……ずっと、好きだったんです」
堪えきれなくなった。
「……先輩に彼女いても、それでも、いいから、そばに、いたいです」
子供みたいなわがままだった。
困った顔をして、先輩が髪を撫でる。
「それなんだけど……彼女うんぬんって、メイとラビを気遣った嘘なんだって」
「え……」
「嘘を吐いた幼なじみは親友と付き合ってるんだ。俺もつい最近教えてもらったばかりなんだけど」
その情けない笑顔の告白に私だけじゃない、その場にいる全員が声をあげて叫んだ。
「「「 なんてまぎらわしい嘘を……! 」」」
ミツハとサユが顔を見合わせて、二人で呟く。
「まあ……当時はラビ、メイのこと好きだったんだろうから」
「メイが病院行くたびにラビがしんどい顔をするのは容易に想像がつくわけで」
その内容にみんなの視線が私の背中に集まる。
「ほ、ほら! こじれまくりの四角関係だったわけだけど、要するに先輩が一人で突っ走って勝手に倒れたのがよくない、といいますか!」
ルルコ、フォローさせちゃってごめん。
「そうですよ! 先輩が倒れないで、メイの気持ちに気づいてさっさと告ってればよかったんです! どうするんですか! たいへんなことだらけだったんですよ!」
「えええ……ルルコ、それは俺に対して責任転嫁けっこうきつめじゃない?」
「先輩はできる人なんだからしょうがないです!」
ルルコの言葉にみんなが頷いた。
「実際、メイが先輩のこと大好きなのは先輩とメイの二人を除いて周知の事実でしたから!」
えっ。
「その時の今彼連れてしょっちゅう病院に通ってたらそりゃあ、幼なじみさんだって気を遣いますよ! 先輩、目を覚ますかどうかもわからなかったんです! ま、まあついた嘘が正しいかどうかは別としておきますけど!」
ぷんぷん怒り出すルルコに思わず気が緩んでしまった。
みんなも確かにそうだと頷き先輩を睨む。
「みんなに怒られるとは思ったけど、まさか……こう怒られるとは」
「当然の帰結です!」
ルルコの怒りにそうだそうだと女子が声を上げる。
「てめえが……てめえが一人で突っ走って倒れなきゃなあ! 真中は!」
詰め寄ったユウヤが先輩の首根っこを掴みあげた。けど私が止めるよりずっと早く、綺羅がユウヤの肩を掴んだの。
睨み返すユウヤに綺羅が頭を振る。
「それを言うのは、俺たちじゃない。信じてもらえなかった弱いあの日の俺たちにだって、責任がないわけじゃない」
「けど! お前は悔しくねえのかよ! こんな! こんな形で――」
「でも……真中が笑ってくれりゃあいいだろ」
綺羅の笑顔にユウヤが震える拳を下ろした。
深呼吸をしてから先輩の胸を押して、私を見る。
「真中……お前の気持ちはわかったよ」
「ユウヤ……」
「謝るなよ、絶対に……綺羅が納得したように、俺だって。あとは幸せになってくれと願うしかねえんだ。だから謝るな」
強い言葉になんとか頷く。
「また同じようなことにならねえように、しっかり見とけ。ぜったい、離れるなよ」
「う、うん」
「南、あとで先輩に会社の話しといてくれ」
手を振ってユウヤが離れる。綺羅も。愚連隊のみんなも。
いつもの調子なら文句の一つも言うところなのに、ルルコは黙って見送ったの。
沈む空気の中で、ミツハが咳払いをする。
「先輩がいなくなって、本当にいろいろあったんですよ」
「実感したよ。侍候補生の外出制限緩和は大きいね。軽音楽部がずっとよくなってた。狐の女の子の舞台も、これまでの士道誠心じゃ考えられないものだったし。メイがいて、ミツハがいれば侍候補生も刀鍛冶もだいじょうぶだと思ってた」
「それ言い訳にして顔を出さなかったとか言ったら、たとえ先輩でも投げ飛ばしますからね」
ごまかしのないミツハの怒気にぞくっとした。
「……もっと早くに来ればよかったね」
「突っ走って邪にやられた引け目を感じていたなら、余計です。積もる話はまた今度。並木のおかげで外出しやすくなったんで、来週あたり時間くださいね」
じゃあ、と言ってミツハも刀鍛冶のみんなを連れて出て行く。
「メイ……」
「ルルコ、外で待っていよう。今は二人で。ね?」
「……ん」
離れがたい顔をするルルコの手を取って、サユも先輩にお辞儀をして離れていった。
体育館に残されたのは、私と先輩だけ。
二人きりだ。涙の波は引いたけど、ふとした切っ掛けで崩れそうだった。
私の手は先輩の袖を掴んだまま、離れない。
「メイ」
名前を呼ばれても無理だ。離せない。離したくない。
……やっぱり、別れて当然だった。ラビにずっとひどいことをしてたんだ。
ラビの心にずっとコナちゃんがいたのなら。
私の心にだって、ずっと先輩がいた。
どんなにいないことにしようとしたって、無理だったんだ。
今こうして二人でいるだけでとめどなく溢れ出す気持ちが真実じゃないか。
「……ごめんね。ずっと見舞いに来てくれて、ありがとう」
頭を振る。ぜんぜん負担じゃなかった。やっぱりそれが答えだった。
どれだけラビを追い詰めてきたんだろう。
そりゃあ……私じゃなくてコナちゃんに弱音を吐きに行くよ。
ラビがそうしたように、私だって……どうしたって、この人から始めなきゃいけなかった。
そこから始めなきゃしょうがなかったのに、直視さえできなかった。傷があまりに深すぎて。
この人を失ったら私はどうにかなってしまう。きっと立ち上がってくれると信じていた。立ち直って欲しいと願っていた。
五月の病の事件で病院に行って、刀を抜いて。彼女がいるのならと身を引いたけれど。
消せるわけなかった。
砕かれた理由がこの人なら。強くなる先に見た理想にこの人が寄り添うなら。
消せるわけなかった。
どんなに上書き保存したって履歴にちゃんと残ってる。特別な場所にいる。会ってしまえばわかる運命。
離したくなんか、なかった。
「先輩、好きです」
見つめると、先輩は私をじっと見つめる。
一瞬は永遠。
破るのは、いつだって決意。
「好きだ」
私の手を包み込んで、それじゃ足りないと気づいて離れた手が背中に回る。
抱き締められる。あの頃ずっと夢に見ていた瞬間がいま、ここにある。
「眠っていた頃、メイの声がずっと聞こえていた気がした。俺の魂を掴んで引き上げてくれた女の子の夢を目覚めてから毎晩見ていた」
耳元で語られる、私への思い。
「それは俺が高校生だった頃に見た、一生懸命で強くあろうとするあまり、時に人と衝突する子の夢だ」
穏やかな声で紡がれる、先輩から見た私への印象。
「抜群の容姿と荒ぶる性格のせいで冷めた世界の中に生きる女の子と、世界のどこにでも吹く風のように自由な女の子と……三人で成長していく一人の女の子の夢」
「二人に比べたら、その子ってきっとキャラ薄いんですね」
鼻を鳴らしてやっとの思いで冗談を言う私に、先輩が笑う。
「そんなことないよ。弱っている人がいたら寄り添いあたためて、間違えた人がいたら厳しく優しく向かい合える……二人が北風なら、その子は太陽のような女の子だ。強いキャラだと思う。俺はその子が好きなんだ」
「……なんて名前の子ですか?」
先輩の腕の中で、見上げる。
「真ん中に心がある……愛に生きる子だよ」
囁かれる。
「真中メイ……愛生」
ずっと、ずっと欲していた。
「君が好きだ」
この瞬間が夢だった。
でもこれは現実だ。だから願いがよりはっきりとわかってしまう。
もう二度と離れたくない。離したくない。
何度だって思わずにはいられない。
蓋をしてくれなきゃずっとずっと考え続ける。
そんな私に口づけを。
「――……」
一瞬は永遠。
どちらからともなく離れた。
二人で願う心を覗き合う。
「デート、したいです」
「奇遇だな。誘おうと思ってた。時間くれる?」
「いつでも……じゃあ、デートまで我慢します」
「ああ」
二人で笑い合う。恥じらい、緊張。だけど満たされる心は真ん中にある。
これが愛なら、私はそれに生きようと思う。
「じゃあ……行こうか。あんまりルルコたちを待たせちゃいけない」
「ですね。時間かかると、逆に恥ずかしいですし」
「確かに! ……ところで、会社ってなんのこと?」
「あ、それなんですけど」
二人で話しながら外に出た。
待ち受けていた二人と四人で歩きながら話す。
未来をみんなで一緒にいるために、ルルコが先に選んでくれていた道。
それは一度は離れてしまった私たちの絆を繋げてくれる光に満ちた道。
私の中の特別が繋がっていく。
願う心を覗く。
見つめ続けていけば、いつか光り輝けると信じたい。
暗闇ばかり見つめ続けて何が楽しいの? と私の演じた王子は言った。
その通りだ。
会社を作っても、山ほど苦労があるだろう。離れる絆もあるだろう。
それでも求める。
願う心を覗き続ける。目をそらさずに。
覗いて見える目標から逃げずにきちんと進む歩みこそが夢を叶える道なのだと私は思う。
愛に生きよう。
もう目をそらさずに。
先輩が好き。ルルコが好き。大好きなみんなといるこの時間が特別。
愛してる。そんなすべてを愛してる。
そのために生きよう。
それこそ太陽を手にした真中愛生の生きる道に違いない。
つづく。




