第二百五十四話
リハーサルにリハーサルを重ねたり、コナちゃん先輩から文化祭のイメージキャラクターになれと言われたり。お助け部への正式な依頼だから断れなかったり。ルルコ先輩の本にマドカが監修について二人で大騒ぎしたり。本当に毎日が怒濤のように過ぎていった。
だから中等部と合同で全二日の日程にて行われる文化祭当日は放心状態。
岡島くんと井之頭くんと教室に設置したキッチンに立ちながら、ドキドキする。
チャイムの代わりの音が鳴って、実行委員長である先輩の咳払いが聞こえた。
『これより文化祭を開始いたします。みなさん、どうぞ心ゆくまで楽しんでください』
仕込みを一区切りつけてすぐに拍手した。そばにいた岡島くんと笑い合う。
「やっとだね」
「楽しみ」
調理部所属の岡島くんと井之頭くん監修のスイーツメニューだからきっと受けると思う。
キッチンからそっと教室を見渡した。
「遂に来たな」「戦の時が」「リア充になれるかどうかの分かれ目」「俺たちの関ヶ原だ!」
決め顔でそれっぽいこと言ってる。
スーツやトナカイ、それは本当に女子の心をゲットするためなの? とツッコミを入れたくなるいろんな衣装を着たクラスメイトたちの顔は、討伐前の緊迫感に満ちたものだった。
本気なんだ、その衣装で。
いや、突っ込まないよ! 女子へのアプローチは爆死すると思うけど、突っ込まないよ! みんなばっちりハマってて面白いから!
「青澄さん。正門、行かなくていいの?」
「あっ、そうだった。岡島くん、井之頭くん、調理部もあると思うからほどほどで、お願いね! 何かあったら連絡してね?」
手を振ってエプロンを取って走りだす。
今日の私は制服姿。一日目はクラスとお助け部の活動で実行委員のお手伝いをがっつりやる。
二日目には舞台が待っている。コナちゃん先輩と実行委員の勧めでその後、私は歌う必要もある。どきどきだ。たくさん練習したけど大丈夫だろうか。
不安と緊張と胸焼け、胃痛できりきりする。尻尾がきゅって窄まる。
だけど頭を振って急ぐ。あちこちから活気のある声がする。既に自由行動ターンの生徒たちが歩き回っているんだ。
ツバキちゃんたち中等部の文化祭も気になるけど、顔を出せてツバキちゃんのところだけが限界になりそう。それくらい過密スケジュールになってる。
これまでの人生からは想像できないよ、こんなの。
どきどきしてきた。
中学の頃のクラスメイトたちも来る。グループの発言者の中には彼女もいた。
天使が来る。私の漆黒時代の輝きが。憧れて、けれどなれなかった存在が。
ちゃんとやれるかな? 今の私で……大丈夫かな。
「ううう!」
落ち着かないよ!
◆
正門前に立って、ルルコ先輩と一緒に自撮りして呟く。
みなさんの来場をお待ちしてますよーという趣旨の呟きはすぐにブルースさんが拡散してくれた。
どんどん広がっていく。正門前はちょっとした人だかりができていて、親御さんらしい人もいれば近所の人っぽいお客さんもたくさんいた。
握手を求められることもあったし、一緒に写真撮ってって言われることもあった。人の勢いは予想より落ち着いていたし、私の思い描く文化祭よりたくさんいた。
でも考えてみれば当然かも。大学まであるんだよね、この学校。今年はどうやら大学の学祭の日にちをずらしているみたいだけど、それでも同じ日に中等部の文化祭があるからね。
大入りなんです。
いろんな人に挨拶されて、中には耳と尻尾に触りたがる人もいて。最初は悩んだけど、結局ことわりきれなかったよね。今日一日だけで春灯はたくさん触れられましたよ。おかげで尻尾の毛が乱れてる。今夜はカナタが渋い顔になりそうです。
「お昼になるのに、お客さん途切れないねえ」
「そうですねえ」
ルルコ先輩と遠い目になりながら笑う。
クラスのみんなは大丈夫かな。これだけ盛り上がっていたら大変なのでは。
それとも案外、中等部と高等部で分散するからそうでもないのかな。
その時だったよ。
体育館から爆音が聞こえてきた。歓声もだ。いま舞台は軽音楽部の時間なのかも。耳をぴんと立てた私にルルコ先輩が笑う。
「ハルちゃん、明日もやるからちゃんと見れるよ」
「……体育祭の時から地味に気になってたんです。人気あるんです?」
「ぼちぼちかな。ライブハウスでも活動していて本格的みたいだけど、業界で頭角を現すなんてかなりハードル高いからさ」
「んー。だけど聴いてみたいです!」
「ルルコも」
思わず顔を見合わせてはにかんじゃった。
尻尾が膨らむ。お仕事ばっかりでまだ私ぜんぜん遊んでない。
文化祭を楽しみに来てくれた笑顔の人たちを見るのは楽しいけどね!
うちの家族も来るし、カナタの家族も来るって聞いている。
ブルースさんもスマホを確認したら、仕事が片付き次第顔を出すって返信つけてくれていた。待ってます!
スマホをポケットに戻した時です。
お昼を知らせる案内が流れてコナちゃん先輩が実行委員長さんとやってきたの。
「南先輩、ハル! お疲れ様……あとは引き継ぐから」
二人にお辞儀をする。
挨拶もそこそこに走り出すルルコ先輩は調理部に向かうみたいです。
私の場合、気になるのは自分のクラスだったんだけど。
「青澄さん!」
歩き出そうとした時、呼び止められてふり返る。
そして尻尾がぴんと立った。だって、中学生の頃いっしょだったみんながいたから。
三十人。どの顔もちゃんと覚えてる。その中には――……天使もいる。
「あ、の」
言葉に詰まった。
覚悟はしてきたはず。乗り越えようって決断したはず。
今の私ならきっと大丈夫。そう信じたい。
なのに急すぎて用意できなかった。
住良木にいった時、イケメン先輩は言っていた。用意が大事。アドリブに期待するな。
その言葉の意味をひしひしと今、感じております……!
「よかった、本当に会えて!」「マジで金髪になってる」「つうか、青澄めっちゃ可愛くなってんじゃん」「高校デビューとかってレベルじゃないだろ」「……整形?」「高一が? ないない」「でもマジで可愛いな……」「よく見なさいよ、薬指。指輪してるでしょ。彼氏いるよ、あれは。間違いない」
盛り上がりながらみんな駆け寄ってきて、笑顔。
急に中学に戻ったみたいな気持ちになっちゃう。
あわてる。昔はこじらせた言い方で煙に巻いてひとりぼっちでいたけど。
今はもう、だって、ほら。難しいよ!
「え、えっと。えっと。お、おひさしぶり?」
挨拶をなんとか返した私にみんなの目つきが途端になまぬるいものになった。
「「「「 高校生になればさすがにまともになるか 」」」」
「えっ」
慌てる私に誰かが言う。
「獣耳と尻尾はやしてこれがまともか? じゅうぶん変だろ」
すぐに誰かが続く。
「青澄らしいっちゃらしいよな」「かもね。っていうか、ねえねえ。尻尾さわってもいい?」
いいよって言ったら間髪いれず、女の子たちが一斉に触ってきました。
ふかふかーとか言われてますけど、ただでさえたくさんの人に触られて乱れた毛がさらに乱れるよね。
今夜のカナタの仕事は大変なことになりそうです。やりがいがあるからいいじゃないって言おう。そうしよう。
「これ本物なの? あったかいしすごい……」「お、俺もさわっていい?」「いや男子はダメだろ、常識的に考えて。尻尾ってようはケツの一部だろ? なあ青澄」
「あ、あはは。まあ、その。そうですね」
他に言い方は。だったら私はカナタにお尻を触られていることになるじゃないか。
ああでも身体の一部には違いないよね。お尻じゃなくて尻尾だと断固として心の中で主張しますけど! 恥ずかしいので。
わいわいがやがや。だけどこの輪に入らない人が二人いた。
最初に声を掛けてくれた子と、天使。
考えてみれば不思議な組み合わせだ。
だって、一人は私がいじめから庇った子なんだ。もう一人はその主犯格なのだから。
どきどきは止まらない。
お互い、まともに話せたことは一度もない。卒業式に勢い余っていろいろ言っちゃったけど、それくらいだ。常にみんなの中にいた天使と、ひとりぼっちの私。今はそれが、まるで逆転しているみたい。
髪はくすんでいるけど……でも、やっぱり相変わらず綺麗な女の子だ。名字が天使、名前がキラリ。祝福されまくりだ。憧れていた。ずっと。許せなかったのは、ただ。他人を傷つけちゃうところだけ。それ以外ぜんぶ好きだった。
私がじっと見ていると、みんなが顔を見合わせて黙る。そして道を空けた。
いじめられた子が天使の背中を押して近づいてくる。
どきどきが増す。
緊張して顔が強ばる。
だけどそれは、天使も同じみたいだ。そんな私たちを見守るみんなもまた、緊張している。
だから察した。
これは儀式だ。たぶん。みんなが求めて、天使が求めている儀式。
どんなものかはわからないけど、でも……不思議と尻尾は内股に逃げたりしなかった。
「青澄」
面と向かってきちんと名前を呼ばれたのは、いつぶりだろう?
もしかしたら初めてかもしれない。
澄んだ声をしていた。
どこか斜に構えた響きばかり中学生の頃は聞いていたけど、今日は違う。
ただただ、ずっと聴いていたくなるような……まさに天使の声だった。
「な、なに?」
思わずスカートの布地を掴んでしまう。
けど逃げない。絶対に。
誰も私の行く手を遮ったりしていない。逃げたなら、逃げ切れるだろう。
逃げないのは、ただ。
彼女が求めているものが何か、瞳を見て感じたからだ。
「ごめん」
深く頭を下げられた。
「……中学の頃、ずっとひどいことしてた。あ、アンタがひとりだったのは……アタシが悪い。全部、アタシが悪い。だから……ごめん。ずっと逃げて、ごまかして……そんなの最低だった。ごめんなさい」
「俺たちだって――」「待てよ、まだだって」
誰かが口を開こうとした。けど別の誰かがそれを止めた。
みんなわかっているんだ。私たちが乗り越えなきゃいけなかった、だけどなあなあでごまかしていた壁に天使は一人で立ち向かっているんだってことに。
怖かった。
この子に会うのが怖かった。
素直に白状する。
天使が怖くてしょうがなかった。
だって、自分の中に怒りがあったら……天使を傷つけちゃうに決まってる。それは誰より私が嫌う行為だ。
だから怖かった。
でも……怖いのは天使も一緒だった。
拳も足も震えている。身体のこわばりだって……侍候補生として体験してきた感覚が知らせてくれる。
天使はいま、勇気を振り絞っているんだ。
私にとっての漆黒は、天使にとってもきっと漆黒だった。
「……ん」
もう、高校生だ。
いやってくらいわかってる。
みんなでごまかして生きてきたって。あの頃、そういうものに縋ってみんなで毎日をなんとかやってきたんだって。でもそれじゃあ……漆黒は漆黒のままなんだ。
どうにかしようと、誰かが思いついた。
アプリで知らせてくれたのは、いじめられた子。
彼女が過去に立ち向かうつもりで発案したのかもしれない。そして天使はそれに応えたんだ。
いがみあって、嫌いあっていておかしくない二人が手を取り合った。
すごいことだ。
ツバキちゃんが何度も私にくれた奇跡のような力が二人の間を取り持っている。
なのに、私が逃げる理由なんてない。
ずっと、乗り越える瞬間を待ち望んできたんじゃないか。
そうだよ。みんなで仲良くしてるのが一番だって……ずっと思ってきたんだ。
ひっくり返そうよ。
つらい過去を、素敵な未来にするんだ。
今の私ならきっとできるはずだよ。
高校に入ってみんなが教えてくれたことだもん。それを中学のみんなに……できない理由はないよ。したくない理由もない。
したい理由しかないんだ。
「私は自分でひとりぼっちになったから、天使のせいじゃない」
一つずつ、ゆっくりと。痛みに思いを注ぐんだ。
「私だって、ごまかしてた。誰かを責めずにおさめる方法なんて思いつかなくて……ひとりぼっちでいつづけた。きっと天使はつらかったはずなのに」
天使が頭を下げたまま、違うと叫ぶように頭を振った。でもいいの。
「天使も……ごまかしてたって言ってくれた。みんなも、思うところがあるんだよね?」
みんなそろって、痛みを堪えるような顔をしていた。
だからこそ、いいんだ。
「今日、きてくれた。天使から言ってくれたから……ちゃんと私からもごめんなさいって言えると思うの。すごいことをしたんだよ、だからもういいんだ」
屈んで、天使の手を取る。ぎゅって握る。
「すごいよ。謝れないよ。私は謝れなかったもん。どう向き合えばいいのか、ずっと悩んでた。この学校に入っていろんな経験をしなかったら、きっと逃げてた」
「あお、すみ……」
「それじゃあだめなんだ。傷は傷のまま、無駄になっちゃうんだ。だけど天使はきちんと、それを成長に変えたんだね! かっこいいよ!」
ぽたぽたと雫をこぼす天使に笑いかける。
「天使はすごいよ。そんな天使といろいろあったのに、呼べちゃうことも」
いじめられた子と視線をかわして、それからみんなを見渡す。
「私たちから逃げないみんなもすごい! 大好きだよ!」
心の底から言うの。あの頃は漆黒だった。きっと天使と私だけじゃない。みんなにとっても。
だけど、それがなんだ。
「今こうしていられる……この時間が金色なんだ。来てくれてありがとう! もっと……好きになってもいいですか?」
たまらなくなって抱きつく。
「……いいに、決まってんじゃん。聞かなきゃいけないの、アタシの方だから」
抱き締め返してくれた天使の熱を感じる。
ううん、違う。天使なんかじゃない。女の子だ。傷ついて、だけどその傷に立ち向かうために全力を尽くした女の子の熱を感じるんだ。
「――……アンタって、ほんと底なしのお人好し」
憎まれ口を叩く天使――……キラリの声は涙に曇っていた。
みんなが鼻を啜る。そして誰かが言うの。
「俺もごめん」「ボクも」「……私も」
みんなでわかりあうための時間がずっとずっと前から必要だった。
だけど、ごまかしたまま高校生になって逃げ続けていた。新しい生活に浸って忘れようとすれば、忘れられたはずだった。
――……本当に、そうかな? それで私たちみんな、終わりにできたかな?
過去はいつか追いかけてくる。黒の聖書を抱えて学校に来た時点で、私は無意識に望んでいたのかも。
みんなと、天使と、私の漆黒を金色に塗り替えるこの瞬間を。ずっと、望んでいたのかも。
「ぐすっ……青澄さんがテレビに出なかったら、切っ掛けなんてこなかった」
発案者の言葉に頭を振る。そして胸を張る。
「んーん。違うよ。きっと……求めていたから今日があるんだよ」
なんで? と不思議そうな顔をするみんなに言うの。
「こうやって集まれるみんなにとって、痛くてしょうがなかったことだから。乗り越えたら私たち、きっともっと幸せになれるから。だから……切っ掛けを掴めたんだよ」
「……巡り合わせか」
私の身体をそっと離して、キラリが言うの。
「あとで、いい? ……二人だけで話したいことがあるの」
告白か? と誰かがからかう。うるさいと噛み付くように言い返す天使の目は涙に濡れていて、だけどあんまり綺麗だから思わずみんなで見とれちゃったのです。
◆
うちのクラスのコスプレ喫茶は概ね、中学のみんな(特に女子)に受けてました。
女子を意識しすぎて片言になったり、ロボットダンスかな? という動きをしたり。
もうまんまアトラクション。コミュ力は欠片も見当たらないけど、大丈夫なの?
でもそこがいいみたい。
「初心な男子だらけとか」「狙いどころ……」
中には飢えた目つきをしている女の子が数人いたので、もしかしたらもしかするかもしれない。
特に人気が集まったのは岡島くんと羽村くんなんだけど、残念ながら茨ちゃんとルルコ先輩がいるので望み薄です。残念!
うちの家族も来たよ。中学時代のみんなととっくに和解して、すっかり仲良しの私たちを見てお母さんが感激のあまりに涙ぐんじゃった。恥ずかしさのあまり早々に退散したよね。
カナタの教室に行ったらお化け屋敷をやっていて、遊びに来ていたコバトちゃんと二人で挑戦してのっぺらぼうに扮したカナタに泣かされそうになったり。シオリ先輩がお化け屋敷でお皿を数えていたのが地味にツボでした。
出てきたら、キラリがソウイチさんと話し込んでいたの。聞いたらなんと、キラリってばマスターの喫茶店でアルバイトをしているんだって! ソウイチさんに痴漢から助けられたっていうから、狛火野くんに助けられたことを思い出したよね。
世間は狭いし親近感わくよ!
ひとしきり盛り上がって一旦、解散になったの。だからキラリと二人で中等部に顔を出して、ツバキちゃんのいる新聞部の展示を眺めた。これまでの学校新聞の掲示だ。中には私へのインタビューもある。
侍と刀鍛冶のいる高等部と違って中等部はまだ普通だ。だからこそ素朴な記事にほっこりする。通学途中にいる野良猫の分布マップとかいろいろ可愛いのだ。
キラリはツバキちゃんに面食らってたみたいだけど、素直可愛いツバキちゃんにすぐ顔が緩んでた。中学生日記もとい黒の聖書を知り尽くしているツバキちゃんにはね? そっと言ったの。キラリが天使だって。すると小声で返してきたの。
「最終戦争、おわったんだ。すごいね。じゃあもうあれは、金の聖書だね!」
思わず笑っちゃった。確かにそうかも。
黒かったけど、もう今は違う。痛みだけじゃない。未熟な私たちの過去はきちんと今という未来に繋がった。なら……今までの日記をきちんと書いて、書き足す形で呼び変えてもいいのかもしれない。
さすがツバキちゃんだ。大好き!
めいっぱい抱き締めてから、キラリと二人で中等部を出る。
中庭のベンチが空いているのを見つけて、手を引いて走って確保した。
「――……ふう。変な学校だね、ここ」
遠い目つきで呟くキラリにそうかな? と尋ねると、笑われたの。
「アンタみたいに変で……面白い」
中学の頃に見ていた攻撃的な色はもうすっかりない。
ずっと天使そのものだって夢見た笑顔がすぐ隣にあるんだ。
「……青澄」
「春灯でいいよ。私なんて心の中でもう、キラリって呼んでるし」
「名前呼びか……まあ、アンタならいいか。じゃあ……春灯」
キラリの両手が膝小僧をぎゅっと掴む。指先の力加減を見て、緊張の度合いを知る。
「……もし。もし、また……一緒の学校に通いたいっていったら、いや?」
「え? 大学ってこと?」
「そ、そうじゃなくて! ……士道誠心。ここ」
「ああ! 転校ってこと? 別にいやじゃないけど、どうかしたの?」
「普通かよ! ……いや、普通でいいのか」
違う、そうじゃなくて。
唸るように呟くとキラリは綺麗にセットされた髪を両手でかき乱してから、長いため息を吐いた。
「いろいろあったから……アンタが嫌なら来ない」
「なんで嫌がる必要があるの? すごいじゃん! キラリが来てくれたら楽しいと思うよ!」
「……アンタちょっと、お人好しが過ぎる。普通、自分をいじめた相手にそんなこと言えないよ」
「普通がどうかは知らないし。意地を張って傷つけた点では私も同じだし? どっこいどっこいだし! それもさっき話して解決したからいいのでは?」
そう言ったら、またしても深いため息を吐かれちゃいました。
「緊張した自分がバカみたい……でもどっかで思ってた。アンタはそう言ってくるって……わかってた気がする」
「キラリ?」
「……なんで通いたいか、聞いてくれる?」
「うん。むしろ知りたい」
「じゃあ……もう一つ、謝らせて」
キラリが取り出したのはスマホだった。
呟くアプリを開いて、アカウントを切り替える。
表示されるのは私の呟きばっかり。何度かキラリがタップをして表示された画面をみて固まった。
だって、それは。いつか私にダイレクトメッセージを送ってくれた小学生の女の子のアカウントだったから。
「嘘ついて、なりきり用の別垢つくってたの。空しいなと思ってたけど……アンタが話題になって。なんか、気がついたらメッセージ送ってた」
「……あ、おう……」
頷きながら、頭の中で整理した。あのメッセージはなんて書いてあったんだったか。
考える私を見て、キラリがアプリを操作する。
メッセージを表示してくれた。そこにはこうある。
『はじめまして。私は小学生です。でも重たい病気で、学校まともにいけなくて。そんなだから友達もできません。作り方もわかんなくて、病院ではひとりぼっちです。そんな私でも、刀を抜いたらお姉ちゃんみたいになれますか?』
嘘だらけ。一見して単純に考えれば、そう。
でも――……中学でこじらせて、いろいろ言い換えて現実を別の物に例えていた私にはわかる。
「……自分は子供で、問題があって。学校、は?」
「行ってる。さぼってないけど……でも、退屈すぎて行ってないのとそんなに変わらないかも」
キラリは苦笑いを浮かべていた。
わかる。黒の聖書を朗読したり読まれるたびに、私も同じ気持ちになったから。
でもキラリは逃げない。スマホを見せ続けてくれる。だから考える。
「友達、できない?」
「中学の頃は……表面的な繋がりしかなくて、アンタよりずっとぼっちを感じてたの」
「え――……」
「ほんとのこと。それも……これからどんどん、ちゃんと頑張っていこうって思ってる。アンタも来るでしょ? この後カラオケ行ってファミレスで騒ぐの」
「う、うん! 行きたい!」
頷きながら、思わずにはいられなかった。
本当に意外だったの。
天使だと思っていた彼女は、私と同じ女の子だったんだ。
「じゃあ……作り方もわからなくて、病院でもひとりぼっちっていうのは」
「ずっとぼっちだったの。ごまかしの付き合いだらけ……嘘、だらけ。だからかな。バイト先でマスターに嘘を吐くなって言われたのは、結構痛いというか……違うな。むしろ楽になったし、支えになってる」
「……そう、なんだ」
私はキラリのこと、ぜんぜん知らなかったんだ。
「……じゃあ、刀を抜きたくて入るの?」
「メッセージを送ったときはそう思ってた。ずっと……アンタの進学先が士道誠心って聞いてから、パンフ取り寄せたりして気になってた。だって、いかにも不思議な力なんてアンタが好きそうだし」
つらそうな顔だった。
「でも……アンタの呟き見て、考えが変わったよ」
「あっ」
うわ。うわあ!
「特に好きなのは……この二つかな」
赤面する私に見せてくれたの。私が呟いたメッセージ。お気に入りにされたメッセージたちの中でも、二つを。
『だからどうか。刀に求める前に、自分の気持ちに一途に素直にいてください。諦めないで、折れないで頑張ってください。私にメッセージをくれたあなたなら、できるはず。私は言うよ、だいじょうぶだよって。がんばってって』
キラリが囁く。
「なんで励まされてるんだろうって思ったけど……すごく楽になった。このメッセージがあったから」
スライドされる画面に映る、私のメッセージ。
『覚悟を決めて立ち向かえた時、きっと侍になる資質を手に出来るんだ。私はそう信じています。いつか刀に寄り添う力を手にしたあなたと会えるのを、楽しみにしています』
私ってばとんだ恥ずかしい呟きを!
そう思うのに。
「……謝れなかったから、悩んでたけど。気がついたら転校の仕方しらべたり、お金ためるためにバイト頑張ったりしてた。親にあんま負担かけたくないし、自分で出せる方がわがまま通りそうだし」
メッセージが嘘でもいい、本気を伝えよう! って書いた呟きだけど。うわあああ!
はずい! でも、泣きそうなくらい嬉しかった。
ちゃんと、届いてたんだ。
キラリの心に。ちゃんと……届いてた。
「アタシ……自分らしさを見つけたい。手放してきた幸せの意味とか、アンタがアンタらしく掴んだ幸せみたいに……自分らしい輝きを見つけたい」
「名前もキラリだもんね!」
「そ、それは触れてくれるな。恥ずかしいんだから」
「ええ。なんで? 可愛いよ?」
「……ありがと」
「いいえー」
嬉しくてしょうがなくてにこにこしてたら、キラリが俯いた。
「アンタやみんなのおかげで、今日を迎えられた。マスターと出会ってバイトしてなかったら、きっとここには来れなかった。アンタじゃなかったら、アタシは最低最悪の女で終わってた」
「キラリ……」
「名前くらいはさ。輝きたいんだ。アンタみたいに青春を謳歌して……自分を誇れるようになりたい。それにね?」
横目でちらっと見られてから、呟かれたのは。
「アンタと……あの子を幸せにしなきゃ、死んでも死にきれない」
思いの強さが染み込んでくるような言葉だった。
「アタシにできるかどうか、ずっと不安なんだ。アンタに断られたら、とか。思うと泣きそうになるんだ。だけどさ……」
きっと。
「アタシに声を掛けてくれたあの子の勇気とか。アタシを許せちゃうアンタの優しさとか。そこから逃げたら絶対、自分を一生ゆるせなくなるから」
「……ん」
勇気と覚悟でできているんだ。今、キラリの意思は。
「いいかな……アンタと一緒に、いても」
漆黒が精一杯、キラリを捕まえようと手を伸ばしている。
がんじがらめなキラリを過去が捉える。けど、そこからみんなが引っ張っているんだ。金色へ。キラリは一生懸命、走りだそうとしている。
自分を守るために誰かを責めるのなら、キラリの願いを突っぱねるだろう。
でも――……ずっと、私はそんなの許せなかった。
大嫌いだった。
私の手は殴るためにあるんじゃない。誰かの手を取るためにあるんだ。そう信じたいんだ。
そんな私がキラリにしたいことなんて、決まってるよ。
「きてよ。士道誠心。いつでもいい。今からでもいい。私はずっと天使キラリを待ってるよ」
「――……うん」
「今日きてくれて嬉しい。キラリが青春を――……私を求めてくれるのが、嬉しい」
「……ほんと?」
泣きそうな問い掛けだった。
だからめいっぱいの力をこめていうよ。
「当たり前じゃん!」
強い風が吹いた。吹き飛ばされるように影が遠のいて見える、きらきらの顔に言うの。
「どんなにつらいことだって、きらきらに繋げられるって知ったの。だから……キラリと分かち合えたらいいなって思う。私も一緒にいたいよ! もっとずっと前から、そう思っていたよ?」
そうなれたらいいなって……願っていた。なれないって諦めていた。
天使になれない。憧れるけど、届かないんだって。
自分をごまかして……逃げていた。だけどね。
「キラリも幸せになってほしい。傷とか真っ黒な思い出なんかに負けないで、償いとかそういうの届かなくなるくらい、幸せになって欲しいよ」
そんなのもうやめるんだ。士道誠心で得たすべてが教えてくれる。叫んでる。
今こそこの手を取らなきゃもったいないぞって。
「来てくれる? ……士道誠心に」
問い掛けた私に抱きついて、キラリが大きな声で言ってくれたの。
「当たり前じゃん!」
ああ。こんなの夢みたいだ。
この瞬間のために、きっとすべてがあったんだ。
そう思えるくらい、かけがえのない瞬間だった。
つづく。




