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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第二十章 願う心覗いて、文化祭

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第二百五十三話

 



 通知の音が聞こえてスマホを確認した。


『青澄さんの文化祭、一緒に行けない、かな。今なら……やり直せると思うの。もしよかったら、返事まってます』


 画面を眺めてため息を吐いた。いじめられた相手に何を送ってるんだか。なにより。


「青澄……自分がいじめた相手に、いまさらどんな顔して会えるっつうの」


 アプリを閉じて、別のアプリを開く。

 本来のSNSアカウントから別のアカウントに切り替えて、彼女の呟きを見た。

 青澄春灯。

 本名のアカウント。高校に入って何気ない思いつきで調べてすぐに見つけた。

 高校に入ってからは落ち込んだりへこんだりする呟きが散見された。

 日常が充実している感じはあまりしなかった。

 中学の頃のアカウントと違って、こじらせていない文章だったから思った。

 ああ、やっぱりこいつってちょっと変だっただけで、普通につまんない奴だ。

 そう思っていたのに、もう違う。

 テレビで大騒ぎ。中学の頃のクラスメイトも、親たちも。みんな揃って大合唱。

 青澄春灯はすごい。

 ばかにするためにつけた青春女というあだ名通り、まさに文字通り青春を謳歌している。

 対して、自分はどうか。

 鏡を見る。

 瞳は中学時代から比べて随分荒んだ。髪は脱色を繰り返して傷んでいる。

 それでも持って生まれた容姿はそれなりで、それ目当てで言いよってきた男の一人と付き合った。たいして面白くもないし、身体ばかり求めてきてうざかったからすぐに別れたけど。男ってどうしてああなのか。抱きつく度に腰を押しつけてくるから辟易とした。

 最近やりがいを感じているのは緋迎ソウイチっていう渋くていかしたおじいさんがやってる古びた喫茶店のバイトだけ。

 本当に学生生活なんてしょうもない。

 スマホアプリに写真を載せている彼女は違う。

 変な耳と尻尾を生やしているが、肌はつやつや。金髪はどう染めたらそんなに見事になるのかわからないほど輝いている。きらきらした瞳は夢しか見つめていそうにない。

 フォロワー数は五桁にのぼる。日々、どんどん増えていく。外国人の記者がたびたび彼女の呟きをRTしていて、世界中に拡散されているのだ。英語に翻訳した解説までつけている。

 最近ではリア充ツイートや、かわいこぶった自撮りが多くてアンチもいるが、それ以上にファンがついている。特に中学時代のアカウントから追い掛けている子の熱意は本物だ。

 理由に納得はしている。

 偽垢の自分は長い病を患った哀れな女の子。なりきりアカウントだ、いわば。青澄春灯にダイレクトメッセージを送った。

 するとあの女は青臭い……昔と変わらない一途なメッセージを呟いた。悔しいことに感じてしまった。あの子は今も――……昔もずっと、青春の中を生きていたんだって。

 それに比べて自分はどうだ。


「――……ださ」


 ベッドに倒れ込む。

 普通の学校に行って、普通に過ごす。放課後はバイト。退屈そのものだ。

 小学校も中学校も、高校も……学校のクラスは政治でできている。社会はイメージと発言力で成り立っていると信じている。

 それは繊細で、ときに凄く乱暴に日常を塗りかえる。昔は自分が塗りかえる側にいた。

 中学時代、いじめた子を青澄春灯が庇った。むかついて彼女に標的を変えた。どんな嫌がらせをしても彼女は毎日学校に通い続けた。

 脅威だった。

 一年目はまだいい。だが二年生になる頃にはみんなとっくに飽きていた。うんざりしていたんだ。くだらないいじめなんかよりよっぽど青澄春灯に夢中になっていた。変だけど絶対に折れないあの子に。

 結局、自分が折れた。

 クラスの空気には抗えない。いじめなくなった。強ばった空気は程よく緩み、無自覚に自分を責めた。まるでそんな自分さえ許すかのように、彼女はひとりぼっちであり続けた。

 嫌いを通り越して気持ち悪かった。

 人の良さが。優しさが不気味でしょうがなかった。

 自分なら殴る。蹴る。水を浴びせるし、トイレで聞こえるように陰口をたたく。全力で戦うし、そのためならやり返す。

 けどあの子は自分に差し伸べられた手さえそっと自分から離れて、ひとりで居続けた。まるでこっちが苛めるかもしれないと信じているかのように。そんな生き方しかできないと信じているかのように。

 意地の張り合いは卒業まで続いた。結局、一度もまともに話さなかった。

 だからだろうか。

 思い出すのは最後の瞬間だけ。

 あれは卒業式が終わったあとのことだ。


「天使さん」


 最初、どきっとした。あまつか、が自分の名字だ。なのに彼女はてんしと呼んだ。


「……なに」


 つるんでた友達はみんなして先に行ってしまった。

 結局浅い付き合いしかできなかったのだ。青澄春灯を思う生徒はたくさんいる。けど自分にはいない。彼女はひとりぼっちを気取って仲間を増やし、一見仲間だらけの私は精神的にひとりぼっちになっていった。

 その空しさに気づいて……感傷に浸りたくて教室に戻ったのがよくなかった。

 同じように教室にいた先客が青澄春灯だったのだ。

 逃げそびれたと思いながら尋ねると、彼女は言った。


「学校、楽しかった?」


 顔が歪んだのが自分でもはっきりとわかった。

 彼女も自分の顔を見て怯んだようだ。それでも拳を握りしめて言った。いつもの妙なマントも付け歯もない、ただの女の子が。


「私は、あんまりだった! 天使さんみたいになれなかった!」

「……は?」

「こ、高校はすっごく楽しむから! 天使さんに負けないくらい!」


 びしっと指を差されて、それから顔を真っ赤にした青澄春灯は出て行った。

 すごくイラッとした。

 どこをどう見たら、自分が楽しそうに見えるのか。

 だいたい、なしとげた行動の意味に気づいていないのか?

 自分が喉から手が出るほど求めるものを既に手にしているのに、どうして気づかないのか。

 なんで……なんで、自分なんかを羨むのか。

 本当にさっぱり意味のわからない女だ。

 誰にも嫌われないように気を遣い、そのために率先してバッシングして。幼い醜さに気づかせたのは他の誰でもない、青澄春灯のはずなのに。

 おかげで微妙な三年間になった。自分の行動のせいだとさすがに気づいているから、誰も責められず、かといって反省もできずに終わってしまった。

 わかっている。

 むかつくから無視とか、それをみんながしなきゃいけない空気を作ったところで……別に幸せにはならない。退屈がまぎれた気がするだけ。もっと満足するために嫌がらせをエスカレートした先には、くだらない結末しか待ってない。

 標的はいなくなるか来なくなり、別の標的を選んで果てはない。

 満足できないなら、そんなの果てしない自慰行為だ。非生産的。それにみっともなくも抗って、水面下でファンを増やす青澄春灯の方がよっぽど生産的だ。

 自慰行為にしか見えないマントも付け歯も、誰かが反応してくれたらいいという外向きの行為。自分の行いもあいつの行いもピントがずれて間違えていた。

 致命的な差はある。あいつの場合は自分以外の誰も傷つけない。自分の場合は誰かを傷つける。埋められない絶望的な差が、そこにはある。

 なのにあの子はそんな自分を羨んだ。

 なれないと言いながら、なるべきじゃないものに夢見て。ほんと、バカだ。

 たった半年ちょっとで、文字通り手の届かないところに行ってしまった。なのにあいつはあいつのままだった。

 青澄春灯のタイムラインを追う。

 そして……何度も見た文字を読む。


『今日、こんなメッセージをもらいました』

『いま自分はとても苦しい状況にあって、前向きにいられない。友達もいない。そんな自分でも、刀を抜いたら変われるだろうか』


 アプリで青澄春灯のことを知って、すぐに感じた。

 自分の弱さゆえの願い。刀さえあれば自分だってきっと。けど。


『私の切っ掛けは刀のようで、実は違っています。既にネットのみなさんにはばれてるみたいなんですが、中学時代の私は痛い子のようでした。どうやら』


 青澄春灯はずっとずっと先を行っていた。最初から気づいていた。自分のことに。


『でも毎日折れずに(今はもう消しちゃったけど)呟いて、日記書いて、ブログもやって。世界に発信しながら立ち向かっていました。つらいことや苦しい状況にね』

『その思いに刀が応えてくれました。私を支えてくれた子や、諦めずにいた私に振り向いてくれたみんなのおかげで、刀を折らずに今日まで頑張ってこれました』


 自分らしさこそ大事なのだ、というメッセージだ。

 そんなの気づけるかよ、と最初は思った。でも。


『だからどうか。刀に求める前に、自分の気持ちに一途に素直にいてください。諦めないで、折れないで頑張ってください。私にメッセージをくれたあなたなら、できるはず。私は言うよ、だいじょうぶだよって。がんばってって』


 悔しいくらい、青澄春灯という女の子は最初からずっとそうだった。

 一途に素直に生きていた。

 私を羨んだ挙げ句、嘘かもしれないメッセージに声援まで送るなんて。

 ……ずっとずっと、人に優しく生きていた。


『覚悟を決めて立ち向かえた時、きっと侍になる資質を手に出来るんだ。私はそう信じています。いつか刀に寄り添う力を手にしたあなたと会えるのを、楽しみにしています』


 ずっと……嘘を吐いてきた。

 いじめたのは……好意で話しかけたらそりがあわなくて。ちょっと避けられた瞬間があったんだ。だから、その仕返しくらいのつもりだった。ささやかな自己主張が許せなかった。怖くてたまらなかった。

 でも間違えだった。認めるのが怖くて嘘を吐き続けてきた。

 退屈だ。なのに退屈じゃないと自分に嘘を吐いて生きてきた。好きでもない男に合わせて付き合ったり、馴染めないクラスメイトと仲良しごっこ。


「誰が天使だよ」


 あんたの方が天使で、こっちは悪魔だろ。

 誰もそれを指摘しなかった。あの狂った堕天使のことを、なんだかんだいってみんな気に入ってたんだ。そうと気づいたらもう、余計な手出しなんてできるはずがなかった。

 青澄春灯が相手じゃなければ気づかなかっただろう。いま、こんな気持ちになっていなかったはずだ。きっと酷いことになっていた。いじめちゃった子も、自分たちも。

 画面から伝わるきらきらの日常を見つめていると、しかめ面の自分の顔が映りこんでいた。

 やりがいのある人生なんて、ない。

 名字にさえ見合わない自分には見つけられない。

 兆しをやっとバイトで見つけられそうなくらいだ。

 とっくのとうにあいつはたくさんの輝きを手に入れている。何が違うのか。


「……ふん」


 苦笑いしか浮かばない。

 あの頃、あいつは自分を堕天使だと言っていた。

 けど……これじゃあ自分の方が地に堕ちた天使だ。

 間違えた場所はわかっている。だけど正解は見えない。

 嘘を吐くことしか手段を知らないから。

 高校に入ってからは大人しくしてる。中学の奴が一人もいない学校に進学して、自分と近く見える女子とつるんで。

 でも楽しくない。日常をなんとか過ごしているだけだ。

 喘ぐように毎日をごまかして生きていく。

 なのにごまかしようのないレベルで踏み込まれた。

 怖い。ずっと返信してないし、既読スルーを続けてきた。

 向き合えない。

 いじめた子が敢えて自分にメッセージを送ってきた。勇気を出して。青澄春灯に影響されたのか。それとも、ずっとそうしたかったのか。きっかけはあいつなだけで、ずっと願っていた?

 みんなどんどん先へ進んでいく。嫌になる。中学生のあの日から先へ進めない自分の醜さに。

 ため息を吐いて身体を起こした。

 返事は保留だ。

 それじゃいつか報いを受けるのはわかっているけど。

 それでも行かなきゃ。

 髪を整えて、軽くメイクして部屋を飛び出した。

 アルバイトに行く。

 お金が欲しい。わがままを通す力は世界にいくつかあるだろうけど、お金はその一つに違いないから。

 他にも理由はある。やっと見つけた居場所に帰りたい。ひょっとしたらあそこは、家よりも落ち着く場所かもしれない。具体的には――……すぐにわかる。


 ◆


 喫茶店でエプロンをつける。

 バイトは二人。大学生のお兄さんで、名前は何度聞いても覚えられない。

 士道誠心を卒業した人だ。長い間入院していたらしい。今はリハビリも兼ねてバイトしているんだとか。

 くしゃくしゃの天パと眼鏡が妙に似合うイケメンだ。いつだって白いシャツにスラックス。黒いネクタイがハマっている。


「先輩すみません、遅くなりました」

「いいよ。マスターは多分、夜に来るから」

「……どうも」


 ポケットの中に突っ込んである名札とにらめっこをする。


「つけないの?」

「……名前、嫌いなので」

「素敵な名前じゃないか」

「名字と合わせるともう最悪です」

「そうかな。俺は気に入ってるけど? 天使キラリ。いいじゃないか」

「キラキラ丸出し過ぎて最悪なんです。絶対に名前で呼ばないでくださいよ?」

「その注意、何度目かな」

「何度だって言いますから」


 指を突きつける自分に向かって微笑むと、カップを磨く作業に戻る。

 古びた木材の渋みと艶のある店内で、淡い明かりの中に先輩の姿はよく映える。

 ため息さえ忘れるくらい、似合っている。

 俯く顔に見る憂いと思慮にため息を吐く。

 この人が望んだら、きっと男とか女とか関係なく誰もが心を許しちゃうだろう。

 青澄春灯も持っているだろう、自分の物語の主人公になる空気や資質を間違いなく持っている。

 あいつを知っているからわかる。

 言葉を重ねる必要も無い。喫茶店に通う客はみんな、先輩か緋迎ソウイチというマスターに会いにやってくるといっても過言じゃない。


「すいません、あの」


 若い男性客に呼ばれて返事をする。

 ここ最近、バイトに来ると必ず見る顔だ。


「はい?」

「……あ、あの。ブラックを」

「わかりました」


 軽く答えて作業に入る。

 マスターから教わっていることは一つ。

 嘘を吐くな。

 だから嘘になる愛想は振りまかないでいる。

 他の店なら絶対怒られるけど、マスターは許してくれているからいい。

 珈琲の入れ方はマスターじゃなくて先輩に教わった。

 他の仕事と掛け持ちにしているマスターはよく店からいなくなる。だから先輩が店番をする。けどそれだけじゃ回らないから、自分も一通りやらなきゃいけない。

 珈琲を注いだカップを渡す。けど、なぜか妙に視線を感じた。

 ちらっと見る。男が惚けた顔で自分を見つめている。


「どうぞ?」

「ど、どうも……」


 やっと俯いた。なんなんだ、まったく。

 お皿の片付けは先輩がやっているし、すぐに他のお客さんが入ってきたからその応対をする。

 注文を受けたら品を用意して提供する。出て行く時に会計をしたら終わり。

 品の用意から接客まで、そのすべてで失敗しそうになったら先輩かマスターがフォローしてくれる。二人は失敗を怒らないし、自分を嫌わない。

 学校ほど気を張らずに済む場所。それがここだった。

 没頭するように仕事をこなす。

 痴漢に襲われたところをマスターに救われて、そのご縁で勤めてから唯一のオアシスになった。学校は退屈だけどここは違う。

 顔なじみのお客さんも増えてきたけど、みんな大人だ。過剰な干渉もしてこないからいい。

 夜になってマスターが来て、一日の締め作業をして店を閉める。

 マスターには高校生と大人と小学生という三人の子供がいるみたい。夏休み前は必ず夜には帰っていた。けど今は違う。療養していた奥さんが帰ってきたらしい。


「今日もお疲れ様。二人とも気をつけて帰りなさい。紳士は淑女を送っていってあげるんだよ」

「了解です」


 先輩が答えて、二人で歩く。

 こんな帰り道にも随分慣れた。のんびり進む。


「彼氏は作らないの?」


 笑いながら聞かれてむっとする。


「同年代とかガキなんで」

「そう言っている内は子供だよ」

「……ふん。先輩こそ彼女いないんですか?」

「長期療養中に幼なじみが親友と付き合ってた」

「なにそれ。マジ?」

「最近やっと打ち明けてもらったばかり」

「うっわ。お疲れです。カラオケいきます?」

「慰めてくれるの?」

「いや、先輩をダシにして叫び倒します」

「ひどいな……」


 全然気にしてなさそうな顔で笑うから、ふと呟いた。


「気にしてないんですか?」

「……罪悪感から病院に通って、そのうえ付き合ってくれる振りまでさせたらね。俺が関わらない方がいいって思うだろ?」

「ふうん」


 とことこ歩きながら横目で様子を窺う。

 両手をポケットに突っ込んでショルダーバッグを揺らして歩く先輩はまるで猫みたいだ。しなやかなんだ。

 強い。青澄春灯と同じで、強い。


「せんぱい」


 腕に抱きついた。振り払われるかと思ったけど、先輩は笑うだけ。

 直感した。この人ぜったいモテる。余裕しかないし。他に理由も思いつかないけど。

 先輩は酷い目にあったみたいだけど。先輩を思って泣いた女子もいそうだ。たとえば後輩とかで。

 自分か。いやいや。自分はそこまで入れこむ気はないから。これはただの悪ふざけ。


「どこか行きません?」

「どこかって、どこ。駅まですぐそこだけど」

「渋谷とか。むしゃくしゃしてるんですよ、いいことなくて。先輩も同じ気分なら、一緒にぱーっと遊びましょうよ」

「高一で夜遊びなんて大丈夫か? 親が心配する」

「まあ遊び歩いてる方なんで余裕です」

「連絡して許しが出たらいいよ」

「……意外とお堅い」

「本当に堅かったら絶対許可しないと思うけど」

「それな」


 ざっくばらんに話しても先輩は怒らない。むしろ素の調子じゃないと怒るくらい。

 マスターも先輩もステキで変だ。嘘を吐くな、なんて。ありのままに、なんて。

 まるで……青澄春灯みたいだ。

 あの頃は見るだけで胸がむかついたのに、今はそれを求めてやまない自分に気づく。

 ああ、やっぱり。


「今すぐ親に連絡するんで遊びましょう」

「やる気だね」

「ちょっと……むしゃくしゃしてるんですよ」

「いやなことでもあった?」

「……っていうか。自分の情けなさに気づいて凹んでるんです」


 しょうがないなって言いながら、先輩はそばにいてくれた。

 スマホを出して周囲を見渡してから、満足した顔で頷く。


「先輩?」

「いや、ちょっと地固めをね。それより行こうか」

「なんで……先輩は優しくしてくれるんです?」

「だってその方が君が楽だろ?」


 さらっと言ったよ……。

 やっぱりこの人、絶対モテる。

 この人を思って泣いている女子がいたら、目を覚ました方がいい。

 たぶんこの人、タラシだよ。それも天然の。


 ◆


 明日は学校があるとしても、無視して深夜まで遊んだ。

 カラオケで歌いまくり、先輩が奢ってくれるっていうから恵比寿のラーメン屋についていった。坂の途中にある豚骨ラーメン屋さんでチーズの乗ったのを食べた。

 太るーと言いながら愚痴ったら、先輩は笑った。


「ちょ、なんで笑うんですか」

「男性客のほとんどが今じゃ君目当て。綺麗だからね」

「……いらないですから。そういうお世辞」

「お世辞じゃないけど。どれだけ食べても太らないでしょ」

「……まあ」


 毎日、どんなに夜更かししても必ず早起きして二駅分は多く歩いたりしてるんで。


「でも綺麗じゃないです」

「可愛い?」

「聞かれても。愛想笑いとか無理なんで、可愛くないですよ」

「可愛いでしょ。無理しない方が似合ってるし」

「……え」

「マスターも俺もそれがわかってるから言ってるんだよ。嘘を吐くなって」

「先輩……もしかしてラーメン屋で自分のこと口説いてます?」

「いや、本音なんだけど。そもそも俺に興味ないでしょ」

「なんで?」

「いつまで経っても先輩呼びだから。俺の名前も知らないんじゃないかと思って」

「聞いても覚えられないんですよ」

「ひどいな」

「じゃあ……自分にとって忘れられない名前にしてくれます?」

「その気がないくせに誘惑するのはオススメしないな」

「先輩こそ、自分に興味ないでしょ」

「頼まれたらそばにいたいくらいにしか興味ないな」

「なにそれ、むかつく。素直に言ったらどうなんです? 自分といたいって」

「うぬぼれるのはもっとオススメしない」

「マジむかつく」


 肩を叩いたけど笑うだけ。でもその距離感が心地いい。

 こういう空気を夢見ていたのかもしれない。

 友達でも恋人でも、別に男じゃなくたっていい。

 誰かと素で話している時間は楽しい。

 もっとこうしていたい。

 ラーメンを食べきって、お茶を飲んでまったりしながら話した。

 青澄春灯の話。中学で会った、変だけど折れない強い女の子の話。自分が犯した罪の話、ぜんぶ。

 先輩は自分をなじったりしなかった。ただだまって聞いてくれた。変な助言も一切なし。最後まで話しきった自分にただ一言。


「すごいな。話せたじゃないか」


 そう言って微笑んでくれた。それがなにより心に染みて泣きそうだった。おいしい匂いとカロリー漂う店内でなにをやっているのか。

 急に恥ずかしくなってきた。確かに先輩に聞いてもらったことでだいぶ救われたけど、でも自分は謝らなきゃいけない相手が二人もいる。まだ救われるには早すぎる。

 いじめた二人にお詫びしなきゃいけない。そんなことはわかりきっていた。


「……怖いです」

「当たり前だ」

「そこで慰めてくれないんですか」

「気休めにしかならないからね」

「きついなあ……」

「でも、俺に話せる君なら大丈夫だよ」

「……惚れてもいいですか?」

「その気もないくせに」

「……ぐすっ。トイレいってきます」


 ぐらぐらきちゃってたのは本当だった。

 弱っている時に優しくされて惚れちゃうとか、ちょろすぎるだろ。自分。

 席を立った時、妙に視線を感じて見渡した。


「どうかした?」

「……いえ。なんか、誰かに見られてる気がして。自意識過剰ですね、すみません」

「気をつけて」

「トイレに大げさなんだから」


 笑って答えて席を離れる。

 結局トイレを済ませて恵比寿駅に歩くまで何事もなかった。よくある気のせいだろう。

 家まで送ると言ってくれた先輩にお礼を言って、駅まででいいと辞退した。

 これ以上やさしくされたら落ちる。ちょろい自覚があっても、その上で自分は落ちる。大人ぶってみせたいけど、ろくでもない経験値がちょっとだけある女子高生でしかないんだから。


 ◆


 電車を乗り継いで地元に帰ってきた。

 駅から徒歩十分程度の道のりだ。駅を出てしばらくは大きな通りを歩くけど、少し離れると人が少なくなっていく。

 なのに足音がついてくる気がするのは自意識過剰だ。

 そうとわかっているのに、今日は一人の足音が追い掛けてくるから気持ちが休まらなかった。

 急いで帰ればいい。途中で道を曲がって離れるはず。きっとそうだ。

 自分に言い聞かせながら早歩きになると、足音が離れずについてきた。

 恐る恐るスマホを出して、カメラを起動。後ろが見えるように設定して、そっと覗いてみる。


「――っ」


 悲鳴をあげずに済んだのはほとんど奇跡だった。実際には強ばって息しか出なかっただけだ。

 喫茶店にバイトに行くと、最近必ずいる男性客だった。

 ほとんどパニックだ。なんでここにいるの。自分の後ろにいるの。

 咄嗟に走りだしたことを後悔した。走って追い掛けてきたから。どうしよう。どうしよう。小学生の頃は防犯ブザー持ち歩いていたけど、もうそんなのいちいち持ってない。

 声をあげようとした時には抱きつかれていた。


「あ、あんな、あんな男と一緒にいて、君は天使なんだろ? だ、だったら俺のものにならなきゃあ!」

「ひっ――」


 いざっていう時、悲鳴なんて出ないんだと思った。

 近づいてきた顔と吐かれた言葉の一方的な気持ち悪さが心に刺さりそうになった時だ。


「それ以上は――」

「え」

「――オススメしないな」


 自分を掴んだ腕を取って、背中に回す。悲鳴をあげる男の後ろにいたのは、先輩だった。


「ずっと下手な尾行をしてましたよね? 警察に行きましょうか。言い逃れは許しませんよ」


 悲鳴をあげる男をそのままに、先輩が警察を呼んだ。

 ちょっとした騒ぎになった。事情を伝えて、交番に行って。話すべき事を話してやっと解放された時にはどっと疲れた。


「先に帰っていいって言ったのに」

「……今日ひとりで帰るの、ハードル高すぎますよ」

「それは確かに」


 笑って頷くこの人が不思議だ。


「なんで助けてくれたんですか?」

「まあ……士道誠心で鍛えられているから気づいてたんだ。喫茶店に通うだけなら放置するつもりだったけど、店を出てから追い掛けてきたから心配だった」

「……それで今日、自分に付き合ってくれたんですか?」

「それは二番目の理由かな」

「じゃあ、一番目は?」

「君と一緒で、俺も遊びたかったんだ。いま誰より素直に話せる女の子は君だけだし……いい加減、しんどい現実から逃げるのにも疲れてさ」

「それ、最後のやつ一緒です……ほんと、ずるいな」


 やっぱりこの人、天然タラシだ。青澄春灯よりもひどいかもしれない。

 でも、そうだね。しんどい現実から逃げるのは疲れる。どこまでいっても追い掛けてくる。優しい接触ならまだマシだ。だから……いじめた子からの連絡だって、だいぶマシなんだ。

 ああ、いやになる。


「……これも報いなんですかね。二人のクラスメイトにひどいことをした」

「違う。これはあの男の暴走で、あの男が悪い」

「先輩……」


 すごいきゅんときた。


「報いなら、二人に謝った時に初めて出る」

「先輩……」


 すごくしゅんとした。


「その先輩っていうの、そろそろやめてくれない? 俺にとって、先輩呼びでしっくりくる後輩がいて……どうしても気になるんだ」

「その後輩って女の子です?」

「ああ。すごく強い子だ。入院してもちょくちょく顔を出してくれていたみたいで。俺にとっても大事な後輩なんだ」

「ふうん……その子、ぜったい泣かしてますよね。入院しても会いに来るとか、おあついですね」

「言いがかりだ。そういうんじゃない。あんまり見てられなくて、幼なじみが彼女の振りして……それっきりだ。今じゃきっと、誰かと付き合ってるさ」

「どうだか……」

「やけに絡むな」

「別に。それより決めました」

「え?」

「自分は二人に謝るって決めたんで、先輩も気になるなら後輩に会いに行ったらどうですか?」

「なんでそうなる」

「べつにい。士道誠心の文化祭ならちょうどいいじゃないって思っただけです」


 そうでもしないとあなたに惚れちゃいそうなんですよ。さすがに言わないけど。

 青澄春灯タイプは青澄春灯だけで十分。自分の人生はあいつ一人で手一杯だ。


「まあいいや、今日はありがとうございます。もう一度、お名前教えてもらえますか?」


 話している内に家の前に来ちゃったので尋ねる。

 街灯を背に、先輩は笑って言った。


「カイト。暁カイト」

「……やっぱり綺麗過ぎて覚えられそうにないです」

「ひどいな」

「じゃあ文化祭、約束ですよ? 先輩が頑張るなら、呼び方も変えますし……自分も頑張れるんで」

「……しょうがないな」


 ふっと笑って手を振り立ち去る先輩にほっと息を吐く。

 家に入ってシャワーを済ませてベッドに正座した。

 アプリを起動する。指が震える。タップを何度もミスしながら、メッセージを書いて送った。


『行くよ。アンタに謝りたいし、青澄にも謝りたいから』


 もう零時を過ぎているのにすぐに既読がついて、スタンプが送られてきた。


「なにこれ」


 目の飛び出た不細工な猫が涙を流して「いいね!」と叫んでる。

 思わずツッコミを入れたら、通話が飛んできた。


『……も、もしもし?』


 怯えた声。わかる。むしろよく通話を飛ばせるな。勇気の塊か。


「もしもし。会ってちゃんと謝りたいのに、フライング希望?」

『き、希望です』


 ほんと、変な奴。青澄春灯に関わった奴はみんなそうなるのか。

 だとしたら――……自分もそうなのか。

 照明に手をかざす。いつか特別なわがままが思いついたら使おうと思っている力。

 力を向ける先を、もしかしたら今日……自分は見つけたのかもしれない。


「じゃあ……最初にまず。ごめんね。ずっと……ずっと、言うべきだった。なあなあでごまかして、逃げて。ごめん」


 それは誰かを傷つけるためじゃない。

 求める。誰かを救える力を。その意思を、心を。

 青澄春灯にあって、自分になかった……マスターや先輩が教えてくれた力を。

 求める。

 刀を。いまの自分をもっと好きになれる何かを。

 そのために、筋を通そう。


「ひどいことたくさんした。アンタには何をされても文句ない。だから、気が済むようにしてくれていい」


 スマホを持つ手が震えた。どんな罵声が返ってくるかと思ったけど。


『……っ、ぐすっ』


 嗚咽が聞こえて、さっき男に襲われたのと同じくらい、なのに別種のパニックに陥る。


「ど、どうしたの」

『……わたしも、素直に言えなかった。こわくて、逃げて。ごまかしてた。あなたに、青澄さんに……あまえて。後悔してた』

「あ……」

『ごめん』

「あ、アンタが謝る必要欠片もないから! ……アタシは何万回、あやまったって許されないことをしたんだ。怖くて逃げたアンタは普通で、立ち向かえる青澄が強すぎただけで!」


 咄嗟に昔よく使っていた自称が出た。


『……でも、ごめん』

「謝らないでよ、そんな……泣きそうな声で、謝らないでよ」


 こっちまで泣きたくなるじゃんか。

 こみあげてきた衝動に堪えきれなくなって、何度も拳で頭を叩く。

 そうしないと、この子に甘えそうで。いまだけはまだ、早すぎて。

 それだけは許せなかった。この子に甘えて泣いちゃだめなんだ。


「……本当にごめん」

『……いいよ。じゃあ、これで終わり』

「……ん」


 深呼吸をする。胸の奥で悲鳴をあげるこの痛みが、報いなんだ。この何倍もこの子は痛みを感じたはずだから。ずっと付き合っていくしかないこの痛みこそが、この子を傷つけた過去と向き合うための報いなんだ。


「青澄にも謝らなきゃ」


 本当に、いろいろ。


『きっと許してくれるよ』

「……だと思うけど」


 超がつくほどのお人好しだから。でも、筋は通したい。

 冷戦状態で意地を張り合った子。最後に思いの丈をぶつけてきた女の子。

 言われっぱなしで終わりなんて、そんなのない。こっちにだって伝えなきゃいけないことが山ほどあるから。

 何度か深呼吸をしてから、呟くように告げる。


「アンタ、すごいよ。くそ度胸だよ。放っておくこともできたのに、どうして連絡してくれたの? あ、ありがたかったけど! ……でも、どうして?」


 スマホ越しに深呼吸の音が聞こえた気がした。


『……羨ましかったの。どこへいってもきらきら輝いちゃう青澄さんが。立ち向かえちゃう青澄さんがずっと羨ましくてしょうがなかった。だから、逃げたくなくなったの』

「なんか……わかる気がする」


 ずっと逃げていたけど、でも先輩のおかげでわかった。

 つらい現実から逃げても、斜に構えても……つらさが増すだけだ。

 マスターに助けてもらってよかった。先輩に助けてもらってよかった。嘘をつかないことの大事さを教えてもらってよかった。

 ……青澄春灯でよかった。この子でよかった。

 だから。

 傷つけたことをきちんと謝らなきゃいけない。

 二人を幸せにするために、なんでもしたい。

 そのためには自分にはまだまだ力が足りなすぎる。

 それに……今の居場所じゃ足りないんだ。きっと。

 立ち上がって机の上を見る。

 士道誠心学院高等部の案内パンフレットがずっと置いてある。転校について調べた資料も、全部。

 向き合えず、けれど心のどこかで気になって取り寄せたもの。

 許されるはずがないと思って諦めようとして、けれど捨てきれないもの。

 ここにきっと願いがある。

 それを叶えるための資格は今の自分にはない。だから、文化祭へ行こう。そう心に決めた。いまハッキリと決めた。


「士道誠心って……どんな学校かな」

『どうして?』

「んーん」


 話すにはまだ早い。

 二人にきちんとしたお詫びをしてからじゃなきゃ、許されない。

 なにより自分が許せない。だからいま語るべき事は他にある。


「それより聞かせてよ、アンタの話。いまの学校ってどんなとこ?」

『えっとね……』


 長話をしながら夜を過ごす。

 ずっとこうしていればよかったのにね、と二人で笑い合える切り際がきっと、許しの瞬間で。

 それは傷を乗り越えたこの子の優しさと勇気でできていた。

 絶対に忘れない。自分が間違えて手放した幸せの結晶が、この絆に違いないのだから。




 つづく。

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