第二百五十二話
ルルコ先輩に呼び出されました。
お風呂上がりにくるように言われたので、言われるままにしてお部屋に伺うと、まあまあいいから座ってと言われるままに椅子に腰掛けます。
「新しい化粧水が手に入ったの。すごくいいから、ハルちゃんにも試してもらおうと思って……お風呂上がりにきてくれた?」
「ほかほかです!」
「よしよし」
椅子の後ろに回ったルルコ先輩にお顔のメンテをしてもらう。
自分でやるときと違って、ルルコ先輩にやってもらうのすごく気持ちがいい。
エステティシャンとかになれるのでは? 一度も行ったことないけど。ルルコ先輩にはテクがあるように思います。
乳液から何から何までお任せしている時でした。
「ねえ、ハルちゃん。お願いがあるの」
「なんです?」
「ルルコの夢のために協力してくれない?」
「はあ……べつにいいですけど」
「よかった。じゃあ明日一緒に都内に行こう。住良木の人に会うの。ハルちゃんは言われたことはなんでもやってね」
「……え?」
ふり返った顔をぐいっと前に向かされてしまいました。なんてこった。
「何でもやってっていうのは冗談だけど。説明するとね?」
丹念にたまった毒素も流す勢いの手つきに昇天させられそうになりながら聞きました。
ルルコ先輩が卒業してもみんなで一緒に隔離世に関わる仕事ができる会社を作ろうとしているって話。シロウさんたちの協力を経て、住良木グループに力を借りようという。住良木グループは私を利用したいという意図があるから、ぜひ私に協力して欲しいというのだ。
学院長先生とコナちゃん先輩と三人で会見やってから、沈静化の方向だったけど。これに乗っかったら、今度は逃げられない気がする。
っていうか絶対、逃げられないよ!
「あ、ああああ、あの、あの、ほ、保留に変更できたりしませんか?」
「んー。じゃあルルコの顔メンテ代ちょうだい」
「えっ」
こ、こここここ、これは好意じゃなくて策略の内だったというのー!
恐るべし、上級生! 私はだまされてばかりいますよ!
「うそうそ。冗談だって。ラビくんたちじゃあるまいし」
「ほ、ほんとですか?」
「半分くらいは」
「残りの半分とは!?」
「ハルちゃんの良心に訴えかけよう作戦。気持ちいいし……お肌もぷっくりもちふわ赤ちゃん肌になるよ?」
「くっ」
なんて気持ちよくて魅力的な罠なんですか……!
「ハルちゃんはテレビで一瞬話題になったわけで……望むなら、もっとばんばん露出できると思うの。だから教えて欲しいな。ハルちゃんの夢はなあに?」
「……う」
まいった。まさかルルコ先輩に聞かれちゃうなんて思わなかった。
マドカと対峙して、中学のクラスメイトと向き合う覚悟を決めて。
だけど私の夢はふわふわしていて、ルルコ先輩みたいな具体的なものじゃない。
「み、みんなの願いが輝けばいいなあ、くらいしか。その、具体的な夢って……逆に、なんですか?」
「そうだなあ……ちょっといいかな」
私の元々ある人の耳たぶに触れてマッサージされる。
ルルコ先輩の指先は繊細で、なのに力は強くて。動く度に気持ちよさが染み込んでくる。
「メイかコナちゃんあたりに相談すると思っていたけど。それかとっくに決まっていると思ってた」
いつだって常に冷たいはずのルルコ先輩の指を熱く感じる。私の耳が熱くなっているのか。
わからないけど、緊張がほぐれていく。
「ハルちゃんは何かしたいことはない? なりたい職業とかでもいいよ」
「……侍になるんだろうって、漠然と思ってました。ルルコ先輩ほどしっかりしてないです」
「しっかりしてなくていい。ちゃんとしてなくていいの。聞きたいのはね、ハルちゃんの願い。こういう私になりたいとか、こういう未来を過ごしたいみたいなの……ない?」
耳への刺激って不思議。頭に響いてくるような気がする。
人の耳だけじゃなくて獣耳もやってもらいたいくらいだ。
そんなマッサージの最中に最初に浮かんだのは、ツバキちゃんの顔。
私を大好きでいてくれる。信じてくれる、一人の中学生の願い。
「……金色の侍になりたいです。みんなを輝かせられる侍。金色に染められる自分になりたい。けど、まだ……方法とか、よくわからないです。テレビとか実感ないし」
「動画作って配信する方がイメージ湧く?」
「それも……あんまり。侍と結びついてるイメージないし」
「そうだね。歌はどう?」
「大好きです! 特に選挙の時からはもうたまらなかったし。訓練の日も最高でした……大好きになるばかりなんです。でも……それも、今の私じゃ力が足りなくて」
ルルコ先輩の指があんまり気持ちよくて、ついつい喋っちゃうんだ。
「……討伐で暴走したマドカを歌で助けることもできたかもしれないのに。メイ先輩が選挙で歌ったあのアニメの子みたいに、戦ってる最中に歌って助けるとか余裕なくてできなかったですし」
俯く私の顎をそっと手のひらで包んで、持ち上げてくれた。
ルルコ先輩のマッサージは終わりなんだろう。前に回ってきたルルコ先輩は私と目線を合わせて言うの。
「報告しか聞いてないけど、ハルちゃんはきちんとマドカちゃんを止めたし、正気に戻したんだよね?」
「……カナタとコナちゃん先輩がきてくれなかったら、危なかったです」
「でも他の一年生が危険な場所に入らないよう配慮して、抗い、まわりに助けを求めて解決した」
「……そう、なのかな」
「そうだよ。最近ね……気づいたの。気の抜けた優しさじゃ足りないくらい、全力で現実を受け止めて前向きに認める力は願いを知らせてくれるんじゃないかって」
きょとんとする私の前に屈んで、ルルコ先輩は幸せそうに笑うんだ。
「ルルコも大概、自己否定は強めなんだけどね? 羽村くんがいつもひっくり返してくれるの。そのたびに自信が少しずつついて、許された気持ちになって……自分の夢に立ち向かう元気をくれた」
すぐに気づいた。
カナタがデレデレになっちゃうくらい嬉しくてしょうがなくなったのは、なんで?
ルルコ先輩に対する羽村くんのように。
カナタが心の底から求めていた、けれど私が求めない助けを――現状に否定されていた自分の願いを、他の誰でもない私が肯定したからだ。
ひっくり返したの。絶望から希望へ。
カナタに自信がついて、許された気持ちになって。
それできっと……あんなに緩んじゃうくらい喜んでた。
ツバキちゃんが私にいつもしてくれることじゃないか。
「ハルちゃん……ひっくり返してあげる」
頬に触れる手はやっぱり、冷たい。
「今のハルちゃんは未熟。歌ったら力尽きちゃうかもしれない」
「……う」
「だから力をつけたら歌でみんなを救えるようになるよ」
「――……ぁ」
その冷たさが、優しい。
「今のハルちゃんは咄嗟に歌えないかもしれない」
囁く声の熱も。
「だけど歌でみんなを輝かせたハルちゃんはマドカちゃんを助けられた」
きっと冷たい。
「だからなれるよ。ゆっくり、失敗しながら積み重ねていくことの凄さをハルちゃんは知っているはずだよ? あなたの漆黒はね。金色に続いているの」
冷たい水のように、カナタの霊子のように優しく染み込んでいく。
「影が濃くなればなるだけ、強く輝けるようになるんだよ。だから無駄なことなんて一つもないの。ハルちゃんは未来に進んでいるよ」
歪む顔も、溢れてくる涙も私一人ではどうしようもなかった。
「歌を信じられるように……もっともっと、自分を信じることができるようになれるよ」
「……なれる、かな」
「ルルコは信じてる」
「…………っ」
信じてくれる。それだけでどれだけ心強いだろう。
めそめそする私を叱らず困らずなだめてくれたルルコ先輩にひっついて、愚痴や不安を山ほど吐いた。
どんな漆黒だって金色にひっくり返す力をツバキちゃんは持っていた。その可能性を知ったルルコ先輩は、私にそれをたっぷり教えてくれたの。
全部ひっくり返してくれたルルコ先輩のおかげで、気持ちがやっと落ち着いた時だった。
「ねえ、ハルちゃん。明日、どうする?」
「……やってみます」
「いいの?」
「漆黒だって、私が頑張る限り金色に繋がるなら。私、やってみたいです」
ツバキちゃんの大好きな私なら逃げない。
どれだけつらくても中学に通い続けた私なら、絶対に逃げたりしない。
その軸を成長して見失ってぶれちゃうなんて、もったいない。
二本の刀に誓って、折れないと決めたから。
輝きに向かって走り続ける以外の選択肢なんて、今は取る必要さえないんだ。
「じゃあ明日はばっちり決めていこ」
「お願いします!」
ふんすと意気込む私です!
◆
翌日、ルルコ先輩ともう一人、刀を帯びたイケメン先輩と三人で出向いたの。伊福部ユウヤさん。三年生の侍候補生なんだけど、私は初めて見る人だった。
向かったのは住良木グループの中核、住良木株式会社本社ビル。
たとえば隔離世を視覚化可能な機器を開発したエレクトロニクス部門だけでも子会社が山ほどある。そんな大企業の中核にある会社らしいですよ。
休日にも関わらず、ビルの中にある喫茶店はそれなりに人がいた。
どこか疲れた顔をしているのに、エネルギッシュに話している大人の人たちだらけ。
それだけで私の知らない世界にいる感たっぷりです。
大企業だし国公立大学とかの卒業生しかいないのかな。それとももうそんな時代じゃない? 最低限、大卒必須だろうけど。となると私の頭では縁がなさそうであります……。
もしや意外に派遣社員さんとかもいたり? しないか。本社なら。よくわからないから、今度うちに電話したときにお父さんに聞いてみよう……。
ふわふわ店の前で考えていたら、カジュアルなジャケット姿の姫宮さんに似た男の人が颯爽と歩いてきた。制服姿の私たちは目立つから、向こうはすぐに気づいてやってきた。
あわてて会釈をする私たちに笑顔で会釈を返してくれた。
「やあ、どうもお待たせしました。まずは中に入って話をしようかな……いや、それとも大事な話なら上の方がいいかな? 会議室だと緊張させてしまうかと思いますが、どうしますか?」
先制ジャブだ。なんの用意もしていない私は頭が真っ白になるし、イケボ!!! くらいしか思うことがない。ルルコ先輩もてんぱっていて、咄嗟に声が出ないようだった。
だから。
「では是非、会議室で。ご挨拶もそこでよろしいですか?」
イケメン先輩が咳払いをしてから言うの、本当に凄い。
「そうですね。では上へ行きましょう。入館証の手続きをしてあります。少し待っていてくださいね?」
如才なく答えて立ち去る姫宮さん似のお兄さんを見送る私たち、ぼう然。
「……ユウヤ、すごいね」
「あほか。打ち合わせは事前準備がとにかく大事なんだ。その場のアドリブに期待するな……ったく」
文句を言うイケメン先輩が歩き出す。あわててついていく私たちですよ。
入館証を手配してくれたお兄さんについていって、ゲートを抜けてエレベータールームへ。
かなり上層へと移動して、奥まったところにある会議室へと入る。壁が窓になっていて、東京の景色が一望できた。
すごい。片面からは東京湾、もう片面からはビル街が見渡せるよ……!
感動している私の横で名刺が渡されていた。丁寧に挨拶をしてくれたお兄さんの名刺を受け取る。そこにはちゃんと書いてあった。
『姫宮リョウジ』
やっぱり姫宮さん! お兄さんかな? どうなんだろう。
ルルコ先輩に促されて着席しながら、それでも名刺から視線を外せなかった。
住良木株式会社の専務さんなんだって。
それだけじゃない、エレクトロニクス部門の中でも隔離世系の部署をまとめて管理してもいるみたい。
「隔離世開発の責任者、とお見受けしても?」
「ええ、そう受け取っていただいて構いません」
「お若くて、専務で、責任者。凄いですね。かなり顔が利くようで?」
「いえ。若さま……住良木レオくんのお力添えあればこそですよ」
「ご謙遜なさらなくても」
「いえいえ」
姫宮お兄さんとイケメン先輩が笑い合う。
「妹はどうしているのかな。あなたたちと同じ、士道誠心に通っているんです。青澄春灯さんと同じ学年でしてね」
「姫宮ランさんですね? 住良木レオくんと仲良くしているそうです。もしやあなたのご指示で?」
「いや……妹には家のしがらみなく、純粋な気持ちで付き合ってもらいたいんだ。まあ、その上で素敵な関係になってくれたらとは思うが。レオくんは私の弟子でもあるからね」
「放蕩を尽くして暴れていた彼が師と仰ぎ、遊びから何から何まで教わった男性はあなたですか?」
「それを語るための場所ではないし、機会もこないだろう。君たちが成人して酒を飲めるようになるまではね」
「楽しみにしています」
イケメン先輩が如才なく返す。二人して笑い合うの。
和やかな空気を演出しているのかな、くらいにのほほんと考えていたんだけど。
『切り合いじゃなあ』『まずはご挨拶、というところだろう』
私の中にいる二人は違う見解のようだ。その答えが出るかのように、
「さて、それでは……本日のご用件を伺いましょう」
空気が変わった。
「隔離世の可視化におけるビジネスには侍と刀鍛冶の助力が必要不可欠だと思います。こちらには両者を相応の人数、長期間提供できる準備があります」
イケメン先輩はのっけから飛ばしている。
事前に説明を受けたからかみ砕いて言うと、ルルコ先輩とイケメン先輩は交渉にきた。
住良木の手伝いをするから会社を運営するお金と仕事をちょうだい。
ざっくり言えばこんなところだ。
そのための交渉カードがイケメン先輩の言った提案。だけど相手から現状を聞き出す前に言うのはいくらなんでも、飛ばしすぎじゃないかな。
姫宮お兄さんは笑顔のままじっとイケメン先輩を見つめた。
口を開く前に、白いクリアフォルダーを差し出す。
「これは?」
「こちらが提供できる人材と現状をまとめた資料です」
「……ふむ」
フォルダーを受け取り、中身を眺める。
私たちも同じものを配られているけど、そこには大きな字でまとめられた三年生のデータがまとめられている。それを警察に正式に依頼することの困難さや費用についても記載がある。
「見たところ全員、高校三年生のようだね」
「ですが士道誠心は高等部一年生より討伐任務に毎月定期的に参加。一年次後期からは警察の協力を経て訓練に勤しみます。三年生ともなれば、いわばほぼプロの状態です。もちろんプロと遜色のない、という実績には見えないと思うので……その分、お安くしておきますよ?」
「なるほど」
笑ってフォルダを閉じた。
「侍というのは、刀を手にした人にとってはよほど魅力的な仕事らしいね。夢を諦めた人はすべからく刀を失う性質からみても、警察にしかプロの侍はいない。となれば警察に協力を頼むしかないが……それについては君たちが書類で指摘した通り、容易にはいかない」
よく調べたね、と微笑む余裕は姫宮さんよりもむしろ、レオくんに近しい。なるほど、彼の師匠っていうのもなんとなく納得です。雰囲気がすごく近いんだもん。だけどレオくんに輪を掛けて余裕を感じるよ。
だからかもしれない。イケメン先輩は間を置かずにすぐ切り込む。
営業活動なんだ。引くより、押せ。押しの一手だと言わんばかりに。
「御社への協力ができる民間企業が大々的に出来たなら、ビジネス展開の可能性も広がるのでは?」
「そこで……隔離世界隈で噂もちきりの青澄春灯さんを連れてきてくれたのかな?」
「お察しの通りです」
うわ。うわ。いきなり名前を呼ばれた。どきどきする。けどイケメン先輩に横目で睨まれたので背筋を正して黙って座り続けるよ。尻尾はぶわって膨らんだけど。
姫宮お兄さんは私に笑いかけてから、目を細めた。瞬間、ぞくっとした。
「なるほど、投資の話を求めてきたわけか」
頭がいい人は察し良すぎて、しかも一足飛びだからさすがについていけなくなりそうだ。
『さっき伊福部ユウヤという男が言ったじゃろ? 民間企業が大々的にできたら、と。暗に住良木に役立つ会社を起業すると言っておるのじゃ』
なら素直にそう言えばいいのでは。
『駆け引きじゃよ、これも』
うう。なんかあれだね。政治家さんみたいだね。直接的な言葉を使わないやりとり。くらくらしちゃうよ。
「子会社になりたい、と言っているのかな?」
「いえ。ただ人材を派遣する用意がある、と申し上げています。もちろん、相応の対価は提示しますが……起業キャンペーンです。今なら契約の額面、かなりお安くしておきますよ?」
「そうだね……現状、日本にはきちんとした侍の育成学校はまだ四校しかない。士道誠心、星蘭、山都、北斗だ。その一角から力を借りれるなら助かるよ」
心の中で舌打ちが聞こえたよ。
『暗に学生のままでもできるだろう……そう、ふっかけてきおったぞ』
タマちゃん、よくわかるね……。
「それでは困るんですよ」
すかさずイケメン先輩が微笑みと共に切り返した。
「侍の就職先は警察だけ。本当にそれだけでいいのでしょうか? 警備、軍事だけじゃない。医療の分野にも、隔離世のビジネスは広がりを見せると私は踏んでいます」
よどみなくすらすらと喋るこの人は本当に高校生なんだろうか。
「現代社会に一石を投じたいんです。社長になる南ルルコの目指す未来は、もっととびきり大きいんですよ。それだけ可能性のある商売になります、これはね」
メイ先輩やラビ先輩たちとも違う。末恐ろしいだけの才覚がある。
「といいますと?」
「邪は人の欲望。刀は侍の願い。願いが欲望を打倒し、欲望を生んだ人の心をひととき癒やす。そうして世の理は保たれてきました。もし心を病んだ人の邪を打倒できれば、治療に役立つかもしれません。となれば、医療に役立つことになる。他にも思いつく限りの例を挙げますか?」
「……ふむ」
続けて、と言わんばかりに頷く姫宮お兄さんに、イケメン先輩は続ける。
「そもそも侍と、侍を支える刀鍛冶の隔離世に関わる資質は四校を志望した学生と、警察を志望した人員を対象にのみ確かめています」
そ、そうなの?
「でもこの枷を外したなら……或いは隔離世から意図的に現世に影響を与えられるようになったなら? 隔離世は今よりもっと身近になる。そこには途方もないビジネスチャンスが転がっているのでは? だからこそ、住良木だけじゃない……世界中の企業がこぞって開発に勤しんでいるのでは?」
「ふっ……そうですね」
「であれば、あなたは住良木でも役職にとらわれない重要なポストにいらっしゃるわけですよね。未来の覇権を握るための可能性に満ちた部署のトップにいるのだから」
姫宮お兄さんの笑みが深くなっていく。
「自らを害する脅威ほど人を不安にし、自衛を意識させる窓口はない。このご時世だ。不可視の脅威を具体化するだけじゃなく、それを解消するところまでビジネスにすればチャンスはあるし……見たくもない脅威を可視化したことに対する潜在的なイメージの悪化も防げると思いますよ」
「いいでしょう」
深く頷く姫宮お兄さんに、イケメン先輩はやっと追撃の手を止めた。
「御珠は現代にあるオーパーツといっていい。調べてもわからないのが実情でしてね。データは山ほど欲しいのが正直なところです。力を借りることができるのなら、それに越したことはない」
「でなければ海外に負けてしまう……と?」
「さて、それは……それよりも一度、検討するためのお時間をいただきたい。青澄さんの協力はいただけると思っていいですか?」
「それはもちろん。彼女は学生なので、そこを考慮さえしていただければ構いません」
「わかりました。それでは詳細については、そうだな……進捗は来週末には一度、南さんにご連絡いたします。南さん、あなたはいい参謀をお持ちだ」
すっと立ち上がる姫宮お兄さん。あれ。あれ。いつの間にか話が終わっちゃった。っていうかさらっと私の名前とかいろいろ出ましたけど! 了承しててもどきどきする。人の運命ってあっさり動いちゃうの?
かしこまりました、と立ち上がるイケメン先輩に続く。
エレベーターまで見送ってもらって、扉が閉まるまでお辞儀をした。
入館証を返して会社を出て、ふうっと息を吐く。
ルルコ先輩がべしべしイケメン先輩を叩いた。
「ユウヤ活躍しすぎ! 発言する隙もなかったよ! っていうかあそこまで準備してたの? 青いファイル一冊で?」
「当たり前だろ。調べられる限り調べて、用意できるだけ用意した。まあ……海外の開発や状況まで思ったより探れなかったのはしょうがないな」
きょとんとする私たち二人に呆れた顔をして、イケメン先輩は言ったよ。
「恐らく……海外にも御珠に似た何かは点在していると思う」
その言葉にどきっとした。
「アメリカのゾンビ騒ぎを見るに、全世界的にってほどじゃないんだろうが、魔法使いや精霊信仰があるなら不思議はない。ネイティブ・アメリカンが隠し持っていても俺は疑問に感じないね。案外、現世にない島が隔離世にあったりするかもな」
ちょっとどころじゃない。かなりだ。
「そ、それって!」「凄い話なのでは!」
「ああ、そうだ。自分の居場所を守っているだけじゃ、わからない魅力的な何かが世界にごろごろ転がっているって話だ。もちろん、日本にもな」
おおおお。おおおお!
「住良木も世界の企業も狙ってるだろ。どうせ南のビジネスに噛むなら、どかんとでかいところを狙っていかないとな。俺の就職先がしょぼい民間企業なんてあり得ねえから」
挑発的に笑って歩き出すイケメン先輩の背中を見る。
伊福部ユウヤ。その名前を今日までまともに知らなかった。
けど、私が知らないだけで三年生にすごい人がいたんだ。
ぞくぞくしてきた。
だってだって、他にもいろんな人がいるはずだよ。
私はまだまだそれを知らないんだ。
たった一人でこんなに震えちゃうなら……みんなを知ったらどうなっちゃうんだろう?
ああ、あと半年で卒業しちゃうなんて……悔しい。
でも。
ルルコ先輩が教えてくれたように、ひっくり返して考えてみる。
あと半年は一緒にいれるんだ。
協力する道を選ばなかったらわからなかった。
なんでもやってみたい。もっともっと、知らないことを知りたい。未知に触れるたびに輝く切っ掛けに触れることができるんだ。
やろう。
なんでもやるよ!
私より二年先の未来に近い人たちの背中を追い掛けながら、私は闘志を燃やすのだ。
つづく。




