第二百四十五話
文化祭前の邪討伐の日がやってきた。
みんなどこかそわそわしてる。それもそのはず、九月に刀を抜いたばかりの生徒にとっては初挑戦だからね。
「九組」
ライオン先生の号令にみんな顔を上げる気配がする。
けど私はスマホとにらめっこしてた。
カナタからメール来てたの。
『無理をせず、何かあったら俺を呼ぶこと。それから玉藻の前の力をむやみに使うな、お前に何が起きるか心配だ』
心配性なんだから、なんて笑う気にはなれなかった。ここのところ私は心配かけてばかりだから。わかりました、と返信を打っておく。
顔を上げた。今はバスの中にいる。
今日も駅前に移動するのかと思いきや、新宿にいます。
既に隔離世にいるよ。
バスの窓の外にはいろんな邪がうようよしています。
私がライオン先生を見ると、それを待っていたかのようにライオン先生が口を開く。
「諸君は他の一年生に比べ、経験を積んでいる。我がクラスの生徒が未熟な生徒を率先して誘導し、見事な経験を積ませることを期待する。よもや怪我などするまいな?」
「「「 応! 」」」
「よろしい。特に力を手にしたばかりの生徒は暴走しがちだ。何かあったらすぐに応援を求めるように……さて」
みんなの一糸乱れぬ返事に満足したようにライオン先生が頷いた。
「三年生は鉄火場のまっただ中。本日は二年生が先鋒である。遅れを取ることなく速やかに展開せよ」
「最前列から出て行ってくれ」
シロくんの案内を受けてみんなが順序よく出て行く。私は最後。
警察の人の訓練があまりにきつすぎたのかな。今日のみんなの顔はだいぶ気楽そうだ。
けど他のクラスは違う。刀鍛冶の子たちはおっかなそうな顔して邪を見ているし、侍候補生のみんなも刀を手に強ばった顔でいた。
談笑しているのはトモを中心にした一組の子や運動部の人たちくらい。
「ハル!」
抱きつかれてよろめきそうになった。すぐそばにある顔は、マドカ。
「ご機嫌だね?」
「んー。ハルが誘導してくれるならもっとご機嫌かも」
「別にいいけど……」
楽しそうに笑うマドカを見て、私は思わず呟いたよ。
「リード役、狛火野くんじゃなくていいの?」
「今の私じゃまだ足を引っ張っちゃうし」
「私は良いのか」
「ハルには弱みをさんざん晒した後だから今更」
うぐう。
妙に納得しちゃった。
「ヒカリの……刀のデビュー戦というか。私たちのデビュー戦なの。付き合ってくれる?」
「いいけど。ヒカリって……」
「私の刀の御霊。亡くなった友達なの……」
「マドカ……」
「胸を張って握れるのは、ハルのおかげ」
まずい話題振っちゃったと思った私のほっぺたをマドカが摘まむ。気にするなと言わんばかりに笑ってみせてくれたの。
でも待って。刀の御霊って、刀を握った人か斬られた人。或いは神さまや妖怪だったりするじゃない。でもマドカのお友達にそんな縁があったなんて聞いてないけど。
そんな私の疑問に答えるようにマドカが言うの。
「心配する友達に神さまが力をくれたんだと思う。まあ見ててよ」
私の肩をぽんと叩いて離れるマドカにどう返事をすればいいのか悩んでいたら、笛の音が鳴った。
ギンが駆け出す。狛火野くんも隣に並ぶ。トモとシロくんが切り込んでいく。
運動部の子たちや血気盛んな子を扇動するようにカゲくんが全力で走っていく。ビルの壁を蹴って飛んでいくのは岡島くんと茨ちゃん。よじのぼって続く井之頭くんや私のクラスメイト。
優雅に歩くのは、レオくんと姫宮さん。
タツくんもユリカちゃんと二人で、まるで散歩に行くかのような気軽さで進む。みんな制服なのに二人だけは着物姿だった。それが妙に似合っているからずるい。
威風堂々たる歩みと先生の声援を受けて、不安がっている新米侍候補生が続いていく。
「いこ」
マドカの言葉に頷いた。二人で走りだす。
あらかじめ先生から伝えられている範囲は三ブロック先まで。それが一年生に許されたフィールドだった。
マドカと向かうのは駅の中。遠く――御苑の方角に氷の城が築かれて、空に小さな太陽が浮かぶ。三年生がいるんだ。あれはメイ先輩とルルコ先輩の力に違いない。
それだけじゃないよ。代々木方面に氷の花が咲くの。あれはシオリ先輩をはじめとする二年生によるものだろう。
「落ち着かないね」
私の呟きにマドカが笑った。
「そうかな。学校公認の夜更かしなんて初めてだからどきどきするし、私は楽しい……待って」
駅の構内に入ってすぐ、マドカが私を片手で止めた。
視線の先にいる。球体。空にふわふわと浮かぶそれには山ほどの口がついていて、粘つく緑の液体をまき散らしていた。それが数えきれないほど。
聞き苦しい声をあげて、たまに甲高く笑うから不気味なことこの上ない。なによりすごくうるさい。
「深夜にいるあれは、さしずめ酔っ払いの邪か」
顔を顰めながら言う私の前で、マドカがすたすたと歩いて行く。
「ちょ!」
「いいから。見てて……ハルに見てて欲しいの」
ふり返って微笑むマドカは腰に帯びた刀に触れようとしない。
それじゃ丸腰と変わらない。慌てて自分の刀に手を伸ばそうとした。
けれど邪の方が早かった。マドカに気づいて体当たりを仕掛ける。
「マドカ!」
あっという間におびただしい数の邪に飲み込まれてしまう。
――……はずだったのに。
「私の力は日々の積み重ねでできている」
朗々と、歌うように紡がれる。
「それは一つ一つ、名もなき刀となって私を鍛え上げていく」
一体、刀が貫いた。二体、三体。瞬く間に、邪を貫いていく刀は。
「名もなき欲望に、名もなき日々の結晶を」
無銘。数え切れないほどの無骨な刀たち。
突いて、貫いて、穿って。
「何者にも穢されぬ、我が魂は!」
弾けた。
「――邪悪を拒絶する」
後に残ったのは、マドカだけ。
刀を抜いたはずだ。でも抜いてない。腰の刀はまだそこにある。
だとしたら邪を穿ったのはなんだ。まるでマドカの力そのものみたい。
刀に友達が宿るような彼女の夢ってなに。その力は。心のありようは、なに。
この子はいま、何をしたの。
全身に鳥肌がたった。それだけじゃ済まなかった。
「行こう。もっと強い奴が相手じゃないと、ヒカリを抜く価値がない」
微笑む彼女は艶やかで。紡がれたのは優しい声で。
なのに尻尾が内股に隠れてすっかり縮み上がっていた。
私はとんでもない怪物を作る手助けをしてしまったのかもしれない。
メイ先輩とも違う。シュウさんとも違う。もちろん、私とも。
強いて言えば新撰組の御霊をまとめて抱えるタツくんに近い。
けど、やっぱり違う。
マドカのそれは、もっと根源的なものだ。
日々の積み重ねを刀に変えるなんて、そんなの無茶苦茶だ。
マドカが頑張る限り、どんどん刀が増えるってことじゃないか。
魂のありようが、決定的に違いすぎる。
強いて言えばそれは、カナタたち刀鍛冶に近いのかも。けど魂は侍に傾いている。
この子の力は、確かに特別な光そのものだった。
「ハル?」
「う、うん」
喉がひりつくようだった。かろうじて頷いて、マドカに近づく。
「まだまだこんなものじゃないから。そんなに驚かないでよ」
私のほっぺたを摘まんで、無邪気に笑う。
「夢を願い貫けばなんでもできる。ハルはそれを証明してくれた。だから私もやっただけだよ」
さらりと言えちゃうこの子はきっと、紛れもなく天才だ。
認めよう。山吹マドカは凄いって。
『ふん。お主も立派に隔離世方面の天才じゃがのう』
素直に嬉しいけど、でもタマちゃん……今は複雑だよ。
私と似ていて、でも決定的に違う。
何がどう違うか、具体的にはわからないけど。
願いを歌に変えて金色にする私と、自分の積み重ねを刀にして戦うマドカは何かが違うんだ。
それだけなら凄いって言えたと思う。
なのになんでかな。
今のマドカを見るのが私には怖くてしょうがない。
なんで怖いんだろう。
もしかしたら、心の底から凄いと思うだけじゃなく、怖いと思った女の子は彼女が初めてかもしれない。
「考えてみれば邪って人の欲望なんだよね。欲望が強く深ければ強大になるのかな。だとしたらこのあたりで見つかるのはせいぜい電車でよからぬことをしようと企む人か、日常に許容される範囲の欲望を持つ人しかいないのかも。どこかに異常な人いないかな」
歌うように、笑うように恐ろしいことを言う。
マドカを見ていると既視感を覚える。なんでだろう。
自分の力を試すために、なんでもしてしまいかねない危うさを――私はよく覚えているはずじゃないか。
思い出した。
星蘭の人たちが来た時、コナちゃん先輩に気づかされた私の力。その全能感に酔いしれて振り回されていた時の私がきっと、こんな感じだったんじゃないか。
ああ。
私が翻弄して傷つけた彼らの気持ちがわかった。
怖いわけだ。
今日の主役はマドカで、それを放置したらどうなるか。
きっと致命的な何かが起きるに違いない。それがわかっているから、怖いんだ。
あの時の私は星蘭の安倍ユウジンくんに止めてもらった。なら、ユウジンくんの役を今日担うのは私以外にあり得ない。
怖がっている場合じゃない。
しっかりしなきゃ。
「ねえ、マドカ。思うんだけど、きっと普通の人しかいないんじゃないかな。ほら、深夜の新宿だし。酔っ払いの人とか、残業で疲れた人たちとか。せいぜい悪のりした学生くらいしかいないと思うの」
それとなく誘導してみようと試みる。けど、だめだった。
「じゃあすごいのいる場所にいこう。探すの」
マドカは笑いながらどんどん歩いて行くの。南口の階段を下りて駅のホームへ、一人で。
「つまらないよ。そんなの相手にするのはさ。だってヒカリのデビュー戦なんだし……異常な犯罪者の邪くらい凄いのがいてくれなきゃ釣り合わない」
理解した。
いつものマドカにはきっとなくて、でも今のマドカにはきっと宿っている心。
何かを斬りたくて、力を振るいたくてしょうがない。
そのためなら誰かの心を傷つけることも厭わない。
夢は誰かを傷つけるためにあるんじゃないのに。今のマドカはそれを願っている。
その違いが怖いんだ。
自分の積み重ねを他人を傷つけるために振るうマドカが。
やっぱり今のマドカはおかしい。正気じゃない。
星蘭の人たちを相手にした時の酔いしれるような全能感を、マドカもきっと覚えているんだ。
飲み込まれちゃうのもわかる。すごく気持ちよくて、なんでもできそうな気がするから。試さずにはいられないんだ。
でも、それはきっとマドカの願いそのものを傷つけちゃう。
止めるにはどうすればいいの? ユウジンくんみたいに拍手すればいい?
急いで試す。けど拍手は空しく響くだけ。
「ま、マドカ! 待って!」
「あははは!」
笑いながら腕を振るう。ふわふわと漂う邪を宙から現われた無銘の刀が貫く。
マドカの道を遮るものはもう、なにもない。
そこかしこに漂う人々の霊子もおかまいなしにマドカが進む。
「いない。いない。どこにもいないよ! あーあ。これじゃあなにもできないや。二年生にならなきゃ強敵は回してもらえないのかな? だとしたら危険度からして納得だけど、でも一年生でも味わいたいよね! 巨悪を倒す快楽!」
「お、おかしいよ。ねえ。いつものマドカらしくないよ」
たまらず手を握る。けど振り払われた。
マドカの顔には笑みしかない。なのに瞳が怒りに染まっていくのがわかる。
「――……ああ、そうか。ハルがいたね」
全身の毛穴が開いて、思わず飛び退いた。
私のいた空間を薙いでいた。マドカの刀が。
「――……妖怪を神さまにしちゃうハルを斬れれば、ちょうどいいかもしれないね」
マドカの足下から黒い炎が噴き出た。
染まっていく。肌が漆黒に。なのに刀がどんどん光り輝いていく。
きっと刀に宿っていく光がマドカの本質。
なのに刀を振るう欲望に取り憑かれて暗闇に染まるマドカは邪そのもの。
強すぎる刀の力に抱く歓喜が惑わせる、一瞬の夢。
手にしたのは妖刀じゃない。殺人のための――誰かを傷つけるための力じゃないはずなのに。
『あれは、あの日のお前だ』
わかってる。
十兵衞の言葉に頷きながら、必死に飛び退り続ける。
ホームを全力で移動する。
電車が通るとか、そういうの気にしている余裕はなかった。
虚空から吐き出された無銘が私を貫こうと迫ってくるから。
ただ一つの拍手で私を正気に戻して場を治めたユウジンくんは凄い。
私にはあれを止める術が思いつかない。
『刀を叩き折るか?』
だめだよ、タマちゃん。
あの刀はマドカにとってかけがえのないものだから。
絶対に斬れない。斬っちゃいけない。
あれは折ってはいけないもの。
それをしたら取り返しのつかないことになる。
マドカの友達の御霊なら、絶対にだめ。
『じゃが、このままではお主が斬られるぞ』
『他の生徒がくるやもしれん』
咄嗟に吠えた。狐の遠吠え。
一緒に願う。入り口となるすべての場所を私の炎で燃やすんだ。
一年生が入ってこれないように結界を張る。
舞台はなんとか作ってみせた。
「あはは! なんのつもり? ハルはおかしなことをするね!」
いつもの聡明なマドカなら、私の狙いにすぐ気づくはずだった。
やっぱり正気じゃない。
私がなんとかしなきゃ。
笑いながら追い掛けてくるマドカから逃げる。
タマちゃんの身体能力があれば逃げ切れる。その間に考えよう。そう思ったのに。
「ッ!?」
咄嗟にタマちゃんを抜いて振り返りざまに振るった。カナタのメールの願いを破ってしまったと気づいたけど、でも振るわなきゃいけなかった。
手応えがあったから。
「すごい! よく受け止めたね!」
光に包まれた刀を手にしたマドカの顔がすぐそばにあった。
パニックになる。追いつくはずがない。全力で逃げたんだ。
マドカの刀がどれほどすごくても、タマちゃんの身体能力に敵うはずない。
そう思ったのに。
「人の福をみては禍とし、世の治まるをみては乱をおこさしむ」
私に口づけるような距離感でマドカが囁く。
「あなたの願いを私色に染めて、同じ夢を成し遂げるの」
その化生の名を、神さまの名をタマちゃんが囁いた。
四文字の後半が恐れ多いので言語化できないけど。
心の中で二人が叫ぶ。
『なんちゅう無茶苦茶な解釈じゃ! 相手の夢を取り込み自分のものにするじゃと!?』
『しかし、まずい……ハル! この死線、逃れる術はないぞ!』
ぞっとするような物凄く強引で無理矢理な解釈を、だけど叶うなら途方もない夢の結晶を。
もし……もし、マドカが実現させるなら。
きっと素晴らしい侍になるだろう。
けど正気を失って暴走するマドカは別。
このままじゃ正真正銘の化け物になっちゃう。
願いを叶えるためにすべてを喰らい尽くしかねない化け物になっちゃう。
誰も望んでないよ。マドカだって望んでないはずだよ。
そんなのいやだ。そんなの、絶対に!
「いやだああああ!」
全力で刀を押し返す。
「ハルの夢ってこの程度? だとしたら……興ざめ」
「ふぬぬぬぬぬ!」
はじき飛ばすくらいの力だったはずなのに、マドカはそれ以上の力で押してきた。
私は折れない。絶対に。でも。でも。このままじゃ!
『――ドカ!』
女の子の声がする。
『マドカ! 違う、違うよ!』
刀からの声だ。女の子の声。マドカの大事な友達の声だ!
「ふ、ぉおおおおお!」
そう気づいて必死に耐える。
刀が――マドカの本当の心が黒く染まった願いを拒んでいる。
なのにマドカは狂気に呑まれている。
なまじ願いが強すぎるから、現実をたやすく見失ってしまうんだ。
現世であれだけの現象を引き起こす女の子なんだから、暴走したら途方もない脅威になる。そんなの考えるまでもなく明らかだったじゃないか。
「マドカ――……!」
悪意に呑まれた瞳を見つめながら、理解する。
『気づいて! 落ち着いて、マドカ!』
刀が悲鳴を上げているよ。
振り上げないで。下ろしていいの。
だけど離せるはずなんてない。
刀は夢の結晶だから。手放せない。
でも手放せないでいると、時に自分の夢そのものを傷つけてしまうんだ。
「マドカ!」
私だってそうだ。
願いそのままに歌い上げて、現実から離れるように何度も気絶したり傷ついて。
同じじゃないか。
ずっと繰り返してきたあやまちにやっと気づいたよ。
縋るように持つんじゃなく。力をただただ引き出すんじゃなく。
きちんと向き合わなきゃいけなかった。
心を握れ。掴み取れ!
「お願い! タマちゃん、十兵衞!」
『できるだけ応えたいが!』『すぐに限界はくるぞ!』
わかってる。
ああ。今になってこんな大事なことに気づくなんて。
カナタが心配するわけだよ。
カナタ。カナタ。カナタに会いたい。
「ううううう!」
いやだ。このまま終わりなんて、絶対にいや。
会うまで、死ねない!
「さっさと諦めて――」
「愛は! 折れないんだ!」
だからマドカの夢だって折りたくないんだ!
「どこかで聞いたような台詞を! 諦めろ――ッ!」
「いやだああ!」
押し倒されそうで、九本ある尻尾のすべてを地面に伸ばして全力で抗う。
けれど私が抗えば抗うほど、私以上の力を得てマドカが斬ろうとしてくる。
飲み込まれたら人を傷つけてしまう、夢。
「うううううううう!」
このままじゃ、絶望的。そんなのわかってる。
マドカの刀の光に触れたらどうなるのか、わからない。
斬られるだけじゃ済まないかもしれない。
どうしよう。どうしたら。
『――必ず、俺を呼んでくれ』
思い出した瞬間、叫んでいた。
「カナタ、助けて――……!」
光はもう、目前に迫っていた。
だから。だから。
「遅いんだ、呼ぶのが!」
カナタの声がした時には涙が出そうだった。
私の刀に寄り添うように、もう一振りの刀が現われる。
清廉なる刀は確かに光を押し返すだけじゃなく、はじき返してくれた。
邪な気持ちで振るわれる力など拒絶する、カナタの願いは確かに私を守ってくれたんだ。
「なっ――」
咄嗟のことにまばたきをしたマドカのほっぺたを、背後に着地したコナちゃん先輩が思いきり挟む。
「目を覚ませ!」
ぱちん! という音がした。
「ふぁ!? くっ、う……」
マドカがたたらを踏んだ。
そしてそのまま腰砕けになって、尻餅をつく。
暗闇に染まった肌はもう、いつもの綺麗な肌に戻っていた。
「あ、れ……」
頭痛がするのか、片手で頭を押さえてからマドカが私を見る。
そして絶望にくれそうな顔をした。そして刀の輝きが急速に曇っていく。
「マドカ」
理解した。ユウジンくんが私に優しくしてくれた理由。
刀は心。願い。侍候補生そのもの。
戦うときにはどんな無茶にも応えてくれるのに、凄く繊細で傷つきやすい。
私たちと一心同体の結晶なんだ。
曇らせたくない。さびつかせたくない。折ってほしくなんかない。
自分と同じ痛みを味わった相手なら、余計に。可能性がある人なら、なおさらに。
優しくせずにはいられなかったの。
「もう。無茶しすぎだよ」
だから笑って、マドカの額をでこぴんする。
「目は醒めた?」
「あ、あ、」
どうしていいのかわからなくて。どんな言葉を言えばいいのかわからなくなって。
マドカの気持ちが痛いほどよくわかるから、抱き締める。
「私も前に同じ事したの。だから気持ちわかる。怒ってないし、気にしなくていいの」
「――」
吐息で紡がれたごめんなさいに背中を優しく叩く。
「きっとそれくらい、マドカの夢はでかいんだ。だからだいじょうぶ」
擦る。撫でる。元気を出してくれたらいい。
「苦いデビュー戦に思えるだろうけど、でもマドカが証明した夢の力はとびきりでかくて強烈だから。きっとだいじょうぶ」
「でも……」
「頼もしい仲間が増えたと思ったの。違うの?」
必死に頭を横に振るマドカをめいっぱい抱き締めて言うよ。
「じゃあだいじょうぶだよ。マドカはだいじょうぶ」
抱いた恐怖も不安も吹き飛ぶ。今のマドカは私のよく知る女の子だ。
だからだいじょうぶなんだ。
マドカは私よりも頭が回るから。
きっともう、飲み込まれることはない。
コナちゃん先輩とカナタを見た。二人も特別怒ったりしてない。
ただ気遣うように私とマドカを見ているだけ。
力を抜いてすぐ、あちこちの炎が消えた。遠くに叫び声や悲鳴が聞こえてくる。
すっかり意気消沈したマドカの鞘に刀をおさめて、コナちゃん先輩が上に連れて行ってくれた。
今はずっとそばにいたい。けど、無理だった。
正直、頑張りすぎて腰が抜けちゃったんだ。
マドカを抱き締めたけど、抱きついたっていう方が正確かもしれない。
ああ、でも。それよりも、ずっと我慢してたけど。
「カナタ……!」
両手を伸ばす私をカナタは抱き上げてくれた。
めいっぱいしがみつく。
「もう格好よすぎだよ……ずるいよ、なにあの登場!」
「いいや。もっと前の事件でも呼んでくれれば、これくらいしていたさ」
「ずっと呼ばなくてすみません! でも好き!」
「ああ」
私の額に口づけてから、カナタが何かに気づいたような顔をする。
カナタの視線の先には尻尾があったよ。
身体を支えるのに無茶をしたから汚れていた、私の九本の尻尾が。
「こんなに汚して……帰ったらやることが増えたな」
ああ。やっぱり尻尾ですか。彼女への熱い何かじゃなくて。尻尾ですか。そうですか。
三つ子の魂百までですか?
もっとこう、ないんですか。
不安を隠してはしゃぐ彼女の真意に気づいて甘やかしてくれる的な行為。
「まあお姫さま抱っこの時点で相当甘やかされている自覚はあるのですが。もっと、こう。ほら。ステキな胸キュンはないんでしょうか」
「何を考えているんだ。他の生徒もいずれ来る。ひと目があるところでできるか」
「な、なぜ私の考えを!? カナタはもしや私検定百段なのでは!?」
「アホ丸出しか」
「あうち! まさかの太ももつねり!」
ひどい! 鬼! 悪魔! 大好き!
ふう。ひとしきり荒ぶっていたら落ち着いてきた。
「それにしても、カナタはどうやってきてくれたの? できる彼氏で済ますにはご都合主義すぎるのでは」
「お前が遠吠えをしていなかったら居場所の見当がつかず、時間はかかっていたな」
「私の遠吠え、そんなに遠くまで聞こえるの? 代々木あたりにいるっぽいのは気づいていたけども」
「一年がいるブロックは限定されていて事前にわかっていた。お前に何かあっては困ると、シオリに頼んでチェックしてもらっていたからな。昨日いろいろあった山吹と行動し始めた時点で、並木さんと二人で様子を見に来ていた」
「コナちゃん先輩、ありがとう! そしてシオリえもん、さすがです」
「あんまりシオリえもんって言ってやるなよ。去年、一時期その呼び名がついて相当嫌がっていたからな」
「既に呼ばれてた!」
でも助かるよね、シオリえもん。伊達とはいえ眼鏡かけてる私としては全力で甘えたい所存です。
「他にも討伐に区切りがついた二年生が一年生の様子を見に来ている」
「おお……」
頼りになる。さすが先輩。
「こうして学年を越えた絆は結ばれていくのでしょうか」
「まあな……去年は俺たちがお前たちの立場にいた」
「……カナタはその頃から刀鍛冶だったの?」
「訓練はしていたが、俺が一番なりたかったのは侍だ。無茶を言ってラビについて回って、真中先輩にはかなりきつくしぼられたな……」
意外。カナタも無茶した経験があるんだ。
「失敗しながら鍛えられてきた。だから、こうしてお前を助け出せたわけだ」
「……あんまりかっこよくないよ?」
「でも、お前もいろんな失敗を積み重ねて成長して俺を呼び、山吹を助けてみせただろ?」
「まあね!」
「そこでどや顔をする意味がよくわからないが、しかしよくやった」
「どやー?」
「……わかったから」
なだめられちゃいました。
「積み重ねは無駄じゃないんだ」
しみじみ言うの。カナタは思うところがあるみたい。
父親のソウイチさんに鍛えられて、どんどんすごくなっていくシュウさんに追いつこうと毎日がんばって。
刀を抜けずに一年間を過ごして尚、へこたれずに頑張り続けた。
私を助けようとしたその時、刀を手にした人。
私の恋人。
カナタの夢を私はもっとちゃんと知りたい。
だって、私を助けてくれたカナタは本当に幸せそうにしているから。
ぎゅっと抱きつく。
「どうした?」
「……幸せだなあって。もっと早く、こうすればよかったなあって思っているのです」
「だいたい、いつも一人で頑張りすぎなんだ」
むすっとされちゃいました。
「はあい」
「間延びした返事をするな」
「どやー」
「だからどや顔のタイミングがだな」
「これはカナタに感謝の気持ちをこめたどや顔です。どやー?」
「もっと普通の感謝の表現はないのか」
「ほうほう、たとえば?」
「急に真顔になるのか」
「キスしたら喜ぶ?」
「……答えたら負けな気がする」
「むちゅー」
「その流れでキスはない」
「じゃあどういう流れならいいの?」
「だから急に真顔になるな」
ぎゃあぎゃあ騒ぎながら二人で上に向かう。
討伐の終わりを告げる笛の音が鳴って、生徒たちがみんなバスに集まっていく。
出迎えてくれたライオン先生は「よくやった。経験をよく活かしたな」と私を褒めてくれました。どや!
マドカはどうしても落ち込んじゃってるみたい。
だけど、狛火野くんがそばにいる。青組応援団の時にできた友達もいるからきっと大丈夫。私も行くからもっと大丈夫にする。
他にも笑顔の人もいれば落ち込んだ顔をしてる人もいるけど、一人になってる人はいない。友達とか先輩が声を掛けている。手放しでそれがいいことだとは言わないけど。
こんな夜にひとりぼっちはよくない。
「……はあ」
「マードカっ」
「わっ!?」
マドカに飛びつく。
「な、なに?」
「討伐に行く前のハグのお返しだよ!」
「そう言われてもなあ。ハル、私はいま絶賛凹み中なんだよ? ハルにひどいことして、本当に申し訳ないなあって思うと同時に……その」
あれ。いつものマシンガンの調子がよくないよ?
「はあ。とにかく、自分にあんな一面があったなんてショック過ぎてさ。ユウにもまた心配かけて、ほんと、もう……」
やっぱりしょぼくれてる。
いま思うと、そんな時にばしっと叱られたのは凹んだけど。でもメイ先輩が叱ってくれたからケジメがついたって気もする。あれも優しさなんだとちゃんとわかってる。
でも私がマドカにビンタするのはメイ先輩がしてくれた愛の鞭とは違う。コナちゃん先輩が何かした感じもない。だってマドカのほっぺたは腫れてないもん。
あれはメイ先輩だからこそできたことだ。私も、きっとコナちゃん先輩にもできないことなんだろうなあ。
難しいけど。
「ため息吐いたら幸せ逃げちゃうよ? 落ち込むことない。マドカはちゃんとすごかったよ?」
ほっぺたを摘まんでみる。
もう、と言ってマドカはめんどくさそうに手で払ってくる。
んー。どうしたらいいんだろうね?
『お前とは違う。同じ人間などいはしない。自分と同じ理屈を当てはめるのは、我を通す生き方だ。どうせ通すなら、お前の魂のこもった行動であるべきではないか』
十兵衞は冷静だなあ。
『乳でも揉んでやれば、あまりのくだらなさに笑うのではないかの』
タマちゃんは適当すぎ。さすがにそれはマドカも怒るよ。たぶん。
んー。ないかなあ。何か。マドカに響いて、私らしい何か。
世界を巻き込むような力。
メイ先輩やコナちゃん先輩の背中に追いつきたいと願う私らしい、何か。
『マドカに効く言い方はね――』
女の子の囁き声が聞こえた気がして、すぐに笑った。
そっか。そうだね。
「ねえ、マドカ」
「もう。なあに? そろそろ一人になりたいんだけど」
「だーめ」
ほっぺたを摘まんでから言いますよ。
「もっともっとマドカは活躍できるのに、なんで諦めちゃうの? 諦めないでいてくれたら……私、助かるんだけどな?」
ぴく、とマドカが震えた。
「……たすかる?」
まるでマジックワードみたいに響いてる! すごいね、効果覿面!
マドカの刀の御霊は本当に深く理解しているんだね。マドカのこと。
刀から声が聞こえてくるままに私は言うよ。
「そうそう。マドカはこれくらいのことにへこたれて、投げ出したりしないよね? 積み重ねの女の子だもん」
「つみかさね……?」
「そうだよ、ほんとすごいよ! 積み重ねを具現化して戦うんだよ? あんな力、きっと今いる侍は誰ももってないと思うよ! すっごく特別な光だったよ!」
ぴくぴく、と震えた。
「特別な光……そうだ。そうだった!」
ぶわ! と何かが噴き出た気がして思わず一歩引く。
私の肩をがばっと掴んで、マドカは言いました。
「ごめんね、ハル!」
「あ、う、うん。気にしてないからいいよ!」
「力は正しく使うべきだった!」
あ、やばい。口を開いたマドカの瞳が燃えている。
これは、と思った時にはもう遅かった。
「ハルはその力で邪を浄化させてみんなの願いもきらきらに染め上げたのに、私ときたらハルをびびらせて傷つけてとても危険な目に遭わせたなんて! このままでなんていられるはずがない! そうだよ! だから絶対にこのままで終わらせたりしないから! うおおおお!」
マシンガンが! ぶわーっと炸裂してますよ!
「頑張るから! 私! さしあたっては文化祭! 一緒に楽しんでくれるかな!」
手をきゅっと握られての告白は、今まで聞いたマドカの告白の中で一番素直に反応できた。
「ぜ、ぜひお願いします!」
誰かが咳払いをした。
狛火野くんがみんなの気持ちを代弁するように言うの。
「あの、青澄さん。彼女のフラグを俺よりたくさん立てるのやめてくれない? 追いつける気がしなくなってきたんだけど」
「大丈夫だよ、ユウ! もしハルが一級フラグ建築士だとしても、ユウは永久特別枠だから!」
女子一同でマドカを半目で見ながら思わず呟いたよね。
「「「 いや、あの。そういう問題かな 」」」
待って。だいたい私、一級フラグ建築士とかじゃないと思うよ?
『どうじゃろうなあ』
タマちゃん、待って! ここぞとばかりにドヤ感たっぷりにいわないで!
「……まあ、それなら」
「「「 いいんだ!? 」」」
満更でもない様子の狛火野くんにみんなして突っ込んじゃった。
すぐにみんなで笑いあう。くだらなくて、しょうもなくて。でもきっと、私たちらしい。
あたたかい空気の中で、マドカの表情もやわらいでいた。
夢は自分や誰かを救うためにあると私は思う。
マドカの夢はきっと大きくて強い。狂気に呑まれて尚、既に特別な素質を存分に発揮した。
刀は人を活かしも殺しもするだろう。
夢も同じかもしれない。
それでも私は信じている。
私たちの心はみんなを救うためのぴかぴかの光になれるって。
だって、ほら。
みんなで笑っている方が楽しいじゃん?
つづく。




