第二百四十四話
知っている匂いがそばにある。
私を抱き締める腕、熱。タマちゃんのもの。
目を開けて見えるのは、十兵衞の背中。手にある刀は見たことがない。けどわかる。頼もしい背中が私を守ってくれているんだって。
「――……ハルに近寄るな。寄らば斬る」
その向こう側に見えるのは、九尾。真っ黒な真っ黒な、私。
小学生の頃の私や中学生の頃の私が揃って三人。
「ふふん。確かにクレイジーエンジェぅ(なりたて)は倒された!」
「しかし奴は我ら青澄春灯の邪四天王の中でも最弱の存在!」
「邪を統べていずれこの世に漆黒をもたらす! 我ら漆黒四天王あらため! 漆黒三人衆!」
待って! 私の顔してそんなこと言わないで!
「ぶぁ!?」
すっごい頭悪いネーミングに思わず飛び起きた。
寮の部屋で、カナタがすぐそばにいる。
「お、おはよう?」
「お、おはよう」
凄く驚いた顔をして私を見ていた。
「ど、どうした。思わぬ勢いで起きたな」
「え、えっと」
説明しようかどうしようか悩んで、私はそっと呟きました。
「悪い夢を見まして」
尻尾を手で引き寄せて確かめる。毛先まで金色。元に戻っている。
指先で前髪を確かめる。それだけじゃ足りなくて、ベッドそばのコンパクトミラーでチェック。
髪の色も眉毛もきちんと染まっている。
根元くらい黒くなっていないかな、と思ったけど。そんなことなかった。
指先で整えて、だけどそれじゃごまかしようのない寝起きのしょぼついた目つきとにらめっこをする。とりあえず元気そうではあります。
「ねえ、カナタ。マドカは無事?」
「ああ」
ベッドに腰掛けてじっと見つめられると困る。同居して何が困るって油断した顔を見られることだよね。高校生にはそんなお付き合い早すぎる、恋愛に夢見る時期なのに! なんて気づいた頃には手遅れだよね。
こんなんでもカナタは私を大事にしてくれるから、私たちのしている恋愛はもっと現実的で生々しいのかも、なんて。
考えてる場合じゃないか。
「ハル……少しいいか。確かめる」
カナタが心配そうに私に触れてくる。頬に当てられた手から冷たくて気持ちの良い霊子が染み込んできた。カナタの力だ。身体中に広がる心地よさは、あれ。とびきり暑い夏にきんきんに冷えた麦茶を飲んだ時のような、あの感じ。例えが微妙すぎて言わないけど。言ったらカナタ凹みそうだから言わないけど。
でも疲れが吹き飛ぶの。今日もがんばるぞい! って気持ちになるよ。
「ぷはあ!」
「……そのリアクションはなんだ」
「いえ、こう。五臓六腑に染み渡るなあ、と」
「あのな」
お前はいったい何を言っているんだ、という顔をされました。
けどそれだけ。特別喋ったりしない。事情を聞いてもこない。
黙っているのは、私が言いにくいだろうと察するような気遣いじゃなくて。
心配しているけど口を開いたらお小言でまくりそうで、それは今の私にするべきじゃないと我慢するような気遣いだ。
どや。
カナタの心境判断検定があったら、私は一級を取るのでは。理想の彼女なのでは。これは今夜のご飯がきつねうどんお揚げマシマシ特上になるのでは!
「何を考えているのか知らないが、違うからな」
「えっ」
私のお揚げマシマシ特上きつねうどん……!
「事情はすべて生徒会を通じて把握している」
「……いつも思うんだけど、うちの学校の生徒会ってちょっと頭おかしいレベルで能力高すぎなのでは?」
「言うな。だいたいシオリの能力と、その活用に全力を尽くすラビが好き放題するせいだ。お助け部にもあの二人がいるからお察しだな」
あ。カナタ、ちょっと胃がキリキリしてる。
「それよりも辛いところはないか? 力が抜けすぎているとか、眠気があるとか」
「ないけど。むしろぐっすり眠ってお腹すいたなあ、くらいしか」
「お腹すきすぎているとかもないか?」
「いたって元気に普通にお腹ぺこぺこですよ?」
「……はあ」
深いため息を吐かれました。なぜに。
私の頬から手を離して、肩に頭を預けてくる。
「カナタ?」
「……心配したんだ」
「……うん」
抱き締められる。こういう瞬間、入学してカナタと付き合ってからずっと続いている。
そのたびに反省してきた。けど繰り返している。
認めた方がいいのかもしれない。
マドカに言った言葉が自分の心にも刺さる。
誰かのためなら愛して頑張れちゃう。
私にもそういうところがあるかもしれないから、すぐにわかったのかも。
けど私の場合、頑張った結果、誰かを傷つけてしまう可能性にどこか無頓着なのかもしれない。カナタに心配かけてるし、トウヤに話したら怒られるだろうし。
これもいつも考えているよね。
案外……私の真っ黒はそこにあるのかもしれない。
自分の願いに夢中で、なんだってする。カナタと過ごす時間もそう。だけど、自分の行動の結果で周囲がどうなるのかをわかっていない。
たとえば夜のことでも。カナタは結構言うよ。お前は前のめりすぎるって。
私は私だからと開き直ることはできるけど。それはちょっと自己中な気もする。
やっぱり、私の漆黒はそこにあるのかも。
みんなの願いを金色に染めたあの選挙で、みんながどう思うのかを……私は想像さえしなかった。ただ喜んで欲しかっただけ。暗い気持ちでいたら、全部まとめて塗りかえてやると思っていただけ。
あの場での歌と全力を切っ掛けに、マドカは私に気持ちを向けてくれた。カナタはとびきり心配してる。シュウさんたちは期待してくれている。
みんながどう反応するか。私はみんなじゃないからわかるわけない。けど想像することはできたはずだ。少なくとも、大事な人が相手なら。
カナタに安心してもらいたい。どうしたらいいのかな。
方法が浮かぶ。もう無茶はしないって誓うとか。何も言わずにくっつき返すとか。繰り返さないようにするとか。
でも、多分違う。いま必要なことはそれじゃない。それじゃあ……結局なにも変わらなかった。
カナタのためにできることはなんだろう。
どうしたらいいのかな。
金色を取り戻したけれど、私の心は漆黒と共にある。
私が輝くほど、私の未熟が黒く染まっていく。それは切り離すことさえできずに、私に寄り添い続けるものだ。
強くなれば、凄い力を手に入れれば駄目な部分がなくなるなんて……そんなの人間じゃない。足りないところは足りないところとして残り続けるのが人間だ。人の心はそんな単純なものじゃない。
ああ。そんなのわかっていたけど、わかっていなかった。
中学のみんなから会おうって連絡が来て凹むわけだよ。あの頃のすべてはきっと、私の足りない部分を示す象徴そのものだから。どんなに頑張っても切り離せるはずがないって事実に、私は素直に凹んでしまったんだ。やっぱり未熟者だよ。
でも……そんな未熟も含めて私なんだ。それと付き合って、頑張るために何をしたいのか。考えるべきはそれなんじゃないかな。
「……ねえ、カナタ」
願うように言うの。
「大丈夫だよ」
たぶんきっと、逃げないことが大事なんだ。折れないでいるだけじゃなくて。
マドカの心に寄り添い手を伸ばした時、頭の中にあったの。
この子を一人にしちゃいけないって。
放っておけるはず、なかったの。
だって、自分の願いで心を縛り付けて。そんなのまるで昔の私みたいで。
いつかの未熟を放っておけるはずなかった。無我夢中で手を伸ばしていた。
そしていつかの未熟を何段も飛び越えて、マドカは自分の強さをちゃんと掴んだの。
私だって掴みたい。
きっとそれができたら、カナタをこんなに心配させずに済むから。
でもそれは未来の話。私の夢の話だ。
「カナタがいてくれて。私は夢を諦めないから。ぜったい心は燃え尽きたりしない」
カナタに対しての話は、別。
「がんばりすぎて心配かけることはあるけど」
カナタが私を見る。
心配、不安に曇る瞳。目元は少し腫れていて、だけど私の前で見せたりしない涙はきっといくつもあって。
けれどカナタは私にそれを見せない。代わりに自分を鍛える。私を守るために。
そういう人だ。
だから私が自分の手の届かないところで無茶をするのをきっと、怖がっている。
「一緒にいる限り、だいじょうぶ。だから……もっとちゃんと、カナタと一緒にいたいです」
「なら……約束してくれ。本当に致命的なことになる前に、必ず俺を呼ぶって」
懇願だった。
「お前が呼んでくれるのなら、どこにいても必ず駆けつける。絶対に。だから必ず、俺を呼んでくれ」
「う、ん……」
「このままだと、お前がどこか遠くへ行ってしまう気がするんだ。俺のいないところでそんなことになったら、死んでも死にきれない」
「カナタ……わかった、約束するから」
「それだけじゃ足りない」
押し倒される。いつもの包みこむような優しいふれあいじゃない。
お互いの繋がりを強く意識してほしいと願う勢いだった。
手を取られていたから、きゅっと握り返す。
「俺を忘れずにはいられないように、覚えて――……」
きっと今日がはじめてだった。
まるでどこかへ飛んでいきそうな私の覚束ない足下を叩いて思い出させるような強さでカナタが私を抱き締めたのは。
◆
どこかでハルの声が聞こえた気がした。ごめんって。
自分の――……山吹マドカの身体が重たい。
「ん……」
起きあがってみると、ユウが壁に背中を預けて寝ていた。部屋の中はすっかり暗くなっていて、布団に寝かされていた私は制服のまま。
そばに立てかけてある刀を見て、それからそっと胸元を探る。傷跡はない。やっぱり、ない。落胆したような、悲しいような気持ちははじめてのものだった。
ベッドから下りようとした時だ。
「俺、そんなに頼りないかな」
ユウの声は傷ついていて、それだけじゃなくて怒っていた。
「……ユウ」
「ごめん。責めたいんじゃないんだ。ただ……自分の知らないところで彼女が大ピンチだったって知るのが、まさか君の部屋を訪ねた時になるなんて思わなかった」
スイッチはオフのまま。
「先生から聞いたよ、だいたいのことは。身体も刀も霊子も心配ないって。明日には普通に学校に通えるらしい」
真っ暗な部屋の中で、途方に暮れる。
ユウから感じる拒絶の壁に手さえ伸ばせない。
よそよそしい声を出されるのがつらくて仕方ない。
「……ねえ、マドカ」
振られる。そう思った。
「道場に行こう」
「え……」
「俺は正直、あんまり口が上手くないから。君が話す速度についていく自信が今はまだない。いつも歯がゆかったんだ」
立ち上がるユウの顔が窓から差す月明かりに照らされて見える。
「きっと手合わせするのが一番いい」
笑っていた。拒絶も痛みもなにもかも飲み込んで私に歩み寄る――……清濁併せ持つ笑顔に私は頷く。
離縁を怖がり遠ざけて、けれどそれで許されるはずがない。
なにより……刀を振りたい気分だった。
ベッドから立ち上がって刀を手にした時だった。何かに呼ばれた気がしてふり返ると、便せんが見えた。誰かが持ってきてくれたのか。
野ざらしでは置いておけなくて、そっと手に取る。
彼女のメッセージを読んで、最後に書いてある彼女の名前を見てはっとした。
「マドカ?」
「ごめん、すぐ行く」
封筒を丁寧に畳んでポケットに入れる。
刀の感触を確かめて、胸の中に広がっていく。
ずっと遠ざけていた、意識しないように逃げ続けていた彼女の名前は――。
◆
道場にいた先客四人は私とユウを見て事情を察したように見つめてきた。
沢城くん、仲間さん、結城くんに佳村さん。
刀を合わせていたのだろう。沢城くんと仲間さんがその手に刀を抜いている。
けれどすぐにおさめて場所を譲ってくれた。
それくらい私とユウの間に流れている空気は緊迫したものだった。
立ち去ろうとする佳村さんを沢城くんが片腕に抱いて止める。
「ぎ、ギン。さすがに果たし合いのお邪魔は」
「なにいってんだ、真剣勝負に立ち会いがないなんてあり得ないだろ。なあ、コマ!」
沢城くんの呼びかけにユウは答えない。
ただ、座る。鞘をすぐそばに置いて、正座の構え。凜としたその姿を初めて見た時の胸の昂揚を思い出す。
狛火野流抜刀術。調べてみたけれど文献は見つからない。
なのに、剣道部での彼は強い。無慈悲なまでに。
しかし彼が自分の技を用いたところを、まともに見たことがない。噂では一度、獅子王先生に使ってみせたという。けれどそれ以降は記憶にない。
なぜ用いないのか聞いたことはある。けれど答えが返ってきたこともまた、一度もない。
けれど、私は喉を鳴らして柄を握った。
理解した。彼はいま、私に全力を出そうとしている。
「――……」
何も言わない。ただ正座をしているだけ。なのに微塵も隙がない。
居合い術とは何か、調べたことはある。
座っている状態で襲われても初撃をかわし、あるいはよけざまに一撃を入れる。
或いはすれ違いざまに抜き放ち、暗殺として用いる。
活人と殺人、両面を見せる。まさに用いる人間次第で変わる術。
諸手に比べて片手の時点で力に欠けるという。初撃の速度は素早いとも。
けれど実際に味わったことなど一度もない。
だから躊躇う。間合いが見えない。
「――……」
ユウはただそこにいるだけ。瞳を伏せて、背筋を正して。
なのにその圧迫感に喘ぐ。
私が逃げようとしたら、追ってはこないだろう。そして私たちの関係も終わりを迎えるに違いない。
決意を胸に抱け、山吹マドカ。
自分を痛めつける力を手にするためだけに、無為に日々を過ごしてきたのなら逃げ出せ。
けれどもし、自分が手に入れた力を誇る機会を欲するのなら、自分が築いた縁を手放したくないのなら、刀を抜け。
怒りのためでなく。愛するために。
殺すためでなく、活きるために。
柄を握る。この刀がもし、私の手にした特別なら。名前がわからないのも当然だ。
私の中で、その名前はいま三つしかない。一つは目の前にある。一つはきっと自室で寝ている。
だから――……失って、遠ざけたけれど願った私の夢はもう、一つだけ。
お願い。答えて!
「ヒカリ――!」
彼女の名前を叫び、抜き放つ。
抜刀術、居合い。どちらも経験がない。
未熟すぎる私の一撃は、けれど確かに光り輝いた。
しかし彼は僅かに抜いた刀身で受け止めた。
ぎりぎりと刀が悲鳴をあげる。押してもいけぬ。引いてもいかぬ。斬られてしまう。
ユウの瞳は確かに私を捉えていた。
ぞっとするような赤い月の光めいた視線にぞくっとして、道理を飛ばして全力で飛び退った。
二つの線。増えて四つ。重ねて八つ、分かれて十六。瞬間、加速度的に百二十八。
逃げ延びた時には二百五十六。空間が悲鳴をあげる。
逃げなかったら、斬られていた。あれは人を細切れにする技だ。
隔離世の刀だとしても、そんなの関係なくすべてを断ち切る力。
かちん、と鳴らされた納刀の音に我に返る。
尻餅をついた私の前で、ユウが座る。そして刀を置いた。
あの状態で斬れる。そう確信しているから、正座している。命を晒しているように見せて、その実晒すのは相手の命の方なんだ。
圧倒的だ。剣道部で見たユウなんて比べものにならないくらい、本気のユウは強かった。
「はっ――はっ……」
自分の息がうるさい。沢城くんが何かを叫ぶ。仲間さんの闘志に火が灯る。
けれど構っていられなかった。全身にぶわっと汗が滲んできた。
今の私じゃとても届かない光。特別輝く光が目の前にある。でもね。
『――マドカ。まどか。私の特別な光』
刀から痛いくらいの気持ちが伝わってくる。
ユウが特別なら、だからこそ引けない。負けられない。
私の刀が叫んでいる。
『諦めないで』
私を諦めないで。自分の可能性を諦めないで。
彼女の声がした気がした。
笑う。恐怖に駆られてでも、気が変になったせいでもない。
許された気がして、笑う。
この手に握る刀から無限の力を感じる。見下ろす刀は光り輝いている。彼女の名前のように。
ああ。ならば真実、この場で足りないのは私だけ。
それでも諦めないでと刀が叫んでいる気がしてならない。
決意を胸に抱け。決意を胸に抱き続けるんだ。
この刀を手にするために戦ってきた。
そう彼に伝えるのは今しかないのだから。逃げるな、立ち向かえ。
思い切り踏み込んで、大上段。諸手の一撃。
容赦なく伝える。そのためだけの全力。
ユウの瞳が開いた。私を見つめ、認める煌めき。伝わったのだ、そう理解した。
その時にはもう、ユウの右足があがっていた。
一瞬で抜かれた刀が私の首筋にぴたりと当てられていたのだ。
私の刀もまた、ユウの眼前で止まっていた。
当然だ。
「勝手に進みすぎだ。コマもマドカも」
「見過ごせないよ。狛火野くんの技はさておいて……現世で斬れない刀だとしてもね」
私の刀を仲間さんが、ユウの刀を沢城くんが止めていた。
そうしなければ私たちは相打ちになっていたに違いない。
それでもよかった。殺し合い、活かし合った。
すべてが満たされる切り合いだったに違いないから。
ユウと見つめ合う。そしてお互いに笑う。
山ほど語り合う必要なく、わかりあえた。ユウは私を許してくれたのだ。
「素敵な刀だね」「ユウのも」
互いに刀を下ろす。ほっとしたように沢城くんと仲間さんも続く。
ほっと緩む私とユウ。
沢城くんがさっそく「コマ、さっきの技を使え。今すぐ俺とやろうぜ」と絡む。仲間さんがすかさず間に入って「いやいや、あたしでしょ」と声を上げる。
面倒そうに笑いながらも応対するユウを尻目に、私は少し離れて腰を下ろした。
「あ、あの。いいんですか?」
「もう……決着はついたのかい?」
佳村さんと結城くんに笑いかける。もちろんだと笑って、手の中にある刀を見つめた。
「素敵な業物ですね……」
月夜に煌めく刀身を見つめて佳村さんがため息を吐く。
ありがとう、と笑って返す。
「それ……御霊はなんなんだい?」
結城くんの質問に肩を竦めた。
「名のある御霊みたい。妖怪にも神さまにもなった……怒りと愛の化身。その魂を受け継いで宿した姿というか、心はね」
月に切っ先をかざして囁く。
「私の大事な人のもの」
手の中から感じるぬくもりに意識を向ければすぐわかることだった。
覚えているよ。今でも、あなたのことを。忘れた事なんてなかった。
だからもっと早く気づくべきだった。
あなたのぬくもりは確かに、私にとって特別な光だったから。
失われるのが怖くてしょうがなかった輝きに違いなかったから。
「――かけがえのない、大事な人がいたの」
葬式も済んで、世間の人からはどんどん忘れ去られてしまうかもしれない名前。
私だけは忘れちゃいけない名前。
その主は、病弱で病室暮らしが長くて。
字も姿も心も綺麗な女の子。
私の刀に宿る御霊は、あなた以外にあり得なかったんだ。
だとしたら……彼女は身体を手放してずいぶん早くに私に会いに来てくれていたのだろう。
手紙を書いて、それでもいてもたってもいられなくなって、私の元にやってきてくれた。私の積み重ねを刀にして投げ渡してくれたのは、彼女だったんだ。
あなたを怖がりながら、あなたに縋っていた。
私のための――。
「ヒカリ」
手紙の最後に末尾に書いてある……ずっと遠ざけていた彼女の名前を呼んだ。
「……ずっと、あなたに会って言いたかったんだ」
涙と共に告げる。
「ごめんね。私もあなたに会えて、幸せだったよ。ちゃんと、幸せになったんだよ」
一層煌めいて見えた刀身を見つめる。
通常の刀なら自分の手の温もりしか感じないはず……けれど隔離世のそれは趣が異なる。
私の言葉に応えるように熱を増してくれたから。
許されたんだと思った。
あのころ私が触れて、はにかむように笑っていた彼女の顔が浮かんで。
その顔があまりに幸せそうだった。彼女の瞳に映る私もまた、同じような顔をして笑っていた。
ずっと忘れていた。けど、もう思い出したよ。
刀に映る自分に頷いて、笑いかける。よし。
「ねえ、待って。ユウの彼女は私なんだし、元々手合わせしにきたわけだし? ならもっと戦ったって罰が当たらないよね」
沢城くんと仲間さんが不満の声をあげるけど、構わない。
山吹マドカのスイッチは確かに入ったのだ。
困惑していた彼氏に抱きついた。
刀の熱を感じて、思い切り笑う。
ハルが教えてくれた。
私はいま、青春の中にいる。輝いている。
私と一緒にいることを選んで、一緒に戦ってくれることを選んで駆けつけてくれた命。
もう離さないから。逃げないから。いつまでも一緒にいよう。
この決意を私は永遠に抱き続けると誓うよ! あなたの名前に賭けてね!
つづく。




