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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第二十章 願う心覗いて、文化祭

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第二百三十七話

 



 恋人の――ハルの機嫌が悪い。

 尻尾を梳いていたら、他の八本でしきりに顔を擽ってくる。

 これが実にうっとうしい。手で払いのけて文句を言おうとしても、つんと澄ました顔であらぬ方を見るだけの彼女が言外に「私不機嫌ですからね」と訴えてきていて言葉を掛けにくい。

 理由はわかっている。

 ハルは俺との触れあいを期待している。

 何度か前のめりすぎると言ったことがあるが、しかし内心で理解もしている。

 たとえばハルは女友達やクラスメイトたちと率先して触れ合ったりはしない。

 俺に対してだけ、そういう一面を見せる。恋人同士のふれあいに夢を見ているのだ。

 ハルの夢はすべて途方もなく、そしてどこまでも前のめり。

 それが現世に超常の力を発現させる素質だと思われる。兄さんたちの書類にはそうあった。

 刀は心。その力は夢そのもの。

 ならばハルの夢見る力は最早天才であり天災クラスなのだと。

 なるほど。剣豪でいえば十兵衞、妖怪でいえば玉藻の前を二本も引き当てるわけだ。

 さて、困ったことがある。

 色事に対してもハルの夢は深い。

 そして貪欲だ。

 敢えて言おう。

 身体が持たない。

 それだけで察して欲しいし、それだけでは察しきれないことは百も承知である。

 妖怪変化の刀を抜いたハルの体力は今や尋常ならざるものではない。そして玉藻の前の知識は俺やハルのそれを遥かに上回り、どこまでも二人で溺れてしまう手練手管に長けている。それを俺との睦言ですべて初めて体験するハルがたどたどしく健気にやってくる。

 これに溺れなきゃ、なにに溺れるのか。

 しかし行為に耽ったら学校に行く体力がなくなる。

 吸い尽くされるのだ。生命力すべて。

 文字通り腰が言うことを聞かなくなる。

 情けない。

 情けなさ過ぎて誰にも相談できない。

 なるほど。男をかどわかし、寵愛を向けずにはいられないだけの力を持っている。そして伝承がもし本当なら、俺はかつてファム・ファタールに溺れ身を崩した男達と同じ運命を辿るに違いない。

 断言しよう。手を出したら必ず、とびきり熱い夜になる。

 容姿の美しさ、ついつい気にしてしまう素直さ純粋さ。そして夜事の才能や、色事だけに留まらない多方面に向いた感性。世が世なら貢いで気を引かずにはいられない素質に満ちている。

 幸いなのはハルが辿ってきた道筋がそういうちやほや人生と無縁だったこと。もし誰かの寵愛に慣れていたら、俺の手には負えなかったに違いない。

 こいつは恋愛の夢をただ純粋に一途に俺に対して向けている。その俺が応えないから不満なのだろう。それを他で解消する気など一切ない。誰かに求められても断るだろう。

 そうとも。

 ただ、俺に触れてもらいたがっているだけなのだ。恋人同士のふれあいがしたいだけなのだ。

 わかってはいる。わかってはいるのだが。

 俺がどこかで一線を守らないと、ハルの許しと夢はあっという間に今の俺たちの関係を食いつぶす気がする。

 そもそも腰が限界を迎えてしまう。

 そうとも。

 考えてもみろ。いろいろと言い訳をしたが、特大の理由があるではないか。

 食いつぶすとかそれ以前の話があるのだ。

 そもそも、俺が学校に行けなくなってしまう。足腰が立たなくなって。

 おのれ玉藻の前、許すまじ。だがお前の知識をたどたどしく試すハルを見れているから許すしかないのである。忸怩たる思いだが仕方なし、許そう。

 そんなわけで俺は毎日体力トレーニングに勤しんでいる。

 理由はあまりに情けないから誰にも言っていない。元気有り余る彼女ときちんと向き合うためなんて。

 悲しすぎる。

 もちろん父さんから課された日課ではあるが、強度を増やしているのはひとえにそのあたりが理由だ。

 このままではいられない、いたくない。俺にも男のプライドというものがあるのだ!

 断じてもっと楽しみたいからなどでは……いや決してないわけではないが……しかし、ハルだからこそ頑張っている。

 落ち着け。

 まったく。つくづく因果な刀だな、玉藻の前。

 ハルの力の源泉、夢の先の結晶だから一概になんともいえないところが困る。

 折れない心、最強への渇望を担うのが十兵衞なのだとしたら、もう少しハルと玉藻の前に対して自己主張してやってほしい。

 それともあれか。

 剣豪もなんだかんだで色事が好きか。十兵衞の生きた時代が時代だから俺は不思議も特に感じはしないが。

 それとも呆れて物も言わないだけなのか。

 興味がなくて放置しているだけなのか。

 簡潔に言う。助けて欲しい。


「……ふんだ」


 よかった。尻尾の攻撃が和らいだ。


「あのね……メイ先輩にサプライズしたいの」


 不満げに話す彼女の言葉に相づちを打つ。


「サプライズ?」

「文化祭、最後だから。記念に残るようなサプライズ」

「涙が出るほど喜んじゃうようなノリか?」

「うん。何かないかなあ」

「まあ、そうだな。花束は卒業式があるから早すぎるし。みんなで盛り上がるのが一番いいんじゃないか」

「それは……そうだけど。もっとこう、一緒にいてくれてありがとうって伝わることがしたいの」

「素直に言うだけじゃだめなのか? きっと喜ぶと思うが」

「そうだけどー!」


 不満げだ。ぱたぱた揺れる尻尾を押さえて櫛を入れる。

 白面金毛九尾。その尻尾は常に艶めいて輝いている。元の美しさもさることながら、その輝きは磨くことに手抜かりのない俺の手入れのたまものである。


「大人しくしているような人じゃない。お前が他の一年二年の部員と歌でも歌ったら、今度は乗っ取り返されると思うが」

「……でも、やっぱりそういうのがいいかなあ」

「ベタだが王道。王の道とは、つまり勝利への道だ」

「……ん」


 嬉しそうな顔をして俯いた。どうやらサプライズの件は心が決まったようだな。よしよし。


「あとね。中学の頃の友達がきそうなの。ほら、ニュースやったから、それで知ったみたいで」


 まだあるのか。それもかなり悩ましいトーンだな。


「高校は士道誠心に行くって言ってなかったのか?」

「……積極的に一緒にいたくないし」

「嫌いだったのか? いろいろあって、ぼっちを気取ったが……けど、縁は確かにできていた。そういう認識だったが」

「……複雑なの。良い子はたくさんいるけど、ばちばちした子もいるし」


 意外だな。人とみれば仲良く付き合う才能がお前にはあるように思っていた。ぼっちというが、それはたんに自分の見せ方が特殊すぎたせいで、それ以外に特に問題はなかったように思うのだが。

 俺の疑問に答えるようにハルはぽつぽつと語った。


「オタクなノリとか、変なノリとか絶対無理、生理的に拒否って子がいて。その子がカーストトップだったから。クラスの女子はだいたいその子に逆らえない、みたいな……あるじゃん」

「……まあ」


 女子と男子とでは、そのあたりノリが少しだけ違うが。わからないでもない。


「長い聖戦だったの」


 高校になってもさらりと聖戦なんて単語がでてくるあたり、なるほど揉めそうだな。


「その子が来たら怖いし。来なかったら来なかったでもやもやしそうです」


 今日の不機嫌の理由は夜への期待が裏切られたことだけじゃなく、ここにもあったわけか。

 不機嫌と言うよりは、不満だな。


「お前なら乗り越えられるさ」

「……ほんとかなあ」

「今のお前はひとりぼっちじゃない。俺がいて、仲間や佳村がいて。最近はそこに山吹も増えて。沢城たち一年生代表や、他にもラビたちお助け部の部員もいる。真中先輩たちとの絆もある」

「……うん」

「いろんなものを手に入れた。お前らしく頑張ってきたからだ。その成果は絶対にお前を裏切らない」

「……ん」


 尻尾を丸めてよけて、俺に身体を預けてきた。

 甘えるように膝上に跨がって抱きついてくる。

 背中に腕を回して、腰を支える俺を彼女は熱っぽい視線で見下ろした。

 間違いなく、発情している。膨らんだ尻尾が露骨にそれを示している。


「ハル?」

「……勇気、ほしいです」


 しまった。吸い取られる。

 微笑みを浮かべて、片手をハルの頬に当てた。そっと引き寄せて口づける。


「――……」


 甘えた声が蠱惑的な響きで俺の理性を溶かしにくる。

 けれど応えるわけにはいかない。そっと唇を離して囁く。


「頑張れ」

「……これだけ?」


 露骨に物足りない顔をする。それでもここで微笑みを崩してはならない。


「あまり頻度が高いのもな。お前のお母さんに申し訳ない」

「……カナタのけち」


 途端にぶすっとして、俺から離れるついでに尻尾で顔を叩いてくる。九本分すべての叩きを甘んじて受け入れた。

 布団に潜り込んで丸まる彼女の不機嫌にため息を吐く。

 ハルと一緒に寝るようになってベッドの心地よさが増した。

 けれど同時に自分の欲を理解したりもする。

 ――……俺だって、お前としたい。

 籠の鳥のようにお前を繋いで。

 けれどそんなことをするまでもなく、お前は俺に夢中でいてくれる。

 大事にしたいんだ。だけど二人で寝ると、たまらなく破壊したくもなる。

 その衝動と向き合うのが怖い。愛するだけでなく欲望をぶつけそうになるから怖い。

 きっとその時がきたら、お前は笑って俺を受け入れるだろう。だから、余計に怖い。


「おやすみ」


 櫛を片付けて、電気を消す。

 押し入れから掛け布団を出してソファに寝そべる。

 身じろぎする音が聞こえた。


「……なんでソファで寝るの?」


 寂しそうな声で聞かれると困る。いつだってごまかしてきた。ハルが寝てから移動した夜も数え切れないほどある。

 理由はただ一つ。俺だってハルとどこまでも愛し合いたい。一線なんて守っていたくない。そんな子供じみたワガママを制御しないと、何かを間違えそうで怖いからだ。

 そして明日の腰痛も怖いのである。


「お前に襲われそうだからな」

「もう! さすがに無理矢理はしないよ!」


 ぷんぷんしながら俺に背中を向けて、もう知らないんだからと言う。

 けれど数秒もすると、またまたふり返って俺を見つめてくる。


「もし……もし、私が無理させちゃうから、ベッド別とか。そういうことしたくないんだったら言ってよ?」


 思わず身体を起こした。

 誰の入れ知恵なのか。少なくとも学院の誰かではなさそうだ。

 俺以外にそこまでハルのことを把握している奴は刀鍛冶ですらいないだろうから。

 となると兄さんか。それともこないだの警察の関係者か?

 余計なことを、と思う反面、良い切っ掛けかもしれないと思い直す。


「ハルは……好きなのか?」

「ん……カナタに触られたり、そういうことするの、カナタだから好きだよ?」


 理性を殺しに掛かってくるな。無邪気な声で語られる甘い甘い夢の形。


「手を繋ぐとあったかい。キスをすると蕩けそう。身体に触れられるとどきどきする。カナタは……違うの?」

「いいや……同じだよ」


 内心で叫び声をあげたくなる。なぜ彼女はこんなに可愛いことを言うのか。

 布団を置いて、ベッドに移動する。

 腰掛けてすぐ伸びてきた彼女の手に自分の手を重ねた。


「繋がっていると、すべてが許された気持ちになるの」

「――……ああ。俺も同じだ」


 指先を搦めて。暗闇の中で穏やかな時間に愛を語り合う。


「好きだよ。ハル。だけど……俺たちにはまだ、タマモの熟練の技は早すぎる」


 真剣な顔で俺は一体何を言っているのか。


「でも……カナタ喜んでくれるじゃない」


 咳払いをした。よもや図星を突かれるとは思わなかった。


「してる時はいつでも全力だすし。カナタは楽しんでくれてると思ったんだけど……私、やりすぎてるの?」


 咳払いを二度した。喜んでいるか否かでいえば喜んでいる。たどたどしくしてくれるところにも愛しさを毎度感じて我ながらよく飽きないなと思うほどである。


「気持ちが伝わるならなんでもしたい。でも……それで避けられちゃうなら、しないか、ちゃんと考えるから……何も言わずに離れて寝るなんて、寂しいことしないでほしいです」


 穏やかな声で語られる悲痛な内容に俯く。

 しないなんて言わないで欲しい。それは困る。

 指先が何度も俺を求めるように手のひらを撫でる。


「カナタ……」


 言葉を求められている。

 もし仮に一度も経験がなかったなら逃げていたのだろうか。

 もし仮に俺が経験豊富だったなら、そんなことないと押し倒して愛を叫び合うのだろうか。

 わからない。仮定は決して俺に答えを与えてはくれない。


「全力でいい。俺も全力で応える。でもそれを毎日は続けられない。だって、お前とのそれは本当に凄すぎるから、刺激が強すぎる。本音を言えば、俺だって毎日したい」


 そのために日々トレーニングに励んでいるわけである。走って走って走り抜いている。


「ほんと?」

「ああ」


 もちろん頷くにやぶさかではないのである。


「……満足してくれてる?」

「俺は十分過ぎるくらいにな。お前は?」

「してなきゃ……求めないよ」


 自分の言っている言葉の意味をはたして理解しているのか。くらくらする。咳払いをした。


「でも繰り返すけど、刺激が強すぎる。溺れそうになるんだ。どこまでも剥き出しになって、いつかお前を傷つけそうで怖い」

「別に私はいいけど」

「俺が嫌なんだ」

「……わかった」


 でも、と彼女が囁いた。

 一緒に寝たい、と訴えてくるのだ。

 それについても答えを出さなければならない。


「お前が体育祭で踊ったあのドラマにでてくるハグデーみたいに、曜日で決めるとか。そういう方がわかりやすくていいのかもしれない。そうしたら、お互い我慢ができる。安心して一緒に寝ることができるし、我慢もしやすい」

「そもそも我慢しなきゃいけないの?」

「学校に行きたくなくなるくらい、頑張ってしまうんだ」


 いかん。つい気が緩んで本音を。修正せねば。


「俺たちの生活基板を揺るがすことなら、制限はしなければ」


 だめだ。もうはちゃめちゃだ。どうにもならないところまで素直に言ってしまった。


「……まあ、うん。そうかも」


 納得してない声だな。でも理解はしてくれたようだ。

 深く突っ込んできもしなかった。心底ほっとする俺である。


「でもじゃあ、なんで学校に行きたくなくなるの?」


 お前は話を聞いていたのか。というか、よりにもよってそこに引っかかるのか。

 何度も額にチョップを入れたい衝動をこらえて、それから羞恥心もぐっと堪えて告げる。


「だから。俺にとってお前はそれだけ魅力的だということだ」


 精一杯ごまかす俺である。


「……ならもっと求めてくれてもいいのでは」


 深く攻めてくる彼女である。

 いかんともしがたい攻防に俺は耐えきれなくなった。


「求めたら溺れてしまうと言っているだろうが!」

「あうち!」


 思わずチョップが。

 痛くないように加減は必ずするが、しかしいかん。


「うー。カナタの自己防衛めんどくさいです」

「自己防衛も含めて理性というんだ」

「もう少し本能で生きようよ。どっちもあっての人だよ?」

「本能に任せた結果、どうなる?」

「……私は明日ちゃんと普通に学校に行くよ?」


 どや顔なのに視線を外して言うハルを睨む。


「それはずるくないか」

「カナタが体力ないんだよ」

「この! 言わせておけば! というか、さては気づいていたな!」

「えへへー!」

「これならどうだ!」

「わっ、わっ!」


 抱き締めて抱え上げてやった。抵抗するハルがきゃあきゃあ声を上げて喜ぶ。

 首に腕を回してきたハルと口づけて、額を合わせて笑い合う。


「ねえカナタ。月が見たい」

「せっかくだ。隔離世にいって、お前の化け術で桜でも咲かせてみせてくれ」

「いいよ。お花見するの?」

「九月にな」

「お酒もってく?」

「飲まないし、飲めないだろうが。未成年だぞ?」

「てへ! じゃあジュース」

「ああ。それでいこう」


 うなずき合って、二人で出かける。

 夜遅く。もしかしたら今夜どこかで誰かが愛をかわしているのかもしれない。

 だとしても……俺たちは花見で構わない。

 今の俺たちの身の丈にあった愛し方を積み重ねて、理想に向かって走って行く。

 がむしゃらに進んでいけば、いつか辿り着くさ。

 その時は、なあ……ハル。溺れずに泳ぎ切れると思うんだ。

 俺は今からそれが楽しみなんだ。そう思えばどんなに足が重たくなっても走って行ける。

 彼女が出した幻の桜が花びらを散らしていく宵闇を眺めながら、俺は月を見上げた。

 ふと笑った彼女の髪に花びらがついていた。

 それを取って口づける。

 永遠のような一瞬が彼女とのふれあいにある。

 手放す気なんて――俺には毛頭ないのだ。




 つづく。

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