第二百三十話
お店で出された鰻丼は至福の味でした。
思わず尻尾も膨らむ私ですよ。鰻丼を運んでくれるお店の人がみんな、私たちを物珍しそうな顔で見ていたけれど。尻尾の印象が強いからしょうがないよね。
テレビでは激論が交わされていた。
侍ってなに、隔離世ってなに、刀鍛冶ってなに。
私の映像も繰り返し流されている。あれはそもそも人なのか。尻尾を生やした人間を許容していいのか。
怖い。気持ち悪い。あの尻尾なに。
登壇した芸能人や一般人の心ない言葉が放映されている。今も。聞いていると素直に凹む。
「――……世間は思ったよりも冷たいのさ」
ミケさんが呟いた。
そんなことないって言いたかった。少なくとも、商店街で出会った人たちはみんな暖かかったから。でも、テレビで流される未知への恐怖に対する偏見と心ない言葉を否定することもできない。結局、言い返せなかった。
「なあ、青澄春灯。士道誠心の生徒会長選挙の映像は見た。仲間は好きか?」
その問いなら頷くことに躊躇いはなかったよ。
「じゃあ……人は好きか」
次の問い掛けさえなければ、私は胸を張れていたに違いない。
でも、じゃあ実際はどうだろう。
テレビで繰り返し流される映像に、店の人の視線が私たちに集まっている。締め出されないだけ、鰻丼を出してくれただけましだと思うくらい露骨に注目されてる。
スマホを向けられて写真を撮られたりもする。
カナタの地元の商店街で体験しているから、即座に凹んだりしない。
ただ……ただ、これを笑顔で受け入れることの出来る胆力は私にはなかった。
膨らませてないと、すぐに萎んで内股に逃げ込んでしまう。尻尾は私よりもよっぽど素直だから。
「今夜、平成史上、侍にとって最悪の夜が来るね」
「ああ、間違いなく真っ黒な夜が来るな」
「そうね……最初で最後の夜かもね」
三人が楽しそうに笑っている。周囲の怯えや悪意なんてものともせずに笑っている。
この人たちを初めて怖いと思った。
そのありようが強すぎて。
メイ先輩やコナちゃん先輩とは次元の違う、人としてというのではなく戦士としての強さがこの三人には満ちあふれていた。
世界の変わりようが怖い。私が今いるこの場所が、怖くてたまらない。早くカナタに会いたい。
シュウさんは何を狙っているのだろう。
違う。こんなの一人に起こせる変革じゃない。
何か、巨大なうねりが世界を変えようとしている。女子高生の私には想像も出来ないような何かが。
アメリカから来た悪意でさえ至らなかった何かが勢いをもって、確かに世界を変えていく。
「月末の討伐まで生き延びる前にね。春灯……今日はあなたの真価を試したいの」
「アカネさん……?」
「青春の場に無事に戻してあげる。けど……あなたの資料と動画すべてに目を通して、緋迎シュウをはじめとする関係者全員で結論を出した。あなたの力に興味があるの」
鰻丼を食べるお店で切り出される言葉としては、それはあまりに重すぎた。
「出ましょう」
何も言わずに微笑むミケさんとシンさんが出て行く。
お勘定を置いて、アカネさんも。慌ててついていって、お店の外に出た。
駐車場に停めた車の周囲にはパトカーが停まっていた。腰に刀を帯びた警察官と一緒に士道誠心の侍候補生がいる。緊張した顔で周囲を見渡していた。
車の中に入ってすぐ、その魂は隔離世へと運ばれる。
すぐ扉の外に出た。道路に、そして空にね。
邪がおびただしい数いるの。隙間なくびっしりと。そんな光景を目の当たりにするのは初めてで、なのに三人は笑っていた。私を最初に車に乗せた時と同じように、楽しそうに。
何をする気なの。私はどんな動きに巻き込まれているの?
「隔離世について知らせた瞬間に、こうだ。空を埋めつくす邪の鳥はさしずめSNSの象徴かね。いやあ、情報社会は怖いよなあ! 今頃、お嬢ちゃんのご学友はみんな、こんな訓練になるなんて聞いてないと声高に叫んでいるだろうよ!」
シンさんが刀を抜いて吠えた。夜に響き渡る遠吠えにどこからか、同じような遠吠えが聞こえてくる。黒髪がどんどん伸びて、それは青白く煌めいていく。
「緋迎さんとの契約だ。露払いをして、お嬢ちゃんを会場へ警護するぜ!」
「え、え」
試したいことがあるんだって、とミケさんが呟いた。
刀を抜く。髪の毛が栗色に染まって、尻尾が一瞬で七本に増えた。周囲に漂う炎は青く、尋常ならざる力を感じる。
「ちびは高校生で未成年だからね。僕らの本当の初仕事は……春灯。お前の護衛だ」
誘われるように集まってきた邪が叫ぶ。あれは化け物だ。気持ち悪い。きっと嘘だ。なにが隔離世だ。
シンさんとミケさんが前を歩く。振るわれる刀は面白いように邪を切り裂いていく。
触手を、悪意をぶつけようと邪が叫ぶ。けれど二人の刀は私たちのいる領域への侵略を許さない。圧倒的だった。
「さあ、いこう。道すがらオレが説明するよ」
「アカネさん」
「殿はオレ。さあ、進んで」
「は、はい」
どっちみちここで足を止めているわけにはいかない。
刀を抜こうとしたら、その手をアカネさんに止められた。
「まだ、だめ。君の力を発揮する場所はここじゃない」
「え――……」
なんで、と思った瞬間にはもうスイッチが切り替わっていた。
「何をさせる気じゃ?」
タマちゃんだった。タマちゃんが私の代わりに聞いていたんだ。
けれどアカネさんが私の額に指を当てて何かを囁いた瞬間、なぜか切り替わったスイッチが戻される。
「あ、あれ?」
「それも引っ込めておきなさい。本来はあまり表に出すものじゃないの。焦らなくても説明してあげるから」
こんなことされたの初めてだった。私の変化に気づく人がいたのはカナタ以来だ。
でも切り替えられたのは、やっぱりこれが初めてで。私の知らない世界に、この三人は立っているんだと思った。
交わる今がひょっとしたら奇跡で。一瞬で終わるだけの出会いなのかもしれない。
だとしても。シュウさんが交わらせてくれたのなら、その理由を知りたくなった。
「私は何をすればいいんですか?」
「強い子ね。それに前向きな子。好きよ、そういうの」
私の頭を撫でて、アカネさんもまた刀を抜いた。
後方から飛んできた鳥の邪は、けれど不可視の壁にぶつかって炸裂するように弾けて消えた。そんな攻撃見たのは初めて。それはつまり、刀にはまだまだ私の知らない未知の領域があるということに違いなくて。
「金色が世界を変えられるかどうか試したい……ううん。違うな。オレたちの応援をしてほしいんだ。だからキミに歌って欲しい」
「え――」
二人の向かう先を見た。そういえば、ここは渋谷で。
歩いていく先には代々木がある。代々木で、歌。ま、まさかねえ?
「う、歌って何を?」
「選挙の時の歌でいい」
「……どこで?」
「体育館で」
や、やっぱりあそこなのー!
「ち、ちなみに最初に言った何かを変えるつもりって、一体なんなんですか?」
恐る恐る尋ねた。変えるからには対象は観客なのだろうけど。
その相手はなんなのか。アカネさんは素敵な笑顔で仰いました。
「邪の霊子ね」
「え!? そんなことできるんですか?」
「どうかな。まあ……それはあくまで実験。今日は体育館でライブもイベントもないみたいだから、周辺に警護や討伐に来ている仲間に届くように歌ってくれたらいい。無線繋ぐから、景気づけにね」
「……それだけ?」
「まあ強いて言えば、現世に中継して日本中の邪を集めるつもりだけどね」
「ええ!? そ、そんなの死んじゃうのでは?」
「なにいってんの。オレたちが絶対に守るよ……だから安心して」
「は、はい」
歌うくらいでいいのだろうか。
不安に思いながらも頷いてみたけど。
聞き間違えかな。
「――……」
「……アカネ、さん?」
「オレたちのために歌ってよ、春灯」
かろうじて頷く。でも。でも。
きっと、誰も無条件には人を愛せないでしょうから。
確かにそう、アカネさんが呟いた気がしたんだ。
◆
体育館の中に入る。
一度だけアイドルのライブで来たことがある。中央に横断できるように設置された歩道はなくて、ただの体育館状態です。
周辺にはギンやトモ、シロくんだけじゃない。メイ先輩やルルコ先輩をはじめ、士道誠心でも指折りの攻撃力を誇る候補生が集められていた。そして警察の侍たちも大勢いた。
まさにここが本丸かのように。
体育館の中で待ち受けていた人がいた。シュウさんをはじめとする、警察所属の侍や刀鍛冶の人たちだ。あと研究者っぽい人も何人かいる。
ホールに設置されているのはいろんな黒くて大きな箱とパソコンで。中央に設置されたマイクが私のための舞台装置なんだろう。
呼び出したと思うシュウさんはいろんな人に指示を出すのに忙しくて、厳しい顔でずっと誰かと喋り続けていた。居場所がなくて落ち着かない気持ちでいたら、アカネさんが頭を撫でてくれた。
「落ち着いて。警察でも指折り、日本最強の侍集団こと零番隊とオレたちがいる。春灯の仲間もいるから、大丈夫」
「アカネさん……」
「歌えそう?」
「……なんか、そういう空気じゃないですけど」
「プロの歌手になれっていうんじゃない。カラオケ気分で構わない……それなら、どう?」
「……ううん」
「不安だよね。みんな、あなたの歌を期待しているって顔してないからね。でも、そんなことない。みんな怖くてたまらないだけ」
マイクのコードの向かっている先にはテーブルがあって、パソコンがあって。睨んでいる研究者さんが忙しなく隣の人と話している。霊子がどうとか、拡散するためにはどんな方法がいいか、とか。
それにね。見渡していて気づいた。いろんなところにカメラがある。まるで録画するための装置です。本当に生中継するんだ……。
「人は突然、その真価を理不尽に問われることがある……あなたの場合は、今」
「……真価って、そんな」
不安でたまらない。尻尾が内股に逃げ込んでくる。そんな私のお尻をミケさんが尻尾で叩いた。結構容赦ない力加減で、思わずびくっと飛び上がっちゃった。
「ここにいる連中はどうか僕はしらないけどね。間違いなくこの僕はお前に関してあの歌を歌って欲しいと思ってる。気に入ったからね。こんなこと滅多にないんだぞ? いいか! 聞かせようって気がないなら外行くからな!」
ちゃんとやれよ、と私を睨んでそっぽを向く。
な、なんだろう。励ましてくれたつもりなのかな。だとしたら素直じゃない。ちょっと笑っちゃった。笑えるなら、少しは大丈夫かもしれない。
「ミケは素直に励ませない奴だなあ。まあ許してやってくれよ」
「シン、まじでうざい」
「はっはっはっ」
シンさんが笑い声をあげてミケさんの肩を抱く。そして私を見つめて言うの。
「お嬢ちゃん。あんたの声は愛らしくていい。元気いっぱい歌ってくれよ」
そんなのでいいなら、と頷いた。邪を変えるとかよくわからない。でもみんなの声援代わりになるなら、頑張ってみる。
深呼吸をして、それから頬を叩く。
「よし」
周囲を見渡した。いろんな大人がいる。体育館の中にいる子供は私だけ。
切実に思う。大人はみんな勝手だ。
大人は戦っている自分たちの空気を子供に浴びせる瞬間がある。大人の中にはそれをなるべく見せないようにする人もいる。
けどそれは難しいことだ。
子供で例えるのなら、親に学校の話をするようなもの。何気なくやれちゃうことだ。制限するべきかどうか、そもそも内容による。ケースバイケースだ。
結論。子供だって勝手だ。だからそれについて考えてもしょうがない。
切り替えよう。
私は大人の世界に引っ張られてここにいる。けどシンさんたち三人は可能な限り、私の世界で振る舞えるように気を遣ってくれている。
それくらいなら……私でもわかる。
歌って欲しいって言葉を疑う必要なんてないんだ。なら、あとはもう歌いたいかどうか。それだけだ。
「予定通り邪がこちらに向かってきているんだな。だとしたら予定通りみんなの意識は彼女に向いたわけだ。なら都合が良いな――……すまない、青澄くん。挨拶が遅くなった。また会ったね。来てくれてありがとう」
やってきたシュウさんがおうちで見せるような少し疲れた笑顔で話しかけてくれた。
大人の顔で話そうというんじゃなくてほっとする。ひょっとしたら、シュウさんなりに気遣ってくれたのかもしれない。
「君の霊子は周囲の願いを具現化して塗り替える可能性がある。邪に作用したらどうなるのかを実験して、うまくいったのなら邪について新たな可能性が見えてくる……というのが今回の趣旨だ。相変わらず事後説明ですまない」
「いえ。何か事情があるんだと思うので」
「すまない。今日は……君を利用している。広告塔として、私では限界がきていた」
本当に悔しそうに頭を下げるの。そこまでしなくていいのに。
「どうやっても今朝の発表を先延ばしにできなくてね。正直、士道誠心の生徒会長選挙の映像を見た我々は藁にも縋る思いで君が歌った時の力を求めている。情けない大人ばかりで申し訳ない……これはこの場にいる全員の総意だ」
苦笑いは素直な気持ちの表れなのかも。気づけばみなさんが私を見て、痛々しい……申し訳なさそうな顔をしていた。
「それでも……君の歌を背にしてなら、立ち向かえると。そう心に決めている」
シュウさんの瞳には光が宿っていた。
他のみんなも同じだ。輝いている。気持ちを注がれているんだ。私は、いま。みんなに願いを向けられている。
それを見て、心は決まった。
「私、やります」
なんとかしたい。力になりたい。歌が応援になるのなら、全力で歌いたい。
素直にそう思えた。だからやるよ。それだけで十分だ。
「君の歌は愛らしくて元気をくれる。弟たちだけでなく、私たちにも聞かせてくれるかな。戦うみんなにも届けて、力をあげたいんだ」
「はい、がんばります!」
シュウさんを見たらわかる。この人の心に何度だって向き合ってきたから。
彼の言葉にはちゃんと気持ちが込められているって伝わったよ。
すっきりした。頷いて、マイクのそばに立つ。
「――周辺で戦闘が開始されました!」
「全力で彼女を守れ――音楽開始!」
メイ先輩が二曲目に歌ったあのロボットアニメみたいな状況になってきた。
ああ、すごいなあ。
みんなが刀を抜いて、いろんな入り口からなだれ込むように入ってくる邪に立ち向かっていく。こんな状況の中で、アニメに出てきたあの子たちは歌ってるんだ。
不思議。お父さんにすべてのシリーズを見せられたけど、ずっと不思議だった。なんで戦ってる人がいるのに歌うの? 銃を取って撃てばいいのに。ロボットに乗って戦えばいいのに。どうして歌うの?
最初のシリーズはわかりやすかったよ。文化を知らない人に歌を歌うと、なんだこれ!? ってパニックになっちゃう。その効果はなんとなくイメージできた。
7がついたシリーズになったらもう、だって。歌うと出るレーザービームってなに。あの人が戦場に出て歌う理由が結局ちっちゃい頃の私にはまるでわからなかった。でもあの人が一番生き方に素直だった。
思うの。
どのシリーズの子もみんな、歌が主軸にある子たちだった。
生きることは戦いだ。
戦う方法があの子たちの場合は歌だった。それだけなんだ。
いろんなアニメを見たよ。お父さんと一緒に。
みんななにかと戦っていた。アニメが私を育ててくれた。
ずっと憧れていた。あんな風に、私もがんばってみたいって思っていた。
私も魔法やすごいパワーで戦ってみたいと思っていた。
「――……」
歌いながら考える。私のパワーはなんだろう。
私は折れないっていう妄想だけできつい現実を生き抜いて。
刀を手にして、妄想は現実になった。
振るえば邪念を払う刀。御霊によって力を手にして、容姿が磨かれて。
だけどそんなの現象でしかない。現象ならもっといいことたくさんある。
友達ができた。仲間ができた。恋人ができた。
目の開いた時に見る夢なんて言わない。
でもずっとひとりぼっちだった私には毎日が夢みたい。
ある日の朝に目覚めたらすべて嘘でした。そんな夢オチになっても不思議じゃないと心から思えるくらい……過ごす日々すべてが士道誠心に入ってずっときらきらしてる。
私の軸はなんだろう。
タマちゃんと十兵衞にこめられた願いは私の妄想を軸にできている。
なら、じゃあ妄想なのか。
黒歴史から始まってすべて、妄想で。
それが現実に通用するアーティファクトが刀なら。
二本の刀が示す私の心はなにでできているんだろう。
「――……」
シュウさんが戦っている。シンさんたちも。他の侍も。きっと外で仲間がみんなで戦ってる。
空を駆ける邪が天井を破ってくる。鳥の邪が異常に多い。なぜなのか。
刀鍛冶の人がみんなで力を合わせて体育館の形を変えて、天井を開いた。代わりに足場ができていく。その足場を侍たちがのぼっていく。
手を伸ばした。刀は二つ、腰にある。抜けば私も戦える。
でも、どうだろう。
私は戦いたいからこの二本を抜いたのかな。
「――……」
ずっと自問自答ばかりしてる。
士道誠心に入ってからはもう、ずっとそう。
自分の心といかに向き合うのか。
刀が心なら、自問自答こそ侍に必要な心構えなのかもしれない。
そっと自分の心に問い掛ける。
私はどうしたい?
いつもならすぐに答えが出る。なのに今日はからっぽだ。
どうしてかな。
ずっと心の中にあったはずの黒い情念は見当たらないせいかな。
あれが一番手っ取り早かった。私の中のスイッチだった。
クレイジーエンジェぅ。
今思うと恥ずかしすぎる名前だ。
私の痛みと妄想の象徴。
あれさえあればいつだって、軸を持てていた。
二本を抜いた理由にもなるはずだ。
折れない。決して。その信念こそ最強で、最高に輝く美しさなのだと。
なのに不思議と今はスイッチが見当たらない。
『エンジェぅは金色なんだね!』
ツバキちゃん……どうだろう。
私が本当にすごいなら、歌うだけですべてが輝くはず。
『みんなを輝かせられる侍なんだ!』
できるかな。
それができたら、アカネさんの言うように邪さえも輝かせられるんだろうけど。
邪を輝かせる……そんな必要あるのかな。
あんな、気持ちの悪い……誰かを傷つける存在を輝かせなきゃいけないのかな?
『光そのものなんだね!』
違うよ。私の中にはやっぱりまだ、真っ黒な気持ちがちゃんとあって。
それは染みのように私を曇らせる。
テレビの映像が頭にちらつく。「怖い。気持ち悪い。あの尻尾なに――」
目玉だらけの邪の邪念が浮かんで離れない。邪。いつだって気持ち悪いと思ってきた。最初の邪は特に最悪だった。トモと二人で震え上がったのなんて、今じゃ笑い話だけど。
わかってる。みんな、暗くてしんどい気持ちを抱えて生きてる。
その極地が邪なんだ。
きらきらしてるように見えても、吐き出される邪もまた人そのものなんだ。
『無条件には人を愛せないでしょうから』
アカネさんの言うとおりだ。
それができたらもう……きっと、それは人じゃない。神だと思う。
だから……私には条件が必要だ。
人でいるだけでは乗り越えられないなら、乗り越えるための何かが必要なんだ。
「――……」
見上げる。みんなが戦っている。
歌っているだけの私を守ってくれている。少しでも応援になっているのかな。なっていてほしい。
研究者の人たちは真剣な顔でパソコンとにらめっこしてたり動き回ってる。
何かを願って、すぐそばで戦いが繰り広げられているのに逃げずに頑張っている。
誰も諦めていない。
すごいなあ。すごい。
なまじ刀があるから、余計に思う。戦えるのに、私はただ歌っている。
歌うだけの方が何倍も怖い。
みんなに命を預けなきゃ全力で歌えないから。
きっと研究者の人たちも同じだ。
みんなに命を預けて、私の歌を応援に変えて何かに懸命に取り組んでいる。
私たちの命を背負って、侍たちが戦っている。
信頼の光が確かにきらきら輝いているんだ。
ああ――……
「――……」
その姿が輝いていなければなんなのか。
きらきらするのも人なら、邪を吐き出すのもまた人だ。
先陣を切って戦うシュウさんの背中を見つめる。
一度はとてつもない事件を起こした、それでも最強の名を背負って戦う男の人の背中を。
責任も中傷もなにもかも、矢面に立って引き受けている男の人の背中を見つめるの。
彼のことが嫌い?
……ううん、大好きだ。
シュウさんも。そのシュウさんを一時は憎み、けれど愛したカナタも。
大好きだ。
私にだってだめなところがたくさんある。
だけどカナタはもちろん私の友達も、仲間もみんな……それを認めて、ひっくるめて大好きでいてくれる。
きらきらだけを愛するのは――……子供そのものじゃないか。
「――……」
わかってた。
小さい頃からずっと、わかっていた。
みんな、自分の好きなようにしか世界を見ない。人と付き合わない。それが普通だ。
ちょっとでもいやなところを見たらすぐに嫌う。石を投げつけるように攻撃する。
それが人だ。ずっとずっと昔から気づいてた。
否定の幼さが、私は嫌いでしょうがなかった。
いやなところなんて誰にだってなんにだってあるのに。
自分だけは許して欲しくて、だけど自分以外のすべては許せないなんて。
そんなの、自己中心的で最悪な自分勝手だってずっと思っていた。
自覚したくなかった。
私にだって、そういう部分があるかもなんて。
だって……私も否定してる。
そういう風になっちゃった人たちを心の中で否定してる。
私だって……石を投げている。
「――……」
石を投げる……刀を振るいたい理由は一つだ。
怖いから振るう。いつか切っ先が自分に向くかもしれないから。
誰かを傷つけてしまうかもしれないから。
だから振るう。投げつける。攻撃する。そして傷つけ合うんだ。
否定は傷しか生まない。痛みしか生まない。
否定が生み出す負の連鎖はきっと、永遠に終わらない。
戦いは永遠に終わらないんだ。
「――……」
でも――……でも、私、いま歌ってる。
これが私なりの戦い方になるのなら。これがもし、私のパワーになるのなら。
歌って誰も刀を振るわずに済むように、願うしかないじゃないか。
結局、願わなきゃ先へは進めないんだから。
そうだよ。世間が冷たいから、なに? あっためれば済む話じゃんか。
「ふう。だめだめ。これじゃちっとも先へは進めないよ」
小さく呟いてから、思い切り笑ってみせた。
研究者の人たちが私を見て赤面してる。おかしいよね。そんな空気じゃないのに。
でも私の笑顔に赤面してる。なんか可愛い。
「えへへ」
こみあげてくる。心がぴかっと輝いたんだ、確かに。
そうだよ。笑ってこう。
肩肘張って歌って何が楽しいの?
珍しく道徳的なこと考えてるけど、そろそろよそうよ。
それじゃ頑張れないよ。どうやら私はそういう風にはできてないみたいだ。
だからもうやめよう。
くたびれたよ。
これじゃ戦ってるみんなみたいに輝けない。
みんな戦って、背中を預け合って。最高にかっこいいよ?
そんな中で私、歌ってるんだよ? ばかみたいに、全力で。
変えられない世界の仕組みを相手にしてさ。
考えてみてよ。
永遠に終わらない世界の仕組みが相手だ。
人のネガティブなんて尽きない敵を相手に全力で立ち向かうなんてさ。
そんなの、最高に燃える展開じゃない!
しかもその方法が歌だなんてさ! もうおかしいことこのうえなくてさ?
お父さんに話したら目を輝かせて聞いてくれるに違いないよ!
「――……」
気づいてたよ。
コナちゃん先輩を好きな理由……あの人は、嫌だと思った相手も抱き締められる。その優しさこそ、人の理性であり知性なのだと私は信じてる。だから私はコナちゃん先輩がきらきらしてると思うの。だから大好きなんだよ。
メイ先輩だってそうだ。コナちゃん先輩の背中を押してくれた。ラビ先輩の背中さえも押した。その優しさが大好きでたまらないの。
誰の心にも巣くう邪をいかに愛せるのか。その力こそ、金色なんじゃないか。
許して認める力こそ、本当の強さであり優しさなんじゃないか。
「ルン、ピカ」
最新シリーズのリンゴ娘ちゃんみたいに呟いてみる。私はゴリゴリいけるかな。いっちゃおうよ、悩むくらいならどこまでも!
すべてをひっくるめて、どこまで楽しめるか。
それこそが輝きなんじゃない?
メイ先輩もコナちゃん先輩も輝いてたよ?
私だって輝きたいよ!
ならもっとちゃんと、あの二人とツバキちゃんの凄く良いところを認めてみよう。
たとえばコナちゃん先輩なら劇場モードのように。
メイ先輩ならどこまでも激しく突っ走るように。
ツバキちゃんならきらきらの目で私を一途に見つめてくれるように。
みんなそうやって輝きをくれたよ。
なら私だって、刀を振るわずに済むくらい凄い輝きを掴んじゃおうよ。
私自身の輝きを掴むんだ。そしてもっとみんなを輝かせちゃおうよ。
たとえば、ほら。
私の歌で。
今ならもうだって、これしかないじゃん!
『きらきらしてた! ステキだったよ!』
そう言ってくれたツバキちゃんの言葉にいつだって願いが満ちあふれていた。
ツバキちゃんは私に願いを託してくれていた。
私を願いに変えてくれていたんだ。
いつだって否定しない。ツバキちゃんは私を肯定してくれる。心から、素直に、純粋に。
その力の凄さを、私はいつだって感じてきたじゃないか。
私はずっと自分の妄想を肯定し続けてがむしゃらに生きてきた。それをツバキちゃんに教えられて、しかも肯定してもらったんだ。
ただ、かっけえから。
それだけの理由で。私は確かに救われたんだ。
理屈じゃ人は愛せない。
魂で愛してなんぼのもんでしょ。理屈はいつでも後からついてくるの。大事なのは気持ち。
ハートだ。
まるでそんなの、歌そのものじゃないか。
じゃああれか。
ツバキちゃんは私に歌をくれてたのか。そんな考え方、まるでさっき考えた7がついたシリーズのあの人みたいだ。
わかっちゃった。そっか。
ツバキちゃんの私を純真無垢に信じてくれるハートに、いつだってきらきらもらってたじゃないか。
ああ。歌いたいなあ。
もっともっと楽しく歌いたいなあ。じゃあいいか。歌っちゃおうよ!
残りはもっとめいっぱい巻き込むくらいに歌っちゃおう。踊るのもいい。タマちゃんがいるからなんとかなるよ。
『おう、どんとこい!』
笑ってから、めいっぱい息を吸いこむ。
そんなロックな歌じゃないことは百も承知。
それでも、あのアニメの子たちに負けないくらい全力で叫ぶ。
「私の歌を聴けええええええ!」
ツバキちゃんはいつだって、私に輝きを教えてくれていた。
私が認められない弱さを輝かせるあの力こそ、私の願いそのものなんだ。
肯定する力。前へ前へ、背中を押す力。
コナちゃん先輩とメイ先輩が選挙で私にきらきらしながら教えてくれた力だ。
憧れたの。夢を見たよ。ああなりたいって思ったの。
なら願っちゃおう。罰は当たらないよ。
求めよ乙女、さらば与えられん!
「――……」
夢が隔離世にあるのなら。
二人の先輩のようにどこまでも突っ走って楽しんじゃうパワーを、私に。
ツバキちゃんがいつでも気づかせてくれるきらきらのパワーを、私に。
世界を巻き込んで劇場にしちゃう輝きを、私に!
何があっても背中を押せちゃう強さを、どうか私にください!
『勢いのままに、未来を見据えろ!』
『妾たちで魅せてやろうではないか! そなたならその強さは既に手にしておるのだから!』
金色が吹き出していく。
私の軸が見えたよ。
確かに前は私自身の漆黒を……弱音を、邪を金色に輝かせたかった。
でも今は違う。
ツバキちゃんが教えてくれた。私はみんなを輝かせる光になるんだ!
よかった。
ツバキちゃんに出会えて、本当によかった。みんなに会えて、本当によかった。
もっともっと好きになっていくよ。毎日がその積み重ねなんだよ。
カナタ。ツバキちゃん。トモやノンちゃんたち。コナちゃん先輩やメイ先輩、先輩たち。家族やコバトちゃんや、みんな。今日であったシンさんたち、みんな。商店街の人も。
出会った人、全員!
もちろん、タマちゃんも十兵衞も!
みんな大好きだ。大好きなんだ!
邪くらいなんだ! 否定がなんだ、悪意がなんだ?
私が全部まとめて愛して金色に塗りかえてやる!
さあ、いけ!
「――……」
さあ、刀を下ろして。
私の歌を聴いて、みんな金色になれ――!
「――……」
私の願いに応えてどんどん金色の霊子が空へと駆け上っていく。
侍の刀に触れて煌めいていき、邪の身体に触れては溶かしていく。
みんながいつしか刀を下ろして、空を見上げた。
輝く金色の空を。
それは世界に広がって降り注いでいくんだ。
身体中から一気に何かがこそげおちていく。
まだ歌い終わりまであるのに、もたない。急速に私の大事な何かが燃え尽きていく。
どんなに心を燃やしても、燃料が尽きる速度の方が圧倒的に早かった。
膝が折れそうになった。
やっぱりアニメの子たちみたいにはいかない。あの子たちは凄い。空から落ちても、死んじゃうかもしれない状況でも、命を吸われたって最後まで歌い続けるんだから。
『それで終わり?』
私に笑いかけるコナちゃん先輩とメイ先輩の……二人の背中が見える。錯覚だとわかってる。
それでも置いていかれちゃう気がして――……そんなのいやだった。
私は軸を見つけたばかりなの。
折れない軸を、輝く私の心をちゃんと見つけたばかりなんだ。
ここで折れるなんて、絶対にいやだ!
命が枯れてもいい。死ぬまで歌い続けてやるんだ!
「――ッ」
タマちゃんを抜いて胸を貫いて大神狐モードでいこうとした。
「それ以上はだめ」
私の手をアカネさんが止めた。曲が終わっちゃうよ。歌いきれずに終わってしまう。
喉から声が出なかった。ひゅう、と掠れた息が出るだけだった。
だから確かに、間違いなく……それ以上いったら、戻ってくることができなかったに違いない。
視界が揺れて、一瞬で床が迫ってくる。
「青澄くん!」
倒れ込む寸前で駆け寄ってきたシュウさんに抱き留められた。
お尻に感じる尻尾の感覚は既に一本だけ。いつの間にか弾けてしまっていた。ふり返るとくすんだ尻尾が見える。
ああ、これが今の私の限界そのものだったんだ。
悔しい。悔しいよ。もっと歌いたいのに。私の何かが絶対的に足りないなんて。
「うた、うたわなきゃ……」
「いいよ。もう。今のあなたがそれ以上踏み込んだら本当に死んでしまう。みんなが悲しむ……だからもう、いい。それこそ……銀河の果てまで響いたよ」
優しい声に瞼を伏せる。涙が頬を伝い落ちていく。アカネさん……オタクだったんですね……。
シュウさんが私の手に優しく触れた。
「力を抜いて……さあ、刀を下ろして」
気づかなかった。下ろしてとみんなに願った刀を、私は一生懸命持ち上げようとしていたから。素直に従うけれど、他人の腕みたいに不自由だった。
「君の夢の輝きは光そのものなんだね」
「……あ、う」
「話さないで……十分伝わったよ、君の願い」
シュウさんがすぐに霊子を注いでくれた。
カナタにとてもよく似た冷たくて澄んだ霊子が身体に満ちていく。すごく――……すごく、満ち足りた気持ちになっていく。
気づけば尻尾の色が金色を取り戻していた。
「シュウさん……」
「休んでくれ。選挙と今日の二度でもう十分過ぎる。本当に……ありがとう」
髪を撫でてくれる手つきの優しさに目を伏せた時にはもう、意識は深くへ落ちていったのだ。
つづく。




