第二百二十九話
あさりそばは絶品でした……。
少し寂れた通りにある地味なお店だなあと思ってすみません……!
心の底から反省しつつ食べたよ。あさりの粒がふっくら大きくて、これはもうね。私の中での中華街飯トップになるね。
他にもアカネさんがあれもこれも食べなっていっぱい注文しておごってくれました。
シュウさんもそうだけど、大人の男の人は景気良いなあ。もしカナタがこんな風になっちゃったらお財布が心配なのでやめてほしいけど。
「やっぱうめえなあ、ここ」
「食べながら喋るなよ。こっちに汁が飛ぶだろ!」
「でもうめえしなあ」
「ああもう! せめてこっちを向くなよ!」
シンさんとミケさんが盛り上がっている。シンさん、絶対にわかっていてミケさんにちょっかいだしてるよね。ミケさんも嫌なら席ずれたりすればいいのに離れない。
仲いいなあ。ほっこりしながら見ていたら視線を感じました。アカネさんです。アカネさんが食べる手を止めて私をじっと見つめているんです。
「な、なんでしょうか」
「んーん。いっぱい食べるキミが好きって宣伝を思い出してたの」
「……はあ」
ちょっと、よくわからないですけど。
「さて、ブリーフィングを始めましょう」
「おうよ」「ふん。さっさとしろよ」
アカネさんの言葉にシンさんとミケさんの顔が真面目にきりりとする。
私はもっしゃもしゃ食べてる最中だったので、あわてて飲み込みました。
咳き込みそうになった私にすかさずお茶をくれるアカネさん、天使。
「住良木グループからの依頼よ。緋迎から直接回してもらったわ。メディアの取材も入るから、最初にして特別花形らしい仕事になるわね」
「そういうわけで春灯、頼んだ」「頑張れ」
……え?
「ま、ままま、まって。待ってくださいよ、そんな、最初の仕事なんでしょ? 取材も入る仕事なんですよね?」
「「「 うん 」」」
「じゃあなぜに私!? た、ただの高校生ですよ?」
「この世に九本の尻尾を生やした奴がただの女子高生なわけないでしょ」
あ、アカネさん、それは確かにそうかもしれないけど。
「で、でも未成年ですし! プロかアマかでいったら疑いようのないアマですし!」
「けどネットじゃ話題になってるのよね。都内某商店街に現われる、アイドル狐娘……」
う。
「あなたでしょ?」
アカネさんが私に突きつけたスマホ画面には、あの海外ニュースサイトのライターさんがネットで広めた私の写真が!!!! 言い逃れできないくらいばっちり鮮明に写った写真が!!!!
くうっ。
「わ、わ……私です」
「ビジュアルがいいし。侍候補生として鍛えているあなたが退治できる、というだけで邪討伐に対する安心感を演出できるのよね」
「そ、それはいったい?」
「大人が束になって傷だらけになるくらい強い邪がテレビで流れるのと、女子高生がさくっと倒せる邪がテレビで流れるの……どっちがお茶間の人たちにとって安心かしら」
「そ、それは……後者なのでは?」
「はい、けってー」
「いやいやいやいや! だからってそんないきなりテレビとか!」
「でも食べたよね?」
「えっ」
「ご飯。食べたよね? これだけのメニューとなると……一万じゃ済まないわよ?」
「う、うううう!」
「払いたいっていうなら止めないけどぉ」
「ぐ、ぬぬぬ……!」
財布なんてそもそも持ってきてませんし! は、はめられた!
「言ったろ。ただより高いものはねえんだよ。まあ無料コンテンツ漬けのガキにはわかんねえだろうけどな」
ミケさんが心底呆れた声を出すけど、反論できない。
「代わりに働いてくれるっていうなら、きちんと給料は渡す。お嬢ちゃんには華があるからな……ぜひやってほしい。後の一本よりは気楽だろうしな」
「後の一本?」
「それはまた後で。とにかく頼むよ」
シンさんが笑顔で明るく言ってきた。縄で縛り付けて鞭を叩いて最後に飴! なんという恐ろしい三人組なのでしょう……!
「……や、やります」
「「「 よしきた 」」」
笑顔ですっと立ち上がる三人の背中を、私は心底恨めしい顔で睨みました。
これが序の口だなんて、この時の私は気づくこともなかったのです。
◆
品川駅近のオフィスビルに車を停めて、外に出ました。
取材陣がビルの前にいて、よくみればシュウさんたち警察の人に混じって、いつか住良木グループの研究所で見かけた研究員さんもいます。
「ほら、いくよ」
アカネさんに背中を押されますが、私は歩き出せません。
「こ、この格好で行かなきゃだめですか?」
「いいじゃん、めちゃめちゃ似合ってるよ。お嬢ちゃん」
シンさんが親指を立てて見せてくる。けど困る。
そうなんです。私、制服から着替えさせられています。
タマちゃんが好きな仕立てのいい着物姿です。テイストは花魁です。京都で花魁体験で写真を撮った時とそっくりな状態なんです。
中華街で食事を終えた私たちが最初に向かったのはここ、ではなくて。寄り道したのはミケさんが通う洋服屋さん。用意されていた着物にあれよあれよと着替えさせられ、アカネさんにメイクされた私はお人形気分ですよ。京都で体験した花魁さんにそっくりな状態です。ちなみに汚したらお金を請求する、とミケさんに厳しい顔で言われたので落ち着きません。
スーツの三人が歩き出し、放っておかれても困るのでついていく。するとシュウさんが取材陣に私たちを示した。一斉にカメラが向けられます。ひ、ひええ。生きた心地しない。
ぱしゃぱしゃ音が鳴る中で、手招きされるままにシュウさんの隣に立った。
「それでは皆さん、ご紹介しましょう。初の民間邪討伐会社の社員三名と、士道誠心学院高等部の侍候補生、青澄春灯さんです」
ひ、ひえええ!
ふ、フラッシュが! めちゃめちゃフラッシュが!
「何か質問は――はい、そちらの方」
「尻尾は本物なんですか?」
向けられたマイク。持っている人の目に浮かぶ好奇心丸出しっぷりが落ち着かない。
「ほ、本物です……こんな感じで」
左右に広げるように振ってみせた。それだけでざわめく。
けどなんでだろう。商店街でやった時よりも怖いと感じるのは。
私の怯えを敏感に察したシュウさんがマイクをそっと自分に引き寄せる。
「彼女は妖怪の刀を手にしています。その刀で現世の人を斬ることはできません。とはいえ、妖怪の性質だけを引き継ぎ、獣の耳と尻尾を生やしています。侍候補生として、日本でも指折りの少女ですよ。他に何か質問は?」
「どのような力が使えますか?」
「え、と」
思ってもみなかった。マイクの先には好奇心がある。でもその先にある何かが見えない。巨大なメディアの力に繋がっている。どう向き合えばいいのか、私の中に準備なんて何一つとしてなかった。
「それはおいおい機会があればお披露目いたします。今日は簡単なデモンストレーションですので、どうぞご観覧ください」
技術者の人に後はお任せしますといって、シュウさんは私の背を押してビルの中に引き入れた。警察の人たちも一緒です。
「ちょっと待ってください! まだ質問が!」
「ぜひうちの社についてもご質問ください」
「な、う……」
中へ押し込もうとする取材陣を止めたのはあの三人だった。
特にシンさんの迫力ったらなくて、詰めかけた人たちが勢いを失っている。
硝子越しに三人が取材陣を翻弄し、扇動し、挙げ句盛り上げている声が聞こえる。
尋常じゃない凄い三人だ。なんだかだんだんそれがわかってきた。けど、それでも。
「シュウさん……いつもそうですけど。今回も聞いてないことばかりです」
「ごめんね。キミにだけはつい……甘えてしまう」
甘いマスクで甘い声ですまなそうに言われるとだめ。無条件に許したくなる……!
「もう……いいですけど。なんで私なんです?」
「激しさのある強い侍ではなく……包容力のある優しくて美しくて高校生の侍が欲しかった」
「それならメイ先輩とかいますけど」
「真中くんでは侍として強すぎる。北野くんは奔放さゆえに向かないだろうし、南くんやバイルシュタイン嬢ならいいのだろうが、それよりも侍の特殊性を見せる意味で人外らしい特徴がある子がよかった。士道誠心でちょうどいいのがキミなんだ」
「……褒められているのです?」
「私なりにね」
微笑むシュウさんに頭を撫でられた。
でれでれしながら思う。なら、まあいいか。ちょろいね、私。
「あの三人なのは、どうして?」
「あれで手放すには惜しい人材でね。もし今後も付き合うことがあればわかるだろう。苦情があったら、アカネにこっそり言うか私に連絡なさい」
「は、はい」
「さて、そろそろ時間だ。彼らにも御珠のレプリカを渡してはあるが、今回は私が隔離世へお連れしよう」
シュウさんが懐から出した御珠を掲げる。
瞬間、身体から魂が引きはがされるような感覚を抱いた。まばたきして次の瞬間にはもう、隔離世にいた。
周囲を漂う淡い光の量子たち。ビルにいた人たちの霊子なのかな。
そしてふり返る。あの三人が対峙していたよ。取材陣たちの霊子に。
「学生で邪が発生する瞬間を見ることは滅多にない。よく見ていて、今から生まれるよ」
おいでおいでとするアカネさんへと、転ばないように気をつけながら歩み寄る。
「技術者によって、彼らにはモニターが渡されている。カメラは壁際に設置されている。カメラの映像を通して、彼らはいま隔離世を見つめている真っ最中なの」
「じゃあ……どこから邪が?」
「見てなさい、ほら」
アカネさんが指差した方向には取材陣の霊子があった。
その誰かの胸にヒビが入ったの。そして中から黒い染みが噴き出て、空に集まっていく。
それは歪な目の集合体になって空を浮かんでいた。
『すべてをみたい……みて、て、てててて、みて、みてええええ!』
がんがんと頭に響いてくる念は邪の叫びだ。
「他にも次々生まれるわよ」
アカネさんの言うとおりになった。冷たい声だな、と思っていたら、霊子から山ほど邪が生み出されていく。それらは同じ姿形をしていた。
『スクープぅうううう!』『逃さない! 見逃すな! くまなくだ!』『あの少女をとらえろ! ちょっとしたお色気も見逃すな! 現役女子高生だ!』
う、うわああ……。
すべての数え切れないくらいある目が私を睨んでいた。
好色の目。いつか入学前に見た、痴漢した人が私を見た目。
生理的な嫌悪感が身体中を支配する。怒りよりも、恐怖の方が強かった。
自分の欲のためなら他がどうなろうと構わないという、そういう目だ。あれは……怖い。
「人の欲、乱れた心の発現だ。住良木の技術はまだ視覚に限定されているところが救いだな。奴らは声が聞こえないから、自分たちがどんな邪を生んだかさえ理解しない」
シンさんは辛辣な言葉を吐いて鼻息を出す。
「この程度の邪なら処分できんだろ。おい、ちび! さっさとしろ! それでここの仕事は終わりだ」
「は、はい」
ミケさんの言葉に刀を抜いた。タマちゃんだけでいけそうだ。
でも着物姿でぴょんぴょん飛び回りたくない。裾が捲れてパンツが見えたら、この邪たちを喜ばせることになる。それはいやだ。何故だか無性にいやだった。
何か。何か手はないかな。
『ふん……力を貸してやらんでもない。妾もこれは好かん。一振りで片付けるぞ!』
うん! いくよ、タマちゃん!
跳躍して、全力で振るう。その端から狐火が燃え上がって邪をまとめて焼き尽くした。
それを見守っていたシュウさんがすかさず現世に私たちを戻した。
はっと我に返ると、私はシュウさんに片腕で身体を支えてもらっていたの。
「少し気が進まないだろうけど、日本で働く侍と、邪を不安がる人々のためなんだ。どうか……一言二言答えてあげて……頼めるかい?」
シュウさんの言葉に頷く。手を引かれて外に出た。
マスコミの人たちはみんな惚けた顔でモニターを見つめていた。
そして私を見つめる。いろんな疑問が頭の中を過ぎっている間にシュウさんは言った。
「彼女はそろそろ戻らなければなりません。協力者の彼らも失礼します。何か彼女に聞きたいことがあれば、どうぞ」
シュウさんの言葉に躊躇う空気が流れる中、勢いよく上がる手があった。
見てびっくり。カナタの地元の商店街で名刺をくれたアメリカ人のお兄さんだったから。
「青澄さん。あなたにとって、侍とはなんですか?」
すごくどきっとした。他の記者さんからでは決して出ない質問だと思った。
あの人はいつだったかファンだと言ってくれた気がする。優しい声での質問だったから、私は深呼吸してから答えた。
「隔離世には夢がたくさんあります。だけど危険もたくさんあります。その危険から、みんなを守る仕事……それが、隔離世に関わる侍と刀鍛冶だと思っています」
「なるほど」
記者の人たちの顔が変わっていく。惚けたものから真剣なものへ。
誰かが手を挙げようとするより早く、彼は続けて質問をしてきた。
「あなたはいずれ、侍になって何をしたいですか?」
「みなさんを守る手助けができればいいなと思っています」
「ありがとうございます」
お兄さんが微笑みと親指をあげてすぐ、シュウさんが私の会見を打ち切った。またね、と囁かれたの。
三人が私をそっとエスコートして離れる。追い掛けてこようとするメディアをシュウさんが呼び止めて、詳しい話をし始めた。
難しい政治の話になるのかもしれない。侍や刀鍛冶の資質とか、その有無による社会的格差とか、そういう。でもそんなの全部をまとめてどうにかするのが、緋迎シュウという存在なのかもしれない。
やっぱり、シュウさんはすごい人だ。
「あの人に任せておけば悪いことにはならない」
「敵がいないわけじゃないが、それよりよっぽど味方が多いからね……悔しいけど」
「オレたちもその筆頭ってわけ。さあ、車で移動しましょ」
アカネさんに促されるまま車に乗ってすぐに走りだす。
シンさんの運転は最初に比べて随分スムーズで丁寧だった。
なんでだろう。そう思っていたんだけど。
「……おい、ちび」
ミケさんがふり返って言った言葉がすべてだったのかもしれないね。
「お前、あんな御霊任せで戦って……霊子をもろに感じて、つらくならないの?」
「……つらいです」
思い出したくもない。あの視線たちの気持ち悪さを。今すぐ忘れたかった。
なのに身体にへばりついているようで、吐き気がしてきて。
自然に涙がこみあげてきた。なんで、私……こんなに動揺してるんだろう。
あのお兄さんがいなかったら、まともに話すことさえできなかったに違いない。
「心の受け止め方が素直過ぎるのね。そのまま生きているといずれ、ひどい大けがをする」
アカネさん……。
「強くならなきゃね。春灯、あなたさえよければいつでも鍛えてあげる。その方法も見えてきたわ」
「だな。ミケはどうよ」
「っせえな、シンに言われるまでもねえから!」
三人の声が優しくて暖かくて、なんだかそれだけで私の嫌な気持ちは吹き飛んでしまった。
「お世話になります」
深々とお辞儀をする私に三人は笑ってくれた。
「おうよ。じゃあまあ景気づけにうまいもんでも食いにいくか!」
「さっきはあさりそばだったからぁ、オレ天ぷらとかくいたい」
「なんでだよ。そばときたら次は鰻重だろ、シン! 鰻重くう!」
「あいあい」「ウナギじゃしょうがない」
いや。待って。流されそうだったけど待って。
「さっき夕ご飯食べたのでは?」
「だから次は晩ご飯だろ」
だめだ。これ以上せめてもどうにもなりそうにないよ。
「ち、ちなみにお金ないんですが、あさりそばとお洋服とセットで奢っていただく方向です?」
「さっきはちゃあんと働いたからな。まあ今度は見返りなしで奢ってやるわ。給料も出す」
「……本当にい?」
「なんかお嬢ちゃんが不審げなんだけど。アカネ、お前が苛めすぎたんじゃないか?」
オレじゃないよ、と言い返すアカネさんが「ミケが冷たいから」と流した。
ミケさんは涼しい顔で「甘やかす主義じゃないだけだっつうの」とつんつん返す。
「まあでも、強いて言えば……そうだな。食べ終わったら全力で守ってやるよ」
ふり返ったシンさんは、運転中に私を焦らせるためにみせてきたようなゆるい笑顔じゃなくて。
まるでタツくんやギンが獲物相手に獰猛に笑うような、凄絶な笑みを浮かべていました。
ど、どうしよう。認めなきゃ。
予想を遥かに超えた人たちと一緒にいる。きっと予想を超える出来事がこれからも待っているに違いない。
『ウナギを食べて考えるしかないの』
『ふむ……』
ウナギ食べたい。
けどこの三人といることで起きるかもしれない何かが怖い。
いったい大丈夫なのでしょうか?
ああっ、でもウナギが気になって仕方ありません……! 食いしん坊でごめんなさい……!
涎が出そうな私の耳に、誰かの声が聞こえた。
「美味い物食べないと……乗り越えられないかもしれねえからな」
その意味を、この夜知ることになると……私はまだ知らずに。
つづく。




