第二百二十五話
迫り来る狸星人たちと戦い、彼らが手にした地球爆発スイッチを奪い取って、でも「スイッチってなんだか押したくなるよね」欲求に抗えずに押したところで目が覚めました。
スイッチを押したはずの私の手は、カナタの指をふにふに押しています。
背中から抱き締めてくれているカナタの腕をそっとどけて、身体を起こそうと思ったけどまともに動かなかった。妙なけだるさを感じて、しょぼしょぼする目を擦る。
「んん……んぁ」
驚くほど鼻声になってる。すん、と鼻を啜ってすぐに気づいた。
喉がめちゃめちゃ痛いんです。
寒気を感じて布団に潜って、カナタの腕をお腹に戻す。
あかんこれ。風邪ひいてるやん。
深呼吸をする。やっぱり喉が痛む。ひりひりする。尻尾を動かすのも億劫。
夢見がおかしな時ってだいたい熱が出てる。今日はたぶんまともに動けない日だ。
せめて顔を洗ってしゃきっとした顔になってないと、カナタに見せられる状態じゃなさそう。
だけどだめだ。がんばれない。今日はがんばれない日だ。
「休んじゃおうかな……いやいや」
実家だったら間違いなくお布団はぎ取られて、風邪薬を飲まされた上で学校に行かされる。うちのお母さんはそのあたりは特に厳しい。怠け癖が一度でもついたら人はどこまででもさぼるということを本能的に知っているんだ。インフルエンザとかじゃない限り、休ませてくれない。お父さんもトウヤも私も、お母さんの怒りを買うのを恐れて頑張っちゃうからなあ。
でもここは寮だし、お母さんはいないわけだし。今日くらいは。昨日がんばったわけだし。いいんじゃないかなあ。
『軟弱者め』
タマちゃあん……。
頭にがんがん響くよ。今日ばかりはタマちゃんの高いトーンの声が頭にがんがん響くよ。
『まったく……おぬしが体調を崩すと、妾たちもしんどいではないか』
それはごめんなさい……。
実家じゃなくなってつい気が緩んだよね。うがい手洗いちょっとさぼってた節あるよね。
「……ん」
カナタが身じろぎして、ぎゅうと私を引き寄せる。
いつもならどきどきしつつカナタを起こして、ちょっと朝だけどカナタがきゅんとくるように頑張っちゃおうかな、みたいな。そんなノリになるところなんですけど……。
「ううん……」
今日はだめです。無理。圧倒的不許可。頑張った日には今日どころか明日もどうなるかわかりません。
カナタの腕をもう一度はずして、ベッドから起き上がる。
凄く重たい身体をなんとかなだめながら、箪笥からあたたかいトレーナーウェアを出す。ださださ無地の灰色ですけどね。お父さんが買ってくれた冬用パジャマ。
裏地はふかふか、なんとかなんとかっていうぽかぽかウェアです。なんとかなんとかってなに。ヒートテックだよ!
カナタと二人暮らしで使う機会なんて永遠にこないかと思ったけど、むり。だめ。少しだけきみの力をかしてくれ。
下着から何から着替えて、タマちゃんが形崩れるの嫌って眠るときすらつけさせてくるブラは無理なので装着せずにトレーナーを着込む。
マスクとかの常備は、寮生活になるときにお母さんに持たされているから大丈夫。顔を洗うべきか悩みながら、ユニットバスでうがいをする。喉いたい。
朝ご飯たべないと、お薬のめないよねえ。食堂まで行くのもしんどいなあ。そんなことを考えながらマスクを装着した。
「くぁ――……ん、ハル?」
ちょうどよくカナタが起きた。
私が動き出すと少し遅れていつも目覚める。夜はどんなに遅くても平気だけど、朝すこしだけ弱いところあるよ。低血圧なのかな。けだるい声がちょっと色っぽいと思っちゃう私です。
ぼうっとした顔でユニットバスから出てきた私を見つめる。カナタまで風邪だったらどうしようかと思ったけど、いつもみたいにふっと笑って言いました。
「随分年季の入った服だな」
「う、うるさいなあ」
確かにこれもらったの中学時代だから、結構けばだってるけどさ。
しょうがないじゃない。あったかいんだから。
「鼻声だな。風邪か? それとも霊子の失いすぎか……とにかく座れ」
「んー」
立っているのもしんどくて、カナタの言葉に甘えてソファに腰掛ける。痛みを覚えて尻尾を隅へ逃がした。一本しかないし、黒と茶色が混じったまだら模様。
尻尾が訴えてる。お前は本調子じゃないぞって。
風邪だもんね。仕方ないよ。
「熱は――……」
起き上がってきたカナタが私の額に手を重ねる。こういうとき、額と額を期待するけども。まあ手の方が確実ですよね。それにカナタの手は冷たくてすごく気持ちよかった。
「少しあるな……今日は日曜だ。一日休んで寝ていろ。飯は食べれそうか?」
「食堂いく元気ないー」
「固形物は入りそうか?」
「どんなものでも食べるけど、強いて言えばきつねうどんがいいです」
「わかった。持ってくるから待っていろ……ほら」
私を抱き上げてベッドに寝かせると、布団をしっかりかけてカナタが慌ただしく着替えて出て行った。
ああ、本格的にだめかもしれない。
そうか。今日って日曜日だったんだ。そうか。
「お母さんに怒られなくて済む……」
そんな心配をしているのがなんだかおかしかった。
昨日は夢みたいな一日だったけど。現実に戻った私は体調を崩して、すっごく普通の心配してる。
「……へんなの」
寝返りを打って、それでもなんだか落ち着かないから尻尾を内股に挟んだ。大浴場に行くとトモやノンちゃん、最近ではマドカまでもが乾かすのを手伝ってくれる。
それにカナタが毎日のように手入れをしてくれる。
おかげでふかふかつやつやであったかい。
「びば尻尾……」
頭がぼーっとする。寒気が恐れと弱気をつれてくる。意味もなく泣きたくなった時になって、カナタがうどんをのせたトレイを持って帰ってきてくれた。
「うどんの王子さまだ……」
「ふっ、だしの香りがしそうだな」
私の呟きを聞いたカナタは吹き出していたけど。
きつねうどんを食べさせてもらう、という高度な食事は私たちには無理だったので、大人しく自分でずるずる啜る。
「……おいしい」
最近発見したんだけど、おあげさんを食べると私はちょっとだけ元気が出ます。味の染み込んだおあげさんが好物のようです。
事実、まだら模様の尻尾の色が緩やかに、だけど確実に金色に変わっていく。
「お揚げさんさまさまですね」
なにより美味しいのがいい。
「狐は肉食だからな。大豆で作る油揚げを好きかというと微妙だ」
「えっ」
うそやん。
「好物ではないという向きが強いんだ」
「そ、そうなの? でも私はおあげさん食べると元気でるよ?」
「稲荷神の使いが狐でな。神社はいなり寿司を供えているし、一般的に稲荷神イコール狐のイメージが強い」
「えっと?」
きょとんとする私にカナタは微笑んだ。
「単純に言うと、狐の好物といえばお揚げというイメージじゃないか?」
「……うん。違うの?」
頭の回らない私を呆れも怒りもせず、カナタは笑顔のままで頷いた。
「正誤はともあれ、そのイメージが直結してハルの霊力に影響を与えているのかもしれない」
「イメージ……あっ、緑と赤があるじゃない? あのイメージなのかな?」
「商品名は言うなよ」
カナタにツッコミを入れられました。がんばって頭はたらかせてみたけど、やっぱり今日はだめみたいだ。
しょんぼりしながらずるずる啜っていたらね。みるみる内に尻尾が輝きを取り戻すの。
身体もぽかぽかしてきて元気出てきた。
トレーナーを脱ぎたいけど、うどんを食べながら服を脱ぐ女ってちょっとした怪奇現象だよね。カナタの前でさすがにそれはできないよ。
さっさと食べちゃおう。ずるずる……。
「ここまで露骨に体調に出るとは、やはり霊子の補充と霊力の強化が急務だな。案はあるが……食べるのも手かもしれん」
「カナタ?」
何か考え込んでいるから呼びかけたよ。
するとカナタは真顔で言うの。
「あと何杯食える?」
「ええ……んと」
最後のおつゆを一気に飲み干して、長い息を吐いてからお腹をさする。
「……ふう。ううん。割ときつねうどん一杯でお腹いっぱいなんですけど」
「だじゃれのつもりか?」
ちゃうねん。
私の返しにカナタは大層不満げです。
「大食いできるなら手っ取り早く霊子を補充できたに違いないが、安易な手は無理か」
「あのう……よくわからないんだけどさ。一つ聞きたいの。カナタの中で私はいつから大食いのイメージに?」
「そういうわけではないが、霊子が足りていないのなら空腹かもしれないと思ってな」
割と普通ですけど。いつも通りですけど。
汗の出てきた私を見て、トレイを机に置いてすぐにタオルを持ってきてくれた。
顔にそっと当てていたら、カナタが仰いました。
「脱げ」
えええ……まだ午前中ですけど……。
「嬉しくないかって言われたらそりゃあどちらかといえば嬉しいけど、でもでも今日は元気がないといいますか、そういう気分にはなれないなあ。ああでもカナタがその気なら私はどんな体調でもがんばる所存ですけども。でもでも空気って大事だと思いますよ」
「違う、ばか。そういう意味じゃない」
「あうち」
柔らかめのチョップを食らいました。
じゃあ、一体どういう意味なのでしょう。
「昨日、ハルは選挙で過剰に霊子を吐き出していただろう? 体調不良は霊子が足りなくなったことが影響しているかもしれない」
「そうなの?」
「病院で働いていた先生が今の養護教諭だ。あとで見て正確なところを調べてもらうつもりだが……多分そうだ」
ただの風邪じゃないんだ。そっか。
「現時点で風邪のような症状が出ている。他にも霊子の欠如によって身体のどこかに異変が起きている可能性がある。だから把握しておきたい」
「私の裸が見たいのでは?」
「どう答えたらいいんだ」
「見たいか見たくないかで言ったら?」
「どうしてそういう方面に前のめりなんだ」
「すみません……」
真顔でお説教されてしょんぼりしながら、トレーナーの端っこに指をかける。
ちらっとカナタを見たら平常運転通りの顔で私を見つめていました。欠片もそういう空気なし。それはそれで傷つくんですけど。
まあでも、別に初めてじゃないし。何をもったいぶってるんだって話ですよね。こうして恋人たちは最初の頃の初々しさを失っていくのでしょうか。
「どうした」
「……なんでもないです」
考えたら頭がぼうっとしてるだけじゃなく、痛くなってきた。
私のことを心配してくれてるんだから、素直に従って早く済ませちゃおう。
いそいそと脱いで、それでも足りないという真顔に促されて下も脱ぐ。
ちょっと寒い。
けど起きたときに感じたほどの寒気は感じない。
身体を見下ろす。隙を見たら私の意識のないところで身体のメンテをするタマちゃんのおかげで傷一つなく輝く身体ですよ。侍候補生になってからは、毎日ばりばり動いているから引き締まってきた。我が身体ながらうっとりボディだと思うんですけど。
そっとカナタを見たら、恥ずかしそうな顔でそっぽを向いていた。
「あのう?」
「……特に異変はなさそうだな。もういいぞ、服を着てくれ」
「照れてます?」
「調子に乗るな」
「あうち!」
またしても柔らかめのチョップ!
「しょんぼりなう……」
「体調が悪くなっているんだ。霊子が戻るまでは無理をしないでくれ」
心配そうに言われるから、私は素直に服を着ました。灰色ウェアだと暑すぎるくらいにはぽかぽかしてきたので、新しいパジャマに着替える。
カナタに指摘された手前、地味に恥ずかしくなったともいう。ごめんなさい、お父さん。春灯は親不孝者です……。
「ほら……薬を飲んで」
「ありがと」
水の入ったコップと、念のため風邪薬をくれたカナタにお礼を言って薬を飲んだ。促されるままにベッドに横になる。
「食堂に食器を返しに行く。ついでに売店に寄ってくるが、何か欲しいものはないか?」
悔しいくらい紳士。
布団にくるまりながら、なんだか落ち着かない理由を考えてみた。
頭の回らない状態だからか、素直な気持ちしか浮かばない。悩まず言っちゃおう。悩む元気もないのだし、今ほどタイミングのいい時もないし。
「戻ってきたら一緒に寝てくれると嬉しいなあ」
我ながら頭の悪いおねだりだなあ、と思ったけど。
「待っていろ」
カナタは優しく笑って頷いてくれた。
霊子が足りないとか、霊力の強化がうんたらとか聞いたけど。
カナタがいてくれたら大丈夫だ。私の刀鍛冶は素敵な人だから。
ついつい甘え過ぎちゃうし、そんな時にはついつい不安になる。カナタからもっと甘えてもらえるようになりたい。
今の私たちの関係は、カナタが我慢するようにできている気がするから。シュウさんみたいに病になるくらい抱え込ませちゃいけないと思う。あんな風にカナタが病んだら、私はきっと自分を許せなくなるに違いないよ。
メイ先輩やコナちゃん先輩が見せてくれたように、頼もしい背中を見せられたら少しは甘えてもらえるようになるのかな。
「……コン! コンッ、コンッ」
咳が出てくるようになっちゃった。
「うう……ほっぺたかゆい」
顔がむずむずする。なのにどんどん眠たくなってくる。
願いや不安が眠気を誘ってくるみたいに。熱が出てるのに考え事しすぎたせいかな。
抗えなくて、そのまま眠りに落ちていく。その間際。
『――……おうじさま、はやくかえってくるといいね』
小さな女の子の楽しそうな声が聞こえた気がしたんだ。
つづく。




