第二百十九話
ハルが頑張ろうって言ってんのに、俺ら男子がただ応援ってのも締まらねえよな。
レオとタツの野郎は二人して一年生の支持票集めに動いているし、コマの野郎もあいつなりに剣道部の連中に働きかけているようだ。一年生代表の三人が頑張ってるっつうのに、俺がさぼるわけにもいかねえ。
帰宅部の沢城ギンにとっちゃあ関係ない話だが、各部活の様子が少しおかしいらしい。
三年生は妙に自立心旺盛らしい。そのうえさくっと後輩に部の運営を譲って今年はずっと見守る体制なんだとか。
ふざけんなっつうの。なに勝手に引退気取って隠居してんだよ。
先輩の期待に応えようと頑張る連中はそれでいいかもしんねえけど……俺はどうかと思うね。
俺らは入学した時から卒業する時まで同じ学生だろ? 同じ夢に挑む同志じゃねえのかよ。
特にむかつくのは刀鍛冶の先輩たちだ。
放課後、ノンの部活に顔を出す。霊子刀剣部は緋迎の野郎が部長になって、今年は全国大会で優勝したらしい。
いや、三年は? 三年はどこいったんだ。
超絶つええ化け物みたいなあの三年の刀鍛冶連中が見守るだけとか。そんなん手抜きもいいとこだろ。
指導に力を入れました、じゃねえんだよ。勝手に線を引いてんじゃねえっつうの。
「なんだか妙にぷりぷりしてますね」
「……三年はいねえのか?」
「はいです。夏休みに優勝したから、それを切っ掛けに引退なさいました」
ノンの言葉にけっと毒づく。
俺のガキ丸出しの態度にもすっかり慣れたノンは、村正の手入れを終えて渡してきた。
「よくわからないですけど。誰かにケンカ売ったりしないでくださいね?」
「なんでだよ」
「ギンが苛々してる時は決まってケンカして傷ついて帰ってくるからです。いつだってそう」
「……へいへい」
「するならせめて、勝ってきてくださいね?」
「当たり前だろ」
鞘を掴んで部室を出る。ノンも敢えてそれ以上は注意してこない。こんなやりとり毎日しているから、いちいち話さなくても伝わる。心配しているから無茶するな、というあいつの気持ちが伝わってくる。
それでも俺は行く。我を通して衝突して、本気で戦う先に伝わる何かがあると俺は信じてる。シロほど器用にもできねえからな。俺はこのやり方でいく。
決意を胸に本棟の階段に辿り着いた時だった。タツの野郎が壁に背中を預けて立っていた。俺を見るなり「やっときたか」と言い出す始末だ。
「何の真似だよ」
「……別に。お前さんを一人にしておけないだけだ」
「けっ……お節介め」
いらねえよ、と手を振ってもタツは立ち去る気配なし。
しょうがないから階段をのぼって三年生のいる階層へと向かう。
「何をする気か聞かねえのか」
「ケンカを売りに行くんだろう? 上級生たちに」
「……なんでわかんだよ」
ふ、と笑う。タツはいつだって俺の気持ちをわかっている。そんな錯覚さえ抱く。事実、
「ハルの演説だけでは上級生への訴求力に欠ける。とはいえ交渉に長けているわけでもないお前さんのことだ。おおかた士道誠心愚連隊にケンカをふっかけて、自分が勝ったらハルを応援しろと言うのだろう」
俺の腹の内なんてお見通しだった。
「お前は俺の母ちゃんかなにかなの?」
「ギンがやらねば俺がやる」
「ちっ……ああ、そうかよ」
俺も大概、周囲に心配を掛ける方だが……タツ、お前も相当だと思うよ。
二人で探すんだ。
綺羅先輩。あの野郎こそトップだ。あいつに吹っ掛ければ済む。脳筋だからな。勝てば筋は通してくれる奴だ。純粋な力比べになるが、負ける気はねえ。
さあ――……勝負だ。
◆
一年生の少年たちが綺羅を連れていくのを、ルルコと私……真中メイは黙って見送った。
タイミングからして目的は探るまでもない。選挙の投票に繋げる何かだろう。
愚連隊と戦うなんて、あの子が立てた作戦でもないんだろうなあ。
ただただ単純に、あの子……青澄春灯を勝利に導くために働いた外力だ。
羨ましいなあとも思う。
青臭いとも思うけど。青春って案外そういうものなのかもしれない。そういう眩しさに惹かれたから、綺羅も素直についていったんだろう。熱い奴だから、挑戦状とか大歓迎だろうし。
まあ挑戦状なら私もハルちゃんに叩きつけられたんだけど。可愛くてしょうがない。気を引きたくて、私たちのぎくしゃくをどうにかしたい気持ちに任せて体育館で暴走してみせるんだから。
あれが若さなのかなあ。最近の私にはあるのだろうか。若さって奴が。
「メイったら、また大人ぶった顔してる」
「いひゃい」
ルルコがほっぺたを引っ張ってきた。容赦のない力加減に唸る。思い切り引っ張って離されるからひどい。悪意を感じますよ、親友のコミュニケーションに。
「メイはどうするの?」
すぐそばで文庫本を読みふけっているはずのサユが気のない声で聞いてきた。
「どうって、なにを?」
「選挙。ガチでやる気?」
「ああ……そりゃあね。ハルちゃんがはちゃめちゃにしたら、本気で受験どころじゃなくなりそうだし」
「それも案外楽しいんじゃない?」
珍しい。サユが誰かに肩入れしてる。
「サユはハルちゃんの味方する気?」
「ルルコは不満かもしれないけど、私はいつだって人生を楽しくしてくれる人の味方」
「ぶううううう」
ルルコ汚い。唇尖らせてなに音ならしてんの。
「ふんだふんだ。メイの味方はルルコだけですよー」
「私の味方だったんだ。知らなかった」
「おのれ! ひどいこと言う口はこいつか! 成敗してやる!」
「いひゃいっへば!」
くだらないやりとりをして笑い合う。
卒業が近づいて、九月。
夏休み明けに体感した教室の空気はぴりぴりしていたけれど、当然だ。怖い。未来がどうなるのか見えなくて。築きあげた居場所から追い出されて、私たちは大丈夫だろうかと不安で。
だからこういうやりとりが逆に新鮮で、なのに落ち着く。ずっとこうしていられたらいいな、と思わずにはいられない。
「もう! メイ、眉間に皺できてるよ。幸せ逃げちゃうからよくないよ」
ルルコに皺を指でのばされた。くすぐったくてしょうがない。
「はいはい」
「はいは一回だよ!」
「はーい」
「もう、こいつめ!」
笑っていたらひっついてくるから、ルルコのしたいように任せる。
いつだってびっくりするくらいいい匂いがする。でもどうやって匂いをつけているのか、ルルコはただの一度だって教えてくれたことはない。
知らなくてもいい。ルルコはいい匂いがする。それだけで十分だ。
「ねえ……私たちはあと半年、なんのために学校に通うのかな」
私の問い掛けに二人は顔を見合わせる。私は構わず続けた。
「卒業するため? それとも……何かを残すため?」
二人して黙り込んでしまう。この問い掛けに答えはないのかもしれない。
「疑問なんだ……いったい私たちは何を掴みたくて、あと半年を過ごすのかな。ただ過ごしたいだけ? なら……士道誠心じゃなくてもよかったよね」
「メイ……」
ルルコが苦しそうに顔を曇らせる。対照的にサユは文庫本を閉じて微笑んだ。
「士道誠心でしかできないことを夢見てこの学校に入った。刀を手に入れて、私は私の思う通りに生きている。二人といると退屈しないから好き」
サユの言葉に私とルルコは惚けた顔をする。
はっきりと好きなんて明言すること、今までまともになかったのに。サユが突然そんなことを言うから、私たちは素直に驚いていた。
「それでも鬼ごっこやるまで今月は退屈だったな。これがあと半年も続くなら、この学校にいる意味ないや」
「そ、そんなこといってー。学校さぼる気か!」
「そうだね。どうせ受験もしないし旅行でもいってこようかな」
「……え、と」
からかおうとしたルルコが追求する言葉を失った。
サユはあんまりにも自由だ。みんなが進路にとらわれて緊張していても、サユだけには求める未来に至るための何かが見えていて軸がぶれず、いつものようにありのままそこにいるだけ。
強いし、それは時に孤高にも見える。けれどどこかで憧れてしまう。私は先頭に立って行動する時いつも、サユの強さを意識する。
意識するし刺激されるのは私だけじゃない。ルルコもだった。
「あ、あと半年しかないんじゃん。なのにいなくなるみたいなこと言わないでよ……」
ルルコの弱さも好きだ。愛おしい。その弱さは誰の心にも眠っているであろう不安とおびえの形をしているから、私はルルコの本音に触れる瞬間を大事にしている。
二人といると自然に自分の心が浮き彫りにされていく。強さと弱さの間に立って、私は目指す先にある光を探す。その合間にも二人の話は続く。
「なにいってるの、ルルコ。卒業しても会うよ。離す気ないよ、この縁を」
「そ、それはそうだけど……ぶっちゃけ、中学とか小学校の同級生で続いてる人、そんなにいないし」
「不安?」
「……そりゃあ、そうだよ」
ぽつりと呟いてすぐ、ルルコが立ち上がった。
「せっかく三年かけて仲良くなってきたのに、それも終わっちゃうかもしれないんだよ?! 不安に決まってるよ!」
悲鳴にも似た叫び声に、教室にいるみんなが戸惑う。
目に涙を浮かべたルルコをサユはすぐに抱き締めた。
「なにてんぱってるの。私たちの縁は終わらないよ。大丈夫」
「なんで? ……なんで、大丈夫なの?」
「みんなのことが大好きだから。大丈夫」
「意味わかんない……ばか。さいてー」
サユに背中を撫でられながら、ルルコがゆっくりと椅子に腰を下ろす。
ルルコの嗚咽が教室に響く。
情緒不安定になっていたんだ、ルルコは……こんなに弱っていたんだね。
山吹マドカちゃんをお助け部に入れて、ハルちゃんの様子を見に行って。私にその報告をしてくれたルルコはすごく必死に見えた。壊れかけの何かを必死に直そうと一人でもがいているようにすら見えたんだ。格好つけたがるから余裕ぶって見せているだけで、本当はルルコ自身が壊れそうだったんだ。
一年の後半が始まって、三年間の終わりが見えてきて。それだけでも不安なのに、私がラビと別れたりして。
ごめん、と何度も謝るルルコをサユが慰める。みんなも集まってきてだいじょうぶ? と声を掛ける。いてもたってもいられなくなって立ち上がり、ルルコの頭に手を置いた。
前髪から何からばっちりセットしてあって、普段は触られることを本気で嫌がるルルコの髪をめちゃめちゃに乱す。
案の定、涙でぐしゃぐしゃになった顔をあげて怒ったように歪ませるルルコに言うのだ。
「どんな結果になろうと……退屈させたりなんてしない。あと半年といわず……ずっと、ついてきてくれる?」
「……ぷろぽーず?」
なんでだよ、と男子が突っ込んだ。メイのこと好きすぎるでしょ、と女子が笑った。
私? 私は……そうだね。肩を竦めて言いましたよ。
「私の嫁になると苦労するよ?」
普段だったら絶対に見せない涙で濡れた顔でルルコは笑って言い返してきた。
「知ってる!」
抱きついてきたルルコの機嫌は完全に直ったようだ。
本当は人一倍繊細で傷つきやすくて、外面を氷で覆って余裕を演出する。
「ルルコの方がよっぽど面倒くさいけどね」
「それも知ってる!」
髪の毛を直しながら言う私にルルコがきちんと直してくれたまえ、とのたまう。
サユが呆れた調子で言いました。
「結局……ただの痴話ゲンカか」
やれやれだと言いながらも和やかに解散するみんなを見送ろうとして、気づいた。
シオリが教室の入り口で、入るタイミングを逃して途方に暮れた顔をして立っていたのだ。
「シオリ、どうしたの?」
呼びかけると、露骨にほっとした顔で教室に入ってきた。変なところで遠慮しいなんだから。
「あの。ラビ……じゃなかった。せ、生徒会長から伝言です」
それに気を遣う部分もどこかずれててたどたどしい。思わず笑ってしまった。
「変な気を回さなくていいよ。ラビがなんて?」
私が問い掛けると、シオリは恐る恐る持っているタブレットを差し出してくる。
サユとルルコと三人で見た。それから思わず三人そろってシオリを見つめてしまう。
「これ、本気?」
「は、はい……ボクもどうかと思うんですけど。遊びが大事だって聞かなくて、さっき採決されました」
私の問い掛けにシオリは不安げな顔で頷いた。
タブレットに表示されたPDFにはこう書いてあった。
『選挙のスピーチでは一人一曲歌うものとする。楽曲や演出は各候補者に任せるが、事前に内容を申請の上、必ずリハーサルに参加すること。歌唱不可・リハーサルに参加できない場合は生徒会権限において特殊な演出を行うものとする』
なるほど……。
「やってくれるじゃない」
タブレットをシオリに返して了承の旨を伝える。
他の候補者――……というかコナちゃんは生徒会役員なので、残るハルちゃんに伝えるために出て行くシオリを見送って私は笑った。
「生徒会選挙を盛り上げるだけでなく、文化祭前の空気作りに利用する気か」
「メイ……?」
「これは楽しめること?」
不安げなルルコの頭を撫でて、サユにもちろんだと頷く。
「ハルちゃんに乗っかってラビが祭りにしようと仕掛けてきた。ならこちらは全力で乗っかってやる。二人とも……ううん! みんな! 忙しい中たいへんだと思うけど、できる範囲で力を貸してくれる!?」
私の呼びかけに、教室に残っていたみんなは笑顔で頷いてくれた。
ほんと、退屈させる気ないね。でも、いいよ。上等じゃない。
絶対にラビ演出の仕掛けに嵌められる気はないから。それに……逃げる気なんて、最初から欠片もない。
「やってやろうじゃん!」
私の決意は確かに燃え始めたのだった。
つづく。




