第二百十五話
メイ先輩とラビ先輩、コナちゃん先輩の噂はすぐに広まった。
どのくらいの速度で広まったのかと言えば、その日の夜の寮では持ちきりだったというくらい。とても早かったよ。
ロビーフロアでカナタの頬に出来た擦り傷の手当てをして、ため息を吐く。
「どうした、ハル。ラビの噂が気に入らないのか?」
「……別に」
「嘘を吐け。尻尾が揺れているぞ」
「あ」
ごまかしきれない尻尾の動き。
「メイ先輩にはしんどいよなーって思うんです」
「そうは言うが……そうだな。アレを見ろ」
カナタが指差す先。
ルルコ先輩と北野先輩と三人で階段をのぼってきたメイ先輩が、そのまま上へと向かっていく。聞こえてくるのは、
「メイがフリーになったんならせっかくだし遊びに行かない?」
「賛成。ルルコの言う通り。メイも一緒にぱーっとやりたいね。夏休みも遊べなかったし」
「サユはほっといたら遊びすぎだと思うけど。ねえねえ、メイ。だめ?」
「二人揃ってなに。別にだめじゃないけどさ。行ったら山ほど男子が待ち受けてるルルコのバイト先とかやめてよ?」
「えー! いいじゃん!」
普通に会話を楽しむ三人の先輩たちのはしゃいだ声だった。
いつも通りだ。まるでいつも通り。なんで?
「表でへこたれるような人じゃないし……あの二人がいれば大丈夫だろう」
「……そう、かなあ」
「心を決めた人は強い。お前が証明してきたことだ」
カナタに頭を撫でられて頷く。
私よりも何倍も強いメイ先輩だからだいじょうぶだと思う気持ち半分、それでも失恋はへこたれるよねっていう気持ち半分。
私に誰よりカナタがいてくれて、トモやノンちゃんたちがいてくれるようにさ。メイ先輩にもルルコ先輩と北野先輩がいる。
早く笑顔のいつも通りがやってきたらいいなあ。
……ふう。
「だとしたら、じゃあ残念なのは二つかな」
「結局負けたことか?」
「もう! 悪いことを言う口さんめ!」
笑顔で言うのがむかっときたので、カナタのほっぺたを摘まんでやりました。
傷ついたところをね! どうだ! 痛がればいい!
「悪い顔をするな」
「あうち!」
即座にチョップを食らいました。なんてこった。
「それで? もう一つ残念なことは?」
「カナタの綺麗な顔に傷が」
「……まったく。治療ありがとうな、風呂に入ってくる」
ため息を残してカナタは言ってしまいました。しょんぼりですよ。
ロビーの係の人に借りた治療グッズ一式の入った箱を返す。
かすり傷みたいなものだからカナタが自分でやると言ってたけど、さすがに放っておけなかったんだよね。とうの治療した本人はさらっとお礼言って行っちゃいましたけど。
なんだか最近、あんまりくっつけてない気がします。まあ毎晩同じ部屋で寝てるんだから贅沢言うなよって話もあるのですが。
私がわがまますぎるだけなのかな。
ロビーフロアにせっかく来たのにすぐ帰るのもなんだから、ついでにうちに電話しておこう。発信してスマホを耳に当てる。
「――……あ、もしもし?」
『姉ちゃん。なに?』
あれま。トウヤだ。弟が出るとは思わなかった。
「お母さんいる?」
『いま風呂。なに? 大事な用なら伝えておくけど』
「それならいいや。雑談兼近況報告だから、電話あったって伝えといてよ」
『別にいいけど……なんかあった?』
思わず周囲を見渡してしまった。
『いや、探してもいねえから。俺うちだからね。姉ちゃんの機嫌くらい声でわかるから』
さすがは我が弟。姉の行動などお見通しですか! できるやつめ!
『無駄にどや顔してるとこわるいけど、話したいことがねーなら切るよ』
「か、かわいくない」
『で、どうすんの』
ぶすっとしながらも待ってくれるあたりはできるやつ。
「トウヤ、失恋したことある?」
『……めんどくさいから答えたくないんだけど』
「お、その反応はあると見たね」
『いいんだよ。俺は夏に目覚めたの! 新たな恋に生きるって決めたの!』
「しかも早速新しい恋」
前向きか。
「夏にねえ。あんがい……相手はコバトちゃんだったりして」
『うっ』
「図星かよ」
『しょ、しょうがねえだろ! すげえ可愛かったんだから』
「はいはい」
小学生くらいの頃って、割と容姿とか勉強、運動に恋愛が直結しません? 私はそうでした。
なるほどねえ。トウヤがコバトちゃんにねえ。コバトちゃん可愛いもんねえ。そうかそうか。
「勉強一緒にしようとか誘うと、案外一緒にいれるかもよ?」
『……もうやってるよ』
さすが私の弟!
『親父さんとちっちゃいお母さんはすげえよくしてくれるんだけどさ。たまに帰ってくる兄ちゃんが怖いのなんのって』
「ああ」
シュウさんもカナタも結構シスコン入ってるもんね。本人たちには言わないけども。
「まあそれくらいの壁は諦めなよ。あんなに可愛い妹がいたら、そりゃあ大事にしちゃうって」
『わかってるよ……つうか! これじゃあ俺の相談になってっから! 姉ちゃんはいいのかよ!』
「おっと」
そうでしたね。でもなんか、割とすっきりしちゃったかも。
「トウヤの話きいてたら大丈夫って気になってきた」
『はあ?』
ふざけてんの? と言いたそうな声を本気で出すのやめて!
「ありがと! おやすみ」
『……おやすみ。母ちゃんたちにも伝えとく』
切れた電話に息を吐いて、ソファに身体を預ける。
ギンとのことを思い出すと、私はみんなに助けられたなあとしみじみ思う。
トウヤみたいにすぐ次へって切り替えられるの、いいなあとも。立ち止まらない。引きずらない。ハイパーポジティブモンスター。
まあ節操なしと見て、どうかと思う人もいるだろうけど。本人がしっかりへこたれて泣いて、それで吹っ切れているならそれでいいんじゃないかなあ。
結局なるようにしかならないのが恋愛なのかも。
『おうおう。いっぱしの気分でわかったつもりか? 可愛い奴じゃのう』
う。
た、タマちゃん。そんな、獲物を見つけた肉食獣みたいな楽しそうな気持ち放たないでよ。
『他人の不幸話でいくらでも飯が食えるのが世の常じゃ。マウント取りたがるのもな。うわさ話もほれ。耳を澄ませばそういうものが多いじゃろ』
……そんなことないもん。
耳を澄ませばまあ、ラビ先輩やコナちゃん先輩に対する手厳しい意見も聞こえてくる。メイ先輩に対しても、それは変わらない。
だけど二年生の先輩の中にはコナちゃん先輩を祝福してる人もいるし、やっと収まるところに収まったという人もいる。ちゃんといるもん。祝福する人!
そりゃあ、そればかりじゃないかもしれないけどさ。
『本質的に問題と向き合うべきは本人たちだけ。それ以外の者はみな好き勝手に言っておるんじゃ。気にする方がどうかしておるわ』
『……と、慣れないながらに下手な心配しておるのだ。ハル、気にするな』
『じゅ、じゅじゅじゅ、十兵衞!』
頭の中にがんがん響く二人の念に苦笑い。
大声で笑う十兵衞に悔し紛れに叫ぶタマちゃん。
あんまりにもいつも通りだ。だから耐えきれずに笑っちゃった。
ありがとう。ごめん。
ちゃんと元気でたから大丈夫。
『な、ならばよい!』
『気分転換に笛でも吹くか?』
あはは。そうだね。十兵衞に笛を吹いてもらうのいいかも。
じゃあお願いします!
『おう』
笑ってくれた十兵衞に身体を預けてお部屋に戻る。
夏休みに買った笛はちゃんと持ってきてある。
ベランダに出た十兵衞が笛を吹いた。聴いたことのない曲ばかり十兵衞は吹く。即興なのか、そうじゃないのか。けれど十兵衞は思い描いた旋律を見事に奏でてくれる。
どこかもの悲しくて切なげで、なのにどこかあたたかい。
十兵衞みたいな曲。
笛を吹いているとタマちゃんも静かになる。私もだ。十兵衞の中で物思いに耽る。
入学していろんなことがあった。次は文化祭かな。お助け部の活動は忙しくなりそう。
いいことばかりじゃない。つらくて泣いた日もあった。
今日だって、私の知らないところで誰かが泣いているのかもしれない。
『涙は明日の笑顔のためにある』
タマちゃんの言葉に感じるところはある。
ギンとのことがあって山ほど泣いてすっきりして……カナタと付き合って。
中学まで挫けそうになることばかりだった。だけどいま、高校生になって笑うことができている。
明日の笑顔のために泣けるなら、涙も傷も痛みもぜんぶ……幸せに繋がっている。
そうでありたい。へこたれている時はそれどころじゃなくなるから、余計に。
『何を思う?』
どうしても気に掛かる。違う。違うね。自分に嘘をついてちゃ……しょうがないよね。
宣言したのに負けちゃった。それがどうしても悔しい。
私は最後、勝負を投げた。
みんながんばってたのに、私は事態の推移についていけなくて固まっちゃって。そのせいで……それも違う。違うよ。
白状しようよ、青澄春灯。
みんなに背中を押された時点で私は既に勝負なんてどうでもよくなっていたじゃないか。
当然の結果だ。
それってすごく勝手だ。
トモは一年生の合戦の目的を刀鍛冶の覚醒のためだと言ってくれたけど、そうだとしても私は勝利を宣言したの。そして自ら宣言を覆した。自分で自分を裏切ってしまったんだ。
情けない。情けないよ。
ツバキちゃんに合わせる顔がない。
十兵衞の旋律と優しさの中で、私はみっともなくて誰にも見せられない涙を流す。
涙も止まって、泣くのはもういいやって時になって扉が開いた。十兵衞の笛も終わる。バトンタッチして身体の自由を手にした私は目元を拭った。濡れているけどすぐにごまかせる。
そう思っていた時期が私にもありました。
私の顔を見てすぐに、カナタが荷物を置いたの。そしてね?
「……ハル。おいで」
両手を広げてくれた。
カナタを見たら、いてもたってもいられなくなって飛びついた。
頭を撫でてくれるカナタのおかげで、泣けて泣けてしょうがなくなっちゃった。
「ずるいー!」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった私をハンカチで拭ってくれながら、カナタは笑った。
「充血した目で俺を見て、泣きたい顔をして我慢しようとしていた薄情者はどこのどいつだ?」
「……わたし」
「相棒だろ? 恋人だ。なにより……俺は何があってもお前の味方だ。だから、なあ……ハル」
我慢するな……なんてさ。
そんなことを言われて涙を引っ込められるほど器用な性格してないようです。結局わんわん泣いてしまいました。
◆
ルルコとサユがそばにいて左右から挟み撃ちにするように抱き締めてくるから、気がついたら山ほど泣いていた。どこからか聞こえてくる笛の音が郷愁を誘うのもよくない。我慢できなかった。
真中メイでも泣くことくらいあるんだな。我ながらしみじみ実感した。
なんだ、普通に凹んでるじゃん。私。
当たり前か。好きだったもんね。でもラビの心の中にコナちゃんがいる限り、付き合えない。私には無理だ。刀がそれを証明した。
いつか爆発する爆弾を抱えて受験するなんて。そんなリスクは背負えない。夢を手放すこともできない。
ラビから言ってくれてよかったと思ったし。私から切り出さなきゃいけなかったとも思う。
切り出さなかったおかげで泣いて浸れもする。難しいなあ。失恋するのは二度目だけど、慣れる気がしない。
泣いたら案外すっきりした。
落ち着くべきところに落ち着いたのだと思う。だからだろうなあ。すっきりしてる。
寮の中で聞こえた噂じゃラビはコナちゃんに想いを伝えてどこかへ行ったというけど。あの子はもっと素直にならなきゃだめだと思う。私は我慢させるばかりだった。それじゃあやっぱりだめなんだ。ラビを苦しめて、回り巡って私も苦しめる。そこに未来はないもの。
ルルコが山ほどラビについて悪態をついてサユがたしなめるのを見守りながら、ベッドに横たわる。目元はすっかり腫れちゃって、きっと目も充血しているだろう。
疲れたなあ。けど九月になった。ここからが本番だ。気持ちを切り替えていかないと。
喋り疲れてひと息ついたルルコとサユに飲み物買ってくると伝えて廊下に出る。
するとどうしたことか。妙に胸騒ぎがするではないか。
誘われるままに階段を下りる。するとざわめきが階下から聞こえてきた。
一階に降りて納得。
大勢の男達が集まって、入り口にいるラビとコナちゃんを睨んでいる。
「綺羅先輩。通していただけませんか? せめて彼女だけでいいから」
「――……俺たちの頭に半端な真似したてめえらを許す気はねえ」
あちゃあ。
思わず手で目元を覆った。
「特にてめえは許さねえ! ファンシーな耳を生やしやがって! 振ったその日にデートたぁふてえ了見だ。一発ぶっとばさないと気が済まねえんだよ!」
「ヘルメットかぶれなくて苦労しましたよ」
「うるせえ!」
怒鳴る綺羅に士道誠心愚連隊一同が声を上げる。
私のためだと言って騒動を起こしてる。さすがのコナちゃんも罪悪感があるのか、殊勝な顔で俯いていた。ラビを頼らず背筋を正しているあたりは相変わらずだけどね。
「なあにい? あれ」
「なんだかんだでメイもモテるって話」
二人の声に思わずふり返ると、ルルコもサユも呆れた顔で一階のフロアを見ている。
あんまり身を乗り出したら見つかりそうだから、身を隠すようにして二人に近づく。
「ちょっと。あれどうにかしてよ」
私のお願いに二人は肩を竦めた。
「好きにさせたら?」
サユが早速めんどくさそうに匙を投げた。
「そーそー。ケジメは必要だよ」
ふふんと笑うルルコは絶対面白がっている。ルルコにとっては気に入らない流れだから大歓迎なのかもしれない。
だとしても私はとうに納得してるし、あの二人についても言うことはない。だから、ただただ困る。
しょうがないなあ。今日いろいろあったばかりで気が進まないんだけど。
「綺羅、やめてよ」
階段を下りて口を開いたら、愚連隊がまるでモーゼの十戒ばりに道を空けた。
先頭に立つ綺羅の背中は怒り心頭。膨らんでみえる。筋肉強ばらせてなにやっているんだか。
「けどな。生徒会からなにから……真中のことも含めたぜんぶ、真中を支えたこいつだから三年みんなが譲ったんだ。なのに今更」
「綺羅!」
ジャージ越しに腕を掴んで、今にも殴りかかろうとしているそれを引き下ろす。
「いいから」
「俺は納得いかねえんだよ!」
弱った。元来、熱血漢で。弟? 妹? まあとにかく可愛い年下の血縁者の面倒を率先してみる綺羅は世話焼きだ。愚連隊を率いているのだって、暴れたいからっていうよりは血気盛んな子たちの面倒を見てたらそうなってた、というだけの話でしかない。
私のために怒ってくれる男の子がいるなら、もうそれだけでいい。
「ありがとう。でもいい。三人そろって戦った。コナちゃんが勝ち取った……それだけだよ。だからもういいの」
悔しそうに顔を歪めて私を見て、それから強い視線をラビに叩きつけて唸る。
「さっさといけ」
何かを言いたそうな顔をするラビとコナちゃんを、真っ正面から私は見たよ。
互いを補える素敵な空気を感じる。今はまだそれを痛みと共にしか感じることはできない。
でも……いい。
「今日はお疲れ様。ゆっくり休んでね」
私の声にラビは深く頭を下げた。コナちゃんもだ。
いいのに。
自責の念からなのかやっぱり自分は殴られるべきだと主張するラビと、覚悟を決めた顔をするコナちゃんにそんなことする必要ないから幸せになれって言っておいたよ。
立ち去る二人を見送る。
もどかしそうな顔をする愚連隊に解散を命じた。
だけど綺羅はどこへも行こうとしなかった。
私より傷ついた顔して、こいつは本当になにをやっているんだか。
「ばかじゃないの?」
「うっせえ……」
私のあきれた言葉に綺羅はさらに傷ついて、その場にへたり込む。
愚連隊のみんなと入れ替わりになるようにルルコとサユがやってきた。
三年生の中核メンバーだけになって不意に綺羅が呟く。
「真中……本当にこれでよかったのかよ。みんな、あの野郎だったからお前のこと諦めたんだぞ」
「どさくさまぎれに告白とかやめてよー、綺羅くんマジださい」
心底うざそうな声を出すルルコに綺羅が噛み付く。
「っせえな、腹黒冷血女はだまってろ」
「むっ」
今日はみんなとげとげしいなあ。普段から口げんかの絶えない二人だけどさ。
マイペースに給水器から人数分、水を用意して配って回るサユは心強すぎだし。
水をもらって、みんなでソファに腰掛ける。黙ったまま、みんなして私の言葉を待っていた。
冷たい水を全部飲んで長い息を吐く。
「いいの。縋って独占して……それじゃあうまくいくはずなかった。だからこれでいい」
それにね。
「綺羅が怒ってくれたの、ちょっと嬉しかったからさ。これでいいの」
笑って言ったら、綺羅が表情に困ってた。
サユは笑っていて、ルルコはうんざりした顔してる。なぜ。わからないけど。
「明日からまた忙しくなるから、寝よう。綺羅も休みなよ? おやすみ」
綺羅に手を振って、自販機のある場所に向かう。
ついてきた二人が何か言いたそうな空気を出すんだけど。
「なに」
「べつにー」
ルルコが気を持たせるような言い方をするのはいつものことなのでスルー。
「明日からって、なにかあったっけ」
首を傾げるサユに呆れる。予定とか覚えないんだよね、こいつは。やれやれ。
「いろいろあるでしょ。九月はね――」
◆
青澄春灯、目覚めて察しました。今日はだめな日だ。全体的に調子が悪い。
だから気が重たかったの。
調子が悪い状態で、さらに負けたことについてみんなに何か言われたら怖いなあ、とか。
誰かが昨日の話をするついでに私のことあれこれ言ってたらしんどいなあ、とか。
耳がいいのも考え物だよね。
でも意外なことに……或いは当たり前のように、そんな空気は微塵もない。
むしろみんな、手に入れたばかりの力を確かめたくてしょうがない、というそわそわ感でいっぱいだった。九組のみんなだって私をいつもと同じように受け入れてくれる。
「お、青澄はよーっす」「おはよう」
「おはよー」
茨ちゃんと岡島くんに挨拶を返して席に座ろうとした時でした。
スカートのポケットの中に入れてるスマホが音を鳴らす。
なんだろうと思って確かめると、メイ先輩からのメールだった。
朝のホームルームが終わったら部室に集合って書いてある。なんだろう?
ライオン先生の配ってくれた進路希望表と月末の邪討伐の話題に盛り上がるみんなに挨拶して、私はホームルーム後すぐに集合場所に向かった。
士道誠心お助け部、部室。扉を開けるときにはどきどきした。
中では部員のみんなが眠たそうな顔をして待っていたの。私が最後だった。急いで中に入ると、メイ先輩が口を開く。
「生徒会選挙がある。今月末にね。週末には立候補の締め切りになる」
え、と思わず声が出た。二年生の先輩たちが生徒会をやっていて、まだまだ変わる必要ないと思ったから。
メイ先輩に何か言おうとして気づいた。少しだけ目元が腫れぼったくなってる。赤くなってはいないけど、メイクで隠しているのかな。
はらはらする私に構わず、話は続く。
「このタイミングで、私たち三年生は引退。他の部と同じようにね」
ラビ先輩とシオリ先輩はわかっていたみたい。受け入れるつもりだ。だって二人とも驚いてないし、焦る様子もないから。
でも。でも、こんな。タイミングが重なりすぎてて。
「ハルちゃん。一年生、一人でさみしくない?」
ルルコ先輩に問われて言葉に詰まる。
さみしいかさみしくないかで言ったら、当然さみしい。
先輩たちが部活から離れちゃうの、すごくいやだ。ずっと続くと心のどこかで思っていたから。
私の気持ちはもろに顔に出ちゃったのか、ルルコ先輩は微笑みを浮かべて言いました。
「もう一人増やそうかって話をしてたの。一年生がたった一人だけだと大変だと思うから」
「ルルコ」
「いいじゃん、メイ。あの子は剣道部だけど、兼部上等だからさ」
「本人次第だよ、候補は一人に限らない。ラビとシオリの意見は?」
戸惑う私の前で、ラビ先輩もシオリ先輩は問題ないと告げる。
まるで規定路線。あとは私の意思一つで決まる。でも先輩たちがいなくなるのは止められない。
そんな空気だ。時間が流れれば当然、環境だって変わっていく。それは突然不意に訪れて、私の世界を塗り替えてしまう。
「じゃあ本人の許可を取れるかどうかだね。私は本命をさっそく誘ってこようかな」
立ち上がって出て行こうとするルルコ先輩の腕に思わず抱きついてしまった。
「ハルちゃん?」
「……いなくなっちゃうの、やです」
「え、ええと」
「なんで急にこんなさみしいこと言うんですか」
昨日開いた涙の蓋は閉じてくれなくて、じわじわと浮かび上がってくる。
だめだ。今日はどうしてもだめだ。いろんな調子が悪い。
後輩のわがままにルルコ先輩が戸惑ってる。
「ご、ごめん。後輩からこういうことされるの慣れてなくて。め、メイ! ラビくんも! 助けてよ!」
「むりむり。ハルちゃんに抱きつかれてるのルルコだもん」
「そうですよ……待って、そんなに怖い目つきで睨まないでください。わかりましたから」
笑って立ち上がると、ラビ先輩は咳払いをした。
メイ先輩がいつも通りにしているから、ラビ先輩もそれに応えるようにいつも通り。
「メイは受験があるし、ルルコ先輩も同じ。時間を大事に使わないと、将来に差し障りがある」
「そんなの毎日同じです! 理屈とか、聞きたくないです……」
「ハルちゃん」
言い返す私の名前を呼ぶ。
ラビ先輩の顔は真剣そのものだった。
わかってる。私のこれはたんなるわがままでしかないって。
だとしてもさみしい。急にこんなのずるい。
「悲しいけどボクらは学生だ。進路希望の調査票、渡されたでしょ?」
シオリ先輩に頷く。
「生きていく限り先へ進まなきゃ。そしてそれは世界を変えていくんだ。少しずつ、確実に」
俯いた。くっついでわかるルルコ先輩の形。でもどんどん離れて、小学校や中学校の仲間のように疎遠になっていくんだ。きっと。
そう思ったら泣けてしょうがなかった。あわてたルルコ先輩がハンカチを出して、優しく目元を拭ってくれる。その優しさにもっと泣けてしまう。
「もー。シオリの言葉がこんなに響くんだからハルちゃんはハルちゃんだなあ」
笑って私を慰めながら、ルルコ先輩は言うの。
「やっぱり一人にしておけないね。もっと仲間がいた方がいいよ、ハルちゃんにはさ」
「ルルコせんぱい……」
「別に今生の別れじゃないんだよ? 学校にはいるし、討伐でも顔を合わせるし。高校の三年間なんて目じゃなくなるくらい、ハルちゃんが侍を目指すならずっと一緒さ」
「ルルコせんぱい……!」
涙をたっぷり吸ったハンカチの代わりに冷たい指先で目元を優しく拭ってくれた。
「願えば今日も明日も必ずまた会える。ね?」
「……はい」
ぐすぐす言う私に、メイ先輩がティッシュをくれた。
鼻をかんでやっと落ち着いたと思ったら、また涙があふれてくる。
どんなにまた会えると思ってもやっぱりさみしい。
泣きながら言う私をルルコ先輩はめいっぱい抱き締めてくれたんです。
ああ。
九月。年度の半分が過ぎた。
文化祭が終わって、冬休みが来て。そしたら正月になって、三月がきちゃう。
卒業式がきちゃうんだ。
いやだなあ。いやだ。今日がずっと続けばいいのに。
何かが変わっていく。
メイ先輩がラビ先輩と別れたように。
絶対的だと思っていたことさえ、変わってしまうんだ。
認めよう。
私はいま、寂しさがこわくてこわくてたまらなかったんだ。
つづく。




