第二百十四話
戦いは終わった。
三年生の大きな背中を思い、憔悴してなお笑える二年生の仲間たちを誇らしい気持ちで見守る。
と同時に浮かぶ自分の弱さに申し訳なく思っていたら、カナタがやってきた。
いつも整っている髪も服も乱れに乱れて、激戦の名残を思わせる。
気にするな、と。そう言ってカナタは笑った。
「ラビ、片はついたのか?」
カナタの問い掛けに頷いた。
視線の先、霊子による街の修復を行う刀鍛冶に挟まれるようにして道を歩いて行く三年生たち。その中にルルコ先輩と北野先輩と手を繋いで歩くメイがいた。顔は見えない。
たとえ泣いているとしても、もう僕にはするべきことがない。
僕が起因なのだとしても、もう。
深呼吸をする。
片はついた。今の僕とメイでは互いを幸せにすることができない。だからこその結論。
「……ああ、片はついた」
けれど痛む。あの背中を見るたびにどうしようもなく。
月は何を象徴しているのか。メイによって月の刀を手にした僕は……。
「兎の耳なんて生やして何をシリアスぶっているの? やめてよ」
呆れた声を出すシオリにどきっとした。
怒られるかと身構えたけど、ぐっしょり濡れた制服も透けた下着にも張り付くスカートにも頓着せずに、シオリはユリアに肩を抱かれて割れた眼鏡越しに僕を見つめていた。
「ラビは御珠を取ったけど、ごめん。僕らは届かなかった」
「シオリ……」
「でもラビのその耳見る限り、コナにきちんと伝えてくれそうだから……ボクはもういいよ」
ふっと笑ったシオリを見ていると、カナタがふと笑う。
「ルルコ先輩と戦ってすっきりしたのか?」
「……そんなとこ。やっぱりまだまだ足りない。だからもっと強くなれる。刀も心も」
意外と熱いよね、と軽口を叩こうと思ったんだが。
「だとしても、私は兄さんと違ってウサミミなんて生やす気ないけどね」
ユリアが半目で僕を睨んでいた。ぷ、と吹き出すシオリに二年生の仲間たちもつられたように笑う。
「ユリアなら似合うと思うが」
「やめて、カナタ。バニースーツを着せたいなら彼女にお願いしたら?」
「う」
ユリアの鋭い返しにカナタが唸る。
「カナター! だいじょうぶ?」
ちょうどそんな時にハルちゃんがカナタへと駆けてきたから、みんなしてハルちゃんを見つめてしまった。
「……え。な、な、なんですか?」
きょどる彼女を見て、僕らは顔を見合わせた。
「ウサミミがバニースーツなら、狐はなんだろう?」
その答えはどうやら、出そうになかった。
カナタが真っ赤な顔をして、こういう話はやめだと声をあげた。ハルちゃんを元に妄想する機会を奪ったんだ。愛だね。愛。
じゃあ……僕も今回の騒動の終幕を迎えにいこう。コナちゃんの元へ行くんだ。結末を告げるために。気持ちを打ち明けるために。
◆
保健室に眠り姫はいた。
養護教諭になった若い男の先生は僕に頷き、肩を叩いて出て行った。
気を利かせてくれたんだと思って感謝する。
ベッドに腰掛けて、眠りについているコナちゃんの胸元にある柄に触れる。
僕の刀。
一本目の刀。
抜いた理由はなんだっただろう。
最初の選択授業ではなかったか。
獅子王先生に挑む生徒は少なかった。思い返せば生徒会メンバーくらいか。他は割と早々に切られてしまったのだ。
カナタが引き付け役になると言って、単身で立ち向かった。次いでユリアが獅子王先生を翻弄するべく立ち回った。けれど獅子王先生は強い。どんどん切羽詰まる状況でシオリが恐怖し、戸惑う僕の前にコナちゃんが躍り出た。彼女の足は震えていた。拳は痛いくらい握りしめられていた。なのに立ち向かおうとした。僕たちのために。
救いたい。彼女のような存在を、救う力が欲しい。その願いは僕に刀を与えるのに十分だった。
「はじまりは君だ。コナちゃん……」
呟いた。ユリアのオロチに特別効果のある一振りを抜いたのは、おおかたユリアの大食いを止めたかったくらいの理由だと思うのだが。
ともあれ僕はその日、二年生の特別へと変わったのだろう。
でも僕の中で既に特別になっていたコナちゃんを守れたなら、僕にとってはそれで十分だった。まあ、すぐに心が折れそうな事実に気づいたんだけどね。
刀を抜いた僕を一言褒めると、コナちゃんは真っ先に立ち向かっていったカナタに駆け寄っていった。すでにカナタにお熱だったからさ。あれは凹んだなあ。
だめだ。このままいると、どんどん凹みそうだ。
「ねえ……起きて。黙って寝ているなんて、君らしくない」
月光が差し込む保健室で、綺麗な寝顔を見つめ続ける。
けど、そんなことをしていたらコナちゃんに怒られちゃいそうだ。何をする気なのかと。
しょうがない。
「ほら」
頬を摘まむ。けれど気持ちよさそうな寝息が口から漏れるだけ。
僕の刀を飲み込んだ胸が上下する。
「……」
無防備すぎる姿に思わず眉間に皺を寄せた。
眠りに落ちているのだからしょうがないけど、あまりに構えがなさすぎて心配だ。
「コナちゃん?」
鼻をつまむ。息が出来なくて起きて、そしたら僕を叱る。
そうすれば少しは和やかなムードで話せるかもしれない。
期待したけど、コナちゃんは口を開いて普通に呼吸した。
……ええと。
待ってくれ。
普通、こういう時はふがふが言って起きるものじゃないのかい?
「……ううん」
キスで起こす?
いや。いやいや。寝込みを襲うなんて、それはどうなんだ。
あれは両思いだから許されるのであって、白雪姫だって目覚めた時に見た相手が自分の好みじゃなかったらハッピーエンドにはならなかったはずだ。
身じろぎをした時に、ツキヨミがベッドに当たって音を立てた。金属が擦れるような嫌な音だ。まるで弱気の僕を叱り、なじるように揺れている。
わかっている。
コナちゃんは少女趣味なところがある。僕への好意が本物なら、受け入れてくれるだろうとも思う。
けど口を指で摘まんで起こしてもいいのでは?
『――意気地なし』
何かが聞こえた気がした。
「……コナちゃん?」
すかー、と気持ちよさそうな寝息しか聞こえない。
周囲を見渡して、それから刀を見る。けれど呼びかけても返事はなかった。
ハルちゃんのような才能があれば会話もできたのかもしれない。
けれど僕にはそれがないようだ。どれだけ待っても声は聞こえなかった。
コナちゃんを見る。僕が鼻を摘まんだまま、気持ちよさそうに寝ている。
もう一度、周囲を見渡した。間違いなく、保健室には僕しかいない。
ため息を吐く。
ずっと、覚悟が足りなかった。だから言葉にしていこう。もっと、たくさん。
「好きだよ」
願いと共に刀の柄にそっと意識を流す。
思えばいつでも臆病すぎた。メイやコナちゃんが賭けるほどのベットを、僕はまともに支払ってこなかった。そのせいで起きた騒動だとさえ思う。僕のいちばん未熟なところなんだとも思う。
深呼吸をした。
鼻から指を離す。そうして、コナちゃんの頬に手を添える。
わかっている。
コナちゃん劇場に一年から付き合ってきた。彼女はそういう演出が大好きだ。
もし相手が僕で嫌なら、それで終わり。
でももう、僕は決めたはずだ。いい加減、うじうじ悩むのはやめよう。
「――……、」
口づけた。とても柔らかい唇だった。
瞬間的に湧き上がる欲望、渇望。それを起こすだけの途方もない心地よさに思考が千々に乱れる。けれど、顔を離す。
起きてくれなきゃ困るんだけど。
果たして、ゆるやかに彼女の瞼が開いた。
「――……ラビ? ふ、ああ……よく寝た」
僕の名前を呼んで、それから困ったような顔をする。
「なんだか……いろんなことがたくさんあった気がするの」
口を閉じて深呼吸をしようとした彼女が、はっとした顔で自分の唇に触れた。
「ど、どうやって起こしたの?」
いや、唇に僕の名残はないと思うけど。それで真っ先にそういう質問を口に出来る君の妄想スキルは、ひょっとしたらハルちゃんと同じかそれ以上なのかもしれないね。
「お姫さまを起こすには、愛する人の口づけで」
彼女の理想を辿るのも難しい。具体的には恥ずかしい。
「――……、」
悩み、苦しみ、けれど縋るようにコナちゃんは僕の腕を掴んだ。
「……もういちど」
え、と聞き返しそうになった。
「寝てる間にファーストキスなんて、ずるい。だから、もう一度」
くらりときた。聞き返さなくてよかった。きっとこの言葉を、彼女の見せた可愛さを一生忘れないだろうと思う。
いいの、と。臆病さが聞きたがっている。けれど僕はコナちゃんの頬にもう一度触れた。瞼を伏せて震える彼女の緊張を感じながら、僕は再び口づけた。
「ん――……」
コナちゃんから聞いたことのない甘い声が出て、思考が揺さぶられる。
しがみついてくるように回って、引き寄せてくるから僕もコナちゃんを抱き締めた。
けれど柄が邪魔をする。
コナちゃんは僕の手を柄へと導いた。唇が離れる。
「ゆっくり……抜いて」
「ああ」
添えられた手に促されるままに、そっと柄を彼女から引き抜く。
白銀が桜に染まった刀身が出てきた。それは影打ちでありながら、彼女に染まった僕の刀に違いなかった。
「聞かせて」
僕の手をきゅっと握って告げられた言葉に、僕は話をする。
三年生との……メイとの戦い、メイと僕の思い。そのすべてを。
話し終えた僕にコナちゃんが身体を預けてくる。
まだ辛いのか、それとも別の理由があるのか? コナちゃんは体重のすべてを委ねてきていた。
「不思議……夢で見ていた気がするの」
「夢?」
「あなたは臆病で、二人とも不器用で……今は噛み合わない。そんな恋の終わりを」
コナちゃんの手が僕のワイシャツを摘まむ。
「恋は終わって愛になる。二人は今でも……特別だと思う。アマテラスとツキヨミなんて……ずっと特別なんて、ずるい。あなたは……本当にひどい男」
彼女を見た。夏休みを経て少し伸びた髪はくしゃくしゃで、なのに美しい。
「ラビは……私とどうなりたいの?」
潤んだ瞳は鏡のように僕の希望を映し出していた。
「コナちゃんが好きだ」
「……うん」
僕の胸に顔を預けてしまう。表情が見えない。
ずるずると動いて、僕の隣に腰掛けるとコナちゃんは僕の手を両手で包んだ。
冷たくて気持ちのいい手だった。
「私も好き」
「……ああ」
鼓動に合わせて手が震えていそうだった。コナちゃんの決断を聞くのが怖くて。
「刀鍛冶にはなれるけど、あなたの部屋にはまだ行けない」
「……うん」
「メイ先輩に当てつけたいわけじゃないし。私は……ゆっくり進みたいの」
顔を見れたらよかったのに、コナちゃんは僕に甘えを許さなかった。
「学校で目と目が合っててれてれしてみたい。二人きりになれて幸せ感じたりしたい」
らしいなあ、と思いながら聞く。
「デート、してみたいし」
希望がいっぱいありそうだなあ、と感じつつも頷く。
いかにも彼女らしくて可愛らしいおねだりだから。
「……焦って失敗したくない。だから、これまで通りでいたい」
その言葉には絶望した。
やっと両思いになったと思ったら、前進拒否なんてあんまりだ。
「なんて言ったら――……さあ、どうする?」
顔を上げたコナちゃんは笑っていた。
「ラビ。あなたは臆病。それにきっと私に理想も見ているんだわ」
手を離してすぐに僕の頬を両手で摘まむ。
「私にきゅんときながら絶望もしてる。そんなあなたの考えなんてお見通し」
悪戯っぽく笑う彼女を見て、頭痛がした。
「どこから本当で、どこまでが嘘なんだい?」
「それがわからないなら、あなたもまだまだね。いつもあなたが私にすることじゃない」
「……振り回してごめん」
「今更謝っても許してあげないんだから」
ぎゅっと頬を引っ張ってから離して、コナちゃんは立ち上がった。
乱れたスカートを叩いて直して、彼女はふり返る。
月明かりを浴びた彼女は、
「臆病で相手に理想を重ねて。メイ先輩にした恋を私で繰り返すつもりなら、今ここで振ってあげる」
残酷なくらい美しかった。
「さあ……どうするの? 止めなきゃ帰っちゃうけど」
本当に歩き出した彼女の手をすぐに取った。
踏み越えるべき一線なら、彼女に口づけた段階でもう既に超えている。
「もっとコナちゃんのこと、知りたいんだ」
「……ふうん」
「離さない」
たぐり寄せて抱き締める。
腰に両腕を回しても、彼女の抵抗はなかった。
「それだけ?」
試すような言葉なのに、不安と緊張がない交ぜになっている。
彼女は僕との恋愛にすべてを賭けている。いまこの瞬間に。
僕に何か変化がないのなら、メイとの恋と同じように終わると彼女は想っているのだ。
僕も……否定はできない。
超えたなら、進め。先へ。
「……部屋に誘っても?」
「ただ話すだけならお断り」
僕の胸を両手でそっと押し返してきた。
それにしてもコナちゃん、賭けすぎじゃないか?
「話すよりもすごいことならいいのかい?」
「だ、だめ! やっぱりだめ! 今日はキスだけだから、それ以上を考えてるならやっぱりお断り!」
あわてて言い足すあたり、どうなんだい。
何を連想したのかわかってしまうから、僕にとっては可愛くてしょうがないけど。
それじゃあ……そうだな。
「小遣いのほとんどは油断すると駅前の駐輪場の使用代で消えるんだけどさ」
「……つまり?」
「今日からは置き去りにしないから。二人で夜のドライブ……どうですか?」
「――……ん」
悪くなさそうだ。
「本当に置いていかない?」
「ああ」
「ユリアが迎えに来たりもしない?」
「しないよ」
「……絶対?」
「ああ」
「なら……いく」
頷く僕に、コナちゃんが抱きついてきた。
答えはなんとも可愛らしい方法で伝えられた。なら。
「行こう」
「……うん」
子供みたいに頷く彼女は可愛くて仕方なかった。
理想のフィルターは自分の理想でしかないから、心地よくても現実とは違う。
もっと素直に見ればよかった。ずっと昔からそうだ。
いつだって最初にそれを教えてくれたのは彼女じゃないか。
「コナちゃん、好きだよ」
「きゅ、急になに?」
隣を歩く女の子を見て、僕は笑った。
「聞いて欲しいんだ」
手を、差し出そう。
押しつけるのではなく。触れ合うために。わかり合うために。
手を差し出すんだ。
「振られたばかりの僕ですが、付き合ってくれますか?」
夜のドライブの承諾を改めて得る必要はない。
だからその言葉の真意は別にある。
もちろん交際の申し込みだ。
「……おねがいします」
頷いて手を取ってくれるコナちゃんは輝いて見えたよ。
もっとちゃんと彼女を見つめよう。
理想よりも実際の彼女を。
臆病にならずに伝えていこう。
彼女はずっとそうしてきた。きっと彼女に対しては僕もそうしてきた。もっと意識して、乗り越えていこう。
できるはずだ。
僕はもう、踏み出しているのだから。
つづく。




