第二百十話
耳元で名前を呼ばれた気がして、瞬きをした。
「ハル、大丈夫?」
トモが心配そうな顔をして私を見ていた。
はっとして周囲を見渡す。
特別体育館、隔離世に集まる私たち一年生はみな緊張した面持ちだ。
天守閣から外を見る。
正面入り口に二年生たちが集まっていた。
カナタと話し合った夜からあっという間に一週間が過ぎた。合戦の日が来てしまったのだ。
けれどずっと私の中には答えの出ない悩みがある。
ラビ先輩の気持ちがイメージできない。どういうゴールがいいのかわからないの。
コナちゃん先輩が好き。大好きだ。幸せになって欲しいと願っている。
でもメイ先輩も大好きだ。同じくらい、幸せになって欲しいと思う。
ラビ先輩がどちらかを選んだら、選ばれなかった方はどうなるのか。どうしても考えてしまう。
わかっている。本当は。
答えはなくて。現実を思い知るくらい向き合って、決断をくだすしかないんだって。
私はギンと戦っていやというくらい痛感した。
私にはカナタ、ギンにはノンちゃん。そういう現実を、未来を、痛みとともに見出した。
これもおんなじ。カナタが言うとおり、おんなじだ。
それでも思ってしまう。みんなが笑える未来はないのかって。
甘い幻想なら……せめて納得できるようにさめたい。
どうにかできるなら、どうにかしたいよ。
でも三人の三角形に対して私は部外者でしかない。
「こーら」
トモが私の皺をきゅっと摘まんだ。
「むつかしいこと考えてるみたいだけど、またラビ先輩たちのことを悩んでるの?」
頷く。トモには相談したの。けれど彼女の答えは明快だった。
本人たちが決める。外野は口出しなし。それがトモの中でのルールみたいだった。
なんにもできないことがもどかしい。もしかしたらこのもどかしさこそ、私の悩みの正体なのかもしれない。
二人の先輩に負けないくらい、ラビ先輩が好きだ。幸せになって欲しい。
苦しい選択にもめげないで、輝く答えを出して欲しい。
それは私がするべきことじゃない。ラビ先輩が出さなきゃいけないことだ。ラビ先輩が。
「私には、なにもできない」
絶望と一緒に現実を呟く。そしたらトモはね。
「ラビ先輩と戦うことはできる」
そう言って私の不安を笑い飛ばす。
「先輩がんばれ、つらいと思うけど応援してるぞって……ハルは伝えることができる」
私の身体をぎゅっと抱き締めて。
「並木先輩にだってそう。真中先輩にもね。まあ……真中先輩は、二年に勝てなきゃ無理だけど」
「――……うん」
決意と共に頷いた私を見て、トモが囁いた。
一年生で唯一獣耳のある私にだけ聞こえるように。
「ラビ先輩と真中先輩が立ち会う機会を作るなら……今日は好機かも」
はっとする私にトモは笑った。
「あんたの悩みが晴れるならそれでいい。今日の目的はあくまでさ。一年生の刀鍛冶の覚醒なんだから」
負けず嫌いで戦いにいつだって本気のトモが、私を思って言ってくれた言葉に頷く。
その言葉の意味をみんなに説明するべきじゃない。
私たちだけの確認だった。
覚悟を決めた私を見て微笑むと、トモは刀を抜いて天守閣の窓枠の縁に立つ。
迎えるシロくんに何を話していたのか質問されているけど、肩を竦めてごまかしてくれた。
もう一度周囲を見渡す。
合戦。ルールは単純。
私たちは天守閣と神社の御珠を制限時間が過ぎるまで守る。二年生は奪いにくる。その苛烈な攻撃によって私たち一年生の資質は覚醒するそうだ。
山吹さんが御珠の前に正座して、緊張した顔でいる。その肩をカゲくんが叩いた。
「気張るなよ。神社は月見島と住良木たちがいる。一つだけでも守りきることができれば罰ゲームはなしだ」
「……二年生からの提案。二つ奪われたら罰ゲームで掃除当番を引き受ける。城の指揮が私なんて、責任重大だよ」
山吹さんの言う通りだ。合戦が始まる前にコナちゃん先輩が提案してきたの。
刀を手にしようとしまいと本気を出せるように、勝負が面白くなるように賭けをするべきだって。それを伝えたコナちゃん先輩はいつも通りだった。明るく強くて前向きで優しい、けどときにはちょっと厳しい。私の大好きなコナちゃん先輩だった。
意気込む私たちは当然、挑戦を受けた。
とはいえ末端ならいざしらず、神社で指揮を執るレオくんにお城の指揮を任命された山吹さんは緊張しているようだった。
こないだ刀を抜いたばかりなのに、と呟く山吹さんに、そばにいたルミナさんが快活に笑った。
「いけるって。うちらを率いた実績がある。同じようにやればいいよ。戦力の半分はこっちにいるんだからさ」
そうそう、とフブキくんが頷いた。
トモの隣に立って見下ろす。城の前に狛火野くんが刀を手に立っていた。
妖怪の刀を持つ先輩が攻めてきたら、村雨で立ち向かうために。
そして各階層には刀を抜いたばかりの一年生たち。
対して神社には単純戦力として強いギンやタツくん、指揮能力の高いレオくんがいる。
私、シロくん、カゲくんを抜いた九組と刀を抜けなかった一年生たちにくっついて、ユリカちゃんや姫宮さんがいる。
なにより唯一、刀鍛冶のノンちゃんがいるのだ。強大な刀で迫る二年生の対処には十分な戦力だ。
一年生にできる最強の布陣のつもりだと、みんなで何度も確認し合った。
チャイムが鳴る。
戦闘開始の合図だ。
「……やろう。逃げない」
呟いて、すっと山吹さんが立ち上がった。
「伝令! 城のチームはこのまま待機! 仲間、結城、青澄三名は敵本人へ切り込みを!」
山吹さんの指示にみんなで顔を見合わせる。
だって合戦が始まる前に打ち合わせた作戦では、専守防衛に努めるはずだったから。
「ど、どうして?」
私の問い掛けに、山吹さんは窓の向こうをじっと見つめて言った。
「勘」
その言葉に天守閣にいるみんながずっこけそうになる。
けど山吹さんは真面目な顔をして言うの。
「合戦が始まったにしては静かすぎる。経験値は向こうが上。戦力差があるならこちらから仕掛けないとあっという間に負けるかも。立ち向かうからこそ活路は開く。三人はじっとしているタチじゃない。だから行動を」
マシンガンで語られる言葉に納得させられてしまう。
山吹さんは戦況を肌で感じて、その上で確信をもっているのだと。
「――……青澄さん」
「え?」
一人だけ名指しで呼ばれるとは思ってなかったから、素の声を出してしまった。
「敵の柱を誰より知るあなたには、遊撃に努めて欲しい。生徒会の……特に生徒会長の相手は、あなたに」
どきっとした。ラビ先輩をピンポイントで言う理由が山吹さんとの会話に一つもなかったはずだから。
「がんばってきて」
不思議。まるで私の悩みを見透かしているみたいに笑う山吹さんにどきどきする。
トモとの話が聞こえちゃったのかも。
「……いいの?」
だからその問いは確認だった。
知っているのか。応援団の繋がり、できた友情。私の自分勝手をしていいのか。
そして山吹さんは笑った。
「腹は決まった。何か困ってるって噂は聞いてたから、いいよ。それにトリックスターの生徒会長の相手は、あなた以外できないから」
「そうそう。悩んでるって顔に書いてあるぜ、青澄」
「うちにもわかる。ラビ先輩の名前を出して、戦いたいって書いてある!」
山吹さんだけじゃない。
ルミナさん、フブキくんの答えに涙がでそうだった。
仲間の絆はここにある。応援団、やってよかった。
じんとする私です。
「うっし。じゃあラビ先輩を見つけたらお願いね、ハル」
背中をぽんと叩いてトモが笑ってくれていた。
「いってこいよ! きらきら金ぴかに光ってさ。九組の太陽みたいなもんだからな、お前は」
「違いない」
カゲくんの言葉にシロくんが笑った。
「……いいかな? 私、今日すごくわがままになっても」
当然だと叫ぶようにみんなが頷いてくる。
ここには優しさがあふれてる。泣き出しそうだ。やばい。
「……がんばる!」
「うん! がんばって!」
山吹さんの声援を受けて、私たちは顔を見合わせて空に駆け出した。
そしてさきほど聞いた山吹さんの状況分析に唸った。
戦地となる城下町に二年生の姿はない。なのにね。
『気配をびんびん感じるぞう!』
タマちゃんがわくわくした声で言う。
姿が見えないのに気配だけは迫ってきている。音も。
消そうとしているけど、私の獣耳ははっきり捉えていた。
多くの足音が神社とお城に向かっている。
「シロ、分散して長屋の破壊! 敵をあぶり出す!」「掃除当番はごめんだからな!」
トモが叫び、シロくんが答えてすぐに二人は稲光へと姿を変えた。
離れていく二人を見送りながら、空を駆ける。
どこへ?
強烈な気配を感じた私は天井を捉えた。
誰もいなくなったそこに、一人の青年が腰掛けていた。
ラビ先輩だ。
懊悩する表情を晒さないように帽子を目深にかぶって、けれど口元には隠せない苦みがあって。
『ゆくか?』
十兵衞に問われるまでもない。
私の心は決まっていた。みんなの励ましがより強く、私の背中を押してくれる。
いける。いこう。
一直線に走って行く。悩み苦しむ先輩のもとへ。空に金色を散らしながら、私は一心に向かっていく。
彼の心に触れるために。
私の心を握りしめて、真っ直ぐ向かっていくのだ。
つづく。




