第二百八話
真中メイ。私の名前が学校にとって、ささやかな特別になったのはいつからだろう。
すべては私の刀のおかげだと思っている。
天照大神。特別な名前だ。イザナギやイザナミクラスの、日本神話の神クラスの刀はすべての侍の中でも破格の一振りだから。
去年の生徒会長、現在の士道誠心お助け部の部長。でもそれは付加情報程度でしかない。
私が特別なのは刀のおかげだ。最前線でみんなのために戦う私だから、その背中を誰かが特別に思ってくれているだけ。
戦う心の柱に選ばれたのなら、私は折れるわけにはいかない。だって、私が折れたら……先輩が折れた時のようにみんなが挫けてしまうから。
先輩が邪に囲まれて倒れて心を失って、士道誠心には暗雲が立ちこめた。
今でも覚えている。
一つ下の世代にはコナちゃんという太陽がいて、けれど私の学年には一人もいなかった。
必然、彼らからすれば情けない先輩だったと思う。
精神的支柱を失ってからずっと元気を失って、先導する力も発揮できなくて。学校さえまともに行けなくなった。
リーダーシップを取れない私を影で支えたのはラビだった。
私は願った。誰よりも強く輝いて、不安で怯える誰かを照らして導くだけの強い存在になりたいって。先輩が私を導いてくれたみたいに。そこまで大げさじゃなくてもいい。授業で間違えて先生にやんわりと注意されたりするくらい、簡単なものでもいい。私は道を照らしたい。
支えてくれたラビに対してもそう思う。
だからこの刀は応えてくれた。太陽になってくれたのだ。
ルルコやサユに言わせれば、そう願う私だからこそ刀は太陽になったらしいけどね。
「……」
ふり返るまでもなく、ラビは食器を片付けた私の後ろをついていきている。
午後の授業が始まる前に、私はラビを部室に連れて行った。
士道誠心お助け部。誰かを助けるための力になりたい。その精神を誰より体現していた先輩を思い出す。
優しくて、人の気持ちを理解してくれる人。
先輩が倒れる前のラビはいたずらっ子だった。悪さをしてこちらの気を引いて、いつだって自分が好きな人を試す。そんなちょっとむかつく手の掛かる後輩だった。だから可愛くて仕方なかったんだけど……ラビは変わった。
先輩が倒れてから。
「ねえ、ラビ。あなたが私に優しくしてくれるようになったのはいつだったか……覚えてる?」
まるで先輩みたいになって、とは言わない。
いつも座る机に指を置いた。
「……部長が倒れてからです」
ラビが部長と呼ぶのは先輩以外あり得ない。
心の中でため息を吐く。
私のためにもし先輩みたいに振る舞ってくれたのだとしたら、この子の優しさは悲しい。
そうさせてしまった私の弱さを自覚する。
「そうだよね」
頷きながら椅子を引いた。腰を下ろして話をしにきたラビを見つめる。
いつか追い掛けてきた先輩のように、私にもわかる。
ラビの考えていること。ラビに何があったのか。それくらい、わかる。
「コナちゃんから告白された? ……そうだよね。あの子は挫けるような性格してない」
ラビの顔に苦しみが浮かぶ。
痛みを与えたいわけじゃない。けれど、私には彼に伝えなきゃいけないことがある。
「メイ。僕は――……僕は、」
「どうしたらいいのか。それはラビ、あなたが決めなきゃいけないこと。私はあなたが何を選択してもいいと思ってる」
「え――」
「ラビ。好きだよ。でもね、あなたを縛ることもできないの」
喘ぐようにラビが私を見つめてくるから、鞘を机に置いた。
「あなたが私の恋人だから……見せるね」
鞘から刀を引き抜く。
ぼろぼろに錆びて、欠けて、折れる寸前の刀を。
「――……どうして」
昨日、パフォーマンスの場でのことを言っているのだろう。
私は刀を抜いて、その輝きを証明してみせたのだから。
「刀鍛冶に取り繕ってもらったの。だから真実はあなたと私の刀鍛冶しか知らない。これでも昨日よりは随分マシになったんだよ?」
コナちゃんに囁いてからは、ね。
「メイ、なぜ」
私に手を伸ばしてくる。けれど片手で制した。抱き締めてもらう必要はない。
「夏の夜から、日に日に欠けて錆びていくの。理由をずっと考えていたけど、昨日コナちゃんを見てわかったの」
気持ちは澄んでいる。なのにそれはどんな色でどんな形をしているのかわからない。
「コナちゃんのことがずっと引っかかっていた。だから……あなたの話を聞きたい」
「メイ、」
「折れないよ、何を聞いても。ハルちゃんを見て、面倒を見てきたの……大丈夫だから、教えて」
「でも、」
「ラビ」
優しく呼ぶ私の声がなによりラビにはつらいようだった。
それでも聞かなきゃいけなかった。
「コナちゃんのことが好きなの?」
ラビの視線がさ迷う。当然だ。
誰もが痛みを与え合うようにできている。少なくとも私たち三人の関係はそうなってしまった。
誰が始めたのか? 関係ない。気持ちは意識して始めるものじゃないと思う。理屈で感情で動くなら、感情はもはや理屈でしかない。そこに心はないと私は思う。
けど、ラビ。違うんでしょ?
恋はするんじゃなくて、落ちるものだと私は知っているよ。だから教えて?
「――……僕は、」
「いい。怒らないし嫌わない。見下げたりもしない。だから聞かせて、あなたの口から」
「僕は、」
「好きなの?」
「――……ずっと、前から」
呟き出された告白を聞いて、思ったより自然でいられることに驚いた。
けど当然だったのかもしれない。あの晩、私は既に気づいていたのだから。
「でも、僕がメイを思う気持ちに嘘は!」
「ないのはわかってる。疑ってなんかいないよ」
現実に痛いくらい揺さぶられているラビをなじる気はない。
抱き締めてあげられたらいいとさえ思う。けど、今はまだだめだ。今それをしたらラビは自分で気持ちを決める機会を失ってしまう。
それは――……それは、私の刀に願った誓いからずれてしまう。
ああ。確かに私の刀が錆びるわけだ。
大好きな彼の人生を私の気持ちで縛ることを私は選べない。導くために抜いたのだから、照らしたい。陰らせたくない。
「ラビ、あなたはどうしたい? いいよ、何を選んでも。ただ自覚した上で決めて欲しい。私の願いはそれだけ」
「――……叶わなかった恋路の未来が舞い込んできたとして、それで捨てる程度の甘い気持ちであなたに恋したんじゃない」
切実な声だった。
「でも、確かに好きだった。願ってもいた! けど、メイ。あなたの刀がこんな状態なのに、あなたの心が砕けそうなのに! 僕が――」
「私を理由にしなくていい。背負わなくていいの、もうね」
「え……」
「私の刀は――……私の心は私の問題。支えてくれるのなら嬉しい。癒やしてくれるならそれも嬉しいよ。でもね、ラビ。私の心は私が責任をもつべきであって、あなたが責任を感じるべきことじゃない」
「――……メイ」
「元気になった。強くもなった。全部あなたのおかげ。でも、私の心は私のもの。もう、私は自分の足で立てる」
泣きそうに歪むラビの頬に触れる。
「だから私を背負わなくていい。私を選ぶのなら、手を取って。コナちゃんを選ぶときもね。あなたは私の代わりにいろんなものを背負ってくれた……けど、もういいの」
抱き締めるなら、今だった。
「……もういいの。あなたは自分の荷物だけ背負えば、それでいい」
腕の中で私より大きいけど一つ年下の男の子が震えていた。
いつだって完璧な姿を見せようと心がけて、けど彼が素直でいるのは……。
「ラビ」
呼びかける。
「よく考えて。合戦はいい機会になる。私たちの選んだあの子が、あなたに挑むから」
「……ハルちゃんが」
「ええ……きっと全力で向かってくるから、いい刺激になると思う」
ラビが強ばった顔で笑った。確かにそうですね、と。
「時間をあげる。だからどうか、じっくり悩んで……自分で決めて。きっとコナちゃんも言ったと思うけど、私も……あなたが何を選んでもいいと思ってるから」
「……わかりました」
そっと離れる。悩み、手を伸ばして、けれど私に触れられずに落ちて。
ゆっくりと立ち去るラビには見苦しさはなく、引き際をきちんと弁えている。
その背を見送って、長い長いため息を吐いた。
教室に戻る気にはなれなかった。刀に触れる。
真打ち、天照大神。
私の太陽。錆びた刀身が熱を帯びていた。さび付いた刀身の赤茶けた汚れが落ちる。
「泣いて縋れたら、あなたを捨てて……ラビにしがみつけたなら、どれほど楽だったかな」
言いながら笑う。
あり得ない。
今でも覚えている。初めて刀を抜いた瞬間を。
それまでの私の人生は平凡そのものだった。
勉強は並み。運動神経には自信あったけど、取り柄といえばその程度。きっとなんでもない大学か専門学校を卒業して適当な仕事について、結婚もできずに人生を終える。そんな退屈を思い描いていた。
すべては刀を抜いて変わった。
現実から幻想へ。邪討伐、隔離世での万能感。夢はすべてあそこにある。
手放せない。夢も心も、誓いも。
自分の心に嘘はつけないんだ。
私の未来が誰かの道を照らすためになったのは、ラビが私を支えてくれたから。
先輩を失って傷ついた私がどんなに泣き叫び、どんなに理不尽に殴ってもラビは受け止めて導いてくれた。
ラビのようになりたいと思ったから、大事な人を照らせるようになりたいと思ったからこそ私の刀は真打ちにまで至った。
それを捨てるなんて、できない。
私はあなたのことが大好きだから。どんな未来を辿るとしても、その特別は私の中で輝き続けるから。
絶対にこの刀を捨てることなんてできない。
これが私の愛なんだ。刀こそ私の願いそのものなんだ。
矛盾しているね。ラビには私を背負わないでいいっていったのに、私は私の願う人の幸せを勝手に背負っているのだから。
でも。
「しょうがないよ……」
私の願いの形はそれだったんだから。
ラビが気づかせてくれたから。ラビが好きで好きでしょうがないからこそ、私は刀を捨てられない。
「アマテラス、私の未来を照らしてくれる?」
私の強請る声に応えるように、掲げた刀がみるみる内に姿を取り戻していく。
どれほど自分が苦しくなっても、つらくても。
私の心は既に、誰かの幸せのために存在する。
愛してるから、幸せになって欲しい。
もし隣に私がいないのだとしても。どうか。どうか。
あなたには幸せになって欲しい。
「――……眩しいね」
これでよかったと自分に言い聞かせる必要すらなかった。
輝く太陽を取り戻す刀こそ、私にとっての答えそのものだった。
それが……何よりもつらくて、悲しかった。
私が眩しく輝けば輝くほど、私の道は孤独にできているのだと言われている気がして。
悲しくて仕方なかった。
笑えちゃうことが、悲しくて仕方なかったんだ。
つづく。




