第二百七話
授業を受ける真中メイを横目に見ながら南ルルコはいつでも考える。
私は陰口をよく言われる。それだけの性格だと自覚しているから、いまさらへこたれもしないけど。その陰口の中にはね。
『ああいう女って屈折しててめんどくさそう』
というのがある。
当たってるよ。好きだから同性相手に辛辣になったりしてさ。
それは人を遠ざけるものでしかない。わかってる。
でも私はメイに辛く当たることがある。強くあって欲しいから。それは私の勝手な願望でしかない。メイはそれをわかっていて、たまに悲鳴をあげる。
そんな悲鳴を聞くたびに悲しくなる。ああ、メイも人の子なんだって。そんな悲しみ方をする私はなんて心が冷えた最低女なんだろうって落ち込む。
そんな悲嘆にはもう飽きていて、心はいまさら動かない。
事実を再確認するだけ。
冷たい女。
氷を操る刀を持って、私は冷え切っている。
そういう自分に呆れているし、飽きてもいるし、諦めてもいる。
けど、そんな私だからこそ真中メイに憧れる。あの子は私の対極にいるから。
いつだって意識してきたし、見つめてきたからこそ理解できてしまうことがある。
メイも屈折している。
涼しい顔で授業を受けているけれど、マイクパフォーマンスをした後からメイは明らかに様子がおかしかった。
コナちゃんにきっと何かを言ったと思う。コナちゃんの顔が強ばったのは私も見ていたから。
メイは私に何かを隠している。コナちゃんにだけ――どれほどかはわからないけど――明らかにして、一人でよくわからない戦いに挑もうとしている。
誰のためだろう。わからない。それからメイは私に何も話してくれない。
寒くてしょうがないの。メイと関わっていないと、私は凍えてしまいそうだ。
憧れている。メイの強さに。コナちゃんの明るい力に。一年生の山吹マドカさんが見せてくれた、誰かを引っ張る性格に。ハルちゃんが見せてくれる、優しさと一途に信じる心に。
ずっと掴めないでいた。
氷の世界に生きる神さまを引いた私の心はどこまでも冷え切っている。明るくてあたたかな世界は私にとって手が届かない優しい幻想でしかない。
でも幻想は形をもって、羽村くんや……メイとして、私の世界にちゃんと存在している。
だからそばにいたい。
うまくできない自分にへこたれながら、明るさに凍てついた触手を伸ばしては溶かされ、傷つき、傷を押しつけ返そうとするという下手をうちながら、それでもそばにいたいと願う。
羽村くんの優しさに必死に応えようともがいている。
メイのためにできることがあるなら、私はなんでもしたい。矛盾している。やっぱり私は屈折している。
いつだって不安。いつ彼や彼女に嫌われないかと不安で不安でたまらない。
そんな私だ。物心ついてからずっとこうだ。
だから昔、一年生の頃。先輩にメイと二人して士道誠心お助け部に誘われた時、無理だと断った。
先輩。メイが片思いをした先輩。一人で戦い、心を砕かれた先輩。五月の病事件で心を取り戻して、メイが恋心を諦めた先輩。
先生のねむたい授業を聞きながら涼しい顔をしているメイを見ていると、私は自分を見ている気持ちになる。
何かを諦めて、心細くてたまらない顔をしている。そんな自分に重なって見える。
今までなら厳しく当たってしまった。
でも……いい加減わかってる。私はそれじゃだめなんだ。今までと同じ、変わらないまま。
冷え切った世界で、いつ孤独になるのか怯え続ける自分で居続けたくはない。
前を見た。
サユが窓の外を眺めている。
羨ましい。心の底から羨ましい。みんな何かに囚われて生きている。
サユだけは違った。何かに嵌められない。枷を嵌めようともしない。自由に生き続ける。
きっと侍にならないのなら、世界に出て行って何にも縛られずに楽しみ続けていくのだろう。
考えてみれば私たち三人は不思議な関係だ。
率先してみんなを引っ張り、道を示すメイ。冷静に状況を整理して正す私。がんじがらめになった時、自由に道を示して解決するサユ。
変な三人。授業が終わって学食に行くメイを見送って、ふらふらどこかへ行こうとしたサユのブラウスを摘まむ。私に気づいたサユは、私の顔を見て一瞬ですべてを理解したようだった。
「どうしてメイに直接言わないの?」
すべてをわかっている、という顔を見るのは嫌い。
「サユはどうしてなんでもしってるの?」
「風が教えてくれるの」
不思議ちゃん発言とか求めてないし。
「不機嫌な顔をしたいなら、私は関わる気ないけど」
「サユー」
他に頼れる人がいなくてたちまち弱る私にサユは呆れた顔して笑う。
「それで? ルルコはどうしてメイに直接言わないの?」
「……言えるわけないよ。いつもメイにきつくあたってるのに、私に教えてくれるわけないじゃん。悩みを打ち明けてくれるわけない」
「そう思ってるのはルルコだけかもよ」
「……そんなことない」
「どんな言葉をかけてほしいの?」
怒りもせず、呆れもせず。なんでも好きに言ってという態度。
「……ルルコ、サユのそういうところ嫌い」
「振られちゃった」
優雅に微笑むサユに毒づく。
「なんでサユはルルコのこと嫌いになんないの?」
「ルルコは嫌いって言葉で好きを伝えるから。メイも知ってるはずだよ?」
「……」
ほんと、大嫌い。
◆
学食に行った。
サラダとヨーグルトだけを買って、庭に出る。
いつだって山盛りの唐辛子をのせた担々麺を啜るメイの姿はすぐに見つけられる。
向かい側に座ってもメイは反応してくれない。やっぱりどこか怒ってる。仕方ないから私から口を開いた。
「よくもまあ……毎日そんなハイカロリーなの食べるよね。しかも火を噴くほど激辛でさ」
私の言葉に麺を啜り終えたメイがコップの水を飲み干して言うの。
「あんたこそ、よくそれで身体がもつわね」
視線をあげたメイが私を睨む。
まるで敵を見るかのような目だった。
耐えられない。
やっとわかった。私はずっと、心の底からメイに甘えていたんだ。サユにも。
違う。世界中に甘えてきた。そういう人間なのだと実感した。
「……ごめん」
「謝らなくていい。ルルコが謝ることなんて一つもない。ルルコに怒ってるわけじゃない」
「……でも」
甘えるような声しか出せないから嫌になるくらい自覚した。
「ルルコは鏡みたいだね」
「メイ……?」
「私が不安になると、ルルコも不安になる。私が何かに怒るとルルコは私に怒る。いつだってそうだった」
メイの言葉が意外すぎて、まともに返事さえできなくなった。
「考え違えをしているようだから言うけど、ルルコはいまのままで私はいいと思う。だってルルコは素直だもん。自分に。私は好きだよ、そういうの」
「……でも、嫌われることもおおいよ?」
「そんなのどうでもいい。大事なのはね、私はルルコのことが大好きだということ。ルルコと私にとってはそれこそが大事じゃない?」
「……メイ」
優しさ、あたたかさ。太陽の化身。そんな理想をいつもメイに重ねてきた。
いまだってそうだ。凍り付いた私をやさしく溶かす言葉をかけてくれる。
「メイはなにをしようとしているの?」
私の問い掛けにメイは勢いよくスープを飲み干して、真っ赤になった口を片手で拭って笑った。
「どこかで狂っていた歯車を片付けないと、受験勉強もまともにできそうにないからさ」
丼を置いたメイが、ある一点を見つめた。
視線の先を見る。私のようにメイを探してきたのだろうラビくんが、何かを言いたそうな顔をして立っていた。
それはいつかの夏の夜に見た時よりも、嫌な予感を誘うものだった。
もう私が間に入ってどうこうする次元をとうにこえて、当事者でしかどうにもできないであろう緊張を孕んでいた。ラビくんの顔に浮かぶ緊張があの日を超えていたから間違いない。
「……ねえ、メイ。放置してみんな今のままじゃだめなの?」
自分で口にした言葉の意味さえ私は理解できなかった。
けれどどうしてか、メイは理解したようだ。
「ラビに感じたことを放置して大げんかしたのが夏休み。昨日コナちゃんの顔を見て実感した。問題はまだあるんだなって」
「……だから、やるの?」
「うん。これを放置したら……きっとみんな揃って盛大に傷つくからさ。痛くても壊れてもやるって私は決めたの」
「痛くても……壊れても」
「不器用にぶつかりあって、傷つき傷つけられて。それでも輝きに至る」
「……まるで青春そのものって感じですね」
「私もそう思う」
じゃあねと言い残して、メイはラビくんの元へと歩いて行った。食器をのせたトレイをメイからそっと取って、ラビくんは二人で学校の中へと入っていく。
私は勘違いしていたのかもしれない。
熱っていうのは数値が高まるほどに、外気との温度差による刺激が強くなる。
私の対極にもしメイがいるのなら、そして私が世界に苦しさを感じるなら……メイにとってはどうなのだろう。
そう考えてすぐに決意した。
メイがどんな選択をしたのだとしても、私はメイの味方であろうと。世界中がもしメイにNOを突きつけるのだとしても、私だけはメイの味方でいようと。
つづく。




