第二千十七話
ユメは理華ちゃんとの散歩が楽しかったようだ。
サキたち他のぷちたちも、聖歌ちゃんたちとの時間をたっぷり満喫できた、といえたらよかったんだけどね。ユメだけずるいとか。うまく馴染めず、つまんなかったとか。なんでママそばにいないの! とか。まちまちだ。
めいっぱい「さあ、遊ぶぞ!?」と緊張しているお兄さん、お姉さんたちはどうかというと? みんな、ぼろぼろの灰色姿で笑顔でお見送りしてくれたよ。顔がやや引きつっていたかなー!
問題はね? 生じる。どうやろうとしても? 増えつづける。
ゼロにはならない。
なので「身の回りの問題は常にゼロでなきゃ」と強迫観念を抱いていると?
簡単に負荷を受けとめる器があふれてしまう。
なにしろ問題は煮えたぎった鍋のスープで沸騰して出てくる泡のようなもの。
しかも延々と高火力で熱するコンロに設置されていてさ? 出来事に接するたびに液体が足されるから実質、鍋の中身がどれほど蒸発しようと泡立つ状況は変わらない。
そういうもんだわーという境地になればいいじゃないって?
なれないんだなー。
なにかスイッチを入れたらなれるってものじゃないもの。
人にスイッチはないしさー?
こつこつ、具体的な手段を実行していくだけじゃんね?
だとしたら、そういう境地になれるような具体的な手段って、なに?
なぞ。
しらん。
わからん!
ストレスなんて感じなきゃいい、と言うようなもの。
それができれば? 苦労はない!
具体的に、どうするの?
実際にやってみないと、実践の難度はわからない。
想像の食事について百回はなしあうより、素材選びや調理と実食を何度もするほうがいいかな。方向性を模索するために学んだり知ったり、考えたり思いを馳せたり、話しあったりするわけで。絡み合う糸のよう。
糸ってさ? いくつか構造があるそうだ。構造によって、耐久性が変わるのだという。
いくつかの糸を利用して、組み合わせて、衣類や布製品などに使われているんだって。
でもね?
ストレスなんて感じなきゃいい、なんていうのはさ。
それこそ、ほっそいほっそい、頼りない糸。脆い一本。実践の重さが乗っかると? たやすくちぎれるもの。
失敗も挑戦も、繰り返して積み上げられるものが糸になる?
わっかんね!
例え話だし。
いよいよ、わからない。
達観した境地になれるのかなー?
どうなんだろうね!
わっかんね。
わっかんねーから、いいや。
いまは。
精いっぱいやることやって、ぷちたちが眠りについたらね?
カナタとふたりで、真夜中にこっそりと外出する。バイクを出してもらう手もあったけど、やめた。目指すは渋谷。場所が場所だけに、バイクじゃ置き場所に困る。路駐は目立つし、お金がかかる。夜中でも場合によっては駐車禁止をくらっちゃう。いや、見つからなきゃOKって話ではないんだよ? もちろんそう。
有料駐車場は車向け。バイクを置ける場所は別。駐車も駐輪も、基本、土地のお金に左右される印象が強い。地価が高いほど有料。山手線の駅チカなんて、それはもう! えげつない。地方だと? 数時間無料なんてこともある。市営や町営だと? 比較的安めになったりして。一日定額の駐車場もあるから、都内だからって軒並みばか高いわけじゃない。上限設定のない駐車場がしれっと混じっているから要注意! ちなみにこれは高城さんの愚痴で覚えた。
そう考えると金色雲は便利!
バイクの構造をよく覚えて、化け術で再現できるようになったら?
道交法に則って走れる、かなあ?
無理か。車検とおってないもんね! 車検証もなにもないんじゃ、取り締まりに出会った瞬間にいろいろ終わる! そんな危険は犯せない? っていうより、安全の担保の確認と、その違反の取り締まりと、二重構造じゃない? いや、もっと多層的な話かも。
だから、もうちょい複雑。
金色雲はいいんか!
よくはないけど、これが精いっぱいのずる。
「勝手に行ったと知ったら、山吹たちは怒るんじゃないか?」
「ぜったい怒るね!」
後ろからハグしてもらって、まっすぐ渋谷を目指す。
わりと近いから、それほど時間はかからない。
狐憑き状態から人へと戻っているので、いつもよりも密着度が高め。
いや。尻尾がなくても、真夏なんだしさ。夜でも涼しいとは言いがたいんだから、もうちょっと離れてもいいと思うんだけど。
「暑くない?」
「速度をあげてもいいんだぞ?」
うん?
「そういう話はしてないんだよ?」
「離れないぞ」
ううん。
「尻尾、戻そうかな」
「まだ早いって」
ううん!
「これはこれでいいなあ。俺もがんばってみようかなあ」
なにをですか?
「人に戻れたら、むしろ自然とデートができるかもしれない」
「ぷちたちと一緒にね」
「それはそれで! あ、でも、そうか。ぷちたちの尻尾があるのか」
「どうせ目立つんだし。いまやそれが自然でしょー」
「かくして、まだまだ絡まれる人生は続くと」
「いまさらいまさら!」
笑い飛ばす。
どうにもならなさも。数ある問題も。
きっとこれからも増え続ける未来も。底なしの不幸せも。
ぜんぶありつづける。増え続ける。
それだけじゃないさと信じる力さえもないままに。増やしても追いつかないほど、ずっと足りないままに。
どうしようが、あるんだから。
いまの元気をくすぐるために、いくらでも笑い飛ばす。
やせ我慢みたいだけどぉ?
笑い飛ばす!
「それで。人の状態だと、なにか変わります?」
「なにより、背中からのハグがしっくりきますね! 腰を引いた、いわゆるくの字にならなくていいので! 腰が痛くない」
やだなあ。
通販番組の商品説明みたいだ。
「正面からハグすればいいじゃん」
「たまには背中からもいいだろ?」
「んー」
「だめぇ!?」
「腰は密着してなくていいかな」
「あっ。あっ」
いきなりカオナシみたいに声だすじゃん。
遠慮がないよなー。言っちゃう私もかな?
「そろそろいいかな」
眼下をチェック。真夜中に「さあ! やるぞ!」と向かう人たちが見えなくなるのを待つ。
待合室次第じゃ「これからホテルでやります!」な人たちが、わーっと集まって「部屋あかないかなー」って待つことになるという。
めちゃめちゃ気まずいやつじゃん。それ。
いや、知り合いと会わなきゃいいだけ?
そういう問題なんだろうか。
もはや遥か昔に思えるけど、学生寮の大浴場で聞いたことあるなあ。
クリスマスに部屋が空くのを待っている人たちが「こっちみんな」か「わたしたちの世界!」という空気を全力で放っていて、どちらであれ「居心地わるっ! 空気わるっ!」だったという。そういう場所のそわそわの中での会話が弾むのもどうなんだ、というツッコミもあった。
とても人気なテーマパークのアトラクション待ちだと思えば? という返しに「いや。そのアトラクションってヤることなわけじゃん?」という元も子もないストレート。聞いている私は居たたまれなさでアウト。聞き耳は立てつづけたけどね!
今夜はどうだろ? ずっと見ていたわけじゃないけど、そこそこカップルを見かけた。日ごとの来場者? お客さん? がどれくらいの人数なのかを知らないから、多いか少ないかもわからない。こういうとき、実数で計測して、毎日情報を残して比較できるようにするって大事なんだろうなあ。
「なあ。道に降りずに、ビルの屋上に降りて、そこから隔離世に行くのは?」
「あっ」
今度は私がカオナシになる番だ!
「え、と。このあたりのビルじゃないほうがいいよね?」
「もしホテル街で異変が起きているのなら、避けるのが無難だな」
「えーっと。じゃあ」
周囲を見渡しながら、頭の中で渋谷のランドマークを思い浮かべる。
ヒカリエ? それともいちまるきゅう?
どこを選ぶにしても、屋上ってあまり清潔じゃないイメージがある。
多目的トイレなんて、どう?
いや。ううん。なしかな。トイレを利用したい人にとって迷惑だし。
身体の置き場所をどうするかで地味に困るんだ。
「いっそホテルに入る?」
「いいのぉ?」
「うそ。なし。高いし」
「俺だすよ!?」
どんだけ前のめりなんだ。
反応はやっ。かつてなくやる気じゃん。
なにを出す気なのか。なにをやる気なのか。
問うまでもないくらい、一目瞭然。
「だーめ。カナタは尻尾生えてるんだし、こんないかにもな場所でホテルに入ろうものなら事務所に迷惑がかかるかもだし」
「撮影されなかったり、撮影されてもたいして騒ぎにならなかったら凹むし?」
「いいことないよ!」
どう転んでも!
あと、中に入って「あー。学生さんはちょっと」ってスタッフさんに止められたら恥ずかしさで死んじゃうよ! さらに、そういうときに限って認知されていたら何重にも恥ずかしいよ! いたたまれねえよ……っ!
「冗談はさておき」
「その冗談、もっと価値があると思うんだけどなあ」
諦めよ?
「宝島のお宿があるでしょ」
「おおお」
雑に流しても諦めないと思うから、軽く誘いのフックをお見舞いしておく。
「でー。定番はカラオケ、個室のあるご飯屋さん、どっちもふたりだと寝ているからむずかしそう」
「ネットカフェのカップルシートは?」
「あ! そっか。いやでも、身体の安全を考えるとむずかしくない?」
「つまり、やっぱり勇み足だったんじゃないか?」
「うううん!」
マドカが今日はなしと言ったように。
私がカナタを誘ったとき、彼は私に「いやあ」と微妙なリアクションを取った。そのときのように。
やっぱり、突撃してくるには早すぎた。
現世で鍵を出して記録を再生しようものなら?
それはもう!
目立つ。
目立ちまくる。
目立ってほしくないけど、目立って気づかれてほしいような、そんな複雑な感情もある!
二度のゲリラライブを敢行した渋谷で認知されてなかったら?
泣いちゃう!
獣憑き姿であれば、気づいてもらえるのでは?
いやいや。気づかれちゃ困るんだって。
拡散された日には高城さんとマドカから叱られる! それならまだいいほうで、見捨てられるくらい「お前さあ」と傷つけてしまう可能性もある。
でもなあ!
近いし。気になるし? いま起きていることを想像すると、我慢できなかった。
「いちど歩いてみるか?」
「どんな顔して?」
「そりゃあ、さあ。迷い込んで、へえ? こんな場所あるんだねえ? みたいな?」
「しらじらしっ」
「他にないだろ」
「いいえ? あわよくば中に入りたいという欲求がございますよ?」
「あるのぉ!?」
「カナタにね」
「――……けち」
解せない。
私がけちと言われる流れじゃないのでは?
永久大安売りの私じゃないですよ? 恋人になったら恋人パスポートが発行されるわけでもないですよ? それはカナタにとっても同じですけど。
ほんとに遠慮がないなー。
これが一年経つってことなのかな?
もっといい一年を想像していたなあ。
そりゃあさ?
「私もふたりでのんびりしたいけど。いまはそういうときじゃないでしょ?」
「まあ、なにかが起きているかもしれない地域で盛りあがってどうするんだっていう話はあるよな」
わかってるんならさあ! とふり返って強めに睨んじゃう。
未練がましいカナタの困り眉が、捨てられそうな子犬の上目遣いみたいに見えて、すぐに顔を正面に戻した。
「だめ。そんな顔しても。ホテルには入らないし、今日はしません」
あまあましてる場合じゃないんだってば!
「じゃあ、何食わぬ顔で、通りすぎてまーすってノリで歩くっていうのは?」
「採用!」
最初にそれ言ってよとカナタの身体をばしっと叩く。
人通りのない路地に緩やかに下降して、着地。金色雲を消して、獣憑きに戻った。
お互いに刀ケースとサスペンダーをきちんと装着して、固定する。
ふたつのキューブもポケットに入っていることを確認。ミニ丈ワンピの胸ポケットだと小さくて目立つのが困りもの。なにか便利で小さなバッグか増設ポケットがあればいいのに。
心の中で愚痴りながら、ノンちゃん特製の銃をサスペンダーにくっつけたホルスターに入れて、尻尾コプターリングを尻尾の付け根に嵌める。
準備が終わった段階でカナタを見たら、腕組みしながら顔より下を見ていた。指を鳴らすと、視線があわててあがる。
お互いに二本、帯刀している。
服の上にごつめのサスペンダー。
どこからどう見ても、ねえ?
「この格好で何食わぬもなにもなくない?」
「……でも、窮地に陥ったときに装備がいるだろ?」
「トニーのナノテク時計が羨ましいよ」
「それはきっと、アベンジャーズの他のみんなも思ってたんじゃないか? ブルース・バナーなんか、ハルクになるたびに服が破けるんだし」
「まあねえ」
MCUのアベンジャーズで裸になってたもんね。
けど、スーツ姿もそれはそれで恥ずかしい。
ヒーロー活動じゃない場面でヒーロー姿でエレベーターを待っていたり、みんなの列に並んだりして「うわ。やば」と奇異の目で見られる場面が描かれる作品も、ちょこちょこある。
とても居たたまれないんだ。
どういうテンションでいればいいのかがわからないもの。
あの手の羞恥心を、よもや自分が味わうことになろうとは。
コスプレしたふたりが歩いているような異質さがあるよなあ。
だいたいの人は獣憑きじゃないもの。
それでも歩かないことには、いよいよなにをしにきたのかわからないし?
ふたりで道玄坂を歩く。
たまにすれ違うカップルが「うわ」って顔をするのが、露骨に心を抉る。たまに歳の近いカップルが「あー!」とか「応援してます!」とか言ってくれるんだけどね? すごーくにやにやしてたり、あたたかーい視線とセットだったりするので切ない。
十分もたずに私は両手で顔を覆って屈んだ。
「ただただ恥ずかしい!」
「一見すると平和に見えるな。けっこういるんだなー。利用客」
のんびり屋さんかな!?
ばか! ばか! なんの利用客かも考えずに、ばか!
ちらちら見るな! 粘りを見せるんじゃあ! ない!
「くうっ! 帰るっ!」
「値段表、もうちょっと見てかない?」
前向きに情報収集するんじゃあないよ!
まったくもう。
「身の回りの問題は常にゼロでなきゃ」と強迫観念を抱いていると?
こんなミスをするってことなのかな。
ホラー映画を観て怖くなって、家中の明かりをつけて、さらにお母さんかお父さんを起こしてトイレに行くようなノリかな?
火災ものの映画を観て怖くなって、何度もガスコンロ前に行って「ついて、ないよね?」と確認するようなノリ?
サメ映画を観て怖くなって、トイレ中とか、湯船に浸かっているときとか、シャワーを浴びているときに「サメが出たらどうしよう!」とビビり散らかすようなノリ?
そうはいっても、ビビってる。
私はいま! とてもビビっている!
「中みてくか?」
しかし! 彼氏はいま! 頭の中が「したい」でいっぱいになっている!
だめだ。もう。帰るか。もう!
カナタの脇腹を肘でつつこうと思い至ったときだった。
「あのう」
背後からいくらか幼い女の子の声がする。
カナタを手で突き飛ばして、もう片手で刀を抜いた。
振り向き構える刀身に衝撃を感じる。
甲高い音が鳴る。なぜか。斬りかかられていた。
「手合わせしてもらえますか。片腕をいただけるなら、もっといいのですが」
渋谷の!
道玄坂で!
日本刀を振りかぶる女の子がいる!
「意外な出会いに舞い上がってまして。血の一滴じゃ満足できそうにないです」
鼻にかかって喉でかすれるような声だった。
長くふわりと広がって、散らばった髪。伸びたままの眉。私に負けじと小柄の子が腰を落として両手で柄を握り、私を斬るために体重さえかけてきている。
「よく研いできたので、切れ味は保証します」
上擦る声は恍惚の響き。
こちらの意図などお構いなしだ。
愚直に押されるので引いて流そうとする。
けれど、手応えが失せた。相手が先に引いた。立て続けに連続して振り下ろしてくる。肩の前で掲げて、そこを軸にするように繰り返し、繰り返し。私よりも小柄な体躯からは想像もできないほど、一撃が重たい。
「そんな」
強く。
「偽物で」
何度でも。
「防げは」
私めがけて。
「しない」
踏みこみと同時に打ち込む。
戻し、返す速度がいい。気迫と共に叫ばれたら気持ちで負けそうだ。
それでもまだ余裕はあった。右目で捉える彼女の軌跡の予測は、あまりに単純だったから。
それなら? あとは受け方、足さばき次第だ。
なにより、私はいまひとりじゃない。
「春灯!」
カナタの叫び声が聞こえた。
彼女の向こうに見えた。既に刀を抜いて女の子に切っ先を向けている。のみならず、空のペットボトルが彼女の頭に飛んでいく。
均衡が崩れる。気にせず私に斬りかかるか、それとも。
彼女は迷わず私に肉薄して体当たりを食らわせると、振り向きざまに刀を振るった。
遅れて、渇いた音がふたつ。
転がるペットボトルは、両断されている。
私の刀では斬れない。カナタの刀でも。
彼女の刀だからこそ、斬れる。
隔離世の刀じゃなくて現世の刀だから。
よく研いできた。
なんのために?
人を斬るために。
「邪魔すると、長く痛めつけますよ?」
寄るな。寄らば斬るぞ。
そう訴えたいか。刀を振るい、ペットボトルの中身の僅かな雫を払い落とす。
確かに変事は起きていた。
こんな子がいるんだから。
疑問は尽きない。尽きないが、取り合う余裕がない。
『臆すな。気圧されれば斬られる』
あれが本物の刀だと知った瞬間に尻尾が内股に逃げる。
だからこそ、十兵衞の忠告を支えに腹をくくる。
「じゃあ、一対一だね」
「あなたを斬って、男を斬って。ああ!」
感極まったように身震いをして、少女が私へとふり返る。
笑っているのかと思ったのに、泣いていた。
強ばった顔かと思ったのに、ゆるんでいた。
歪んでいる。
けれど彼女は再び構えた。
何度でも何度でも。私の意気が挫けるまで、刀を振り下ろすために。
つづく!




