第二千十五話
流行り物ほど消費期限、ううん。みんなが飽きるまでが早い。
タピオカドリンクを持っている人を見かけるけれど、いつまで続くのか。
それはことばや商品、インフラにおいても共通する。
冷めた目線で斜め読み。そんな姿勢も? 一過性のある、ありふれたもの。
踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら? というわけで、頼みたい気持ちはあったけど、耐える。
春灯ちゃんがユメちゃんたちに果糖ぶどう糖液糖の入った飲料を飲ませている印象がない。
気にするかしないかは、あなた次第! なんて言いつつ、冗談抜きでそう。
私は進んでは飲まないかな。糖質は炭水化物でわりと足りている、などと意識の高いことは言えないけど。一年に一度の歯科検診で「ああ。負けたね」と弄ってくる担当の歯科医のお姉さんがいて、虫歯があろうものなら「痛くしてもいい?」などと正気を疑う発言をしてくる。わりと容赦がない。いろいろと雑学を教えてくれる気の良い人でもあるのだが「インプラントになるよぉ? 高いよぉ? 歯、一本あたりの価値、知ってるぅ?」と脅しも忘れない。ちなみに俗に聞くのは一本十万円。価格帯にもよるけど、一本あたりスマホとスマートウォッチ一組分くらいかな。
丁寧にハミガキの仕方など教えてくれるから、いいんだけど。おかげで年一の検診で、すこしついてしまった歯石を取られて済むんだけど。あれもまた、ハミガキをサボると痛い。フロスか歯間ブラシの使用は本当に大事。
お父さんのいざというときのかかりつけは銀座にあって、麻酔からして痛みはまるでなく、なんなら治療中にぐっすり寝てしまうくらい快適なのだけど、審美治療がメインで基本、治療費は自費。つまり、とんでもなく高額。技術力も高いようだけど「日頃、しっかりハミガキしていれば、ある程度は予防できる」とはお父さんの弁。
基本は私が行く歯科に家族でお世話になっている。
あらゆることが地続きだ。
食べるな飲むなという家じゃなかったけど、食べるか飲んだらハミガキしましょうという家ではあった。
ここはとことん、人による。家による、というには不足。結局だれもが家の中だけで生活しやしないのだから、家で抑圧されていたら? 家の外ではどうなるか。
ただ。それでも。ハミガキ責任を負えるかどうかも謎な私が、この子にあげられるはずもない。気にせずあげちゃう人も、そりゃあ世の中にはいるだろうが私はちがう。
なるべく早めに百貨店へと入り、冷やかしながら、ふたりで相談する。
物産展も忘れずに。食べものに焦点を当てると、誘惑が多い。だからなるべく、ちいさなひとりの生活について問いかけないと、と構える。思っているよりも、この子はずっとおしゃべり。恐れているよりずっと話が弾む。
春灯ちゃんがどうか。普段、よく話す子の自慢話や愚痴。いま楽しみにしているハロウィン。金魚マシンの乗り心地とか、やってみたいこととか。
尋ねながら、聞きながら、相づちを打ちながら、それだけになるかと思いきや? この子はたびたび私に質問を投げかけてくる。こどもは聞きたがりの知りたがりという印象があるけれど、さすがに雑だと思っていた。実際、その子がどうかっていう話だろうと。
よく話すし、よく聞くけれど、私の返答があいまいだと、まるでそれが怖いことのように話題を変えようとしてくる。そういうところに、この子のなにかを感じる。
春灯ちゃんは気にしていた。ずっと尻尾の中に放っておいてしまっていたこと。
緋迎先輩にもぷちたちがいるけれど、成長中でよく眠っているそうだ。眠りすぎだと思えるくらいに。なら、春灯ちゃんのぷちたちもそうじゃないかと思い浮かべて、それで済ませていた。
そうはいかないのだと、この子が気を遣っているのだと気づくたびに実感する。
けれどそれは、一朝一夕で変えることはできず、変わることのできる話ではない。
甘いものとの付き合い方であり、日々の口内ケアに似ている。
からいものはいけるかどうか。いくらは好きだけど、明太子は「なんかきもい」と語るユメちゃんと魚卵を眺めていたときだ。
「あ、いや、あの。無理です」
店員さんの困った声がする。
ん? と横目で見たら、肩だしトップスにワイドパンツの女の子がしきりに明太子を指差している。年配の男性の店員さんに輪を掛けた困り眉で「この中で一番からいの、ほしいです」と繰り返している。
ぜんぶを味わって「これです」と言えるはずもなく。
「ですから、どれもからいですよ? 同じくらい」
「同じくらいじゃ、社長、納得してくれない。一番がいい」
「弱ったなあ。なら、唐辛子を多めにまぶすというのでは? からくなりますよ?」
見たところ中学生くらいの子だ。
そのわりに持っているバッグはブランドロゴがこれでもかと並んでいる。
中学生のセンスぅ? と疑念を抱く。むしろ彼女の母親のバッグと言われたほうが納得する。
若い社会人の女性をメインのターゲットにしているブランドで、私でも知っている。服装も頭からくるぶしまで揃えている。そのわりには髪は広がって野暮ったく、眉毛も太めでやや目立つ。整えたらすっきりしそうで、疼いてしまう。
靴はよく見かけるスニーカー。新品のように綺麗だけど、詩保が持ってるのと同じ。発売されたのはけっこう前。
おまけに「社長、納得してくれない」ときた。
なんだ。中学生が社長に明太子を差し入れ?
どんな関係? 俄然、興味が湧く。
「そう、じゃ、なくて。その」
「ううん。それなら、まぶしたものをしばらくおいていただけると、からさが増すかと思いますが。あるいは、料理の仕方次第でも工夫できますよ?」
店員さんが粘りを見せる。けれど、女の子にはいまいちピンときていないか、もどかしげに足踏みをした。私たちだけじゃなく、わりと賑わう地下フロアで周囲の視線が集まってくる。それが恥ずかしいのか、彼女はどんどん恥ずかしそうに身を縮めた。いまにも泣きそうだ。
「お困りですか?」
放っておけずに声をかける。
こういうとき、しーらねと離れたほうがいい。関わりすぎると、しっぺ返しをくらうと瑠衣に何度か注意されたことがあるが、これが私の性分だ。
「なにか力になれるかも。よかったら、話してくれません?」
呼びかけた私と店員さん、そして私の肩に乗っかるユメちゃんを見て、彼女の目が揺れた。潤いが増している。
泣くな。これは泣く。ぜったい泣く。
「おねえちゃん、だいじょうぶ? こまったときは、そくそうだんって、ママがいつも言ってるよ?」
「うちの、社長は……なにがあっても、自己責任って言ってる」
ブラックぅ!
「すごく、いやそうに、笑って、言ってる」
屈折してるぅ!
っていうか、お父さんでもお母さんでもなく、社長?
こういうとき出てくる人物って、最も近しい人物じゃ?
ツッコミたいわあ! ツッコミたいけど、初対面で聞けることじゃないな。
「とてもからい明太子がいいんですか?」
「好きなんだって。マヨネーズと混ぜて、パスタで食べるの」
からくなくていいんじゃないかな。
喉元まででかかったことばを舌の上で転がして、しばし待つ。
年配男性の店員さんに、もうひとりいる年配女性の店員さん、そして私たちのように明太子やそばの店の商品を眺めている全員が「い、言いてえ!」という顔をしていた。
「からくなくていいんじゃない?」
ユメちゃんが言っちゃった。
みんな「言ってこじれたらどうしよう」と考えたり、悩んだりしてたかも。
だけど言っちゃった。
なにげなさを装いながら、何人かと一緒に私もまた女の子の反応を恐る恐る伺う。
「――……そうなの?」
そこ無策なんかい!
「マヨネーズつけるとぉ、どれもマヨネーズ風味になるんだよ? 巻き寿司とか、おにぎりとかでやったから、ユメ知ってるよ」
この場に居る他の人もだいたい知っていそうだ。
「嘘ついてない?」
「ためしてみたら、すぐわかるよー」
ユメちゃん、うまい返しだな。
「唐辛子の多いとこひとつと、少ないとこひとつ買って。マヨつけて食べてみます?」
「マヨネーズ、ありますよ」
あるんかいっ!
思わず年配男性の店員さんを見たら「お昼にたこ焼きを食べまして。余ってるのですけど」と、それはデパ地下で言って許される発言なのかと突っ込みたくてたまらないことを言う。いや、いいんだけど。そういうのは休憩室やバックヤードで食べて済ませるのでは? ポケットに入れて持ってきちゃったのかな!?
「試食品です、どうぞー」
年配女性の店員さんが「さっさと片づけろ」とばかりの圧を目線で年配男性にかけて、そんなのなかった笑顔で小皿を差し出してきた。あわてて年配男性がポケットからマヨネーズの小袋を出して、中身をそっと小皿に盛る。
あとは試すだけ。
みんなで女の子を見守る。これはこれで、圧。
恐る恐る、彼女は明太子の切れ端を刺した爪楊枝を持って、マヨにつける。
まずは唐辛子が少ないものを。次に、山盛り真っ赤なものを。
しばらく咀嚼して、飲みこんだ。
なんでかな。固唾を呑んで、みんなして見守ってしまうのは。
十秒か。もっと短いのか。あるいは、とても長かったのか。
「――……おのれ、マヨネーズ」
マヨネーズに罪はない!
だが、あえて言おう! 気持ちはわかると!
マヨネーズの「すべては私の味になる」強さ、すごいですよね。
「ど、どうしますか?」
「ください。明太子、ひとつ」
どうやら壁を乗り越えることができたようだ。
「マヨ、うぃん!」
それでいいのか、ユメちゃん。
いっか。本人の買い物が無事に済んだようですからね。
「じゃあ次は、あまいえびせん」
どうやらまだまだ無茶な買い物が続きそうだから「すこしお付き合いしても?」と声を掛ける羽目になりました。屈折している社長とやらの偏屈なお使いメニューは、どれも「そんなわけないだろう」という内容を「台無しにする食べ方」をするもの。おまけに、女の子はどれも「必要がない」ことを知っている。あとは、女の子が自発的に考えれば回避できるものばかり。
どれも漏れなく「その味である必要がない」し、女の子も店員さんも悩ませるだけ。
屈折しているだけじゃない。
はっきり言って、性格悪い。ねじ曲がっている。根性も、性根も。
けれど女の子は悪口を言いながらも、大事に慕っているようだ。
ますます関係性がわからない。
女の子の日常が、見えてこない。
「よかった。ぜんぶ、なんとかなって。社長はね? いつも意地悪するの」
でしょうね。
それがもし男性なら、その発言だけで「通報しないと」ってなるんですが。
そのへん、どうなんですかね?
「どんないじわるー?」
ユメちゃん、尋ねられるのすごい! こわい!
どうしよう。際どい内容が出てきたら。出てきかねないんだけど。
「社員とか、面接に来た人に、むずかしいことを言うの。答えられない問題を出して、答えられない顔を見るのが好きなの」
控えめに言って、クソ野郎じゃない?
「やなやつ?」
「だいぶ。でも、いいとこもある」
認めるのね。
きつい内容が並んだあとで、彼女が感じるいいとこがどんなものか。
内容次第じゃ、出るところに出たほうがいい。けれど、それが一番むずかしい。
なにより「いっつ! 余計なお世話!」でしかない。
「あるのぉ?」
ユメちゃん!?
「困ってる人、捨てられた人、その中でも生きたい人は、みんな助けてくれる」
「ふうん」
あっさり流すけど! 聞いちゃうのもすごいよ、ユメちゃん!
私は盛大に引っかかっている。
困っている人を助ける。それならわかる。私も心がけている。
捨てられた人。それは「どこのだれに、どのようにして、どういう流れで」による。細かな調査が必要だ。段取りは幾重にもあって、分岐も多い。専門家に頼る領域が多すぎて、私は窓口になることが多いケースだ。
けれど、必要なのは「本人が望むように」「本人の望む形で伴走して」であって「生きたいかどうか」の選別ではない。断じて。
「みんなの居場所をくれるの。社長が好きなみんなの居場所」
引っかかりすぎてつらい。
ユメちゃんを背負ったまま、一緒にビルを出る。
お礼をしたいと誘ってくれた彼女の導きに従って、歩いていく。
形式上の伝手で辞退しながら、話を聞きたくて途中までついていくことにして。
なのに、なんでかな。
道玄坂へと向かっている。
「私、いろいろ教えてもらっているんだ。肉をね? 斬るのがうまいんだよ」
「まつざかぎゅー?」
「牛も豚も鶏も。魚もさばける」
「すごっ。ママにお願いして、いちどやってみたけど、むずかしすぎたよ」
「コツがあるの。でも、最初はよく斬れる包丁があるといいな」
「あぶないから、こどもようだったよー?」
「順序が大事だからね」
だめだ。
めちゃめちゃ意味深に聞こえて仕方ない。
なんだ。肉を斬るのがうまいって。
だいたい肉の切り方を教わるって、どんな中学生生活なんだ?
「刃を入れる角度。刃のひき方。結構、コツがある。すこしでも間違えると、けがをしちゃう。あなたのママは、あなたが心配なんだよ」
「そ、そうなのかな」
「そうだよ」
意外。危惧していたけど、実はやさしい子だったり?
いやいや。奇妙さは別で、予感も別だ。分けて考えろ。
「いずれは生きてる状態で仕留めることになる。そういうとき、うまいとね? 苦しませずに済むの」
「え、えと?」
「一瞬で裂くのが大事なんだ。じゃないと、おいしくなくなる。大事に、いただけなくなる」
思わず足を止める。
もうすぐそこにある。指輪が止めた、あの路地が。
「いかに気づかれずに殺して。いかに多くの血を流して。いかに丁寧に解体するかが大事なの」
彼女は世間話をするように語る。
中学生くらいの子が語るには、あまりに重く。
けれど、ぎりぎり、まだ、日常の際を歩くような話題。
釣りをするのなら? 釣った魚の処理をする。
生まれが、あるいは育った環境が、養鶏などに関わっていたら?
あるいは目にする機会もあるのかもしれない。
なかには大事な学びだとして、教わることもあるかもしれない。
「じゃあ、私、行くね」
ありがとうと短く呟いて、彼女はふり返って微笑んだ。
髪の毛に負けじと野暮ったい眉毛。整えたら中学生向けの雑誌で出られそうな子。垂れた瞳、二重。すこし肉厚な唇が孤を描く。
「あなた、とても綺麗で斬り甲斐がありそう。我慢できなくなる前に離れなきゃ」
雑踏の音が途絶えたような錯覚。
はっきりと聞こえた。聞き間違いじゃなかった。
彼女はたくさんの紙袋を持って、何の迷いもなくホテル街へと入っていく。
鳥肌が立っていた。立ちすくんでいた。
姫ちゃんのときもそう。中学時代の淫行教師のときも。捕まって男だらけに囲まれたときだってそうだし、いろんな窮地に出くわしてきたつもりだった。
恫喝された経験だって、何度かある。
けど、そのどれにも引けを取らないなにかを感じた。
『追いかけない限り、問題あるまい』
しかし、追いかけたとしたら?
『万に一つの可能性もなく、殺されるだろうな。大勢が祟る匂いがするよ』
信じられないし、滑稽だと笑い飛ばしてしまいたい。
なのに直感は、それを否定する。
「なんか、変なおねえちゃんだった、よね?」
この子が気づいていないのは、幸運なのだろうか。
わからないまま「そうかもね」と曖昧に濁して、逃げるように駅を目指した。
何度も振り向いてしまった。彼女の気配はない。
恐怖に寄り添うように心が叫んでいた。
まず間違いなく、私はまた出会ってしまった。
懲りもせず。いや。能動的に巡り会ったわけじゃない。
関わったのは私だ。選択したのも私。
いやでもさあ! と言いたくなるくらい、くらくらきてる。
瑠衣の忠告を思い出しながら、それでも私は止められないだろうなと自嘲する。
関わりたい。そこは変えたくない。
ただ、悩みは尽きない。
追いかけるべきだし、調べるべきだ。
瑠衣たちに連絡するべきだし、佐藤さんたちや侍隊に連絡を取るべきだ。
いますぐにでも。
真夏に震えが止まらない。
電車に乗ってもきっと、まだ、安心などできるはずがない。
監視カメラのすぐそばでスマホを手に、連絡を取る。最初は瑠衣に。
直ちに来て。ASAP。大至急。
渋谷でなにかが起きている。それも、ホテル街で。
侮っていた。
見積もりが甘かった。
春灯ちゃんがよく言っている。私だって、何度となく体験してきた。
今更また思い知ることになるなんて。
人生はそんなものだとしても、迂闊。
指が震えて、まともに操作できないなんて。
「りかおねえちゃん。こわいときは、深呼吸するんだよ」
ユメちゃんに気を遣わせている。
この子がいてくれてよかったと思う反面、この子にとってはどうだったろう。
くそ。
落ち着け。
失敗は、学ぶもの。
やっとの思いで通話にこぎつけて、事情を話した瑠衣が最初にかけてくれたのは?
『無理せず引いてくれて助かった。無事でいてくれて、よかった』
というもの。
危うい経験でいえば、彼もかなりのもの。
落ち着けるようケアしてくれる。それがいまの私には欠けている。
それがわかるくらいには、落ちついてきた。
もっと、もっと、穏やかに。安定させて。
そうしたところで追いつかないくらいのなにかが、ここで、あるいはこのあたりのどこかでいまも起きているにちがいない。
つづく!




