第百九十七話
お盆も終わりを迎えるある日の晩に眠りにつこうとした時だった。
スマホが鳴ったので確認すると、カナタからの着信なんです。
なんだろう。寂しくなっちゃったのかな。カナタめ! 可愛いぞう! なんてわくわくしながら電話に出たの。
「もしもし?」
『ハル。今、すこし出てこられるか』
「えっ」
思わぬお願いでした。
でも今は夜。寝ようかなって考えるような時間帯。
当然約束なんてしていない。
「おうちの外ってこと? それともカナタのおうちに行くの?」
『外に出るだけでいい』
「わかったけど……え? カナタうちにきてるの?」
『ああ』
うそ! え、嬉しいけど待って!
慌てて自分の身体を見下ろす。キャミとパジャマのズボン。あまりにも気の抜けた格好すぎる。急いでパジャマをきちんと着た。他にもオシャレするべきか。いやいや、待ってくれているのに時間かけるわけにもいかないよ。
ううん! ううん!
悩むけど行っちゃおう。待たせるのよくないもん。
急いで一階に降りて玄関扉をそっと開けてみた。
すると家の入り口にカナタが立っていたの。
「こんばんは……すまない、ハル。ぜひハルに立ち会って欲しい、と母さんに言われて来たんだ」
「立ち会うって……なにに?」
「軒先、腰掛けられるか?」
「それは……別にいいけど」
カナタをうちの敷地に招き入れて、和室の軒先にある座椅子に二人で腰掛ける。
眼鏡を外して御珠へと変えたカナタが何をするのか理解して、すぐ私の魂は隔離世へと移動した。
眩暈がする思いで瞬きする私の前にはサクラさんがいたの。ぷちモードじゃない。大人の姿のサクラさんが、コバトちゃんと手を繋いで立っていた。
「お呼びだてしてごめんなさい」
「い、いえ」
「あなたにぜひ見てほしかったの。そろそろお祭りが終わるから」
「お祭りが、終わる?」
「あそこを見て」
サクラさんが指差す先を見上げた。
空を巨大なナスが割り箸の足で駆けていく。
その背に乗っているのは、じゃあ……幽霊なのかな。
見渡す限り、空にたくさんのナスがいる。
あれは――……牛。
帰りはゆっくり留まって欲しいと願う現世の人々の祈りの形。それが、ナスの牛。ゆっくりと歩く牛なんです。
行きはキュウリの馬で早く来て欲しい、というのだから昔、これを思いついた人って素敵なことを考えるなあと思う私です。
「お盆が終わり、みんなが霊界へと戻っていくの」
ナスが向かう先には神々しい光を放つ扉があったの。
サクラさんがやってきたあの扉だ。
その向こう側が霊界なのかな。
生者が訪れることのできない、死する人々の向かうべき場所があの扉の向こうにあるのかな。
――……死、なら。
サクラさんは? 帰らなきゃいけないの? 帰る前のご挨拶に来たっていうこと?
不安が顔にはっきりとでてしまったのかな、私を見たサクラさんは微笑みを浮かべて言った。
「あなたの霊子が私を留める。あちらからの呼び声は聞こえるのだけど、不思議と引き寄せられはしない」
「わ、私とんでもないことをしてしまったのでは」
「ふふ、そうね」
悪戯っぽく笑ってから、サクラさんはコバトちゃんをぎゅっと抱き締めて言ったよ。
「私も放ってはおけないから。せめてコバトが大人になるくらいまではね」
だから、ハルちゃん。
そう囁いたサクラさんは私を見つめていた。
「ありがとう」
「あ……――」
「今日はそれを伝えたかったの。さあ……門が閉じる」
サクラさんの言葉にはっとして空を見上げた。
山ほどいたナスはもう最後の一頭が門の向こうへ入るところだった。
そうして門の光がすぅっと消えて、夜空は見慣れた景色へと戻る。
夢のような瞬間だった。
だから、さめてしまったこの時に彼女が消えていたらいやだとすぐに思った。
はっとして見たけど、サクラさんは今もコバトちゃんを抱き締めて立っていたの。
「さめても続くよ」
茶目っ気たっぷりに言って、サクラさんが笑った。
「もしよかったら、明日から昼にうちに遊びにいらっしゃい」
思わず「ひゃい!」って頷いた。カナタに吹き出すように笑われちゃった。
でもね。でも気になるよ。
「いいんですか……?」
お盆が終わっても残れるのなら、これまで過ごせなかった家族水入らずの時間をたっぷり満喫したいんじゃないかと思った私の不安を、サクラさんは笑い飛ばした。
「もちろん! お料理いっしょにしてくれるなら大歓迎」
コバトちゃんと二人で笑うその顔は親子だなあという感じです。
それにサクラさんの笑顔の輝きはカナタに面影を見つけるから、胸が一杯になる。
改めて思う。
私、すごいことをしちゃった。
「じゃああんまり夜遅くに引き留めると悪いから、私たちは帰るね」
コバトちゃんと手を繋いでまたね、と言うサクラさんにカナタが御珠を掲げた。
肉体に引き寄せられるままに、私の意識は現世に戻る。
私はカナタに寄りかかっていた。目を開いたカナタが私を見て微笑む。
「お盆の終わりに見送りたかったんだな」
「お祭りもしたもん……」
あの日、サクラさんに連れていってもらった店の酒宴を囲んだ人たちも向こうに帰って行ったんだなあと思うと自然と胸が締め付けられるようだった。
『それ以上は考えてはいかん』
タマちゃん……。
『母君の魂があの書に残されていたからこそ出来た奇跡じゃ』
……うん。
『死者のみなが現世を望むわけでもない。ゆえに、ハルが気を揉む必要などない』
『望めばいずれまた出会うとサクラ殿は言っていた。ハル、急くな』
そうだね。それでも、私はあのナスの牛の行進を思うと胸が一杯になるよ。
みんなを救えたらと、願わずにはいられないよ。それが私の傲慢と名のつく大罪だとしても。
『うむ……』
しみじみと答えてくれたタマちゃんの気持ちに目を伏せる。
そんな私の肩をカナタが引き寄せた。そっと隣から抱き締めてくれたの。
改めて思う。
お盆はお祭りだ。
離ればなれになった人たちがあの世から来て、現世に重なり合う隔離世で楽しむ祝いの時期。終わってしまえば切なさが募るから、真実お盆はお祭りに違いないのだった。
「ハルの言うお祭り、来年は俺も見てみたいな」
「カナタ……」
思わず目を見開いてカナタを見つめちゃった。
「来年は二人で見よう」
「……うん!」
サクラさんに似て、それ以上にスマートな言葉で力強く伝えてくれるところがカナタらしくて胸がいっぱいになったの。
二人でじっと見つめ合って、どちらからともなく手を重ね合って。
そうなると自然に吸い寄せられる顔。
キスだ。久々だ。
そんなことに内心で心の底から歓喜して尻尾が膨らむ私、なのですが。
「あー、こほん」
がらがら、と開いた窓に私とカナタは飛び跳ねるように離れましたよ。
ふり返るとお母さんがなんともいえない顔で立ってました。
「逢い引き中のところ申し訳ないけど、おうちの前であんまりアツアツでいないでちょうだい。ご近所の目があるんだから」
「「 は、はい 」」
「カナタくん、お父さんから連絡あったよ。今夜は遅いから泊まっていってね」
お布団敷いてあるから、と言って欠伸と共に離れていくお母さんを、私とカナタはあっけにとられながら見送る。
間の抜けたカナタの「あ、ありがとうございます」という声に我に返った。
和室を見たら、なるほど確かにお布団が敷いてある。い、いつのまに!
っていうか、え? もしかして……聞かれてました?
「し、死ぬほど恥ずかしいんだが」
「私もです……」
お母さんに聞かれてたとか、恥ずかしすぎますよ!
つづく。




