第百九十六話
翌朝、トウヤは早朝から部活に行ってしまって話す機会を失ってしまいました。
お盆なんだから休めばいいのに。律儀か。
小学生なのにそんなに頑張る部活ってなんだろう。
私が覚えあるのバドミントン部くらいですけど。
昼ご飯を食べ終えて食器の片付けを手伝いながら、私はお母さんに聞いた。
「お母さん、トウヤって何やってんの?」
「え? バスケ」
「……うそ」
「ほんと」
なにあいつ、いつの間にそんなモテそうなスポーツやってたの……。
「野球とかサッカーとか、かたっぱしからやってたけど。今はバスケなんだって」
「……ふうん」
「中学に入る前にどれがいちばん肌に合うか探したいみたいよ」
ふらふらしてるなあ。でも、そうか。トウヤは運動神経抜群さんか。考えてみれば今年はトウヤの運動会には行ってなかったっけ。でもトウヤはなんでもできるイメージあるからなあ。そりゃあ彼女もできるか。
ありません? 運動できる子ちょーかっけえ、みたいに思っちゃう時期。私にはありました。まあ……どうともならなかったけどね。
「小学校に行けば会えるかな?」
「やめときなさい。あの子あれで頑固だから、今行っても怒られちゃうよ」
「……はあい」
お母さんの言葉に頷く。確かになあ。早朝に出て行った理由の中には、私とまだ顔を合わせたくないみたいな気持ちも見え隠れするよ。
でもなあ。
「今日ね。カナタのうちの方でお祭りあるの。行きたいなあって思うんだけど……」
どきどきしながらお母さんを見たら、呆れたように笑ってた。
「トウヤが拗ねそうね」
「でしょ? だから一緒につれてっちゃおうかなって思って」
「春灯が提案しても、余計こじれるだけのような気もするけど?」
「そーなんだよねえ……ううん!」
お母さんの言葉に唸っていると、お母さんが私の肩に手を置いて微笑むの。
そして台所から居間に呼びかける。
「お父さん! お父さん」
「なんだ」
ひょっこり顔を出す休日モードのお父さんに、お母さんは微笑みを浮かべて言いました。
「お祭り行かない?」
「……ひ、ひさびさのデートか」
「浴衣きちゃおっかなー」
「わ、わるくないな……行こう! 絶対行こう!」
悪くないどころか前のめりですよね。我が父ながらお母さん大好きすぎか。
「そうと決まれば浴衣だしてこなきゃ!」
急いで二階へ駆けていくお父さんは子供みたいです。
「家族で行けば、あの子もついてくるしかないから。あとはうまくやんなさいよ」
肘で私の腕を突いて、お母さんは笑って言ってくれたのでした。
◆
「なんで俺がこんなとここなきゃいけねえの」
お祭り会場の神社で早速トウヤが拗ねている。
「まあまあ。可愛い子もいるよ?」
なんとかなだめるべく、トウヤの肩を押して人通りの多い商店街を歩く。
出店が山ほど出ていて、神社やお寺のある道を賑やかしている。
お母さんとお父さんも、トウヤも浴衣姿。そしてもちろん私も浴衣姿です。こないだ帰った時に私の尻尾に気づいたお母さんが、私が着られる浴衣を用意してくれていたのですよ。
薄花色のからくさに花柄。私の髪と尻尾の金がとても良く合う素敵な浴衣でした。
「……姉ちゃんより可愛いやつもそうそういないと思うけど」
「ん? ん? トウヤ、いまなんか言ってくれました? お姉ちゃんの聞き逃しかな」
「うっせえぶーす!」
「あ、こいつめ!」
背中を押す私の手をべしっとトウヤがはたいて、にらみ合っていた時でした。
「おねえちゃん!」
「え?」
背中にぼすっと何かがぶつかってきた。
ふり返ってみると、黄色い布地に格子とツバキ柄の浴衣姿のコバトちゃんでした。
視線を向けてみれば、カナタとシュウさん、それにソウイチさんまでもが浴衣姿でいらっしゃるの。あれ? でもサクラさんはいないのかな?
きょろきょろする私の腕を引っ張るコバトちゃんに顔を寄せると、コバトちゃんが囁くの。
「お母さん、コバトの中にいる。お兄ちゃんたちが宿してくれたの」
「おお……」
さすがは日本一の刀鍛冶とその弟!
「まあまあまあ、緋迎さん。凜々しくていらっしゃいますね!」
近づいてきた緋迎家一同にお母さんがすかさずご挨拶をする。
お父さんも続いて「今日は素敵なお祭りですね」と世間話モードに移行した。ソウイチさんが笑顔で応える中、シュウさんがコバトちゃんの背中を押してお祭りに向かう。
それをぼうっとした顔で見送るトウヤ。いやいや。あんた彼女いるでしょうに。
しょうがないなあ。
「ほら。可愛い子、いたでしょ?」
「……姉ちゃんの体育祭で見たけど。なんか、元気になってんね」
お? お? 実はあの頃から意識してました、的な!?
「でもあんた彼女いるでしょ」
「ちげえよ。女友達しかいねー」
でた!
モテ男さんか! なにそれ! どうやったら異性の友達が家に遊びに来て二人きりになる小学生生活を送れるの? 私にはわからないよ!
そんなことを考える私と、少し離れてそわそわしているカナタを見たトウヤはため息を吐いた。
「はあ……ったくもう。俺、小遣いもらって遊んでくるから」
じゃあ、と言ってトウヤはお父さんたちに話しかけ、千円札を一枚もらってシュウさんたちの後を追いかけていった。
「大丈夫なのか?」
「んー。私の百倍社交的で、私の百倍できる子だから大丈夫でしょ」
ケンカ引きずっているくせに、もやもやしてるくせに、気を遣っちゃうあたりにあいつの性格の良さが滲み出てるよね。将来苦労しそうです。
んー。仲直りしたいんだけど。もうちょっと様子見ないとだめかなあ。
まあ、それはちゃんといずれ考えるとして。
「……浴衣、にあってるな」
「えへへ」
テレテレしながらカナタを見た。
濃い藍の浴衣だ。二人で浴衣姿って不思議だけど、でも。
「カナタもかっこいい」
「……ああ」
二人ではにかみあって、そっと横目でお父さんたちを見た。
あっちで美味い酒が、とか言い始めたソウイチさんに「いいですねえ!」とすかさず乗っかるお父さん。のんべえたちめ。お母さんがこっちを見て、任せてってアイコンタクトを送ってきたのでここは二人で遊んじゃおう。
カナタの袖を引っ張って少し離れる。射的に金魚すくい。途中でシュウさんとコバトちゃん、トウヤと合流して五人で歩くの。
見慣れた商店街が盛り上がっているのを見るのは楽しいし、いろんな人に声を掛けられる。シュウさんが奢ろうとしてくれたけど、お世話になるまでもないくらい商店街の人たちがお裾分けしてくれたよ。だからそれで十分でした。
「……姉ちゃんて、昔からこうだよな。無自覚に好かれて……」
「んー?」
どうしたんだろう。トウヤが渋い顔で私を見ていた。
「あの。緋迎さん……うちの姉が迷惑かけませんでした?」
そんなことを言う小学生の弟ってどうなの。
よくできすぎた弟に心配される私ってどうなの。
「彼女のお世話になりすぎて……逆にご迷惑をお掛けしているのはこちらの方だ」
シュウさんが言うと、トウヤが疑わしげに私を見た。
「姉ちゃん、無茶してないですか?」
真面目なトーンで尋ねるから、みんなしてじっとトウヤを見つめる。
最初に口を開いたのはカナタだった。
「無茶ばかりしている」
「……彼氏なら止めてくれよ。いつか酷い目に遭うのが目に見えてるだろ」
トウヤがむすっとした顔でカナタを睨んだ。
どう言い返すのがいいのか悩み、それでもカナタは言った。
「止めない」
「なっ、なんでだよ!」
「彼女の無茶はいつだって誰かを救い、助けている。彼女らしさにもう、なっていると思うから……止められるものじゃないのは、君もわかっているんだろ?」
カナタの言葉にトウヤが喘ぐように怒鳴った。
「だからって! じゃあ、姉ちゃんは誰が守るんだよ!」
「俺が守る」
私の前に……ううん。トウヤの前に立って、カナタは言ったよ。
「彼女も、俺も……まだ頼りないかもしれない。それでも。悲劇にならないように、俺も彼女も頑張るから……見守ってくれないか」
「――……」
トウヤが苦しみ言葉を探して、結局見つからず。
「傷つけたら承知しねえからな」
「ああ」
二人が和解した時だった。
コバトちゃんがシュウさんの手を離して、ととと、とトウヤの前に立ったのは。
あの人見知りのコバトちゃんが、なぜ。
慌てる私とカナタ、シュウさんに構わず、コバトちゃんはトウヤの目を見つめて言いました。
「お姉ちゃんのことが心配なの?」
「……そうだよ」
「お姉ちゃんなら、だいじょうぶだよ」
なんでわかるんだよ、と弱った声をあげるトウヤの手を、人見知りのコバトちゃんが握って言いました。
「コバトのおうち、明るくしてくれたから。きっと大丈夫だよ」
「……意味わかんねえんだけど」
「でも、お姉ちゃんのこと信じてるんでしょ?」
コバトちゃんの剥き出しで、無軌道で、でもひたすらにまっすぐ繰り出される言葉にトウヤが赤面しながら俯く。
「……そりゃあ、まあ」
「じゃあ大丈夫だよ」
「根拠ねえから! 悔しいくらい、わかったって気持ちになったけど! 根拠なさすぎですから!」
「それよりお腹すいた」
「話聞けよ!」
「あっちでやきそばやってた。いこ」
「まっ、ちょっ、ええええ!」
コバトちゃんがぐいぐい引っ張って、トウヤを連れて行っちゃった。
嘘みたい。カナタが言ってくれた言葉はすごくうれしかったし、トウヤと年の近いコバトちゃんがフォローしてくれたのもひたすらにうれしい。
子供だけにしておけないから、とシュウさんが後を追いかけていく。
私はカナタと二人で見送りながら、互いに呟き合う。
「……もっと、強くならなきゃね」
「そうだな……」
「でも、嬉しかった」
カナタの手をたぐりよせ、繋いで、身を寄せ合う。
「カナタが守ってくれるんだ?」
「そのためにも。鍛錬、頑張らないと」
「……私も。誰かに心配かけないくらい、強くなりたい」
思いを重ね合う。胸が一杯で歩き出せなかった。
来て良かった。
トウヤが納得してくれたんだから。
お祭りを堪能して、緋迎家と別れておうちに帰ってさ。
部屋に入ろうとするトウヤを呼び止めたの。
「ねえ、トウヤ」
「……なんだよ」
「ありがとね。心配してくれて……すごく、嬉しい」
「ば、ばっかじゃねーの。迷惑かけんなよって言いたいの、俺は!」
「はいはい」
「わ、わかってんのかよ!」
あんまり悔しそうに言うから、部屋に入るのをやめてトウヤをめいっぱい抱き締めた。
嫌がりそうなのに、素直にされるがままのトウヤの頭を乱暴に撫でる。
「わかってる。心配させないように……お姉ちゃん、頑張るからさ」
「……わかってねえよ」
ぼそっというから、そっと離したらトウヤは上目遣いに私を睨んで言うの。
「心配すんのは家族の縁ってやつで。だからそれはいいんだよ……と、とにかく! 俺は姉ちゃんに傷ついて欲しくないだけだから!」
じゃあ! と言って、耳まで真っ赤になった弟は部屋に引っ込んでしまいました。
ういやつめ。
『可愛い弟じゃのう』
でっしょー。自慢の弟だよ。
だから……やっぱり、あんまり不安にさせたくないなあ。
十兵衞、これからもめいっぱい私を鍛えてくれますか?
『無論だ』
うん!
よしよし。今日はいい夢がみられそうです。
つづく。




