第百九十五話
トウヤが部活から帰ってくるなり「姉ちゃんがいる!」と嬉しそうに言うの意外。
なになに、お姉ちゃんのこと大好きか? と言ったら「うっせえ」と言われてしまいました。解せない。
だけどお母さんの料理を手伝って、みんなでご飯を食べてる時にしきりに聞いてくるの。
「姉ちゃんの彼氏ってどんなやつ?」
なんだ。やっぱり私のこと大好きか。
にやにやしてたらスネを蹴ってくるので、渋々言いましたよ。
「最近そば打つのにハマってるよ」
「……え、と。そういうことじゃなくて」
「なに? イケメンってことが聞きたいの?」
「ちっげえし! 顔とかじゃなくて、中身だよ。姉ちゃん、男は中身が大事だぞ」
弟がなんか言ってる。背伸びしていそうだけど、でもトウヤには彼女がいるんだよなあ……。
「んー。でもカナタ中身もちゃんとしてるよ?」
「うちに連れ込んで何日も泊めるかよ、ふつー。あーあ。やだやだ。高校生ってただれてるよなー」
「そ、そんなんじゃないし!」
あんたたち……なんてお母さんの怖い声がしたので、私もトウヤもそっと押し黙ります。
そんな中、お盆休みに入ったためにひとりビールを飲むお父さんがぼそっと聞いてきました。
「春灯は、もう……そういうことしたのか」
「お父さん!」
さすがにお母さんがたしなめた。よかった。答えなきゃいけないのかと思った。
「そういうこと聞かないの」
「そうだよ。実の娘にセクハラ発言はどうかと思いますよ」
「……だって」
子供か。なにその、だって。お父さんが言っても別に可愛くないよ。ある意味では可愛いのかもしれないけど。
「春灯も……大人になってしまうんだなあ」
こんなこと言い出しちゃうんだからさ。
「今日は珍しく帰ってきたかと思ったら、お母さんのお手伝いなんかして……次は子供を抱いてくるのかな」
「「 お父さん! 」」
お母さんとハモっちゃった。でもしょうがないよね。まったくもう。酔っ払いすぎだよ。
「でも姉ちゃんの作ったこの大根の煮物、マジでうまいじゃん」
「どやー!」
「教師がいいんだな」
「って、おい!」
まあその通りですけど! トウヤの言うとおり、普段の先生はサクラさんだからね!
でもでも。味付けはお母さんのアドバイスを元にしてるんだなあ。
何しろ我が家の味の正体を私ってば知らなすぎるから、教わったの。
それって緋迎家でやってたことと一緒なんだよね。その家の喜ばれる味を知り、再現する。
うちで作るなら、味を支えているのはお母さんだ。ならお母さんに教わらずにどうするのって話なので。
「なんにでもできないが代名詞のうちの姉ちゃんが、料理上手になって……すげえな、士道誠心」
「いやいや、私の日々のたゆまぬ努力がだね」
「ちょっと綺麗になったからって調子こいてると痛い目みるよ、姉ちゃん」
「なにおう!」
憎まれ口を笑顔で幸せそうに叩くトウヤにつかみかかろうとしたら、お母さんに怒られちゃいました。とほほ。
◆
夜、カナタに電話を終えてひと息ついた時でした。
私の部屋の扉を開いてトウヤが顔を覗かせてきたの。
「姉ちゃん、ちょっといい?」
「ノック」
「いいじゃん。弟相手に何気取ってんの」
「そういう問題じゃないから」
「……ちょっと、いい?」
なんだ、どうした。改まって。
「なによ」
ベッドの上で正座をして、隣を叩くとトウヤが中に入ってきた。
腰掛けて、それから私をじっと見て……しばらくして俯く。
何を考えているのやら。でもこういう時には何か切り出しにくい話があるんだと思うので、下手にからかったりしないの。
「どうしたの?」
行き場のない手を握ってみる。中三になった頃にはもう嫌がられていた接触を、今日のトウヤは拒否しなかった。逆に握り返してくる。変なの。寂しかったのかな? なんて一人で内心にやにやしていた時だった。
「学校、今のところから変われたりしない?」
「……どしたの?」
思わず素のトーンで聞き返しちゃったよ。
「あんた自分で、私がいろいろできるようになったのは士道誠心に行った成果かなーみたいに言ってたじゃん」
「……そうだけど。でも、姉ちゃん今年に入って何回も入院したんだぞ」
……ああ。そうか。心配してくれていたのか。ずっと。
「充実してんの、見てればわかるし。体育祭の姉ちゃんは中学の頃よりもすげえ輝いてて……自慢の姉ちゃんだった」
恥ずかしそうに顔をそっぽ向けながら、それでも言うあたりトウヤなりに本心を伝えてくれているんだと思う。
「でも、夏休みに入って彼氏んちにずっと泊まってさ。やっと帰ってきたと思ったら、なんか……飯うまくなってるし。どんどん遠くに行っちまう感じで、それ……なんか、やだ」
かわいすぎか。
ち、違う違う。そうじゃない。ああでもトウヤが私を心配したり、私の成長っぷりに不安がってる。だめだ、やっぱり可愛すぎる。うちの弟が可愛すぎてしょうがない。
「別になんにも変わってないよ。トウヤのお姉ちゃんのまんまですよ?」
「……でも、姉ちゃんって昔から無茶するじゃんか。誰かのためならなんでもしちまうところ、不安なんだよ」
やめて。もうやめて。姉をキュン死させる気なの。ばか!
「そういうことは彼女にだけ言ってればいいの。ばーか」
「うっぜ」
風呂上がりの少し濡れた髪の毛を乱暴になで回す。うざったそうにはね除けるトウヤを抱き寄せた。
「大丈夫。仲間ができて、彼氏もできて。失敗する時もあるし、へこたれそうになる時もあるけど……もう、私はひとりぼっちじゃない」
心配してくれる弟もいるもんね、と言ったらトウヤが項垂れちゃった。
「それでも……もう入院とか、やめてくれよ」
「……トウヤ?」
「母ちゃんが一人で泣いてたんだ。父さんだって、会社を何度も抜けて姉ちゃんの顔見に行ってた。その間、姉ちゃんずっと寝てたけど」
俺だって、と呟くトウヤが私の背中をぎゅっと握りしめた。
「……俺はもうやだからな。姉ちゃんが傷ついてるとこ見るの」
どれだけ心配にさせていたか、思い知らされた気がして言葉がすぐには出てこなかった。
ああ、本当に帰ってきてよかった。帰ってこなきゃいけなかった。
「強くなるから。もっと、もっと」
「俺は! ……俺は、姉ちゃんは弱くたっていいと思う」
「トウヤ……」
「侍とかよくわかんないけど、姉ちゃんが傷ついてどうにかなっちゃうくらいやんなきゃいけないの? ならなきゃいけないものなのかよ」
お父さんもお母さんも言わない。
その代わりにトウヤが今、言ってくれているんだと思ったから……怒らない。へこたれない。
私の未来を浮き彫りにするその問い掛けに、私は微笑み頷くの。
「心配かけてばかりで、ごめん。でも……もう私は選んだの」
私の中にいてくれる二つの御霊に誓って。
「私は侍を目指す。誰かを救える力がこの手にある限り、なんだってするよ」
「――……いくせに」
「トウヤ?」
「力なんてなくたって、誰かのためになるならなんだってするくせに! 姉ちゃんは昔からずっとそうだ! なのに弟の願い一つ聞いてくれないのかよ!」
「わっ!?」
どん、と突き飛ばされて。トウヤは涙をこぼして去って行った。隣の部屋から乱暴に扉を閉める音がする。
……ああ。しまった。怒らせちゃった。むしろそっちにへこたれそうだ。
話さなきゃいけないこと、たくさんあったんだね。それをほっぽっている場合じゃなかったんだ。でも、すぐに追い掛けたって今日はどうにもならなそうだ。傷つき怒ってるターンだから、下手な謝罪はあんまり意味がない。
ああでも、トウヤの涙は結構……ううん、すごく痛い。
なんだか落ち着かなくて、部屋を出た。階段を下りて居間に行くと、晩酌に潰れたお父さんをお母さんが介抱しているところだった。
「お父さん、どうしたの? 珍しいね、潰れるまで飲むの」
「……春灯が帰ってきたから、嬉しかったんだと思う」
「あ……」
「手伝って。寝室に運んじゃおう」
「う、うん」
お母さんと二人でお父さんを寝室に運ぶ。
ひと息ついた時、お母さんに誘われて居間に戻った。こっそりお母さんが出してくれたのは、近所で有名な和菓子店のどら焼きだ。ちょっとお高い奴で、クリームとかたくさん入っていておいしいの。
「どうしたの、これ」
「いいから食べて。ちょっとお母さんの話に付き合ってちょうだい」
「うん……」
もそもそどら焼きを食べていたら、お母さんがお茶を煎れてくれた。
向かい側に腰掛けたお母さんはじっと私を見つめてるの。怒ったりするでもなく、優しい顔で私をじっと見つめ続けるの。
「トウヤとケンカしたんでしょ」
「……怒られちゃった。心配かけてばっかだって」
「お姉ちゃん子だからね。あんたが無茶するのわかっていて、見てられないのよ」
お母さんはお見通しだった。
「学校は楽しい?」
「……うん。すごく、たのしい」
「中学よりも?」
「今がいちばん楽しいかも」
「そう」
それはよかった、と呟いてから、お母さんは長いため息を吐いたの。
「お母さんは、春灯がしたいようにさせてあげたい。お父さんもそう」
どう返事をすればいいのか、わからなかった。
「あなたくらいの歳でなら、大恋愛もいいと思う。締めるべきところは締めてほしいけどね」
「わ、わかってるよ」
具体的に言うと生々しいけど、前にお母さんが避妊はしっかりしろと言ってきたことがある。そういうところの話だと思ったから、素直に頷く。
「でも……だからって心配しないわけじゃないし。できれば元気な顔をたまには見たい」
「た、たまにですか?」
「もう高校生なんだから。自立の準備をしてもいい頃だし、あなたが選んだ全寮制の学校もあるから……たまにでいい」
「おう……」
学校の全寮制について言われると痛い。あと親から自立について言われると不安になるね! 無条件に! でも……いつかはちゃんと考えなきゃいけないことだ。そして、
「将来、どうするのか。あなたの学校、あなたの日々の戦いをしっかり乗り越えるほどに限定されていくと思う」
「お母さん……」
「でもね。歳を重ねるほど苦労の量は増えるけれど。人はなんにでもなれるし、なんにでもはなれないのよ」
ぜ、禅問答です?
「なりたいものにしか……なれないようにできているの」
なりたいものにしか、なれない……。
「楽をしたいと思っていたら、楽をしたいと思っているような人にしかなれないものになる。春灯が戦うのなら、戦う人にしかなれないものになるの」
「……侍?」
「さあね。主婦かもしれないし」
「しゅ、主婦……!」
「シングルマザーとか」
「そ、それは苦労しそうなので、いやなんですけど」
「気をつけなさいね」
「は、はい」
お母さんの圧すごい。やっぱりうちのお母さんは地味に凄い。テレビで見かけるママ役のようにがみがみ言われるよりも、よっぽど心に刺さる言い方してくるもん。
「春灯が頑張っている限り、応援するし。お母さんは味方だからね」
「……うん」
「じゃあお説教はここまで。ちゃんと歯を磨いて寝るのよ?」
おやすみ、と言ってお母さんは二階に戻っていった。
どら焼きを食べ終えた私はぬるくなったお茶を飲んで一人息を吐き出す。
『いい母君だ』
十兵衞の言うとおりだね。
『いい弟じゃしな』
タマちゃんの意見にも同意。
もちろん、私が帰ってきたことで嬉しすぎて酔いつぶれちゃうお父さんも好き。
それぞれに家庭がある。
カナタにうちがあるように、私にもうちがある。
やっぱりサクラさんに感謝だ。私には幸せにしたい人がたくさんいる。
とうぜん、家族だって……幸せにしたい人の中にいる。
お母さんは私の幸せを願ってくれていた。トウヤもそうだ。お父さんも私に面と向かっては言わないけど、同じ気持ちでいてくれてると思う。
安心を届けたい。
それにはどうすればいいのか、私はもうちょっと本気で考えなきゃいけないのかもしれない。
つづく。




