第百九十三話
十兵衞が演奏に満足して私に身体の自由を返してくれたので、拍手してくれた観客さんたちにたぐり寄せられるままにお店のお座敷に腰掛ける。
お店の台所にはサクラさんをはじめ、料理に覚えがある人が立ってその腕を振るっていた。運び込まれる料理の一つ一つが美味や珍味の集まり。そしてなにより誰かの大好物。
はげ頭の恰幅のいいおじさんの隣に腰掛けて、カナタが打ったっぽいおそばを食べていたの。そしたら私の食べっぷりが気に入ったのか、おじさんに背中をばしばし叩かれました。
「いやあ、いいねえ! サクラさん、このお嬢ちゃん生きてるねえ」
「キョーさん、あんまり触っちゃだめよ? うちの息子の彼女なんだから」
「わかってるて、現世の女房に恨まれちまうわ」
わははははは、と同じテーブルについているおじさんたちが笑い声をあげる。
「え、えっと」
「いいからいいから。お嬢ちゃん、霊界から持ってきた般若湯だ。気付けにどうだい?」
「え?」
差し出された杯にはお水が入ってる。
「はんにゃとー?」
「うまいよ」
「……んん?」
なんとなく嫌な予感がして匂いを嗅いだら、紛れもなくお酒の匂い!
「だ、だめです。高校生なので! そういうのしたら捕まっちゃうので!」
「なんだい。最近の子供ってのは一口も飲んじゃいけないのかい?」
「キョーさん! 昔と違うんだから、そういうのもだめ!」
サクラさんが台所からめっ! と声を上げると、おじさん連中が嬉しそうに笑った。いけねえ、怒られちまった。ばーかでー、と。まるでノリが小学生。
やっぱりみんな楽しそうだなあ。
「じゃあこれならいいでしょ。ほれ、葡萄ジュースだ」
そういって別のおじさんがグラスを渡してくれた。
すんすん鼻を鳴らして匂いを嗅いでみたけど、葡萄ジュースだよねえ?
でもおじさん連中がにやにやしてるのなんか不気味。
「……ほんとにジュースです?」
「ああ。そんなもんで酔う奴の気がしれないね!」「ああ、まったくだ!」「ちげえねえ!」
……しょうがないからちびっと飲んでみた。
するとどうだろう。すっごく美味しいの! ふんわりと広がる不思議な香りが頭に染み込んでくらりときた気がするけど、不思議。
「おいしい!」
「そうだろうとも、そうだろうとも」「さあさあ、ぐいぐいいこうか!」「若い子が元気よく飲んでくれると、おじちゃんたちも幸せだからよ!」
がははははは、と笑い合うおじさんたちはやっぱり怪しい。
ねえタマちゃん、十兵衞、この飲み物大丈夫?
『ふふ……大丈夫じゃろ』
『久々の美味よ』
……ん? なんか二人とも妙に上機嫌じゃない?
『気のせいじゃ! ふふふ!』
『ああ……気にせず飲め』
うううん? まあ……二人がいいなら、いいけどさ。
ちびちび飲む。
「どうだい、お嬢ちゃん」
「……うまいれふ」
喉に染みて頭と身体がぽかぽかして、不思議といい気持ちだ。
これなんて葡萄ジュースだろう? 現世にもあるならいつでも飲みたいかも。
みんな楽しそうにお酒や料理を飲んで、家の変わりようをネタに笑い合う。中にはお供えが減っていた、ざまあみろなんていって言い合う人もいたりしたけれど、結局肩を組んで笑い合うんだからここは陽気にできている。
作り終えた料理を持ってきたサクラさんが並べた煮物や総菜におじさんたちが喝采をあげる。
「居酒屋ってのはこうでなきゃあなあ!」「母ちゃんの味ってのがいちばんいいよ!」「霊界の飯もまずくはないが、こういうのが欲しいんだよねえ」
おじさんたちだけじゃない。子供たちなんかは脇目も振らず箸を伸ばして夢中で食べていた。大好評だ、サクラさんの料理。
私の隣に座ったサクラさんがひと息ついたとばかりに吐息を漏らす。
すかさずおじさんたちが杯と酒瓶を伸ばした。笑顔で受け取り、一献もらうサクラさんがお酒をくいっと飲み干して長々と息を吐き出した。
その色っぽさたるや尋常じゃない。悪ガキの集まりみたいなおじさんたちも揃って見とれてる。でもしょうがない。私も、あとは他の女性も思わず見つめちゃったくらいだから。
「あら……だめよ、こんなもの飲んじゃ」
「え?」
私の手の中にあるグラスをひょいっと奪って、サクラさんが据わった目つきでおじさんたちを睨む。
「だあれ? 隔離世だからってこの子にイエスの血なんか飲ませたのは」
「さ、さあね」「知らないね」「うまいジュースだよなあ?」「そ、そうそう」
「おしおきが必要かしら?」
ごごごご……と擬音を背にしてそうなサクラさんの迫力におじさんたちが一斉に項垂れる。
ぽわぽわしてきた私には事態の推移がよく理解できない。
「どういうことれふ?」
あれ。さっきから、うまく舌がまわらないよ?
「……まったくもう。お水もらえる? ……ありがと、ほら飲んで」
渡されたお水さえ不思議な味がします。
「……んー。サクラさん、いいにおいれふ……」
くらくらしてきたからサクラさんに寄りかかる。
柔らかくて優しい匂いがする。お母さんの匂いだ。落ち着くの。どこまでも。
「どうして……」
だから、かな。
「どうして、死んじゃったんれす……?」
聞いちゃいけない質問が喉から出て、止まらない。
「カナタも、コバトちゃんも……シュウさんも、なによりソウイチさんが寂しがってます」
「……ええ」
微笑み頷くだけのサクラさんを見ていると、なぜだか無性に泣けてきた。
なんでだろう。なんでこんなに悲しい気持ちになっているんだろう。
思考は散漫で、ふわっと浮かんでいくような心地だけがある。
なら気持ちも一緒に飛んでくれたらいいのに、勝手に沈んでいくの。
「……私も、ノートを見る度にサクラさんを思って、いてくれたらいいのにって思ってたんれす……」
「お嬢ちゃんは泣き上戸か」
「わたしは! だいじなはなしをしてるんれす!」
「お、おう」「やーい、怒られてやんの」
笑い合うおじさんたちは私の涙なんてお構いなしだ。
けどどうでもいい。大事なのはサクラさんだ。サクラさん。サクラさん。
「どうして……遠くへいっちゃったんれすか」
「そうねえ」
私の駄々に怒りもせずに、サクラさんは片腕で私を抱いて言うの。
「死は時に、誰にでも平等に訪れる。けれどそれは永遠の別れを意味するものじゃない……」
「……さみしいれす」
「ええ。そうね。だから……こうして毎年戻ってくるの。そうして、死を迎えた人を私たちは迎え入れていく」
いつしかみんなが私たちを見つめていた。笑顔だ。それは単純な表情ではなくて。何かをいくつも乗り越えた上で見せる強い人たちの決意と覚悟の表情だった。
「するとね。いつかまた再び巡り会うの」
「いつか、また……めぐりあう」
「そうしたら……地上は卒業ね」
ちげえねえ、と誰かが声をあげた。長生きしてもらわなきゃ困るぞ、と誰かが言い返す。いつかは卒業しなきゃいけないかも、と子供が俯く。その時は俺が一緒にいるよ、とそばにいた子供が肩を抱く。
死者の祭り。それは私が思っているよりも、ずっと強い人たちの集まりに違いない。
それが素敵なのに……とても悲しくて。なのに笑えるこの人たちがやっぱり素敵で、胸が詰まるの。
サクラさんが飲ませてくれたお水が染み込んでいく。
もやが掛かった頭がすっきりしていくの。不思議に優しさがまどろみを流していく。
「ここにいるみんなを……どう思う?」
サクラさんの囁きに思う気持ちは山ほどある。
素直に言うならそれは美しい言葉に近づいていく。けど、
「こっそりお酒を呑ませるだめなおじさんたちがいます」
おじさん連中を半目で睨んで一言いっておこう。
そして。
「茶目っ気ありすぎるけど、でも……みんなご機嫌で、それは素敵なことだと思います」
笑いながら言うのだ。だめな部分も含めていいんだって。
「あなたがもしよければ……よく覚えていてあげて。ここに来るみんなのことを」
「……サクラさん」
「自分の死は……なかなか選べない。選ぶべきでもないのかもしれない。ただ……それがもし訪れたとしても、きっと救いはある。私たちは少なくとも、そう信じている」
お店の中の活気を見渡しながら、息を吸いこむ。
熱気。それは夏の温度に負けないくらいの強さがあって、なのにちっとも嫌じゃない。
「ずっと続けばいいのに……」
「いつか終わるから祭りなの」
わかる?
「生きていることはお祭り。死んで生まれ変わるまでも……お祭り。だから楽しまないとね」
そう言って微笑むサクラさんに胸がきゅんとしてしょうがなかった。
息が詰まって、やっぱりどうしたって泣きそうで。
でもこの場に涙は似合わないと思うから、私は目元を拭って言うのです。
「もう少しだけ、葡萄ジュース飲んでもいいですか?」
少しだけでいい。今はこの瞬間に酔っていたいので。
そう訴える私の気持ちに応えるようにサクラさんは言いました。
「本物の葡萄ジュースに……呪文を唱えるわ」
アン・ドゥ・トロワ、と新しいグラスに霊子で作ったサクラの花びらを落とすの。
「特別カクテル。一杯だけよ?」
茶目っ気たっぷりに笑ってくれたのです。
サクラさんが渡してくれたジュースはさっきのよりも澄んだ味わいがして、なのに不思議と胸が熱くなっていい気持ちになる素敵な味わいでした。
つづく。




