第千九百話
あかね色に燃える夕日を眺めながら、天国は館のそばにある雲野原で金色を浮かべる。
ファリンちゃんと話してから三日ほど経過した真夜中。
夜か天国修行にて、私は訓練に勤しんでいた。
球状に凝縮させた金色を相手に、思い出を脳裏に浮かべながら転化する。
強く輝きを放ったら、第一段階終了。
思い出を軸にした霊子の塊の生成が完了する。
次は、分解。
それこそ陰陽五行の要素に分解できるといいんだけどね。
これに関しては久しぶりにユウジンくんと通話して、なにかコツはないか聞いてみた。たとえば陰陽五行の覚え方なんかもね。もろもろ込みで尋ねたらさ?
『そんなん急に言うても自分、ちゃんと覚えられるん?』
ひとことで挫折したよね!
『覚えられるように、分けられるように自分でやって。キミの記憶やろ?』
じゃなきゃ身につかないし、身につくように自分でやっていいんだよというフォローを受けて、通話を切った。ごちゃごちゃ予習する暇があったら、自分がやりたいことに集中なさいと叱られたようでもある。
むずかしいなあ。
私の記憶。
これまでいろいろな思い出で試してきた。
けれど抽出できるのは、ひとつにつき、ひとつまで。転化とたいして変わらない。
トモたちと来てくれたファリンちゃんと、ふたりで話して教えてもらったときのこと。
彼女は要素分解について、こう言っていた。
『簡単かどうかは人による。単純に人生経験次第とも言わないし、言えないの』
要するに。
『まあ、やってみて。決まった素材で決められた手順で練習できる、という類いのものじゃないから。ひとつでも抽出できたら、あとは反復練習あるのみ』
個人でがんばれ、と。
そんなわけで繰り返し練習中なのだけど、進捗ないです。
うれしい思い出からは、うれしい要素だけ。悲しい思い出からは、悲しい要素だけ。怒りや叱りに満ちた思い出からは、怒りや叱りだけ。
当時の思い出に、当時の感情がひとつだけ。一対一のまま。
それってほんとにぃ?
当時の思い出を引っこ抜こうと執着するからいけないのかな。
いまの私の霊子でできているんだから、いまの私がなにを抽出できるかに集中したほうがいいのでは?
一通り試してそこまで思いついたのはいい。
いいんだけど、今度はどうしたものかで悩む。
ざっくりと高校での学校生活と総括したら? 球にする第一段階での転化がうまくいかない。シャルと教授というくくりでも失敗したし? シュウさんとの思い出でもそう。なんならカナタとふたりのあまあまなんていうのも、こっそり試してはみたものの、ダメだ。
ざっくりひとまとめの転化は、いまの私にはまだハードルが高いみたいだ。
球になる前に散らばってしまう。
やっと球にできることといったら、ひとつの出来事にまとめるところまで。でも、それだと分解できても、ひとつの感情にしかならない。
「おいおい、私ってそんなに単純かあ?」
単純なのかもしれない。
和泉式部の作に、こんな歌があるよ?
『いくかへりつらしと人をみ熊野のうらめしながら恋しかるらむ』
岩波文庫から発売されている詞花和歌集より引用。
私たちの感情は単純なようで、ときにとても複雑。
長い間うらめしく思っている人なのに、不思議と恋しさもまた募るもの。みたいな?
カナタに対しても、似たようなところあった。きらきらふわふわした時期しかなかったなんて、そんなことはあるわけないので。お互いにね。
だれかへの感情として転化できたなら、それこそ最高の練習になりそうなんだけどな。
まだ、できない。
だから記憶に縋って転化しては、要素分解を試みているのだけど。
「つらいのはつらいだけ。うらめしいのはうらめしいだけかあ」
どや、と。
球に意識を集中する。どんな思いがあるのか感じとるべく、記憶をイメージする。浮かんできた感情をそのまま強く意識。掴んだら、球から引き抜く。
こないだのカナタとの夜を球にしたなら、引き抜いたのは淡い桜色の霊子。球が十なら、引き抜いた桜色はせいぜい一。量からして、変換効率は悪い。あるいは、九を取りこぼしているのかもしれない。
どんな記憶にしても比率はまちまちだけど、十を十に分解することに成功していない。
実際に目にするとね。
足りないものがあるのかどうか、思いを馳せずにはいられなくなる。
いいことだけか、わるいことだけか。そこまでわかりやすくもあるまいし?
情報だけで生きていけないよなあ。実際。
もっと生々しい人の感情の鮮明な輪郭みたいなものを捉えられなきゃ、十を十に分解することはできない。十が百になることもきっとない。ただ、ふり返るとき、そのとき浮かぶ一部だけを味わうので精いっぱい。
すべてを引き出すことができる記憶は見つからない。
ふたつ以上の感情を引き抜ける記憶も。
思い浮かびはする。掴んでみようと心がけてもきた。なのに、取り出せない。
せめて割合を高めようとしたら、候補は絞られる。
お姉ちゃんとうちに帰ろうとして、なのに家に入ろうとしなかったとき。トウヤを暗に人質に取ったことを示唆してアダムが私を脅したとき。お母さんが空っぽになってしまいそうな脆い状態で和室の仏壇を眺めていたとき。キラリをはじめて見たとき。結ちゃんについて陰口を聞いたとき。ギンと対決したとき。何度でもトモが私を助けてくれたとき。カナタが私の手を引いてくれたとき。はじめての夜。
ぷちたちを思い浮かべると、比較して感じ取れる違いは大きい。
小さな頃は、ひとつひとつにたくさんの感情がざわついたものだ。
なのに感情を動かさないで、情報にとどめてそぎ落とし、心が動かないように生きている。
いつから? どこから。
思い出せない。
ぷちたちのあまりに多すぎる心の動きに疲れるのは、不慣れな運動になってしまっているから。
けど心を動かしていたら痛みをダイレクトに感じる。
痛みがありふれていたのは、私にしてみれば小学校から。
情報にとどめ、それもなるべく意味のないものに変えていかなきゃ、とてもじゃないけど通えない。うまく溶け込めないのに、無理をしても意味がない。ぷちたちの遊ぶブロックオモチャで、むりやりはめようとするような感じだ。あのオモチャはとびきり頑丈にできているからいいけど、それがたとえばお父さんのプラモデルになると? 組み立てられずに壊れてしまう。
自分にはまらないパーツをやまほど押しつけられて、立派な「ふつうのそつぎょうせい」になるように組み立てられそうになるけれど、如何せんはまらないパーツばかりだから、歪な化け物みたいになるか、未完成品のまま「だめなそつぎょうせい」にしかならない。
そんな状況を心で感じようとしたら、つらいから情報にとどめる。
だれかの理想にはなれない。
だれかの当たり前にもなれない。
そこに私のなりたい私はいないからね。
心の動きに鈍感になったせい?
見つからない。
あるんじゃないかな。あるはずだ。なのに、記憶に紐づき、いまの私の中で息づく心が見つからない。
だれかといるとき、だれかといるのに夢中でそれどころじゃない。
ぷちたちさえそうだし? 小さい頃の私もきっと、そうだった。
ひとりのときに噛みしめる。あるいは矛盾するようだけど、だれかといながら、ふと見つける。それはあまり珍しい話じゃないはずなのに、いざ要素分解に挑むと引き抜けるのはひとつだけ。
「練習が足りないんですかね?」
首を傾げながらも、続ける。
球にならない理由は? いくつか浮かぶ。
そもそも具体的で鮮明じゃないから。絞りきれない曖昧なまま転化できない。なにより私が自分でそう思っている以上は、絞りきれない曖昧なものを転化できるはずもない。
見通しが立ったら?
ただそれだけで見える世界が変わるのに。
たとえばここにもしもムンクの叫びが飾られていて、そこから私の気持ちを引き抜くことができたなら? それは複雑な感情になるのかな。
美術品を嗜む経験値があまりに足りないからなあ! 正直ぜんぜん自信がない!
それじゃもったいないなあと思って、めいっぱい感じとるべく楽しんでるつもりなんだけどな。カナタとふたりで箱根旅行をしたときに足を運んだ美術館でもそう。
足りないんだよな。なにかが。
球じゃだめなのかな?
いまの自分がやりやすいように工夫していいんだぞ?
なにに遠慮してるの?
ただただ繰り返すのにも飽きてきたしさ。
「んー」
記憶を読み取れるようなものがいい。
あるいは、いろんな感情がわき出そうな形。
いや、そういうことじゃない。
思い出せて、味わえるのがいいって?
形にしたら余計に絞られる。
もっとこう、よくわかんないのがいいな。
ぷちたちみたいに、いろんな思いで接することになるものがいい。
情報にするんじゃない。
わかりやすくて象徴的なものにしちゃうと、それで済ませちゃう。
それじゃだめなんだ。
写実的なのじゃだめ。抽象画にしていかなきゃ読み取れない。
変な話だけど、情報量が多すぎて抽象的で、だからこそ頭と心が動くものじゃなきゃ、進めない。すくなくともいまの私がわかりやすく作っちゃうと、それで済ませちゃう。
だめなんだよ、もう。そういうんじゃ。
もしもカナタなら? 小楠ちゃん先輩やノンちゃんなら。ここは刀がいいのかも。
私には読み取れない。あまりに難解すぎて。
花にしてみたら?
やっぱりむずかしい。
歌ってくれたらいいのに。いっそ。
声を聞かせてくれたなら。短い旋律でいい。歌詞さえなくても構わない。
ただ、歌ってくれたら。
これもちがうなあ。
回りくどいしなあ。
なにかをやらせるっていうのがね?
ないかな。
今後を思うと、私の偏見が入り込む余地は減らしておきたい。
あ、ゼロにはならないよ?
ならないけど、それと増やすのは別の話だ。増やすのはなし。
料理なら?
仮にご飯になるのなら、ひと味ってのは物足りない。
ぜいたくな話ではあるけど、日本の食卓だと? わりかし自由に変えられるほうじゃない?
もちろん人によるけどさ。
どんな記憶も、いろんな味がしそうだ。五感で感じ取れそうなものなのに、味覚でしょっぱいとか、甘いとか、からいとか、そんなのばっかり。いかにも物足りない。
まるで具材しかないみたい。
そういうところが物足りない?
かもしれない。
記憶から引っこ抜けているのは、ただの具材だけ? それも、ただひとつだけかも。
あり得る。
料理だとしたら?
それはそれで私の恣意的な偏見が入っちゃう。
とことんがんじがらめにして、それじゃままならない。
ハンニバルっぽさもない? 料理って。
んー。グロテスク!
結局、ふり返るうえでどのようにして、なにを味わうかなのかな。
味つけ次第で変わることもあるし、味つけどころじゃないこともある、という見方を取り入れるのが精いっぱい?
わからないなあ。
わからないはずなのに、味わえない。
まるで五感が損なわれてしまったかのように。
制限しているのはだれ?
私自身に他ならない。わかっているのになあ。
「――……と、見せかけて、そいやっ」
いまの気持ちを球にできないか試すけど、金色は散ってしまう。
ひとつに固まらない。
固めようとするのが、そもそもの間違いなのかもしれない。
ファリンちゃんが教えてくれた。
『ただただなにも考えず、なにも感じようともせずに繰り返せば身につくなんていうのは、努力の中でもとびきり楽なほう。実際にはそうもいかない』
ほんとにそうだ。
うまくいかない。
『失敗に挑み、成功に辿りつくまで、あの手この手を試すっていうのが努力の中でもよくあるありふれたほう』
そしてそれを続けるには、ほんとに多くのものがいる。
『よく考え、よく感じ、いろいろ試してみて』
固めて転化してきたけど、そのやり方からして変えてみてもいいのかも。
工程のひとつひとつを洗い出して、どう変えられるかを考えてみよう。
記憶によっても、工程次第で変わるかも。
ああでもないこうでもないと考えるより、具体的にやってみよう。
記憶は限定したほうがいいな。
最初はポジティブな気持ちがいっぱい引き出せそうな記憶がいい。
赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケアで見た自分のいいとこ記述にも活かせそうだし?
いっそ金色を出す時点で記憶と紐づけられたら手っ取り早い。
それでもやっぱり転化は必要なんだ。引っこ抜くためにはね。
ファリンちゃんはひとつにまとめて転化するのが最初はいいって教えてくれた。
理由はある。
転化の漏らしをなくせるんだって。
私みたいに粒子をやまほど出すのなら? ひとつ残さず転化しなきゃ、要素に分解して引き抜くときに漏れが出る。
それだと霊子の扱いが雑で、浪費してしまいかねない。
なるほど。たしかにそう!
新技ひとつ取っても、獲得するのは大変だ。
感情ひとつままならない。
そんなものなのかもね?
こないだうちに帰ってきたトウヤが久しぶりに、お父さんの本棚にある漫画を読んでいた。ベルセルク。中学生にはまだ早いのでは? と思うシーンが満載だ。ちなみに私も中学生のときに読んだくち。
あの作品の主人公の思いは複雑だ。あまりに過酷な体験をしているもの。一口になんて語れやしない。主人公を助けてくれた髑髏の騎士もそうだし? 主人公たちを生け贄に捧げた鷹の騎士だってそう。
情報にしてしまったら、とてもたやすい内容なのかもしれない。
けれど心に宿したら? それは決して飲み込めるような温度じゃない。
そんなに世の中わかりやすくはないよなあ。
紅の豚のジーナさんのことばを思い出しながら、金色を出す。
転化しながら出してみようと試みたけれど、それがうまくいっているのかどうかがまずわからない。見てわかるように変えてみたら? なんだか混ぜ物をするみたい。
わかりにくいから、わかりやすくしたくなる。
わかりやすさに価値がないわけじゃない。
ただ、そぎ落とされるなにかを憂う。
「――……あ」
わかる形で引き抜こうとしているのが、そもそもちがう?
急ぎすぎているのかも。
要素に分解して引き抜くうえで、段階を増やしてみるのはどう?
おう。工程にわけるだけじゃなくて、工程そのものを見直すのもありってこと?
やれることに限りがないね?
ファリンちゃんの言うとおり、ただ反復するだけで実ったら、たしかに楽。
これはそういう類いのものじゃないぞ?
地道にやってくかー。
それしかないな!
「万華鏡のように、変わる変わる。めぐるめぐる。幾重にも折り重なる記憶。ひとときの混じり合う味を教えて」
呟きながら金色を出す。
何度だってしくじるよ。うまくいくまで、何度でも。
つづく!




