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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千八百九十七話

 



 昨日と同じ今日が続いている。

 青澄春灯にとって、それは自分のできることとして数えられるものだ。

 高校に入って得たものは多い。多すぎて整理がちっとも追いつかない。

 それらは私を象徴し、かつ私の存在証明のようであり、加えて私を肯定する力のようでもある。

 狐憑き。二本の刀。ふたりの御霊。両目に宿るもの。御霊の声を聞く力。大神狐モード。タマちゃんの刀が真打ちになったこと。歌。お仕事。ゲリラも含めたライブ。御珠。ぷちたち。これまでに出会った縁。天国で修行する神使。

 では、それらを私から引いたら?

 もう私は私じゃなくなるのかな。

 いま並べたすべてが私に価値を生み出す「情報」であり、それらが失われた私には価値のある「情報」が失われて、私そのものに意味がなくなるのかな?

 そんなことはない。

 けど固執することもある。執着せずにはいられないときもある。

 ビッグバンセオリーに出てくるハワードは、仲間内でMIT出のエンジニアであることを弄られる。博士号の取得を恋人に促される場面さえあるし、みんなと勤める大学で地味に博士号を持っていないことで評価を得られない場面がある。

 そんな彼がNASAのミッションで国際宇宙ステーションに滞在することになった。ひ弱でピーナッツアレルギー、華奢でジョン・レノンみたいな髪型の冴えない、だめな男子。訓練は過酷で、とはいえ元々コメディドラマなので、悲惨ではあるのになぜか笑える目にいっぱい遭う。

 そんな彼が無事に宇宙に行き、やっとの思いで地球に帰ったら?

 今度は「宇宙に行った!」と周囲に自慢しまくる。言いふらさずにはいられない。宇宙に行ったハワード・ウォロウィッツ。まさにそれが彼にとって大事なアイデンティティになる。

 けど仲間で集まっても、ふたりで移動中のときも、なにかにつけて宇宙に絡めて自慢げ。みんなはだんだんうんざり。彼女にもうやめたら? と言われたら、彼は「僕の人生でこんなにすごいことを成し遂げられることは、もう二度とない! それくらいすごいことをしたんだ! 宇宙に行った!」と嘆く。

 その回のオチだったかな。

 宇宙飛行士で有名なおじいちゃんが、ハロウィンでお菓子をもらいに来たこどもたちに「ワシはな? 宇宙に行ったんじゃ」と自慢していた。自慢話は、だれでも決まって長いもの。こどもたちはうんざり。その場面を見せられた彼は「やめた!」と自慢を打ち切る。

 日本だと学歴だったり、賞だったりするのかな? マウントネタは枚挙に暇がないのでは。

 たしかにNASAのミッションで宇宙に行くのは特別で素晴らしい体験だと思うけど、なにかにつけて宇宙、宇宙と結びつけては必ず自慢げだったら、正直しんどい。いや、いま宇宙の話してないからってなる。

 自慢とマウントはとても仲がよくて、他者を受け入れる枠組みに利用しちゃう人もいる。自分の枠組みの中にすぽっと収まらない限り「自分はあいつを認めないね!」と、そっぽを向いたり、意地悪したりする。

 そういう抑圧があること自体はけっこうたくさんの人が知っているんじゃないかな。

 そういうとき、わかりやすい対応策は?

 宇宙いった! みたいに、すごいことやった! すごいとこいった! というネタを用意する。箔をつけるともいう。大体においてファッションも含めた記号的で象徴的なもので、執着するほど自然と他者にも抑圧的に求め始める。

 パワーゲームって、だいたいそんな要素が大事だったりする。

 最近は運動が活発になって見直されてきているけど、それが性別や人種であることさえある。あった、とはいわない。現在進行形だと思うから。グラデーションがあるだけで。

 本質的にまだまだ自由と平等への道は遠く険しい。進み続ける人が増えているとしても、立場が変わればものの見え方感じ方が変わるし、生まれた場所がお隣さんレベルでちがうだけで価値観もがらりと変わる。学習に影響も受ける。

 だからしばしば維持される。

 それをはね除ける力となりえるように思えるから、欲しくなる。

 もうバカにされないバリアになりそうだから、手放したくなくなるし?

 みんな聞くべきだし、褒め称えるべきだって思うようにさえなるかもしれない。

 尊重してもらいたがる。自分は周囲を尊重せずにはいられないか、はまったくの別として。

 ハワードは見事にそれらをすべて、セリフで語っていたような気がする!

 世の中の独裁者のドキュメンタリーを眺めていると、彼らも、そして彼らの側近たちもまた、似たようなタイプに思える。

 そこで考える。

 ほしいもの、願いを叶えるための許可証として捉えると?

 そりゃあ、暴力的になっていくよなあ。

 カオナシの「ほしがれ」に「おれはえらいんだぞ!」や「わたしをほめたたえよ!」がくっつくわけでしょ?

 ないなあ。ないわあ。

 そんなのあろうがなかろうが、自分は自分。

 そう言えるくらいには、元気。余裕もある。

 だから落ち着いて結論を出せる。余裕がなくなると、安定したなにかを求めて縋るかも。これまでも実際、頼りにする場面があった。

 でも十兵衞もタマちゃんも、いまの私がどうするか、どうしたいのかを見ている。ぷちたちも、結んできた縁もそう。

 私だってそうだ。

 まい進するには現実って大変なことが多いし? ドレスコードのように「なにものかになれ」ハードルは世の中にごろごろしている。いろんな形でね。そういう意味で、日本は多様な民族が集まる国じゃないから、そうした差別がない! みたいな言説には首を傾げる。ええ? ほんとにそう思ってんのお? ってなる。

 あるよ。いろいろ。ごまんと。どの国にもそれぞれの形で。共通項もあるだろう。

 はね除ける象徴、アイコンとしてのなにかがなきゃだめか。

 それがあるからこそ自分は何者かになれるのか。

 特別な私になることに、そこまで執着をするべきなのか?

 きっといま出して実行できる、実現性のある範囲での答えは、望ましいものばかりとはいえないだろう。そうして、いじめ現場を見て見ぬ振りをするように、場に合わせて、だれかの都合のいい、だれかにとっての「現実」に合わせなきゃいけない抑圧に加担するしかないように思えるときさえある。

 そのだれかの狭い枠組みをいくつも重ねて、すりつぶされて削られた残りかすを自分だと信じなきゃいけないのは、とてもつらい。

 いやだ、むりだ! と声を荒げて、バッシングを。それもやっぱり、つらい。

 現世の刀で、人と斬り合うとね?

 生き残ることができたとしても刃こぼれするし、なにかが削り落とされていく。

 隔離世の刀はちがう。もっと露骨に、振るう人の心のありようが出る。暴力を振るい、振るわれる現場で活動したら? 錆びたり欠けたりする。二度と修復できない傷を負うことさえある。刀鍛冶の補修も間に合わないほどに、心が曇り、傷ついてしまう。

 鞘に収め、ときに抜いて、手入れをする。

 それで十分なのだとさえ感じるし? 包丁だって、使えば洗う。使う前には研いでおく。楽ちんお手入れ道具もいまどきたくさんあるのだし。心だって、刺激を受けたらチェックするし、よしよしが必要ならするよ。

 なのに乱暴に、固い岩やなにかにがんがんと振り下ろしたら? どんどん壊れてしまう。

 荒ぶる心を鞘に収めて。

 毎日を続けて、生きていく。

 それがいま、できている。その事実が私を支える。

 私に完結しないことのほうが多い。ぷちたちがまさにそれだし。カナタにとってもそうで。御霊のふたりはもちろんそう。縁はすべて、私に完結しないもの。

 ライブにしてもそう。私ひとりでできるものじゃない。私ひとりの力じゃ、あの光景は見られない。仕事もそうだし、刀もそう。御珠さえ、そうなのかも。

 だれかがいてくれて、だれかとなにかをできるとき、ようやく実現したり、癒やせたりする。一方的では循環していかなくて、お互いにってなっていく。

 生かしあっている。お互いに。共生ってやつだ。

 生きる力になりたくて支えようとするとき、私は支えられている。

 教えようと思うとき、むしろ話し合い、受けとってもらえるかどうかを教わっている。

 ぷちたちに教えてもらうことはやまほどある。

 みんなが願うほど、私もまた同時に強く願っている。

 交わり、関わっていく。

 どれもこれも、ふわふわしたあいまいな話だけどさ?

 私にできること、そうはないなあって。だけど、ぷちたちのことで「わー」ってなっている自分をなだめて、気づいてみたらさ?

 なんだ。みんなと一緒に、今日を日々こつこつと積み重ねてるじゃんって気づく。

 お互いに安心を願っていて、ぷちたちのほうがよっぽど素直に捉えていることも多い。

 ようく、教わる。

 わからないことがあったら聞く。

 そういうことが、ちょっとずつできるようになっていっている。

 おまけにいろんな人が「調子はどう?」と訪ねてきて、助けてくれる。

 おかげで毎日を、ちゃんと繰り返していけている。

 心から感謝しながら、同時にふと思い返す。

 カナタとふたりで、ミコさんに呼ばれて訪ねた研究所。

 部屋と呼ぶにはあまりに粗雑で簡素で、思いの欠片もない場所。狼少女たちが押し込められ、生活させられていた空間を。

 一緒に居るって、相手を受け入れようってことでもあるんじゃないかな。

 あそこにそんな感情はなかった。

 すこしもなかった。

 烏天狗の館で尻尾フィールドを訪ねたときの胸の痛みは、いま思えば研究所に見た愛情の欠片もない冷酷さに重ねたものなのかもしれない。

 空間に制限があるとしても、ファンタスティックビースト略してファンタビのニュートのトランクにある魔法動物たちの生育環境にみる穏やかさはない。微塵もない。それぞれの魔法動物が暮らしやすいように環境を調節したり、整えたりみたいなことは一切ない。

 する気がないんだ。

 そこで暮らしていた少女たちを思うと、たまらない気持ちになる。

 同時に結局やっぱり「する気があるかどうか」を思う。

 法的に親になるとか、式神たちのご主人になるとか。その手の象徴で、日常をカバーすることなんてできやしない。いくらでも、あの研究所の思いのなさを再現できてしまう。

 それを痛感している。

 怖さはとても身近にあるのだと気づいている。

 たとえばいま「だいじょうぶ」だと思うことが、明日からも一日いちにちを大事にしていくことにはならない。繋がらない。まったく別の話だ。

 継続性を思えばこそ、みんなの助けがありがたい。ぷちたちが教えてくれることが、とてもうれしい。支えてもらうことが、ちゃんとできている。私にできることを、こつこつ続けることも。

 ノートにいっぱい書いたよ。

 それぞれの記述にしみじみと思いを馳せては痛みが和らいでいく。

 すこし寝たり、くつろいでしまったぶん、夜はなかなか寝つけなくてベッドに腰掛けている。

 ぷちたちが集まって、私のそばで寝ている。冷房を使わないと、暑くて茹だりそうなくらいだ。ひとりひとりなら、ぽかぽかあったかいのかもしれないけどさ。集まると、ね。

 いまさら離れてどうこうなんて思い浮かばない。

 この子たちの人生と変わることはできない。もしもなにか問題に苛まれたり、病になったりしても、変われない。逆もまたしかり。そこですれ違うことさえあり得る。

 どうであろうと、私は私のまま。この子たちは、この子たちそれぞれのまま。

 一緒に過ごす時間さえ、変わっていく。ときが流れれば。変わらないものもある。それぞれに象徴的な名前や意味を与えることはできても、一時のものだ。

 どうあれ私は私のまま。この子たちは、この子たちのまま。

 社会がなにを求めようとも、パワーゲームで「はいこれ俺ルール!」と言いだそうとも、一切、変わることはなく、揺らぐこともない。心はとても怖がりだから、刺激にどう反応しちゃうかは別だけどね。

 そうなれば答えは必然。

 どれほど象徴的に思えるものを並べたとして、あるいは並べてみせられたとして、それはそれ。意味があるとかないとか、そういう話でさえない。

 私は私のまま。

 それでいい。

 そこを原点として、目標を延長線上で捉えてみよう。

 どうしたい?

 いままでよりずっと自然に答えが浮かんでくる。

 気負ってんなー。

 プレッシャーを感じすぎていた。

 自慢とセットで? そうかも。

 私にはアイコニックななにかがあるから、その責任を果たさなきゃいけないんだ! みたいな。ヒーロー映画が好きだけど、だれしも一回はかかる王道展開のはしかみたいなものかな? 最近のだとあんまりみないけど!

 あれって、けっこううっとうしいよね。

 義務で付きあわれるの、ほんとにきついもの。

 ひとりでもいやいやいるようじゃ、お互いろくな時間を過ごせない。意欲がないならやめておけ、と言いたいのに、その通りにするのは案外むずかしい。

 意欲と無駄が重なって遊びの余地が生まれるし、人の営みも文化も結局は遊びで開拓されている。無駄を拒み、切り捨てたいときは、そもそも心が余裕を失ってイライラして、かなりとげとげしくなっている。

 なので。

 そういうのは、なしにして。

 そういうときは休むとして?

 意欲で遊びに繋げていく。

 ぷちたちともめいっぱい遊べている。

 落ち着けば落ち着くほど遊べるのだと気づく。

 むしろ最近は寝てるのが、だめ。考えるより、悩んじゃうから。

 どうなろうがなんだろうが、私は私のまま、めいっぱい遊び、めいっぱい私を生きる。ひとりに限らず留まらないし、留まれない。ひとりのことなのに、ひとりで決まらない。不確かで、あいまいで、繋がらずにいられない生きもの。

 それでも変わらない。

 そのへん、会社はちがうけどトニー・スタークもブルース・ウェインもわかりやすく描かれてません? カナタが自分の地続き論みたいなの、話してくれたけど。そしてそこには、それはそれは残酷なまでに個人差があるだろうけど。スターク・インダストリーやウェイン・エンタープライズみたいな億万長者の御曹司には生まれなかったもの。ま、それはそれ。

 どれほど切望しようと別のだれかにはなれない。

 私は、私のままだ。

 ジョーカーの映画にみる立場や構図さえ含めて。

 いまあるパワーゲームそのものを変えることはむずかしく、ままならない。

 いずれにせよ、私のまま、私を生きる。

 いろんな立場、いろんな人生がある。物心ついたときにはもう当たり前だった世界中と繋がる情報の速度と渦は、いろんな指向性や真偽について悩ましい問題もあるけれど、それでも幅広さに触れる機会にはなる。

 そのうえで、とことん、なにかにはなれず、自分は自分の延長線上に進んでいくだけだと感じる。そんな風に考えると悩みの種が育っちゃうので、言い換えるなら?

 ケ・セラセラ。明日は今日とは別の日。だけど、それでも大事に過ごせた今日のように明日を過ごすことはできる。切りかわることも多いから、立てなおすことだってできるよ。それはどこまでいっても、自分の延長線上に留まる。

 格差の是正や、自由と平等とか。福祉制度の改善とか? ひとりひとりの延長線上に留まるからこそ、ひとりには到底変えられない現状を社会全体で楽にして、よくしていこう、みたいな流れは、ひとりの限界を前提にしている。放っておいたら悲惨なことが起きることも。

 実力も運のうち。そういう本があるけれど。

 ブルースとジョーカーの関係性を見ると、痛感するね?

 いまもあるパワーゲームもそう。ひとつずつ問題として捉えられるようになりながらも継続してしまう。ひとつずつ並べる? さすがに現代で「女に生まれたから」みたいに言う輩がいたら炎上するほど怒りを浴びそうだ。けど昔は当たり前に言われていたとも聞く。

 実力も運のうち。

 私たちは違いながら、違うまま、おんなじですって振りして生きている。

 その違いを格差に繋げて広めると感じずにはいられないような構図はたしかにある。それを変える運動をしている人はキング牧師みたいに昔からいる。いまだっている。

 本題から逸れちゃうな。

 いずれにせよ実力って、自分に完結するものじゃない。

 繋がりの中で生じるもの。

 それが人じゃなくて自然というケースもありそう。

 とどのつまり?

 私の並べたものぜんぶ、私ひとりじゃ得られなかったもの。

 それを私から引いても? 私は私のまま。

 悲しいくらいに、変わらない。

 逆に言えば象徴は、だれかやなにかとの感情の種が育ち、芽吹いたものなのかも。

 おまけにさ? ネガティブな感情さえ含めて、どんな感情から芽吹いたとしても、どれも変わらず、冷静に見つめるのはけっこうむずかしいものかも。

 私を私たらしめるものはなんですか、なんて問いかけたら?

 答えは結局、人との繋がりでいまを説明しても、明日はどうなるかは明日次第。答えきることなんてできないや、という悲しい結論に辿りつきそう。

 それでもやっぱり、変わらない。

 私は私のままだ。

 あれこれ数えて執着すると、肩に力が入っちゃう。

 それじゃぷちたちと話しているときさえ、尋ねることもできなくなっちゃう。

 肩に力が入ると、心も防御態勢に入っちゃうから。


「――……」


 深呼吸をしながら、ひとりひとりの頭を撫でている。

 鼓動を確かめては、しみじみと「すごいなあ」と実感する。

 この確認さえ、飽きる日がくるんだろうか。とてもそうは思えない。

 親になる。ご主人になる。どちらも、情報であって、営みじゃない。

 象徴を並べてみてもそう。情報であって、営みを示すものじゃない。

 どう生きたいのか。

 つらいときはどうしたいのか。

 二十四時間から睡眠中を除いた時間のぶんだけ、表現し放題。遊び放題だ。

 学ぶこと、働くこと。だれかと過ごすときさえ含めて問いかける。

 さて、どうしよっか。

 ねえ。どうしたい?

 自分が相手なら、自分と。

 だれかといるときなら、だれかと一緒に考えればいい。

 パワーゲームを仕掛けたら面倒になる。そういうのはいいや。

 素直におしゃべりしたいし、素直におしゃべりしてくれるの聞きたいぞ?

 私は私のまま。相手は相手のままに。

 知識を土台に問いを増やしてきたけれど、それらは一旦保留にして。

 象徴ぜんぶ、横に置いておくとして。

 あれこれつかず、ただただ、私に問いかける。

 できること、できたこととして書いて幸せになれる記述に繋がるように。

 プランを練る時間の始まりだ。

 どうぞ、楽しんで。

 今夜は遅いから、そろそろ寝るけどね!

 明日から、はじめてみようよ。

 今日もお疲れさま。おやすみなさい。




 つづく!

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