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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千八百九十五話

 



 緋迎カナタにとっては稽古終わりが長い。

 七星とふたりで組み手をお披露目して今回の芝居とは別でなにか活かせないかを酒の肴にはやし立てられたり、お世話になっている雪梨さんをはじめとする先輩の無茶ぶりで食事に付きあったり、十代の悪乗りみたいな遊びに付きあったり。そういう誘いをくぐり抜けたり、やりきったら待ち構えているのが七星の稽古に付きあう形でのレッスンだったり。

 体力気力共に搾り取られる。すりつぶされる。なのになにもわからないまま、ただただ必死。

 肩に力が入っていると、このところは口酸っぱく言われる。

 だけど自分ではなかなか気づかない。気づけない。

 自分から思考の対象が外に向いているときは、自分が疎かになる。

 かといって対象を自分に向けると、今度は外が疎かに。

 ままならないものである。人生め。

 地獄修行で十兵衞に教えてもらうのは、なにも剣術だけに留まらない。

 一念忘機。

 いちねん、きをぼうず。だったかな?

 感情はわき上がる。刺激に反応するように。

 わかりやすくいえば喜怒哀楽。けれど四色鮮明にわかるものでもない。

 そんな一念、それをどうにか対処し、ものにしようと執着すると? 心から頭に浮かび、頭の中で巡り巡って囚われる。忘れる機会をもて、という意味なのかな? おそらく元の書かなにかがあるんだろうけど、そこまでは教えてもらえなかった。

 ただ、十兵衞が教えてくれたことばをふり返りながら、くじかれる感情を頭に運んで居座らせないで済むように、むしろがむしゃらに打ち込む。

 そんな話を雪梨さんたちとの食事でしたら面映ゆい顔で見つめられてしまった。三十路から四十代が多い中で、俺だけいつも完全にこども扱いだ。七星はもっとずっと買われている。それも「考えたら負けだ!」と、感情をなだめる現実のひとつ。

 帰り道は電車で。

 最近は春灯の家にお世話になりすぎていて、うちから「ご迷惑かけすぎだ」とお叱りが飛んできている。おとなはずっと冷静に「恋人もまだまだ他人のうち」で「線を引け」と促してくる。

 春灯に、ぷちたちになにかできるから「どうぞ甘えて!」と言っているようで、本当は俺がそうさせてもらいたくて甘えているに過ぎない。それに実際、ご飯からなにからお世話になりすぎている。かといって「これ、少ないですけど」っていうのもぶしつけすぎて。なにかうまい手はないものか。居つくなってことなのか。


「あああ」


 電車のドアに額を当てて小さく呻く。

 深夜に近づいてきている時間帯。今夜はうちに帰るべきじゃないかと考える。

 春灯とふたりで。それとは別に、春灯のお母さんたちと直接、一度しっかり話すべきか。

 それもやっぱり「よそのこどもがなにか言っている」に過ぎないんだろうか。

 過ぎないんだろうなあ。

 結局、自分で自分の幸せを育てて守れるようになって、初めてだれかの幸せを支えられるんだろうし。すべてのおとながそう考えるわけもないだろうけど。うちも、そして春灯の親御さんも、そう考えているタイプに思えるから。

 世の中からみたら、俺は春灯にくっついてるなにかだったり、まだこどもだったり、芝居が下手くそなド素人のくせに映画に出て調子に乗ってる新人だったりするんだろうなあ。最初に緋迎カナタがくるわけじゃないんだよなあ。

 そのあたり雪梨さんに愚痴ったら「頭にこびりついてんじゃねえか」と笑われた。それに「俺もそうだし、見てもらえる人がいたらすっごいことなんだよ。高望み」ってきっちりしっかり刺された。

 縁も甘えも含めて一緒にやってんの、遠慮する暇があったらしっかり絡めよ、とまで言われた。おかげで心は出血多量で死んでしまいそうです。

 七星の稽古に付き合い終わって別れ間際に「自分を見てくれる人がいたら大事に。けど、自分は見ているかはまた別で」と追い打ちを食らう。

 とどめを刺された帰り道はほんとにつらい。


「ああ」

「んんっ」


 そばで咳払いが聞こえた。ふり返ると九尾が邪魔なのか、混雑した車内でサラリーマンと私服の男が迷惑そうにこちらを見ている。

 すみませんと頭を下げるけど、他にやりようもない。

 去年は春灯を見ながら「獣憑きの憑いてる状態って、修行したら消せるんだろう」くらいに思っていた。たとえばニナ先生がそうだ。最近では獣憑き状態で過ごしていることが増えたけど、それまでは人の姿で活動していた。

 実際になってみると、これがどうして。

 できないじゃん。

 尻尾けせないじゃん。

 やってみなきゃわからない。

 そういう言い方をすると春灯に「む!」という顔をされる。

 だから言い換えると、どうなるか。

 体験してみたら、世界が広がる。

 心で感じる。頭に浮かぼうと、世界の枠は自分に留まっている。

 行動したら、体験してみたら? 枠が一気に広がる。

 できないことや、わからないことと出会う。

 そのたびに心に感情が浮かび、それを頭にあげようとあげまいと先に思いを馳せて考えるところでもまだ、枠は自分に戻る。

 行動が足跡になる。

 歩いて、体感して、広げる世界は自分の枠より素晴らしいことのように思えてくる。

 だけど忘れずにいたい。どちらかを下げる必要はない。

 訓練や学習で、心も頭も動くことって大事だ。身体ももちろん含まれる。

 なにかが置き去りになっていたら?

 とても自分を幸せにするどころじゃない。そのための補助として、あるいは補うべきなにかとして、だれかやなにかを利用してしまう。それだと執着する重たいなにかがずっとのしかかっているから、つらくなってしまう。つらいままだと生きるのしんどいから、ますますなにかを利用し、圧をかけてしまう。

 しんどいー。どうどうどう、と自分をなだめて、すっかり見慣れた駅で降りる。

 春灯にメッセージを送り、迎えてもらうよう願う。

 やっぱり甘えてる。支えたいよりずっとたくさん、支えてもらっている。なんなら頼りにしている。

 俺になにができるだろう。

 このところ、ひとりになると頭も心も自分に問いかけてくる。

 兄さんはだれにも相談できずに抱え込んで、とうとう爆発した。おまけに抱え込んでいるときの振る舞いときたら、最悪なんてもんじゃなかった。

 俺もたぶん、負けじとそうなるんだろう。もしかしたら、だれでもなり得るのかもしれない。

 この手の話は雪梨さんたちだけじゃなく、地獄で玉藻がやってる店で働くお姉さんがたにも話した。というか、見抜かれたり暴かれたりして、話さざるを得なかった。

 で、お姉さんがたに問われた。

 ひとり強いだけの人と生きることができるか。

 できるできないは別として、一緒にいたいか。

 なんでもできる、ひとりで完結している人はだれの助けも必要ないし、だれかを助けることさえ必要ない。

 仮にその人にできないことがあっても、なにを利用し、どのように利用すれば目的が達成できるのかを心得ている。だからその人は、なにかを利用することならあるかもしれない。

 けれど心を許すことはない。

 そんな必要がないのだから。

 どんな悩みを打ち明けても、どんなに愚痴っても、その人は共感さえしないだろう。

 だって、できちゃうのだから。必要さえないのだから。

 その人の心に自分の居場所はない。求められることはない。

 そんな人と一緒にいたいか。

 答えは簡単。むり!

 兄さんがそれを目指して、すっぱりきっかり諦めるまでの期間にどれほど俺が心やられたか!

 二度とごめんだ。

 そう答えたら、十兵衞が酒をちびちびやりながら言ったのだ。

 お前がいまやろうとしていることは、そういうできるヤツになるってことじゃないのか? って。

 いや。いやいやいや。

 ええ? そうなのぉ?

 そうなのかも……。

 改札を抜けて街中に出る。できない自分に気づき、なにかをしても払拭できない世界が広がっていく。どんなに進んでも、どんなに戻っても、考えても挑戦しても、延々とできないまま。

 だからできるようになりたい。

 ずっとそう願っているけど、雪梨さんたちも、十兵衞も、お姉さんがたも、七星にしたって「それって大事?」と問いかけてくる。いろんな言い方、いろんなタイミングで。

 春灯にはよく「かっこつけなくていいよ。そのままでだいじょぶだよ」と言ってもらえるんだけど、そのままの自分に自信なんてない。居場所なんて浮かばない。

 母さんが戻ってくるまでのうちは色を失っていた。兄さんはたしかにきつく俺に当たり散らしていたけど、俺自身、自分がいやでしかたなかった。

 春灯の本棚に増えていく心理系の本をちまちま読んだりしているけど、心も頭もまだ追いつかない。

 いまの俺は、ひとりじゃ、ほんとに、なんにも、できない。

 去年の夏休みの滞在で家事を押しつけてしまったのに「複雑な気持ちもあるけど、いい経験になった!」と笑える春灯に圧倒される。うちの家族は、兄さんさえ含めて、うちのことをなんにもできなかった。押しつけていいことじゃない。あの頃はまだ一時的にしか戻ってくることのできなかった母さんだけど、烈火の如く怒り狂った。そうすることで、自分が失われた家にみる家族の惨状というショックに抗っていた部分もあるんだろうけど。でも、父さんも兄さんも俺も、なにも言い返せなかった。男たちの体たらくをまだこどものコバトに押しつけるなんていうのもあり得ない。

 できないにふたをして、言えないままだとだめだ。

 それを補えるだれかがでてくると、途端に押しつけてしまう。

 よくない。

 なにもできていないわけじゃない、と。最近はふり返る。自分たちなりにやっていることがあった。けど俺たちは母さんと比較して、失ったと勘定することしかしなかったし、できなかった。できることを数えるなんて、とてもできやしなかった。

 頭にこびりついていたできないは、いろんなものの見方を変えてしまう。

 くたびれてろくに力の入らない身体で夜道をとぼとぼ歩きながらいろんな人たちのことばを思い出す。いろんな人たちに相談したから、いろんなことばを聞いてきた。

 できないもんはできない。認めてあげなきゃ、自分がつらいままだよ? とか。

 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥になぞらえた「認めるのは一時の恥、認めないのは一生の恥」とか。

 寡欲則心自安。寡欲なれば即ち心自ずから安らかなり。欲するほど心が乱れ、欲は増していき、執着も増して囚われていく。いったん欲は下ろして。心安らかになるまで。そこから、自分を幸せにできるよう、できないけどどうするかを考えてみては?

 たとえばいまの春灯の悩みとか、苦しみとかをどうにかできないかと願う。ぷちたちの願いもそう。幼い子たちは悩ましいし、育ちの時期に対する考えは正直ぜんぜん足りてない。春灯に倣って自分なりに子育てってなにかを学んではいるのだけど、まだまだすぎて。

 ただ、それでも立ち返る。本来空寂。だれもみなひとり、自分の人生を生きる。だれかの人生に変わることはできない。だれかの苦しみを引き受けることも、病や変化に苛まれているときさえ変わることもできない。本来、そういうものだ。孤独で寂しいものだ。

 そこで願いに立ち返る。では、変われもしないのにどうにかしたい俺の気持ちはなんなのか。

 清寥々、白的々。清々しく、明らかに汚れなくやましさがないもの。

 十兵衞はことばとざっくりした意味を教えてくれるけど細かく説明しない。それでざっくりいろいろのっている本はないかと探して買った禅ごよみ365日。それによると「心が静かに澄みきっていて、どこにもこだわりがない」という。

 小さな池に手を入れてかき混ぜたら、底にある泥や葉っぱが待って水が濁る。けれど放っておいたら、やがて泥も葉も沈んで元の水の色に戻っていく。それと同じで、心がざわついたとき、焦らず動かず、感情が鎮まるのを待てば? 心も清々しさを取り戻す、ということみたいだ。

 なんとかしなきゃ、どうにかしなきゃと騒ぐほど?

 肩に力が入り、視野が狭まり、ときとして沸騰した鍋のように心も頭も執着してしまう。

 鎮まるのを待ってから、自分がなにを感じ、どう考えるのかを尋ねていく。

 こだわりに気づき、執着を捉え、そこから欲を見いだし、苦痛を含めて自分の感情の輪郭を捉えていく――……ってことか? いや、それはそれでこだわりがありそうな。

 あるならあるで、いいんじゃないか?

 自分自身は否定できないし。かといって執着のままに無理をしたら、つらくなるばかりで。いまきついのは、その無理は延々と祟るってところなわけで。

 なりたいもの、ほしいもの、できるようになりたいことがやまほどある。

 なのに、悲しいかな。

 なにかになることはできない。

 なにものかになることだって、できない。

 どこまでいっても、なにがどうなろうとも、とことん自分のままだ。

 世界を広げるほど思い知ることになるできなささえ含めて、とことん自分だ。

 それを歪めることはできない。変えることはできない。

 永遠に変えがたいほど困難なできなささえあるだろう。

 狐憑きになった俺は、たとえば天狗の御霊を宿して羽根を生やし、神通力で羽ばたくなんてことはできない。

 春灯とみて気に入ったスパイダーマン、なにより移動が爽快なんだけど。さすがにこの世界に噛んだらスパイダーマンにするクモはいないしなあ。御霊が女郎蜘蛛で、スパイダーマンに着想を得て移動術を再現した後輩がいるけれど、俺じゃない。正直いま死ぬほど羨ましい。

 真面目に話せば、こどもとの付き合い方を心得ている人になることもできないし、家事がきちんとできる人になることもできない。

 自分のできなさと付き合いながら、ちまちまとできる範囲で増やしていくだけ。

 どこまでいっても、それだけ。

 地味だ。地道だ。

 自分の心や頭の機微がわかると、その地味で地道な積み重ねがしやすくなる。じゃあそうすればいいだろうって思うのに、それがむずかしいか、場合によっては無理ってレベルでできないこともある。揉めている時期の兄さんに対する感情は落ち着くことがなかったし? いまだって、稽古でだめっぷりをひたすら晒しまくるたびに凹むのを止められない。

 受験生はお勉強してな、とからかわれたこともある。なにも言えなかった俺の代わりに七星が「大学部にそのまま進むんで、だいじょぶでーす!」と笑顔で圧強めに言い返していた。強い。


「はあ」


 へこたれながらも、歩いていれば春灯の家が近づいてくる。

 受け入れたくないなあ。

 できない俺。やだなあ。できる俺のほうがいいって。ぜったい。

 そんなの俺のこだわりでしかないのに。

 明らかにうまくいっていないのに?

 どうして捨てられないかなあ。

 いまの時点で「できない」を数えたら、やまほど浮かぶ。

 だけどできない自分がいやなままだと「できない」なにかにふたをして、なかったことにしたり、変えようとしたりするのに必死になってしまう。

 前の兄さんが俺にしてたことだし、負けじと俺が兄さんにしてたことだ。うちのこと、家事、コバトのこと、父さんに対する態度なんかもそう。

 日常に染み出る。認めたくない、できない自分を否定することの余波が。

 本当はわかっている。

 認めちゃったほうが、楽だ。

 かかとをつけることなく、一生つま先立ちで生きることはできない。俺には無理。春灯は世界のあちこちにいくバラエティ番組が好きだけど、たしかどこかのお祭りで男性がハイヒールを履いて走るレースがあった。そこで春灯に教えてもらったんだけど、ヒールを履いて歩くのは本当に痛くてたまらないらしい。高くなると、もはや拷問だそうだ。

 それで歩けるのは努力のたまものか、あるいは我慢の証か。そりゃあ訓練や慣れなんかもあるだろうけど、だれにでもできるってものでもないのでは。

 そんなノリで生きるつもりか?

 無理だって。やめとけ。特にド新人の素人丸出し大根ぶりの領域で挑むのは、明らかに無謀!

 すこし時間を置けば、それこそ濁りが沈んで気づく。いやというほど身に染みていることだって自覚できるのに、慣れ親しんだ背伸び癖がいつまでたっても抜けない。

 わからないことはわからないって言ったほうが楽だ。

 できないことはできない。王道進んでなんぼのものだ。

 意地を張ったり格好つけると、横道に逸れる。心身を痛める横道は、休憩と治療のタイミングが必要に。いや、大事なことなんだけど。横道に逸れるなら、ちゃんと自分がやるぞって決めておきたい。癖のままじゃ、自分がどう無理をしているのかさえわからない。どんどん見失ってしまう。

 今夜の晩ご飯だって、ろくに味を覚えていない。あんまり食も進んでいない。

 正直いえば、お腹がすいている。

 お米の残りがあったら、お茶漬け作らせてもらえないかな。

 ずうずうしいな?

 どこかでなにか食べてくるべきだったか。いやでもお金の余裕は常にない。

 そうこうしているうちに、ついちゃった。

 引き返してコンビニにでも行こうかと悩んでいたら「おかえりー」と声がかかる。

 玄関口で春灯がぷちたちと花火で遊んでいた。

 線香花火を垂らしている。見ればバケツにいろんな花火が突っ込んであった。宴もたけなわ、とことん機を逸する男。それが俺だ。なにを考えているのだ。


「ただいま。花火やってたんだ?」

「そー。ノノカたちが持ってきてくれたんだ」


 線香花火の火が落ちちゃったり、俺に気づいて声をかけてくれる子たちがいるけれど、ぷちたちにも疲れが見える。眠そうに、うつらうつらと舟を漕いでいる子もいる。

 片瀬たちと遊んで、とても楽しかったのだろう。


「カナタが来たから落ちちゃったでしょ!」

「もうないから花火かってきて!」

「ええええ」


 まだまだ遊び足りない子たちの抗議に焦る。

 ぜったい本気だ。下手なことを言うと傷つけてしまう。

 しかし! しかしついたら心が「休みたいっす!」と訴えてくる!


「あ、明日じゃだめかな?」

「「 いまなの! 」」

「「「 いますぐーっ! 」」」

「ですよねえ」


 わかってました。わかってましたとも。


「いやいや。行く気になってるところわるいけど、このへんで買えないって。みんなも無茶いわないの」

「「「 ええええええ!? 」」」

「だーめ。抗議しても、なーし!」

「「「 やだああ! 」」」

「代わりに寝るとき、お部屋で私が綺麗な花火をあげてさしあげよう」

「「「 線香花火がいい! 」」」

「ほんとにい? みんなの遊園地にお似合いな花火を探してみたくないのお?」

「「 ううっ 」」

「「「 しょうがないなあ! 」」」


 春灯が目配せしてくる。

 助かったけれど、同時に勝手に「ああ! これ! これなの、俺がいまはまだできないけど、できるようになりたいの!」と唸る。

 どうやったらいいんだろう。

 代替案を提案する? それさえ挑めてない。

 ひとりでぷちたちと過ごすとき、四苦八苦しながら挑むけど、春灯ほどできない。


『いちいち比べてできないと数えて、数えたものはますます気鬱になるばかり。つらくありません?』


 光世のあきれ果てた問いかけに項垂れる。

 ほんといえば、つらいです。


『ようく耳を傾け、語り合えばよいでしょうに。あなたは幼い子らのことばさえ恐れるのですか?』


 ううっ!

 刺さる! その指摘の鋭さ、あまりに痛い!


『恐れを認めることも、ときに肝要では?』


 そうだな。

 ぷちたちの話を聞くのが怖いよ。

 春灯の前で、できない自分を見せるのが特に怖い。


『心を許す相手にさえ見せられない弱さというものは、祟るものですよ? 相手もまた、あなたに弱さを見せられず、苦しくなってしまいます』


 春灯も、か。

 光世は、春灯が俺に遠慮してると?


『あなた。ねえ?』


 あ、はい。いまの呆れ増しの返事でじゅうぶんわかりました!


『しっかりなさい』


 肝に銘じます!


「ほら、行こ? お腹すいてない?」


 遠慮して言えないこともありながらの、この気づかいよ!

 どうしたら会得できるだろう。背伸びしながら春灯はしてくれるのか。


『思い悩むより、尋ねてみては? 交わらねば彼女の世界に触れられませんよ?』


 そう、だな。

 いつもすまない。


『見守っていますから』


 答えるかわりに「いいからやれ」と返すあたり、御霊となった彼女との付き合いの密度に思いを馳せる。が、それこそ「いいからやれ」と言われる時間にちがいない。

 バケツを持って後片づけを手伝い、春灯とぷちたちと一緒に家へ。

 雪梨さんのことばが脳裏を過ぎる。

 縁も甘えも含めて一緒にやってんの、遠慮する暇があったらしっかり絡めよ。

 光世のことばも踏まえると、最後はこうも言える。

 しっかり励め。一緒にやるのなら。

 できない世界はあまりに広く、よちよち歩きの俺に行ける場所はまだすくない。

 だからって、歩かない理由にならないし、そのために休まない理由もない。

 肩に力が入っているのなら? 怖がっているのなら、尚更だ。




 つづく!

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