第百八十九話
キュウリの馬が幽霊の御霊を各ご家庭に運んでいく。
となればさしずめあの幽霊さんたちが出てくる門は極楽浄土かなにかに繋がっているのかな。
「生きている限り、あの向こうへは行けないの」
サクラさんの言葉にどきっとした。
私の前に跨がっていながら、栗色のふわふわの毛をたなびかせてふり返った美人のお母さまは言う。
「だから……お盆に帰ってこない人を待っている人も現世にはたくさんいるわ。私はコバトたちに会いたくてもちろん帰るけど」
「……お盆なのに帰らない人もいるんです?」
「現世の人に会いたくなかったり、会う必要を感じない人だって中にはいるわ」
……じゃあ、もしかして。
たとえばニナ先生の前の旦那さんなんかは帰ってこなかったのかな。ずっと。
それは寂しいことだなあと思う。だからこそ結婚式でのサプライズには意味があったのかもしれない、とも。
「あっちってどんな世界なんですか?」
「秘密」
ふふ、と微笑むサクラさんの意図はわからない。
単純に知るべきじゃないことかもしれない。わからない。知りたいのは一つだけ。
「……幸せで、いられますか?」
「それはどこにいても自分で決めることよ」
そう笑顔で力強く言えるこの人はきっと強くて気高い人なんだ、と私は思わずにはいられませんでした。
◆
家の前に待っていたの。緋迎家の三人が。
馬からコバトちゃんを下ろすサクラさんにシュウさんとカナタがじっと視線を送る。
けれどサクラさんは微笑むだけ。馬から下りて、ソウイチさんと見つめ合うの。
何かを言おうとしたカナタをシュウさんが制した。
そうしてコバトちゃんの手を引いて家に戻る。
私も何か話したい気がしてしょうがなかったけど、できなかった。
ソウイチさんと見つめ合うサクラさん。二人の邪魔なんて、世界の誰にだってできないんだ。
カナタに誘われるままに家の中へと戻って現世へ。
隔離世へは戻れない。二人の世界であるべきなんだと思うから。
現世に戻る前に見た隔離世の景色を思う。
家々の迎え火に向かうキュウリの馬に乗った人々の幽霊たち。
うちにももしかしたらおじいちゃんとか会いに来てくれてたりするのかな。
考えてみればみるほど世界は不思議で満ちている。
お父さんが好きな昔の漫画に、遠い火星に入植した人々が作った水の都へと移住した女の子が日常の素敵を探していくっていうのがあるけど。
私はもっともっと、素敵を探していいのかもしれない。
カナタの腕の中で寝転びながら恋人の顔を見つめる。
今日のカナタの寝顔は少しだけ緩んでる。
「ねえ、カナタ……」
「なんだ?」
私を抱き締めたまま、少しだけ身じろぎをする男の子の眠そうな声だった。
「サクラさん、亡くなってからは毎年いらっしゃるの?」
「……ああ」
「コバトちゃん、何かあったの?」
「兄さんが門の話をしたから……離れたくないって追い掛けていって、新宿へ落ちた」
「それでコバトちゃん、いなくなっちゃったの?」
シュウさんの実験に巻き込まれたんだ、みたいな言い方だったと思ったけど。
「兄さんはわかってなかったんだ。コバトにとって、どれだけ母さんが大事かって」
少し怒った声だった。
「……俺は大きくなるまで会わせるのにも反対だった」
「なんで?」
もし私がコバトちゃんなら……絶対に会いたい機会で。
そんなの自明の理だと思ったから、聞かずにはいられなかった。
「死生観が乱れる。理解できないだろう……死んでもまた会えて。だけど必ず別れなきゃいけないなんて」
「……そうかなあ」
お盆だけは特別に会えるんだよって、それじゃだめなのかなあ……。
「俺は……俺は見送れなかった。一度だって、笑顔で見送れたことはないんだ」
拗ねた声を聞いて思わずにはいられなかった。
「もしお前が母さんみたいになったら、俺は……絶対、門の向こうへだって行く」
既に終わった別れから再び出会うということは、私が思ったよりも特別すぎて気軽なものではなさそうだって。
◆
夏の朝に寒さを覚える時はいつだってカナタが離れた時だと私は今年知った。
目覚めるのと身体から魂が引きはがされるのはほとんど同時で、気がついたら隔離世にいて。
部屋を出て行くカナタの背中をいそいそと追い掛けた。
キッチンに降り立ってみると、サクラさんが感慨深い顔で台所を見渡していたの。
「母さん」
「あら……何かしら」
「……ちょっと、試してみたいことがあるんだ」
「やだ、なあに?」
声を掛けるのもはばかられるような緊張した声だった。
カナタのそんな声に、けれど動じないのはサクラさんがカナタのお母さんだからかな。
「俺、今年で御霊を顕現させる技を手に入れた。試しても来た。きっと俺なら出来ると思うんだ!」
カナタが何を言っているのか、すぐにはわからなかった。
御霊を顕現させるということがどういうことなのか、思いを馳せて理解した。
サクラさんは霊体だ。それは言うなればタマちゃんや十兵衞と同じ状態で。
もし……もし、タマちゃんたちを現世に顕現させる技を使ったなら? その結果がどうなるかなんて明白すぎるくらいだ。
「どうかしら……ううん」
「できなければ、それが世の理ならできずに終わる! でも……もし、もし可能なら」
カナタ、と呼びかけることさえできなかった。
やっと理解したから。
なんでカナタが人にはその技術の神髄を教えず、喧伝せず……だけど身に付けるに至ったのか。
答えなんて出ているじゃないか。
「……でも、幽体の霊子はあなたが思うよりもささやかで、現世に固着するほどの力はないのよ?」
「それは、それ、は……」
サクラさんのあたたかい言葉にカナタが喘ぐ。
「尽きない霊子の持ち主でもいれば話は別だけれど」
「……俺には、無理だ」
項垂れるカナタを見ていられなかった。
そして同時に思ってもしまった。
私に出来なきゃきっと、それをできる人はこの場にはいないはずだ、なんて。
「やらせてくれませんか? ……私、お力になれるなら」
ひょっとしたら、すべてはこの時に繋がっていたのかもしれないとさえ思うから。
「カナタ、やろうよ……二人で」
「……いいのか?」
一人でやろうとしたカナタの手をきゅっと掴んで笑うの。
「忘れないで。契約したんでしょ?」
「……ああ!」
微笑んでくれたカナタとうなずき合う。
さあ、ちょっと……お盆の素敵を見つけるために、一肌脱いでみましょうか!
つづく。




