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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千八百八十六話

 



 狸に化ける。

 不安はあったけど、タマちゃんからの抗議はない。

 尋ねてみたら「やってみよ」と言うの。結果なんてわかりきっていると言わんばかりだ。

 狸たちへのライバル心が高い方だと思っていたから意外。試すにしても、こじれるのでは? なんて思っていたのに拍子抜けだ。

 ならばと化けてみた。尻尾ごと。

 彼のように一本になることは叶わなかったけど、ちっちゃくてあまり長くない九尾の狸尻尾にはなった。両手で獣耳を確かめると、いつもと形が変わっている。

 どきどきしながら卵を出して、全身鏡に化かしてみせた。

 鏡に映る自分を確かめる。高鳴る鼓動は一瞬で平常運転になった。


「うわっ」


 獣耳も尻尾も丸い。

 身体をひねったり、角度を変えたりしながら確かめてみたものの。


「まっる!」


 なにかと丸さを強調しすぎていて、むしろ太って見えるまである。

 身長も正直あまり高いほうじゃない。レンちゃんと同じだ。けどレンちゃんのほうが狸憑きが似合っている。私はどうにも垢抜けない。仮に一尾になってもきっと、印象はさして変わるまい。


「ええ、うっそだあ」


 もうちょっと似合うまであるのでは? なんて思っていたけど、ぜんぜんそんなことなかった。見慣れないから違和感があるのか、とも思うのだけど、やっぱりしっくりこない。

 化かし方が悪いのかな。

 眉毛を太くして、困り眉っぽくする? いやいや、メイク次第じゃない?

 髪の毛の色が金色でそぐわないのかな? 栗毛がいいのでは?

 あれこれ試すんだけど「ゴールの見えない狸枠」に押し込んで納得のいく私は、どうやら見つかりそうにないみたいだ。

 元の姿に戻ると、しみじみと実感した。

 狐が狸に化けてもいいし、狸が狐に化けてもいい。

 ただ、私は私のなりたいままがいい。

 そういうことみたいだ。


『じゃろ?』


 タマちゃんの勝ち誇るでなく、自慢げでもなく、呆れているわけでもなければ怒っているわけでもない。わかりきってた、なんて言いたそうな冷めた声に笑いがこみ上げてきた。

 たしかに!

 変えようとしても変わるものでなし。

 見た目だけ枠に押し込めようとして、収まるものでなし。

 私は私。どこまでいっても、私のまま。

 彼も、どこかのだれかもそう。

 自分を変える力を持つのは自分。

 変えようとするとき、安全な環境がいる。

 枠組みが正しさを示す。枠組みが変われば正しさもまたたやすく変化する。

 みんなそれぞれに、いろんな枠組みで生きている。ひとりにひとつとは限らない。

 ぜんぜんちがう価値観の人たちが大勢いるのが世界ってところの広さであり、窮屈さでもある。

 共通化できる価値観はそう多くはなく、たやすく増やすことも減らすこともできない。それを望む支配者は家庭にも集団にもいるだろうけれど、事実は変わらない。

 私は私を支配しないでいられるだろうか。

 共通化という理想を暴力に変えてだれかに振るわず、意図せず振るったときにはそれを悔い、改められる。意図して振るってしまうほどつらい状況に陥ったとき、安全の確保に向かう。そうした選択を続けられるだろうか。

 安易な答えは意味をなさない。

 日々をしっかり生きていく。人生で継続する運動なのだから。継続の維持が肝心だ。

 問いの答えは、だから、こつこつやっていくとなるし?

 必要な仕組みの構築と維持、改善に向かっていくだろう。

 結ちゃんが教えてくれた本である「赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア」から引用する。


『トラウマからの回復は、重症例をのぞけば「心理教育」「セルフケア」「スキルの構築」の三本柱で可能です』

『つまり』

『●トラウマとは何か、それがどう現在に影響するかを知る』

『●自分を大切にするセルフケアの方法を身につける』

『●生きていくための多様なスキル(感情表現や人間関係など)を身につける』

『ことが重要です』


 とある。

 ここで忘れずに引用しておきたいことがある。


『トラウマ治療というと、過去の傷を治すことだと思っている人がいるかもしれません。また、過去にばかり目をやってどうするのかと批判する人もいます』

『でも、それは違います』

『回復するということは、「過去の傷に影響を受けている今」が変わることなのです』


 これが『「過去の傷」を治すのではない』、『「傷に影響を受ける今」を変える』としたページに記述されている。

 そして。


『回復は、安全が確保されて初めて可能になります』

『その上で、被害を受けることによって失っていた自己コントロール感や自己尊重感を手にし、そして、自分の生き方を自分で選択できる、生きることを楽しめるようになっていくのです』


 という記述へと戻るとさ?

 回復に活用する三本柱。重症か否か。目指すのは過去の傷の治療でなく、傷に影響を受ける今を変えること。安全な環境で、安心して行えるように。

 こう列挙することもできる。

 この本だと傷は凍っていて、ふとした瞬間に溶けて、傷ついたときの瞬間がありありと蘇り、生還していたとしても、どれほど年月が経過していたとしても、苦しみ続けてしまうという。その感覚を知っているか知らないかのちがいはきっと、想像するよりも大きな溝になるのだろう。

 助けてということは大事な力だ。


『ある体験がトラウマになったということは、そのときあなたは「ひとりぼっち」だったということです』

『もしもその場に、他の大人がいたり、きょうだいがいたとしても、その瞬間、「ひとりぼっち」だと感じていたからこそ、トラウマになるのです』


 中略!


『「助けてほしい」と感じて、「助けて」と言えることは、「援助希求」というひとつの能力です。安全・安心な人と「つながれる」ようになること、安全・安心な人に「助けて」と言えるようになることが大事です』


 だからこそ窓口となった相手、それが仮にケースワーカーや福祉士などであった場合に、援助希求を攻撃するような態度を取られることが防げないケースがあること、支配的に振る舞う傾向が窓口の人物が援助を求める人向けて加害に出た際に見られることが強く問題視されるのかな。

 なんだっけ。「自分の言うとおりにしないから問題が長引くことを彼らは理解しようとしない。できないのだ。だから彼らは問題を抱えるような立場に陥る。改善しようとして頼っているのなら、問題があることを自覚して自分を正すべきだし、そのためにも自分に従うべきだ」とする。

 相手の希求に答えない、という態度もまた加害となり得る。

 けれど自己責任論というとんでもを信じている、あるいは信じていられるときには加害を選択しかねない。

 ひとりぼっちとなって傷が生じるとき、助けが得られない体験が既に生じている。勇気を出して助けてと言えても、相手を見誤るなどして傷となる体験を反復し、再演してしまうこともある。失敗体験を重ねると、どんどん能力を育てる機会へのハードルが上がっていくし? 安心できる、安全な希求先がなんなのかさえ、わからないままかもしれない。

 回復は安全な環境で。安心できる相手と。

 話を聞いてくれない、聞いているようで「自分の枠組みの正しさに合わせろ」と抑圧的、そういう人が相手なら? 結婚相手だろうと、親だろうとこどもだろうと、安心できる相手ではない。

 自分を含めて捉えると、どう?

 自分の訴え、自分の話を聞くことができる?

 むずかしいね。

 教授やアダム、シュウさんたちと出くわして、回復を! と目指すのなら?

 必要なのは安全だし、援助希求を発信できる状態だ。本人が安心して望んで発信できるのが一番いい。

 あらゆる敵意も攻撃もいなして、戦闘なんか比べるまでもなく、暴力なんか必要なく、援助希求を目指せるのかどうか。

 生還しただけじゃなくて、加害者でも被害者でもなくなり、生還者でもなくなり、過去の傷に影響を受ける今を変える。傷の痛みも苦しみも和らげて、だいじょうぶだと落ち着ける三本柱の習得に集中できる環境に移る。

 戦いなんかさっさと終わらせる。始めずに済むならそれがいい。

 なにせ長期戦。

 わーって言うより、安心したり安全だって実感する体験が必要だ。

 現状よりも望ましいと本人が感じ取れない限り、むずかしい。

 本人の体験がなきゃ、情報と体感が紐づかない。

 体感、体験が先。

 だけどなにが安心できるのか、なにが安全なのかさえ、人による。

 だれかを相手に安心や安全を体験してもらおうとしたら、なにができるのかな。

 コミュニケーションが延々と取れず、ずっとうまくいかなかったら? わーって言いたかったり、もうむりって投げ出したくなることさえあるのも実情じゃない? 良し悪しは別にして。

 トモは犬を飼うときの経験談を教えてくれた。捨て犬の面倒を見たときのことも。他にもさ? シロくんとギンは捨て猫のお世話をちっちゃい頃にしたことがあるという。

 いずれにしても動物たちは、人の言うことなんかさっぱりわからないし、でかいなにかがなにしたがってるのか、自分をどうするつもりなのかもわからない。見知らぬ場所で、どこに安心できる要素があって、どこがどうして安全なのかもわからないという。

 トモにしても、シロくんとギンにしても、当時かなり大変だったとか。人によっては「懐く」というけれど、三人は「心を許してもらえる」と言っていた。私的にも三人の言い方のほうがぴんとくる。動物たちがそれぞれ、主体的に、どうやったら心を許せるのか。あなたは一緒に生きるなにかで、あなたは私のお世話をするらしいと。どうしたら、安心して一緒に生きることを、心を、許してくれるだろう。

 人になるとまたちがう意味でたいへん。

 三本柱の習得も「そんなんいらんし」とか「そんなのに手を出すなんてやばくない?」とか、いろいろな言い方で「あ、結構です」って感じる人もいるんじゃないかな。

 アダムにせよ、教授にせよ、シュウさんだって、カナタだって。昔の私自身だってそう。

 なっがい間やってると噂のラジオの人生相談。いろんなお悩みが持ちかけられているけれど、関係性がこじれても「好きだから」や「離れがたいから」、あるいは「お金の問題が」とか「こどもがいるので」とか「自分の今後の仕事が」とか、ほんとにいろんな理由がでてきて、厄介な相手と離れがたいケースも結構あるみたい。

 変わらない。

 本人が、自分のために変わりたいようにしか、変われない。

 そこに「あなたにとって私やこどもたちへの感情ってそんなものかよ」と落胆したり、絶望したり、心底うんざりしたりするケースもあるみたい。

 でもって、耐えても結果は?

 変わらない。

 それをどうにかしようとしたり、いつかそのつもりになるんじゃないかと願ったり。あるいは「変わるから」と引き留められるけど、やっぱり変わらないままずるずるときが流れたり。

 やっぱり、本人次第。

 暴力を振るう人にとっても、自分の安全が脅かされると感じるのがきっかけで暴力に出るケースもあるという。そういうとき、既に脅かされ感度が限界になっている相手に安心や安全をどう伝えるのかっていったら、きついものがある。

 まだまだ発展途上な道のりなのかもしれない、とさえ思う。

 素人目に見える景色はたいがい極端。あと、だいたい安易。なので実態とはちがう。それを自分自身に諭しながらも、考える。

 とことん、長期戦。

 全身鏡を眺めながら、狐憑きの自分の輪郭を確かめる。


「いいじゃん」

「よっ、似合ってる!」


 彼の合いの手に「ありがと」と返しておく。

 顔が丸いけど、狸憑き状態よりもしゅっとして見える。そんな気がする。

 むしろ私の顔の形は愛きょうがあると思っちゃえばいいのでは? ありなのでは?

 よし、ありってことにした!

 回復に向かう、その前段階からして、長期戦。

 一匹のキツネリスや、一対一の蟲が相手ならナウシカはなだめられるけど、怒り狂った王蟲の群れや腐海のようなままならない環境での行動、まして軍や集団が相手になるとむずかしい。

 目指すとしたら?

 暴れずとも、戦わずとも安心できること。安全な環境の提供。相手が受け取れる形で。

 けどそれは、いつだったか私に息子さんが亡くなった悲しみをぶつけにきたおじさんとか、最後の最後でだれにも明かせなかった本心が聞こえてきたシュウさんとか、そういう相手だ。

 自分の利益追求のために、下世話な欲望の解消もついでに狙った悪党きわまりなかった教授のようなタイプが相手だと? 安心も安全も響かない。彼らは利益の獲得、目的の達成のために戦うだろう。それらは安心とも、安全とも結びつかないことがある。

 脅しのために暴力をちらつかせるケースもあるだろう。そういう相手だと、ますますままならない。そういう意味で映画のナウシカは人間同士の戦争から浮いて見える。漫画だと個人的にかなり怖い印象がある人だ。

 他に手がなきゃ銃を持ち、居場所を守るべく戦う以外に手が浮かばない。

 望んでいない。止められる手があるのなら手を尽くす。尽くす手が浮かばないから、戦うしかないと自分を納得させるしかないこともあるし? 納得できなきゃ、それを引きずり抱えていくしかない。そのツケだって、また支払うことになる。

 いまの私はツケが貯まってる。

 高校生活の一年で実感した。これまで積もりに積もったツケは予想よりも多いぞって。

 焦る。焦るほど、戦うしかないと自分を納得させるしかないと思い込む。納得できないことが増えていく。なのに納得できないまま、抱え込んでいく。それがツケとなって、増えていく。

 気づいたら返しきれない負債が私の心にこびりついている。

 あえて言う。

 負債じゃない。

 そんな風に捉えちゃうのはつらい。私自身につらくあたる理由がない。また、必要ともしていない。必要としているのは、回復だ。

 身体とちがって目に見えない心を労るよう気をつけたところで損はない。

 おまけに隔離世なら表現できる。私の御珠がどんな状態か、はっきり目にしたはずだ。

 諦めなくていい。自分を、諦めなくていい。

 そう願う私にとって、対応できそうなのは、私と近似した苦しみに対して。

 教授たちのように、自分の利益のためにだれかへの暴力を選択する相手は? あまりにきつい。

 苦手がわかった。

 ようやく、はっきりした。

 考え方、あるいはルールのようにも見える。人生の規範が欲しいな。

 苦手に直面したときの対策として、自分自身の規範を作っておいていいかも。

 苦手意識の塊の戦いにだって、巻き込まれる。きっと、これからも。これまでのようにね。

 だから、そういうときの規範がほしい。

 警察だって軍隊だって、病院だって弁護士にだって、あるじゃない? 会社にも、フリーで働くにしても。状況における規範があるでしょ?

 過酷な状況から自分を守るためでもある。規範だけで対応できないケースもあるから、イレギュラーが予測される職種ほど、規範は細かかったり、あるいはある程度は裁量の幅を持たせていたりする。

 規範が万能であることはない。依存する対象ではないよ?

 でも困ったときの作法があると、頭が真っ白にならずに済む。

 支配することはできない。

 また、しようとしなくていい。

 掌握できない。しようとしなくていい。

 対抗するしか手はない、じゃあない。

 結ちゃんは自分の目的のために尽力する。自分の筋を貫こうともがく。

 それは頭でっかちに「同じようにやり返してやらなきゃ気が済まない!」と囚われていたら、たやすく見失ってしまう道だ。


「やっぱ、こうでなきゃ」


 狸憑きの自分に化けて実感した。

 楽しむどころじゃないんだ。当てはめるのに必死なだけだ。

 収まらないよ。私の居たい、私のための枠組みじゃないもの。

 はみ出るところがあったら傷つくばかりだよ。

 合えばいい。けど、合わないことのほうが多い。同じ行動をみんなが選択しても、みんなが同じ結果になるわけでもない。枠組みも一緒。

 狸憑きが似合う子がいて、どうやら私はそうじゃない。

 狐の顔はしゅっとしてるほうがいい。

 カナタやキラリ、トモやマドカにしてみたら「そんなに気にしなくても」って笑い飛ばせちゃうような悩みを、私はずっと抱えてる。

 ちなみにみんな、笑い飛ばさず聞いてくれる。

 気にしているのも、被害妄想を膨らませているのも、私。

 地味に気にし続けてきた。私にとって、大事なことだからだ。

 それさえ認めがたい問いだった。

 狐か狸か、強いていたのは自分だ。

 どちらになろうと似合う自分にできるのがメイクであり、ファッションじゃないのかな?

 ね!

 なのに問いの先を見ることができずにいた。

 多くの傷つきが私の中にある。

 回復がいる。

 いまの私は回復を必要としている。

 それとは別に、これまで出会った人たちの中で回復を求めていたケースもある。教授とアダムでさえそうだった。私にとって最悪の相性は、利益を求めて暴力を選ぶ人たち。ふたりは別だ。そういう線引きも、つらいままだと見えてこない。

 分けられないし、分ける必要性だってどうでもいい。

 怖くて傷つけられるなにかでしかない。回復できていないのに傷に触れることなんてできないよ。自分の安全が脅かされる状況で回復は無理。そう自分にはっきり言えるだけでも、気持ちがずいぶん楽になる。

 休養は必要だ。

 大事な休みだった。

 無理して戦いについて結論を出すのは早すぎるかもしれない。回復がまだなのに。

 そうはいっても巻き込まれるときには巻き込まれるのだ。どうしたってさ!

 戦地で兵隊が病むという。環境にそぐわない人もそう。それが学校のクラスや職場に留まらず、合わない人たちと絡んだり、そもそも自分が育つ環境だったりするんだから、やるせない。

 求める戦いは、戦いを止める方向性だけ。局地的であろうとも構わない。

 だけど相手がどういう流れで戦いを選んでいるかは、私にはわからない。

 受け入れがたく、回復を遠ざけ、何度も自分を生還者にし、加害と被害に心を蝕まれるようなら? 端的に言って、向いてない。

 それでも戦う人もいそうだ。仕事かもしれないし、趣味かもしれないけどね。

 去る人も多いだろう。ときにそれは婚姻関係や家族かもしれない。

 私はいま、どちらにするかで悩み、留まろうとしている。


「そろそろ歌える?」

「もうちょっと待って。ストレッチさせて」

「お、いいね。ウォームアップといこうか」


 刀を下ろして装備を外し、ふたりでストレッチに移る。

 身体があったまっていかないと。ほぐれていないと不安が強い。

 ある程度うごいたら、気持ちも晴れてくるから忘れたくない。欠かせない習慣だ。

 繰り返しながら想定するのは、カゲくんたちが追いかけようとしているなにかの話。

 想定しているのはきっと、かなり危うい連中だ。もしかしたら自分の利益のために平気で暴力を選ぶ類いの奴らかもしれない。赤髪の狼少女たちと関係するなにかが出てくるかもしれない。

 最悪の敵だ。私にとっては。

 ますます気が重い。

 理華ちゃんからのこっそりリークによれば、計画は端役も暗礁に乗り上げているようだ。

 そりゃあそうだよ。仮に相手が組織的に動いているのなら? 相性が悪すぎる。

 私たちは隔離世の邪や黒い御珠が相手なら? 一定の成果を出してきた。カリキュラムも、日頃の鍛錬もすべて、隔離世の異常に向けてのものだし? その過程で研鑽できる心身だってやっぱり、隔離世の荒事に向けたものだ。

 大戦に駆り出された隔離世の侍たちはどうなった?

 御霊を失い、刀は錆びて、心は疲弊した。みんなが隠そうとしているものが、私たちは刀に出ちゃうんだ。隠したくても無理なんだよ。

 そうなれば当然、普通の兵士と変わらない。だけど妖怪だとして無茶振りをされたり、悲惨な任務を押しつけられたりしたそうだ。

 先の大戦で聞こえてくる作戦の無茶っぷりは、そのどれもが「この国はほんと、とことん、戦に向いてない」に尽きる。想定外の事態におかれたときや、失敗したときの想定が根本的に甘いし、現場に押しつけ過ぎている。その軋みは昭和、平成とじわじわ育っているように思えてならない。軋みが増えて権力勾配の低いほうへと押しつけるほど、戦で利益だなんだ言ってる暇があるのなら、いますぐちゃんと生活せいってなる。

 それくらい、ずれている。

 なのに合わないまま、ずれたことをしたら?

 結果がどうなるかなんて、考えるまでもない。

 可視化されていくばかりの時代に無茶をしたらどうなるか。

 より無茶をしなきゃいけなくなるし、その影響は末広がりに拡大化していく。

 理華ちゃんリークで聞くカゲくんたちの海外旅行、頓挫しかけているそうだけど、正直そのほうがいい。餅は餅屋だ。

 仮に干渉するのなら?

 結ちゃん方式じゃなきゃ。

 私たちにできることを、私たちのやりたいよう徹底して、貫く。

 その範囲で考える。

 仲間が集まれば、手段が増えれば、範囲は広がる。

 だとしても、その範囲は現世での暴力をカバーしない。したくてもできない。

 私はするつもりさえない。

 荒事になろうとも、私たちの求めるラインで解決する。

 これが、いまの私に見出せる規範だ。

 荒ぶる男子たちは「戦うぞ!」と息巻いていたそうだけど、結局「無理そう」ってへこたれているそう。

 しょうがないね!

 理華ちゃんが教えてくれたけどさ?

 私たちは現世の兵士でも警察でも、自警団でもない。

 あまりにかかる責任がちがいすぎるから、こればかりはノリと勢いで決められない。

 アメコミのいろんなシリーズの主人公ならまだしも、私たちは学校の生徒で、百人で挑めば、何割かの被害が出る。現世で活動するには学ぶべきことが多すぎるのに、それを学ぶことができない。

 トモはやってる。フラッシュみたいに雷速で駆け回っては、大勢の人を助けている。現世の装備も、トモの身体の状況も、集まったメンバーで逐一チェックしながら。フラッシュとちがってトモには凄まじい代謝機能も、頑丈な肉体もない。怪我をすると、治療は人並みにかかる。たまに警察が注意にくるし、私たちとは一線を画した報道をされる。いちおう、マスクはつけてるけど、一度テレビで流しちゃった以上、あまり隠しきれていない。悪党をぶっ飛ばす、みたいなこともそうそうない。日本じゃ、なかなかね。

 それを学年全員に「やりたいですか?」と問いかけたら?

 答えはまばらになるだろう。

 だけどカゲくんたちの選択は、まばらな答えを持つみんなを「やる」という枠組みにぎゅっと引きよせるようなものだし?

 士道誠心をはじめとする四校は事件に巻き込まれるたびに「やらざるを得ない」枠組みに押し込められてきた。江戸時代や鎌倉時代にタイムスリップしたことさえある。だけど毎度まいど、生活するので精いっぱい。ケンカや軋轢だって生じる。見えないところでストレスを抱えて傷ついていた人もいるだろう。

 無理だ。

 意欲的に取り組めるかどうかは?

 人による。良い悪いは一切、関係なくね。

 目的意識と意欲は、日頃の鍛錬や訓練の質に露骨に出る。

 生半可で向かっていったら、悲惨なことになるよ。

 私たちが鍛えているのは、そんなことをするためじゃないぞ?

 日常を楽しむためなんだぞ?

 それぞれの目的をもって、それぞれの意欲を燃やしているのはさ。

 全員がひとつのことをやらなきゃいけない、なんて窮屈な話じゃない。

 生きたいように生きる。そのためだ。

 戦いの定義さえ、人それぞれ。

 そして、戦い方だって? やっぱり、人それぞれだ。

 私にとって最悪の相性となる敵に責められて心が折れようと、へこたれようと、うなだれる必要なんかない。受け身になる必要だってないぞ?

 私には私の戦い方がある。

 見失うな。

 どれほど傷つこうと、へこたれようと、忘れてしまっちゃあ、だめだ。

 さあ、立ち上がって。

 私になって、これが自分なのだと示す機会が来ただけ。

 自分の外にある、大好きな人やものについて、胸を張り、ときに助けあう機会が訪れただけ。

 それこそがヒーロータイムってものじゃない?

 結ちゃんでさえ何度でも何度でも失敗しながら、成功と成長へと向かっている。事実、容易でないと感じることも多い。まるで私のライフワークは苦しめられることなんじゃないかとさえ感じるほどに。こんな風に感じちゃう時点で、かなり参ってるよね!

 だからこそ回復が必要なら、回復に向かうんだ。

 宝島に天国の修行、どちらも提案してくれるのは、癒やしなのだから。

 感じようとしちゃうのなら、感じたいのは敵意じゃない。

 そんなのブロックしたいまである。

 意地を貫くためには戦わなきゃいけない場面もあるのだろう。

 二律背反。一本だけの筋っていかないのが悩ましいけども!

 いいさ。

 私が感じたいのは、なに?


「よし! 歌おっか」

「待ってました!」


 まだまだ焦ってた。

 落ち着け?

 回復がいるんだぞ?

 いまの私には、たっぷり休むほうが大事だぞ?

 じゃなきゃ、好き放題あばれる彼と愉快に戦うことさえできない。

 彼となら。この部屋でなら。

 きっと私の願う戦い方を見つけられる気がする。

 だけどまだ心がいっぱいいっぱいだ。

 ぷちたちには伝えがたいけどね?

 ママはいまちょっと、参ってるみたいです。

 でもどうやら、おかげさまで立ち上がれそうです。

 ライブで歌って体感した、あの絶頂感を味わいたい。

 シュウさんが助かった瞬間にも。岡島くんと茨ちゃんを暴走から助け出せたとき、あの夜にも。痺れる瞬間はやまほどあった。江戸時代の寝所でお話したときの感じも。みんなでマシンロボに乗っかって、北斗の子たちと競ったときも。生徒会長選挙や、一年最後に離島の温泉でみんなでくつろいだときも。宝島でユウジンくんと語り合ったときだってそう。

 ギンやノンちゃん、シロくんやカゲくん、トモやマドカたち。キラリや結ちゃんたちと過ごした時間にも。

 カナタと過ごした時間なら、もっとたくさん。

 数えきれないほどあるんだ。

 理不尽な暴力は断じて許さず、利益のため、脅しのための暴力はそれを止め。

 楽しい日々へと集中を。

 営みを守り育むのは、ほんとに、とてもたいへんなのだから。

 暴力に割いている暇はないの。

 感じたいものはね?

 人と自由と遊びの中にぎゅっと詰まってるのだから。

 痛みは変化を告げるアラート。すべての痛みに対応できるとは限らない。

 だけど忘れちゃいけない。

 私の戦いは、私が感じたいものを守るためにある。

 間違えてもいけない。

 私にとって、戦いとはなんなのか。

 規範を定めよう。

 どんなに最悪の相性となる敵がこようと、自分を見失わなくていい。

 私にできることはなにか、できないことはなんなのか。

 私のしたいことはなにか、したくないことはなんなのか。

 カバーできる範囲があれば、できない範囲もある。

 訪ねることができる縁も場所もある。

 いまあるものを数えて。

 いますることを整理して。

 縁を忘れずに。八面玲瓏でいこうよ!

 あれ。

 けっこう長くなっちゃったな!?

 ま、いいや。

 トニー・スタークはアフガンから生還し、宇宙から生還し、そのたびに彼自身になっていった。

 なりたい自分を見つけて。過ごしたい日常を見いだして。自分にできることを探して。自分で願うままに、自分を、日常を変えていく。

 そのための手助けならいくらでもしたいし、してもらいたい。

 だけど意図的にだれかを貶め、利用し、毀損したり侵害することで得たくはない。

 それは私の過ごしたい日常じゃない。なりたい自分なんかじゃない。

 そう思えること、それ自体が暴力的なのかもしれないけどさ。

 これが私の意地だ。

 すっきりした!


「で、一曲目はどうするんだ?」


 卵を出してクラシックギターに化かす。

 ついでにもう一個だした卵を椅子に化かして腰掛けた。

 チューニングをしながら彼を見上げる。


「そうだなあ」


 Livin' On A Prayerあたり、いっとこっか?

 仲間がいる。苦境に立たされることのほうが多い。

 それでも私たち、狸に負けじとどっこい生きてる。

 狐憑きの自分で私はいくよ。

 Livin' On A Prayer.

 願いを見失わないで生きていくんだよ。




 つづく!

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