第千八百八十二話
屋敷に近づくと、中からアマテラスさまの笑い声が聞こえてきた。
合わせて笑う、もうひとりの声に覚えがある。
たまらず金色雲から飛び降りて、玄関から和室を覗いたら? いた。
「愛生先輩だ!」
「お? うわ、ちっちゃ! まんまるっ!」
アマテラスさまと向かい合う背中がふり返る。
結ちゃんと同じで、サイズが現世のままの愛生先輩が座布団に座っていた。すぐそばに見慣れない子犬が寝そべってまぶたを伏せている。愛生先輩の尻尾にくっつくようにだ。そちらには見覚えがない。
寝ている子犬も込みで訝しんでいたら、先輩が言うの。
「これ、マドカちゃん。私のお供で連れ回してんの。で、私はハルちゃんもとい、おたまちゃんと同じく神使の見習い修行中」
「お、おお」
待って?
理解が追いつかない。待って!?
「え、マドカちっちゃ!」
「おたまちゃんもね」
くっ!
「うっわ、まんまるいねえ! ちっちゃくなると、ますますかわいいねえ!」
声のトーンが上がってる。
先輩、完全に幼児向けの声をだしてる!
くうっ。あなどられている!
声を大にして言いたい。
「あっ、あなどるなよ!」
「声までかわいくなっちゃって! おいでおいでー」
ますます猫なで声に! おのれ! 膝に乗ってやる!
じゃなくて。
お膝の上で頭を撫でられながら、ふたりを交互に見た。
「あの。いつから? っていうか、マドカなんで?」
なんでの先が多すぎて絞れない。
なんで子犬なの? なんで寝てるの? なんでここにいるの? なんで愛生先輩のそばにいるの? なんでアマテラスさまのお屋敷に? なんでマドカは私に言ってこないの?
ねえ、なんで?
やまほどのなんでは、多すぎて絞れない。
「そろそろ起きる時間でしょ?」
「おたま。現世でなく、いまここで尋ねたいことがあるんじゃない?」
アマテラスさまがフォローに入る。
くうっ! 気になりすぎるけど、たしかに現世で尋ねられることは現世で尋ねたほうがいい。
帰ってくるまで私はずっと悩んでた。アマテラスさまは見抜いてる。ほんとに尋ねたいのは、悩みのほう。尋ねたいっていうより、お話したいことっていったほうがより正確。
だってまだ、尋ねられるほど問いにできてない。
ああでも、強いて言うなら?
「だれかから金色を出してもらうことって、できますか?」
「それは、あなたがだれかに力を与えたいということ? それとも、あなたがだれかを変えたいということ?」
「う」
愛生先輩が「かわいいねえ」と連呼しながら頭を撫でてくるので、すごく落ち着かない。
それでもなるべく思考を働かせて考える。
「ど、どっちでしょうかね」
「そうねえ。どっちでしょうね?」
アマテラスさまはにこにこ微笑みながら見守る。
私がぷちたちに対して答えちゃったり、教えちゃったりするよりも一緒に悩むほうがいいと考えたことだってお見通しにちがいない。
「もしもあなたが、相手を勝手に変えようだとか、相手を勝手に思いどおりにしようというのなら? あなたの心自身が、それを拒むんじゃないかな?」
「おぅ……」
ちっちゃいときの口癖たまんねえ、尻尾もまんまるいねえ、なんて言いながらでれでれする愛生先輩がいちいち気勢を削いでくるのだけど。見方を変えたら、落ち込まずに済んでいるともいう。
「もうちょっと考えてみよっか。試したいなら、宝島かな?」
う。
徹底的に見透かされている。
考えて進まないなら、試練のための場所でいくらでも試せばいい。
だけどそもそも「私の目的」のために「だれかを操りたい」とか「だれかを変えたい」とかして、「だれかを私の思いどおりにしたい」というのなら?
うまくいかないし、ままならない。
「さあ、そろそろお眠り」
「私もそろそろ現世に戻るから。なにかあったら、メッセージで」
ふたりに奥の和室のお布団に運ばれて、あっという間に寝かしつけられる。
現世の眠気に負けじと睡魔が押し寄せてきて「おみ、やげ」と言い残す。
ふっと気づいたら、もう現世でぷちまみれになっていた。
深く息を吸って、吐きだす。身体中が重たい。
ぷちたちに押しつぶされて寝ているだけじゃない。
天国時間は得がたい経験ができる。けど、眠った気がしなくて、なんだか疲れがたまっちゃうのが困りもの。どうにかならないかな。
「ああああああああ……」
ホラー映画の幽霊みたいな声でうめきながら悩んだ。
いっそぷちたちみんな、眠るときは子狐に化かしてしまおうか。
許されないよなあ。だけどしたいなあ。軽くてちっちゃな姿になってもらえたら、すこしは楽になるんだけど。
だめだよなあ。やっぱり。
いつだって自分を変えるより、だれかを変えるほうが楽に思える。
とても危険な兆候だ。
だれかになにかを言ってリモコン操作をしたがる段階がある。
幼い頃の依頼は、学びを経てお願いするものであり、自分の思いどおりにはならないことを知ったうえで、共同体として支えあうことの大事さに向かっていく。
それを知らないままだったり、幼い頃の感覚を是としたままだと?
お願いの仕方を忘れていくし、権力勾配を利用したがる。
ときには、こういう言い方もする。
自分はここまでした、だから報いろ。自分はこういう立場だ、敬え。
どちらもよくない兆候だ。
さじ加減がね?
わからないの。
恐れている。
考え過ぎだという人もいるよ?
だけど私自身をごまかせない。
ひどいことを言った自覚がある。ひどいことをした自覚だって。どちらもされた覚えもあるし? 生きていくほど、どちらの勘定も増えていくよ。よほど気をつけてもね。
人生はほんと、ままならない。
だから、恐れてる。
なによりまず、私自身を。
経験値にできる失敗はある。
だけど、二度と失敗したくない、犯したくない領域っていうのもまた、あるんだ。
そこにはトラウマがあるのかもしれないし?
ないのかもしれない。
それを判断するのは専門家じゃない? 相談しにいくのは私でさ。
ひとまずいまは、どうしたって試したくもないことがあるの。
感じたくないのに感じてしまう感情と似てる。
自分ではどうしようもない。
これは私の選択で、ぷちたちの選択じゃないからね。
ぷちたちにあれこれいうのはちがう。
考えるのなら?
一緒に、寝方を検討するところから。
そう言いたいところなんだけど、そうもいかないんだろうなあ。
きっと、ぷちたちはこういうだろう。
なんで? って。
んー。
私が寝づらいからなんだけどね。
そこから話していくことがいっぱいありすぎて、どうしたらいいのかわからないの。
「ふうう」
朝からため息なんて、正直かなり憂うつだ。
できるかどうか、わからない。
自信なんかないの。
時折、ほんとに、どうにもならないほど、重たく感じるの。
参っているから変えたい。いっそ変えて楽になりたくなる。
日常を、ずっと。
それがなにより重たいの。
楽に済ませたくなる。いくらでも。
どこまでやるのか、その内側にどこまで手を抜くのかも入る。いずれにせよ際限なんかない。
ぷちたちを子狐に化かす。常にだ。私の気に入らないことをしたら化かす。教える時間帯で私の思いどおりに振る舞った子だけぷち状態に戻す。どんどん傷つき萎縮して、苦痛な時間がなんとかまぎれる過ごし方に傾いていく。動画をただ見たり、やる気もなくて面白くもないゲームを続けたりする。その話題だって、共有しない。手を抜く私は共感をしない暴君だから。
こどもにはスマホかタブレットかゲームを渡し、話には適当な相づちを打ち、訴えは自分が本当に気になるまで聞き流す。こどもをいろんな立場に言い換えても成立する。
頼むから、自分をぜったいに、煩わせるな。
そう圧をかける。
ああ。
そりゃあ楽だろう。
自分は。
自分だけは。
けれど、期間のぶんだけ積もり積もっていく無関心のツケは大きい。
街金に借金するよりも利子が膨らむのだ。すごいぞ? 取り戻せないぞ?
そうした無関心による暴力に晒されるほど、浴びせられるほど、傷ついた心の筋肉が痩せ衰えていく。
できないことがあるのなら、できるように行動してみていい。
できるように行動する切り口探しにしても無関心暴力を振るうだれかの「そんなことできない」「むりだ」「やめろ」とか「おまえはだめだ」みたいな類いのサゲ発言とかも気にせず、自分で見つけて試していい。
しかし、呪いは強力だ。
養育者、好意を寄せた他者から浴びせられる呪いは、特に。
心のガードがどうしたって下がるから、とびきり痛く感じる。強く感じようとする、ないし、無意識にそうなる相手からの呪いは強い。
かかる呪いが強くなるほど、増えるほど、痛みも強く増えていく。
だから、なにげない動作に「びくっ」と身構えてしまうように、なにげないことばに「どきっ」と怯えてしまう。
どんどん安全か危険か、安心できるか怖いのか、その境目が溶けていっちゃうんだ。
するとね?
自分の中で切りわけられなくなっていく。
だれかのことばも、その感情も、切りわけにくくて仕方ないの。
これは好かれてるのかな? どういうサインなの? だいじょうぶかな。いや、わからないし怖い! みたいに混乱するんだ。
相手の捉え方を自分と切り離していいのに。
相手の感情を自分と切り離していいのに。
それでも相手が自分の安心や安全の源だというときほど、相手のことばも、感情も、自分を激しく揺さぶる。同じであろうとするか、ちがうと必死に否定しようとするか。他にもきっとあるのだろう。
権力と立場の獲得も加わると、親殺し、特に父殺しの文脈は長い歴史があるという。現代だと介護福祉をある程度こどもがする流れが否定しきれないくらいにはあって、そういうタイミングに答え合わせで悲惨な結果が出たらどうにもしようがない。みんな性善説で生きてるから「なにしてもいい」とはならないし? 性悪説で生きなきゃ怖いからだれも信用しませんも、先細りするばかりで無理。
なのに自分の中で切りわけられなくなる状況があり得ると考えると?
こんなに怖いことはない。
情報に接するたびに切りわけられないから、天井知らずで脅かされ度が高まる。
そんなときに、自分の荒ぶる心の刃を鞘に収めることができるかって?
まず、無理。
みんなが自分に切っ先を突きつけているように感じるのだから。
とうとう心が力尽きて斬りつけられ放題になるまで、刀をあげる。力尽きた状態は心身にいろんな形で出ている頃だろう。
それがつらいから、もう脅かされない証明が欲しくなる。
ともだち同士の「ごめん」「いいよ」みたいなやりとりというケースもあれば? だれにも脅かされない地位かもしれないし、権力かもしれない。お金かもしれないし? 実績なのかもしれない。
お父さんとお母さんの世代とか。親戚のお姉ちゃんの世代とか? あるいは、昔にさかのぼっていくほど、かな。若い男女は結婚し、こどもを産むのが当たり前だった。場合によって「男は交際経験があるもの」とか、同い年の中で「経験ないのは恥ずかしい」とか、そういう風潮も強かったそう。そういう時代の脅かされない証明は? 経験済みであること。適齢期に結婚していることだし、こどもがいること。
就職絡みでいうなら、正社員。進学絡みでいうなら大学へ。このあたりも時代によって大きく変化していく。十兵衞くらいの時代にさかのぼれば、俸禄になるのかな?
あるいは、権力や力、名声のある人物の庇護下に入ることかもしれない。
いまだとなんだろね?
人によっていろいろあるんだろうなあ。時代によっても。
ただねー。
脅かされない証明のために足掻くのが癖になるの、かなりやばい。いま並べた脅かされない証明が手に入らないときはどうなるの? ますます脅かされ度の発生源が増える。だからさらに脅かされない証明を必要とした結果「あいつはだめ」とか「これはくそ」とか言い始める。
なにかをサゲる発言しまくるタイプから距離を取ったり「やめて」って言うのは、理由があるよ。だれかにそういう発言をしないように気をつけるのだって、理由があるよ。
脅かさないように気をつける。
すると今度は「いいことしか言わない」ので「信用できない」みたいに思われたりする。
むしろ「これはやばい」と脅かされ度をみんなに知らせることばのほうが「信用できる」と判定されるの。それはそれで「脅かすこと自体はいいんかい」と思うんだけど。
どっちもカバーする万能な手段は、いまのところ思いつかないなあ。
これらの話は、根っこをたどると呪いに行き着く。
呪いは視野を狭めるし、偏見を強固なものにする。
ぷちたちにとっては、私の振る舞いがいくらでも呪いになり得る。長い年月もの間ひきずりかねない偏見と傷になり得るんだ。
なにより、ぷちたちそれぞれの心を苦しめかねないものだ。
だれにとっても、そうなんだ。
交流はお互いに、歩調を合わせて。
それがとにかく、不意にとびきりむずかしい。
とても大事なことをしているんだ。
けれど、ぷちたちの人生がすべて私にかかっていると感じたら?
あまりに責任が重たすぎて困る。
大きな波がいくらでも打ち寄せてくるように誘惑してくる。
楽をしたい。
自分だけでも手いっぱいだと気づかされる。まず自分の世話をさせて。
学べば学ぶほど自分の不足に気がつくの。だからお願い。準備をさせて。
無理だ。
だってもう、既にぷちたちがいるのに。
抑圧されていると強く感じる。早く逃げ出したいと。
抑圧は解放の道筋を限定する。視野を、とびきり狭くする。
他のものの評価ができなくなる。関心事が極めて制限される。
余裕があって余白がないと、楽しむのはむずかしい。選択肢を増やすことも。
なにより、抑圧の解放の先を思い描き、計画を立てて行動するのも。抑圧から一時的に逃れて気が紛れる、それで仕方ないとだけ考える。実際、そこまで余裕がないのだから。
そういうわけで「あれすればいい」「これこうしてみたら?」というその場の提案は、とても大きな負担になる。ただでさえ負担がやまほど乗っかって視野が狭まっていて、実際に心身が「休んで!」とお願いしていても。心身の訴えを聞いたら生きていけない状況に追いつめられていたら、休めない。
そうなると事故か事件に繋がりやすくなるし? そりゃあ「みんなで幸せになろうよ」路線の「いつでも気軽に助けあい」で、公的補助や社会保障をきちんと整備していきましょうとなる。長い歴史をかけて築き上げられていった文脈を説明できるほどの知識が、残念ながらいまの渡しにはまだないけれど。手厚い補助と救助は結局やっぱり、みんなの利益に向かうもの。
いまの私はいくらでも助けがほしい。
けどもし、助けが得られずとうとう怒りのままに暴れたら?
もうひとりの私が出てきて「さあ! 金色だして!」って言ってきたら?
ぶん殴るな。
あと、たぶん怒鳴りつけるね。
それじゃ足りないくらい怒り狂うか、気が狂いそうなほどの疲れが押し寄せるだろう。
でもって、自分の邪魔をしないのなら? とっとと離れる。もっと衝動をぶつけたいほうへと向かっていくだろう。
だって脅かされ度が高いままなのに。それにはやまほどの条件が多層に重なり、がんじがらめに絡まっていて、もうどうにもできない状態になって自分を縛りつけているのに。
なのに、スマホの音声入力式のアシスタントシステムを相手にするみたいに命令してくるなんて!
耐えがたい痛みだ。
ここまで考えて気づく。
そもそも仮想敵として、いまの自分が適任なのでは?
そんな私が相手だったとき、なにをしたらいいのか考えてみようよ。
防波堤がたしかに必要だ。
波を見て心を学ぶ余裕があるくらいの防波堤が。
じゃなきゃ、私の心がいやがる。
仮想敵の私を相手に「敵」として扱う?
それじゃ先が見えないっていうのに。
ちがう。
被害を食い止める。だれにとっての被害も。
そのために「感じようとする」のを利用するほうがいい。
どうせならさ?
そっちのほうが、あったけえと思うので!
すくすく育つのは、ほんと。もう。とびっきり! むずかしい。
みんなすくすく育っているように見えて、そんなことないもんね。
けっこうほんと、たいへんなんですよね。
なのに「さあ、やれ!」なんて。
相手に指示だして、自分の思いどおりに動かそうだなんて!
ないない。
あり得ない。
ぶっ飛ばしたら、その権利が得られるって?
どこのDVくそったれの発想なんだ。
ぷちたち相手にできる?
ぜったいに! いや!
アマテラスさまの言うとおりだ。
そんなのやりたくない。
おまけに! もっと先を見たいんだ。
楽になったその先を。
望んでやれるだけじゃなく、そのあともやり続けられるかどうかが大事だもの。
朝の重さは、巨大な問いの塊。
正直な話、いまの私じゃ太刀打ちできそうにない。
な、の、で?
とっととマドカたちに連絡つけて、子犬状態のことを聞かないと。
そして、ひとりで抱え込まないように相談しとこ。
「んんーっ!」
おはよう。
昨日より元気を多めにもってきたよ?
いろんな縁がくれた元気を。
修行だって、縁がいるぞ? 恵みに出会えた。
心より感謝を!
今日の私に必要だ。接することのある縁に届けられたら最高だ。
されたくないことをせず、してもらいたいことをする。祈るような日々の作り方として、いまは見てしまう。ぷちたちが自然にしていることで、最近の私ができないこと。
参るとね! 参ってることに関連づけて物事を見てしまう。
脅かされメガネでも、不安可視化メガネでも、なんでもいいんだけど!
メガネに限らず、思考回路でもある。不安可視化思考回路に、脅かされ思考回路。
心の根っこや枝から分かれて生えたり、巻きついて締めつけるツルのように外しがたい。
安心してすくすく育ちたい。それならやっぱりレンちゃんの言うとおり、安心していられて、すくすく育つことのできる場所にいるのがいい。
挑戦と失敗から学ぶには、安心して挑戦し、失敗できる環境になきゃね。
行動と選択のたびに脅かされ度を刺激してくる人とか環境にいたら、むずかしいもの。生きること、居ることそれ自体が脅かされていたら? さらにむずかしくなる。
だれかの正論は、だれかへの暴力になる。
だれかの「こうすればいい」、「これが冴えたやり方さ」は、だれかにとってなんの役にも立たない野次にしかならないことも、ざらにある。むしろ役立てろと当然の顔をして圧をかけてくる人の存在そのものが、ただただうるさくてたまらないまであるよ? 脅かされ度を高める。
自分の人生に、そういう野次を飛ばす人たちはなんら責任を負わないし、協力することもないのだから、気にすることはないという形で、境界線を設けている人はたくさんいると思うのだけど、脅かされ度が高まりすぎて承認欲求が暴走しはじめると? 境界線があいまいになって、ダメージを食らいやすくなってしまう。
そんなの、つらいじゃんね?
だから、やめとこ。
されたくないことをせず、してもらいたいことをする。それだけじゃなくてね? 人によってしてもらいたいことも、されたくないこともちがうものだからさ。
野次を飛ばしたり、音声入力で操作するように「金色だして!」なんて、なしだ。
結局やっぱり、コミュニケーションはだれかが気持ちいいだけじゃだめだ。
ひとりで気持ちよくなってちゃ、だめなんだ。
当たり前すぎる話なんだけど!
知ろうと努めることができないのなら?
脅かされ度が邪魔をして、自分ばかりを優先したい心の刃を鞘にしまえないのなら?
順序は自分を変えることよりもまず、居場所を変えること。
落ち着いて、安心していられる居場所が必要だ。
おっきな枠組みの話でいったらさ? それこそみんなでってざっくりとした話になっちゃうんだけども!
向かうにせよ、そこで留まるにせよ、先を求めるにせよ?
元気がいるね!
持ち込める元気がいっぱいいるぞ?
準備はいい?
起きるぞ?
「よし」
気合いを入れた途端に、頭に抱きついているユメがおならをして、他の数名もつられておならをかました。求めていない奇跡によって、一瞬で部屋が臭くなっちゃった!
あわててぷちたちを布団に下ろして、窓を開けにかかる。
だめだ! エアコンじゃ防げないんだ!
わんぱくすぎる匂いなんだもの!
新鮮な朝のなまぬるめな風を浴びて唸る。
「空気清浄機、買うかなあ」
おなら対応してると助かるんだけど。
してないかな。おなら対応。
「――……それにしても」
ユメをはじめ、朝っぱらにおならって、なんで?
そういうこともあるのかな?
それとも隠れてこっそり、夜中に起き出して、お菓子かなにか食べてないかな?
むむ、と気になって寝ているユメたちの口元をチェックする。
すんすんと匂おうにも、まだおなら臭がきつくてわからない。
くそ! おならめ!
どっと疲れが出てきた。なにが「くそ、おならめ」だ。
便秘とか? ないない。みんな快便。きちんとチェックしてる。さすがにトイレの中に入ってうんちの形までは見てないけれど、だれがトイレに行っているかはね。行ったかどうか覚えのないときは尋ねちゃうし、カナタもよく見てくれてる。
逆に便秘ときたら、うんちの形は大事になる。どんなうんちだったか尋ねることもあるし? お医者さんに聞かれることだってある。うちでも聞くよ。お腹どんな感じ? うんちでた? どんなうんちだった? みたいに。
いまのところ、みんなすやすや寝てる。
おねしょ経験もろくにない。逆にこれからそういう時期が訪れるまである。
ところで寝ている間にうんち漏らすみたいなことって、こども時代に起きるのだろうか。
やばい。
いまさらすごく怖くなってきた。
そんなことになっちゃったら、ぷちたちはだいじょうぶなんだろうか。
さすがにそこまでの匂いはないけど、今後は?
心配になってきた。時間が経ったら霜月先生に聞いてみよう。
最近はないけど、この子たちが「おトイレいきたくて起きちゃった」みたいなことがない。私が寝ていて気づいていない可能性はある。そういうとき、この子たちが困って泣いていないだろうか。
おぅ。
気になって仕方ないし、おろおろしていたらだんだん目が覚めてきた。
侮れないな、おならもうんちも。
いや。
だからさ。
朝からなんの話してるのかな!?
つづく!




