第百八十八話
ソウイチさんが家の玄関に提灯をつけたの。
ゆらゆらと燃える炎を見ながら、私たちは感慨に耽っていました。
「迎え火といいまして……故人や先祖をお迎えする目印になるんですよ」
着流しの袖に隠れるように腕を組んで微笑むソウイチさんの見つめる先には、なにがあるんだろう。ただの火じゃないはずだ。もしかしたらカナタたちのお母さんの姿を思っているのかもしれない。
送り火みたいなことは他にもやったの。
ナスやキュウリに割り箸で足を生やしたお馬さんを仏壇のそばに飾ったりしてさ。
はしゃぐコバトちゃんと笑顔で作っていたカナタを見ることができて、ちょっと幸せな気持ちになりました。
ご飯はあっついから素麺にしたよ。つるつる冷たい素麺。油断するとカナタがおつゆを一から作るとか言い出すので、先手必勝で!
近所でお祭りもあるみたいだし、明日あたり一度おうちに帰って浴衣だけ持ってこようかな。
そんなことをつらつら考えながら離れのお風呂を出て、火の番をしてくれたカナタにお礼を言って家に戻る。
鼻歌が聞こえたので和室に顔を出してみると、寝そべったコバトちゃんがお馬さんに話しかけていた。
「ママが帰ってくる」
凄く胸がきゅうって締め付けられる気がした。
悲嘆さなんてない。明るく、素直に来訪を楽しみにしているだけ。
そんなコバトちゃんを見て勝手に苦しくなってる。
そっとその場を離れようとしたんだけど、鬼ごっこで長いこと私を翻弄したコバトちゃんにはとっくに気づかれていたみたいだ。
「おねえちゃん」
呼ばれてしまうと出て行かないわけにもいかない。
和室に入ってコバトちゃんの隣に腰掛けてみる。
仏壇には線香が立てられていた。
みんなのお母さんの顔が、おじいちゃんおばあちゃんの写真に混ざって飾ってある。
「お兄ちゃんたちとお父さんには内緒だよ?」
しい、と人差し指を立てるコバトちゃんに声を潜めて尋ねる。
「なあに?」
「内緒にしてくれるなら……今晩、コバトと一緒に冒険につれてってあげる」
「冒険?」
「……内緒にしてくれる?」
くりくりした目でじぃっと見つめられて、私は少しだけ悩んだ。
トウヤも昔、もっと素直に甘えてきた頃にこういう相談を持ちかけてきたものだ。
そして私はそれがとっても楽しくて、嬉しかった。今だってそうだ。
「もちろん」
「じゃあゆびきり」
小指を出すコバトちゃんと指切りをして笑い合っていたら、火の後始末を終えたカナタがやってきた。
「二人ともどうしたんだ?」
きょとんとした彼を前に、コバトちゃんと私は顔を見合わせて微笑みあう。
「それはないしょです」「ないしょでーす!」
「……それは、ちょっと残念だな」
あ、カナタってば地味に傷ついてる。
それにしてもなんだろうね?
コバトちゃんは私をいったいどんな冒険に連れていってくれるのかな?
◆
コバトちゃんに言われるまま着替えてお部屋で待っていたら、微かな物音を獣耳が捉えたの。
それはコバトちゃんのお部屋からカナタの部屋へとうつって、やがて私のお部屋に。
扉をそっと開けたのは、カナタの眼鏡をかけておめかししたコバトちゃんだった。
「ついてきて」
「う、うん」
手招きされるまま、忍び足のコバトちゃんに習って足音を立てないようにする。
一階へと下りたコバトちゃんに手で制された。
恐る恐る玄関を覗き込むコバトちゃんに習って私も様子を窺う。
そこにはまるで外出を阻むようにシュウさんがお茶をお茶菓子を用意して座り込んでいた。
「むうう」
コバトちゃんはそれくらいではへこたれる気がないらしい。
廊下を抜けてキッチンの裏手口からそっと抜け出て、離れに入る。
玄関扉は開いていたから、そこから出て行こうとするとシュウさんに必ず見つかってしまうのだ。
「どうするの?」
「コバトだってお兄ちゃんたちの妹だし」
これくらいでめげない、とカナタの眼鏡に触れる。
目をぎゅっとつむり、コバトちゃんが呪文のように何かを唱えた瞬間、カナタたちがするそれよりも弱々しいけど確かに私たちの魂を肉体から離して隔離世へと誘う波動を放ったの。
当然のように隔離世へと移動した私の手をコバトちゃんが握った。
「お兄ちゃんに気づかれちゃう、きて」
隔離世でのコバトちゃんの身体能力はちょっとしたもので、ひょいひょいっと垣根を越えていってしまう。けれどシュウさんが気づかないわけがなかった。
「コバト……一人でこんな夜更けに外出するのはいけないだと言っているよね? ついにはカナタの眼鏡まで奪って、青澄くんまで連れてどうする気だ?」
私たちの向かう先、壁に身を預けて立っていたの。
「お兄ちゃんにはまだ内緒です!」
ぐぬぬ、と悔しげな顔をするコバトちゃん。対するシュウさんは余裕の構えだ。
「だとしたら……連れ帰って内緒を教えてもらえるまでお話しないといけないね」
「そんな時間はありません!」
けれど構わずコバトちゃんは指をくわえて甲高い音を鳴らした。
おうちからキュウリの馬が駆けてきて私たちを攫って走っていく。まて、と叫ぶシュウさんを一人置いて、ぐんぐん都心へ向かっていく。
そこまでいたってようやく気づく。
いろんな家々から同じようにキュウリの馬が駆けてきて、みな同じ場所へと向かっている。
都心、空……雲の上。割れて光が差すそこへ、一心に。
それはとても不思議な光景だった。
あちこちに蛍火が灯っていて、邪なんていなくて。
『盆か……うむ』
タマちゃんの感慨に問い掛ける代わりに、キュウリの背を抱くコバトちゃんに呼びかけた。
「どこへいくの?」
「ママを迎えにいくの!」
割り箸の足で駆けていくキュウリはどんどん空へとのぼっていく。
地面に漂う蛍火に紛れてのぼる霊子が空に満ちていく。
その集合体ともいうべき雲の上にやがて辿り着いた。
そこには光り輝く門があって、ぼやけた人の御霊が出てきてはキュウリの馬の背にまたがって帰って行く。
『お盆は故人や先祖が帰ってくる日だ。ここでお出迎え、というわけだな』
十兵衞の言葉にはっとして、思わず門を見た時だった。
「ママ!」
「コバト――……!」
コバトちゃんが呼びかけた相手が、写真で見たあの美しい女の人が出てきて駆け寄ってきた。
そしてコバトちゃんを一心に抱き締める。それはひょっとしたら途方もなく至福の瞬間で、一年に僅かに許された再会なのかもしれなかった。
「だめじゃない、きちゃ……新宿に落ちてみんなに迷惑をかけたのを忘れたの?」
「ママにあいたかったんだもん……!」
胸が苦しくて仕方なかった。
いろんな人の大事な人が帰っていく。
そんな瞬間が奇跡でないなら、なんなんだろう。
何も言えない。言えないくらい感じていたの。
ちゃんと意味があるんだ。お盆にだって、ちゃんと意味があるんだって。
「あなたが私のノートで頑張ってる子ね?」
「は、はい、青澄春灯です、けど……あのう?」
「ああ、ごめんなさい。緋迎サクラです。コバトたちの母で……あと、カナタがいつもお世話になっていますね」
コバトちゃんのお母さんが私を見たの。っていうか、え? 待って?
「私のこと、知ってるんですか?」
「ノートを通じて見ていたもの。あなたの料理は喜んでもらえてる?」
泣きそうになった。
なんだか無性に泣きそうになったの。
「たくさん語り合いたいけれど積もる話はあとにして、ひとまず帰りましょう! シュウが心配している頃でしょうから」
「おー!」
拳を掲げるコバトちゃんを抱いて、私にしっかりつかまってと声を掛けた彼女が馬に触れる。
するとキュウリの馬が一瞬で綺麗な白馬に変わったの。
「翼まで生やすとやりすぎかしらね」
茶目っ気たっぷり笑って、そして足で軽く馬の腹に触れる。
夜空を疾走する白馬に乗って、私たちは帰る。
目印は既にある。
ソウイチさんがつけた提灯だ。
迎えるための火が私たちを導いてくれる。サクラさんの帰るべき場所はここなのだと、確かに導いてくれるのだ。
つづく。




