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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千八百六十七話

 



 結ちゃんオススメの喫茶店に向かう道中に、私も私で伝えたいことを話した。

 伝えることができると落ちつく。

 そういうことってある。

 だからといって「自分が言いたいから言うわ」とあえて傷つくことばを選んで当て始める人がいる。さらに過剰にやらかすと? 「これはお前が聞かなきゃならん!」と、暴言を放つようになる。

 相手がどうとか、お構いなしに。

 もちろん、だめだ。

 ことば選びは大事なことだもの。

 悲しいけど感覚ってちがうものだし、地雷がなにかなんて可視化されてないし?

 気をつけていてもやらかすことはある。

 だからこそより気をつけるんだけどさ。同時に願いと諦めの両面コイントスになる。どちらの面が出るかはわからないから、制御しきれないのも事実。

 結局、相手がどう受けとるかは相手次第だ。

 握手やハグに似てる。

 相手が痛くないかどうかなんてお構いなしに、全力で力を込める人もいる。これが自分の誠意だと本気で疑わない人も。あるいは力比べをするのだと盲目的に信じている人も。

 力加減を探りながら、さわさわしてると「ちょ、くすぐったくて気持ち悪いんだが!?」って引かれることもある。離す加減も実のところ繊細。

 なので願いをもって配慮するし、諦めをもって相手に押しつけず求めない。

 それは聞く側もそう。

 話すも聞くも、たいへん。

 お互いのギャップは対話を通じて「あ、これはだめなんだ」とか「こういうのがいいんだ」とか蓄積して、その都度ごとに修正していけたらいい。

 ベストは見つからないから、ベターを探し求める。

 そうだ! ベター探しをすればいいんだ! これでよし! として吹っ切れた時期が前にあった。けどね? そんな当時の私の脇腹を穿つほど、ベター探しなんてとてもじゃないけど無理! ってなる現実だって、存在する。既にキャパを超えていて、頭は働かないし、心はずたぼろで、なのに傷つく状況から抜け出せないみたいな状況で「ベター探しができてない! お前はだめ! だれも愛さない!」みたいに棍棒で叩かれたら? 祟る。

 ベター探しは気力とやる気と余裕と元気と居心地のいい場所があってこそだし、協力してくれる人や肯定しあえる関係性のある人がいてこそだとさえ感じるもの。それがない状況は実際にあるし、ないのを人のせいにするのは機関銃をフルオートで乱射するような暴力だ。

 話すにせよ聞くにせよ、ただそれだけをすればいいとはならない。

 あらゆる状況に通用する魔法の閃きなんてない。

 人や環境など状況がちがえば、目標に向かう手段も道筋も変わる。

 ただ、シンプルな話もある。

 暴力的なのは? 無理だ。

 私はそこでベターは探さない。

 だって暴力は単純に気力もやる気も元気も奪うし、居心地のいい場所を最悪の場所に変えるし、暴力でできる協力は一緒に参加することで、先述した多くの快適さを破壊することでしかない。その手段を肯定しあえる人と関係性は築きたくないし、望んでも築けない。

 ああ、それなのに。

 世の中にはもっと切羽つまっている状況もある。

 暴力的な人から離れる術がない状況さえ存在する。

 おうちなら家族のひとりから全員。学校なら先生かクラスメイト、あるいはその両方。会社でもバイト先でもね。どうしても環境にいるうえで関わらざるを得ない人ないし人たちが暴力で解決するタイプだと? どうすればいい?

 ベター探しどころじゃないよ。

 じゃあ、どうするの?

 困ると感じるとき、それをだれかに当てはめて「変えよう」とすると? 無理だ。続かない。自分が相手でも同じだ。参っているときほど無理だ。

 暴力なことばをぶつけても人は変わらないのに、それでもひどいことを言い続ける人もいる。そういうときは自分の感情が優先されるし、反復している時点で処理することも、対応することもできなくなっている。

 変える手段がそもそも浮かばないんだが? という状況もあってさ?

 むずかしい。

 書店に行くとそれっぽい顔写真がばばんと出てる自己啓発本がやまほどある。セミナーも多いそうだ。

 需要はあるんだろう。対象が自分か、それとも他人かはともかくとして。

 じゃあ需要を持っている人がみんな自己啓発本を読む? セミナーに通う?

 まさか。

 書店で棚を埋めるってことは売れる商品ってことなんだろうけど、だからって全員が手に取って買っているわけじゃない。セミナーなんかもっと遠い選択肢。

 じゃどうするのかっていったらさ。

 仲間内や身内で相談したり、ああしょうがないなあと諦めたり。声の大きな人や、困っている自分か困らせてくるだれかよりも頼もしい人に解決を依頼したりするんじゃない?

 暴力はアウト。警察に相談したり、民事裁判で訴えたりっていう手もある。

 知り合いやともだちならケンカしたり、縁を切ったり。夫婦なら離婚。学校なら通わないし、会社なら退職する。

 変わる、変えるは無理。でも手はある。そんなにいやならやめちゃえば? って。

 これが家族になると、実現させるのがかなり苦労するという。

 相手の暴力がひどくて離婚したのに、こどもを奪ってこようとする元旦那なんてのもいるそうだ。厄介事は本当に多い。

 そういう状況になる、ずっと前に、そもそも話すこと、聞くことがうまくできるようになれたらいい。合わないなら、合わないなりにできる対応策もある気がする。

 変える変わるが無理なのは、極端だからじゃない?

 そのずっと前に手段があるんじゃないかな?

 それは、具体的にどういう手段かな?

 お互いのギャップやままならなさについて、今後どうするか話せないものかな? それはさ? 実のところ、日常生活で失敗を経験して、対応策をどう学んでいくのかって話になっていくんだと思うんだ。

 親だったり、兄弟姉妹だったり、ともだちだったり。

 でも義務教育じゃそんなの学んでないからなあ。

 大勢の人たちが、それぞれの人生経験と知識と、その場その場の学習するしないなどのたくさんの変数を抱えて挑むわけでしょ?

 そりゃあ。

 ねえ?

 こどもがみんな失敗を安心して経験できるかっていったら、別だ。

 あの子の親がうんぬんかんぬん、母親母性最強説みたいなトンデモ炎上論トークを持ち出してちゃあ、永遠に解決しようがない。

 だってさ?

 すべての人が安心して話せる人がいるかっていったら、いないもの。

 すべての人が聞く術を心得ているかっていったら、いないんだもの。

 無理でしょ。こんな状況で。

 自分の養育者が理想的な聞き相手です、なんてことは? ない。

 ともだちに恋人、結婚相手や自分のこどもは? それさえやっぱり、無理。話せる、聞けるってことにはならない。

 関係性は保証しない。

 だけど「親なら聞いて」とか「こどもなら聞け」とかやってるようだと? 先には進まない。「こどもの話を聞くのはママね。じゃパパは好きなことするから」とやってちゃいけないし? 親友なら、夫婦なら、でも。英雄ならとか、憧れの人だから、とかでもだめ。それじゃあどうにもならない。上司だの部下だの、取引先だの大手だの、そういうのも一緒。偉い偉くないとか、力があるないとか、ぜーんぶ一緒。

 そもそも学べる機会も、方法論も、技術も、一般化されてない。

 みんながきちんと学べるものってわけじゃない。

 やべえ先生のいる小学校で六年間耐えた、なんて人もいるだろうし。家族がそもそも、そういう人たちじゃなかった、なんて人だっているだろう。

 こんな状況でさ?

 無理でしょ。

 それで「うわ。西暦で二千年も過ぎたっていうのに、まだこんな問題が?」って絶望する人もいれば「そんなもんでしょー」とさして実感もなく笑っちゃったり「おおげさすぎる」と眉をひそめる人もいそう。

 でもさ。実際問題ね?

 話すのって、むずかしい。

 聞くのだって、むずかしい。

 どうするかで悩む距離感の人に、なんでもはしゃべらない。むしろ、ことばを選ぶ。

 逆に横柄だったり、ひどいことばを使ったり、なんでも言っちゃう人を見ると「うわ、やばい人だ。かかわらんどこ」ってなる。実際、危ない目に遭う確率が高いしさ? 離れようとするのは自衛のために必要で育てるべき感覚だとさえ思えるよ。

 学習の機会はついに訪れず、同じ振る舞いが延々と続くことになったら?

 悲劇は増え続けるばかりだ。

 元を正せば教育で、という原因への対応。それは、いまやばいだれかを助ける対応にはならない。それぞれ別々の話になる。

 手に負えないくらい、規模の大きな話に向かっていく。

 学習を。学説として信用できる強度のあるものを、公的に。だれもが参加できるようにするには、どうすれば? 生涯学習が根づいていたら、その気になったら大学院とか市町村の教育センターみたいなところに行って、学べるかも。

 でも日本はそこまで生涯学習が根づいていない。

 学校を卒業したあとで学ぶ習慣があるかどうかというと、一般的じゃない。

 パソコンやスマホの使い方、文化や価値観の変容、過去に習ったことが最近の研究だとどのように変わったのか、など。知らない人はずーっと知らないままだ。面倒でもインフラがネット寄りになって、できないからお子さんやお孫さんに頼り切りっていうご年配もけっこういらっしゃるのでは。

 仕事で忙しい年齢層だって、そもそも職場に制度がないか多忙か、その両方で学ぶどころじゃないんじゃない? 利点は個別に人の中で意欲をもって見いだすものだと思うけど、人と社会と学びが繋がってないと、やらない人の割合は高いままなんじゃないかな。

 どうすれば学べるのかわからないことだって、あるよ。

 なにがどれほど信用できる情報なのかわからない。ダイエット絡みの商売とか、健康や治療につながるとした詐欺商売が横行する理由のひとつじゃないかな。

 学びの機会が得られなければ、結局知らないまま。

 肌感でわかった気になって、大やけどをする。取り返しのつかない失敗を犯すことさえある。

 性教育なんかもろにそれだ。人の権利の教育も含まれるし? そのあたりが蔑ろにされた結果としてみることは多い。多すぎるくらいだ。

 必要なことばかり浮かぶ版面、それくらい根深い問題だと感じるよ。

 あまねくあらゆる人たちを取りこぼさないようカバーできる制度を整えていこうとすると? やり方をどう気をつけても、それなりにお金も時間もかかる。人手もいるし? 大きな変化のうねりは影響範囲が広すぎて手に負えないものに思えるし? なにより「変われ」という圧が強くて、大変そう。

 変われじゃ変わらないんだよね。

 好ましい循環を整えながら、継続していく。

 あ、これいいなって思えるから続く。

 それが理想だ。

 でもちっとも具体的じゃない。

 義務教育とか学校は、いまの私からしたら続いていることだ。

 じゃあ、あまねくすべての学校が「あ、これいいな」って思えるから続いているかっていったら、話は変わる。ぜんぜん! そんなこと! ない!

 士道誠心学院高等部はよかった。中学は複雑だけど、いま思えばよかったよ? でも小学校はだめ。絶対に許さないまである。

 義務教育の制度は継続しているけど、好ましい循環っていうのがもはや曖昧すぎて、変わることも変わらないことでも使えちゃうから意味を成さない。

 好ましいって、なに? だれにとって? 具体的にどういう基準で決まるの?

 そこも話し、聞くことでしか見えてこない。

 大勢を集める学校で、そんなのいちいちやってられないって話が聞こえてきそう。会社は毎年、企業の規模に応じて新入社員を決まって入れている印象があるけどさ? 新人さん全員とよく話し、聞いて、環境を整えていく? まさか! なんでそんなことするの? 合わせてよってならない? 仕事でみんな忙しいんだもの。

 実際、噛みあわない。

 せいぜい、先にいる人たちや、そこで日常を続けている人たちにとって都合がいいように回していくので精いっぱいになりがちじゃない?

 だから小さな単位に分けて、なるべく合わせられる集団に分かれていくのかも。

 話せて、聞けて。

 それって地味にハードルが高い。

 それを風通しのいい現場、とか。どんな立場の社員であろうと、社長室はオープンに開いていて、話ができる環境作り、とか。相談に乗れて、相談者の望む結果に繋がるってアピールしたりするんだろうね? 求人でさ。見方に気をつけないと、これもやばい会社の誘い文句になるっていうから、ほんとに悩ましいところだけど!

 誘い文句に利用されちゃうくらい、とても大事なことだ。

 話せて聞けて、というそのものよりもさ?

 それで達成を目指す、お互いの心地よさを探り、修正していくことが大事。

 結ちゃんと私みたいに、ふたりの関係でも同じ。

 私はこうなんだけど、あなたはどう? とか。どういうのが好き? とか。そういう話とは別に、お互いにどういうのが心地よくて、どういうのが苦手なのか知っていくし、謝ることもあれば、やらかすことも。

 お互いの居心地のためにできることを話し合えるか。

 話したいと思うか、聞きたいと思えるのか。

 思えないときに「やれ!」っていうのはさ?

 無理だよね。できない相談だ。

 暴力を選ぶ人相手には即座に無理ってなる。

 できるようにするには、日頃の積み重ねが大事だ。

 それはいやって伝えられること。それは同時に、それはいやって伝えてもらえることになる。

 いやだって伝えるか伝えられても、お互いに意地悪しないことでもある。


『いやなことをされた、と感じたのではないか?』


 十兵衞の問いかけに思うところはある。

 結ちゃんなりに渦巻いている感情から、ことばが鋭い箇所があったもの。

 けど、どうだろ。十兵衞が尋ねるほど、つらくはないかな。

 中学時代の私は結ちゃんに苦手意識をもってた。かなり強くね。

 でもなあ。当時の私なりに、認めがたくはあったけど、結ちゃんのお節介に救われてた。

 いやなお節介しか記憶になかったら?

 さっきの告白も「しんどいわあ」とか「勝手すぎん?」って感じだったけど。

 結ちゃんがいなかったら、本気でひとりぼっちのまま中学校生活が終わってた。

 素直に思うんだ。

 会えてよかったって。

 それに結ちゃんの言うとおり、昔の私たちなりに精いっぱいやったんだ。

 いいことも、悪いことも、いっぱいあった。

 傷つけたり、傷つけられたりもした。

 望ましい関係って、お互いにいいことしかないの! なんて風にはいかない。なかなかね。

 ましてや、ろくに学べるわけでもない社会で四苦八苦した当時の私たちだ。

 無茶をした。当時の暴力を肯定しちゃいけない。それは忘れちゃいけない。傷つけられただけじゃなくて、傷つけたこともある。それは断じて肯定しちゃいけない。

 強いて言うなら結ちゃんのいう消化をふたりでした。ふたりの間のことだけに限ってね。

 いまの私は前よりも、ほんのすこしだけ「話すこと」も「聞くこと」もむずかしいってわかってるし? それぞれ良し悪しだけで語れるほど、そもそも知らないことも理解してる。

 日常的にやってることなのにね? 変な話だけど、でもそんなものだ。

 日常的にやることだから当たり前にできる、とはならない。

 いつもやっていることだから技術が高いわけじゃないでしょ?

 話すのも聞くのもそう。

 だから、覚束ないことはあるけどさ?

 いいの。

 お互いにそこんところ、ちゃんとわかってるから。


「はじめてじゃない? ふたりきりでこんなに話したの」

「中学時代は一方通行気味だったもんね」

「春灯めっちゃ怯えてたもん」

「ぐいぐいくる結ちゃんとどう接したらいいのかわからなかったの!」

「いまは?」

「そうでもないよ? だからいっぱい話してるでしょ?」

「そうでもないのはなんで? 好きになってくれた?」

「ほら、ぐいぐいくる! 前から好きだよ」

「じゃあもっと言ってよ」

「止まらないなあ!?」


 こんなに盛りあがってるの、中学時代の私たちからは信じられないレベルだった。

 結ちゃんオススメの喫茶店についてからも、いろいろとおごってもらいながら近況をいろいろと尋ねたし、聞いてもらったんだ。

 大樹のドングリ珈琲、滑らかマッシュのモンブラン。コーヒー豆もいろいろ種類を取りそろえているけど、ケーキとトースト、パスタのメニューが豊富。パフェもある。

 ドングリ珈琲が出てくるドングリ喫茶店は暖色のシャンデリアとアンティークの青磁の食器類、味のある深いワインカラーで統一された内装に、白鍵が色褪せたピアノの演奏つき。心なしか、客層の狸たちも子狸ッズや福じいさんよりもしゅっとしていて、振る舞いがスマートに見えてくる。ひとり客以外はおしゃべりと食事に夢中だ。

 みんな気さくで、私たちの入店時、それぞれの入退店時に決まって声を掛けてくる。

 距離感が近いんだ。

 結ちゃんに似ている気がした。

 実際に彼女はとてもリラックスしてる。それに狸さんたちによく知られていた。まず初手で名前を呼ばれてあいさつされてたから。みんな、声掛けを欠かさない。

 ふたつ席の離れたところで談笑中の奥さま狸たちは私たちを見て「あらまあ、これまたかわいい狐さんだこと」なんて言ってきたよ?

 遠慮がないし、ことばがやわらかい。狐だ、丸顔すぎね? と騒いでいた子狸ッズと比べたら雲泥の差だ。

 仮に狸と狐の間で火花がばちばち散っていたとして、一部の話なんだろうなあ。その一部がどれくらいの割合か、話してくれた狸さんたちが実際のところどんな感情を持っているかも別。ほんとのところは、軽くあいさつをするくらいの薄すぎる関係性じゃなんにもわからない。

 ただ、雰囲気はいい。

 とてもいい。

 それで思い出しちゃった。

 劇場版パトレイバー2の話、ちょいちょい出してた。そのとき、テレビアニメ版でどたばたやってたロボマニアの女の子が映画で「ロボット好きの女の子のままの自分でいたくない」みたいなことを言ってたんだ。

 だけどさ? みんなと合流して作戦行動をするってときにはもう、テレビアニメ版で見慣れた彼女に戻ってた。

 レンちゃんの言うように、自分がいる場所、環境、どういう人たちといるかで変わっていく。

 もしも子狸ッズたちと一緒に公園で遊んだら? 私もキッズに戻るかも。ノリがね?

 同窓会も、そんなノリなんだろうなー。

 カナタといる私。ぷちたちといる私。おうちでのんびりする私に、学校で学生やってる私。トシさんたちと歌う私もいれば、テレビのお仕事に行く私もいる。

 ひとつひとつ、仮面となって切りかえているのかな?

 ちがう。

 どれも私だ。

 意識的にであろうとなかろうとね。ぜんぶ、私。

 なのにどれも私じゃないような感覚もまた存在する。

 それぞれの自分に繋がりを感じられない。

 感じたくない自分が明確に見えているときだってある。

 その延長線上にだれかやなにかを捉えることもある。分けられない。

 自分の身体の一部のように、自分の他である存在をどうにかしようとする。自分と自分以外のなにかの間にある境界線をなくしちゃっているんだ。

 逆に自分の中にいくつもの境界線を設けてしまうと、分かれていないことに不安を感じるかもしれないね?

 自分にとって落ちつく状態が揺さぶられるのは、あまり心地のいいことじゃないもの。

 そうした境界線の問題も含めると?

 話すことも聞くことも怖くなる。把握できない領域の話題は特にそう。

 結ちゃんの言う消化はとてもむずかしい。

 私も、そしてきっとキラリも結ちゃんも、何度だって思い出してきたんだ。つらかった瞬間を。消化できなくて、痛む当時を鮮明に感じていた。

 もしかすると、それってとてもありふれたことなのかもしれない。

 思い出すことになる引き金は直接的に結びつくとは限らないそうだ。結ちゃんも結ちゃんで、私とはちがう方面の本を読んで勉強してたそう。


「犬に噛まれたことのある子が犬嫌いになるっていうのはさ。わかりそうなものじゃない?」

「うんうん」

「けど、犬はだいじょうぶっていうケースもあるそう。別のものが引き金になるの」

「犬に噛まれたのに、犬以外が引き金になるの? どんなの?」

「噛まれたときの犬と同じサイズのぬいぐるみとか、別の動物とか」

「――……ほんとにい?」

「ほんとほんと。匂いだったり、状況とか、日にちだったりね」

「はああ」

「そう捉えると、邪たちの訴えって実は表面的なものに過ぎなくて、引き金が刺激され続けて発生している可能性もあるのかもーってさ」

「おお」


 仮説を立ててるんだ。すごっ。


「結ちゃんは隔離世の研究中なの?」

「まだそこまでいかないかな。ただ興味はあるの。討伐って、果てがないでしょ?」

「それな!」

「侍隊の辞職や転属願いの理由って、その果てしなさに参っちゃうってことも多いそうなの」

「ずっとずっと討伐、討伐なんてうんざりだって?」

「そ。節目がないんだもの」


 たしかに節目はない。

 まるでない。

 倒したところで何日かしたら、おんなじのが復活してる。

 なにせ心の淀みから生じる欲望の塊なんだもの。欲望は人に大事なものだし? なくなるものじゃない。なくせるものでもない。

 そんなわけで邪は果てしなく出てくる。


「実家が農家ってともだちも結構いてさ? 真夏の雑草抜きみたいなもんだって言ってた。しかも年中真夏、高温多湿。昨日刈ったところに別の草が生えてるの」


 また途方のない例え出してきたね!


「お給料は出るけど、邪討伐において農作業における収穫はないもんね。季節が変わっても、結局は邪って出続けるし」

「おまけにご褒美すくないでしょ? モチベの持ち方、守り方がさ? むずかしすぎるんだよ」

「それはいえてるなあ」


 倒してなにかが片づいた、みたいな感覚は正直持ちにくい。

 戦いや暴力じゃ片づかんなあという実感を抱くばかりだ。

 暴力を振るって支配できる状況に持っていき「言うとおりにしろ!」で話が済むかって?

 ならんて。

 ならん。

 そうはならん。

 仮に人なら怨みがたまる。嫌悪感が募る。祟る。憎しみさえ抱く。

 その場を済ませたつもりが、より悲惨な結末に向かっているだけ。

 それを邪相手にやるって?

 ならんて!

 ないない!

 夢見すぎ!

 それでもやらなきゃ始まらない状況で、お仕事にもなっているから? 割り切れる人もいれば、そうじゃない人もいる。肌に合う人もいれば、そうじゃない人も。

 侍になったら、あとはもう退職する年齢まで勤め上げる人しかいない! なんてことはない。まったくない。

 あらゆる職業と同じく、侍隊だって、警察だって、ねえ? 一緒でしょ。

 望んだところで心身のどちらか、あるいは両方を壊して職を辞することだってあるのが人だもの。おまけに侍隊で働いていたらきっと、自分からも邪が出るのかなあと思い描いちゃいそう。

 長くやるにはきつい仕事だ。

 病む人もいれば、辞める人もいるよ。

 そりゃあそう。

 話す聞く、人の権利や性教育さえろくに足りてないんだよ?

 なのに、あらゆる職場に真っ当な環境が用意されているかって?

 ないない!

 それはない!

 だからがんばろうとする人もいれば、そもそもがんばる意味なんてあるのかさっぱりわからん人もいる、はちゃめちゃなグラデーションのような環境がやまほどあるだけ。

 続くかどうかはわからん!

 四校の高校か、あるいは警察学校で御霊を宿すことができた感動も、数十年単位で続く勤務を支えるモチベになるかっていうと?

 人による!

 ならなくなっても続く人、続ける人がいて、そうでない人もいる。

 でもね? 人がどうこうじゃない。もはや。

 ずっとずっと、それ以前の段階の話だ。

 話す聞くができる人と出会って依存する感覚を恋だと錯覚することもある。ともだちとして強く依存することも。

 それくらい、需要はある。おとなになってさえも、ずっと。

 だからバディを組んだり、仲間内で飲んだり食べたり、一緒に趣味のサークル活動をしたりするんじゃない? おとなになってもさ。

 それでもストレスは心のコップにたまる。捨てられるわけじゃない。だから、ある日あふれてしまったら? もう、戻れないんだ。そこには。

 暴力はコップにストレスを注ぐ。仕事で邪を討伐するのもまた、暴力だ。

 邪に自分の思いを重ねると? つらくなる。

 クリミナル・マインドで犯人に感情移入をするとつらくなるっていってたけど、まさにそれ。


「春灯の思うところの、話す、聞く。そのどちらも邪を相手にできてない。そもそも自分や身内相手にもできてないなって気づくとね? まずはそこからかなーってなるわけ」

「じゃあ、自分を消化っていうのは?」

「問題をどうするかって考えたときにさ? どうにもしようがないことってやまほどあるの。自分ではどうにかしたいのに、どうにもできないみたいな感じで」

「あるねえ」


 最近の私はどうにもできない思いばかり抱えてるから、よくわかる。


「じゃあ焦点は問題より手前にあるよねって思うわけ」

「問題を抱えている人がどうこうって話かな?」

「ううん。それだとつらくなっちゃうでしょ? 人間、モチベがなきゃ動けないの。どんな状況に置かれた、どんな人でも」

「極悪人でも?」


 意識して単語を使った。

 正義も悪も枠組みで変わる。

 第二次大戦期の戦時下にもどると、現代の悪事も当時は正義になってたろう。

 枠組みは環境と集団の倫理観による、ひどく繊細で脆いもの。

 同時に別枠で暴力はコップに水を注ぐ。

 戦時下はコップがあふれやすくなる。

 帰還した兵も、ゲリラ活動で抵抗した人々も、あふれたコップにどれほど心を苛まれていたのかを思うと、返す返すも悲惨だ。

 討伐も、長く参加していると参るという。結ちゃんが侍隊の離職率を気にするのもわかる。


「そ。戦いたい、殴りたい、言い負かしたい。そういう衝動も欲も、人にはあると思うけど。それより利益があって、繋がれる道筋に進めるなら選ばない。そこにさらに、人の数だけ選ばない間に選ばない理由がある」


 戦いがきらいとか。意味がないとか。

 あるいはもっと生々しく、戦っても勝てないとか、その先にひどい仕返しが待っているとか。

 他にもいろいろと思い浮かぶから、言いたいことはわかる。


「理由がすくないか、奪われるか、傷つけられるかすると? 欲を止める防波堤が破壊されて、衝動が実行段階まで押し寄せてくる。きっとそこにはモチベもあるんだよ」

「ううん」


 波。

 お風呂に入っていて、手で水面を押すと?

 波ができる。けど浴槽の下に押し寄せるほどじゃない。

 逆に浴槽たっぷりにお湯を張って、一番風呂で入ると? 私の体積分だけ浴槽からあふれたお湯がタイルの上にだばーって流れていく。

 ぷちたちと一緒だったり、カナタとふたりで入ったら? もうすごいよ。あふれる量は。

 ぱしゃんと立てる波よりもずっと高く、たくさんの量が一気に溢れるから、タイルの上に置いてあるものが浮かんで流されてしまう。

 お風呂の例えでいえば「いや、水道代がもったいないから、浴槽のお湯は調整して張りなよ」ってなるけど。現実の津波だと、海の水の量は変えられないから防波堤その他、いろんな工夫が必要になる。

 心に防波堤その他の工夫がなければ。

 波は一気に押し寄せてくる。自分を苛む波が。


「暴力を選ばずに問題と付き合えるようにするには? 防波堤を築き、維持する。それによって得られる利益を守るし、意欲が沸くようじゃなきゃ苦しい。人によって防波堤の数も強度もちがうんだもの」

「押し寄せる波と刺激を防ぎきれない人が出てきたとき、私たちは手強い邪と出くわすことになる……」

「黒い御珠になることさえあるかも。隔離世で育つ前に、現世で事件を起こしたり、暴力を振るうこともね。でも不特定多数の人たちを相手になにかできるって? ないない! そんなの、現代社会で求めるほうがやばい」

「あ、あはは」


 そういうこと、結ちゃんは断言しちゃうんだなあ。気持ちいいくらいにさ。

 私の邪な気持ちさえ気づかぬままに軽く吹き飛ばす。

 そういうところ、昔からほんとに変わらない。

 実際、ないよ。

 たくさんの人に一度にアプローチできる手段は。

 ライブにせよ、大勢の人たちが自発的に参加してくれてやっと成り立つ。


「結局は自分自身に戻ってくる。私はどうしたいのか。私の防波堤、どうなってるのかな? ってね。春灯にもキラリにも、レンに、先生たちにだっていえること」

「そう、なる、ねえ」

「でしょ? でね? 侍隊ってさ。心が参ること、けっこう多いそうなの。宿した御霊と共に、黒い御珠に勝るとも劣らない騒動を起こしやすいそう。春灯が付きあってる人のお兄さんの話、してくれたよね? あと、八岐大蛇の先輩さんとか」

「ああああ……はいはいはい」


 他にも思い当たる節はある。

 ルルコ先輩は心が参って、身体ごと氷漬けになりかけてた。

 覚えがあるよ。いろいろと。


「利益なんていうと大げさかな。要は、毎日きもちよく過ごしてるかって話なんだ。先送りの嘘はなし。執着するための約束なんかいらない。どんな自分もまるごと含めて、どっこいやれてるかどうか」

「それが、防波堤? 結ちゃんの消化の仕方?」

「そう。話すこと、聞くこと。じっくりやれる居場所で過ごすの。楽な自分でいられるのが大事なの。春灯はどう? 士道誠心と、ぷちちゃんたちは」


 テーブルに組んだ腕を乗っけて、前に屈んで尋ねてくる。

 いまさらながら恥ずかしいんだけど、おこさま用に小さな座椅子を椅子にのせてもらって、そこに座っている私は見あげる格好だ。悲しいほどの身長差!

 このちがいを楽しめるくらいの余裕があるかっていうと?


「自分でいっぱいいっぱいで、よくわからないや」

「そっか」

「これってまずいのかなあ」

「まさか! しょっちゅうそうなるよ? 初めてさっきの病院に来たときなんかね? まだ慣れてないのに、ほら。風もないのにぶらぶらっていうじゃん?」

「おぅ……」


 あれですか。狸のたまの話ですか?


「なに言われても頭に入ってこなかったもん」


 わかる!

 納得!

 いやいやいや、だってぶらぶらしてますよ!? ってなるね!


「仕事でもしょっちゅうだよ。北海道のローカル番組でさ? 初めて食レポしたときも、頭まっしろ! いっぱいいっぱいだった。放送を見たら、がっつり切られててさー!」

「あー、ね!」


 しみじみうなずいちゃった。

 そんな私を見ながら、彼女は頬杖をつく。

 安らいだ表情で、とても大人びて見えた。


「動揺するし、失敗するし、恥も掻く。人を相手にやらかさない人なんていないよ。続けて言うのもなんだけど、だから、まあ、そんなのはさ? だいじょぶだ」

「だいじょぶなのかなあ」

「んー、なんて言うのかな。あー、やっちゃった! が、だいじょぶかどうかじゃないの。いつだって、だいじょぶに向かっていくんだよ」

「前提がちがうってこと?」

「そ。やがてここにいたらだいじょぶってのを見つけたら強いよ? そもそもだいじょぶに向かっていくどころじゃない、そういうしんどさっていうのもあるもの」

「あるねえ」


 ぷちたちと過ごして実感する支援制度のなさが、ぱっと浮かぶ。

 教育絡みの話もそう。

 呟きアプリで調べてみると、ほかにもたくさんのしんどさを見かける。

 ここにいたら、この人だったらだいじょぶってのは、当たり前なんかじゃない。

 関係性で保証なんか取れない。

 居場所もそう。職業だってそう。

 話すのも聞くのもそう。

 それって場合によると絶望的なお知らせのよう。

 人によっていろんな地獄がありそうだ。いろんな天国があるようにさ。

 だからかな。

 大事にしようとするのは。

 だいじょぶに向かっていく。それが精いっぱいなのかな?

 それさえできないことだってざらにあるんだから、かなりきわどい。


「生きるのって大変だね」

「でも、こうして話せる喜びもある。用事が済んだらレンもくると思うんだけど、時間まだだいじょうぶ?」

「もちろん!」


 選択はたいへん。

 話すことも聞くこともそう。

 おまけに思いがけないことが引き金となって、ますますつらくなることさえある。

 でも、それとは別にして、いいことだってあるよ。

 だいじょぶに向かっていける。その元気なら、いまはある。

 ないときは? 休む!

 うちでがんばる元気はまだないから、ここでめいっぱい話しとこう。

 ともだちと話す時間も休みになるもの。




 つづく!

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