第千八百六十五話
かつて天国といえば、それはもう! 理想的な場所だった。
そこには救いしかない。報われなかった縁も、助けられることのなかった痛みも、すべてが許される。そういう場所だった。
だいたいそんなじゃない? 映画やドラマにアニメや小説、もっと手前で絵本や童謡、親の話す天国なんて、だいたいそんな感じ。
来世で会うか、天国か地獄で会うことを約束して見送る。時と場所が変われば、それはヴァルハラとなるし? 日本の第二次大戦の映画で見るなら? ね。
ロミオとジュリエット、曽根崎心中。世界を変えることはできないし、生まれも、風習も変えることは叶わない。今生に報われないのなら、来世で。
戦うことこそ誉れであり、幸福であり、戦地で死ぬことこそ名誉であるのなら、戦士たちは戦場に身も心も捧げ、死して尚たたかい続ける。死の先にある戦場では、永遠に戦い続けることができる。現世から、そうした地へと向かうにはどうすれば? 栄誉ある死が必要だ。それこそが戦士の幸福である! 戦い、殺し、殺されるのだ! ばばん!
あるいは「パトラッシュ。ぼくもう、ねむたいんだ」とか? ね。いろんなバリエーションがあるけれど、ひとまず信じる人たちが願うままの理想の地だ。
けどお母さんからもお父さんからも「こういう作品があってね?」と、いろいろ紹介してもらうと? 様子が変わってくる。
生きているうちにしてきたことを査定する受付を過ぎると、ランク付けされた天国へと向かう。現世の格差よりも、もっとえげつない差がある階層別社会は、生まれ変わりにも順序があって、下層に向かうほど、かなり苦労するのだそう。じゃあ上層は? みんな「あーもうこのままでいいやー」と受け入れて、そのまま永遠に滞在する。上が居座ると下が行き詰まる。結局、現世よりもひどい格差社会が、ずーっと続いていくだけ。なので? 行き詰まっている下層の人たちが反逆に出る、みたいなの。
だれかにとっての理想郷は、だれかにとっての地獄なんだろうね。
神さまたちの住まう世界を仮に天国と呼ぶのだとして、人のように営むのなら?
比較的、ゆるい社会が形成されるに留まるのかな。
どうだろ。
スサノオさまの大暴れ、有名だ。
ってことは?
揉めごとも起きる。
むしろ精神的にそうとうなおじじかおばばになって、達観して「ああもうケンカとかめんどいわ」って境地になってたら? 話は別、なのかなあ。
そんな簡単な話じゃないか。
「神使も、いつかはその……あーの。生まれ変わるの?」
「初手でお墓参りしたいの?」
いや、そういう意味じゃなくて。引かないで!
「あるっちゃあるけど。初手、お墓?」
だめだ! ドン引きやん!
あたたかい光の漏れ出る森の街で、巨大などんぐりやキノコの家が建ち並び、狸たちが歌い踊り、だらけたり化けたりしながら過ごしているその街中を歩きながら尋ねるのが「生死について」って、たしかに我ながらどうかしてる。
「う、ううん。長生き神使さんって、どれくらいのお歳なのかなって思ってさ」
「いろいろなんじゃない?」
心底どうでもよさそう!
どうしよう。歯がゆいけど突っ込むほどでもない!
死生観って大事じゃない? そういう問題じゃない?
『あの現世の平穏ぶりをみるに春灯の年頃で考えることか、とは思うがな』
十兵衞まで引いてる!
え、なに? そんなにだめ?
妙なことにめちゃくちゃ興味しんしんになってる変な感じ、でてる?
『かなり』
おぅ……。
心の寒さがしんしんと。
言ってる場合ではない。
レンちゃんに案内されるまま、街の奥へと向かう。
光を放つ虫がよく飛んでいる。ホタルのようで、もっとずんぐりむっくりしていた。発光も強い。見あげると巨大な木々の枝葉に覆われて、薄暗い街の光源になっている。飛行速度はあまり早くない。羽ばたく力が強そうだ。なにを食べて生きているんだろう。身体に止まることはない。指先サイズのわりに触覚が長い。
キノコやドングリの家を食べたりしないのかな。
ねえ、十兵衞。
『なんだ?』
いまの、ずれてる感じ出てる?
『俺の身内に、春灯の年頃で虫に興味をもっている女子に覚えはあまりないなあ』
笑いをかみ殺す十兵衞に、むっとくる。
だけど事実、たしかに、なあ。
あ! いや! 趣味に貴賤はないよ!?
ないけども!
キラリたちならちがうリアクションだよなあと思うとね?
心がしんしんする。
『惹かれるままに思いを寄せていいだろう』
ね。
肝心なのは、行動に結びつけるかどうか。
それがどういうことなのか探ることを忘れずにいるかどうか、かな。
「ここの家って、かわいいけど、長いの?」
「けっこうね。地震もないし? 腕のいい大工たちもいるし。ご年配の神使たちに負けじと長生きの住居もあるよ? 新築もあるけど」
「へえ」
どんぐりハウスはどれも外観がつやつやしている。
中には色が塗られていて、カラフルに彩られたものも。
対してきのこハウスは一色か、傘とヒダ、そして柄の部分で二色に分かれているみたい。みたいというのは、だって、ほら。どれも見あげるくらい高いからさ? 傘の模様が見えないんだ。
二階建てや三階建てが目立つ。ハウスのそばに柵を設けて、庭のある家もちらほらと。どんぐりハウスで喫茶店や飯どころをやっているところなんかは、オープンテラス方式だ。
そばを通るときに匂いを嗅いだら、お肉やチーズの焼ける匂いがした。それに野菜の煮込みや香辛料の匂いも。おまけに松茸の匂いまで! キノコを焼いて食べてるところがあるのかもしれない。惹かれるなあ!
いろんなキノコを食べれるのかな。
いやいや。狸たちの街でしょ? となると、狸の好物が多いのでは?
たしか雑食性だったよね。お肉も食べたはず。野良でもそうでなくても、猫は虫も食べるそう。犬はあまり聞いたことがないけど。なので虫も食べる、のかな。
お店の前を通りすぎるときには必ず覗いてみるけど、虫は見当たらない。
八種キノコと鶏肉の香り焼きとか、鹿モツ香草煮込みとか、気になるメニューが本日のオススメとして、黒板ボードに白いチョークで書かれていた。
「なにか先に食べてく?」
「はっ!」
ああいやって言おうとして、涎が出ていたことに気づいた。
急いで拭ってから、ふと思い出す。
「ここで飲み物のんだり、食べものたべてトイレしたら、現世でお漏らししないかな?」
「現世の生活次第じゃない? レンはしてないし、結からその手の話を聞いたことない」
「してても言わないかな」
「それはある。でも、だいじょうぶじゃないかな? 一度、物は試しに起きる時間ぎりぎりにお腹いっぱい食べてみたけど、起きても普通にお腹ぺこぺこだったもの」
「あ、そうなの?」
「結局、現世の肉体で食べたんじゃなくて、魂で食事してるから。摂取できて、せいぜい霊子までなんじゃない? そこの理屈、よく知らないけどさ」
「はああ」
具体的にはさっぱりわからんってとこか。
でもレンちゃんの言うとおりなら、気にせず食事できそうだね?
「結ちゃんとレンちゃん以外に、現世から神使になって修行してる人って見た?」
「あなたが初。基本、狸街で活動してるし」
「そっかあ」
「この街だと、前にもいたって話は聞くけどね。いまは結とレンのふたりだけ」
「そうなんだ」
案外、狐街みたいなのがあるのなら、そこにユウジンくんたちがいたりして。
星蘭には狐憑きがけっこういるみたいだからさ?
会えるかもしれない。
だれが修行しているのかわかれば、神使についてもいろいろわかりそうなのになあ。
アマテラスさまは今日もお屋敷にいらっしゃらなかったから、尋ねようがない。
「狐ばかりの街ってあるのかな?」
「あるみたいだよ? 狐はけっこうな勢力だからね」
そうなんだ。神社やお寺でも見かけるから?
狛犬たちのほうがより多そうだ。そこに愛生先輩やマドカがいたりして。
ふたりとも現世でそれっぽいこと教えてくれないから、本当のところはどうかわからないけど!
マドカがいるのなら、キラリもいるのかな? 猫の街があったりするのかな?
待って!?
すっごいもふもふしてる!
そんな感じなの? ここって。
「あらゆる神使が集まる街みたいなのは?」
「あるある。聞いたことしかまだないけど。だって、復興したとはいえ、宝島があるんだよ?」
「それもそっか」
いろんな国の人が集まる、アメリカみたいな場所があるのか。
すごいなあ。みんな、いろんな神さまにお仕えしたり、神使たちの生活を支えるお仕事したりしてるのかな。
すると法もやっぱりあるんだろうか。
なんだろ。死した妻を追いかけていったら、妻がいいというまで従うべし! みたいな法なのかな。極めて限定的だけど、そういう決まりがたくさんあったりするのかな?
謎だ。
レンちゃんと歩きながら、問いがいくつもいくつも増えていく。
ちびっちゃいぷちサイズの身体で見渡す世界はとびきり広くて大きい。
ぷにぷにしてる幼い手じゃ数えきれないくらい、知らないことばかりだ。
「そろそろだ。あ! 先にひとつ忠告」
彼女が急に立ち止まって、真顔をきりりと引き締めた。
「驚くと思うよ」
「ふわっとした忠告!」
「具体的に言っても信じてもらえないというか、伝わらないってレンはわかってるからね」
「……はあ」
言うだけ無駄とか、言ってもどうにもならないみたいなこと?
どっちも同じ意味やんけ。
「行くよ。そこ、家と家の間の道を抜けた先にあるキノコの病院」
待って!?
キノコの病院って、なんか意味深じゃない?
またしても下ネタか。
仕方ないよ、福じいさんがあんまりにも開けっぴろげだったから!
どうでもいいんだよ? いま、下の話のターンじゃないからね!
道を右に曲がって、どんぐりハウスの雑貨屋と薬局の間を抜ける。ずっと先に、何度も見かけた巨大樹が見える。その根本から段々になって、平べったくて巨大なきのこハウスが生えていた。ちょっとした総合病院のようだ。
あまりに立派で既に驚くんだけど、レンちゃんに案内されて中に入ってもっと驚いた。
「あれ? 春灯だ」
ちっちゃくなっていない結ちゃんが、ブラウスに膝丈のスカートを履いて「受付で働いてますが、なにか」って顔して私たちを見おろしてきたのだ。
待って。
ねえ、待ってよ。
「なんででっかいの!?」
私もレンちゃんも、こんなにちっちゃくなってんのに……っ!
「むしろ、なんでちっちゃいの?」
首を傾げながら、本当に不思議そうに尋ねられた。
「「 くうっ! 」」
図らずもレンちゃんと一緒に歯がみしてしまった。
ぐぬぬ。なんでなの? ねえ。
こんなのってないじゃん。
現世の人が神使の見習いをやるのなら、小さくなるものじゃないの!? ねえ!
「ああ、かわいいなあ。レンで既にわかっていたことだけどさ? 親友のこども時代って、なんか……頬ずりしたい」
「「 ひいっ 」」
目を細めて、にやあと笑う結ちゃん。お願いだから両手を頬に当てて、陶然としないでほしい。それ、蕩け顔で言うことじゃない。すっごいこわいからね!?
「げ、解せない! いろいろと!」
「でしょ」
レンちゃんの忠告の意味がわかった。
仮に事前に言われたとして、信じようと信じまいと、これはあまりに理不尽なのでは?
この違いをどう説明してくれよう!
たしかに結ちゃんはマイペースだし、私でもキラリでも太刀打ちできないくらい自分を強く持ってる人だけどさ?
だからって、なに? 天国だろうとお構いなしってか?
なんだそれ! なんかずるいのでは!?
「ふたりとも、頭なでなでしていい?」
「「 ぜったいにいや! 」」
「許可を求めたらこうなるよね。じゃあ、さっき患者さんから教えてもらった、おいしいおいしいスイーツのオゴリと引換えだったら、どうかな?」
「「 ううっ! 」」
ふたりして呻く。
結果は三秒で出た。
もちろんだとも。
決まっている!
食べる一択だ!
つづく!




