第千八百六十三話
思いきり滑った先、金色を消して森を目指して歩いて最初にたどりつく立て看板。
そのすぐそばに雪だるまみたいに大きくて丸い岩が、どんどん! と構えていた。
レンちゃんはてっぺんで腰掛けていて、そのそばにまん丸くてふくふくのデフォルメ気味な子狸たちが集まっていた。みんなして賑やかに話していたのに、私が近づくと一斉に静まりかえる。
五、六、七、ううん。いっぱいいる!
そんな彼らがつぶらな瞳をまん丸く煌めかせて、一様に口を開いた。
「「「 すっげえ! 」」」
「「「 こんなに顔の丸い狐、はじめて見た! 」」」
「「「 結ねえちゃんの言ってたとおりだ! 」」」
脳内でありとあらゆるゲームのクリティカルヒット演出と音が流れた。
お父さんやトウヤが遊んでて景気のいい瞬間だから、よく覚えてる。
かいしん! とか。つうこん! とか。カッ! とか。こうかはばつぐんだ! とか。
それらが集まって一度にやってきたぜ!
なんなの?
そういう評判の広まり方、うれしくないんだけどな!?
結ねえちゃんの言ってたとおりってことは、結ちゃんの仕業じゃん! いや、いまのはそのまま復唱しただけど。
でも、待って?
ねえ、待ってよ。
ちがうじゃん。結ちゃん。
そういう伝え方はちがうじゃん。ねえ。
「ほんとは狸なんじゃない?」
「あり得る。狐に化けてる狸かもしれない」
「わんちゃんある」
ないわ!
「むしろ狸がぴったりなのに、狐が持っていった説を唱えたい」
「「「 あると思います! 」」」
ないよ!?
「ああでも狐の匂いするなあ」
「顔もおっぱいもおしりも丸いのになあ」
余計なお世話だよ! キッズめ!
「わ、わ、わりと好み。狐の姉さん、色っぽいよねえ……えへ」
「「「 このすけべ! へんたい! 狸の風下で岩になってろ! 」」」
「そんなのどうでもいいや。レンねえちゃん。こいつ、連れてくの?」
にやにや見守っていたレンちゃんが話を振られて、両手で岩を押した。
ぴょんと飛び降りて、危うげなく着地すると指先で前髪を整える。
「もちろん。結も待ってるし? ついてきて」
おいでおいでと手招きされる。
恐る恐る近づく間も、子狸たちがじーっと私を見つめてくる。
宝島で見かける神使たちと同様、彼らはみな服を着て、靴を履いていた。
「どうする?」
「今日はボードで術の練習だろ?」
「わたしついていく。気になる匂いがするし」
「出た、女好きめ」
「綺麗な人に目が無いだけですぅー」
「結ねえちゃん、玉藻の前と縁があるって話してなかった? やばいって、精気を吸われるぞ?」
「なに、びびってんの? おまえ。俺は平気だね!」
めっちゃ賑やかだなあ!
ひそひそ声なんだけどさ。大勢が集まって、五メートルほどの距離感であれこれ言われたら、そりゃあ、ねえ?
「あ、あの」
「いい、いい。気にしないで。街についたときに自己紹介してくれたらいいよ」
どう声をかけたものか戸惑っていたら、レンちゃんが私の後ろに回り込んだ。
背中をやんわりと圧迫して、促してくる。頼るように私も歩きだすんだけど、彼らは好奇心が燃え上がっている真っ最中のようで、じーっと目で追いかけてくる。
すこしでも距離ができると、岩からささっと滑り落ちて、足音を忍ばせてまでしてついてきた。
ふり返って笑顔で手を振ると、でれでれして液状スライムみたいにとろける化け術を披露する子がいたり、警戒して頭のうえに赤色灯がにょきっと生えてきて「うおおおん」と音を立てる子がいたり。かと思えば、びびってぴしっと岩に化ける子がいたり。
反応も豊か。
「い、いいの? あれ」
「いいの。現世の狸は臆病というけど、ここの狸はとにかく好奇心の塊だから」
だから、ほっといていいってことにはならないのでは?
私を追い抜いて、レンちゃんは先導してくれる。草むらの中で土肌の露出した道を進んで、森へと一直線。昨日は遠かったからよくわからなかったけど、いざ近づいてみると森の木々のどれもがとても背の高いものばかりだ。
樹齢にして、どれくらいだろう。かなりのものに思える。
幹が太い。けど、なんだろ。海外の大樹と違うように思えるのは。
樹の種類かな。パッと見てわかる樹なんて、私にはそうないぞ? 花が咲いていたり、特徴的な葉っぱだったら別だけど。ほら。桜とか、楓とかさ? 梅とか。あ! あと松もわかる!
自慢にならねー! 少なすぎない? 樹の知識。
「あれは、どういう樹なの? 屋久島の杉みたいなもの?」
「どうかな。レンはもののけ姫の森のようだなーって思ってた」
イメージ元はだいたい同じかあ。あと、解像度も。
あ。いまのを言い換えるとね? ぜんぜんわからんことがわかった!
ちなみに屋久島の杉は、別名で縄文杉じゃなかったっけ。推定される樹齢はおよそ七千二百年! わお! かなりのご長寿!
他にも名のある杉がいっぱいあるというよ?
やっぱり花粉症だとたいへんなのかな?
あの森はだいじょうぶだろうか。
「時期じゃないから、たぶん鼻水はだいじょうぶ」
「えっ」
「結が花粉症なの。レンはちがうけど。結がだいじょぶだから、あなたもだいじょぶじゃない?」
そんなざっくりな!
ほんまかいな!?
「そ、そうなんだ」
微妙な相づちしか打てないよ!
別に花粉症じゃないし! 鼻炎気味だけど、歌の仕事することになって耳鼻科には行きましたよ。お鼻の問題はきついよね! 鼻腔内の状況によっては手術することも。お鼻の中に壁があるのだそう。それを除去することで、鼻の通りをよくするんだって。だけど壁というか、壁となる肉は年月を経てまた再生するのだという。ずっと通うか、手術をして期間をおきつつ、再生の度合いを意識するのか、みたいな話になるのかな。なぞ。
なんの話だ。
空気と花粉かな。
住む場所によって、けっこうちがうというのはよく聞く話。
ハイブリッドカーがでてきて、電気自動車もこれからとはいえ、まだまだガソリン車。特に物流を担うトラックなどの大型車両はね!
物流での配送、日本は車が主流な印象があるよ? 国内に関していえば。
海外との輸出入においてはタンカーかな。巨大船。飛行機よりも大容量を運べる。お金はどっちがうえだろ。やっぱり飛行機なのかな。輸送できる量に対して、燃料代が高そうだし。
そのあたりも、お金と切り離すことのできない領域だ。
目先の数字に取り憑かれていると? タンカー輸送の輸出を勝ち取れないそうだね。中国はぐんぐん経済成長してるけど、日本はその逆。海外からみて、日本に売るのと中国に売るの、どっちが利益になるのかな? って話になってくるもの。
それと同じでさ?
消費者がけちるほど、安くなきゃだめってなるほど、小売店は値段を下げざるを得ない。安値競争になる。でもトラックに積み込める量が増えるわけでもないし、台数が増えるわけでもない。物流にかかるコストは変わらない。
ごり押しされて値切られると? 「もっと安いところがあるんだから、引き受けなきゃよそに頼むよ!」って言われちゃうと? ドライバーさんたちのお賃金に影響を与えるようになるし、労働環境にはより深刻な影響が出るだろう。端的に言えば過酷になっていく。
高速の乗り降り口やバイパスのへんてこな場所に停まっている車両の背景は、どんなもの? サービスエリアやパーキングエリアで夜を過ごす車両は?
そのあたりも込みで考えるとさ?
いろんなものが集まる東京がくちゃいくちゃいと言われがちな理由も、ね。
一筋縄じゃいかないし? その縄、ぜったいやまほどの問題の糸で編み込みされてるよね。
だれがどうのっていう話じゃ最早ない。
けちるほどなんて言いつつ、消費者はそもそも不景気の煽りをもろに受けて格差が広がり、お賃金がきびしいばかり。みんながみんなじゃないけれど、無視できない人数がたいへんな状態。そんな中で、無い袖は振れない。これぞまさに! でふれ! すぱいらる!
なんちゃって。
ぽけーと考えていたら、胸元に圧を感じた。
レンちゃんが私を手で止めていたんだ。森のすぐ手前にいた。
「考えごとするなとは言わないけど、森の中を歩くときは危ないよ?」
「ご、ごめん」
「あと、レンはお礼を言ってくれたらうれしいんだよ?」
「……ありがと」
にっと笑って、彼女は背後へふり返る。
私に当てた手を下ろして、樹のてっぺんを見あげた。
つられて視線をあげる。首の運動のように、思いきりあごをあげても、先が見えない。
分厚くて頑丈そうな焦げ茶色の樹皮が、ひび割れた状態でみっちりついた幹。昔、どこかの公園で見かけた杉は「ご長寿のお年寄りみたい」だなんて罰当たりなことを思ったものだけどさ? ここの樹はちがう。
ごつごつ肌の若い衆みたいな力強さを感じる。
穴が空いていない。剥げた箇所もない。
あごを引いて根本を見る。巨大な幹を支える根はいずれもますます太く、広く地面を捉えている。底にもきっと広がっているんだろう。
これほどの樹が病気になることなく、じゅうぶんな栄養を摂取しながら育ち続けられるこの場所の仕組みって、なんだろうね? なぞ。
「おっきいねえ!」
「中にいくと、もっと大きな樹があるよ?」
「苔むした樹なんかもあったりして」
「あるある。中には怪我の治療によかったり、食べられる苔もあるよ」
「へ、へえ」
苔って、食べられるんだ。
サバイバルリアリティーショーみたいな番組で見かけた記憶があるけれど、まじか。
考えてみたら、ミネラルの補給に土を食べる地域もあるんだ。苔くらい食べるか。
苔の種類によるのかな? 土だってそうだったし。キノコなんかもっとわかりやすい。
調理には手順が必要だ。どんな食材でもそう。お魚は内臓を取る。虫食も本格的になったら、たぶんそういう工程を挟むのでは? なんて。
そうじゃないな。
「おいしいの?」
「ものによる。天ぷらは好き。だけど、森のずっと先に行くと霧が晴れたように山が見える。その山で取れる山菜のほうがおすすめ」
「おぅ」
山菜ときくと、俄然興味が湧いてくるよ?
誘惑が多いなあ! ここは!
「あいつ、意外と食いしん坊だぞ?」
「やっぱり狸じゃない?」
「あり得る」
「狸も喰う妖狐だったらどうしよう」
「ばか。アマテラスさまんとこの神使だろ? そんなことしないよ」
「そんなたいした狐に見えないよ? たしかに綺麗だけど」
「でも、僕らより顔まるいもんね」
関係ねえから! 顔の丸さは!
人の身体の話はしないこと! もう!
ひそひそ声がついてくる。ふり返ると「やば!」と、みんなしてなにかに化ける。
ほとんど息をするように、板についていた。
もしどこかに狐たちの住まう場所があるのなら、そこで出会える子狐たちもまた、化け術を使うのだろうか。
彼らを見ていると、レンちゃんが私に「もっと化け術を」って言ってくる理由もわかる。
だってもう、当たり前の動作なんだもの。
ぷちたちとさほど変わらない年頃の子たちに見える。なのに、だ。
なんだか自信がなくなってきた。このままでいいんだろうか。私も、ぷちも。
おーっと!
どうどう! 落ち着け。
「みんなすごいね?」
「練習が日常や遊びに溶け込んでるから。それに、よく見てみるとね? けっこうパターンがあるの。得手不得手とか、好みみたいなものが」
「ふうん?」
「狐と狸が同じかどうかまではレンも知らない。レンたちと同じかどうかもね」
「――……そっか」
「同じ競技でも、みんなが同じように習得できるわけないでしょ?」
たしかにそうだ。
「同じ技術に見えて、ひとりひとり微妙にちがう。手法や技術を見つけることができても、みんなが同じように利用するわけでも、利用できるわけでもない」
「絵みたいだね」
「料理のレシピのようだともいえる」
行こうと促されて、ふたりで進む。
もちろん子狸たちもついてくる。
どこもかしこも大樹まみれというわけじゃない。大樹と大樹の間に小さな樹や背の高い草が生えていることも多い。レンちゃんが進む場所は土が見える。けど、すぐ横で落ち葉がいっぱいたまっていた。かき分けたら、いろんな虫がいそうだ。
それに思ったよりもずっとデコボコしている。石や岩も多い。
よほど歩き慣れているようで、レンちゃんはすいすいと先に進んではふり返る。場合によっては「ここ気をつけて」と呼びかけてくれたり、手を貸してくれたりもする。
「あなたの味と振る舞いに、レンはけっこう惹かれてる。結があなたのことばかり話すから、一時期はそうとううっとうしかったけど! それはレンの問題だからね」
「ついでにいえば、結ちゃんの?」
「それはちがうかな。人って、無意識に好きな話をするでしょ? 大事な領域のこと、ともだちの思い出話とか、なにかやだれかへの愛着だって、話すでしょ」
「たしかに」
「いま目の前にいるレンや北斗のみんなに目を向けてほしい。それが結に対するレンの目標だと気づいた。だれのせいとか、ないんだよ。レンの問題といったけど、それはレンの目標と言い換えられるもの。レンを責めるためのものでもない」
背の低い木の幹が道に並んでいて、デコボコしている。
足を取られて転びそうになったけど、すぐに抱き留めてもらった。
だいじょうぶかと尋ねる彼女はちっとも力んでない。
それが私には不思議でならないんだ。
彼女の構えは自然体で、よっぽど私より十兵衞に近いように思えた。
「いいなあ」
思わず感想を呟いてた。
羨ましいとか妬ましいとか、そういう感情のフィルターなんか一切無視して、ぽっと出た。
「あなたもやってたよ?」
「え?」
「結から聞いた話じゃ、天使に対するあなたは手段こそ間違えていたけど、気を引くために夢中だったっていうでしょ? あなたもやってたんだよ」
だから彼女の返しに射貫かれる。
「たしかにいまのあなた、狸みたいに見える」
「なんと!」
「愛きょうがあるってこと。補足するとね? 結からは昔の、愛生からはいまのあなたの話をよく聞いてる。ねえ」
根っこ道を抜けていく。
大樹や木々の葉っぱが陽の光をさえぎり、やや薄暗い。
肌に感じるよりも音で風を捉える。
先へ進むほど地面にも緑が目立つようになってきた。苔だ。同時に水の音も混じってくる。
川が近くにあるのかもしれない。濡れた森の匂いはあまりに濃くて、子狸たちの匂いがよくわからなくなってきた。ふり返れば彼らはちゃんと目の届く範囲にいて、私を見てる。
木々の根っこにキノコが見える。大樹ではなく樹に虫や動物の姿も目立つようになってきた。
いろんないきものたちの声が増えていく。カエルの声さえ混じるんだから、すごい。
「絵の練習をするのなら、どう始める? それが料理なら? あなたが滑り降りてきたボードなら、どう?」
「すごく簡単なところから、かな」
「問題、あるいは言い換えて目標さえ、そういうものじゃない?」
「――……うん」
「あなたの目標は、なんだろね?」
返事ができない。
「レンは知りたいな。ライブのとき、あなたが愛生たちを前に歌ってみせたとき、あなたの目標がなんだったのか。どれほど解きたい問題に挑んでいたのか」
彼女のことばに、刀はない。
きっと私がここから考えだすと? 途端に刀が増える。
鼻から息を吸って、むせそうな緑を感じながら勇気をだしてみる。
話したいなって切り出すんだ。
彼女の返事がどうだったかって?
そんなの、改めて確認するまでもないんじゃない?
つづく!




