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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千八百五十八話

 



 願いは苦しみの始まり。

 当たり前や常識を願いに組み込むと比較対象が多すぎ。

 成就しない願いは、だれのせい? なんのせい?

 問題は人? 人の集まり? それとも、行い?

 ある心理学者は人ではないと考えた。人、つまり行為をする者と、行為とは、別のものである。

 ここで安易に「行為を指摘しよう」と考えると? うまくいかない。

 指摘されたとき、責められたと感じる人がいる。

 たとえば「そのやり方は問題があるね」と指摘されると「つまり自分が悪いのか!?」と心がぎょっとして、身構えてしまうんだ。問題は人にあると捉えていたら、指摘された自分は悪いと感じてしまう恐れがあるんじゃないかな。

 そういう相手に対して、相手の行為を指摘することは?

 指摘する人にとっては「人と行為は別。行為に問題がある。だから行為に対して指摘した」ことになる。

 けれど指摘された人の中に、指摘されることは即ち「人が悪い」と感じてしまう。

 ここで「人が悪いと感じるやつはどうかしてる!」とか「行為が悪いんだから、人が悪いとして責められたとお前の考え方、感じ方はおかしい!」とか言いだすと? まるで意味がなくなってしまう。結局、人のせいにしてしまっているのだから「行為と人は別」を飲み込めていない。

 お互いの問題に関する認識をすり合わせて「問題は人ではなく、行為にある」として、指摘するときには「行為のこの箇所を、このようにしてみてはどうか」と具体的な提案をセットにしたい。相手が好ましく受け止め、受け入れることのできる形をとことん模索する。そもそも提案よりも、実際に自分でやってみせて、相手ができるようになるまで見守れるといいかもしれない。

 苦しみがあるとき、自分に対して、まずこうした態度で改善できるか。

 だれかに対して、とことん徹底して模索し、付き合えるのか。

 そうするには現代は忙しすぎる。学校も仕事も待ったなし。ぷちたち相手なんかもっとそう。

 心ない事実を告げるのなら?

 それは結局、自分の都合。

 容赦なく時間は進んでいく。

 逆にいえば膨大なタスクが常時、発生するのだから、いちいち人を責めていてはストレス過多になり、行動と思慮の範囲が狭まってしまう。

 引きこもりの話題は物心ついてから、ちょいちょいニュースで聞くけれど、あらゆる条件が組み合わさった複合的なストレスの果てに狭まった結果なのかもしれない、とも思う。

 それくらい責めることが常態化した環境に身を置いて、それでもなお、人に問題を結びつけることを続けると? そりゃあ、どこでも生きていけないし、居るのがつらくなるばかりだ。

 心の地金ががりがりに削られて、ずたずたになって、傷だらけになったら?

 そうなる時間の何倍、いや十何倍もの時間が元気を取り戻すために必要になるんじゃないかな。

 それほどまでに、責めるということは、心身が病んでいくための暴力になるんだろう。

 責めること、相手にとっていやな刺激を与えることで相手を変えようとするとき、人は相手を裁いている。裁き、懲らしめようとする。

 アニメの攻殻機動隊で草薙素子が第一話に爆破テロ犯に向けて言った台詞をもう一度ひっぱってくると?

 世の中に不満があるなら自分を変えろ。

 もっと長いけど、今回はこの引用で十分。

 世の中には自分以外のすべてが含まれる。

 ここだけの引用なら、人によっては「でもあいつが」って言うかもしれない。

 実際、露骨に問題があると感じる人もいる。

 家族の食卓であろうと、みんなで食べる大食堂であろうと、飲食店であろうと、周囲の人が顔をしかめるような食べ方をする人がいる。

 たとえばトシさん行きつけの居酒屋さんで、骨付き肉をねぶりながら食べているおじさんがいた。ちゅっちゅちゅっちゅ、じゅっじゅと音を立てる。まるで熱烈なディープキス。正直、聞いているだけで頭が「わー」ってなるくらい気持ち悪いのでやめてほしいんだけど、なにかっていうとねぶるんだ。

 いやなら聞こえない範囲に遠ざかる。一緒に食べずに済ませる選択を取る。我慢して聞く必要はない。聞かずに済ませる選択をしていい。

 仮になにか指摘するのであれば、なんだろ。ううん。「食べにくい?」とか? 遠回しに探りを入れる。ちゅっちゅとねぶって食べる理由があるのか。あるのなら、それはなにか。歯が悪いんなら歯科医の受診を勧める?

 すぐに浮かぶ。

 どうせ「言ってもその場だけ」だから「何度か会う相手には通用しない」なんてことがね。

 家族が相手なら?

 音を立てて食べる家族はその後も音を立て続けるだろう。

 離れて食べることを選んだら、もうそのまま離れて食べ続けることになるだろう。

 行為に問題があるとして、行為の改善を求めるとき、自分なら行動できる。結局は、モチベーションと継続性、持続性が問われる要素が、毎日つづく日常でどれだけ変わっていくかによるけどね。ダイエット三日坊主になるか、好きな運動を趣味にしていくかの違いみたいに。

 だけど自分以外は無理だ。

 精いっぱい伝えられることがあるとしたら「もうすこし静かに食べてくれたら、私はうれしいんだけどなあ」とかかな?

 即効性がないから「耐えるのやだ!」ってなるかもしれないね?

 他にもある。

 お金とみるや盗んで、売却できるものは勝手にフリマアプリで売りさばき、とにかくギャンブルだけに依存している人と一緒に過ごしたら? 相手の依存行動に問題があるとしても、裁きで変わるか。裁いて有罪、懲罰を与えて変わるのか。

 変わるわけがない。

 単一の依存先への依存度合いを低減して、他の依存先をひとつずつ増やして分散していく?

 ひどく、むずかしそうだ。

 専門家の人たちの領域になるでしょ? 露骨にそうだよね。

 一緒に暮らしている人に変えられることじゃない。

 相手の行為はね。

 変えられないのは、一緒に暮らしている人が悪いわけじゃない。相手の行為に問題があるとして、裁くこともない。

 ただただ、お医者さんや心理士さんの出番じゃないかな?

 ただ、それだけ。

 自分が支えていたこと、一緒にいたこと、暮らしていたことまで範囲を拡大して自分を裁きだすのはオススメしないし、裁きたがる人のことばを聞くのも正直あまりオススメしないかな。

 裁くのは、なしだ。

 懲らしめるのは? 当然、なしだ。

 許すことからはじめる。

 いやな音を聞いた! ああつらい! そう感じていい。ああ、いやだったんだねって自分を許していい。

 だれもがそれぞれに不完全だったり、デコボコしてる。完全を主観で決めようとする時点で、世の中が不完全まみれになるのだから当然だ。自分の未熟や恥をいやだと感じるとき、すでに不完全さが自分の中にある。

 不完全でいい。

 できないこと、つらいこと、はずかしいことがあっていい。

 それをまず許す。自分に対して、許す。

 相手に、世界に存在するデコボコが、自分のデコボコとぶつかるとき、相手や世界のデコボコにも思いを馳せる。

 不完全でいい。

 できないこと、つらいこと、はずかしいことがあっていい。

 問題はある。行為に。あるいはひどく歪んでいると感じる認識を持っている人もいそうだ。

 ハンニバル・レクター教授みたいに。

 年齢を重ねて、体験してきたそのすべてが、人や集団を攻撃するものまみれで、そうする以外に選択せず、知る気がないか、知っていても選ぶ気がない人もいる。

 ドラマのハンニバルでは、レクター教授とカウンセリングをしながら猟奇殺人事件の捜査に協力する男性が主役だ。レクター教授じゃない。それをいったら羊たちの沈黙もそうかも。

 男性は「相手の目で見て、相手の耳で聞き、相手の心で感じる」形で、事件現場をシミュレートする。私は彼の捜査術を共感だと捉えている。

 オタク大好き「深淵を覗くとき」の警句そのまま、男性は共感していく。

 一線を引いているときもあれば、危うくなることもある。

 レクター教授ほどじゃないにせよ、かなりきわどい事件の多いクリミナル・マインドのシリーズだと? 過酷な生活環境で、他者を裁き、懲罰を選ぶ親元や養育者の元で暮らした犯人がかなり多い。

 チームのメンバーはときにひどく共感して、とうとう痛みを理解することもある。

 理解したら、捜査に支障うんぬんの前に心が参ってしまう。ただひとりの痛みを理解するだけでもね。

 だから一線を引くよう警告する。

 でないと現実の不完全さの中で被害に苦しんだ果ての加害に心が参ってしまう。

 捜査はだって、被害者が見つかって事件性があるとなってから行なわれるから。時を遡って、最初の犯行に至る前に止めることも、そうなるまで耐え忍んだ被害の毎日から助け出すこともできないんだ。

 露悪的に、裁き、懲罰を選ぶ。人に問題ありとして、これを攻撃する。

 そうせずにいられなくなるくらいの事情だって、世の中にはごまんと存在するし?

 止められると決まっているものじゃない。

 ずっと変わらないように見えるだけで、実は変わらないことを選び続けているだけ。

 変わらない人ではなく、変わらないことを選び続けている人となる。仮にむむって思うことがあったとき、人ではなく、変わらないことを選び続けている行為に焦点を当てたい。

 天気は変わるし株価も変わる。体調も、心の状況もそう。学校も仕事も変わりゆく。その中で「変わらないことを選び続ける」その意味は?

 これもまたよく聞く文句だけど「変わることには勇気がいる」。

 勇気をもって挑戦するとき、失敗を伴う。

 恥を掻くだろうし、痛い目に遭うかもしれない。

 うまくいかない経験が増える。

 ああ、いやだ……となると? 変わらない、なにもしないという選択をする。挑戦するという選択じゃなくてね。

 だけど幸せでいたい。幸せへの願望は捨てがたい。

 しかし求めるのは幸運か、それとも幸福だろうか?

 あるいは、こう言い換える?

 棚からぼた餅か、それとも日々選び挑戦することで積み重ねていく日常だろうか。

 英語だとわかりやすい。

 ラッキーか、ハッピーか。いっときの利か、それとも積み重ねていくものなのか。

 どっちがいい?

 勇気は幸福を得る挑戦権。日常に活用できる。

 となれば当然、私は勇気を選ぶ。

 だけど勇気を出せない、とても無理って状況があることのほうが、よほど身近だ。

 選ぶと決めても、選び続けられるものでもない。元気がない、参っているときは特にそう。

 特定の相手になると途端に尻込みするってこともあるでしょ?

 ぷちたち相手に私は負い目がある。あくまでもそれは、私の心の話だ。ぷちたちの感情と切り離して考えるものなんだけどさ。

 不思議だな。

 昔の私もきっとそうだったにちがいないけれど、安心できる居場所にいたいんだなあ。

 ある心理学者に言わせれば、それは所属欲求なのだそう。所属感というものを感じることが人には必要だと、その人は考えたみたいだ。

 自分と世界、そして世界に住む人々は切り離せない。

 切り離して生きられるものではない。とうに、そういう段階じゃない。

 どれくらい昔にさかのぼればいいんだろう。千年単位? もっと? わからないや。

 いずれにせよ、どうしたってつながっている。

 だから、なのかな。

 攻殻機動隊のセリフの引用、もっかいするね? 第一話から、今度は続きも含めて。

 世の中に不満があるなら自分を変えろ。それがいやなら耳と目を閉じ口をつぐんで孤独に暮らせ。それもいやなら――……と、草薙素子は犯人の頭に銃口を押し当てるんだ。

 どこに所属する? 切り離せない世界と人々を相手に、どういう選択をする? 医療やケアに繋がる道もあるだろう。どちらも拒み、気に入らない対象を裁き、懲罰を与えることを選び暴力に依存するのなら、自分たちが排除する。そういう問いかけなのかな。

 ハンニバルの主人公たち警察チームもそうだった。クリミナル・マインドやNCISのチームだってそうだ。

 悲しいかな、いずれもフィクション。

 現実では捜査機関に裁き、懲罰を与えたがる人もいるだろう。

 権力にぎって振りかざすのが好きな人って、いるから。そういう行為はあかんぞって態勢作りをして止めるとしても、ね? じゃあその人が生まれてから仕事に就くまでの間に、裁き、懲罰をとなるのを止めることはできなかったのかって話でさ。

 日常はどうして、と。

 途方に暮れちゃう。

 第二次世界大戦時に象徴される人々の惨すぎる日常は? どうして?

 その兆候や、生育における要素のすべてを、私たちはいったいどれほど洗い出せる?

 とある心理学者の本の表紙をにらむ。アルフレッド・アドラー。個人心理学のすごい人。

 行為の指摘としても、対象範囲が大きすぎると?

 どうしようもない気がする。

 だからきっと、これからも厄介な人と出くわすんだ。

 すごいなあ。

 お医者さんでいえばさ? ひっきりなしに患者さんがくるじゃない? 基本が投薬治療なら、処方する薬を特定するべく症状を聞く。けど、生活改善をしないと緩和されない症状で来院する患者さんが相手だと? 延々と処方しつづけることに。健康になるために運動してね、とか。食べすぎ飲みすぎ気をつけてね、とか。無理な運動やめてね、とか。言っても言っても響かず、延々と通ってくる人がいるかもしれない。

 さっき例に出したクリミナル・マインドだと、悲惨な事件、ときに惨い環境で育って虐待を長期間うけていた犯人を逮捕する。仕事を辞めるまで、ずーっと! その繰り返し。

 ドラマなら、治療や救助に華がある。

 けど現実だと、どうにもならない末の状態にばかり触れることになるかもしれない。

 歌をやろうと、どんな仕事に就こうと、刀を捨てずに侍を続ける限り、私はきっと出くわすんだ。その繰り返しになる。

 時折、無性に裁きたくなる。

 それはだめだ。結局やっぱり、だめなんだ。

 私の心に対象を絞ろう。

 私を責めるのをやめて、一振りずつ、行為に焦点を切りかえていこう。

 そうして学んでいくかぎり、繋がっているだれかやなにかに「おぉい!」って思っても、行為に切りかえて、どうすればいいか見つけやすくなる。

 そのためのセルフ・コンパッションまである。

 今日はだいたい、こんな感じかな。ひと区切りついたかも。

 それにしても。


「結局、戻ってこなかったなあ」


 座布団のうえで仰向けになる。

 アマテラスさまは戻ってこず。上半身を起こす。そのまま立ち上がって、腕を組んだ。


「起きたらきっと、怒濤の勢いで夜になるんだよなあ」


 一瞬で、じゃない。

 どどどどどどど、と。暴れ牛に追い立てられて、お尻を突かれないよう、転んで踏み潰されないよう、必死に走っていたら夜っていう意味での、怒濤!

 正直これだと、自分のことをやるどころではない。

 私を貫く刀の一振りでもいい。

 引っこ抜く術を得られたら、けっこう安心できるのだけど。


「――……散歩、してみる?」


 命じられるままにお使いするばかりで、自発的に出歩いた経験がない。

 正直けっこう怖い。だけど、天国だけあって頼れるお方がやまほどいるイメージだ。

 なにかいい知恵が得られるかもしれない。

 あくまで、かも? だけどね。

 恐る恐る襖を開いて、外に出た瞬間に「おたまさま」と呼ばれた。屋敷のお世話をしている犬神さんに「お出かけなら、お着替えをなさってくださいね」と言われちゃった。部屋にあるからと言われてふり返ると、いつの間にか座布団のそばに黒い板が敷かれている。

 こども用の白衣と緋袴。千早を羽織り、白足袋に草履。おまけに漆器の小さな枡と、枡の入る巾着が置かれていた。


「なぜに枡?」


 喉が渇いたらひとりでにお水が沸いてくるのかな?

 持ちあげて、掲げてみた。

 なにも起きない。


「じゃじゃーん!」


 声は空しく響き渡った。


「――……いでよ、おいしいお水!」


 なにも出ない。

 首を傾げるけど、説明はない。

 やり方が間違っているだけで、なにか意味があるのかもしれない。

 いいや。持っていけば。

 とっとと着替えを済ませて、草履を地面に落として履く。

 それからとっとこ歩きだす。

 アマテラスさまが住んでいるお屋敷から覗く、四季の分かれた庭は気温さえ一画をまたげばがらりと変わる。住んでいるといいながらも、構えた居のひとつに過ぎないんだ。ここは。

 小屋のそばを歩かないと、庭に踏みこんだら途端に迷ってしまう。

 それに気温の変化にくたびれてしまうから、縁側に添っていく。正面玄関から出るのが鉄則。それでもついつい、庭を眺めちゃう。彩りがちがうんだ。春の朝露と色彩の華やかさ、夏の力強い鮮やかさ、秋は色づき香り立ち、冬は枯れて凍てつく中に命を見る。

 お手入れをしている神さまの使いたちが趣向を凝らして遊んでいる。その遊び心がなにかを理解するまでの知識はまだなく、なんか綺麗でいいなあっていう語彙でしか捉えられない。

 雪の庭で霜を踏むのが個人的に好き程度だ。いまはまだ。

 たまに雪だるまができていることがあって、にこにこしちゃうくらいかな!

 お手入れの真っ最中に出くわしたなんてこと、ないなあ。お手伝いしてみたい。いつか機会に恵まれるかな。

 玄関を抜けてすぐ、ふわふわと広がる雲の端から釣り糸を垂らしているおじさんの背中を見つけた。そばにある瓶から色鮮やかな鯛が飛び出て、着水する。どう見ても瓶のサイズぎりぎりっていうくらい、大きくて立派な鯛だった。

 恐る恐る近づいて瓶を覗くと、海が広がっていた。水族館の巨大水槽を覗いたときのように、穴からは想像もできないほど広大な空間にたくさんの魚たちが泳いでいるんだ。けど、外から見ると瓶は小さい。その口だって。

 なんで?


「おや。小さな狐が来たか」


 おじさんはしょぼしょぼした目を釣り糸に向けたまま、かなり高いおじいボイスで語りかけてきた。おばあちゃんちで聞くことがある、わりと心配になるくらいの年季の入りよう!

 そのわりに語りは流暢!


「魚がほしいか? 爺と一緒に釣るか?」


 えっと。


「あのう。散歩中なので、いいです」

「おおお。狐に嫌われるとは、こりゃどうしたものかなあ。場所を変えるかなあ。腰がなあ? 痛くて動けんのじゃあ。三日はこうしておる」

「たっ、助けを呼んできましょうか?」

「いやあ、暇じゃから、ええ、ええよ」


 いや三日そのままは絶対よくない! ええことないって! おじいちゃん!

 皺はそこまでない。せいぜい四十か五十くらいに見える。そのわりに語りは百を超えた爺なの、なんで?

 ふぁっふぁっふぁ、と笑う。気にするなと言わんばかりだけど、笑い声が歯のない感じで余計に心配。見ればちゃんと歯はあるのに。黄ばんでるけど。


「散歩中と言っていたなあ。ああ?」


 聞き方がこわいんよ……っ!


「は、はい」

「目印はあるかい?」

「特に、その。目的のない散歩なので」

「そういうもんじゃなあ。散歩いうんは。なら、ほれ。実をやろう」


 ごそごそと懐からみかんをひとつ取り、手渡してくる。

 一瞬、躊躇した。え、懐からみかん? きちゃなくない? って。

 だけど、おじさんはにこにこと笑って待っている。

 辞退するのも気が引けて、受けとった。


「これをな。散歩が済んだら、枡に入れてみい。鯛はまだ早いと見るからな。ああ。幼き狐はみかんからがいい」


 さっぱり意味がわからないんだけど「はあ」とうなずく。

 ふぁっふぁっふぁと笑って、おじさんは釣りに戻った。

 しょぼしょぼした目は起きているのか寝ているのか、よくわからない。

 クマはないから、そっとしておくことにした。

 しっかりお辞儀をしてから、離れる。

 なんか知らんけど、みかんもらった。

 枡に入れてみいって、どういうことだろね?

 散歩が終わったときの楽しみにすればいっか。

 鯛がまだ早いってなんだろね?

 よくわかんないけど、今夜はいつまでここにいられるのかわからないし、もうすこし歩いてみよう。

 夜は短し歩けよ乙女っていうし。

 小説のタイトルだけどさ。なんかいいじゃない?

 夢見の天国すすめよ子狐ってことで、とっとこ進もう。

 心に刺さる刀への願いは、いまはまだ苦しみの源に留まる。

 さりとて行為を変える見通しも立たないし、がっつり散歩に切りかえちゃえ。




 つづく!

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